闇の街から(3)

闇の街から(3)

10
 殴られた事は判っていた。
 意識が朦朧として体を動かすことはできなかったが、自分たちが敵の手に落ちたという自覚はあった。
 どうしよう……。
 ぴくりとも動かない体。
 働かない頭。
 額を伝う流れる感触に、出血があることを知る。

「アキヤっ!」
 海人が呼んでいる。
 助けないと……。
 そう思うのに体が動かない。
 動かす方法が判らない。
 ぼそぼそと何か話す声が聞こえる。
 ぐいっと体を起こされた瞬間、ふっと闇の中に意識が吸い込まれた。
「こいつ……いい体してるよな。お前も見たか、こいつがこの前のショーの女役だった奴だぜ」
「ああ、見た見た。すっげー、良かったよな、あれ」
 ぐらぐらと不安定に体が揺れる感覚に、アキヤはすうっと意識を取り戻した。
 うっすらと開いた視界には、天井が見える。
 脇の下を抱えている男が一人。
 両膝を抱えている男が一人。
 どこかに運ばれている。
「こいつ、ヤク打ったら、好きにしていいんだよな」
「ああ……たっぷり打って、ヤク抜きでは過ごせないようにしろって命令だ。どうせ、その後はSMショー専用にでも躾るんじゃないのか?」
「ああ、色ぼけに狂う前に、たっぷり可愛がってやろうぜ」
「あっ、そこがいい」
 どさりと床に乱暴に落とされ、思わず洩れかけた苦痛の声を必死で押し殺す。
 使われていない部屋なのか、ひどく埃っぽい部屋は薄暗く、外が見えない。
 アキヤは、そっと二人の様子を窺っていた。
 かなり手練れの二人と見える。
 自分たちを追いかけてきた連中だから、たぶんそういう技能も優れているだろう。
 何より先ほどの会話が、脳裏に引っかかっていた。
 ヤク……麻薬だろう。それを打たれる前に、逃げないと……。
 どんな麻薬かまでは検討が付かないが、そんなものを打たれれば自力で脱出するのは不可能だ。
 だが。
 今の状況とてまずいことには違いない。
 頭に受けた衝撃のせいで、体が思うように動かないのだ。
「ヤクは?」
「ああ、ここだ」
 がさごさと物を探る音がした。
 マズイ……。
 早く逃げ出さないと……。
 なのに、その算段が頭に浮かばないのだ。
 焦りだけが、アキヤをひどく焦らす。
 ぐっと腕を持ち上げられた。
「ううっ」
 必死でその手を振り払おうと体を動かす。
「ちっ、気づきやがった。こいつ、力つえーぞ」
「押さえるから、さっさと打て」
 背中から押さえつけられ、動きを完全に封じられた。
 腕に圧入器が押しつけられる。
 駄目か……。
 その瞬間海人の顔が浮かんだ。
 悲しそうにアキヤを見ている。
 いや、泣いてるんだ……。
 海人……。
 圧入器の前には意味が無いとは思いつつも、腕の筋肉に力を入れていた。
 が……。
 いつまでたっても注入された様子がない。
 それどころか体の上から重みが消えていた。
「いつまで転がってんだよ、アキヤ」
 くすくすと笑う声に、はっと顔を起こす。
 お、い……この……声って、まさか?
 その目の前に、先ほどまでアキヤを押さえつけていた男の気を失っている姿があった。
「あ、れ……?」
「お?い、まだ呆けているのか?」
 え、ええ?
 聞き間違えようのない声。
「クレスタ?」
「おう、やっと正気に戻ったか?」
 腕を引っ張られ、その力を借りて体を起こすと、懐かしい顔が合った。
「あれだけ大見得切った割りには、ざま無いね」
「うるせ……」
 嗤うクレスタに、ぷうっとふくれっ面をしてみせる。
 だが、自分でも自覚はあるので、それ以上の反論はできなかった。
 だいたい自分のことより、ここにいない海人の方が気にかかる。
「それより、海人は?」
「海人って……ああ、もう一人はどこか別の部屋に連れて行かれたらしい。この街に詰めている奴に頼んで張って貰っている。助けに行くか?」
 クレスタが手際よく、アキヤの頭にガーゼに張って応急措置をする。
「ああ行くさ。助けるって約束した。それなのに助けられないってのは、オリンポスの隊員としちゃ、致命的なことだろ?」
 その言葉に、クレスタもぐっと息を飲んだ。
「ま……身分証の偽造を手伝わされて、こんなところまで出張るハメになった俺としても、ここで助けられなかったら夢見が悪いったらありゃしないからな」
 その言葉に、ふっと疑問が湧いた。
「おい……そういえば、何でここに?」
 基本的にクレスタもアキヤも地上勤務だ。それなのに、なぜこんな所にクレスタがいる?
「ばれた」
 簡潔な言葉は、それだからこそはっきりとその言葉の重みをアキヤに伝える。
「ばれた?」
 窺う視線の先で、クレスタが苦笑いしながら頷く。
「お前が強引に身分証を作らせたのも、お前のここでの素行も全部ばれた。んで、俺が連鎖責任で呼び戻せと言われた」
「で、でも、俺はあいつを助けないと」
「判ってる。手伝ってやるよ。だけどその後は、俺が乗ってきた艦で帰ることになる」
 その言葉にぐっと息を飲んだ。
 だが今は……。
「判った。だから、海人を先に助ける」
 そして、アキヤは立ち上がった。

 
 全身の傷と精神的なショックもあって、海人はいっこうに目を覚まさない。
 組織の手から救い出した海人の見るも無惨な姿に、アキヤはまず海人の治療をすることにした。
 奴らは憎い。
 だが、今はそんな復讐にかまけている場合ではなかった。結果的に見逃してしまうことにはなったが、それも仕方がなかった。
 海人を二人で乗るはずだった客船の医務室に運んだアキヤにはもう時間がなった。
 クレスタとともに、先にオリンポスに戻らなければならないのだ。
 それが、アキヤの罰。
 下手をすれば、もう二度と海人に会えないかもしれない。
 だが、アキヤはそんなことはないと思っていた。
 きっと海人は自分を捜し出してくれる。
 それを信じているアキヤの心は、いたって落ち着いていた。
「どうする?」
 クレスタの問いに、アキヤはずっと考えていたことを口にしていた。
「……オリンポスの移民試験を受けさせるように申請する」
「正気か?無茶苦茶難しいんだぞ」
「それでも……他の星だと彼を守れない。クレスタ……すまない、君にまで迷惑をかけた……」
 その会話を海人はうっすらと聞いていた。
 意識は覚醒していた。
 たが、体が動かない。
 一人はアキヤの声だと判った。
 もう一人は知らない。
 それでもアキヤの声が落ち着いているのが判った。
 じゃあ……助かったのか?
 そう思った途端、再び意識が消えていく。
「……どうしても守りたい。もうあんな目に遭わせたくない」
 最後に聞こえたアキヤの声だけが記憶に残る。

 次に目覚めたときには、アキヤの姿はなかった。
 海人が寝かされていたのは客船で、治療を受けた医者が説明してくれたことによると、海人をここに連れてきてくれたのはやはりアキヤだった。
 渡されたカードには、アキヤの伝言が入っていた。
『目的地に着けば、あの組織は決して君を追っては来れない。だからもう海人は自由なんだ。ほんとうは起きるまで付いていたいけど、無茶したのがばれてしまった。だから罰を受けなければならない。この船の最終到着駅が、目的地だ。そこで、海人がぼくを探し出すのを待っている』
 たったそれだけのメッセージ。
「何なんだ、これは……」
 理解できないメッセージ。
 呆然としていると、医者が海人の体をそっとベッドに押しつけた。
「まだ寝ていなさい。到着までにまだ時間があるから……考える時間は幾らである」
「だけど……俺はアキヤに逢いたい……」
「彼は決まりを守れなかった。だから罰は罰だ。一足先に国に帰ったんだよ」
 その物言いに、その医者が何かを知っていると直感した。
 やせても枯れても警官をしていた。
 だから、その経験が、教えてくれる。
「何か知っているんだろ?だから教えてくれ!」
 服の裾に縋り付く。
 何かを聞くまでは離さない。
 その意志を強く込める。
「参ったな……喋れば罰を受けるのはぼくなんだ……でも……いいよ。少しだけなら……」
 そう言って彼は傍らのイスを持ってきて座り込んだ。
「彼、アキヤ・カーサスはオリンポスの人間なんだ。ほら、この船の終着駅がそうだろう」
 言われてチケットを見ると、確かにそう書いてある。
 オリンポスという星のことは噂でだけ聞いたことがあった。
 軍事国家で機密の塊。
「本来、旅行に出た先での揉め事は厳禁。法に触れることも厳禁。ましてや、オリンポスの権限を使うことも厳禁……」
 もしかして……アキヤはそれを全てしているんじゃないのか?
 海人のために組織と揉め事を起こした。
 海人を助けるために街中でカーチェイスもどきという法に触れることもしたはずだ。
 あと、オリンポスの権限……?
「彼は、君のために偽造の身分証を用意した。オリンポスの力を使って、巧妙に申請書類を作ってね。ほら、それがここにある。それがあるから君は正式に出国できた。正式に出国していない者をオリンポスは入国させられない。だから、君がオリンポスに入るためには絶対に必要な物だった。」
 渡されたカードは、いつか見たアキヤのものと同じ国印が押してあった。
「これが俺の……」
 これを作るために禁忌を犯したのか、彼は……。
「アキヤはどんな罰を受けるんです?」
「それは帰ってからじゃないとはっきりしないけど……たぶん、君に会えなくなる罰」
「へ?」
 もっと過酷な罰を想像していた海人は、その内容に唖然とした。
 いや、だが当の本人達に取ってみれば、それは重大な問題だ。
「逢えないんだよ。彼の方から君に連絡を取ることも、逢いに行くことできない。君が探し出すのなら別だけど、オリンポスといっても広いからね。その確率は砂漠でたった一つの宝石を探し出すようなものだよ」
「もう……逢えない?」
 ぽろりと涙が頬に伝った。
 まだお礼も言っていない。
 自分のせいでこんなにも迷惑をかけているのに……。
「泣くことはない。逢いたいと願って頑張れば、きっと逢えるよ。オリンポスにもいろいろと抜け道があるし……。いろいろとそのためのヒントくらいは教えてあげられる」
「あなたも……オリンポスの人なんですか?」
 問いかけると、彼はにっこりと笑った。
「そう。まず一つ目。オリンポスの人間は全て軍属だから、ぼくは、ケイゼイン・クーナイダ曹長。まあ、ケイゼインでいいけどね」
「全て軍属……」
「そう、だからいろいろと制約が多くって……ごめんね」
 あ、ああ……そうなのか。
 だから、アキヤはあんなに身のこなしがよかったし、行動力あった。
「アキヤの事は判りました。だから……オリンポスのことで教えてもらえることがあったら教えてください。それだけでいいです」
 親切なケイゼインに無理は言えない。
 だから海人がそう言うと、ケイゼインはおやすいご用だと、笑って頷いた。

 

  辿り着いたオリンポスは緑豊かな星だった。
 軍事国家という割には、そう堅苦しいところはない。
 建物も交通機関も最高の技術を費やしているのがよく判る。
 そのせいで機能的なデザインのものが多かった。
 機能美。
 一言でいうなら、そういう世界。
 だからこそ、アキヤの言っていた「自分のところにはないところ」という言葉がよくわかる。
 ここにはあんな街はない。
 繁華街、夜の街……。
 ケイゼインがいうにはそういうところもあるという。
 だが、それはあくまで法律に守られた街なのだ。
 海人の住んでいた街と決して同義語では括れない。
 何かと親切にしてくれたケイゼインに別れを告げた海人は、ただっ広い宙港で起こした行動は格安のホテルを見つけることだった。
 この広大な星。
 幸いなことは、この星系に住民が登録されているのは、この星だけだということだろう。
 それでもたった一人の人間を捜し出すのには手間がかかるに違いない。
 それに1/5に近い人間は艦隊に所属していて、地上にいない人間も多いという。
 となればばったりと逢う偶然は皆無に近い。
 だから、格安のホテルを確保した。
 船から下りるとき、ケイゼインが渡してくれたカードには、海人名義の口座とそこにお金が振り込まれていた。
「これは?」
「アキヤが手配したものだ。それだけあれば当座の生活はできる」
 確かに無一文で知らない星というのは敵わない。
 海人は、他の星どころかあの街以外は知らないのだ。
 ホテルを取って辺りを散策すると、話だけではわからなかったいろいろな面が見えてきた。
 軍事国家というけれど、言われるほどに固くない。
 そういう国民性なのか、みな一様に朗らかで快活。そして世話好きだった。
 だが、その根底にあるのは共通しているようで、どうすれば人が探せるか、ヒントは教えてくれるのだが、それ以上の事は決して口に出すことはない。
 自分のことは自分で手がかりをみつけろ。
 そんなニュアンスのことをあちらこちらで受けた。
 それにしても……。
 窓の外に広がる大草原をうんざりと見つめる。
「広いな……」
 海人の育った街は、せせこましいという言葉が似合う街だった。
 だが、ここは建物と建物の間隔が広い。
 まあ、家を一軒一軒尋ねるつもりはなかったが、それでもこの広さを見ていると、自分がこの草原の中に転がったたった一本の針を探そうとしているような錯覚に陥ってしまう。
 見つけられるのか?
 浮かんだ不安は、首を勢いよく振ることで頭から追い払った。
 見つけるんだ。
 何度も繰り返して念じる。
 必ず見つかる。
 絶対に。

 
 ぎりぎりもって三ヶ月。
 アキヤが用意してくれた金を計算して、そんな所だ。
 ケイゼインに、オリンポスではアルバイトという観念があまりないのを聞いていた海人は途方に暮れていた。
「まあ、観光地か何かだと、ぎりぎりの予算で尋ねてくる観光客が働ける場所もあることはあるからそう言うところを捜すのもいいかも……」
 だが、バイトで時間がつぶれたら、どうしても捜す時間が余分にかかる。
 その海人が、考えあぐねたあげく取った手段は、「落とし物は警察へ。捜し物も警察へ」という電光掲示板に表示されていたキャッチフレーズからヒントを貰ったものだった。
 すなわち「探し”者”は警察へ」だ。
 我ながら単純だとは思う。
 しかし、他に方法はない。
 人民局のようなところに行くことも考えたが、どうもそれよりは警察へと、言う方が自分には良いような気がした。
 これも勘だ。
 そして、海人は自分の勘を信じる。

「アキヤ・カーサスという人を捜しているんです」
 最初は親切に応対してくれた警官も二度三度となると、邪険になってくる。
 簡単には教えてくれない。
 それは判っていた。
 どこの地でも、個人のプライベートなことは判っていても教えてはくれない。
 だから、どうしても逢いたいんだという熱意を伝えるために、何度も何度も同じ警察署へと足を運んだ。
 そのうち、相対する相手の階級が上がっていっていることに気がついた。
 親切がモットーなのか、邪険にはされるけれど、決して無茶はされない。
 前に勤めていた警察署なら、面倒な相手は銃をちらつかせても追い払っていた。
「こんにちは」
「またですか?」
 受付の人がいやがり、その内呆れられ、そしてまたかと苦笑で受けて入れてくれるまで。
 もう一ヶ月も通い続けていた。
 それでも、教えてはもらえなかった。
 だが、海人はそれでも諦めなかった。
 もう後がないのだ。
 そして今日相対したのは、白髪交じりの初老の男性だった。かなり階級が上だと判る。
 ここ一ヶ月で、階級章の見方はだいぶ知ったのだが、今日のそれは初めて見る形だった。
 つまり、滅多にいない階級の人間。
 確かに柔和な顔で人をほっとさせる雰囲気を持っているくせに、すうっと目を細めるとそれがひどく探っていると思わせる人だった。
「高際海人さんですね。私は、クレイゴール・K・リオラと申します」
 丁寧な物言いに高圧的な態度は見られない。
 海人はぺこりとお辞儀をすると、リオラと名乗る男と向き合った。
「さて、アキヤ・カーサス氏をお捜しとか?しかし、今までもご説明したとおり、決まりでここの民のプライベートな情報をお教えすることはできないんです」
「判っています。それでもここにしか来るところがないんです。どうしても逢いたいから」
「いい加減、諦めようとは思わないんですか?」
 柔らかな笑みの中にきつい視線を向けて、リオラが問いかける。
「諦めたくないんです。彼に会えることが俺の幸せだと思えるから」
「幸せ……ですか?他には、幸せがないように聞こえますね」
「今まで私は幸せだと感じたことは一生の内で、まったくないです。だけど、たまたま彼が俺の住んでいる街に来て、偶然彼に出会ってしまったから。彼に逢ったことで、自分は彼に助けて貰った。地獄のような日々から救って貰えた。なのに、お礼も言っていない。迷惑をかけたお詫びもしていない……だから、彼を捜したいんです」
「ですが、その様子ではその方はあなたに連絡先も何も教えていないと言うことですね」
「彼には逢えない理由があるんです。だから……」
 きっと探られているのだ。
 この問答は海人の行動の是非を問うもの。
 だが、海人はそこで誤魔化すつりはなかった。
「俺のせいで彼はいろいろと決まり事を破って……それで俺に逢うことを禁止された。でも俺は禁止されていない。だからあいにいくんです」
「ふむ……」
 再度リオラは考え込んでいた。
「本当に言いたいことがあるんです。俺は……まだそれを言っていなかった。……だから逢いたい……」
「そんなにも逢いたいんですね」
「そうです」
「たいした人ですね。ところで仕事は何をされていたんです?」
「警察に……」
「え?」
「と行っても極悪な警官でした。歓楽地の真ん中にあったから、癒着も酷かったし、ここでは犯罪と言えることもずいぶんと見逃してきた」
 ここに来て初めて知った。
 こんな柔らかな雰囲気。
 あそこでは絶対に味わえない。
 あの地が確かに異常だと思える。
「なるほど。でもあなたを見ているとそんな感じはないですよ」
 そう言うと、リオラは腕組みをして考え込んだ。
 伏せられた瞳は、まるで閉じられているようで、その真意は窺えない。
 海人がいたたまれなくなって身動ぐほど、その位の間、リオラは考え込んでいた。
「高際海人さん……」
 ほどなくして、呼びかけられた。
 その改まった口調に、自然に背が伸びる。
「ものは相談なんですが……」
「はい?」
 柔らかな笑みの奥にある真剣な瞳の色。
 それがひどく緊張させる。
「あまり知られていませんがオリンポスには、一応、移民制度というものがあるんです。かなり厳しいですが、あなたほどの熱意があったら合格しそうだと私は思うんですが、いかがですか?」
「へ?」
 移民……。
 どこかでそんな言葉を聞いた覚えがある。
「この国の人間になれば、あなたの知りたい情報ももう少し楽に手にはいるはずですよ。そのアキヤ・コーサス氏のことも……」
 にっこりと意味ありげな笑みに、海人はアキヤのことをこの男は知っていると勘づいた。
 何もかも知っている人。
「どうします?かなり難しくて厳しい試験と、それに受かったとしても3ヶ月間の研修とその間は監視体制に置かれます。しかも今までの合格率は10%にもなりません。生まれついてのオリンポスの人間でないと、なかなかここの仕組みにはなじめないようで……それでも、いいですか?」
 難しい試験と3ヶ月の研修。
 だが、アキヤがここにいるのなら、受けてみる価値はある。
 できることがあればしてるのも一つの手だ。
「受けます」
 リオラを見つめて、きっぱりと言い切った。
 後悔などしない。
 後戻りはもうできないのだから。

 

 試験はほとんどが面接と心理テストだった。それに混じって学力と体力のテストもあったが、それはほとんどついでのような感じがした。
 その試験を受けるとき、常に海人一人だったところを見ると、実際このテストを受ける人間はほとんどいないのだろう。
 何よりも助かるのは1週間に及ぶテスト期間の間、衣食住は完璧に保証されていた。
 泊まっていたホテルより数段格のいい宿泊所。
 触れあう人々も心なしか親切だ。
 みなががんばれと励ましてくれる。
「滅多にいないけど、自分がここにいたい理由をよく考えれば、きっと大丈夫」
 部屋の掃除に来てくれる女性が、そう言って励ましてくれた。
「いたい理由?」
「そうよ。オリンポスがどんなに特殊であるか、生まれ育って教育を受けてきた私たちはよく知っている。だけどそんなオリンポスが私たちは好きなの。だから、ここから出て行かない。オリンポスを愛して、ここを守りたい。そう思うからこそ、ここにいる。それが私の理由」
 にこりと笑う彼女は本心からそう思っているのだろう。
 その笑顔に嘘は見られなかった。
「守りたい?」
 それは俺には無理だ。
 俺がここに来たのは、アキヤに逢いたいからだ。そんな不純な動機では駄目なのだろうか?
「そうよ、守りたいと思うことは大事なの。このオリンポスではね。ところでその冊子にあるオリンポスの歴史は読んでみた?」
「あ、ああ……一回だけ」
「それをしっかり読んで理解することができたら……きっと合格するわよ」
 そんな……単純なものだろうか?
 その冊子を手にとって彼女を見遣る。
「守りたい……それがキーワードよ」
 彼女はそれだけを言い残すと、部屋を出て行った。
 それが試験を受け始めてから2日目の出来事だ。
 そして、海人はその冊子をじっくりと読み始めた。

『忘れられた星。
 あまりに遠い場所に在った故に。あまりに極悪な環境故に。
 忘れられた人々。
 彼らはその星を愛していたが故に。戻ることなど考えもしなかった故に。
 だから彼らは残ったのだ。
 例え極悪な地であろうと、彼らはそこで暮らし育ったのだから。
 そして、そんな彼らを見捨てることが出来なかったから。
 戻らない彼らを、故に、組織は異端児として組織から切り捨てた。
 処罰を与えるよりも島流しのように、彼らは放って置かれた。
 極悪な地。
 補給を絶たれれば、生きていくということすら難しいその地であるから。
 だが彼らは、決してそれが苦痛だとは思わなかった。彼らには知識があった。技術があった。熱意……そして、団結力があった。
 もともとが組織であった。
 だから、彼らをまとめる者に統率力があった。従う者達も忠誠心があった。
 力と希望があった。
 だから、彼らは生き延びた。
 そして、星を暮らしやすく変えていった。
 最初は、1万人程しかいなかった。
 だが、今は2億人が生活している。
 近親婚の弊害はDNA操作で解消されていたから親・兄弟以外であれば結婚は自由であった。子供の出生率も生育率も十分であった。
 それに蓄えられていた多くのDNAからも、生まれている子供達。
 男女比率も安定し、平均寿命は140歳。人口は安定している。
 生産能力も高く、教育水準も高い。
 星は、生まれ変わっていった。
 熱い砂漠と冷たい氷の世界しかなかったところが、今はほとんど緑に覆われている。自然を大事にしているが故に、DNAから再生された動物達が元気に暮らしている。
 牧場では牛や羊が、農場では米や麦、野菜に果物、海には豊かな魚介類、そして山や大地にはこの星自らが持っていた豊かな鉱物資源。
 ここまで来るのに500年以上が費やされていた。
 それが長いのか、短いのか……。
 最初の人々は未来を子孫に託し、土にと帰った。
 そして着実に自分たちの力を蓄えた彼らは、彼らの言葉で「5世代目」にして自分たちを忘れてしまっていた人々に自らの存在を明らかにした。
 混乱。
 争乱。 
 だが、それは長くは続かなかった。
 彼らは血を流す事を良しとはしなかった。
 粘り強い交渉は目を見張るモノがあり、彼らは忘れていた人々に受け入れられた。
 彼らは決して昔を忘れていなかった。
 自分達のルーツが何であったのかを。
 彼らは言う。
「我らは守るためにここにある。守るために存在する」
 何を?
 などとは愚問であろう。
 
 宇宙軍辺境域独立監視軍オリンポス。
 辺境に暮らす貧しい人々を守るために派遣されていた軍隊とその家族、そして彼らに共感した辺境に暮らしていた人々。
 それらの人たちが彼らの始祖。

 銀河歴5668年

 こうして、国民の全てが軍人である軍事国家オリンポスは、銀河連邦の一員となった。』
 それが冊子に書かれた歴史の内容だった。
 何度も読み返した。
『守りたい』
 それがキーワードだと。
 守りたいが故に存在する……。
 ならば、俺は何を守りたいのだろう。
 海人はふっとその口の端を上げた。
 それは愚問だ。
 きっと、今の俺が守りたいのはアキヤだけだ。
 守られることを良しとするタイプではなさそうだったが、それでも何を守りたいと問われれば、「アキヤ」としか答えられない。
 こんな自分が、このテストに合格するのか?
 だが合格しなければ、俺はアキヤの元には辿り着けない。
 アキヤに逢うことは叶わない。

?
11
「はい、アキヤ・カーサスを」
 真新しい制服に身を包み、3ヶ月の間に伸びてしまった髪は後ろに流していた。
 落ち着いたら、切りに行こうとは思っていた。
 だが、アキヤの居場所を知ってしまったから、貰った初めての休みの予定は決まってしまった。
「失礼ですが、お名前は?」
「高際海人といいます」
 晴れやかな気分でそう告げると、受付の女性はにっこりと笑ってソファを指し示す。
 ソファに座りながら、海人は落ち着かない視線を女性が電話をしているのを見ていた。
 彼は待っていてくれるのだろうか?
 あんなごたごたに巻き込んだ自分にまだ愛想を尽かさずにいてくれるのだろうか?
 不安は常にまとわりつく。
 海人の貰ったばかりの制服。その右腕に白亜の冠をかたどったエンブレムが縫いつけられている。
 ようやく手に入れたエンブレム。
 試験に合格し、研修課程が修了して正式に移民が認められた時に貰ったそれ。
 配属先が、オリンポスでの執政・人事・人民・警察の管理等を司る第三司令部ポロス・ヘーラ(冠の女神)だと言われたときは、かなりその仕組みには慣れていた。が、そこの総司令の名を聞いたときには、ひどく驚いたものだった。
 クレイゴール・K・リオラ大将。
 喰えないおっさん……。
 それを知ったときは、本人を前にして思わず口に出して呟いてしまいそうだった。

 その彼が再び海人の元を訪れたのが、1週間前。
「アキヤ・カーサス曹長は、隣町のドドナの中央警察署に勤めている」
 そう言ってニヤリと嗤われたときには、本気で手が出そうになった。
 だが悦びも大きい。
 たった100kmの距離。
 アキヤはそこにいる。
「やっぱり知っていたんですね」
「まあね。彼のしでかしたことは少なくとも中央では有名だから。君の事もしっていたが罰は罰だ。だが、君の努力にはこちらとしても脱帽するよ。だから、特例だ。しかもあの試験をパスするし」
「あれは……自分も不思議です。どうして受かったんでしょう?」
「守りたいって思えるものがあって、そう思うことが一番大切なんだって思えたら、試験は合格なんだ。だから君が合格する予感はあったよ」
「はあ……」
「それでまあ……彼ももともと優秀なんだが、最近仕事に手が着かない様子でね、困っていたんだ。彼ときたら、荒れると手がつけられないところがあってね……きっと君に逢えないし、動向もわからない鬱憤が溜まっているのだとは思うが。ちょっと君が言って叱ってきて欲しいんだ」
「アキヤが?」
 荒れるアキヤなど想像が付かない。
 しかも俺が叱る?
「君の言うことならあの暴れん坊も聞きそうだしね」
「は、あ……」
 ウィンクされて、唖然と返事をする。
 それをキリにふっと会話が途切れた。
 しばらく逡巡し……、おもい切って海人は尋ねた。
「彼は……なんであの街に行ったんですか?」
「あ、ああ……別に何のことはない。たんなる観光旅行だよ」
「でも……」
「いやね、オリンポスの仕組みの一つに、一回は外に出てみろってのがあってね。ただ、オリンポスという特異な存在のせいで正直に身分証を作るといろいろと不都合があるんだよ。それで、いろんな国と契約して身分証を偽装させて貰っているんだ」
「じゃあ、彼は本当に観光に?」
「そうだよ。まあ目的地は本人の希望だから、それ以上は彼自身に聞いてもらわないとね」
 待合いのソファでアキヤを待つ。
 どきどきと心臓が高鳴る。
 ひどく不安で、気持ちが落ち着かない。
 何度何度も手を握りしめる。
 汗ばんだ手のひらが気持ち悪い。
「……海人……」
 だから突然背後から呼びかけられ、驚きのあまり硬直して振り返ることもできなかった。
「見つけてくれたんだ」
 すっと影がさし、視界に制服姿のアキヤが入る。
 おそるおそる見上げてみれば、表情の窺えないアキヤがいた。
 だが、その息が荒い。
 走ってきたのだろう。冷房が効いているのに、その額にはうっすらと汗が滲んでいた。
 それが無性に嬉しい。
 高鳴る心臓が口から飛び出そうだ。
「あんたに逢うために捜した…」
 かろうじて吐き出した言葉に、アキヤがすっと海人の傍にしゃがみこんだ。
「あんたに逢いたくて、捜して……ここまできた。俺、あんたに逢いたいからここの移民試験を受けて、合格した。だから、ようやくあんたの居場所を教えてもらった」
 一気に告白する。
「海人……」
 アキヤの声が震えていた。
「あんたが好きだから……あの時……俺のせいで迷惑をかけたし……謝ることもお礼を言うことも……何もできなかった」
 だから、どうしても……。
 手を伸ばす。
 アキヤの首に、背にそしてきつく抱きしめる。
「逢いたかった……もう離さないでくれ……」
「海人……」
 海人の背にアキヤの手が回された。
 ぎゅっときつく抱きしめられる。
「海人……逢いたかった。あんたを忘れない日なんてなかった。こんな罰を与えた上層部を心底呪ったくらいだ……」
「でも、その上層部が、教えてくれた。アキヤの居場所。だからここに来れた」
 アキヤがゆっくりと海人に視線を移した。
 だが、ふっと海人の背後へと視線を向けた。
 それに気づいて海人も背後を窺うと、複数の視線を感じる。
 ささっと隠れる人影に、海人は居心地の悪さを感じて頬を染めた。
 途端にその視線の先から、ほおっというざわめきが聞こえる。
「外、出ようか」
 むうっと眉間にシワを寄せたアキヤの言葉に、海人は笑って頷いた。

「アキヤっ!」
 一体どこに連れて行くのか?
 無言で引っ張り続けるアキヤに、ふとよぎった不安は5分後に解消された。
 そこは、警察署の裏に設置された、警官用の宿舎だったのだ。
 アキヤはその中の一室に海人を招き入れると、がちゃりと後ろ手でドアをロックする。
「ここは?」
「ぼくの部屋」
 抑揚のない声が寝るためだけのような部屋に響く。
 呆然と突っ立っている海人の首にアキヤの腕が巻き付いた。
「お、おい?」
「抱きたい……」
 それがあまりに唐突で冗談かと思った。
 だが、アキヤの瞳はひどく真剣で、冗談のようには見えない。だがその頬は恥ずかしさのあまりか、見事なまでに紅潮してしまっている。
「ア、アキヤ……」
「抱きたい……ぼく……あの時からあんたのことを思わないと勃たなくなった。だから……責任取ってくれ」
 目前で囁かれる吐息がひどく熱かった。
 触れているところがどくどくと脈打っているようだ。
 アキヤはこんなにも積極的だったのだろうか?
 お金を貰うためにペッティングだけはした。
 無理矢理、アキヤを犯した。
 その二回しか肌を触れ合わせていなかったから、アキヤがどんな性癖かまだ判らない。
 でも……。
 熱い吐息が首筋に触れると、海人の体も一気に熱を持つ。
「アキヤ、いいのか……?こんな俺でも……ほんとうにいいのか?」
 言っていて、かあっと頬が熱くなる。
 どう対処していいか判らなくて、ただ突っ立っていると、ぐいっとベッドに押し倒された。
「頼む……こんな……自分でも変だと思うけど……止まらないんだ……。海人に逢った途端、もう欲情しちまって…その……だから……何とかしてくれ……」
 抱きつくアキヤの体が小刻みに震えていた。
「アキヤ……」
 再度名を呼ぶと、その顔が上がる。
 そこにあったのは、あの今にも泣きそうな困惑した顔。
 ああ……アキヤだ。
 夢にまで見たアキヤだ……。
「したい……っていう気もある。海人の中に入りたいっていう気もね。でも……ぼくは何も知らない。あの時、されたことだけしか知らない。だから……海人に教えて…ほしい……」
 そのとたん、戸惑いも何もかも、全ての理性は吹っ飛んだ。
 
 アキヤを俯かせると、傷跡があった。
 薄いピンクのそこに舌を這わせる。
「ちょっ……くすぐったいんだけど……」
 アキヤの抗議の声を無視する。
 辿りたい。
 綺麗な色をしたライン。
 アキヤが体を動かすと、その傷がうねるように蠢く。
 何度も何度舐め上げ、時折つつき、そして吸い付く。
 そのラインに沿って白い肌に、朱の花びらが散らす。色が白いから綺麗につくそれがなんだか面白くて、何度も何度も繰り返す。そうしていると、アキヤの口から艶やかな喘ぎ声が漏れ始めた。
「アキヤ……?」
 呼びかけると、はあっと息を吐き出す。
 それがひどく色っぽい。
「あ、……もう………やめろ……」
 制止の声を聞く余裕なんてなかった。
 今の海人には、自分が持っている全ての技を使ってアキヤを悦ばせたい。
 その想いしかない。
 腰骨の辺りをちゅっと音を立てて吸い付く。
 その途端、アキヤの体がびくりと跳ねた。
「うっ……あ……」
 自分の反応が信じられないのだろう。
 振り向かれたアキヤの目が驚きを訴える。
「あの時……とにかく言われるがままだった……から……。こんなふうにアキヤを悦ばせることができなかった……。でも……今日はあんたを悦ばせられる。俺……それが嬉しいんだ」
 体を伸ばして、振り向いたアキヤの唇に吸い付く。
 思った以上に柔らかなそれに触れるだけで海人の雄が高ぶるのを感じた。
「ん……う……」
 ぞくりと背筋を這う震えは、全身を総毛立たせるほどの快楽を伴っていた。
「か、いと……」
 キスの合間に、アキヤが囁く。
 それにキスで答える。
 振り返る姿勢がきつくなったのか、アキヤが体をひねった。
 それを助けながら、さわさわと腰の辺りをまさぐると、アキヤがきつい視線で睨む。
 だが、その目元が赤く染まっているから、睨まれても誘われているようにしか見えない。
 その目元に軽く口づけると、首にアキヤの手が回って引き寄せられる。
 そして、キス。
 今度は舌を絡め、吸い付かれる。
 アキヤが海人の舌を引っ張り出すと、それを甘噛みした。
 ぞわぞわとした甘い疼きが下半身を直撃する。
「ん…っ!」
「海人……を、初めて見たとき、すっごく色っぽいと思った……。あの時と同じだ……。今も色っぽくて、ぼく、変になる……」
「アキヤ……」
 最初に逢ったとき?
「最初……って、あの署で……?」
「そう」
 ああ、そうだ。あの時、何でか判らないけれど、自分から声をかけてしまった。
「あの時……征に嬲られた後だったから……そうだったかもしれない……」
 あの街の事を思い出すと胸に痛みが走る。
 まだ、記憶から消すことはできない。
 海人の眉間に刻まれた深いシワと、食いしばられた唇に、アキヤは眉をひそめた。
「すまん。思い出させてしまった……ただ、あんたが色っぽいって言いたかっただけなのに……」
 アキヤの困ったようなその表情が好きだから、海人は軽く首を振った。
「いいんだ……あの時……あんただから、俺は声をかけたんだ。ひどく遠慮して、困りきって情けない表情を浮かべていたアキヤ。なんだか、あの街にひどく場違いで、違和感があって……俺は、気がついたら声をかけていた。たぶん……そのときにあんたに魅入られていたんだと思う。でないと不真面目警官だった俺が、人助けなんか……するはずがない」
「あはは……ぼくってそんな情けない顔してた?」
「そう……思った」
 だけど、気が付いたら誰よりも強い……そう思った。
「あんたって不思議だよな。そんなふうにどことなくぼおっとしているのに、敵と対峙するときは目の色が変わるだろ。しかも動きまで変わるし。どれが本当のアキヤなのか……気になった……」
「あの時は、できるだけ目立たないようにしていた。でもさ、何かあんた危なかったし……ぼくもいい加減体を動かしたかったのかも……。本当のぼくは、海人に負けず劣らず不良警官なんだ」
 くすくすと笑うアキヤを見ていると、ほっとする。
 嫌な思い出など吹き飛んでしまう。
「アキヤ……」
 ぎゅうっとアキヤを抱きしめる。
「見てみたい……アキヤの不良警官ぶり……」
「そうだな、ぼくも見せてみたいよ」
 くすくすとお互いに笑う。
「じゃあ、ぼく達ってお互いに一目惚れ、なのか?」
 アキヤの言葉に頷き返す。
「ああ……今から思えばそうだったのかも……」

 

 この体を貪り尽くしたい。
 胸の突起を口に含んで転がすと、アキヤの体がぶるぶると震える。
「う…っ!あぁん……」
 甘い声がアキヤの口から漏れた。と、同時に弱々しい懇願が発せられる。
「もう……いい加減に…しろ……よ」
 長い時間をかけてじっくり甘く責め立てていたから、アキヤが音を上げ始めた。
 腹に当たるアキヤの雄が、先からとろりと液を吐き出しているのを、ぬめる感触が教えてくれる。
「嫌だ。もっともっとあんたの反応楽しみたい」
「もう……」
 はあっと吐息をつく。
 それがアキヤの熱を伝えてくれた。
 感じてくれるのがこんなにも嬉しい。
「じゃあ、今度はここだ」
 するりとぬめるアキヤのモノを掴み上げる。
「ひあっ……!」
 途端にアキヤが縋り付いてきた。
「あ……ああ……」
 やわやわと指をゆっくりと動かして、むき出しの弱い部分を刺激すると、そのたびにぎゅっと腕に力が入る。
「いい?」
 耳元で囁くように言うと、こくこくと素直に頷き返してくる。
 その反応より、自分がこんなにも甘い声を自然に出せると言うことが驚きだった。
 やっぱりアキヤが好きだから……心の底から好きだから……そう思うのだろうか?
「アキヤ……ここ……こうして擦り上げると……気持ちいいだろ」
「あはぁぁっ」
 指先で爪弾くと、仰け反って嬌声を上げる。
 どれだけ、海人の声が耳に入っているのか……。
 固く瞑った瞼が微かに震えている。
 煽りまくった体は、ちょっとの刺激で弾けそうだ。
「だから……俺のもしてくれよ?」
 それは耳に入っていたようでアキヤがその瞼をこじ開けた。
「か…い……と……」
 その翡翠色の瞳が虚ろで焦点が合っていない。
 扇情的……だ。
 目が離せない。
「んっ」
 いきなりアキヤの指が海人のモノに絡んだ。
 びくりと跳ねそうになる体を意志の力で押さえつける。
「ああ……そうだ………イイよ……」
 つたない手の動き。
 でも、十分だ。
 それがアキヤの指だと言うだけで、海人の体の熱がどくんと上がる。
「あ…あっ……やあっ……」
 指だけで、お互いが高まる……。
「ああ……はあっ……あぁぁ…………」
「んあぁ……くっん……んっ……」
 限界が近づく。
 愛おしい……ようやく逢えた……もう…離したくない……。
「あぁっ!」
「あ、俺も……っ!」
 アキヤが達き、そして海人も吐き出した。
 
「……なあ……」
 荒い息が、室内に静かに響いていた。
 触れるだけで達ってしまった海人もアキヤもそれだけで満足したように動かなかった。
 そんな中でアキヤが呼びかけてきた。
「何?」
「ぼくな……ほんとしたくなったとき……海人の顔しか浮かばなかった。海人の泣き顔、思い出すんだ。そしたら、あっという間に達けた……」
「そ、そうなんだ……」
 アキヤにおかずにされている。
 そう思った途端、熱い体がさらに熱くなる。
「あんたの泣き顔見てみたい……って思うのって恋人失格かな?」
 アキヤの指が海人の頬を伝う。
「どうして?」
「だって泣かせてしまうことを海人にしかけるってことだろ」
「……それは……そうかもしれない……けど……」
 なんとなくアキヤの言いたいことが判った。
 アキヤは、海人に欲情しているのだ。
 でもアキヤだから。アキヤが見たいと言うのなら、見せてもいい……。
「いいさ……アキヤがするならいい……」
 手を伸ばして頬に触れるアキヤの手を取る。
 その人差し指をぱくりと口に含み舌を絡めた。
 上目遣いにアキヤを見る。
 途端にアキヤがすうっと目を細めた。
 吐息が荒くなり、その目元が扇情的に染まる。
「あんた……誘うの巧すぎ……っ」
 跳ね起きたアキヤが海人をベッドに縫いつけた。
「ふふふ……プロだから……」
「元……だろ」
「あ……んっ……」
 胸の突起に強く噛みつかれた。
 痛いはずのそこから強烈な疼きが全身へと飛散したと思ったら、一点に集中する。
「海人に仕方教えて貰ったから……こんどはぼくがたっぷりとしてあげるよ」
「あ……アキヤぁ……」
 絡まった指が焦らすように動く。
 出したばかりのそれは、あっという間に反り返っていた。
「あ……でもここ」
 アキヤの手が海人の双丘を割った時点でぴたりと止まった。
「何?」
 訝しげに問いかけると、アキヤが困ったように眉をひそめている。
「アキヤ?」
「あ、ああ……あれがある」
 そう言った途端、体の上から離れるアキヤ。
 すうっと体が冷気に晒されて、ぶるっと身震いした。
 どこに……?
 見えなくなったアキヤを必死で目で捜す。
 と程なくして戻ってきたアキヤの手に小さな容器が握られていた。
「海人……どうしたんだ?」
 再び乗りかかりながら、アキヤが首をかしげる。
「なんでそんなに悲しそうなんだよ」
「……アキヤが突然いなくなった……」
 答える声がひどく甘ったるくて、かあっと顔が火を噴きそうに熱くなった。
 俺は……こんなに甘えるような奴だったのか?
 だが、そんな海人の表情の変化にアキヤは満面の笑みを浮かべる。
「そっか……ごめん。でもこれを取りに行ってたんだ」
 嬉しそうな言葉とともに、後孔にひんやりとした濡れた感触が伝わった。
「あ……」
 ゆるゆるとその辺りをなで回す感触にぞくりと快感が走る。
「あの時、海人が使ってくれたゼリーのお陰で、ぼくはそれほど痛くなかった。でもそんな便利なもの、ここにはないから……ごめん……オリーブオイル…なんだけど……」
 オイルの助けを借りて、アキヤの指が入ってくる。
 3ヶ月の間に、少しきつくなってしまったらしいそこは、アキヤの指の感触をはっきりと伝えてきた。
「んはぁ……あ……もっと……奥……」
 ゆるゆると指の形に広げられるそこ。
「すご……海人の中収縮してる……」
「あ…まだだいじょーぶだから……もっと奥」
 ぐいっと付き入れられ、指先がすっと僅かにかすった。
「ひあっ!」
 嬌声が喉から漏れ、反り返りそうになる体を押さえつけるためにアキヤに抱きつく。
「ここ?」
「んっ」
 こくこくと肩に抱きつきながら頷く。
「…指……もっと…入れて……」
「ああ」
 ねだる海人に答えるアキヤの声も堪らないとばかりに震えていた。
 ぐぐっと押し広げられ、指が二本になる。
 そのせいでさらに奥まで入った指が、確実に前立腺の辺りを叩く。
「あ、アキヤぁぁっ!あ……」
 慣らされた自分の体の淫乱さには嫌だとは思った。
 だが、その体にアキヤが興奮している。
 だったら、それも悪くない。
「イイ……だから……もう…………欲しいんだ」
「え?でも…まだ早い……」
「いいよ……もっといっぱいオイル塗ってくれたら……はいる……だから」
 海人は生理的な涙が溢れている目をアキヤに向ける。
「入れて欲しい……アキヤを感じたい……」
 ぞくり
 アキヤの体が激しく震えたのを感じた。
 海人が腕を放すと、アキヤが海人の足の間に割り込む。
「あんた……って……ほんと、誘うの巧すぎ……」
 熱い吐息に乗せられた声が掠れていた。
 ぐいっと押しつけられたアキヤの雄の器官は、たっぷりとつけられたオイルでぐぐっと入ってきた。
 それでも一番太い部分が侵入してくる時は引き連れるような痛みに襲われた。
「あ、ああっ!」
 固く目を瞑って堪えようとするが、声は収まらなかった。
「やっぱ、きついんだろ?」
「い、いいんだ……大丈夫……だから入れて……途中の方が……辛い……」
 痛いのもある。
 だが、初めて受け入れるアキヤを感じるのが嬉しい。
「う…きつい……」
「あ、あ…アキヤぁ……」
 閉じた目の縁から涙があふれ出していた。
「アキヤ……」
「海人、入ったよ」
 言われるまでもなく、触れあう皮膚の感触で判っていた。
 だが、海人はこくりと頷いた。
 その頬に流れる涙を、アキヤが指で掬い取る。
「痛かった?海人のここ、ほんと締め付けてくれたから、ぼく達きそうになった」
「ずっとしていなかった…から……でもそんなに痛くはない……アキヤ……ゆっくりしてくれたろ」
「ぼくの見たいアキヤの泣き顔は痛みに耐えているものじゃないからね。やっぱりうれし涙が見たい」
「アキヤなら……俺は何をされてもいい」
「……っ!」
 笑って言った海人に、アキヤはうっと言葉に詰まる。
 その顔がみるみるうちに真っ赤になっていた。
「あんた……って、ほんと誘うの巧い……」
 何度目かになる台詞をため息とともに吐き出すと、アキヤは照れを隠すかのように腰を一気に動かし始めた。

?
12

「うっ……ああっ……いい…そこ…………あっああっ」
 奥を抉られ、漏らす声を堰き止めることもできないで、海人は艶やかな嬌声をあげ続けた。
 3ヶ月、何もしなかったわけではない。
 アキヤを思って一人で何度も慰めた。
 アキヤに入れたことはあっても入れられたことはなかったから、それは本当に想像でしかなかったけれど、海人を高ぶらせるのは、いつもアキヤに犯されるシーンだった。
「アキヤぁ……んくっ……うっ……もっと……っとお願い……」
「海人……ここ……いい? ……ここは……?」
 アキヤが触れるたびに問いかける。
 そのたびに頷くことしかできない。
 どこもかしこも性感帯になってしまったように、海人の体はアキヤの愛撫に淫らに反応した。
 快感に濡れそぼった雄を握りしめられ、扱かれるとあえなく達ってしまいそうで、必死で歯を食いしばって堪える。
 途端にぽろりと頬を伝った涙をすかさずアキヤが掬い取った。
「やっぱいい……海人って……ほんとぼくの心を鷲づかみにする」
 ため息混じりの声は低く掠れていて、海人の耳には朧気にしか聞こえなかった。
 もう海人自身、自分がどんな顔をしているのか判らない。
 ただ、もう欲しくて欲しくて堪らなかったモノが体の中にある。
「や……も…アキ…ヤ……はぁぁっ」
 ずんと突き上げられ、ずり上がりそうになった体を、アキヤの手で戻された。途端にさらに深く抉られる。
「海人……ぼく、もう限界だ……」
「あ、あっ……あっ……」
 アキヤの動きが激しくなった。
 海人の逸らされた喉から漏れるのは、もう喘ぎ声のみだ。
「海人……海人……海人っ!」
「あ、あああっ!」
 どくん、と胎内に迸った熱いものを海人は夢うつつの中に感じていた。
 その寸前に海人も堪えきれなかった欲望の塊を吐き出していた。
 情事の後の激しい倦怠感が二人を襲う。
「アキヤ……」
「何?」
 海人は怠い腕を伸ばしてアキヤを捕まえる。
「アキヤとだけだ……した後にこんなに幸せだって感じたのは……あの時の……アキヤが初めてだ……もう、アキヤ以外の奴らとは絶対にしたくないと……本当にそう思った……。だけど、それができないから……そう思っていた」
 海人の目から大粒の涙が溢れる。
 もっとよく見ていたいのに、アキヤの顔がぶれてよく見えない。
「だから、アキヤが来てくれて本当に嬉しかった。ありがとう……助けてくれて」
「言ったじゃないか。ぼくはもうずっと海人に魅入られていたんだ。ぼくはお気に入りをみすみす他人に渡すほど、人ができていないんだ。だから海人を手放すつもりなんかなかった」
「俺……良かった。アキヤに逢えて……ほんとに良かった……」
「ああ、もう……そんなに泣くなよな。じっとしてきりっと立っていたら、ほんとに格好いいのに、そんなふうに泣かれたら、もうめっちゃ色っぽくて……可愛くて……もう、もう一回したくなる」
「いいさ……アキヤなら」
 くすりと笑う先のアキヤが泣きそうな表情を浮かべる。
 困ったときに見せるその顔が海人にとっては、よっぽど可愛く見えていた。
「ああ、もう……そんなふうに言われたら、我慢なんか吹っ飛んでしまう」
 ちゅっと音を立てて額にキスをされ、海人はかあっと顔を赤らめた。
 だが、どこにも邪魔をしたがる奴はいるもので……。
「アキヤあ!アキヤっ!てめっ、仕事中に何で部屋帰ってんだよっ!隊長がカンカンだぞっ!」
 ドアの外からどんどんと叩く音ともに、聞こえてきたその声に、アキヤはがばっと跳ね起きた。
「やば……」
 むうっと眉根を寄せてドアを睨みつけているアキヤに、海人はくすりと笑みを零した。
「いいよ。仕事行ってこいって……。さぼった罪でまた逢えなくなったら困る」
「う……っ。そうだな……。でもぼくが帰るまでは待っていてくれ」
「ああ」
 笑いながら頷くと、アキヤががばっと海人に抱きついてきた。
「ああ、もうあんたって……誘い上手なんだから……」
 今にも押し倒しそうな勢いのアキヤを海人はわざと冷たく押しのける。
 もうしばらくは真面目にしないと、また離ればなれにならされたら困るから……。
「仕事……ほら、早く行かないと、今にも蹴破られそうだ」
「ああ……」
 がっくりと項垂れるアキヤを手伝って海人は服を着せた。
「帰ってくるの、待つよ。でも今日中には戻りたいから……早めに帰ってきてくれるよな」
「あ、ああ、もちろん……」
「また、逢える。嫌って言うほど」
「ぼくは四六時中一緒にいたい……」
 真摯な瞳のアキヤに海人は困ったように首を竦めた。
「こらぁ、さっさと出てこいっ!」
 甘いムードをぶちこわす怒鳴り声に、アキヤははあっとため息をつくと海人から離れた。
「じゃ、行ってくる」
「ああ、行ってらっしゃい」

 どんという激しい音ともに開け放ったドア。
 その向こうに飛び出ながら、アキヤが叫んでいるのが聞こえた。
「クレスタっ、覚えてろよっ!」
「さぼるなら、巧くやれってんだよ。隊長の目の前でどうどうとバックれるんじゃない。2時間の猶予をもらっただけでも良しとしろっ」
「足りるか、2時間でっ!」

 その声はあまりにも大きくて室内にいる海人の耳まではっきりと聞こえた。
「……あのバカ……」
 不真面目警官……。
 その言葉に思わず納得してしまっていた。
 さぼったせいで居残りを命じられ、アキヤが部屋に戻ったときには、もう海人を送らなければならない時刻だった。
「う?」
 唸りながらドアを開けたアキヤの目に飛び込んだのは、たくさんの人。
 思わずそこに立ちつくす。
「これは……」
「よお、おかえり、アキヤ」
 同僚のクレスタの姿を見つけ、はっと我に返った。
 その隣に、海人がいる。
「クレスタ?、これはどういうことだよ」
「え?みんながアキヤが助けた彼を見てみたいっていうからさ」
「だからって……こらっ、お前ら海人は見せ物じゃないっ!」
 海人の周りにいる同僚達を押しのける。
「海人、大丈夫か?」
「あ、ああ、平気だ、このくらい」
 にこりと海人が笑うと、きゃぁーという嬌声が上がる。
 おい……。
「もう、海人は帰らなきゃならないんだ。いい加減に帰れ」
「あ、じゃあお見送りだ」
 途端に全員が一斉に立ち上がる。
 それを見てアキヤは盛大にため息をついた。
 どうやら、もう一回はどう足掻いて無理なのだと、がっくりと項垂れる。
「アキヤ……そろそろ帰るよ、本当に」
 海人に促され、アキヤはのろのろと頷いた。
 ダイレクトハイウェイに乗れば僅か30分。
 それが今は海人とアキヤの距離だった。
 研修が終われば、配属先が正式に決定する。
 ずっと希望先の欄は空欄だった。
 だが、今ならそこに記入できる。
 第一志望も、第二志望も……第三志望も……。
 全て、ドドナ警察署だ。
 それ以外に書くところはない。

 左耳に触れれば、そこには二つのピアスがある。
 一つは身分証でもある海人のピアス。
 ここに来て、このピアスがそんなにも重要な意味が持つのだと知って驚いた。
 このピアスは、特殊なチップが組み込んであって、オリンポス内の鍵としても活用されるのだ。このピアスと反応しないドアは開けることができないし、侵入すれば、即座に警告される。
 正確にはメモリーガードとも呼ばれ、敵に捕まったときなど、機密事項の記憶の消去まで行うことのできるピアス。
 二つともなくせば、アキヤはオリンポスに戻るまでそういった記憶を無くすところだった。それなのに、その大事なピアスの片方をプレゼントだと気軽にくれたアキヤ。
 二つの同じ形、同じ色のピアス。
 本人のモノでないピアスは明らかに色が曇るのだそうだ。
 だから、どうしても二つの差は出てしまう。
 でも、だからこそアキヤのモノだと判るピアス。
「アキヤ……ありがとう……」
 もう何百回も呟いてきた。
 それが今日、ようやく直接言えた。
 体に触れたアキヤの感触は、未だに残っているようで、それを思い出して海人は赤面する。
 いつか……必ずアキヤとともに仕事ができるように、今は頑張る。
 あの街のことを思えば、どんなことでも頑張れる。

 

 ヘーラでの研修期間が終わる。
 アキヤと再会してから3ヶ月が経っていた。
 その間に、逢えたのは3回。
 話を聞くと、アキヤはドドナから出ることを許されていないらしい。
 だから、海人が尋ねるしかないのだ。
 だが、研修中の身ではそうそう自由がきかない。
 それもようやく終わった。
 待ち望んでいた辞令も受け取った。
 

『伊月海人(いづき かいと)
 配属先:ドドナ警察署』

 ほとんど忘れかけていた本当の姓に戻った海人。
 その名で、アキヤの元に行く。
 姓を変えたことをまだアキヤには言っていなかった。
 だから、新人の名を聞いて別人だと思うだろうか?
 それも面白いかな、と思う。
 アキヤの困った顔は大好きだ。
 驚く顔も好きだ。
 何もかもが好きだから……。
 
 それから1年も経たない内に、アキヤと海人はドドナ警察署の迷コンビとして名をはせるようになった。

【了】