【甘受と諦観】(1)

【甘受と諦観】(1)

【テル Side】

 電車を降り、最寄り駅から自宅に向かう。
 俺——桑崎輝彦にとって、昨年までは『自宅』とは安らげる場所であって、今早足で行き交う大半の人たちと同様に、自分もより早く帰られるようにと足早に家に向かっていた。
 けれど、今は足が重い。意識しないと止まってしまいそうな程に重い。
 いっそのこと、帰りたくないとわめき散らし、踵を返したい。
 それは、『自宅』がくつろぎの場所で無くなってしまっているからだ。
 特に今日は、息子である伸吾が絶対に暇を持て余していると判るから。
 あの時。
 伸吾があのドラッグストアで万引きして彼らに捕まってしまったあの日、あの夜、自分と伸吾の運命は、変わってしまった。
 あの日まで、この身体で男の欲望を受けることになるなんて露とも思っていなかったし、自分が男に犯されて快感を得てしまうとも考えたことも無かった。
 けれど、今は奴隷だ。
 この統治国家で、そんな存在があるとも思わず、実際に許されるものでは無いはずなのに。
 今、その立場から逃れる術はない。
 カメラの前でも全裸で男に犯されながら淫らに請い願い、それをDVDで売られてしまっても、拒絶することはできない。
 最初の時は警察に行くことも考えた。
 いくら脅されたとしても、言いなりになればいつまでも解放されないと思ったからだけど、そのタイミングを逃しているうちに、いつの間にか須崎の命令には逆らえなくなっていた。
 何故か判らない。
 けれど、須崎に何か言われると、従うことしか考えられないのだ。
 カメラに撮影されながら犯されているのに。
 逃げることも、拒絶することもできない自分。それどころか、最近では諾々と従っているような気がする。
 犯され、卑猥な命令のままに自ら強請る言葉を口にして、腰を振る。
 身体の奥底で弾ける快楽に身を委ね、焦らされると焦って強請り、須崎の機嫌を取ろうとしてしまう。
 そんな自分が嫌なのに、どうしても逆らえない。
 自分が抑えきれないのだ。
 しかも。
 もう一つの原因を考えるだけで、深い溜息が零れる。
 何よりも受け容れがたく、そして、今、自宅に帰るための足が止まってしまう原因が一番考えられない。考えたくも無いけれど、考えることが止められない。
 伸吾に、犯されて、奴隷として扱われる今の状態が脳裏に浮かび、ぎりっと噛み締めた奥歯がなり、鼻の奥が熱くなる。
 あの日までは、休みの日には帰ったら溜まった家事をして。余った時間でゆっくりと買い物でも行こうか、なんて考えていた。
 でも今は、家で何かするよりは、あのドラッグストアで過ごすことが多くなった。
 家にいれば、伸吾が襲ってくるのだ。
 古いアパートの壁は防音効果など無い。
 隣近所、皆知り合いの昔からの居住スペースで、異常な状況がばれる訳にはいかなくて。
 それなのに、昼間から伸吾に押さえつけられ、暴れて騒音を立てるわけにも行かない状況で、思うがままに犯されてしまうのだ。
 跳ねる身体は押さえつけられても、声を抑えるのには限度がある。
 快楽に慣らされた身体は、ちょっとの刺激でも堪らなく感じ、快感に惚けた頭は淫らな言葉で犯す相手を誘おうとする。
 それをかろうじて押さえつける理性すら壊してしまおうとする伸吾に抗うのは容易ではない。
 シーツを噛み締めて声を殺し、今いる場所を意識して忘れないようにして。
 苦しく辛い快感は、俺の身体をボロボロに痛めつけて。
 それだったら……。
 どちらも嫌な場所であれば、まだドラッグストアの方がマシだと考えるのは、あの場所が、どんなに声を上げても外には漏れないからだった。
 まして、意識を飛ばして卑猥な言葉で強請っても、聞いているのは伸吾や須崎、三坂だけ。
 昔からの知り合いの、まるで親戚のように接する近隣の人たちに聞かれることを思えば、雲泥の差だったから。
 あの薬局には店長である須崎も、専任の薬剤師の三坂も住んでいない。だが、休憩スペースはあって、そこで夜を過ごして次の日出勤するのは、犯された後の恒例のようになっていた。
「ああ、そういえば……」
 あのドラッグストアの事を思い出して、ぽつりと無意識に言葉が零れた。 
 最近須崎と三坂が薬局の奥と倉庫の一部を改造して居住スペースを確保して、そこに住まうようになったのだ。全ての家具を入れてまともに暮らすには狭いけれど、贅沢を言わなければ充分に寝泊まりができるのだ言っていた。さらに、最近裏の商売の売上げが良いので、隣の空き店舗兼自宅も買い取ろうかと話をしているのを聞いていた。そうなれば、一緒に住めば良いとまで言われていて、最初に問われたときは拒絶した。
「だって、……そうじゃないか」
 人通りが少なくなった道をのろのろと歩きながら、一人ぼやく。
「そんなの受け容れられる訳ないじゃないか」
 決して、今の状況を甘んじて受け容れた訳では無いのだ。
 須崎に犯され、ご主人様として命令に従わされ、言われるままに痴態を晒し、会社まで同僚に嬲られて。
 今この時点でも、乳首をピアスが刺激し、戒められたままの陰茎はじくじくと疼いている。
 今日は会社の奴にアナルにローターを入れたまま仕事をしろと言われて。仕事にならないと訴えて、なんとか二時間で許して貰ったけれど、射精を許されないままに敏感な身体を刺激されて、未だに全身が腫れたように違和感があって、怠い。
 はあっと溜息を吐いて、近づいた見慣れたはずのアパートを見上げた。
 初めてあのアパートで伸吾に犯されてから、もう半年が経って、数えることもできないほどに犯されている。
 自分の子供に……。
 しかも、伸吾との行為は、須崎より激しくて辛い。痛みも快感もとにかく激しくて、何より、こんな禁忌の行為を受け容れてしまっていることに心がひどく辛い。
 思わず立ち止まった足は動かない。けれど、どこに行けば良いと言うんだろう。
 昔の友人達は、仕事と子育ての忙しさの間に疎遠になったし、近所づきあいはあるけれど、泊めてもらえるような親しさはまではない。というより、この近さで泊めて貰うのも変だ。
 認めたくは無いけれど、家よりも、あのドラッグストアが良いと思っているのは確かだ。
 本当に、認めたくはないのに……。
 首を振り、けれど止まりかける足が向かおうとするあのドラッグストアは、今日行っても開いていないと判っているのに。
 思わず振り向いた先は、あのドラッグストアがある地域。
「……今日は……いないんだよな……」
 心細げに呟く声に、顔が歪む。
 須崎に縋るような声音を、認めたくなくて。
 けれど……。
 ……。
 明日まで二人とも、いないから、だから家に伸吾がいる。
 須崎と三坂は商店街の宴会旅行に今日の午後から一泊で参加している。閉店したり代替わりして趣味に過ごす高齢の人も多いけれど、須崎のように店を持つ者もいるので、近場の温泉で宴会したら、明日の昼過ぎには帰ってくるという短い旅行なのだけど、当然ながら店は休みで、呼び出しも無い。家主がいないのに泊まることはできない。
 だからこそ自宅には暇を持て余した伸吾がいる。
 それでなくてもここ数日忙しくてドラッグストアに行けなかったせいで、三坂に相手してもらっていなくて欲求不満になった伸吾が。
 部屋にいるのだ。



「お帰り、父さん」
 もう十数年住み続けたアパートのドアを開ければ、大学生の伸吾の明るい声が迎えてくれた。
 父さん、という言葉に、これほど安堵することはない。
「ただいま、片付けてくれたんだな」
 今日はバイトも無いから大学に行った後早く帰ってきたのだろう。
 少し乱雑だった家の中が片付いていて、洗濯物もたたまれていた。
 いつもは、朝軒下に干して、夜は室内の壁にかけておいて、それを朝着ていってと、たたむ手間を省いていたけれど。そうでなければ山となっているそれらが無いだけで、キレイに見える。
「それがさ、小林さんから天ぷら貰ってさ。だからおかず作らなくて良くて時間が余ったんだ」
「そうか、助かるなあ」
 父子家庭の桑崎家をいつも気にかけてくれる同じアパートの小林さんは、こうやって時折夕食を差し入れてくれる。二人分だけ作るとなると量が多くなりやすい天ぷらなどは、最近では小林さんからの差し入れか総菜でしか食べていなかった。
 二人だけの食事は静かだけど、今日はひどく和やかで。会社での出来事のせいで疲れた心が癒される。
 片付けは二人で協力するのは昔からずっとだ。
 幼い頃から二人だけだったから、伸吾は一通りの家事はできる。妻と別れたばかりの頃は、自分の方が何もできなくて、慣れない家事と育児にてんてこ舞いだった時とは雲泥の差だ。ほんとうにあの頃は自分の時間など皆無だったのだ。
 少し楽になってきたのは、伸吾が小学校三年か四年くらいになったころか。伸吾にできることが増えて、積極的に手伝ってくれるようになってからだ。
 あの頃に比べれば、今はもう格段に楽になっていて、片付けが終わればテレビを見る余裕もできた。
 それも、受験シーズンには駄目だったけれど。
 伸吾には自分が行けなかった大学に行って欲しくて。まだ目標も定まらないうちに子供ができて、なし崩しに就職できたところに入った自分のようになって欲しくなくて。
 それが伸吾にとってひどいプレッシャーだったと今なら判る。
 あの頃の伸吾は、表情が暗く、持ち前の明るさが消えていたのだから。けれど、そんなことに気が付かず、自分の理想を押しつけていて、そして伸吾は……。
「そういえばさ、テンチョがね」
 壁にもたれてボンヤリしていた伸吾が、はたっと思い出したように身を乗り出してきた。
 その手に握るスマートフォンに、びくりと身体が震えるのは、それは前に自分が買ってやったものではないうえに、ビデオ撮影や動画の簡易編集、アップロード、インターネットなどの機能がフル活用されていると知っているからだ。
 何より、テンチョとは、あのドラッグストアの店長の須崎のことで自分にとってはご主人様だ。
「テルの新作DVDの製品版ができたって」
 その言葉に、ひっと喉が鳴った。
 止めてくれ、と言いたいけれど、唇が戦慄くばかりで言葉にならない。
 今更だろう、と伸吾の目が嗤っている。
 裏の店の一般顧客用の修正入りとは言え、それでも自分が悶え、淫猥な言葉を吐きながら、オモチャで狂い、男と交わっているDVDだと知っている。
 会社の奴とも、そのDVDでばれた。
「明日に旅行から帰ったら上映会するぞって。だから5時には店に集合だって。テルも明日は休みだし」
 にこにこと邪気の無い笑顔は、子供の頃、滅多にできなかったレジャーの約束ができた時のように楽しげで、懐かしく、けれど、同時に激しい悪寒も込み上げる。
 伸吾は昔と変わっていない。
 明るくて、何でも一生懸命で、優しい子で世話焼きだ。
 ただ、その価値観も好みも趣味もがらりと変わってしまった。
「テルは次の日仕事だから無理しない予定、って言ってたよ。まあやってもちょっとじゃない? 俺も次の日、朝から大学行かないと駄目だしね、ちょっとしかしない予定。それで、そのまんま店に泊まれば、次の朝は朝寝できるし。あっ、泊まりの荷物は俺がやっとくからね」
 ”無理しない”と”しない”は違う。
 ”ちょっと”の感覚は、自分と伸吾では違う。
「テル、返事は?」
 真面目だった伸吾は、今や快楽に溺れてやりまくるセックスを好んで楽しみ、さらに、相手を性的に虐げることに快感を覚えるようになってしまっている。その対象は、父親であっても関係ない。
 何しろ、伸吾の筆下ろしとなった初めての奴隷遊びの相手は、借り物の奴隷とは言え自分だったのだから。
 俺のご主人様は、ドラッグストアの須崎店長だけれど、この伸吾もまた主人であることは間違いない。しかも、怒らせれば怖いご主人様達の中でも、伸吾は容赦が無いところがあって。
 そんな伸吾ことシイコの問いかけに、輝彦ことテルは逆らえない。
 テルと呼ばれた途端に、伸吾は俺のご主人様となって、逆らう事は許されない。
「判ってる、俺も泊まるから準備を頼む」
 犯されてから家に帰るより、そのまま眠った方が楽だから。
 そんな理由付けが頭の中が浮かんで。
 シイコが泊まるというならば確定済みだったのだと判っていても、そんなことを考えてしまう自分に、今さら……と自嘲めいた笑みが浮かんだ。



 自分の家が安らぎの場で無くなるのは、伸吾がシイコになったとき。
「ねえ、テル。裸になりなよ、遊んであげる」
 未だ子供だと思っている伸吾の顔が、支配者のシイコの顔になるのを俺は止められない。
 過去、どんなに嘆き悲しみ暴れても、シイコは容赦なく俺を扱い、陵辱した。
 そんな事が数度続いた後に、俺の中にあった道徳という名の防御壁が崩れ落ち始めたのはいつだったかもう覚えていない。
 あれは、オモチャの責めに我慢に我慢をさせられて、シイコのペニスに犯されて、自ら尻を振りたくり堪らない快感を貪ってしまったときだろうか。
 射精を強請り、許しを得ようと命令無しでシイコのペニスを頬張ってしまった時だろうか。
 いずれにせよ、最近ではシイコに命令された途端に、理性も道徳心も手放してしまうようになった。
 その方が楽なのだ。
 壊れるより、マシ、だと。
 それは、俺の精神の自己防衛本能だったのだろうけれど、駄目だと思っても切り替えは止まらなくなっていた。
 もっとも未だに、シイコのちょっとした言動でその切り替えはすぐに元に戻る。
 いっそいつもテルとして存在するようになってしまった方が、楽なのでは無いかと思うけれど、それでも伸吾が「父さん」と呼んでくれると、元に戻ったようになって嬉しくなって、安堵してしまうからだ。
 だが今は。
 俺は、テル。
 無意識のうちに瞳が濁る。どこかぼんやりとした視界の中で、俺の、やけに白い指先がシャツのボタンを外していき、下着まで脱ぎ捨てる。
 明るい蛍光灯の下、俺の露わになったその裸体は、スリムで無駄な脂肪など無く、そしてたいそう淫らだと……須崎がいつも言っている。
 れっきとした大人でもう30台後半なのに、この肌もひどく若く見えるといつも嗤いながら、俺を抱いて、滑らかな肌が気持ちよいと言うのだ。
 年の割にはキレイな裸体を須崎は特に気に入っていて。
 俺を見つめる目の前のご主人様も同様で、その瞳に暗い愉悦が走り、赤い唇が舌なめずりをする。それが視界にはいった途端、身体の奥がずくりと疼いた。
 ご主人様が欲情して、そして続いてどんな命令を下すのか、俺には判らない。判る必要も無く、ただ待つだけだ。
「相変わらず白いね」
 感嘆の声は、欲情をも多分に孕んでおり、睨め付けるような視線が裸体を犯すように這う。
 俺はもうずっと日中は建物の中だ。それ故に陽を浴びないことも多く全体に白めなのだが、髪も真っ黒とは言いがたく、もともと少し色素が薄目なのもあった。
 その中で、一際色濃く淫らな色合いを見せる場所に、ご主人様の視線が釘付けになっている。
 今日のピアスは口を開けた多数の牙を持つワニが乳首に噛みつこうとしているフィギュア付きのニップルピアス。乳首を括り出すように取り付けられて、その牙は俺が動く度に乳首の根元をちくちくと刺激して、いつでもその存在を意識させられてしまう。
「ふふっ、もう勃起し始めて、濡らしてる」
 伸びた指が俺の亀頭に触れ、ちりりと走る痛みと快楽に熱い吐息が零れた。
 僅かに触れられただけで血流が激しくなり、ペニスが立ちあがってくる。
 零れる吐息が甘く、堪らない愉悦に唾液が溢れ出て、ごくりと飲み込む。
 もうこの身体は、こんなにも淫らで、浅ましい。
 もっと、欲しい……ご主人様……。
 言葉にできず、目の前のご主人様に訴える。
 裸になっただけで、俺は欲しくなっていた。
 もう、元には戻れないこんな淫らな身体は……。
『お前は、俺無しではもうダメなんだよ。夜も疼くんだろ、俺が欲しくてさ』
 頭の中に響くご主人様の言葉。
『ケツに俺のチンポが欲しいって言えよ。まったく、ケツの方が正直だよなあ』
 俺は素直で無い。
 素直で無いのに俺の身体だけは、何よりも雄弁にご主人様を誘う。
『可愛いねえ、嫌々言いながら、チンポをぎゅっと締め付けて』
 俺の快楽を呼び覚まして、狂わせてしまうご主人様の言葉に煽られて。
 全ての理性を手放して快感を貪ってしまえば、苦しくないから……。
 何もかも忘れて……。
 


「父さん」
「!」
 飛ばしかけた理性が、一気に戻った。
 クリアになった視界の中にいるご主人様は、伸吾。
「自分の子供に触れられて、欲情してんだ」
「や、めっ」
 揶揄する言葉を繰り返されて、俺の意識が殴られたようにぶれる。
 ああ、そうだ、目の前にいるのは自分の息子。今触れているのは息子の手。
「息子に見られて、感じてる?」
 ねとりと粘つくような視線にぞくぞくと背筋に快感が走って止まらない。でも、今見つめているのは、伸吾の瞳で。
 言葉に刺激され、切り替えたはずの意識は呆気なく戻り、崩壊したはずの道徳心が支配を始める。
「や、めてくれ……」
 せっかく忘れているのに、それを思い出さされて何よりも心が辛いと涙がにじむ。
 四人もいるご主人様の中で。
 誰よりも残酷なのが、この伸吾。
「父さん」
「やめっ」
「何、泣いてんの? こんなに勃起して、汁たらたら流してんのに」
 俺が嫌がっているのが判って、責め立てる。
「何でも、従う……だから、それだけは、もう……、呼ばないでくれ」
「へえ、いやなんだ、息子にいたぶられるのは。まあ、それはそうだよね」
 痴態を晒して隠すこともできず、できることは嗤う伸吾に懇願することだけだ。
「そうだね、止めてあげても良いけど」
 はっきりと伸吾だとしか認識できない目の前のご主人様が、俺の先走りに濡れた指をぺろりと舐める。
「お外で散歩がうまくできたらね」
 くすくすと嗤いながら言われた言葉に、俺の身体から音を立てて血の気が退いた。


NEXT