歓楽街の奥の奥にある寂れた場末のクラブに、関根はいつものように顔を出した。
薄汚さは相変わらずの、ヤクザの息のかかったこの店は、はっきり言って怪しいの一言に尽きる。実際、この店は酒を出す以外にも何でも取り扱っていた。
通常ならサツの手が入ってもおかしくない。
けれど、この店は昔からここにあって、客以外立ち入ることができないようになっていた。
文字通り、入れないのだ。
迷いこんできたもの、敵意を持つものが扉を開ければ、ただの廃墟でしかないという。
しかも、気が付けばその命が危険にさらされる状況になっていることすらあるらしい。
関根もそんな都市伝説のような店に興味はあったけれど。
ツテを辿り、なんとか常連だった男と知り合いになり、その彼に紹介されて初めて入れるようになったほどだった。
そんな不可思議な店は、入ってしまえば高級感などどこにも無く、秩序も乏しい。
暴力も恐喝も売春も薬も日常茶飯事のこの店で、死体に出会うこともざらだ。実際、関根も店で他の連中と遊んでいる時に、死なせてしまったこともある。もっとも、その死体はいつの間にか消え失せて、新聞沙汰にもならなかった。
それが何故かは興味をそそられるが、下手な勘ぐりは自分も死体のお仲間になると判っていては、沈黙を守るしかなかった。
それを気にしなければ、この店は関根のためにあるようなものだった。
そんな一種治外封建のこの店で、関根が買うのは人だ。基本的には一夜の遊び相手だが、時にはそれで長く遊ぶことがある。嗜虐趣味が強すぎる関根には、普通の店ではなかなか相手を見つけられない上に、うっかり壊すこともできない。その点、この店で扱っているモノであれば、そういうアフターフォローも万全だ。もっともそれ相応の金銭も、弱みも握られるわけだが、それでもかまわないほど、関根の性欲は強い。
実際、他でこの性的嗜好を発散させてしまうリスクを考えれば、安いくらいなのだ。
ただ、こういうところでも、関根に卸せる商品がそうそういるわけでもなく、今日は残念ながら空振りのようだった。
仕方なく、供されたブランデーを飲み干して、そろそろ帰ろうかと腰を上げかけたとき。
「オーナーが一杯おごりたいと申しております」
礼儀正しさに隠した獣の気配に、関根の口元に笑みが浮かぶ。
綱紀(こうき)と名乗るオーナーが、客前に出ることは滅多に無い。彼も誰かの部下に過ぎない、と言ったのは綱紀自身だったけれど。
腰は低いが、その威圧感はちゃちなヤクザの頭よりはるかに強い。
その綱紀自ら出てきたとなると、代替品の紹介があるのか、しかも極上の何かが。
「異存はないね」
それは楽しみだと、関根は即座に了承した。
この店の供する品に間違いは無い。
さらに、綱紀に会うという自尊心をくすぐる行為に、奥のVIPルームに向かう関根の胸は、常以上の期待に膨らんでいた。
都心の一軒屋。
広い庭を囲む高い塀は、家の様子を窺わせない。
コンクリートの打ちっぱなしの壁でできた家は、地上2階、地下2階で、各部屋の間取りは広い。
そんな関根の家とは比べものにならないほど小さな家が、地下1階に設けたオーディオルームの52型の画面に映っていた。
敷地一杯に建てられたそれから、眠そうな顔をした青年が出てくる。線の細い、それほど高くない背格好に、今時の若者らしい薄茶の長髪。肩にかけたショルダーバックがひどく重そうで、何度もかけ直している。
その彼のすぐ横に表札があった。
『鹿島』と書かれたその文字も、塀のすぐ傍の電柱の『××区○○3丁目』と所在地表示も良く読める。
そんな日常風景が映る画面に、関根はごくりと息を飲んだ。
比較的きれいな映像だとは思う。
だが、この手の映像を見慣れた関根には、これが盗撮なのだと容易にしれた。だからこそ、その地名の場所に行けば、この家があると判る。
今、自転車を走らせて通り過ぎた憂(ゆう)が、実際に住まう場所なのだ、ここは。
この映像は、あの店でオーナー直々に渡されたDVDに入っていた。
『関根さまには特別にお分けします。上得意会員様向けの非売品でして、今後シリーズ化の予定です。なお譲渡厳禁でございますので、不要の場合は私どもに返却していただきたくお願いいたします』
いくつもの注意とともに渡された、そのケースを飾るタイトルは、
『淫乱メス犬シリーズ Vol.0 【初めては、外で】』。
背景の写真は、今映像の中で駅の改札を駆け抜けている憂が、大学の校舎らしき建物を背景に、笑顔で友人たちと話しているところだ。
友人たちの顔はぼやけているけれど、他は鮮明だ。
映像に映っている駅も、駅名が隠されていない。
『鹿島裕(かしま ゆう)改め憂(ゆう)。20歳の大学生の淫乱成長記ですが、この頒布品だけでもたいそう人気が出ていまして』
これを頒布したものは、憂の素性を隠す意図がまったく無いのだ、と、そのことに気が付いて、興味津々に受け取ったのは、つい数時間前だ。
名も、吉時に厭う漢字を与えられたことも、興味をそそった。
彼にすべての憂いが与えられるのだろうか?
穿った考え方だろうが、名は体を表すともいう。本名を暴きながらもわざわざ名を変えたということは、なにかしらの意味があるものだ。
薄暗くした室内で、琥珀色の酒の中の氷が崩れる。その存在を忘れたように、関根は画面を凝視した。
階段を駆け上がり、来たばかりの満員電車に飛び込む映像が、妙にぶれていた。そのせいか、めまいがしたような感覚に襲われる。
目の前で閉じるドア、動き出す電車。
ああ、行ってしまう。
行き過ぎる電車に、追いかけた相手を取り逃がした焦燥感に襲われる。
けれど、一瞬暗転した画面は、車内の風景に切り替わっていた。先ほどよりは、すこし粗い。ぶれも大きく、焦点が甘い。
隠しカメラっぽいアングルに入っている憂の姿に、関根の喉が知らずごくりと上下する。
次の駅に着いたのか、車内に流れが生じる。
それほど背が高くない憂は、周りの人ごみに埋もれ気味だが。スーツ姿の会社員が多い中で、明るい髪の色が目安になる。
流れは、憂を奥のドアへと向かわせたようだ。
近くなったカメラが、彼の困惑気味の表情を映し出した。
『なんで、こんな……』
憂の唇が動く。
はっきりとはしないそれは、けれど想像するのは容易だ。
カメラが切り替わる。今度は背後の低い位置から。スリムジーンズの引き締まった臀部から、Tシャツの背を舐めるように見上げて行って。
再び切り替わったカメラは、しかめられた横顔を映す。続いて、反対側の、今度は腹部。
そして、少し離れて高い位置から遠景を映すカメラ。
合計5つのカメラが、彼を狙っていた。
最初の異変は、憂の表情だった。
身動ぎできない混み方は、実は彼の周辺ばかりなのだと、遠景を映すカメラで知った。それだけでも、何かが起きのかも、と見るものに期待させる。
そんな中、憂の不快げだった表情に、戸惑いが混じった。
視線が激しく動き、何かから逃れるように上体を捻って。
斜め後ろに落とした視線に誘われるように、カメラが切り替わり、無骨な手が二つ、尻タブを撫で回す様子が映し出された。
ぎっちりと詰まった人ごみの中、明らかな意図を持っている手の動きに、憂が逃れようと腰を動かす。けれど、隣と密接している上に、今度は鷲掴みまでされた。固定されてしまえば、体がかすかに揺れるだけで、逃げることなどできやしない。
大きな画面にそんな腰の動きが映り、関根の身体が前屈みになり、喉がひっきりなしに動く。
「やめ……、このっ」
うるさいほどの電車の走行音に重なって、はっきりと声が聞こえた。若々しい張りのある声は、微妙にかすれていて、妙な色気がある。表情を隠し取るカメラが、睨みつけるさまを教えて。憂の勝ち気さに、ぞくぞくと背筋がざわめいた。
憂はまだ知らない。
自分が罠に落ちていることに。
これがヤラセでないことは、あの店で受け取った時点で判っていた。
徐々に憂の表情に、焦りが混じってくる。
「や、やめろっ」
切羽詰まった静止は、画面の外では淫猥に響く。そして、中では……。
「ひっ」
両手を固定された彼のベルトが外されて、ジーンズの中に毛深い手が入っていた。
盛り上がった股間の布の下で、指が動いている。
「あ、や、やめっ……」
羞恥に震える声が、スピーカーからいやらしく響いていた。
最高級のオーディオ機器のお陰で、電車の音もサラウンドで聞こえ、自分が同じ電車に乗っているように感じる。
近づいた股間の映像の中、ジッパーがじりじりと降りる。
もとより、手まで突っ込まれたそこは張り裂けんばかりだから、すぐに両脇に分かれる。
解放された底にある紺色のトランクスがブルブルと震えていて。
目の前で憂の下着が覗く。もこもこと動く指の動きも露わに蠢くそれに、僅かな染みができていた。
感じている……。
痴漢に揉まれて感じる敏感さに、この後を期待してしまう。
その突っ込んだ手に沿って、何かコードが伸びていることに関根が気づいた途端。
「ひゃうっ」
奇妙な叫び声が迸った。
見れば、憂の体がガクガクと震えている。頬は紅潮し、何かに耐えいるように唇を噛み締めていたけれど。
「あっ、や……。は、離せ……」
堪らずに口を開いた憂の声が響く。周りのだれも、一言も発しない。
ただ、黙って手がトランクスのゴムが引っ張っている。
「な、に……?」
怯えた声音に、誰かが笑ったようだ。
「ひいっ──」
伝わったざわめきに被さった布が裂ける音は、けれど憂自身の声で掻き消えた。ゴムにハサミを入れられたそれが、力任せに引き裂かれた音だ。
隠していた布がなくなり、若々しいぺニスが晒されていた。それを握りしめている毛深い指の間からコードが伸びていて、指がブルブルと小刻みに震えている。
どうやらバイブレーターごと握られているらしいぺニスは、確かに先端まで小刻みに揺れていて。
そんなことが判るほどにドアップで大画面に映ったそれは、みずみずしいピンクの鬼頭をみだらに濡らしていた。画面越しでも匂い立ちそうな情景に、関根は堪らずに己のぺニスを引きずり出す。
自慰なんて久しぶりだ。
いつも買った男にしゃぶらせるか、突っ込むか。自ら動く必要も無かったときも多い。
だが、この映像には興奮が止まらない。
よくある痴漢物だ。
憂も、平凡極まりない。
けれど、煽られる。
それは、これが実話だからだろうか。よくある作り物のうさんくささがどこにも無い分、自分がその場にいるように感じられた。
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