【どこまでも広い秋の空】 3 太陽の動揺の章

【どこまでも広い秋の空】 3 太陽の動揺の章

 ホテルの部屋に入ると義隆は、思いっきり伸びをした。
 恵はそれを横目で見ながら、窓際に歩み寄りカーテンを少し開けて外に視線を移した。
 外は、ホテルの庭先の明かりが微かにある程度の暗さで、窓に室内の明かりが反射して自分たちの姿しか見えない。
 で、真っ暗だった。
「恵、何か見えるか?」

 義隆の問いに恵は無言で首を振った
 カーテンを閉め直して、室内の方を向く。
 硬い表情の恵に義隆は息を呑む。
 恵はそれに気づいたが、こわばった顔が崩れることはなかった。
「恵?怒っているのか?」
 窺うような義隆の視線が嫌で、恵は俯いた。
 ゲーム……。
 だけど、キスしたんだよな。
 いくら割り切ろうとしても割り切れない思いが頭の中に重くのしかかっている。
 他人の誰かが義隆とキスをする。
 こんなに、嫌だとは思わなかった。
 まして、相手は知らない相手ではない。恵のコンプレックスをくすぐるのに充分な容姿を持っている兄の彼。
 あのとき、本当に絵になると思った。
 あの場にいる誰もが冷やかすことも出来ずに、見入ってしまった事実。
 何もかもが恵の心に突き刺さる。
「恵、あれはゲームだから……」
 義隆が何度目かの言葉を言うが、恵はどうしてもゲームという言葉で片付けてしまうことができなかった。
 食いしばった唇が痛みを訴える。
 それでも、恵にはそれを緩めることができない。
「恵!」
 何も言わない恵に、義隆が近寄り肩をゆすった。
 仕方なく恵は顔を上げた。
 と、義隆の動きが止まり、肩にかけられていた手がすっと下ろされる。
 そして、義隆も一瞬唇を噛み締めるのが恵には見えた。
「ごめん……そんなにショックだったんだ」
 再度上げられた義隆の手は、恵の頬に当てられた。
 あっ……。
 その時始めて、恵は自分が泣いていたことに気が付いた。
「そんなに泣く程嫌だった?」
「うるさいっ!」
 泣き顔を見られた事が悔しくて、義隆の手を振り払う。
「けい……」
 何で……
 何で、俺が泣かなきゃいけないんだ?
 あれはゲームだろ。
 たまたま義隆と秀也さんが当たっただけの、ただのゲームなんだ。
 ……
 あれがもし秀也さんじゃなくて他の誰か、だったら……
 俺はやっぱりこんな風に嫌なんだろうか?
 記憶にあるキスシーンの相手を他の誰かに替えてみる。
 ……
 やっぱ嫌だ……
 誰が相手でも、俺は嫌だ。
 もう、頭ん中滅茶苦茶!
「恵、ごめんてばっ!」
 恵の身体を抱きしめようとする義隆を邪険に振り払う。
 今は、義隆に構われるのが嫌だ。
 何もかもが嫌だ!
「俺、寝る!」
 何か言いたげな義隆を無視し、ベッドに潜り込んだ。
 掛け布団を頭から被る。
 もう、何もかもが嫌……なんだ……
 どさっ
 もう一方のベッドに義隆が座ったのか寝っ転がったのか、そんな音がした。
 このまま眠ってしまいたい。
 何も考えずに……。
 だけどこういう時に限って頭はどんどん冴えていく。
 呑んだはずのアルコールはとっくにどっかにいってしまったようだ。
 


 時間がどのくらい経ったのかどうか判らない。
 まんじりともせず、身動きもとれない、そんな状態で寝っ転がっていたのだが、生理現象だけは止められなかった。
 仕方なく恵はむくっと起きあがる。義隆の方を見ないようにトイレへと向かった。
 ずっと義隆の視線が向けられているのだけは判った。
 用が済んで出てきて、何となくほっとため息をついてからベッドに戻ろうとした。だが、狭い通路を塞ぐように義隆がいて、思わず恵は後ずさった。
 が、素早くその恵を義隆がその胸に抱き込む。
「逃げないでくれ」
 掠れた切ない声が恵の耳朶を打つ。
 その声を聞くとなんだかじわっと涙腺が緩んできそうで、恵は固く目をつぶった。
「たとえ……誰とキスしようとも、俺には恵だけなんだ……恵だけが好きだ」
 判っている。
 いつだって義隆は俺のことを考えてくれる。
 怒らすと判っていても、それでも結局は俺のために動いてくれる。
 今回の件だって、智史がそんな義隆を利用しただけなんだから……。
 だけど。
 頭では判っていても、どうしても感情が判ってくれないんだ……。
 今の俺では義隆を受け入れられない……。
「離せ!」
 小さなだが有無を言わせぬ口調に義隆ははっとしたようにその腕を離した。
「恵……どうして」
 どうして、なんて問われても判らない。
 どうしてこんなに嫌なのか自分で判っていないんだから。
「今は、嫌だ。なんだか、今は嫌なんだ……」
「恵は、たとえゲームでも俺が笹木くんとキスしたことが許せないのか?」
 ぴくんと身体が反応した。
 恐る恐る顔を上げる。
 義隆の顔が怒っているようで。
 細められた目からのきつい視線が恵を縛る。
 知らず後ずさって、壁で背中を打つ。
「だったらどうすればいい?どうすれば恵は許してくれるんだ?」
 表情は怒っているのに言葉はとても静かで……そのギャップが余計に恵の心を鷲掴みにする。
 義隆を許す……。
 違う……
 俺は義隆を許すとか許せないとか……そんなこと思っていない。
 嫌、なのは……。
 義隆が秀也さんとのキスが絵になるって思ったこと。
 義隆のキスに秀也さんが感じていると判ってしまったこと。
 うずくまった秀也さんがつらそうだったこと。
 そして。
 それらが全部自分ではなかったこと……。
 いつだって義隆の相手は自分でいたかった。
 誰かが義隆の中にいるってことすら嫌だ。

 トントントントン
 ドアを叩く音に義隆と恵は同時にドアへと視線を向けた。
 二人とも動けず、じっとドアを見つめる。
 しばらくすると、またドアが叩かれた。
 誰かがノックしているのにようやく気づき、義隆がドアに近づいた。
 外の様子を窺い、誰がいるのか確認した途端、一歩後ずさった。
「誰?」
 義隆の様子に恵も思わず尋ねる。
「笹木君だ……」
 な、んで?
 驚きに目を大きく見開く恵に義隆が問いかける。
「どうする?」
「どうするって……なんか用事があるんだろ。開ければ」
 つっけんどんになるのが止められない。
 義隆はため息をつくと、内開きのドアを開けた。
「何?」
 ドアを開けたまま単刀直入に問いかける義隆の横を、秀也はさっさとすり抜けた。
 その表情は固く、何の感情も浮かんでいない。
 整った顔立ちの秀也が感情のない表情になると、なぜだかとても冷たく感じた。
「笹木君?」
 無視された義隆は仕方なくドアを閉めると秀也に呼びかける。
 だが、それを無視して秀也は恵に話しかけてきた。
「恵くん達は喧嘩している?」
 その声は静かで、何の感情もこもっていないようだった。
「喧嘩って?」
 ぴんとこなくて上目遣いに秀也を見つめる。
 壁に背をつけたままの恵の目前に秀也は立っていた。
 ただ、じっと恵を見下ろす。
 視線が絡んだ。
「笹木君!」
 無視されている義隆が、秀也の肩に手をかける。
「何しにきたんだ?」
 だが、秀也はちらりと義隆を見ると、すぐに恵に視線を戻した。
「喧嘩、しているみたいだね」
 今度は断定した。
 何も言えずにいた恵も仕方なく頷く。
「駄目だよ。二人とも仲良くしないと……」
 心配してくれているのだろうか?
 当事者として。 
 だけど感情のこもっていない言葉は、なんだか怖かった。
 完全に無視された状態の義隆も、秀也の様子が妙なのでその手を下ろす。
「二人とも、どちらもお互いが好きなんだから、喧嘩しないで仲良くしないとね」
「しゅーや、さん?」
 感情のない表情の中で、瞳だけが力強く、恵を射抜くように見ていた。
「恵くんも自信がないの?篠山さんに愛されている自信が?」
 口元だけが動いて紡ぎ出される言葉が、一歩遅れて理解できた。
「あ、あ……」
 あまりの事に、言葉が出ない。
 何で、秀也さんがそんな事を……。
 それに今、なんか変じゃなかった?
 何となく言われた言葉が妙な気がしたんだけど……。
「笹木!」
 義隆が驚いたように恵と秀也の間に割って入る。
 その背中に遮られて、恵には秀也の様子が見えなくなった。
「邪魔だよ。俺はね、恵君に聞きたいんだ」
「どういうつもりだ」
 あくまで静かな秀也に義隆の怒りを含んだ言葉が覆い被さる。
「聞きたいんだ。あの時、あなたが言った問題を片付けるために……」
 あの時?
 何のことだ?
 恵の頭に?マークが飛び交う。だが、明らかに義隆はその言葉に動揺していて……。
「ねえ、恵君。聞こえる?君は義隆さんを愛しているよね。それは間違いないだろう」
 無言で頷く。
 好きだよ。愛している。
 だから、あんなに嫌だったんだから。
 秀也は恵の姿が見えない筈なのに、恵の動きを見て取ったように、言葉を継いだ。
「俺は篠山さんが、恵君をどんなに愛しているか知っている」
 暗い通路。
 だが恵には、義隆が耳まで赤く染めたのに気がついた。
「どうして、愛し合っている二人が喧嘩しなきゃいけないんだ?それって言葉が足りないだけじゃないか」
 言葉にわずかだが込められた感情、それがここにいる人間の心を貫く。
「何も言わなきゃ伝わらない。言葉ってね、そのためのものだろう。どんなに、悩んだってね、たった一言の言葉ですべてが解決する」
 恵は、義隆の身体を押しのけた。
 そこにいたのは、涙を流しながらつらそうに言う秀也だった。
 これは……。
 恵と義隆は秀也に圧倒されて言葉も出ない。
「ね、キスしてごらんよ」
 秀也が睨むようにきつい視線を恵と義隆に向ける。
「!」
「二人でキスしてごらん。篠山さんも今日は遠慮する必要はないはずだよ。思いっきり恵君を感じさせてごらんよ。そしたら、恵君の悩みなんか吹っ飛ぶよ」
「恵の悩み?」
 義隆が呆然と呟く。
 俺の悩みって……。
「恵君はさ、俺と比べたんだろう?自分が篠山さんと釣り合わないって……」
 涙で潤んだ瞳で見つめられ、あまりの色っぽさと言葉の厳しさに後ずさろうとした。だが、既に壁があってもう下がれない。だけど秀也は追いつめるかのように恵に近づいてくる。
「それとも、俺としてみる?きっと俺と恵君だってけっこうお似合いだと思うよ」
 ずいぶんと挑発的な秀也の物言いが聞こえた途端、義隆がさっと恵を引っ張った。
「いい加減にしろ!お前、言っている事が無茶苦茶だぞ!」
 義隆の抗議に、秀也はふっと口の端をゆがめた。
「どうして?どうしてそんなことを言うのさ。俺はあなたの悩みを最後まで親身になって解決してあげようとしているだけだよ。あなたは言ったよね、恵くんが本当に愛してくれているのか自信がない、ってね。だからあのときキスまでしたんじゃないか?恵君とのキスの仕方を俺に教えて貰うために!」
 義隆が秀也さんにキス……?
 それってさっきの話じゃないよな……。てことは、前にもしたことあるんだ……。
 ずる
 足から力が抜けて、床にずり落ちる。
「笹木!」
 ぱんっ
 高い音がした。
 恵の視線の先で、秀也の頬を平手打ちした義隆がいて、そして唇をかみしめて立っている秀也がいた。
 叩かれた頬を押さえようともせずに俯いている。
「秀也さん……。一体何がどうなってるんだ?俺、なんだか頭が混乱しちゃって……」
 見上げている恵にのろのろと秀也が視線を注いだ。
 また、無表情なのに……視線だけが鋭い。
「篠山さんは、恵君を愛している。だけど、事に及ぼうとすると巧みに逃げられてしまうので恵君に愛されていないのではないかと不安に思っていた。だが、俺から見ても二人は充分愛し合っている。つまり、原因は恵君にある」
「俺?」
「ち、違う!」
 義隆が慌てて間に入ろうとした。だが、
「義隆は黙っていて下さい!今ここにあなたが口を挟む権利はありませんっ!」
 きっぱりと恵に否定され、義隆はたじろいだ。
「そこで黙っていてください」
 ビジネスモードの恵の言葉は義隆にとって絶対だった。
 その言葉、態度、視線が義隆を縛る。
 それは、恵のもう一つの顔。
「篠山さんにとって単なるキスであるものが恵君にはキス以上の官能を与えることが恵君が逃げる原因だ。それを指摘された篠山さんは、俺にキスすることでどうすればいいか教えてくれ……そう言った」
 なんで?
 よりによってどうして秀也さんにそんなこと……。
 そりゃ、俺が原因なのかもしれない。
 確かに、俺、逃げてた。
 だって……義隆のキスは感じるから……途中で止めるのなんて嫌になるくらい……
 そういえば、最近のキスは軽くて、そんなことない。だから、キスするのが最近は楽しみで……
 これって秀也さんのお陰なんだ……。
 ショックだったけど、何でか怒るとか嫌だとかそんな感じはしなかった。
 ショックなんて、さっきのゲームの時の方がよっぽどひどかった。
 今目の前にいる秀也さんが普通じゃないからかもしれない。
 なんだか変だ。
「秀也さんは何で突然それを言う気になったの?隠していたみたいじゃない」
「優司にばれたから……」
 そういうと、突然くくくと喉の奥でおかしそうに笑い始める。
「一番ばれたくない相手にばれてしまったら、なんだか隠しとくのがばからしくなった」
 言いながら笑う。
 だけど、その笑いを聞いている方はなんだかとてつもなく悲しくなってくる。
 いつも穏やかで落ち着いた感じがする秀也さんが、こんなにも感情的になっているのは初めて見た。
 壊れそうだ……。
 そう思った。
 それも原因は俺達なんだ……。
 気がついたら、義隆の手が恵の肩に置かれていて、その手に力が込められた。
 義隆を見上げると、すごく辛そうに秀也を見つめていた。
 恵は視線を秀也に移した。
 きっと……。
 宴会の前にはばれていたんだ。
 だからあんな風に仲がおかしくて……そして、張りつめていた秀也さんの神経があのゲームで崩れた。
 優司兄さん……何やってんだよ。
 このままじゃ、秀也さん壊れてしまう。
 恵は無意識の内に肩に置かれた義隆の手を握りしめた。
「秀也さん、部屋に帰ろう……」
「部屋?」
「優司兄さんが待っているよ。優司兄さんとちゃんと話をしないと。秀也さん言ったよね。『何も言わなきゃ伝わらない。どんなに悩んだってね、たった一言の言葉ですべてが解決する』って。だからさ、部屋に戻って優司兄さんときちんと話をしようよ。優司兄さんだって判ってくれるって。ね、単純だからさ、秀也さんが愛しているって言いまくったらさ絶対機嫌治るから」
 我ながら無茶苦茶言ってるなとは思ったが、とにかく秀也さんをしっかりさせないと……。
 そう思い、言葉を紡ぐ。
「秀也さんだって知っているでしょう。兄さんがどんな奴かって。大丈夫だから……」
 その言葉に秀也の目から涙が流れ落ちる。
「優司……」
 呟きながら、とめどめもなく流れ落ちる涙。
 その涙を見たとき、あのゲームのさなかの秀也の涙を思い出した。
 あの時……
 秀也さんは、壊れかけたんだ……。
 一番見せたくないシーンを一番見られたくない相手に見られたこと。
 その涙だったんだ。
 崩れ欠けていたものをなんとか体裁を保っていた心が、あの瞬間崩壊しかけたのかも知れない。
 普段の何でもないときだったら、きっと秀也さんのことだから笑って済ませるようなそんな風に乗り越えていたかも知れない。だけど、時が悪かった。
 俺、智史兄さん、本気で恨みたくなった……。
「秀也さんは優司兄さんが好きなんだろ」
 そっと問いかける。
 秀也さんの心がまるで硝子のよう。今にも壊れそうな位、ひびがはいっていそうだ。
 だけど、それを守れるのは優司兄さんだけって分かる。
「俺・・・・・・優司にだけは嫌われたくないのに・・・・・・」
 初めて聞く秀也さんの告白。
 ひどくつらそうで・・・・・・。
 なんだが、自分の悩みなんかどっかに飛んでいってしまった。
「秀也さん・・・・・・優司兄さんが秀也さんを嫌う訳ないじゃない・・・・・・」
 その言葉に秀也がぴくりと反応する。
「嫌う訳無い・・・・・・」
 確かめるようにその言葉を呟く秀也。
「そうだよ。優司兄さんって強情だからいったん怒ると大変だけどさ、でも意外に怒りが長く続くことはないんだ。何かの拍子に突然怒りが吹っ飛んで、機嫌がなおったりするんだ。だからさ、帰って話をしてごらんよ」
 言われて、秀也の表情が少し柔らかく変化した。
 なんだか心当たりがあるみたい・・・・・・。
「帰るから……」
 突然、秀也が呟いた。
 渡していたタオルがしっとりと濡れている。
 流した涙の量が半端ではない。
 だけど、顔を上げた秀也は微かに笑っていた。
「大丈夫か?送っていこうか?」
 義隆の言葉に秀也は驚いて目を見張り、揶揄するかのように口の端を上げて笑った。
「冗談だろ。誤解されたくないからね」
 その言葉に恵はほっと息を吐いた。
 そこにいるのはいつもの秀也だった。
「大丈夫?」
「……ん。悪かったね。無茶苦茶言って……」
 一度吹っ切ってしまうと立ち直りも早いのか、その表情がいつもの秀也だった。
 もしかするときっかけが欲しかったのかも知れない・・・・・・。
 恵はふとそう思った。
「帰るよ・・・・・」
秀也は自らドアを開けた。
何かを決意したようなその背中。
 扉が閉まる瞬間。
「優司と話をしてくるよ」
 小さな声が聞こえた。



 扉が閉まり、二人だけの空間に戻る。
「さてと」
 恵はすっくと立ち上がり、義隆を睨む。
「判っていますね」
 丁寧だがきつい口調に義隆は困ったように苦笑いを浮かべた。
「笑っている場合じゃありません。そもそも、義隆が一番の原因と判ったんですからね」
「あ、あれは、ほんとに・・・・・・あの時は悩んでいて・・・・・」
 こびりついた笑みのまま、義隆が部屋の奥に後ずさっていく。
「悩んでいるからって、秀也さんとキスすることはないでしょう。だいたい、あなたはいつだってやることが極端なんです。どうせ、あなたの方からせまったんでしょう」
 はっきり言ってこれは怒り。
 さっきまでの嫌な気分なんか秀也さんのお陰で、吹っ飛んだ。
もしかして、秀也さんは自分があれだけ混乱しているのに、俺達のためにここに来てくれたんだろうか?
 そんな気がするくらい、自分の気分がすっきりしている。
 今は、ただ怒りだけだ。
 これってさっきまでの嫌な訳の分からない気分に比べれば、ぜんぜっんマシ。
 怒りはコントロールできるから。
「義隆さん。黙っていないでなんとか言ったらどうです」
 下がっていく義隆に近づき、至近距離でにっこりと営業用スマイルを見せる。
義隆の身体が激しく動揺したのが分かる。
 ったく!
 怒りに捕らわれつつも、恵は冷静に判断する。決してその手を緩めようとはしなかった。
 絶対に吐かせるからね!
「まだ何を隠しているんですか?実は秀也さんとキスしたかったから、義隆さんの方から迫ったんではないんですか?私が気に入らないから、代わりに秀也さんに迫ったとか?私の方は、こんなにも義隆さんの事が気になってしようがないというのに、義隆さんは私の事は何とも思っていないんでょうか?」
 一転して困ったような表情を浮かべて義隆に迫る。
 義隆の青くなっていた顔色が一瞬にして赤くなった。
「義隆さん?」
 軽く小首を傾げる。口元には微かに笑みを浮かべて・・・・・・。
 恵は自分がどういう表情を浮かべるかで相手がどんな印象を受けるか完璧に把握してた。
 小柄で可愛いと評判の自分が好きではなかったけれど、使えるものは使わなければならない。そう上司に教えられてきた。
 それに完全に引っかかったのが義隆だった。
 最初から気になっていた。
 初めてあの会社に行ったとき、最初の相手が義隆だった。
 リーダーと聞いていたのに、予想外に若くて・・・・・・後からそういう会社なのだと知ったけれど・・・・・・。若いのにリーダーの地位で、堂々としていた。背も高くて、しっかりとした顔立ちが男らしくて、かといって固い訳じゃない。緊張していた恵に気さくに声をかけ、楽しそうに仕事を進める義隆に恵は惹かれていった。
 だから、気に入られたくて、自分が相手に好印象を受けるよう振る舞った。
 そして、いろいろあったけれど、手に入れた。
 まさか、義隆から告白してくるとは思わなかったけれど・・・・・だからこそ自分に自信がついた。
 今、この手の中に彼がいる。
 狼狽えてどうしようかと悩んでいる義隆。
 あれから義隆のいろんな事を知った。本当の恵も好きだけれど、未だにビジネスモードの恵に惹かれている義隆のことも・・・・・・。
 たまに失敗をしたこともある。だけど、今日は・・・・・・・。
「義隆さん?私の事好きですよね」
 目を細め、窺うように尋ねる。その表情をすると自然に色気を増すらしい。
 必ず義隆が顔を赤らめて動揺するのを、恵は何度と無く目撃していた。
 今日とて例外ではない。
 触れた部分から熱が伝わってくる。
「恵・・・・・・」
 義隆が煽られるかのように恵を抱きいだいた。だが、恵はそんな義隆の身体を押しのけて見上げる。
「まだです。秀也さんのこと聞いていませんよ?」
 押しのけられた義隆は完全に狼狽えている。
「違う・・・・・・」
 掠れた声にすら気付いていないのか。
 恵は吐息をついて、義隆に微かに微笑んだ。
「違うというので有れば、秀也さんの言ったこと全て肯定するということですよね。そして、それが今日の混乱の原因であること、そして秀也さんがあんな状態になったということの原因ということ、認識してますか?」
 静かな声色。
 それは恵の小柄でどちらかと言えば童顔の顔とミスマッチなのだが、しかしそれは義隆をさらに煽る。
 義隆の心の葛藤が手に取るように恵に伝わる。
 営業マンとしての恵にとって義隆などは御しやすい客だと言えた。
 ばりばり仕事しているようで、性格的にどこか単純な所がある。暴走しやすいということは、感情的に忠実ということだ。そこをつつけばいいのだ。
 今の義隆はつき合いが深い部分があるが故に、恵にとってはいいかもだった。
「俺・・・・・・」
 どこか苦しげな義隆から恵は手を離した。
「分かっています。そもそもの原因があなたにあると言うこと。私の事で悩むのであれば、私自身に直接言って貰いたかったですよ。秀也さんに聞くのではなく、私に。それともそんな悩みを秀也さんに漏らしてしまうほど、秀也さんがお気に入りなんでしょうかね」
 わざと淡々とした口調にする。
 自分が昔義隆の事で相談したこと、隠しとかなきゃ、ね。
「ち、違う!」
 てきめんに義隆が狼狽えた。
「では?」
 見上げるように細めた目で義隆を見つめる。口元には微かな笑みを浮かべて、わざと義隆を煽る。
「お、俺は・・・・・・どうしてももっと恵とキスしたかった。だげど、いっつも逃げるから、どうしたらいいたんだろうって・・・・・・そしたら、俺のキスが感じすぎるからだって言われて・・・・・・じゃあ、笹木君に教えてよって・・・・・・。笹木君もしていいって!」
 しどろもどろの義隆に恵は、頭が痛くなってきた。
 秀也さんのいう通りだとは分かったけれど、いや、まあ、確かに俺は逃げてた。
 どうしてこうなるんだっていう位、義隆のキスは毎度強烈だったから。
 だったら、最初から受けない方がいい、と・・・・・。
「それでキスして・・・・・・・」
「キスしたら、俺のキスは巧みだから触れるだけのキスにしとけって言われた」
 秀也さん・・・・・・感じたね。
 まあ、お陰で最近のキスは、楽しくて良かったけれどもね。
 恵は気を取り直して、義隆に視線を向け直す。
「分かりました。秀也さんの言った通りだったんですね。でも、それを秀也さんに相談したことは、私は気に入りませんよ。でも、ま、とりあえず、今日はこの辺りにしておきましょうか?」
 そう言って義隆に背を向ける。と、恵の手首を義隆が掴んだ。その拍子に再度向き合うようになる。
「恵!ここまで俺を煽っておいて・・・・・・」
 震える声の義隆に恵はにっこりと微笑みかける。
「だって、義隆さんは一応私を裏切ったんですよ。私がいるのに他の人にキスしたんですかよ。しかも秀也さんをあんなに落ち込ませて。だったら今日はその気になれるはずもありません」
 それは義隆にとって、きつい一言であることは承知の上だった。
 義隆は恵が嫌だと言えばたいてい諦める。
 だけど、実はそれも気に入らない。
 だからわざわざ煽ると分かっている視線を向ける。
 微かな笑み。仕草。
 大切していてくれる。そうは思っている。
 だけどね、大切にしすぎて他人まで巻き込んで騒動を起こすのは止めて貰いたい。
 義隆はどうしようっといった感じで唇を噛み締め、恵をじっと見つめている。
「義隆さん、あなたはどうしたいんです?」
 分かり切ったこと。
 だけど、問うてみる。
 促すように微笑んで見せながら。
 そして。
 義隆が煽られる。
「恵っ!」
 言葉より先に抱きしめられる。
「義隆さん、私は返事を聞いていませんよ?」
「好きだ!このままずっと恵を抱いていたい!」
 切なげな声。
 だけど。
「抱くだけ?このままこうやって?」
 もう少し苛めても良いかなあって思って、問いかける。
 見えないと分かっているから、こぼれる笑みを堪えない。
「!」
 義隆の身体から動揺しているのが伝わって・・・・・・。
 も、そろそろ俺も限界かなあ・・・・・。
「義隆さん?」
 もう一度だけ視線で煽る。
「抱いていたい・・・・・・・朝まで一緒に・・・・・・ベットで・・・・・」
 視線の先で赤くなる義隆が愛おしくて。
 可愛いなんて言ったら怒られるかなあ・・・・・・。
 くすりと笑いをこぼすと、ふっと身体から力を抜いた。
 も、限界・・・・・・。
「義隆・・・・・・・キスして・・・・・・」
 義隆を見つめて囁く。
 義隆は一瞬驚いたように目を見張り、そして本当に嬉しそうに笑みを浮かべた。
 指が恵の顎にかけられ、上向かせる。
 そっと触れるだけのキス。
 だけど、次に来たキスは深く深く・・・・・・・どんどん激しくなる。
 最近の軽いキスじゃない。
 本当の義隆のキス。
「・・・・・んん・・・・・・」
 自然に喉から漏れる声が止められない。
 待っていたのは恵自身。
 そう言えば・・・・・・。
 まだ考える余裕のある心の片隅で、この部屋に入ったときに考えていた事を反芻する。
 馬鹿なことだよな。
 なんであんなこと考えたんだろう。
 俺と義隆が絵になるとかならないとか・・・・・・そんなこと関係ない。
 こんな気持ちいいキスをくれる義隆が凄いって思う。
「恵、愛している」
 僅かに離れた義隆の唇から吐息とともに囁かれた言葉。くすぐったさを感じて肩をすくめる。
 そして、再度押しつけられた唇。
 貪るように動く舌が恵の口内を犯していく。
「ん」
 力が抜けていくのを止められなくて、義隆の服にしがみつく。
 下半身が欲情するのを感じて、頬が赤くなった。
 と、すっと離された唇。
 恵が名残惜しげにそれを見つめていると、不意に義隆に抱え上げられた。
「あっ」
 恵の微かな叫びに義隆が安心させるように微笑んだ。
「続きはベッドでね」
 言われて全身が熱くなった。
 赤くなって睨む恵の視線を浴びて楽しそうに笑う。
「さっきまでの恵も好きだけど、やっぱ素直な恵の方がいいな」
「うー」
 ったく。
 さっきまでの情けない義隆はどこへ行ったんだ?
 そりゃまあ、義隆はこっちの方がいいけどさ。ほんとに、いざ事が始まると自信満々になるのは何故?
 そおっとベッドに降ろされた。顔の横に両手をついて覗き込む義隆。
 欲情に満たされたその目に見つめられるだけで、身体に痺れが走る。
「よしたかぁ・・・・・・」
 抱きしめて欲しい・・・・・・。
 恵の声に義隆がそっとその身体を重ねる。
 首筋になぞるように舌が這う。義隆の手がさっさと恵の服を脱がしていく気配を感じて、思わず恵の口から笑いがこぼれた。
 それに気が付いた義隆が顔を上げて、恵の顔を覗き込む。
「何?」
 訝しげな声が何だか笑える。
「だって、すっごいあせってない。なんだか、余裕がないっていうか」
 言われて義隆はむっと眉間を寄せて、再び開いた服の間から恵の胸に呟く。
「さんざん煽られたからな」
 肌の上でしゃべられて、くすぐったさに恵は身を捩った。
 這う舌がその拍子に胸の突起に触れた。
「あぁ・・・・・・」
 思わず漏れる甘い声。
 熱を帯びて火照る体がひどく敏感になって、言うことをきかない。
 義隆の口が突起を甘噛みし、恵を翻弄させている間に、その手が恵の下半身に触れた。
「ああん」
 恵のそこは完全に固くなっていて、義隆の手が触れるだけで背中から快感が走る。
 手の中に包み込んだ義隆が恵の耳共に顔を寄せ、囁く。
「こんなに固くなっているよ」
「あぁ、やあ・・・・・・」
 声だけでびくりと反応する身体。
「可愛いなあ、恵は・・・・・・」
 普段なら絶対に怒っているはずの言葉も今の恵には快楽を高めるだけのモノでしかない。
「も、や・・・・・・」
 義隆の身体が動き、次の瞬間、恵のモノが柔らかな湿ったモノに包まれた。
「く!」
 ざわっとした感触に恵の手が義隆の髪を掴む。
固く目を閉じ、食いしばる歯の隙間から、それでも漏れる声。
 義隆はそんな恵を巧みに扱っていく。
 急速に高まる射精感。
「・・・・・・んあ・・・・・・く・・・・・・んんっ!」
 敏感な所を舐められる度に、びくびくと反応する恵。
 ぴちゃぴちゃと舐めつつかれる音と恵の声だけが部屋の中に響く。
「あっ、もっ、・・・・・・よしたっ・・・・・」
 びくんと跳ねる身体を押さえつけながらも、義隆の攻撃は緩まない。
「けい、いっていいよ」
「んあ」
 銜えられたまましゃべられ、その振動がさらなる快感を呼び起こす。
「やあ!・・・・・・もっ、イクゥッ!」
 一際高い恵の声とともに義隆の口の中に恵のモノが吐き出された。
「あっ!」
 何とも言えない開放感。
 力が抜けた手足をベッドに投げ出し、ぼおっと義隆を見つめた。
 その視線に気が付いた義隆はくすりと笑みを浮かべると、恵の顔の真正面に自分の顔を持ってくる。
 だが、その手は恵の後ろに回され、恵の蕾をつつく。
「んんっ」
 びくりと仰け反る恵の身体を片手で抱き締める。
 一度イかされ、敏感になっている恵の体は少しの愛撫でも反応する。
 舌が腰の線をなぞると身を捩ろうとし、義隆はその動きを使って恵の体を俯せにした。
 背筋にそって舌を這わす。
「んんっ・・・・・・ああん・・・・・」
 その度に漏れる甘い声に、義隆の心はぎりぎりまで高められていく。
 今すぐにでも恵の中に入りたい。
 だけど、まだだ。
 必死の思いで我慢し、指を蕾の中に差し込む。
「んあ」
 突然の違和感に恵が仰け反る。
 だけどその違和感はすぐに消えて、身体の中を蠢く指がもどかしく感じられる。
 そんなに回数を重ねたわけではないのにすっかり義隆に開発されていると思ってしまう。そして、その思いで余計に身体が高ぶる。
「ああ、もっと・・・・・・」
 思わず漏れる声。
 恵は歯がゆい思いで義隆に振り向く。「も、よしたかが欲しい・・・・・・」
「まだ、早いよ・・・・・・」
 言っている義隆も熱い息が早く浅い。
 煽られて指を増やすたびに、恵の体が反応し、そして中がとろけていく。
 恵の口の端から流れ出る涎が淫猥で、視覚的にも義隆を煽る。
「もう・・・・・・」
 我慢できなくなった義隆が、自分のモノを恵の蕾に押し当てた。
 ああ・・・・・・
 その感触に恵は期待と不安で身を焦がす。
「いくよ」
 優しく囁く義隆の口調とは裏腹に、ぐぐぐっと突き立てられ、恵はきつくシーツを握り締める。
 歯を食いしばり、必死で襲い来る痛みを堪えた。
「きつ、恵少し緩めて」
 んなこと言ったって・・・・・・。
 涙目で義隆の方に視線を向ける。
 そのために捩られた身体が、半分ほど挿入された状態の義隆に刺激を与えた。
「う、動くな!」
 いい加減我慢し続けている上に激しい締め付け、暴発しそうで義隆は呻く。
「だって・・・・・・」
 恵も何とか力を抜こうと大きく息を吐いた。
 とたん、義隆が一気に押し込める。
「んあっ!」
 大きく仰け反る恵の目尻から涙が一筋流れ落ちた。
 そのまま義隆に背中から抱き締められる。
「気持ちいい・・・・・・」
 義隆はそう言いながらも、前に手を回し、恵のモノを上下に擦る。
「んんっ・・・・・・あ、よしたっ・・・あんっ」
 額を布団にすりつけるように左右に振る。
さっきよりはるかに敏感になっている身体に、恵の理性は完全に吹っ飛んでいった。
「ああ、義隆あ、動いてぇ」
 掠れた声でお願いされ、義隆は思わず動いた。
 その僅かな動きですら恵の全身に痺れが走る。
「んんっ」
 義隆は最初はゆっくりと、そしてだんだん激しく恵の奥をつく。
「はあっ・・・・・・・はあ・・・・・・」
「いやあっ!あああっ・・・・・・・も、やっ」
 義隆の熱い息づかいと恵の嬌声、そしてつながった部分から漏れ出る音が部屋の中に響いていた。
「け、い!も、だめっ!」
 先に義隆が堪らずに精を放った。
 恵は体の中の義隆が震えるのを感じた。それが、恵の敏感な所を刺激して。
「あっ、俺もっ、だ!」
 恵も欲望を吐き出した。

 
 全身を襲う倦怠感に四肢を投げたしていた恵の顔を義隆が覗き込んだ。
「いい顔だ・・・・・・」
 そっと頬をなでる。
 くすぐったそうに目を細める恵の顔は、興奮と羞恥でピンクに染まっていた。
「恵、ごめんな」
「え?」
 突然謝られても、何のことだか分からない。
「笹木君とキスしたこと。それで恵を不安にさせたこと。今日の旅行を駄目にしてしまったこと・・・・・・全部」
 顔をしかめる義隆に、恵は笑みを返す。
「笹木さんのキスは俺も悪かったと思っているし、不安なんてもう消えた。旅行の件は、明日もあるし・・・・・・それに今はとっても幸せだから」
 手を挙げ、義隆の顔に掌を添える。
「こうして義隆に抱いて貰えると、なんだか悩んでいたことも、何もかもが飛んで言っちゃう。だから、お願い」
 言葉を切る恵に義隆は「何」と首を傾げる。
「もっと、何もかも忘れさせるくらい・・・・・・抱いて」
 甘い声と言葉に義隆は目を見開き、そしてゆっくりと満面の笑みを浮かべた。
「愛している」
 囁きながらのしかかる義隆に、恵も同じ言葉をそっと返した。

続く