闇の街から(2)

闇の街から(2)

7
 さっきまで熱く抱き合っていた。
 アキヤの体は海人を抱きしめたくてしょうがないと叫んでいる。
 なのに。
 海人の表情に先ほどまでの泣き顔は見られない。
 どこか冷たく感情の失った表情は、何を考えているのか感じさせない。
 急変した海人がしきりに時計を気にしている。

「待てよ」
 アキヤは誰よりもその表情が何を表すか知っていた。
 アキヤ自身がよく作る表情だ。
 感情を封じ込め、作られた感情を浮かべるとそんな顔になる。
 では、海人は何を封じ込めた?
 どこに行こうとしている?
「どこに行くんだ?送るよ」
 体は辛いはずだ。
 なのに海人は首を振った。
「付いてこられても迷惑だ」
 抑揚のない声だから、ひどく冷たく感じた。
 途端にピンと来た。
 8万……。
 先ほどの呟きが脳裏に蘇る。
「また……体を売りにいくのか?」
 その言葉に、海人がぴくりと動きを止め、だが数秒後、何でもないようにアキヤに視線を向けた。
「そうだ、と言ったら?」
 その口元に笑みが浮かぶ。
 それはどこか人を小馬鹿にしたようなものだった。
「なっ!」
 はっきりとその口から言われて、言葉に詰まる。
 言いたいことが山のようにある。
 なのに、海人はそんなアキヤを無視してドアへ向かおうとした。
「待て」
 慌ててその腕を掴む。
「離してくれないか?急いでいるんだ」
「8万……だな」
 あの呟きはそういう意味だろ?
 その言葉に、隠しきれない動揺が海人の瞳に浮かんだ。
「8万ならある。それを持っていけ」
 財布から金の束を引っ張り出した。
 ここに来てからほとんど使っていないから、全部で8万は超えるはずだ。
 だが、海人は酷く真剣なまなざしでアキヤを見つめ、そして首を振った。
 それがひどく寂しげで、アキヤの動きが止まってしまう。
「俺は……施しは受けない」
 施し?
 そんなつもりじゃないっ!
「金を貰うときは、俺を売る。相手が満足することで俺はその対価を貰う。だから、何もしないで金を貰うのは嫌なんだ」
「どうして?」
「嫌なんだ……とにかく……嫌なんだ……自分が惨めになるんだ……判って…くれ」
 差し出した手がアキヤの金を握った手を押しのける。
 惨めに……。
 そう言われてはアキヤもそれ以上無理強いはできなかった。
 そして思う。
 海人は不器用だ。
 流されてその日を楽しく生きればいい。
 この街の住人がそう考えるときに、それでも自分の生き方を貫こうとする。
 だから……金がいるときには、こうやって自分の体を売ってまで手に入れようとするんだ。
 なぜ、海人が金がいるのかは判らない。
 だが、時折息を吐き出して苦痛を逃している様子を見るにつけ、放ってはおけないと思う。
 邪険にされても……放ってはおけない。
「じゃあ、この8万でお前を俺が買う。俺を気持ちよくさせてくれ。それでいいんだろ」
 とっさに言っていた。
「バカが」
 海人の口がそう動く。
 だが、声は発せられなかった。
 アキヤはさらに言いつのった。
 海人が愛おしい。
 そんな奴を、他人に抱かさせたりできない。
 だったら、欲しいだけ払ってやる。
 海人が望むだけ。
「……海人を買う。8万で買う。だから、お前は俺を満足させろ……」
 こんなつもりではなかった。
 もっと普通に出会いたかった。
 そうすればこんな金で買うようなことにはならなかった。
 恋しい人を金で買う。
 それがどんなに惨めか……海人……判るか?
 アキヤの申し出に海人は呆然とアキヤを見つめていた。
 本気なのか?
 その表情は真剣で海人を見つめている。
 見られているこちらが戸惑ってしまうほど真摯な瞳。
 もし、ここで8万が手にはいるのなら……それは海人にとっては楽なことになる。
 まして、相手はアキヤだ。
 アキヤなら……いい。
 その思いもある。
 もう逢うこともない、そのアキヤと抱き合えるのなら……。
 金で恋しい人に買われる。
 普段なら惨めな思いになるはずの行為。
 だが、今日だけはそれでも嬉しかった。
「海人は……その…後ろ、駄目だろ。だから……手で……してくれるだけでいい……」
 その優しさに涙が出そうになるのを何とかして堪えた。
「アキヤ……頼む…キスしてくれ……」
 売りの時は自分からすることはないキス。
 それを強請る。
 欲しいのだと懇願する。
 忘れられないように。
 この街で生きていくために、たった一つの想い出にしよう。
 少なくともこの時はお互いに本当に心から欲していた相手がいたのだということを。
 

 ぱっと見た目にはほっそりとして見えたが、露わになったアキヤの皮膚の下には十分な筋肉が窺える。
「?」
 白い肌を持つ背から腰にかけて微かにピンクの線が見えた。
 服を脱ぐために動く筋肉のせいでその線が誘うようにひどくいやらしく蠢く。
 海人はすうっと背に走る色の変わった部分を指でなぞった。
 とたんにアキヤの体がびくりと動きを止めた。
 戸惑いの色を浮かべて、海人を振り返る。
 感じたのか?
 その顔が無表情なことの多いアキヤをひどく可愛く見せる。思わずくすりと笑みを漏らし、わざと近づけた顔でささやきかける。
「何の痕?」
 さわさわと繰り返し辿る指に、アキヤが身を捩って仰向けになった。
 その頬が少し赤い。
「昔、怪我をして……その痕。くすぐったいから触らるなって」
 ふいっと視線を逸らすさまは、自分の動向を恥じらっているようで、思わず海人の口からくすくすと笑いが零れた。
「あんた……最初の想像から全然違うよな。最初はどこかの坊ちゃんかと思ったけど……」
 ふっと笑いを飲み込む。
 本当にころころと印象が変わる。
 最初見たときはこんなにも気になる存在になるとは思わなかった。
 海人の背に手を回したアキヤの左腕に先日の傷跡を見つけ、海人は眉をひそめた。白い肌の上に黒ずんで引きつれたような火傷が痛々しい。そのもっとも酷そうな部分の色がより黒く、少しへこんでいた。
「大丈夫なのか?カバーしなくて」
「あ、うん……深度1度くらいだろ。かすり傷だし、痛みもない」
「でも……良かった、これならすぐ治る。痕もたいして残らないだろう」
 少しほっとする。
「でも、あんた無茶しすぎ。いきなり飛び出す奴があるかよ。俺止められなかった」
「でも海人の狙い、正確だったから……大丈夫かなと思った」
 海人はその傷跡にそっと口づけた。
 それはたぶん痕にはならない。
 だが、しばらくはここに残る。
 海人がつけてしまった傷。
 アキヤと海人が一緒にいたという証の一つ。

 海人の手がお互いのモノを一つに掴む。
 先端が触れあい、お互いに刺激する。
「ん……アキ…ヤ……」
「イイよっ……っ……」
 海人の手の上にアキヤの手が重なり、激しく上下に動く。
 巧みな海人の指先が、アキヤの先を的確に嬲る。
「あっ……くっ……」
 アキヤの顔からあの無表情が消え、眉根を寄せて何かの苦痛に堪えているような表情が浮かぶ。上気した頬がピンクに染まっている。
 綺麗だ……。
 空いた手でアキヤの頬に触れる。
 それに気づいたアキヤが海人を抱き寄せてそっと口づけた。
 触れるだけのキス。
 それだけで、海人の器官が明らかに反応する。
「くす……すごい……」
 笑みを含んだアキヤの言葉に、海人の全身が羞恥色に染まる。
 たったその一言で、主導権がアキヤに移ってしまったようで、海人の動きが少しぎこちなくなった。
 アキヤのどんな言葉も海人の羞恥を煽る。
 征やリョウの責め苛む言葉とは違う。
 同じ羞恥でも、心の底の平穏さが違う。
 もっと辱めて欲しい……。
 目で強請る。
「あ、アキヤ……イイんだ………アキ…ヤ……」
「海人はどこを……触れても……反応する……」
 抱きしめられることで感じる。
 温もりを感じて高ぶる。
 そして……。
「あっ」
 小さな叫びで海人が先に達ってしまう。
 思わず呆然と汚れた手を見つめる。
「す、すまない……先に……」
 こんなこと……。
 達かせる前に達ってしまうなんて……。
「いいよ……」
 狼狽える海人にアキヤがふっと微笑むと、海人の手を持ち上げた。
 指先から滴り落ちるのは海人のモノ。
 アキヤがそっとその指先に口づけた。
「え……」
 慌てて引っ込めようとするその手はアキヤにしっかりと握られていた。
 アキヤの唇にその液が移る。
 それを赤い舌がぺろりと舐め取った。
「あっ……」
 激しい羞恥心。
 今まで経験したどんな相手との行為よりも、それが海人の羞恥を煽った。
「アキヤ……汚い……」
 飲んだことはあった。何度も何度も飲まされた。
 たが、それをアキヤがしようとしている。
 ひどく申し訳ない……と同時に悦びを感じた。
 そう、恥ずかしいと思っているのに、常にその中にあるのは悦びだ。
 だから嬉しい。
「海人のモノだからね」
 にっこり笑われて、それが余計に海人を朱に染めた。
「ああ、海人って……」
 そう言いかけ、アキヤが海人の背に回した腕に力を込めた。
 きついくらいに抱きしめられ、息が苦しい。
「あ……アキヤ……苦しい……」
「ああ、ごめん。でもほんと……抱きしめたくなるほど、あんたって可愛い……」
「!」
 ぼんっと顔が火を吹いた。
 こ、こんな……。
 くらりとめまいがするほど恥ずかしいのに、嬉しい。
 可愛いなどと言われると虫酸が走っていたというのに……これも相手がアキヤだから?
「ほんとに、どう見たって格好いいってほうが合いそうなのに、こうしていると、海人は可愛い、の方が似合うよ」
「やめろって……」
 今、自分がどんな顔をしているのか。
 俯いた顔が上げられなかった。
 そんな海人をアキヤがそっと上向かせる。
 触れあうだけのキスから、忍び込んだ舌がさらに深いキスを強要する。
 それに応える。
「海人……ぼく、もう堪らない」
 アキヤの手が海人の手を導く。
 熱くて固いアキヤの雄は、もう今にも暴発しそうだった。
 それを上下に激しく扱く。
「あ……ああ……イイ…っと……」
 はあ、はあと吐息に混じって溢れる声に合わせて、海人は一気に手を動かした。
「あ、ああっ!」
 短い叫びとともに、アキヤの全身が震えると、どくどくと溢れ出す。
 海人のモノよりはるかに濃く、量も多いそれを手に受け止めた海人はそれにそっと舌を這わした。
 ぺろりと白い液を舐め取る。
 これがアキヤのモノだと思うから、強要されなくてもしたいと思った。
「すっげー……色っぽい……」
 アキヤが解放後の虚ろな視線を海人に送っていた。
「何度でもしたくなる……」
「……俺もだ……」
 時間が許されれば、ずっとこうしていたい。
 どちらから手を伸ばしたのか。
 解放された体を投げ出していた二人は、お互いをきつく抱きしめ合う。
 途端に海人の胸中に、激しい悲しみが襲ってきた。
 もう、お別れだ……。
 アキヤは帰る。
 そして海人も、いつもの日常に帰る。
 征と署長と……そしてリョウに飼われる生活。
 その狭間にある警官としての仕事が唯一の息抜きの……そんな生活に。
「ア…キヤ……アキヤ……アキヤ……」
 ぽろぽろと流れる涙をアキヤの胸に擦りつけた。

 

「もう行くから……」
 数分後、海人は何事もなかったかのようにアキヤの体を押しのけた。
 もう行かなければ。
 さっさと用事をすませてしまおう。
 そして、リョウの元に行かなければならない。
 何かもが嫌なことばかり。
 だったら、嫌なことは早く終わらせたい。
「そうか……ああ、ちょっと待って」
 海人の決意を感じたのか、今度はアキヤは何も言わなかった。
 その代わりのように大きなため息をついた後、ふと何かを思いついたように、自分の左耳のピアスに手をかけた。
 それを外す。
「……一つだけなら大丈夫だし……」
 何かぼそぼそと呟いているのを聞きながら、海人はじっとアキヤの様子を見ていた。
「ほら、ちょっと耳貸して」
「え?」
 疑問に思うまもなく引っ張られて、その体に抱き留められる。
「プレゼント」
 照れたように口元を歪めて、アキヤの手が海人の耳を捕らえた。
 ちくりとする感触がする。
「よかった。ピアスの穴開いてて」
「アキヤ?」
 アキヤの手が海人の体を支えて、洗面所へと連れて行った。
 そこの鏡に二人が写る。
「ほら」
 アキヤの右耳と同じピアスが海人の左耳につけられていた。
「これ……」
 同じはずだ。それはさっきまでアキヤの左耳についていたのだ。
 翡翠色の涙型のピアス。
「それがぼくを証明する。ぼく自身なんだよ。本当だったら誰にもあげない大切なピアス。だけど……海人には持っていて貰いたい。それがぼくの身分証だから」
 身分証?
 言われた意味の半分も判らない。
 だが、これがアキヤ自身だと言われれば、それをなくしたくないと思う。
「アキヤがここにいる」
 そっとピアスに触れる。
 硬質なそれがきらりと光ったような気がした。
「忘れないで、どこにいてもそれがぼく、なんだから」
 そして、キスをする。
 触れあった唇と舌が、お互いの官能を高め合う。
 だが、それは終わりの印でもあった。

「それじゃ」
「ああ」
 簡単な言葉に全てを込めて二人は別れた。

 
 金を征の部屋の机に叩きつけた。
「ほお、もう揃ったのか?」
 それに無言で頷く。
 アキヤのお陰だ。
 彼には酷いことをした。
 だけど、その想い出は忘れない。
 あんたに親切にしてもらった想い出は忘れない。
「ふむ、まあいいか……」
「失礼します」
 まだ用事がある海人は、それだけ言い残すとそそくさと警察署を後にした。
 次はリョウの所だ。
 金を払ったら来いと言っていた。
 何を強要されるのか?
 家によったときに入れた薬で、後孔の痛みはかなり和らいだ。
 腫れも引いてきたのだろう。
 だが、それでもどことなく疼いた感じはなくならない。
「なんだもう来たのか?」
 リョウは昨日と同じ部屋で海人を迎えた。
「見返りを聞きに来ました」
 さっさと終わらせたいから、手短に問いかける。
「その前に服を脱ぐんだ」
「え?」
 いきなりの言葉に目を見開くが、リョウの眉間にシワが刻まれたのに気づいて慌てて服を取り去った。
「四つんばいになって尻を見せろ」
 その言葉に言われた通りにする。
 リョウはその足の間にしゃがみこみ、ぐいっと双丘を割り開いた。
 途端にわき起こる痛みに歯を食いしばった堪えた。
「ああ、腫れているね。この薬を入れておけば夜までには腫れも痛みも消える」
 するりと入れられたのは座薬なのか。
 それを押し込むとリョウは海人に立つように促した。
「で見返りというのは、今晩のパーティに出て貰いたい」
 その口に浮かぶ薄ら笑いが海人の背筋に寒気を走らせる。
「え?」
「実はお姫様の相手をしてもらいたい」
 パーティ?
 お姫様……?
 それのどこが見返りなのか?
 だが売春組織が行うパーティだ、まともなものであるはずがない。
 海人は気を引き締めると、リョウに問いかけた。
「どんな……ことをするんですか?」
「ふむ……日頃世話になっている役人達を楽しませるパーティだ」
 それだけでろくでもないパーティだと判る。
「ちょっとしたショーを行う。その主役の一人が君だ」
「ショー?」
 ますます嫌な気分になってくる。
「そうだ、囚われのお姫様を助けにきた王子様は、悪い奴らに操られて言われるがままにお姫様を犯す……というシナリオだ。この場合、悪い奴らというのは役人どもだ。つまり役人のリクエストに沿ってお姫様を犯すのが君の役目だ。今回の君はタチだから、特に問題なかろう?」
「そのお姫様はもしかして……」
「そう素人だよ。しかも男。なかなか可愛い子を用意できそうなんだ」
 前に聞いたことがあった。
 性行為の経験がまったくない素人を拉致して、そのショーに出させ、処女を人前で散らせ、リクエストのまま犯す。
 そのお姫様が女の時あれば男の時もある……。
 嫌だ……。
 そう言いたかった。
 強姦なのだ、これは……。
 それだけはしたことがなかった。
 そんなこと……犯罪なのに……。
 それが相手にとってどんなに悲惨なことか……警官としての教育を受ける際、教えられていた。
 なのに……もうずっと麻痺していた感情。
 それがわき起こってくる。
 犯罪……なんだ。
 だが、これはすでに済んでしまったことの見返りなのだ。
 嫌だとはとても言える状態ではなかった。
「まだ時間は早いが、準備もある。海人はこのままここにいなさい」
 硬直している海人にリョウは顔を近づけ、嘲笑を浮かべながら囁いた。
「帰ってくると言うのなら、免除してやるよ。あんなところで晒し者にするには惜しいからね……」
「帰ってきて……体を売れと?……そんなこと……」
 嫌だ。
 昨日幾人か相手にして思った。
 もう嫌だ。
 もう……したくない……。
 ふっとアキヤの顔が思い浮かぶ。
 抱き合って嬉しいと思えたのは初めて。
 触れあうことが心を平穏にしてくれるという経験は初めてだった。
 何もかが初めて。
 あれを知ってしまったら……他の人間に抱かれたいと、抱きたいとも思わない。
 だから、せめて……。
 海人は首を振った。
 何度も。
「仕方がない」
 リョウがすっと体を離した。
 それが合図かのようにドアが開き、男が二人入ってくる。
「連れて行って準備させろ」
「はい」
 海人の腕を掴み、室外に押し出す。
 僅かな抵抗は、強い力に無意味だった。
「楽しいショーになりそうだよ」
 リョウの声がドアが閉まる寸前に海人に届けられた。

 

 男の手が海人を頭の先から足の爪の先まで薬湯で洗い続ける。
 決して乱暴ではないが、体の中までその湯で洗われたときには抵抗しようとした。
「離せ、自分でやるっ!」
 だが、そんな抵抗には慣れているのか、海人自身の体力の低下もあって、結局なすがままになっていた。
 独特の芳香のそれが体に染みつく。
 海人は自分の体が熱くなるのを感じた。
 それに催淫効果があるのだろう。
 まして男の手が体をまさぐり、巧みに海人の体を高めていく。
「くっ……」
 ここにくる前までアキヤとの行為で高まっていた体だ。
 それは本人の意志とは裏腹に、あっというまに高ぶっていく。
 わずかに立ち上がったところで、リングを根元につけられた。
 かちりとロックされる小さな音がひどく恐ろしげに感じる。
 そして仕上げだとばかりに後孔に2cmほどのボールを入れられた。
 それがただのボールではないことは知っている。
 表面に触手をはやしたワームバイブ。
「これは高性能品だから、楽しめるよ」
 さらにそれが抜け落ちないように、極太のバイブレーターを差し込み、抜け落ちないように細ひもで腰に結わえ付けた。
 まだ完全に腫れがひいていないそこが鈍痛を訴える。
 最後に野卑た嗤いをぶつけて、男達は去っていった。
 胎内のモノは動かない。
 だが、このコントローラーはきっとリョウの手の中にある。
 ステージ状でこれを動かされたら……。
 ぞくりとする悪寒が全身を襲った。
 征の元にいけば、こんな生活からは離れられると、思った。
 なのに、結局気が付けば、同じ事をしている自分がいる。
 そして、そう遠くない未来に、自分はリョウの元に返される。
 だから、こんなふうに昔と同じ状況が始まってきているのだ。
 息抜きも何もない。
 犯るだけの世界に……。
 割り切ってしまえばいいと……いつも思っていた。
 なのにできないのだ。
 自分がどんなに不器用な選択をし続けているのか判っている。
 それでも……こういう生き方しかできないのだ。
8
「来い」
 迎えに来たのはリョウだった。
 全裸のまま放置されていた海人はのろのろとリョウの後に続く。
 初めての男を犯さなければならない。
 強姦という犯罪を警官である自分がする。
 改めてそれを意識し、足が止まる。
「嫌なのか?なら、他の者に相手をさせようか?」
 リョウの口から信じられない言葉を聞いて、海人は目を見開いた。
「しなくていい、というんですか?」
「まあね。乗り気でない君を働かせるのもね」
 くつくつと嗤っているリョウの言葉を信じたい。
 だが、それには裏がありそうで、海人は警戒を崩さない。
「まあ、君がしないなら、ジュラ辺りがその辺にいるはずだし」
 ジュラ……その名を知っていた。
 大きな体をしている男で、その雄も体に見合った大きさを持っている。
 もっぱらショーで活躍する組織の一員だ。
「まあ、あんなモノで突かれたら、あの子の尻は裂けてしまって、もう帰れなくなるだろうね」
 脅している……。
 海人がしなければ、その相手の子はもっと酷い目にあう。
「それにほんと可愛い子だから、顔くらい見てあげるといい」
 会場のざわめきが聞こえる一室。
 そこに入れられた海人は、壁一面に取り付けられたモニターの一つに釘付けになった。
「ほら、彼がそうだ」
 全裸にされ、両手首、足首には鎖付きのリングがついている。
 それとは別の鎖が彼の体を縛っていた。
 怒りを露わにしているその目は……さっきまで優しく海人を見つめていた翡翠色の瞳。
 な……んで……。
 そこにいたのはアキヤだった。
「可愛いだろう?どうする?するかしないか?」
 知っている……。
 リョウは、海人とアキヤが知り合いと知って……それでわざとアキヤをここに連れてきたのだ。
 アキヤを……犯す?
 俺が?
「海人、答えなさい。するかしないか……もし君がしないとしたら、ジュラにやらせるが」
 一瞬ジュラの巨体が脳裏に浮かんだ。
 駄目だ……ジュラにされたらアキヤが壊れる。
「や、ります……やりますから……これが終わったら、彼は帰してあげるんでしょう?」
 声が震えていた。
「もちろんだ。ここの組織は基本的には買った人間か、したいという人間しか扱っていないからね。ショーが終わったら彼は用済みだ。引き取ってもらうよ」
 それを聞きながら、海人は自分がどこまでも堕ちていくのを感じていた。

 

 ホテルから出た途端に、数人の男に襲われた。
 なんて事はない相手。
 あっという間に地に組み伏せた彼らを、たまたま通りかけた警官に渡そうとした途端、何かを首筋に押しつけられ、気を失った。
「警官もぐるか……」
 ほどなく覚醒した頭が、自分の身に起こったことを整理する。
 しかし……。
 素っ裸か……。
 唸るアキヤが手足を動かせば、じゃらりとした音が響く。
 拘束された上半身はそれ以上の動きはできない。
 何がどうなるのか……。

 ほどなくして、男が二人アキヤを連れに来た。
 鎖を引っ張り、アキヤを歩かせる。
 暗い廊下をさほど行かない内に、ずいぶんとにぎやかな所についた。
 と言ってこの部屋がにぎやかな訳ではない。
 にぎやかな声は上からしている。
「乗れ」
 男がぐいっと鎖を引っ張った。
 径が5m位の台。
 その四隅に手足の鎖を取り付けられた。
 同時に上半身を拘束していた鎖が取り払われる。
 騒いでも今は仕方がない。
 何をされるか判らないが、とにかく様子を窺うことが先決だった。
 鎖の長さはそれぞれが動くには不自由のないくらいにはなっている。
 と、いきなり台が動いた。
 周りを見渡すと、どんどんと床が遠くなる。
 同時に開かれる天井からまばゆいばかりの明かりが差し込んできた。
 まぶしさに目を細めるアキヤの目にたくさんの人が飛び込む。
 慌てて周りを見渡すと、アキヤのいる台がステージとしてその周りにテーブルとイスが並んでいて──どうみてもそれは観客席としか見えない。
……これって晒し者?
 自分が全裸であると思い出して、かあっと羞恥がわき起こり、慌てて手で下肢の付け根を隠した。
 人の気配はするのに、巧みな照明ではっきりと窺えない。
 不躾なしせんのだけを感じてアキヤは、ただ俯き羞恥に堪えるしかなかった。

 1分。
 たぶんその位経った頃だろう。長くはなかった。
 いきなりアナウンスが鳴った。
『囚われのお姫様の登場ですっ!』
 鳴り響く声に、観客席が一斉にどよめく。
 皆の視線が自分に集中しているのを痛いくらいに感じていた。
 何なんだよ、これっ!
 誰がお姫様だって!
『お姫様とくれば、王子様。しかし、王子様は呪いをかけられ、周りの人々の言うことを忠実に従うことしかできません。さあ、その王子様ですっ!』
 割れんばかりの拍手が響いた。
 王子様?
 思わず観客席の視線が向かった方を見遣ったアキヤは、呆然と目を見開いた。
 か、海人?
 ひどく歩きにくそうな全裸の海人がステージ際にゆっくりと歩いてきていた。
 アキヤと目が合った瞬間、蒼白な顔がさらに血の気を失ったように見える。
「海人……どういうことなんだ、これは……」
 そこに立ちすくんでしまった海人に近づこうとするが、鎖がじゃらりと音を立てるだけだった。
「海人……」
 何も言わない海人。
 だが、その苦しげな表情を見る限り、操られているという感じではない。
 だとすると、海人は自分の意志でここにいる。
 自分の意志でここまで歩いてきたのだ。
 ということは、海人はこれから何が起こるか知っている。
 アキヤは呆然と海人を見つめていた。
『お姫様が王子様の存在に気づいて、助けを求めています。しかし、王子様は命令がないと何もできません。さあ皆様、王子様に命令をっ!!』
 途端に一斉に観客席が一つの言葉をコールした。
「犯せっ!」
「犯せっ!!」
 渦のようにわき起こった言葉が室内に響く。
「犯せっ!」
『おお、命令は「犯せ」です。さあ、王子様、命令です。犯しなさいっ!15分以内にっ!』
 途端に海人がくしゃりと顔を歪めた。
 だが、それでも足を動かしてアキヤの元に近づく。
「か、いと……まさか……」
 あの命令に従おうというのか。
 ぼくを犯そうというのか……。
「ごめん……アキヤ……」
 囁く声が耳元でした。
 優しい、あの海人の声が聞こえた。
 ああ……海人。
 あんたって……そこまで雁字搦めにされていたのか……。
 涙が溢れそうな顔が目の前にあった。
 海人の手が性急にアキヤの双丘を割ってくる。
「優しくしたいけど……時間がないんだ……」
 初めての場所に入ってくる指。その異物感に必死で堪える。
 性急な手の動きは、それでもアキヤを痛めないように無理強いはしなかった。
「か、かいと……」
 初めて異物を受け入れたそこはひどく固い。
 それでもあらかじめ海人が手にしていたゼリーと巧みな手の動きがゆっくりと開いていく。
 海人にのしかかられることで朝の余韻が体を熱しようとする。
 だが、それでも見られている羞恥が、それを冷めさせてしまう。
「かいと……っ!」
 増やされた手が、胎内で自在に蠢く。
「んっ……くっ……」
 逃げることも考えていた。
 だが、今は逃げられない。
 海人をおいては……逃げられない……。
「あ、……うっ……」
 必死で異物感に堪えていた。
 が。
『王子様、時間です。挿入しなさい』
 なかなか先に進まないのに焦れたのか、そんな声が響いた。
 さっと海人が青ざめる。
 きゅっと眉根がきつく寄せられて、硬直していた。
 その背に手を這わす。
 逆らっては駄目なのだろう。
 だが、海人はアキヤを心配しているのだ。初めて受け入れるアキヤを。
 だが、ここで海人は逆らえない。
 それが判るから、アキヤは海人に話しかけた。
「いいから……」
 唇をほとんど動かさず、決意を込めて話しかける。
「しょうがないんだろ……いいよ」
 その言葉に、海人の苦渋に満ちた顔がさらに歪められ、唇が色を失うほどに噛みしめられた。
「アキヤ……ごめんっ!」
 ぐいっと下肢を抱え上げられた。
 明かりの下に露わになる股間が恥ずかしくて、固く目を瞑る。
 指が抜かれ、替わりに熱い海人の雄が触れる。
「ごめん……力を抜いて……」
 アキヤが息を吐くタイミングを計ったように、海人が体を進めた。
「ひっ……くっ……うぅぅぅ」
 広げられる痛みが全身を襲う。 
 みしみしと音がし、骨盤と筋肉が妙なきしみを立てて悲鳴を上げる。
「アキヤ……息を吐いて……力を抜いてくれ……」
「あ、ああ……」
 言われるがままに息を吐く。 
 途端にずりっと入ってくる。
 繰り返し、繰り返し、息を吐くごとに入っていく。
 最後まで入ったときには、アキヤも海人もぐったりとしていた。
 ぎちぎちに押し込まれたせいで、ひどくそこが重い。
『おやおや、どうやらやっと挿入が終わったようですね。これでは時間オーバーです』
 その言葉に、アキヤの上の海人がびくりと怯えたように震えたのが判った。
 ?
 訝しげに見上げた先に、微かに震えている海人がいる。
『罰が必要ですね。みなさま何をしましょうか?』
 ざわっと観客席がどよめいた。
 あちらこちらで相談している姿が見える。
 胸くそ悪いっ!
 口の中で毒づく。
 きつい視線で見えにくい周りを睨み付ける。
 奴らは強要することで、海人をぼろぼろにしている。
 これはアキヤを責めるショーではなく、海人を責めるショーなのだ。
『おやおや、この王子様を紹介して欲しいという命令が下りました。ということでこちらから、紹介いたしましょう』
 それに海人が息を飲んだ。
 何だって?
『彼の名は高際海人。警察署の現役警官で、元わが組織の売れっ子、男娼でした。年は22歳。現在、養父である高際征氏に飼われている性奴隷ですぅ!』
 な、何をっ!
 アキヤは、唖然とその声がする方を見遣った。
 だが、どこにそれを喋っている男がいるのか見えない。
 プライベートも何もあったものじゃなかった。
 何もかもが露わにされている。
 しかも……昔売りをしていた?
 そして、今も……性奴隷って……。
『忠実な性奴隷の彼は、命令のままに昨日実に20万もの金を稼ぐべく、何人もの客を取り、それを全て自らの胎内に銜え込んで喘いだというたいへん淫乱な体をしております』
 海人の目からぽろぽろと涙が流れ落ちていた。
 喉がひくりと震えている。
 海人……。
 売りをしていた。
 性奴隷だった。
 その単語には敏感に反応してしまったけれど、だからと言って海人は海人だ。
 一瞬の動揺を胸の奥深くに押し込める。
 震えて泣いている海人。苦しんで、ずっと苦しんでいたに違いない海人。
 こんな……愛おしい存在はいない。
 心の底から護りたいと願う存在はいない。
 ここまでプライベートを暴かれて……こいつはどうなるんだろう……。
『さあ、その証拠をごらんいただきましょう。海人、股を大きく広げなさい』
 アキヤの上で海人がのろのろと動いていた。
 たとえ、どんなに苦しめられていても命令に従ってしまう海人がそこにいた。
 その姿がアキヤの胸を打つ。
 アキヤの知っている海人は少なくとも意志を持っていた。強い、意志。
 なのに……。
『さあ、モニターをご覧ください。未だ腫れているそこの様子がよくごらんになれると思います』
 そのモニターはアキヤの視界の中にもあった。
 まだ赤く腫れ上がっているそこに、突き刺されて固定されている異物が目に入った途端激しい怒りがこみ上げる。
「海人」
 思わず抱きしめていた。
 震える体が愛おしくて愛おしくて堪らなく、その彼をこんな目に遭わせる奴らが心底憎い。
 護りたい相手をこんなにも苦しめる奴らが──憎いっ!

 

 そのアナウンスを聞いた途端、頭が真っ白になった。
 何もかも……何もかもがばれた?
 ここに集まっているのは、役人達だ。
 この街を統べる者達。
 そんな連中に素性を知られた……。
 しかも性奴隷として……。
『このように淫乱な性奴隷の彼は、今後我が組織のメンバーとして皆様のお相手をすることでしょうっ!』
 な、何だってっ!
 征は?
 いるはずの養父を捜そうと顔を上げれば、真正面にいた。
 にやにやと嗤っている様子から、全てが承知の事実とわかる。
 なら……自分は売られたのだ。
 いきなり体を売れと言われたのも、全てがここに繋がるように、敷かれたレールの始まりだったりのだ。
 何もかも……何もかもが元の黙阿弥になってしまった。
 残ったのは、楽しかった警官として仕事をしていたときの想い出。
 だが、今となってはそれが余計に海人を苦しめた。
 警官としての教育はきちんと受けている。
 何が正しくて何が悪いことなのかを知っている。
 それなのに……。
「もう……終わりだ……」
 苦しくて吐き出した言葉に、アキヤが抱きしめてくれる。
 その温もりに体を預けて嗚咽を漏らす。
 完全に体から熱は去っていた。
 萎えきった海人の雄がアキヤの体の中にある。
『海人、動きなさい。お姫様を犯すのですっ!』
 だが、体が動かない。
 犯そうにも勃たない。
 何で……こんなことを……。
 戻りたくないから、命令に従ってきた。
 なのに……。
『おやおや、それでは仕方がありませんね』
 嘲笑を含んだアナウンス。
 途端に体の中のワームバイブが激しく振動を始めた。
「ひっ、あっ……」
「海人っ!」
 仰け反り、開いた口から嬌声を漏らす。
 激しい刺激が確実に前立腺を叩いていた。
 あっという間に萎えていた雄が固さを取り戻す。
 それがアキヤの中を押し広げた。
「んっく……」
 海人を掴んでいたアキヤの手に力が入り、爪が立つ。
「あっ……ア、キヤ……あぁぁぁっ!」
 激しい快感に、海人は動かすことなく達ってしまう。
「ああ……ぁぁぁっ」
 だが、それで終わったわけではなかった。
 ワームバイブはまだ動いている。
 それにショーは終わっていない。

『次の命令をっ!』
「リングを締めて犯らせろっ」
 その言葉に、海人の根元にはめられていたリングが締まる。
 すると達きたくても達けない状態。
 その状態でワームバイブに責め苛まれながら、アキヤを穿つ。
 狭いアキヤの中は、その抽挿だけで達ってしまいそうだというのに、達くことはできない。
 それが延々30分、アキヤが二度達くまで続いた。

『ご命令をっ!』
「オナニー三連発っ!」
 野卑た嗤いが載った命令が発せられたの時には海人はもう何回も達かされて、息もたえだえの状態だった。
 アキヤも下肢のみならずその顔から胸に至るまで、二人が吐き出した精で汚れて、四肢を投げ出している。
 思わずふるふると首を降る海人に、冷たくアナウンスが響く。
『できないと言うことですが、いかがいたしましょうか?』
「薬をいれればいい」
『それもそうですね』
 途端に海人が跳ね起きた。
 だが、いつのまにか近づいてきていた男達に組み伏せられる。
 ぎちぎちにはめられていたバイブの横をこじ開けられ、薬を差し込まれる。
 同時に、そのバイブを抽挿して薬を奥に押し込んだ。
「ひっ……ああ……あっ!」
 バイブがダイレクトに奥を突き上げる。
『即効性の薬ですので、すぐに効いてまいります』
 アナウンスがおわるか終わらないかの内だった。
 どくんと激しく心臓が高鳴る。
 かあっと全身が熱くなって、肌が敏感になった。
「あ、ああああっ」
「海人っ!」
 海人の異変に気が付いたのか、アキヤが慌てて海人を抱き締める。
 途端に海人があっという間に吐き出した。
 薄い、僅かな量。
 それでも達ったのだ。
『1回目』
 アナウンスが冷たく響く。

 海人は3回どころか何度も達った。
 それでも海人の薬は抜けないようで、途中からアキヤに「入れてくれ」とねだるようになっていた。
 だが、すでに極太のバイブに犯されたそこにアキヤはとても入れることができない。
 代わりに口で達かせ、体の中で達かせた。
 海人の欲しがるように……。
 全身に汗を噴き出させ、激しい運動に筋肉が細かく痙攣する。
 ざわめく肌がライトに照らされて、艶めかしく蠢く。
 観客達は、海人の痴態に完全に魅入っていた。
 海人の仕草が、男達を誘う。
 アキヤですら、それに魅入られた。
 だからこそ、この組織が海人を離さない理由が判るような気がした。
 海人は、そういう存在なのだ。
 男を虜にする。
 鳴かせたい。端正な顔を歪ませ、涙を流させ、掠れるまで嬌声を上げさせたい。
 海人を見ていると、そんな気になるのだ。
 何より、警官として……敵と対峙している海人を見ているアキヤには、余計にそう思わせた。
 だが。
 ちくしょおっ!
 自分がそんな感情を抱いたことが許せない。
 海人、あんたを助けたいと思いながら、あんたを責めて責め苛みたいと思うぼくは……。
「海人……ごめん」
 ぎゅっと抱き締めた腕の中で海人が小さく呻いた。
 全身を激しく震わせて達った海人からは、もう何も吐き出すことはなかった。射精のない絶頂。それが海人の限界だった。
 痙攣する体がアキヤの腕の中にあった。
 そこにあの最初に見た強い視線を持つ海人はいない。
 恍惚の表情を浮かべて震えている海人を抱きしめる。
 自分の痛みも屈辱も、海人に比べれば取るに足らない。
 もともと図太い性格も、そう思うことに役に立っていた。
 それに比べて、海人はこんな生活をし続けてきたのに、ひどく繊細でもろい。
 ずっとずっと抜け出したくて喘いでいるのだ。
 だから、堪えられないのだ。
 海人は、今を乗り越えることができないほど不器用だ。
「ずっとずっと……こんなことをしてきたんだ。あんたにとってこの街は……地獄だったんだね……海人……」
 
 客が一人残らず帰った後、アキヤはリョウの前に連れてこられた。
 その場で、何かを飲まされる。
「痛み止めだよ」
 そんなものっ!
 だが、暴れる体力もないアキヤの口に入れられたそれは、抗う術もなく喉の奥へと入っていった。
「君は解放してあげよう。もっともセックスに目覚めてここで働きたいというのなら幾らでも使ってあげるがね。だが、ここであったことを外部に一言でも漏らせば、君の痴態をおさめた映像を、全メディアを使って宇宙中に放映するよ。どんな場所にも組織の力は伸びている。もちろん君の所属する大学とて手例外ではないよ。あそこの幾人かの教授はうちのいいお得意さんだしね。君と同じ大学院生にも組織の一員として働いている子達がいるよ。まあ、こういうショーにはそういう所にいる相手を利用させて貰うからね、その辺りはぬかりない。そして、それができるだけの力がこの組織にはあるんでね。それに……君は海人がお気に入りのようだが、そんなことになったら当然海人も一蓮托生だ。全世界に顔の知れた彼は、一生ここから解放されることはなくなるよ」
 激しい疲労とじくじくとした痛みに苛まれていたアキヤは黙ってそれに了承する。
 何より、今は動くな。
 そう頭が体に命令している。
 ならばそれに従うしかなかった。
 何よりもアキヤが逆らえば海人が犠牲になる。
 今の言葉がそれをはっきりと裏付けていた。
 最後に見た海人は、正気を失っていた。
 幾ら呼びかけても返事はない。
 助けないと……。
 激しい怒りも屈辱も、海人を助けるためには今は押さえ込むことができる。
 リョウの言い分に恐怖を抱いている表情をする事くらいなんでもない。痛みと疲れのせいで蒼白な顔色が、今は役に立った。
 何よりも、今は海人を助けることが優先される。

 ホテルの近くで車から放り出されるように解放された。
 足腰に力が入らない。
 先ほどまでアキヤを責め苛んでいた後孔の痛みは痛み止めが効いてきたのか少しおさまっていた。だから、なんとか壁伝いに体を預けながらでも部屋に戻れた。
 ベッドに倒れ伏すまでに、何度も蹲る。
 それでもようやく辿り着いて四肢を投げ出した途端、我慢していたものが一気に込みあげてきた。
「海人っ!」
 ベッドに突っ伏して嗚咽を漏らす。
 行きずりにあった海人が、失うことに堪えられないほど自分の中で大きくなっている。
 単に、同情心だけではなかった。
 一目惚れだったのだと、今なら思える。
 どんなに今の状況が最悪でも、絶対に助けたいと思うほど……。
 そうだ……。
 朝の時点で金なんか払うんじゃなくて、連れ出さなければならなかったのだ。
 海人があの時欲していたのは、金ではなく、自分を助け出してくれる人だったはずだ。
 その信号に気づかなかった。
 助けられなかった海人。
 助けることのできなかった自分。
 悔しい。
 堪らなく悔しい。
 「守る」
 「誰かを守る」
 「弱いモノを守る」
 それは……アキヤの星の国民性ともとれる信念だった。
 それが覆された。
 守れなかった。
 守り損ねた。
 それが自尊心を傷つける。
 少なくともアキヤは、その信念が間違っていないと信じている。
 あの星が好きな理由も、自分を傷つけることを厭わないのも、それがあるからだ。
 なのに……できたことと言えば、海人を抱きしめることだけだった。
 ちらりと時計を見る。
 今日の夜の便でここを立つ予定だった。
 だが。
 自分はここにいる。
 アキヤはぐっと拳を握りしめ、それを目の前につきだした。
 まだ手はある。
 ぼくは誰だ?
 ぼくは……。
 助ける。
 海人を助ける。
 まだ手はある。
 自分と一緒に連れて出る。
 この地獄の街から海人を連れて出る。
 あの男の脅しは、アキヤには役に立たない。そして、組織はそれを知らない。
 

 数時間の眠り。
 とりあえずの疲労感から回復したアキヤは起きあがった途端に襲ってきた腰と尻の痛みに顔をしかめた。
 それでも起きて、荷物をあさっている最中、胸ポケットから白い錠剤が入った小瓶が音を立てて転がっていった。
 ちゃらちゃら、と音を立てるそれ。
「痛み止め……」
 あの男がそう言っていた。
 だが、なぜそれがここに?
 アキヤの目がそれに吸い寄せられる。
 白い錠剤……。
 ごくりと無意識のうちに唾を飲んでいた。
 飲みたい。
 何故か心がそう叫ぶ。
 激しい飢餓にも似た欲求がアキヤを襲う。
 飲めば痛みが取れる。
 体を動かすのにも億劫なこの痛みが。
 そろそろと手を伸ばす。指先が小瓶に触れた。
 シャリ……
 中で錠剤が擦れ合う音がする。
 それが、アキヤの記憶を呼び覚ました。
「あ……」
 それは、アキヤの初めての仕事の時。
 転がる小瓶。
 あれも同じくらいの大きさだった。
 そして入っているのは同じような錠剤。
『麻薬だ』
 誰かが言った。
 ──麻薬……。
 あの時の情景と今の情景がぴたりと重なる。
 オリンポスに着いた客船で死んでいた乗客。
 麻薬による中毒死だと、船医が言っていた。
 その体から落ちたのがその小瓶。
『麻薬──ブーメラン』
『ブーメラン?』
『与えられる快感はそれほどきつくない。ちょっとした酩酊状態に近い。痛み止めの効果もあるから、つい飲んでしまう。だが、気がついたらその薬が欲しくて欲しくて堪らなくなって、結局その薬欲しさに、逃げたはずの場所に自分から戻ってくる。だから、ブーメラン……』

「あっ……」
 ぎくりとアキヤはそれから手を離した。
 ひくりと全身が強ばる。
 飲まされた……あの時。あれが……ブーメラン……。
 たらりと背筋に冷や汗が流れる。
 欲する状態は変わらない。
 餓鬼のように、目の前の錠剤を貪りたい。
 だけど……。
 必死で、理性を保つ。
 固く目を瞑り、アキヤは唱える。
「こんなものいらない。欲しくない。ぼくはアキヤ。オリンポスのアキヤ・カーサス……」
 そして、かっと見開いた目が強い光を放つ。
 欲する心は止まらない。
 だけど……。
 アキヤはそれを掴むと、トイレに向かった。
 開けて中の錠剤を飲みたい、という欲求は相当なものだ。
 だが。
 アキヤは開けるとともにトイレに向かって小瓶を逆さにした。
 ジャラジャラと音を立ててトイレの中に落ちる錠剤。
 最後の気力を振り絞って水を流す。
 流れていく白い薬。
 悪魔の……ブーメラン。
 もう戻ってこない。

 あの時飲まされただけだ。
 まだ一錠しか飲んでいない。
 我慢できる。
 アキヤの強い気力が薬への欲求を凌駕する。
 そして、その苦しみはさらなる決意をアキヤに引き起こさせた。
 先ほどあさっていた荷物から電話を取り出す。
 この星にある唯一の出先機関を経由して本星に繋ぐことのできる携帯電話。
 それで連絡を取れば、盗聴されることはない。
 目的地はオリンポス。アキヤの故郷だ。
 軍事国家であるオリンポスにたった一つのモノを作ってもらうだけでいい。
 それも明日の朝までに……。
 それが得意な国だ。
 なんとしてでも……作ってもらう。
 それで自分が罰せられても。
9
 激しい疲労は、海人の回復を遅らせていた。
 あれから一昼夜経つというのに、まだベッドから立ち上がることができない。
 ましてや体以上に心が傷ついていた。
 天井をじっと見つめる海人の目は虚ろで何も捕らえていない。
「海人……ずいぶんと軟弱になったものだな」
 リョウの声が部屋の中に漂っているのにようやく気づいた。
 海人の瞳が焦点を結び、ぼんやりとした映像が色を持つ。
「まあ、あの下種に嬲られたまま、いろいろとした直後だしな。それにしても、その下種な。お前を帰せと言いやがった。この前のショーを見てお前を手放すのが惜しくなったらしい。どうする、また行くか?」
 また……。
 あそこに戻ってどうする?
 行ってもまた飽きたら戻される。
 こんな目に遭うのはもうたくさんだ。
 もう……ここでいい……。
「もど…らな…い……」
「そうか。俺としてもお前が気に入っているからな。今度から、お前は昨日ショーに来ていた連中専門に相手をしてもらおう。その辺の奴らに抱かせるのはもったいないからな」
 ああ……そうか……。
 結局リョウはそのつもりだったのだ。
 昨夜のショーは、お披露目なのだ。
 海人という性奴隷の紹介……。
「まあ、もう少し回復しないと、相手もできないね。まあ、役人どもに愛想を尽かされないように、きちんとした衣食住は整えてやる。何せ相手は高級志向だ。君もその点は気をつけなさい」
 ということは、そこそこの暮らしはできると言うことだ。
 海人はこくりと頷いた。
 ああ、もうどうでもいい……。
 目を瞑る。
 眠りたい……眠っていれば何もかもが忘れられる。

 眠ってしまった海人の顔を、リョウはじっと見つめていた。
 リョウの口元に笑みが浮かぶ。
 嬉しいのだ。
 リョウにしてみれば、海人はお気に入り。前回の時も手放したくはなかった。
 それがようやく手元に戻ってきた。
 海人を高級娼夫に仕上げ、役人専用にするのも、海人を大事にしたいからだ。
 値を上げ、売るにしても条件をつける。
 体を傷つけさせない。
 それができる相手のみ、海人を売る。
「海人……綺麗にしてやるよ。みんなが君の足下にひれ伏すくらいにね。君の色香に惑わされ、君に貢ぐようになる。そうして俺のために稼いでおくれ」
 リョウはその途端背筋からわき起こる快感に身をゆだねた。
 海人のその姿を想像したのだ。
「愛しているよ、海人……だから、俺のために稼いでおくれ」
 呟きが室内に響いていた。
 3日待った。
 ホテルを変えて、最初のチケットはキャンセルした。
 全てを手配するのと、海人が動けるようになるのに、それだけかかるのを見越していた。
 それに、客船がその日でないと宙港に入らなかったのだ。
 出発日でなくても乗り込むことは可能だし、乗り込んでしまえば、チケットを持っている者以外は乗り込むことはできない。
 前に予約していた乗り換えが必要なタイプとは違う。
 その船の最終駅はオリンポスだ。
 オリンポス国籍を持つその船。
 はっきりいって高い。人気も高い。
 とてもじゃないが最初の予算では乗る気になれない船だった。
 だが、そうも言っていられない。
 滅多に出ないその船のチケットを、アキヤはコネで手に入れた。
 自分のと海人の物。
 オリンポスの友人に頼み込んで用意して貰った物は、宙港のカウンターで受け取れることになっている。
 アキヤは最小限の荷物をまとめると、余った衣服はゴミ箱に突っ込んだ。
「待っていろよ、海人。とりあえず、そこから出してやる」

 たった一人で乗り込むなんて無茶だ。
 最初にその話をしたときそう言ったクレスタにアキヤは壮絶な笑みを見せた。
 途端にクレスタが黙り込んだ。
「判ったよ……無事を祈る。事が済んだら、最初に連絡入れろよ」
「ああ、いろいろとありがと」
 そう言って電話を切ったのがもうずいぶん昔のような気がする。

 アキヤは、うろ覚えの街を強引に車を走らせた。
 ショーの最中、なんと言っていた?
 海人をあの時の客達にあてがうようなことをいっていた。
 ならそのときは出かけるだろう。
 今までも手の空いた時間はずっと張っていた。
 だが、海人が出てきた様子はない。
 展示場の近くに車を止め、アキヤはカードを取り出した。
 何の変哲もないカードだが、側面にあるスイッチを入れるとそれに小さな点滅が浮かび上がった。
 ピアスは、大切な物だった。
 なくしてはならないから、こうやって捜すためにカードが対になっているのだ。
 その機能を今ほど感謝したことはなかった。
 あれは身分証だ。
 アキヤがオリンポスの人間であるという本当の身分証。
 アキヤは車から降りるとぱたんとドアを閉めた。
 もうずっとそこから動いていなかった信号が今日は部屋を移動している。
 ということは、動けるようになったのだ。
 それとも客を取る用意をしているのか……。
 視線の先にある、ビル。
 点滅はそこを示していた。
 

 アキヤは自分の推理が当たったことにほくそ笑む。
 視線の先に海人がいた。
 目立たないオーソドックスな車に乗り込む海人は、どこか覇気がないような気がした。
 何もかも諦めきったようなその顔は海人には似合わない。
 そんな海人を見たくないから、助け出すんだ。
 固い決意は決して揺るがない。
 アキヤは気づかれないように車を走らせた。

 タイミングをいろいろと計る。
 何度も何度も頭の中でシュミレートする。
 失敗はできない。
 なんとしても、今日の船に乗せる。
 でないと、自分の力で助け出すことは二度とできない。
 海人……。
 祈るように呟く。
 たった一つのタイミング。
 それに賭けるために。

 

 客指定のホテルについたのか、車が路肩に寄った。
 降りるように促され、海人は道路に降り立つ。
 見上げるホテルは、この街でも一流のホテルだ。
 自分がこんなところに来るなんて思いもしなかった。
 しかも……再び体を売るために……。
 従うことを決めたからといって、心がそれを受け入れている訳ではなかった。
 遅々として進まない足がそれを顕著に表している。
 だが、こなさなくてはいけないのだ。
 それがノルマ。
 生きていくために必要なこと……。
 深いため息が海人の喉から洩れた、その時。
 キイッッッッ!!
 激しいブレーキ音が響いた。
 吹き飛びそうな風がすぐ近くに巻き、海人が一歩後ずさったその目の前に車が現れた。
「海人っ、乗れっ!」
 信じられない声。
 信じられない顔。
 目の前の光景が全て信じられない。
 大きく見開いた視線の先で、アキヤが怒鳴っていた。
「乗れって言ってんだっ!」
 アキヤの手が窓から伸びて海人を掴む。
 無理に引っ張られた体は、もう一歩の手で難なく窓の中へと引っ張られた。
 上半身がアキヤの膝の上にのる。
 途端に、車が急加速をかけ、遠心力で外にある下半身に上半身が引っ張り出されそうになる。
「う、わぁぁぁぁっ」
「早く入れっ!」
 背後を窺っているアキヤは海人にかまう暇はないのか、冷たく言い放つ。
 が、その視界の片隅に入った独特の閃光に、海人はひっと喉を鳴らしながら、這いずった。
 アキヤの膝を越え、でんぐりがえしをするように助手席に転がり込む。
 狭い車の中だ。
 長身を無理に曲げて体を起こすと、ようやくイスに座りなおした。
「追ってきてる!」
 後方に視線を巡らせば、確かに車間を詰めてくる車が二台。
「そこにある銃で何とかなるっ?」
「何とかなるじゃなくて、何とかしなきゃいけないんだろっ!」
 ここで捕まれば、海人のみならずアキヤまでもが犠牲になる。
 もう賽は投げられたのだ。
 海人は、窓からその銃口を後方へと向けた。
「もうすぐカーブだ!」
 アキヤの言いたい事が判った。
 4、3、2、1
 頭の中でカウントする。
「0」
 呟くと同時に引き金を引いた。
 最大出力のそれが、火を噴く。
 はじけ飛ぶタイヤにバランスを失った車が消音壁にぶつかった。
 追いかけるスピードではじけ飛んだそれが、すぐ斜め後ろを走っていた同僚の車にぶち当たる。
 激しい金属音がして、車が転げていくのが視界に見て取れた。
 限界まで出している車は、あっという間にその事故現場から離れていってしまった。
「やっぱ、あんたって射撃の腕は凄いね」
 アキヤのニヤリとした顔に、海人もほっと一息ついた。

 限界のスピードにアキヤも無駄口をきく余裕もないのか一心不乱に運転に集中していて、海人が尋ねることができたのは、宙港に至るダイレクトハイウェイ(直行高速道路)に乗ってからだった。
「……何がどうなっているんだ?」
「助けに来た」
 ぽつりと、言われた言葉に海人が目を見張る。
「でも、俺は……」
 あそこに飼われている身だ……。
 そう言おうとすると横目でちらりと見つめられ、どきりと心臓が高鳴る。
「海人はぼくよりあそこがいいのか?いろんな男の相手をするのがいいのか?」
 その冷たい言い方に、海人はすうっと血の気がひいた。
 違う……。
 それだけははっきりと言いたくて、大きく首を振った。
「そういう訳じゃない。ただ……あんたに迷惑がかかる……」
 二度と会えるとは思わなかった。
 だから、こんなふうに来てくれるとは……。
 だが。
 リョウのしつこさを思い出す。
 彼は逃げ出した人間に容赦はしない。
 見せしめのために、ありとあらゆる所を探し出し、連れ戻す。
 他の星に行った人間すら見つかって連れ戻され、三日三晩の輪姦の後、殺された。
 それをアキヤに伝える。
「ふーん。でも大丈夫だ。あいつが入れないところに連れて行くから……」
 そんなところがあるのだろうか?
 疑惑の視線は、笑顔で返された。
「あるんだ……。絶対になんとかするから……」
 アキヤが笑っていた。
 それにどきどきと心臓が早鐘のように鳴り響く。
 すうっと赤らむ頬を自覚して俯いた。
 信じていいのかもしれない。
 そうすることができるような気がした。
「海人……あんたが、どんな目に遭ってもぼくは絶対に助けに行く。だから、あんたも逃げ延びるって気でいてくれ」
 もうそれを信じるしかなかった。
 それで連れ戻されて殺されたとしても、もういい。
 少しの間でもアキヤの傍にいられるのなら……。
 不安を必死でぬぐい去ろうとしていた海人の唇を掠めるようにアキヤの唇が触れていった。
 とたんに、熱い感情が胸の奥にわき起こる。
 アキヤと行きたい。
 何もかも忘れて……アキヤとともに……。

 

 宙港で車を乗り捨てると、足早に目的のカウンターに向かった。
 もう組織には連絡は行っているだろう。
 ならば、ここに手が回っている可能性はある。
 アキヤに引っ張られる海人は、長身の上、派手な服装をさせられているせいで目立つ。
 海人にあう服を持ってこなかったのは失敗だった。
「アキヤ……」
 海人の声音に緊張が走った。
 途端にちりちりとした殺気が、周囲から寄せられる。
「こっちだっ!」
 海人をつれて走り出した。
 人が多いから走りにくい。
 だが、それは敵も同様だ。
 もう後少しなのだ。
 5階最奥。ツアー・OPAという会社のカウンター。
 ほとんど来る人もいないそのカウンターが、オリンポスの出張所だいうことを知っているのは、オリンポスの人間だけだ。
 だが、遠い……。
 ありとあらゆる船の管理をしている宙港だから、端から端までがとにかく遠い。
 道を間違えれば、ひどく遠回りになるので間違えないようにしなければならない。
 だが……アキヤも海人も本調子ではなかった。
 特に海人はもう息も絶え絶えの状態だ。
 どうしてもその足が遅くなる。
 後……少し……。
 エレベーターを使えなくて、階段を使う。
 ようやく4階まで来た。
 ……が。
 その踊り場に立っていた男を見て、まず海人が硬直した。
 次にアキヤもそれに気づく。
「逃げられると思ったのかい?」
 瀬島リョウ……本人がいた。
「……どうして……」
 震える海人の肩を抱きしめる。
 前方にリョウ。後ろには追ってきた輩が銃を構えていた。
 くいっとリョウが顎をしゃくった。
 それが合図だった。
 避ける間もなかった。為す術もなく殴り倒され意識を失う。
 その瞬間、海人の悲痛な叫び声が聞こえた。

 

 アキヤが頭から血を出して倒れ込む。
 それがまるでスローモーションのようだった。
「アキヤァァッ!」
 駆け寄ろうした手はリョウに掴まれる。
「は、なせっ!」
 振り払おうと藻掻く海人の頬に激しい衝撃が走り、そのまま床にたたきつけられた。
 反射的に起きあがろうとするが、脳震盪でも起こしたのかくらりと目眩に襲われた。
 頭を押さえ、それでも上半身を起こした海人の背にぐいっと重みが加わる。
「まったく、すっかり色ボケしている。逃げたらどうなるか判っているのか?」
「そんなこと知るか!もう何をされてもお前の言いなりに何かならないっ!」
 押さえつけられ、起きあがることもままならない海人がそれでも強い視線をリョウに向けた。
 アキヤが……アキヤが……。
 それだけが頭を支配していた。
 だが、次のリョウの言葉に愕然とその目を見開く。
「ほお……では彼を殺そうか?このまま見逃してやってもいいが」
「え……」
 ふっと視線をアキヤに向ける。
 よく見れば、その胸が動いている。
 まだ生きている……。
「……アキヤ……」
 重みをはねのけ、近寄ろうとする海人はぐいっと顎を掴まれ、リョウの方に向けさせられた。
「どうする」
 どうする……。
 リョウの冷たい瞳と身動きすらしないアキヤを交互に見遣る。
 このままでは……アキヤは殺される。
 俺のせいで……。
 俺を助けようとしたばかりに……。
「海人?」
 嗤いながら問いかけるリョウに、海人はくっと唇を噛みしめた。
 答えは決まっていた。
「……言うことをききます……だから、彼を助けてください」
 そう言うしかなかった。
 物置のような所に連れ込まれた。
 そこに至るまでの間に、アキヤは別の人間に連れて行かれた。
 リョウがその男達に何か命令していたのだけは聞こえてていた。だが、それが何かまでは聞こえない。
 海人がリョウの言うことを聞いたからと言って、アキヤの命が助かる見込みは少ない。それでも、海人はリョウに逆らうわけにはいかなかった。
 ごめん、アキヤ……。
 噛みしめられた唇が傷ついて、血の味が口内に広がっていた。
 だが、それでも口元が緩むことはない。
「脱げ」
 リョウの命令に、海人は無表情なままにその手を動かした。
 役人を相手にするために着せられていた高級なスーツがぱさりと薄汚れた床に放り出される。
 瞬く間に全裸になった海人を、リョウはその全身を舐めるように見つめていた。
「せっかく、いい目を見せてやろうとしたのに裏切るとはな。それ相応の躾が必要なようだ」
 するりとネクタイを脱ぎ去るリョウに海人は虚ろな目を向けていた。
 やはり無理だったのだ。
 この男から逃れるのは……。
 ごめん……アキヤ……。
 あの時、声をかけなければ、こんなことにはならなかった。
「何を考えている?」
 リョウの言葉に首を振る。
「ふん、まあいい。おい」
 リョウが背後の配下に視線を送ると、彼の前にスーツケースが一つ運ばれてきた。
「お前のためにわざわざ運んできたんだ」
 かちりとロックが外され、開けられたとたんにそこに並んでいるいろいろな責め具が目に入って、海人は顔をそむけた。
「どれがいい?」
 楽しそうな笑みに答えられるわけがなかった。
 リョウも判って質問しているのだ。
 海人の返事を待つまでもなく、革ひもを取り出す。
「まあ、これからしようか」
 それを渡された男がきついくらいに海人の両手首と足を拘束した。
「次はこれだ。結構利くと評判の道具だ」
 二人の男が同時に海人に取り付けたのは、クリップ式の乳首用のバイブレーターだった。重みのあるそれがクリップの歯によってきつく食い込み、ぴりりと鋭い痛みを与える。
「くっ」
「ああ、お前を悦ばせる訳じゃないから、これは必須だな」
 先ほどとは別の男が海人の根元に、リングをきつく締め付けた。
「勃つだけで痛いぞ」
 つけながら男がくくくと喉の奥で嗤う。
 さらに先端に小型のバイブを取り付けられる。
「気持ちよくしてやるよ」
 ニヤリと嗤った男が、バイブのスイッチを最弱に入れる。
「んくっ……」
「なんだ、これから何をされるか判っているのか、お前は?」
 思わず漏れた声に、リョウが嘲笑を浴びせる。
 判ってはいる。
 だが、慣れた体がほんの少しの振動に過激に反応するのだ。
 さらに残りの男達が、海人の体を弄びながら、次々と空いた場所にいろいろな責め具をつけていった。
 ある男が何もつけないままにワームバイブを乱暴に押し込める。広げられる痛みと異物感に仰け反る海人の喉に、首輪がしめられ、それが拘束された四肢のひもに繋がれた。
 逆らうことなどできずに、ただリョウが連れてきた配下の10人が順繰りに背め具をつけていくのにおとなしく従うしかない。
「さてと、まずは罰だ」
 背中を強く押され、海人は前へつんのめった。
 縛られているせいで尻を高く掲げたようになる。
 そこにリョウの手が添えられた。
 ぐいっと熱い塊が押しつけられた。
 逃げるまもなく、それが押し込まれる。
「あ、ああぁぁぁぁっ!」
 喉から断末魔のような悲鳴が上がった。
 前戯も何もない。濡れてもいないそこにいきなり突き入れられ、引き裂かれる壮絶な痛みが海人を襲う。がくりと膝が折れたのに、強く腰を掴まれているせいで、倒れることはない。
 それどころが、さらにきつく突き上げられ、海人はよりいっそうの悲鳴を上げるしかできなかった。
 滑らないそこは激しい摩擦で引きつれ、ついにぴしっと弾ける感覚と流れる熱い感覚に、裂けた事を知る。
「あっああっ!」
 海人の悲痛な叫びに何ら関心を示さないリョウは、わざと激しく海人を突き上げ一気に自分自身の欲望を吐き出した。
 リョウが終われば、ここに来ていたリョウの配下の者達が次々に海人に突っ込む。海人を楽しますのではなく、痛めつけるための挿入だから、何の遠慮もないものだ。
 抽挿の度に激しい痛みが海人を責め苛む。
 快感などどこにもなかった。
 最初に裂けた所からとめどめも無く流れ落ちる鮮血。
 10人近い人間に犯されたそこはザクロのように弾けており、太股から膝まで、なすり付けられた血と精液で見るも無惨な有様。
 無理な突き上げではあったが、そのインターバルで取り付けられたバイブで責められ、感じてしまった海人の雄は根元をきつく戒められているせいで達くことできない。それどころか血の流れが滞って、青紫に変色していた。
「くくく、早く萎えさせないとここが壊疽を起こすぞ」
 そう言いながらもリョウの足が海人のそこを弄ぶ。
 それから逃れようと腰を動かしたとたんに、胎内のワープバイブが激しい振動を起こした。
「あっ、いあぁぁぁっ!」
 快感と堰き止められた痛みが海人の体と心を翻弄する。
「あははは、踊れ、踊れ……達けるものなら達ってみろ」
 男達の罵声が海人を責め立てる。
 体も心も、全てが陵辱の対象なのだ。
 ふっと弱まった動きにほっとすると、今度は別の場所のバイブが動く。
 萎えることも達くことも許されないそこは、それでもたらりとぬめりのある液体を吹き出した。
「こんな目にあっても嬉しいらしいな。これでは罰にならん」
 リョウがくいっと顎をしゃくった。
 とたんに、一人の男が動く。
 ぴしっ
「ひやぁぁっ!」
 激しい痛みが海人の背を走った。
 仰け反り悲鳴を上げる体は拘束されているせいで、余計に喉を絞め、海人を苦しめる。
 何が起きたのか朦朧とした視線を背後に向けた海人に、鞭を持った男の姿があった。
「よお、海人」
「き、キースっ!」
 口の端を上げ、ニヤリと嗤うのは、警察の制服を着た見知った男だった。
「あっ……くっ……何で……ぎゃあっ!」
 激しく打ちすえられ、起こそうとした体が床に沈み込む。
 そこにいたのはキース。警察署でも仲のいい同僚。
 征と海人との関係に気づいていても、普通に接してくれる気のいい同僚。
 一緒に食事をし、さぼることもあった。
 そのキースが何故……。
 信じられなくて、茫然と見つめる先のキースは酷薄な笑みをその口元に浮かべ、海人を見下ろしていた。
 そこに、あの優しかったキースを窺えるものはない。
 あの、キースが……あの……。
 なおかつ、鞭を振り上げ海人を打ち据えるキースの楽しそうな様子が、海人に激しい衝撃を与えた。
「ひいっ!」
 胎内を駆けめぐる快感と、外から来る痛み。堰き止められた苦痛が、海人を責め苛む。そして、その鞭を振るっているのがキース。
「な、何で……?」
 信じられなくて、海人がキースに必死で視線を向けると、キースがふんと鼻先で笑い飛ばした。
「俺が何でお前の傍にいたのかまだ気づかないのか?俺は、頭の命令であんたを見張っていたんだよ。署長達の部屋に盗聴器を仕掛けたのも、あんたの行動を逐一頭に報告していたのも俺だ。ああ、そのついでに副署長さんにもあんたの行動を教えていたけどな」
 そんな……。
 じゃあ、自分の行動が逐一漏れていたのは、全て同僚だと思っていたこいつのせい?
「まったく、こんな淫売が今犯って来ましたって顔で署内をうろつくんだから、俺はもうやってられなかったぜ。何回トイレで抜くハメになったかっ、よっ!」
「あ、あぁぁっ!」
 逃れるように体を動かしたそのむき出しになった脇腹に激しい一打が加わる。
 喉から漏れる悲鳴は、すでに掠れかけていた。
「そうそう、そんな色っぽい声で話をするしなあ。もう、たまんねえ」
 キースは股間から自分の器官を取り出し、片手で扱きながら海人を打ち据えていた。
「いい顔、ほら、もっと逃げろよ」
「やあっ!」
 海人の背に幾筋ものみみず腫れが走る。
 そのできた線の上を狙うように、キースの鞭が振り落とされた。
「ひゃああああっ!」
「うっ」
 激しく震え突っ伏した海人の背に、キースの欲望が降りかかる。
 それが傷口に染みて、新たな痛みをもたらした。
「あ……ううぅぅ……」
 もう唸るしかできない海人の瞳に光はなかった。
 体の痛みだけではない。
 信じていたとは言えない。
 だが、それでもかなり心を許していた人間の手ひどい裏切りが、海人の精神をずたずたにしていた。
「ふむ……もうダウンか……おもしろくない」
 リョウがどうすべきか思案しようとしたその瞬間だった。
 鍵をかけていたドアが内側に向かって吹っ飛んだ。
 その勢いに入り口付近にいた数人が巻き込まれて吹っ飛ぶ。
「何だっ!」
 振り返ったリョウの眼に銃口が入った。
 次に人影が入る。
「海人を返して貰う」
 アキヤがそこに立っていた。
 たっぷりと麻薬を打って宙港の外に放り出せと命令したはずのアキヤが、そこにぴんぴんとして立っていた。なおかつ、その頭につけられたガーゼから手当を受けているのも判る。
 仲間がいたのか?
 だが調べた限りではアキヤは一人旅行のはずだった。
「二度は言わない。海人を返せ」
 逃げる所はなかった。
 配下の者達もアキヤの剣幕に呑まれている。
 それに……。
 アキヤの背後にも銃口が見えた。
 リョウは、海人の腕を持ち上げると、ぐいっと前へ海人の体を放りだした。
「海人っ!」
 それでアキヤが海人を抱き留めに行け反撃する隙があると思ったリョウだったが、アキヤは動かなかった。
 呼びかけるだけのアキヤに拍子抜けをする。
 いや、判っているのだ。
 自分が動けば、リョウが何かをしでかすと言うことを。
 アキヤの替わりに背後にいた男が動いた。
 変わった制服を着ていた。
 この星にはない制服だ。
「生きているよ、アキヤ」
「ああ……」
 軽々と海人を抱きかかえるその右腕に輝くエンブレムもまたリョウの記憶にはないものだった。
「海人は返して貰う。追おうなんてことは考えない方が身のためだ。こんど、そんなことがあったらあんたを殺すから」
「君は誰だ?」
 思わず口をついていた。
 あのショーに出すために素性は調べた。
 持っていた身分証は本物だった。
 なのに……大学院生とは思えない迫力がそこにあった。
「あんたなんかが知る必要のない事さ」
 その顔には何も窺えるようなことは浮かんでいなかった。
 
続く