【漫ろ心(そぞろごころ)】 番外編 家城side

【漫ろ心(そぞろごころ)】 番外編 家城side

「あれは……辛いよね」
 コンピュータールームを笹木に明け渡した啓輔たちの荷物を、家城が運んでいる最中だった。
 ぽつりと呟いた啓輔の声音が、酷く暗い。
「そうだね、辛いよね」
 隣を歩いていた服部もひどく強張った表情で頷いていた。
 笹木といる時はひどく饒舌だったというのに、今はひと言喋っては言葉が途切れる。唇が前歯の形に凹む。何度も白くなるまで。
 その痛々しさに、顔を顰めた。けれど、止めることなどできなかった。
 自虐行為は、痛みのすり替えだから。
 記憶に甦った痛みと辛さを、今の痛みにすり替えようとしているのだから。

 啓輔も服部もそれぞれに陵辱された経験を持っている。
 もっとも前に聞いた服部のそれは、今はもう陵辱などとは思ってはいないだろう。それでも無理矢理の辛さは良く知っているはずだ。
 だが啓輔は、陵辱そのもの。
 体にまで傷を追って、全てが回復するのに相応の時間を要したのだから。
 しかし、体の傷は消えても心に残った痛みは消えない。あれからずいぶんと刻は経ったけれど、啓輔の心の奥底にはあの時の痛みは残っている。
 それでも明るく過ごしてこれたのは、彼自身の持つ強さのお陰だ。
 だが、今の啓輔を見ていると、あの痛みが完全に消えていないのだと気付く。
 笹木の痛みをわがことのように顔を顰めている表情が、痛い。
 よりによって。
 家城の心に、ふつふつと怒りが込み上げてくる。

 もっとも、あんな場所で告白していた来生と笹木を責めるつもりは毛頭無い。
 きっかけは偶然だ。来生に言った言葉は嘘ではなかった。
 あの時、家城は確かに調べ物の依頼があってコンピュータールームに出向いていたのだ。
 ただ、ちょうど啓輔が図書室に出る扉を開いている時に訪ねたものだから、その扉が少しだけ開いたままになっていただけ。
 熱心に言葉もなく画面を見入っていた三人が、静かであったのもたまたま。
 そんな状態で隣の部屋の会話もはっきりと漏れ聞こえてきて。それがあまりにも尋常ならざることだったせいで、放っておけなくなって。
 聞き出したのは家城自身であり、あの場にいた誰もがそうすべき事だった。
 湧き起こったのは、正当な怒り。
 憎むべき相手は、そのジェイムスという男ただ一人だ。
 だいたい内容が真であれば、放っておくことなどできるはずもない。
 まして、笹木はただの他人ではない。
 同僚以上に、彼は大切な親友だ。
「笹木さんてさあ、ほんといっつも落ち着いていて、仕事もできて、なんていうか──大人だよなあ?って思わせる人だろ? なのに、あんなふうに真っ青になって」
 啓輔にとってもそれは同じ。
 彼にしてみれば、親友というよりは尊敬すべき先輩と言った方が良いのだろうけれど。
「そうだね。それに今にも泣きそうな顔して……」
「ん、……腕の傷も酷かったね」
 視線が啓輔の手首の上で絡まる。
 忌まわしい記憶。
 酷い陵辱と監禁と。
 そういえば笹木の傷ついた表情は、あの時の啓輔と重なるものがあった。
「何とかしないと……」
 ぽつりと落ちた言葉は、ここにいる三人の全ての思い。
 家城にしてみれば、彼を助けることは啓輔を助けることにも他ならない。
 痛みの記憶を忘れさせたい。
 思い出してしまったあの記憶から。
 それには、完膚無きまでにあの男を屈服させることが必要だ。
「そうだよなあ。なんか、俺にもできることあるかなあ」
「できること、しようよ」
「ええ、許せませんからね」
「何とかなるかなあ。純哉は出るんだろ? その会議に」
「ええ」
 今回のミーティングでは、品質の状況を突き付けて要望を提言するだけという予定だった。
「その前に、まず滝本さんに連絡をします。今の時間だと、まだPHSには出てくれないでしょうが……」
「ん、そうだね」
「すぐ出てきてくれるといいけど……」
「切りよい時間でないとなかなか出られないからね」
「そうだよなあ……」
 ため息混じりに呟かれた言葉。
 確かに、ブレイクタイムにでもならない限り、主要な参加者はPHSに出ることはできなくて。
 何度もリダイヤルを繰り返す。
 けれど、いつまで経っても相手の声が聞こえることはなかった。

 
 すぐには無理との判断の後、二人を残して自分の事務所に帰ってきた家城は、会議資料にデータを追加しながら、PHSを掛け続けていた。
 今回は要望の提出だけという予定ではあったが、今や、それだけではダメなのだ。
 笹木のみならず啓輔の忌まわしい記憶を甦らせた男をやっつけてしまいたい。
 時間が経つにつれ、怒りは体内で濃縮される。
 いつにも増して家城の表情をきつく、そんな日は他の誰もが避けて通る。わざとではないにせよ、それでも今はそれがありがたかった。
「ああ、この資料も使えますね」
 アメリカ側のミスが如実に伝わる資料。
 確か、これは問題が合った時に、一度提出したはずだったけれど。
「伝わっていない可能性があるということも……」
 笹木の話では、ジェイムスはアメリカ側が開発の主導権を握るのにずいぶんと自信満々な様子だったという。
 自分に絶対の優位性を持ち、話を進めていた様子が窺える。
 だが、今までの経緯から、アメリカ側の直接の担当者が、真実を回りに伝えていない可能性はある。
 ずいぶんと保守的な男だった、というのが家城の持つ印象だ。
 何もかもまずは自分で片を付けてしまおうという魂胆が見え隠れする男。
 成果を重んじる国だからこそ、失敗は許されない。
 ならば、と推測する。
 一見片が付いたと思える出来事。
 しかし、日本ではまだ火種はくすぶっている。彼の対策に納得しているわけではない。
 蟻の巣の如き小さな穴でも開いてしまえば、巨大な堤防は難なく決壊するものだ。
 その穴となるべきものを──それがどんなに他愛ないと思える資料でも家城は用意した。
 その中の一つ、何度も目にしたメールの遣り取り。
 それすらもプリントアウトし、再度全て目を通していく。今度は単語の一語も見逃さないように。
 けれど、すぐに顔を顰めた。
 英文が苦手とは言わない。
 だが、完全かと言えばそうではない。
「……念のため、梅木さんに読んでもらいましょうか?」
 微妙なニュアンス──単語の前後関係。読み違えていないと言い切れるほど英語は強くない。
 翻訳チームにも、と思ったが、やはり技術が判る人間にしてもらった方が良いだろう。
「やはり、梅木さんでしょうね」
 オールマイティな翻訳チームは、丁寧で適切ではあるが、文体が弱くなる。それに、技術の突っ込んだ文章になるとそのニュアンスが伝わらないこともままあった。
 この文章も時々翻訳チームに訳して貰っていた。
 その間に、言いたいことが伝わっていないのではないか?
 その結果、あちらでの誤魔化しが可能になっているのではないか?
 そうやって準備していく資料の数はどんどん増えていき、一冊のファイルにしても十分と言える程になった頃。

 RRRRR──。

 ディスプレイに表示されるのは、待望の滝本の電話番号だ。
「はい」
『あ、家城くん、何?』
 のんびりとしたいつもの滝本の口調に知らず苛つく。
「話があります。すぐに出てきてください」
『え? そりゃ、いいけど、どこへ?』
「第二の屋上へ」
『え、何で?』
「何でも良いでしょうっ! 早くしてください」
 言い捨てると、すぐに通話を切った。
 理由を言っている暇など無かった。


「何?」
 寒空の下、白い息を吐く滝本は寒そうに震えていた。
 だが。
「笹木さんのことで」
 簡潔な言葉に瞳が大きく見開かれる。
「笹木って……何で?」
「今日、笹木さんの様子、おかしかったでしょう?」
「え、ああ。何か体調悪そうだったよね」
 心配そうに顔を歪める滝本に、家城は笹木から聞き出した情報を伝えた。
 ひと言ひと言、滝本に無用な誤解を与えないように、慎重に選ぶ。
「うそ……」
 その言葉を理解するごとに、滝本の表情が見る見るうちに歪んでいく。
「本当ですよ」
「うそ……」
 歪んでしまった表情は、今にも泣きそうなものだった。
「うそ……」
 何度も呟く言葉も、まるで譫言のようで。
 それでも、これは事実だ。滝本には信じて貰わなければならないのだ。
 そして、悪いのはあの男だということも。
 この滝本なら、とは思ったけれど。それでも、彼を疑うような事は伝えたくはない。
 言葉を選んだつもりではあるが、それでも、と言葉を継ぐ。
「ジェイムスが、開発を全てアメリカでする、と言ったようです。それに加えて、もっと何か言われたのか、されたのか?どちらにせよ、笹木くんは逆らうことなどできなかったのが事実です」
「……秀也が……?」
 人前で名を呼んだことにも気付いていないほどに滝本は呆然としていた。
 それでも、不意に顔を上げて家城を見据えてきた。
「秀也、どんな様子だった?」
「とにかく酷くジェイムスに怯えています」
「怯えて?」
「はい」
 その言葉に、滝本が動揺したかのように瞳を惑わせ、目を伏せた。
「秀也が怯えたんだ……」
 何かを考え込んで、その唇が白くなるほどに歯が食い込んで。
「そうなんだ……」
 自分で言った言葉を噛みしめるように呟いて、大きく頷いた。
「それで、秀也は今どこに?」
「コンピュータールームにいるように言っています。あそこは鍵がかかりますから」
「そう……」
 その視線が向かった先は、その部屋がある辺り。
 滝本が家城の隣をふらっと通り過ぎた。
「滝本さん?」
「ちょっと行ってくる。秀也、待っているから」
「ええ」
 いつものように少しゆったりとした歩きで、屋上から出る階段へと向かう。
 変わりないように見えるけれど。
「家城くん、ありがと」
 強張った声音が、彼の辛い思いを如実に伝えてきた。


 
 寒風吹きすさぶ中、家城は滝本が消えたドアを見つめていた。
 何を彼が思っているのかは、判らない。
 それでも、まるで自分の痛みのように顔を顰めていた彼が、笹木を責めることなどしないだろうと思う。
 それは根拠などどこにもないものであったけれど。
「……あの二人なら……」
 そう思わせるものが、あの二人にはいつもあった。
 時には見ているこっちまで胸焼けしそうなほどに甘く仲睦まじく。喧嘩をしていても、すでに互いを許していることが目立っていた。それに、実際は離れていることが多いのに、彼らはいつも寄り添っているような雰囲気があった。
 二人で一つのような存在だと認識していたから。
 ひび割れる姿など想像できないのも事実。
 きっと些細なひび割れなど、彼らはすぐに互いが生み出す接着剤で一つにひっつけてしまうだろう。
 今回の出来事も、二人にとっては肥やしにしかならない。
 何しろあの滝本が、いつも見せていた凡庸とした笑みではなく、固い決意を胸にしたような表情を見せていたから。
「……彼もこの会社のリーダーなんですからね」
 くすりと笑んだ家城が大きく身震いして、白い息を吐いた。
 いい加減体も冷えた。
 それに、家城にもやることはたくさんあるのだ。
「滝本さんを応援する資料でも作りましょうか……。彼には勝ってもらわなければなりませんからね」
 軽い口調は楽しそうではあったけれど、その瞳には、ジェイムスに対するはっきりとした敵意が浮かんでいた。

 
「んで、今日は巧くいったんだ?」
 皆が帰った静かな品証の事務所で、啓輔が家城の肩越しにディスプレイを覗き込んでいた。
 誰もいないせいか、啓輔の行動は大胆だ。
 肩から回された手が胸の前で組まれていた。首筋にかかる吐息がくすぐったくて、首を竦める。
 肌越しに伝わる啓輔の笑み。
 ワザとだな、と思うけれど。
「ええ、今日はね」
 品質の話になって家城達が部屋に行った時は、ジェイムスは高圧的な態度で新たなメンバーを一瞥した。
 ピンと張り詰めた空気。
 いつにない滝本の真剣な瞳。
 彼からひしひしと伝わる怒りは、回りのメンバーにも伝播しているようで、皆一様に厳しい表情でいた。
 滝本のメンバーにいる鈴木は、いつもはおとなしい笑みを浮かべている優柔不断なところがある青年だ。
 だが、その彼すらもその表情に笑みは無かった。

「私たちがデータを提示した時の彼らの表情を見せたかったですよ」
「へえ? どんな?」
「そうですね。一人は蒼白……」
 直接の担当者の男だ。
 傍らのジェイムスをちらちらと窺い、反論の余地を必死で探そうとしてた。
 もっとも、反論を許す家城ではない。
 とてもではないが、情けを掛ける余裕はこちらには無かった。
「蒼白って……例の担当者って奴?」
「そうですよ。本当に適当な事で毎度誤魔化してくれていたので、いい加減腹が立っていた相手ですから。もっとも、今回はその対応がこちらに有利になりますけどね」
 あの反応で、家城は確信したのだ。
 この男は、ジェイムスに全てを伝えていない、と。
「で、ジェイムスって奴は? そういや、笹木さんが負けるほどに凄い奴ってどんなの?」
 ぎゅっとまとわりつく腕で息苦しい。
 けれど、欠片も責めようとは思わなかった。その腕にそっと手をかけていると、愛おしさだけが込み上げる。
 だからか、撫でるように動く悪戯の手の動きを許容してしまう。
 唇が知らず弧を描き、家城はディスプレイを見つめたまま、背を逸らして啓輔に擦り寄った。
「彼は──変わりませんでしたね、表情は。ただ、空気は変わりましたね」
 確かに温度は低くなった。
 もともとあまり喋っていないという。
 手札を一気に全て晒すタイプではないのだろうか?
「強い感じはありましたね。少々のことでは動じないようです。他のメンバーとは一線を画している感じはありました。ただ、冷たいタイプではありますが、笹木くんがあれほど怖がる理由は判らなかったです」
「ふ?ん、まあ、純哉も人によっては怖いだけって感じる人もいるみたいだしなあ。俺には、すごく可愛く見えるのにな」
 悪戯度を増した手を掴んで、睨みつける。
 可愛いと言われて機嫌が下降するのは判っているはずなのに、わざと言っているのだ。
 返される視線が悪戯っぽく笑っていた。
「で、会議の様子はどうだったの?」
「良い方向でしたよ」
 全く、啓輔ときたら。
 ため息を吐いて、悪戯な手を叩いて。
 会議の様子を思い出した。


「その製品の素材開発ですが、日本で行う方がこちらのユーザーの反応も良いようですね」
 きっぱりと滝本が言い切る。
「だが、データはこちらで……」
「この程度では、日本のユーザーは満足しません。クリアすべき性能は、こちらにもあって……」
 畳みかけられて、息を飲む音が聞こえる。
 そんな時、ジェイムスがようやく口を開いた。
「……確かに、こちら側のデータでは無理ですね……」
 ただ、事実のみの言葉。
「ええ。顧客はせっかちですからね。そろそろ満足のいく回答が必要ですが、それもありませんね。ずいぶん前から催促していますが?」
 滝本の優勢は変わらない。
 腹を探り合うようなそんな応酬が続き、当事者でなくても胃が痛くなるような会議だった。


「ジェイムスは、あのままでは勝算が無いとは気が付いていると思います」
 難しい表情がずっと崩れなかった。
「今日笹木くんにも帰り際にも言いましたが、滝本さんはずいぶん頑張っていましたからね。開発が全てアメリカ側に移ると言うことにはならないでしょう。ただ、まだ会議が続きますからね」
「後押しする資料?」
「ええ。可能ならば、アメリカ側が撤退してくれて、日本で一本化する方が、開発はやりやすいんですよ。両方にあると、特許の問題もありますし……」
「ふ?ん、服部さんに渡した英文もその資料なんだ?」
「ええ、梅木さんにお願いして全てチェックしてしまおうかと思いまして」
「ん、あれ、服部さんも見てみるって。あの人も英語得意らしいよ」
「え、ああ、そうですね。彼ももともとは医材の人間ですものね」
「そ。んで、ついでのように言われたんだけど……」
 胸元をさわさわと動いていた手が、ぴたりと止まった。
 不機嫌さが窺える声音に思わず見上げれば、啓輔がむすっと中空を見つめていた。
「どうしたんですか?」
「英語習えって……」
「ああ、必要だと思いますよ」
 この会社で、英語が使えないのは不利だ。
 まして、情報収集には論文の収集もあって、それらは英文も多い。
 そう思ってあっさりと言い切ると、啓輔はますます唇を尖らしていた。
「純哉まで、そういうこと言うんだ……」
 どうやら、あまり好きではないらしい。けれど、必要なものは必要なわけで。
「啓輔のためですよ」
 心を鬼にして言う。
 もっとも、啓輔とて心底嫌なわけではあるまい。
「でもなあ……」
 ちらりと向けた視線が甘えている。
「そうですね。もしTOEICで500点以上取れるようになったら、何でも言うことを聞いてあげますよ」
 たぶん、彼の仕事ならその位あれば十分だろう。
 そう思って、言った点数ではあったけれど。
「何でも?」
 啓輔が気にしたのは、後半部分。
「……何でも」
 その瞳がいきなり煌めいたと思うのは気のせいではない。
「啓輔……今はからっきしですよね。それで、500点となると、かなり勉強しないと……」
「ん、そうだけど……」
 伝えた大変さよりは褒美に目が眩んでいるよう。
 ものすごい期待をしている様子に、苦笑が零れる。
「全く、あなたって人は……。何を期待しているんです?」
「ん?、何してもらおうか、って考えるだけで、すっごく楽しくって」
「……」
 思わぬ期待の大きさに、言った事を後悔したけれど、今更撤回するのもどうだろうとは思って。
「啓輔……。できることとできないことがありますからね」
「そりゃあ、俺だって、人前での羞恥プレイとか……」
 ぴくっと頬が強張る。
「酷いSMとかはするつもりなんかないけどなあ……。でも……」
 ウキウキとした声音。
 遠い目で一体何を想像しているのか?
「うふふふっ」
 気味悪い笑い声に、迂闊な言葉に心底後悔する。
「がんばろうっと」
 馬の鼻先のニンジンよりもはるかに効果的ではあったようだが、厄介な約束をしてしまった事には変わりなくて。
「……ところで、そろそろ帰らねえ? どうせ明日も早いんだろうけど……」
 何を想像していたのか判る、熱の隠った視線が家城に向けられる。
「早いですから、早く寝たいんですけどね」
 ため息を付いた唇に触れる吐息。
「ちょっとだけ……な」
「まあ、あなたが明日喉をからす分には問題ないですね」
「純哉だって、どうせ座りっぱなしだから怠くたって構わないだろ?」
 絡み合う視線。
 ふふっと互いの唇が綻ぶ。
 軽く合わせて離れた頃には、家城も帰る気持ちは十分に固まっていた。


 次の日、声が掠れていたのは啓輔の方。
 ほんの少しの悔しさを口元には滲ませていたけれど。
 機嫌は上々だったと聞いたのは、英文メールの翻訳資料を受け取った梅木からだった。

【了】