【居場所】

【居場所】

 この国に風南が捕らわれて三年の月日が経っていた。
 風光明媚な庭を持つ城の、ごく僅かの範囲しか知らない風南だが、ラカンの季節も美しいと感じる余裕ができていた。
 最初の時ほど客が来ることもなく、その分接待役としての責務は少なくなっている。だが、ムルナの躾は相変わらず厳しく、召使い達の行為は体が壊れるかいうほどに激しい。
 そんな風南の唯一の憩いの時が、夜だ。
 マサラへの朝一からの奉仕をするために、夜間は休ませて貰える。
 朝が来ればまた陵辱の時が来るけれど、それでも汚れた体を清めることができるうえに、一人になることができる。
 檻にしか見えない風南の部屋は、昼間には見せ物小屋のように扱われることもあるけれど、それでも、三年も過ごせば馴染んでくる。
 その粗末な寝具にももう慣れた。
 こびり付いた汚れを落とし、夜着を来て潜り込むとホッとする。
 明日になれば今と変わる日が来るのでは、という淡い期待はもうずいぶん前に費えていた。
 目覚めれば、何はさておいてもマサラに挨拶に行かなければならない。けれど、それまでは……。
 この幸せな時間をもっと味わいたいと願うけれど、疲れ切った体はすぐに温もりの中に落ちていく。
 檻の中から聞こえるのは、子供のように丸まった風南の寝息だけだった。


 いつもと変わらぬ朝だと疑いもせずに目覚めた瞬間。
 激しい違和感に襲われた。
「……ここは……どこだ?」
 真正面に見える天井が違う。
 無粋で冷たい金属製の天井と床、歪な形の鉄格子で彩られた風南の部屋は、まさしく檻。
 けれど、きょろきょろと辺りを見渡しても、鉄格子も金属の天井も無かった。
 ごく普通の壁紙で彩られ、普通にカーテンがはためく部屋。質素とはいえ飾り棚のような家具すらある。
「どこ……だ?」
 目映い陽光が窓から降り注ぐ。
 その明かりの色も違う。
 風南の部屋に入る明かりは、窓が遠いせいで少し暗い。だが、この部屋は窓が近く、すぐそこに緑の庭が見える。
 夜中の間に移動させられたのだろうか?
 ならば何か新しい事が起きるか?
 それが決して良いことには思えなくて、風南は眉間に深いシワを寄せながら身を起こそうとした──が。
 ちりんっ、ちゃりん──。
 すぐ近くで澄んだ音色が響くと同時に、ぞわりと胸から甘い疼きが走った。
「ん……、えっ?」
 堪らずに手で触れたとたんに走った違和感に、びくりと体が震えたその拍子に、またチリンチリンと音が鳴り響く。
 その音源に手のひらが触れる。
 固い、けれど体温に馴染んだ代物。
 いや、それ以上に──。
「な、何──っ、これっ……」
 最大の違和感であるそれを視界に入れたとたんに、全身が激しく戦慄いた。
 信じられないとばかりに見開かれた瞳に映るのは、確かに自分の胸なのだろうけれど。
 触れようとする指が震え、確認したいとのに触れることができない。
 昨夜まで、腹が見えぬほどに膨らんでいた胸。吸い出して貰えねば、だらだらと節操なく乳を零す乳首は、卑猥に伸びきってぶら下がっていた。
 それが無い。
 あの乳房と乳首が無い。
 その事実に、胸の内に激しい歓喜が生まれ出でて──だが、一瞬の後に、その歓喜は一気に消え失せた。
 いつもの乳房と乳首の代わりにあるものの正体に思い至ったからだ。
「……にい、さま? 樹香兄様……の鈴?」
 兄弟の中でただ一人、この国に捕らわれてからも姿を見ることが叶う兄の、その胸に飾る鈴と同じ物なのだ。今ここにあるのは。
 しかも、乳に触れようと上げた手首には継ぎ目が見えない輪。
 鎖が取り付けられる金具も、そこに付いている鈴も、また兄の物と同じ。
「や……な、なんで……」
 起こした上半身から、寝具の布がずり落ちる。
 露わになった引き締まった体は、もとから華奢な風南よりは骨太で、陽にも焼けている。
 外での遊びが多い樹香は、確かに風南よりは良く日に焼けていた。
 さらに布が腰まで落ちて、それ以外は何も身に纏っていない体が露わになった。
「な、何で──これ、樹香兄様の……、兄様の……、何で?」
 ぶるぶると震える唇が、兄様と何度も呟く。
 その瞳が、見つけたくもない物を見つけてしまう。
 父王に似た男らしい骨格を持つ兄の陰茎に付けられた枷と、鈴口の飾り。
 僅かな身動ぎでも澄んだ音色をたてる、他よりも大きな鈴が、風南が動くたびに鳴り響く。
「や、何で……、私が、何で……兄様は、兄様はどこに」
 震える手が顔にも触れる。
 昔は長かった髪が今では短く刈られている。骨張った顔は、丸みのある風南の顔とはやはり違う。
 鏡があれば──否、鏡など見なくても、風南にはこれが樹香だと判ってしまっていた。
 今風南が自分の体として動かしているのは、樹香なのだ。
 しかも、今の樹香。キスカに玩具として扱われている、性奴隷の樹香。
「や、いや、だ……」
 男に戻りたかった。
 男の体になりたかった。
 神などもういないと諦めていたけれど、それでもマサラが気まぐれを起こして戻してくれないかと期待することは止められなかった。
 けれど、これは違う。
 あくまで風南は風南に戻りたかったのだ。
 性奴隷のカザナではなく、ジュカでもなく、風南として。
 けれど、イヤだと首を振るたびに鈴が鳴る。
 鈴の振動が、乳首や亀頭に響き、そこから甘い疼きが広がっていく。
 じわりと、アナルが濡れるのを感じた。
 性的興奮により腸液が出て来るまでに調教された体が反応する。
「嫌だ──こんな……何で……」
 ガクガクと風南の体が震えだした。
 端正な顔が蒼白になり、震える手が己の体を抱きしめる。
 怖かった。
 一体何が起きたか判らないけれど、自分が樹香になってしまったということが、ひたすら怖かった。
 風南が樹香になってしまっているのなら、これから先の主人はキスカになってしまう。
 マサラなら何をされるのかもう判るようになっていたし、どうすれば機嫌を損ねないようにできるかもある程度は学習できていた。
 だが、キスカは判らない。
 たくさんの客の相手を樹香にさせ、薬で狂わせ、獣と交尾させる。
 かいま見た風景はどれもがひどいもので、快楽だけでない行為に、樹香の体はいつも傷ついていた。
 白い肌に走る赤い鞭の痕。
 牙や爪に傷つけられたかさぶたが、いつまでも取れていなかった。
 あんな傷が、痛みが、たくさん与えられるだろう。
「ど、どう…しよう……」
 激しい恐怖にこのままどこかに逃げ出したくて堪らなくなる。
 激しい恐怖に後押しされて、震えて力の入らない手足が、それでも動こうとした時。
「うるさい」
 背後からかけられた叱責に、体がびくりと震える。
 近かった。
 気配など感じなかったのに、今はもう声の主がとても近い場所にいるのが判った。
「あ……あ……」
 体ががくがくと震える。
 震えが激しくなると鈴の音も激しくなった。
「無駄鳴きするな」
 苛立ちを含む叱責に、なんとか震えを止めようとするけれど、止まらない。
 そのうちに、背後から伸びてきた手が、乳首の鈴に触れてきた。
「あれだけ躾けたというのに、まだ無駄鳴きするんだからな」
「ひっ、ぎぃっ」
 激しい痛みが乳首から脳髄まで走る。
 ぎりぎりと乳首が千切れそうなほどに引っ張られていた。貫通した穴が、大きく口を開いている。
「あ、あひっ、いぃぃ」
 あまりの痛さに、謝罪の言葉も紡げない。
 ただ、背後のキスカに視線を向け、許しを請うように見つめるだけだ。
「どうした、痛いのも好きだろう?」
「あ、や……う……うぅっ」
 言葉が出ない。
 ただ、違う、とだけ言いたいのに、口が動かない。
 ひくひくと唇を戦慄かせ、溢れ出た唾液が顎に伝う頃になって、ようやくキスカの手が離れる。
 ちりんっ
 一際大きな音をたてて鈴が鳴るのを、慌てて手で押さえた。と同時に、声が漏れそうになって、慌てて唇を噛み締める。
「ひっ──くぅっ」
 乳首に指が僅かに触れただけで、飛び上がりそうなほどの痛みが走ったのだ。
 その手がぬるりと滑る。
 滲み出た血液が、指の間を伝わり、ぽたりと寝具の上に落ちていった。

 
 しばらく風南が痛みに耐える姿を堪能していたキスカだったが、不意に思い出したように手を離した。
 がくりと崩れた体を両手をついて支え、はあはあと肩で大きく息をする。
 もう終わったのか、と甘い期待を込めてキスカの動きを見守っていたけれど、彼はすぐに手綱を持って戻ってきた。
「ジュカ、今日は天気が良いから散歩をしよう」
 さんぽ……?
 とっさに何を言われたか判らなくて、動けなかった。
 頭の中で、ジュカがされていたことを思い出す。
 しばらくして、それが庭で四つ足で歩かされていたことだと思い当たった。
「あ、は、はい……」
 あの苦しい格好で歩かされるなんて──と思ったが、しなければ何をされるか判らない。
 さっき皮膚が裂けるほどに引っ張られた乳首は、いまだにじんじんと疼いているのだから。
 だが、慌てて動こうとした風南に、キスカが訝しげに首を傾げた。
「……今日のジュカは、せっかくの躾を忘れてしまっているようだな」
 ぎくりと動きが止まる。
 何か拙いことをしたのだろうか?
 慌てて彼の様子を窺うが、一体何を失敗したのかが判らない。
 これがマサラやムルナならまだ少しは判るのだが、キスカでは無理だ。
 おろおろと戸惑う風南に、キスカがニヤリと片頬を歪めた。
「なるほど、ひさしぶりにいろいろと躾けて貰いたい──ということなんだな」
「ひっ、ちがっ、違──すっ、申し、わけありませんっ、……そんな」
「うるさいっ」
 躾などと言われて、慌てて謝罪の言葉を繰り出そうとした風南に叱責がぶつけられた。
「無駄吠えはするなと、言いつけておいた筈だっ」
「えっ……」
「無駄に鳴くな、無駄に吠えるな、常にそう言い聞かせて、最近は良い子になったと思っていたというのに」
 無駄鳴き、無駄吠え。
 さっきからうるさいと言われ続けていたこと。
「うるさい子は、躾がなっていないということだからね。しょうがない、今日は躾直して上げるよ」
「あ、や……」
 キスカに睨まれて、言葉が出なくなる。
 恐怖が大きいから。
 それもあるけれど、だが、それだけが理由でないことにようやく気が付いた。
 うるさい──と躾けられてきた樹香は、言葉を使わなくなっていたのだ。
 まるで躾けられた犬のように。
 キスカが好むペットとして。
「おいで、ジュカ。久しぶりの躾となると、記録に残さないとね。そろそろ次の映像が欲しいという客達もいることだし」
「い、……や……」
 制止しかけて、慌てて口を噤み、首を振る。
 けれど、今度は鈴が乱雑に鳴り響いて、じろりと睨まれる。
「どうしたんだろうね、あんなに良い子だったというのに」
 わざとらしく零されるため息が怖い。
「ガガがいた頃に戻ったみたいだよ」
 じとりと睨め付けるその視線が怖い。
「まあ、今日はたっぷり時間があるから、いつまでもつきあってやるよ。ジュカが良い子になるまでな」
 首にかけられた鎖が締め付けられる。
 苦しいそれに歪む頬に、涙が流れ落ちる。
「可愛いジュカ。君のために躾て上げるんだから、早く良い子に戻るんだよ」
 優しげな物言いが堪らなく怖かった。