【水砂 虜囚】(12)

【水砂 虜囚】(12)

 重い瞼を開けて、眩しさに顔を顰めた。
 身体にまとわりつく優しい感触に、ことりと頭を巡らせる。
 ぱちくりと一度瞬きをして、再度辺りを窺って。
「どこ……」
 小さい声は、音になっていなかった。
 もっともそれを聞いてくれる者も誰もいなくて、ミズサは再度辺りを見渡した。
 記憶にあるのは、悲鳴を上げて怯えていたミズサを、ダマスが抱きしめてくれていたこと。
 恐怖の夢の中から救い出され、安堵したのも束の間、媚薬の禁断症状が出て。
 身体が熱くなって、泣き喚きたいほどに男が欲しくなって、呻き悶えるミズサをダマスが押さえて、ガザが口移しでクスリを飲ませてくれた。
 その後の記憶が無い。
 あれは、もう王都に近くなってのことだったから……。
「おうっ、起きたか」
 扉が開いて、ダマスが入ってきた。
 緩慢な動きで反応すれば、狭い部屋を数歩で横切ったダマスが顔を覗き込んでくる。
「お前、一週間も寝っぱなしだったぞ、覚えてっか?」
 窺うような問いかけに、目を瞠る。
 全く記憶にないそれに、ミズサは問いかけようとして。
「……っ」
 喉が痛くて声が出ない。
「ああ、叫びまくってたから喉が傷ついてんだ。それはすぐ治るってよ」
 どさっと傍らに椅子に腰掛けて、説明してくれる。
「レイメイ様のおかげで、良いセンセに診て貰えて、チンポの方も治すことができそうだぜ」
 それも確かに気になるところだったけれど。
 声が足せないもどかしさに、パクパクと伝える術を探す。もっとも、それを見つける前に、ダマスが気が付いたと、言葉を継いだ。
「おお、そうそう、クスリも二ヶ月もすれば抜けるとよ。まあ、内臓がちょっと痛んでるんで、当分は無茶できねえらしいけど……死ぬことはねぇ」
 死なない──と教えられ、堪らずに詰めていた息を吐き出した。
 うれしい、と、素直に思える。
「なんだなんだ、うれしそうに。てめぇ、死にたかったんじゃねえかよ……レイメイ様に聞いたぜ」
 一気に低くなった声音に、ダマスの怒りを感じた。
 死にたいから、死なせて貰う、という約束は、レイメイとだけしていたものだ。
 作戦が成功したら、死ねる。
 あの時は、それが嬉しくて、だから作戦が成功してくれることを祈った。
 そして、その作戦は、ルクザンが死んだことで成功裏に終わり、ミズサは死ぬ権利を得たのだ。
 けれど。
 怒りを露わにしたダマスから視線を逸らして、窓の外を見つめる。
 何故だろう。
 今は、死にたいなんて思えない。
 それよりも、生きていられる、と聞いた方が嬉しい。
 ラカンに戻れたことが嬉しい。
 そんな心境に浸っていると、ダマスが逸らした視線を戻すように顔を引き寄せた。
「っ」
 痛みに顔を顰めたミズサだったけれど。
「許さねぇ、それだけは」
 押し殺した、だからこそ怒りが充ち満ちた声音に縛られ、硬直する。
「何があっても、てめぇは死なせねぇ。勝手に死んで地獄に堕ちたら、俺も地獄に行っててめぇを引きずり戻してやる」
 それは……。
「いいか、てめぇはレイメイ様からもらった俺たちの奴隷だ。奴隷に勝手に死ぬ権利なんかねぇ。レイメイ様にだって、勝手に死なす権利なんかねぇ。死にてぇんなら、俺たちの許しを請え、俺たちが誰か一人でも反対する限り、てめぇは勝手に死ねねぇんだ」
 伸びた手が身体を包み込む。
 ダマスの言葉は、奴隷への執着だった。
 だから、死なせない──という言葉は、けれど、ミズサは嬉しかった。
 誰かに求められることがこんなに嬉しいなんて思いもしなかった。それがたとえ奴隷という存在であったとしても、こうやって病院に入れて治してやろうと思うほどに欲しがられるのなら、こんなに嬉しいことはない。
 それに、ルクザンやあの色情猫の処刑のような経験をしてしまうと、この隊員達の相手などどんなに優しいことか。
 彼らを満足させることができるなら、この身体をどんなふうに使って貰っても構わない。
 だから。
「……ぇ」
 言葉にできない嘆願が伝わるように、何度も何度も繰り返していた。
 捨てないで。
 側にいさせて。
 ぎゅっと力強く抱かれるダマスの熱と匂いに頭がくらくらしてくる。
 抜けきらない媚薬の影響だろうか、ずくんと下半身が熱を孕んできた。
 堪らずに、ダマスの身体に手を伸ばした。その耳に。
「だいたい、クドルスに勝てる奴なんか、他にそうそういねぇんだ。そんな奴を出離せる事なんてできるわけ無いだろうが」
 は?
「てめぇは俺の大切な部下の一人なんだよ、もう。せっかく鍛え上げたって言うのに、あんな作戦とも思えねぇようなのが初陣ってのは無いだろうが。今度はもっとまともなのに出させて、ちゃんと初陣させてやっから、身体鍛え直しとけよ」
「……ぃ陣?」
 繰り返し喉を使っていたせいか、少し声が出始める。
 それを聞き取ったのか、ダマスが「しまった」と小さく呟いた。
 どうやら、伝える気はなかったようで、身体を離してバツが悪そうに顔を顰めた。
「……俺んとこは、万年人手不足なんだ。使える者は奴隷でも使う、当然だろうが」
 いや、その前に。
「あ……ぶか……」
 大切な部下、と言って貰えたことは絶対に聞き間違いではないだろう。
「ああ、そうだよ」
 開き直ったようにダマスがぶっきらぼうに言い放つ。
「てめぇは、部隊専用の性奴隷で、俺の部下なんだよ、だから勝手に行動すんな、バカっ」
「……ついでに言うと、俺たちの仲間でもあるんですよ」
「え?」
 被さった冷たい物言いに、ダマスが、そしてミズサがドアの方に視線を寄越した。
 いつのまにか扉が開いてその先頭にカランが、そして背後にクドルス含めた皆が笑っていた。
「な、かま……?」
 懐かしい皆の姿を呆然と見つめながらぽつりと呟くと、ダマスが罰が悪そうにぼやいていた。
「だから、俺たちの性奴隷だから……その」 
「それもあるけど、根本的にはもう仲間っすよ。だいたいダマス副隊長の部下なんだから、俺たちは仲間でしょ?」
「ええ、仲間だから、助けに行ったんですよ。塩湖を三日で駆け抜けるなんて、熱射病になりやすい昼間も含めた強行軍なんてまったく無茶な事をしてまでね。だから勝手に死なれては、こっちの苦労が何だったのか、って言いたくなるので……だから、絶対に死なないでください。そして、さっさとその身体を治して、我々のためにその身を粉にして働いてくださいよ、今回の借りを返すためにね」
 ふんっと鼻を鳴らして、カランは皮肉げに口の端を上げてミズサを見、そしてダマスを見やった。
「ここまで伝えた方がミズサの縛る枷になって良いんですよ。この子は縛った方が良い。生きる意味を伝えてやった方が良い。副隊長も判っているでしょうが」
 目の前で繰り広げられる参謀の独壇場に、ダマスが叶うはずがないことはミズサすら知っている。
 やはり反論できないとばかり、むすっと口元を歪めたダマスの態度からして、彼もそう思っていたのは明白だ。
「だから、ミズサ。とっとと身体を治して戻って来なさい。みんなあなたが戻ってくるのを楽しみにしているんですよ、もちろん性奴隷としてというのも大きいですけど……」
 肩を竦めるカランの後ろから言葉がとんでくる。
「長剣の訓練を始めるんだろ? 計画を組んでやるかな」
「その前に基礎訓練のやり直しだろ。今は歩けないほど筋肉落ちてるって言うし」
「そうそう、まずは俺たちの性欲解消につきあってもらえば、足腰の筋肉は戻るだろうし」
「腕もな」
「んで、訓練で叩き直す」
「ノルマこなせなかったら、お仕置きだな」
 それは、ミズサが最初にこの隊に下げ渡された時にやらされたことで。
 けれど、あの時の絶望感も虚無感は今はない。
「おしおき……いや、かな?」
 だから笑って返せる。
 ミズサは、ここでは何もできないことはない。
 鍛えて、強くなって。
「だから……がんばる」
 今さっきまで出なかった言葉が使えるようになったように、訓練すればまた元に戻るだろう。
 生きられるなら。
「まあ、そういうこった。死にたくなったら殺してやる。だが、まずはその前に生きてみろ。生きてさえいればやれることはたっぷりと出てくるさ」
「ん……」
 こくりと頷く。
 あの洞窟の中で、助けられなかった人々。
 ああいう人たちを助けることが、ここでがんばればできるようになるだろう。
 ここはリジンではないから、やりたいことができる。
 ミズサはもうリジンの王子ではなくて、ラカンの部隊にいる奴隷の一人でしか無くて。その奴隷を支配するご主人様が許可してくれさえすれば何でもできる。
 そしてダマスは……きっとできることを諦めるような事はさせないような気がしたから。
「はやく、もどる……ら……よろしく……お願いします」
 ほんとうに早く戻りたい。
 ミズサの本心からの願いに、返されたのは皆の満面の笑顔だった。



「私はリジンの王族を治療するつもりは無かったが、瀕死の病人であればしょうがない」
 ミズサの治療を担当したのは、よりによってラカンの王子であるマサラだった。
 レイメイたっての願いに対応できたのは、彼しかいなかったと言った方が正しい。再生と移植の技術に関して、彼は特に優れた技術を持っていた。
 マサラは、ミズサの弟であるカザナを奴隷として保有しているが、それをミズサは知らない。
 ミズサは他の兄弟がどこにいるのか全く知らなかったが、王族であると言うだけで誰かを保有しているのではとは想像していた。
 けれど、マサラはそんなことを一言も触れずに、今はまだ寝たきりのミズサに現在の症状を淡々と伝えた。
 それは、ダマスが教えてくれた内容とたいして違いはなく、ただ多少詳しくなったくらいだ。その彼が、たった一つだけダマスも知らなかったことを教えてくれた。
「実は、最初そこまで酷いって思っていなかったものだから、治療を拒絶したらレイメイが交換条件を出してくれた。だから」
 そう言って教えて貰った内容に、ミズサの顔から音を立てて血の気が退いた。
 この身体は奴隷だから、彼が何をしようとしようがない、けれど。
「それは、……訓練とか、戦闘に影響があったり……とかは?」
 戦えなくなるのは嫌だった。
 あの部隊に居続けるには強くなければならない。強くないと戦いに参加できない。
 いつまでも後方にいるなんて、できない。
 だからそれに邪魔するようなモノは受け容れられなかった。
「あれ、ひっかかるのはそこかい? ふ?ん、面白い子だね」
 くすくすと笑うマサラ王子は、人懐っこい表情でミズサを覗き込んだ。
「君はリジンの王侯貴族らしくないね。まったく違う瞳の強さだ。どっちかっていうと、レイメイに似ている。くそ真面目なくせに、時々とんでもないことしてくれる。けど──強いし賢い」
 その声音に尊敬の念が込められているのを感じた。
 一度だけ、最初に会ったきりの本来の主人は、それでも決して悪い人ではないと思っていた。
 マサラの言葉を聞いても、そう思う。
「ふふ、気に入った。身体の方はしっかり治してあげよう。それとさっき言ったことは、もうちょっと体力回復してからにする。まあ、戦いに邪魔になるようなことは無いと思うけどね。二ヶ月もすれば退院できるから、しっかりリハビリしなさい。入院中に頑張れば頑張るほど、退院してからの復帰は早いから」
「はい」
 こくりと頷くと、マサラは満足げに頷いて。
「そうそう、カザナは元気だからね。心配しなくて良いよ」
 いきなり言われて、一瞬理解できなかった。
「か、風南?」
「そう、私のところにいるけど、今は離れたところで別荘の管理をしてもらっているから、会わせてはあげられない。君が会いに行くというのなら会わせてあげられるけどね」
 思っても見なかった内容に、目をパチクリと瞬かせた。
「風南……」
 兄弟の中で一番中性的な美しさを持つ弟だった。今まで思い出しもしなかったけれど、会いたいか問われれば、会いたいと応えてしまう。 
 それが表情に出たのか、答える前にマサラがくすりと喉の奥で笑った。
「もっとも……カザナは君に会いたくないかもしれないが」
「え……」
「私は男の奴隷を持つ趣味はないからね」
 それがどういう意味なのか、じっと見つめてもマサラは答えてくれなかった。もとより答えるつもりもいなのだろう。
「ま、会いに行くにしても、元気にならなくてはどうしようもない。がんばりなさい」
 医者らしい言葉には頷いて、意味ありげな笑みには身震いして。
 マサラには退院までに何回か会ったけれど、風南の話が出たのはそれ一回きりだった。

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