【淫魔 狂(きょう) 躾】  前編

【淫魔 狂(きょう) 躾】 前編

闇の中、鈴の音が響いていた。
 最初はたいそう短く、聞き耳を立てていなければ気がつかないほどに一瞬で途絶えたけれど。
 次に鳴った時には十分気がつくほどに長く、さらに鳴った時にはもう途絶えることなく鳴り響いていた。
 高く響く音は澄み、深い森の奥の奥まで染み通るように響いている。
 けれど、その音を耳にした獣達は、みな一様に不快げに頭を振り、苛だたしげに鼻を鳴らした。 高く、低くなればまた高く。
 速くなれば遅くなる。
 そのリズムが無茶苦茶なのだ。
 常ならば生き物の営みの音しかないこの森では、それは異常な音としか言いようが無かった。
 そんな人里遠く離れた、獣道程度しかない森の奥なのだ。
 だが、そんな場所に古風な屋敷が1軒だけ存在した。
 それこそ、何も知らぬ者が目にしたら、狐狸妖怪にだまされたか、と信じてしまいそうなほど、ぽっかりと存るのだ。
 だが、触れれば確かに存在するその屋敷は、決して幻などではない。
 今、心地よさげに酒を嗜んでいるそれが、一夜にして建てた代物だ。それも、はるか昔1000年は昔の出来事だ。
 屋敷は今やすっかり森に馴染んだ色をしているが、それでも異形であることは変わりない。
 何しろ、それを建てたモノもまた異形なのだ。
 それの名は黄勝(きしょう)。
 生まれながらにして鬼であった彼が幾度かの転生のすえに獲得した力は、黄勝という名のもとに第二位の地位を得るまでに及んでいた。これより上など望んでも無理な地位であるが故に、今はその力を維持し、転生の力が足りない係累を繁栄させることに力を尽くしていた。
 この屋敷はそんな黄勝のお気に入りの場所で、時折やってきては酒を嗜み、くつろいで英気を養っているのだ。
 丁寧に手入れされた屋敷は、綻びたところなどどこにもない。
 巨木が取り囲んでいるために空も見通せない深い緑の地は、はるか昔に黄勝の今の体を得るための苗床を住まわせた場所だ。この地はそんな黄勝の転生にとてもよく役に立ち、今でもここにくると力がみなぎるような感覚がある。
 神聖な──と人であれば思うだろう自然の力が、ここでは特に強くあるからだろう──と黄勝は解釈していた。
 そんな閑かな土地で。
 鈴が大きく鳴り響いた、と──。
「ぁ、ぁ──」
 ねとりとした掠れた声で、何かが啼いた。
 庭と障子一枚隔てた座敷で、片膝を立てて座り込んだ黄勝がふっと口角を上げる。
「ひぃ──あぁ──!」
 鳥の声とも違う、けれど啼き声には間違いなく。
 衣を裂く音が鼓膜を震わせ、体の芯を疼かせる音が肌にまとわりつき、うなじを撫で上げる。
 今や鈴に負けじと大きくなったその啼き声を、薄目を開けて聞き入る黄勝の手には玻璃の盃が握られていて、芳醇な香りを放つ酒が注がれていた。
 波立つ液面からふくいくたる香りが座敷内に漂う。
 その香りに誘われ口をつければ、舌先から肺の中まで素晴らしい芳香に満たされるほどに、極上の大吟醸酒だ。
 係累の中で酒造りに長けた者が作る献上されたばかりの一品で、時間をかけて熟成した大吟醸のもっとも良い部分だけを抜き出したものだ。
 鬼は、アルコールでは酔わない。
 ただ味を嗜むだけしかできない。
 けれど、今はその啼き声が、黄勝を深く酔わせる。
 極上の味に心地よい酔い。
 こんな最高の酒は初めてだとばかりに、じっくりと味わう。
 障子の外から鳴り響く、狂乱の音楽はいつまでも止まらない。
 気に入りの屋敷で極上の酒と音楽に酔った黄勝は、あと僅かになった酒を眺めて、名残惜しげに肩を竦めた。
 一升瓶を開けた時には、まだ夕闇が迫る時刻で、今はもう深い闇の帳が森を覆い尽くしている。
 小さな盃では、一度に飲める量は限られていても、それでも、飲んでいけばいつかは空になるのは当たり前で。
 最後の一滴まで惜しむように、盃に滴が落とされる。
「あ──っ、ぎい、ひぃぃぃっ!!」
 そとの音楽も最高潮とばかりに、鈴の音と啼き声が入り交じる。
 リーンッ、リリリンッッ、リリリ──ンッ!!
「いやぁぁぁぁ──ぁぁっ、たぁ──てぇぇぇっ、やあっ、んああっぐふぅぅっ!!」
 苦しげな呻き声の時は、言葉が混じっている。
 それが、さらに黄勝を嬉しがらせる。
「善い声だ……」
 うとりと呟き、目を閉じて聞き入って。
 最後の盃をゆっくりと味わって。
 その肉厚な唇から満足だとばかりに大きく息を吐かれ、コトリと盃が傍らの盆の上に置かれた。
 障子の外から響く音は、酒が無くなっても止まることはない。いや、先よりさらに大きく、激しくなり、複数の唸り声と草や梢が荒らされる音もするようになっていた。
 室内で発生する音は、黄勝の衣擦れくらいしかなくて、その分大きく響く外の音は、静けさを好むモノなら怒り心頭になるべきものだというのに。
 黄勝の面に浮かぶのは、愉しげな笑みだけだ。
 そんな彼が立ち上がり障子を開け放つと、とたんに音が大きくなった。
 何も知らない者が聞いたとしても、その音の正体がはっきりと判るほどに聞き取れるだろう。
「んっぁ──ぁ、ひぎぃっ!」
 絶叫に近い悲鳴であるそれに、芯を疼かせる甘い声が混じった。悲鳴と嬌声の競演は、けれど、良く聞けばたった一人の声でしかない。
 その啼き声に、重低音の獣でしかない唸り声が重なった。激しく争っているのか枝が折れ、風が不規則に鳴る。鈴の音も複数で、高く大きく鳴り響いていた。
「んくっ、う──っ、あああっ」
 それは、庭の奥の方から聞こえていて、縁からは見通せない。
 障子の外に広がる庭は森の木立を利用していてとても広い。苔蒸した庭の飛び石の先は見えず、太い自然のままの木々が空を覆い隠すほどに伸びていた。木立に囲まれて見えない柵は、屋敷の周囲をぐると囲っており、棘を持つ雑木でできいる。その棘は鋭く、跳躍でもしない限りは、侵入できない。
 音は、そんな庭の柵に近い大木から響いていた。
「ひぐっぅ──、うぁ──、あ……も、もお、だめぇっ」
 縁側から降りた黄勝が、ゆったりと庭を横切っていく。近づけば近づくほどに、音は大きくなり、何を言っているのか良く判るようになった。
 今、どんなふうに嬌声を上げ、悲鳴とともに悶えているか、想像するだけで黄勝の笑みは深くなる。
 一際大きな幹を回り込むとその啼き声の主が目に入った。
 黄勝が両手を回してなんとか届く、苔むして蔦も這う焦げ茶色の幹に、白い色が絡まっていた。
 その姿を見て取った黄勝の笑みが、先ほどまでの穏やかさから一転、酷薄なものに変わる。
 愉しげな様子は変わらないけれど、その人ならざる瞳に、昏い歓喜の炎が浮かび上がった。
「狂(きょう)……」
 低い、けれど有無を言わせぬ強い呼びかけに、それが反応した。
 空中に浮かんだ体は地面と水平に俯せになっていて、両の足で幹を挟んでいた。その頭の部分がぴくりと動き、視線が黄勝へと向けられる。
 月明かりでかろうじて把握できる表情は虚ろに崩れ、完全に呆けていて、目の前の黄勝が誰かも判っていない。
 ぽたりとその口の端から涎が落ちると同時に、幹に密着した股間から垂れ下がるペニスからもまた、ポタリと糸を引いて粘液が落ちた。その粘液の糸が、彼が揺れる度に至る所に伸びる。
「ひっ、いぃぃ!、ああぁ──っ!!」
 一瞬黄勝に向けられた瞳が固く閉じられ、掠れた悲鳴と共に、体が激しく仰け反った。
 与えられる刺激を享受するしかない彼は激しく身を捩り、甘さが混じった悲鳴を上げながら、夜目にも鮮やかに全身を欲情の色に染めていた。
 空中で四つん這いになった人の姿は、白い肌故に暗い森の中でも茶色の木立に囲まれてよく目立つ。
 衣服の代わりのように全身を締め上げた荒縄が周囲の木立に伸びていて。その複数の荒縄が不規則に引っ張られるために、空中で体が踊りまくっていた。
「も、やぁ──、ゆ、ゆる、してぇ……ああっ」
 飛び出した藁の繊維が肌を傷つけていて、荒縄で擦れるところは真っ赤になり、特に力がかかる腕や足の部分は血が滲み腫れていた。
 荒縄は5本。
 狂の体を空中で支える胴体や大腿に巻かれた2本に、体を前方へと引っ張るために脇や腕とに巻かれた1本。
 さらに後方へと引っ張る足腰に巻かれた2本があって、その足に巻かれた荒縄は、左右それぞれの足を大きく割り開くように引っ張っている。大木を大腿に挟み、尻の狭間から会陰までをも、きつく幹に押し付けるようにだ。
「うああぁ、おっき……、う、うごかっ──やああぁっ!」
 足腰を引っ張る荒縄と前方を引っ張る荒縄は、それぞれ周囲の枝を渡されて、そこから1メートルほど下に伸びていた。その先端にはそれぞれ見るからに力の強そうな大型犬が1頭ずつ計3頭の体についたハーネスに括られている。
 ボス犬である土佐犬と2頭のシェパード犬は、通常よりも体格が良い。その3頭がやたらに興奮して暴れまわっていた。
 鳴き声など上げないように訓練された闘犬だが、微妙な距離のせいで相手を攻撃できないことにひどく苛立っていて、繋がれたまま何度も他の犬に飛びかかろうとしている。そのたびに、荒縄が激しく引かれ、ひいては狂の体を強く引っ張る。
 左右の足は後方へ、体を前方へとランダムに引っ張られるせいで、狂の体は空中で踊っているように揺れていた。
 そのたびに、熟れて腫れ上がった乳首にぶらさがる大きな鈴がちりんちりんと鳴り響く。鈴はペニスにもつけられていて、ぶらぶらと揺れては一際大きく鳴り響いた。
 それらの音がさらに犬たちを興奮させるから、狂の体はいつまでも揺れ動くばかりだ。
 しかも狂の股間には幹があって、左右に揺すられ、後方へは引っ張られるがそれ以上は動かない。前進するも、せいぜいが10cm程度だ。
 けれど、その僅かな動きのたびに狂は喉も裂けよと言わんばかりの悲鳴と──そして明らかな嬌声を上げて、身悶える。
「ひ、やああっ!!」
 犬が不意に方向転換したせいでいきなり縄が緩んだ。とたんに体が前方へと動き、尻の狭間からずるりと濡れそぼった瘤が、赤い肉壁を纏い付かせながら現れた。
 瘤の根元は、白く泡立った粘液状のもので覆われていて、たらたらと垂れ落ちている。
 10センチ近い根元には凸凹とした小さな瘤が重なり、そこから6、7センチ近い径を持つ枝が飛び出していて狂の肉を貫いていた。揺すられる程度の動きでは抜けやしない。
 しかも、幹と同じくひび割れたゴツゴツと固い表皮を持っていて、それが狂の肉壁を激しく抉るのだ。
「んぎぃ──ぃぃっ」
 犬がケンカ相手につっかかれば、体は後方へと──幹へと押しつけられる。
 濡れた音をたててアナルが太い根元までをも銜え込めば、甲高い嬌声が迸った。限界まで伸びきったそこは狂にはひどく敏感な性器だ。柔軟に異物を銜え込み、それがもたらす刺激を全て快感へと変えてしまう。
「美味そうに銜えている」
 くつくつと嗤いながら評する黄勝の言葉は誰も聞いていない。狂とて、与えられる刺激に意識など飛びかけているのだ。だが、たとえいたとしても誰も否定などしないだろう。
 深く銜え込んだ拍子に、狂のペニスが縛られているにかかわらずびゅっびゅっと僅かな白濁を噴き出し、下の鈴を淫らに染めているからだ。
「涎を垂らすほどに美味いか、なあ、狂?」
「あ、あ……、き、黄勝……さまぁ──」
 虚ろな視線が、黄勝の言葉に焦点を結ぶ。
 二時間程前、黄勝を怒らせた狂は、彼によってここに縛られた。
 この体勢がどんな意味を持っているか、その時の狂には何も判らなかったけれど。
「た、たす……けて……、きしょ……もおっ、ああぁぁ──っ」
 戒められた腕は伸ばすことも適わず、ただ、視線と言葉だけで懇願する。だが、犬の動きは唐突で、全てを言わせない。
 髪を振り乱し、痛みと快感に我を忘れて泣き叫ぶしかない。
 前後に揺さぶられてズボズボと音をたてるアナルは、人ならばとっくの昔に麻痺して使い物にならなくなっているだろう。
 だが、狂は淫魔だ。
 刺激全てが快感になる体で、しかもその体は学習する。
 痛みを快感にするために、どんな体であれば良いか?
 貪欲に快感を喰らうための体に、淫魔は己を作り替える。そして、黄勝もそれを助けるための手助けを惜しまない。
「い、いやぁあ──っ!」
 人ではない生き方を狂は望んでいない。明らかに嫌悪しているというのに、狂の体は容易く裏切る。
 それがまた黄勝を愉しませると判っていても、受け入れられないものは受け入れられなくて。
 それも黄勝の企みの一つだと気づかずままに、逆らい罰を受けて、狂の体を進化させる。
「ぎぁっ! ぐひぃぃ!」
 体が揺れる。
 中を穿つ枝は、前立腺を突き上げ、肉壁を捻り、激しい痛みとと共に意識が飛ぶほどの快感を狂に与えた。
「踊れ、もっと踊れ。好きなだけ快感を喰らえ。好きなだけ達け。今日は過ぎるほどの快感を与えてやろう。お前が反省し、私の命に従うまでな」
 それは人の心を持つ京自身にしても、淫魔の狂にとっても、罰だ。
 いっそ狂えば楽なのだが、狂わないように名前の中に言霊が封じ込められていて無理だ。しかも狂は知らないが、黄勝の暗示は京の頃の人としての倫理観を強く残させている。そのせいで、性的に嬲られることを、京は受け入れられない。どんな快感であっても、心の中では嫌悪感に満たされる。
 さらに、生き物ではないものに犯されることは、淫魔にとっては罰だった。木は生命を持ってはいるが、動物ほど生気に満ちていない。それどころか自ら動いて生殖活動をしない植物の精気は特に弱い。淫魔が得る快感は食事でもあるが、同時に精気が入ることが前提なのだ。
 精気は食べた食べ物もエネルギーに変える。
 狂が、媚薬となった体液で人に活力を与えるだけの力を持つのは、その非常にエネルギー効率の良い精気を使っているからなのだ。
 だが、玩具や植物からの快感は淫魔の体を消費させるだけだ。快感に狂い、快感を貪りながら、その体力は削られる。だから、今の狂は疲労困憊で、歓喜に貶める快感が苦痛に近い。
「あっ、くはぁぁっ!」
 辛い姿勢に体が軋んでいた。
 アナルもやたらに枝や瘤に絡みつき、軋みをあげる。いつもなら無尽蔵に溢れる粘液がつき始めていた。
 狂の体が、限界まで近づいているのだ。
「た、たすけ……て……」
 快感が薄れる。
 そうなれば、痛みばかりになり、その痛みに泣き喚く。薬で狂った男達を相手にし続けたときとは違う苦しみに、涙が飛び散る。
「何故? これはお前が望んだことだろう?」
 嗤う黄勝の言葉に、狂は首を振って返した。
 快感に咽び泣き、嬌声と悲鳴が繰り返しながら、辛いと助けを求めて。
 死にたい──と願うのは正気の時。けれど、快感と苦痛、そして疲労に犯された頭は、生きようとする本能でしか動かない。
「た、たすけ……て、許し……。言うこと、聞きます。おねが……」
 その言葉に、黄勝の口の端が上がる。
 ここに連れてきた時、伝えた命令を狂は拒絶した。
 イヤだと泣き喚き、逃げようとした。
 だからこその罰だったけれど。
「したが……ますっ、ああっ──、いやあぁ──助けてっ!!」
 犬がまた激しく暴れ出した。
 鈴が大きく鳴り響く。
「淫魔の精が犬を興奮させるようだ。このままでは、お前の手足を引きちぎるかもな」
 屈強な闘犬は、数時間の激闘でもまだまだ元気だ。
 もともと黄勝の実験成果であって、子を成す力はないけれど鬼の遺伝子を埋め込むことに成功した犬だ。そのせいで、体力だけは有り余るほどある。当然、力も強い。
「そろそろこの興奮剤でも打ってやるか。疲れているようだし」
 実験場で男達の持久力を向上させるのに使う興奮剤を目の前にかざせば、狂の瞳が大きく見開かれた。
 狂は、それがどんな効果をもたらすか良く知っているのだ。
「あ、ぁっ──それ……ひあ──っ、お、お願い──しますっ、許して、ゆるしてぇぇっ!」
 悲痛な声で、動かない体で必死で黄勝に縋り付こうとする。
「たす──て、従い、ますからっ、犬でも何でも……、何でもしますからっ!」
 この興奮剤を打った男達は果てることをしらずに、狂を貪った。
 狂の媚薬の効果も作用した体は何一つ飲食することなく一週間、死ぬ瞬間まで狂の体を貪り続けた。そんな男達のペニスは死んでなお勃起したままで、狂を恐怖のどん底に陥れながら、精液を拭きだしていたのだ。
 その恐怖を思い出し、狂は許しを請うていた。
「何でもします。もう、……も、逆らい、ませっ──だからっ」
 その言葉の意味など深く考えずに、今の苦痛と恐怖から逃れるために。
「何でもするか、そうか」
 黄勝の笑みの意味など、気づきもせずに。
「た、すけ……何でも、逆らいません……だから──あっ、あひっぎぃ」
 ドン、と股間が幹に叩きつけられ、狂の体がぴきっと硬直した。
 大きく口を開いて涎をだらだらと流し、白目を剥いている。
 それが快感のせいなのか苦痛のせいなのか、傍からみても判らない。
「ならば、今から仕切り直しだ。ようやくここに来た目的である実験ができるな」
 満足そうに頷いて、ひくひくと痙攣している狂の体をぺちぺちと軽く叩き、その体を下ろす準備を始めたのだった。


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