淫魔 憂 浴衣デート 前編

淫魔 憂 浴衣デート 前編

 墨色の地に濃淡のみで描かれた大ぶりの金魚柄の浴衣をまとう男はずいぶんと逞しい身体をしていた。腰には白地に縞の角帯を粋に締め、下駄の音が歩くたびに響く。その逞しい腕の中に薄い肩を抱き込まれ、白地に赤とピンクの朝顔模様の浴衣を着た憂(ゆう)は促されるままに歩いていた。男の袖の下から見える背には大きめの蝶結びをした赤地の帯が垣間見える。
 憂は鬼に飼われている淫魔で、元は人だ。その昔鬼が作った淫魔の失敗作が人の中に紛れ、その血を繋いでいき、挙げ句の果てにこの時代に覚醒した。それが憂の兄の狂(きょう)だった。淫魔の作成者である鬼は長い刻の果てに偶然にも狂を見いだした。実際人として育っていた狂も自ら覚醒したわけではない。覚醒させたのは鬼だ。だがその結果同じ血を引く憂も覚醒させられたのは確かだった。
 そのときの相手により男を好むか女を好むが決まるのだが、憂は男に犯されたことにより男の精気のみが彼の飢えを満たすものとなった。さらに名前の字を変えさせられ、以来憂は鬼に利をもたらす道具として扱われ続けている。
 その憂が今着ている可愛らしすぎる浴衣はどう見ても女物だった。だが着ろと言われれば着るしかない。
 同じ色合いの大輪の花飾り付きのウィッグを身に着けた憂の姿は遠目では確実に女性でしかなく、近くで見ても化粧を施した顔は紅白の提灯と屋台の灯りしかない場では十分女性に見えるものだ。
 だがそうと見れば、抱くようにした腕に隠された胸は膨らんでいないし、尻の丸みは少ない。唯一晒されているはずの喉仏は、うつむき加減でいるせいか誰の目にも止まっていなかった。
 元より賑やかな祭りの一角で、石畳の両脇にある屋台に皆が気を取られ、ときに上がる花火に目を向けて、誰もが彼ら二人には気づいていない。まだまだ祭りはこれからではあったが、二人はすでに紫の垂れ幕で覆われた神社の神殿に参拝を済ませ、阿吽の狛犬の間を通り過ぎて幟の合間にある鳥居をくぐり抜けたところだった。
 すれ違う親子連れの子たちが歓声を上げ、危ないと叱咤する両親の声も楽しげだ。
 そんな人々から逆行するように、二人は短くはない石段を下りていく。
 カランコロンと二人の下駄の音が澄んだ宵闇の中に響いていた。三日月でしかない夜の空は暗く、月明かりがない代わりに小さな星が瞬いている。
 そんな中、憂は男が示すままに歩いていた。
 履き慣れない女物の下駄の鼻緒が食い込み、皮膚は赤みを帯びている。右の足首にはピンクに光る蛍光リングが付いていて、ぼんやりとその肌を照らしていた。
 だがそんなことを気にするより先に、この場を離れたいとばかりに憂の足は速かった。
 いくらきれいだ、女性にしか見えないと賛辞を送られても、肌着一つ身にまとわずに素肌に浴衣をまとっている身としては、衆目の場にいるというだけで耐えられるものではなかった。
 だが男はことさらにゆっくりと参道を歩き、憂の手にはその間に屋台で手に入れたものがぶら下がっている。男は優にそれらを買いに行かせ、子どもたちに交じってヨーヨーや小さな人形をすくわせた。
 嫌だと口にすることは許されず、憂ができることといったら、すべてを早く終わらせようとすることだけ。
 だがそんな中でも、憂の肌は赤みを帯びてうっすらと汗を滲ませ、近い男の匂いに煽られて香しい淫臭を漂わせた。
 痴漢にあったのは何度か、明らかな欲の色を瞳に染めた者たちにナンパされたのは何人か。
 そんなときばかり男は離れ、憂がなんとか逃れるのを笑って見ているだけなのだ。
 気がつけば乱れた襟足を直す男の手もイヤらしく、密かに触れられる股間への憂は何度も息を飲み、止めてくれと目線で訴えた。
 もっともそれは男を楽しませただけで、祭りへの同行はずいぶんと男を喜ばせていた。
 憂にとっては苦行でしかない行為ではあったが、益はあった。
 男の命令を素直に聞いて買い物をすれば、憂が手に持つ巾着の中でカウンターが一つ減ってくれる。痴漢に遭えばもう一つ。ナンパされた男にイヤらしく触れられればさらに一つ。
 万単位まで使える憂のための特別製のカウンターは、憂に与えられるはずの躾の数を減らすものだ。
 憂を飼う鬼たちは、憂が彼らの期待に応えなければ躾と称する罰を与える。
 複数の鬼が躾が必要だと言えば、それぞれ別にカウントされるから、一日に十も二十も要する躾の数が増えることがあった。
 だからといって、躾は一日一つしかできないことも多く、できない日も多い。一日でまかないきれなければそれは順延されていき、さらに十一(トイチ)の利子が付いていた。
 もうすでに毎日躾を受けても一生涯まかないきれないほど。
 それが減るのは躾を受けることともう一つ、鬼の中で憂の世話係となっている通称飼い主が選んだ客を喜ばせることだ。客が満足して、さらに飼い主にも利があるならば一つどころか十も百も減ることがある。
 その膨大な数字が今も一つずつ減っていく。
 今宵の客は、飼い主にとってずいぶんと利のある者なのだろうことが窺えて、憂は客の機嫌を損なうことを怖れた。
 今は減るだけのカウンター。
 カチリという音を感じるために、憂はどんな羞恥にも耐えながら男の言うがままに動いた。
 喧噪のする大通りを離れて一歩奥に入れば、そこはしんと静まりかえっていた。
 猫の子一匹おらず、ただ憂とその男だけが歩いている。素足に履いた下駄はカランコロンとアスファルトの上で大きな音を立てていた。
 その音が響くのが気になるのか、憂は落ち着きなく左右に視線を向けている。ためらいが足を遅くするのだが、男の腕がそれをさせてくれない。押し出されるように前へとつんのめりながらも、憂は指示されるままに道を歩いていた。
 今宵の仕事は、客とともに祭りに行くこと。
 言いつけられたのはそれだけだ。もっとも飼い主がすべてを教えないことはいつものことで、客の相手が含まれることは容易に想像が付いた。
 それにしてもどこに行くのかが気になった。
 どこかホテルか、それとも男の家か。まさか外で、とは思うが否定できないのは確か。
 一見普通に見える男がとんだ嗜虐趣味を持って青姦を求めることなどざらにあり、衆目下の集団レイプがデフォルトなのだ。
 こんな格好をさせた時点で、憂にとって明るい未来はないのはわかっている。
 何度もこなしたことといえ、それでもイヤだという嘆きの感情が憂の足をもつれさせ、手に持った大事な巾着袋が揺れた。ソースの香ばしい匂いをさせるポリ袋がカサカサと無粋な音を立てる。
 飼い主から逃れることなど無理だが、それでもその方法を無意識に探すのはそれはもう憂の性だ。成人するまでごく普通の人として育ち、ごく普通の感性を持つ憂にとって、この身体を好きなように嬲られるのはひどくつらいことであり、何度経験しても心の中では血の涙が流れ続けている。
 男に精気を注がれなければ生きられない質である淫魔だと、いまだに信じたくないのだ。
 今日も、この格好で男との待ち合わせの場に向かうときも、何度足は止まりかけただろう。男に犯される、股を開いて受け入れる。それが日常になった今でも憂にはそれが受け入れられないのだ。
 それがまた鬼の嗜虐心を煽り、楽しませるとわかっていても。諦めたほうが楽なのだと理解はしていてもどうしても。
 それが黄勝という鬼がはるか昔作り上げて人の血に潜ませた淫魔の性質だと聞いて、その残酷さに涙してもなお、憂は人である自分が捨てきれない。
 それでももう、憂は人として生きていくにはその身体は淫魔として覚醒しきっていた。鬼から離れ人の中にいれば、今度は人の精気に満足できない憂は、理性を失い人を襲うことはすでに証明済みだ。
 それに何より鬼たちから与えられた躾の数々が身に染みていてもいた。折檻と呼べる程度ならまだいいほうで、ときには拷問と呼べるべきほどの苛烈な躾。躾という言葉がこれほどまでに多様な行為と結びつくなど、人であったころの憂は知らなかった。
 憂にとって鬼を怒らせることは何よりも恐怖で、それを思い出せば逃げる気力は瞬く間に潰えてしまう。
 そんな暗い気持ちをしまい込む憂とは違い、隣の男はずいぶんと上機嫌だ。
 会ったときから美しい、すばらしいと褒め称え、憂が男と知ってなお女性のように扱う。なのにその目は明らかに性的ないじめを楽しむ男の色を浮かべており、祭りの会場でもずっと憂には酷な命令をし続けていた。
 そして今も、男は楽しむ場所が近づいているのだとどんどん楽しげに憂の肩を強く抱く。
 どこに行くかわかるかい、とでも言いたげな視線はずいぶんと楽しげで、憂をひどく不安にさせた。
 進むにつれて人の気配はますます遠のき、うっそうとした竹林が両隣に迫ってきていた。
 ここは……と、非日常的な状況に慣れた憂もためらう道。風が竹の葉をざわめかせ、どこか遠くで犬だろう遠吠えが響いている。
 人工的な灯りが、それでも距離を置いて道を照らしていた。
 いつの間にか入り込んだのは、車が通れないほど狭くなった道。
 いまどき珍しい剥き出しに鳴った電球の外灯は、一体いつの時代からのものなのか。
 片側が割れた屋根瓦をかぶったひび割れだらけのしっくい塀になって、しばらく続いた。塀は高く、奥は窺えない。
 もう完全に人の気配はなくなっていて、憂の肌が独特の空気を感じだしていた。覚えのある感覚により鼓動が速くなる。握りしめた巾着の紐が手のひらに食い込んだ。
「ああ着いた」
 男の嬉々とした声。
 目の前には古びて崩れかけた数奇屋門があった。築年数は相当あるのだろう。屋根の建材は残ってるが半分ほどは瓦が落ち、建具は無い。こけをまとわせた柱の色も朽ちかけたそれだ。何カ所かささくれくぼんでいる。男が手をかけるとぎしっと嫌な音を立てた。
 そこをくぐり、苔むした庭石を踏む。
 灯りなど無いに等しく闇に建物は沈んでいて見通せない。かろうじて石灯籠や、伸び放題の庭木、低い庭石が見える程度。
 だからか、奥には何も無いように見えた。
 ならば今日はここで、外でするのだろうか。
 そんなことを考えたとき、不意に人の気配がした。
 一人ではない、二人。
 ぎくりと身を震わせ足を止めた憂を、男は許さなかった。肩を抱いたまま憂を押し出して、近くにきて初めてそこに鳥居があるのが目に入った。
 苔むした石でできたそれは、今にも崩れそうになるほどボロボロで傾いている。正面の神社の名前があるはずの場所には何もなく、鳥居の上の両端には禍々しい角のようなものがそびえていた。
 その形状に憂の身体は激しく震え、身体が逃げを打つ。
 だがそれより先に、憂の身体は男によって鳥居の向こうへと押し出されていた。
「さあ、これからが祭りの本番だよ」
 きこえた声は、男のもののようだったけれど。
 あれは飼い主の声だと、憂は気がついていた。


 鳥居は現世と異界を遮る門。
 普通の鳥居と違う、鬼が設置したその鳥居と呼ばれはしても、神社にあるそれとは違うその門を潜れば、そこにあるのは鬼の領域だと憂は知っていた。
「不思議だろう? ぜひどうやっているのか知りたいが、それは門外不出の技だと言ってね。だが君と遊ぶのが最優先だから、深く詮索はしないことにしているんだよ」
 出迎えた男が両手を開きながらそう言った。
 ここに連れてきている浴衣以外が男の瓜二つなのは、双子だからか。
 最近とみに名の売れた実業家兄弟だと、憂でも知っていた。
 そこにはヨーヨーと人形すくい、光るおもちゃ、射的、飴細工、それに綿菓子の屋台があった。石畳の両脇に並び、紅白の提灯が辺りを照らしている。
 先ほどの祭り会場からすれば屋台の数は少ないし、提灯が照らす範囲は狭い。だが確かに激しい既視感を憂は感じていた。声もなく立ち尽くすが、手に持つポリ袋がカサカサと小刻みに震えていた。
 それらはすべて先ほど憂が遊んだり買い物をした屋台ばかり。
「ずいぶんと楽しんだようだ」
 その袋を前の男が受け取る。
 彼は自分が弟のほうだと名乗った。ならば共にいたのは兄のほう、彼が長兄となる。
 そして……。
「こっちに来いよ」
 よく似ているが、どことなく雰囲気の違う男がそこにいた。同じような逞しい体格をしている彼も浴衣を着ている。彼は末弟だと名乗ったが、二人と比べるとどことなくがさつな感じがした。
 ある意味憂の苦手なタイプで、片頬で笑うその仕草に知らず後ずさるが、後ろにいた長兄の男に遮られた。
 長兄が金魚なら、次兄はひまわり、末弟はトンボ。色合いは同じで、濃淡で薄く描かれたそれぞれの絵柄が違うだけだ。
「私たちはいつも同じことをしたいのだよ」
 長兄が立ち尽くす憂の両肩に手を置いて左の耳朶に唇を寄せて囁いた。
「私と憂が祭りデートをすると聞いてね、彼らも同じことがしたいと。そうしたら関根氏がこうやって不思議な空間を手配してくれたというわけだ」
 関根――と飼い主の名前を聞かされて、憂の身体が大きく震えた。彼の名を出されて憂が逆らえるはずもない。彼は憂を使ってどれだけ利を出せるか、そればかりを常に考えており、彼の思惑通りに利を出せなかったときには、次の客相手は憂の身体も精神も壊してしまいそうなほどに激しいものになるのだ。
 彼は純粋な力ある鬼ではないが、憂を扱うその手腕は誰よりも認められていて、憂の仕事のすべてを取り仕切っている。故に次の客相手が楽かどうかは関根の胸先三寸で決まってしまうのだ。
 その関根の名を出されてしまえば憂はもう彼らの遊びに付き合うしかない。たとえそれが何も知らされていないことでも憂には問いただす権利すらないし、それが正しいかどうか判断する糧すら与えられない。
「さあ、憂ちゃんはまずは人形すくいをしていたね」
 次兄の男が憂の手を取った。その腕から長兄がポリ袋を取り外し、行っておいでとばかりに背を押す。
 のろのろと導かれるままに憂は人形すくいの水が張られたトロ舟の前に座った。向こうには屋台の主代わりなのか末弟が座る。
「いらっしゃい」
「……一回……」
 巾着から赤い金魚の形の小銭入れを出したところで、末弟が言った。
「紙ともなかとどっちがいいかい?」
 その両手に持って指し示されるニ種類のポイ。さっきの祭りではなかった選択肢に憂は目を瞬かせ、一瞬惑う。
 だが彼らは同じことをしたいのだと言っていた。ならばさっきと同じようにすればいいだろうと、憂は紙製のポイを指で示した。
 赤いプラスチック枠に白い紙が貼られたそれは、先ほどは呆気なく敗れて人形はすくえなかった。何より、すくうことに気を遣うより、女性らしく膝を揃えてしゃがみ込むことに意識が行っていたのだ。しかも座るときですら膝を揃えていないと、何も身に着けていない股間が丸見えになりそうで怖かったのだ。
 同じように大きなトロ舟の前に座った憂は紙のポイを受け取ると、すぐに水面に浮かぶ色鮮やかな小さな人形に目を向けた。
「ひっ!」
 思わず悲鳴を上げて、後ずさる。だがしゃがみ込んだ姿勢では不意の動きに耐えられず、そのまま尻餅をついてしまった。
「おやおや、きれいな浴衣が汚れるよ」
 腕が脇に通されて、身体を起こされる。密着した次兄の男が肩越しに囁いた。
「どれでも好きなのを取っていいんだよ。取ったお人形と同じことをしてあげよう」
 ねとりとした物言いが、憂の耳を犯していく。
「これなんかどうだい?」
 末弟が一つつまんで差し出してきた。
「ああいいね、こういう姿は似合うと思う」
 それは小さな全長が三センチ強のソフビの人形だった。だが先ほどの祭りですくおうとした、子ども向けのキャラではなかった。
 水面いっぱいにある人形のそれらはすべて憂の顔をしていたのだ。もちろんずいぶんとデフォルメされてはいたが、似たような人形を見たことがある憂は、すぐにそれが自分だと気がついた。
 さらに目の前で振られるそれ。
 三頭身になった憂が太腿を自分の手を掴み大股を広げて喘いでいる姿だった。しかもちゃんと勃起したペニスが小ぶりながらついている。
 それだけでなく水面にあるのは、それこそさまざまな体位をした憂だ。四つん這いもあれば、立位なのか尻を突き出しているものもある。中には尻尾がついたもの、両手を高くかげてその手首に枷と鎖がついているもの。
「憂の四十八手すくい、というらしいよ。これがスペシャルだと」
 ひときわ大きなそれは、憂の尻にも口にも棒状のものが突き刺さり、首輪に鎖、乳首には小さいながらもピアスがされている。それだけは体位ではなくて、犯される最中そのものが模されていた。
「ちなみにこのスペシャルをすくえたら、特別なプレゼントもある」
「へえ、いいね。憂ちゃん、それがすくえるかい」
 ぼちゃんと目の前に落ちたそれ。
 形状だけでなく、いやな予感しか無いプレゼントも欲しくない。
 何より、自分がさまざまな体位をしている姿が浮かぶその水面を見たくはなかった。
 だが紙は薄い。さっきも呆気なく敗れたように、今度もすくえるはずがないと、憂は意を決してポイを構えた。
 たとえこの紙が丈夫であったとしても、うまくすくえるわけがない。
 そう思ったときだった。
「ああ、やっぱりちょっと待って」
「なんだよ?」
 次兄が声をかけ、末弟がにやにやと笑いながら返した。
「憂ちゃんは兄さんとのとき、失敗してただろ。あの様子だとあまり得意じゃないと思うんだよね」
 そう言って指し示したのは、そこにはその雰囲気には場違いなスクリーンがあった。
 ついていないときには闇に沈んで気づかなかったのだが、今は淡く輝き、祭りの風景を写しだしていたのだ。
「あ、れ……は」
 思わず呟いたほどに、それは記憶に新しいものだった。
 その憂の言葉が引き金にでもなったように、スクリーンから声が漏れる。
『あ……』
『おや、おじょうちゃん、駄目だったのか。ほら、どれでも好きなのを取って』
 それはつい先ほど憂と屋台の主が交わした会話。
 いつ撮られていたのかわからないが、今さらなことだと憂は視線を外した。きっと先ほどのことはリアルタイムで見られていたに違いない。だからこそのこの茶番なのだ。
「だからね、私が代わりにしようと思うんだ、憂ちゃんのね。ほら、そのもなかのほうをくれよ」
 差額を払う男を、憂は止められない。
 紙よりはるかに丈夫な、たぶん通常よりかなり丈夫なもなかのポイは、一度二度水の中をくぐっても柔らかくならない。いや、水を吸ってはいるのだが、崩れるのがかなり遅かった。
「ふふ、スペシャルが取れたよ、憂ちゃんによく似てかわいいな。ほら、次も」
 一つ、二つ、瞬く間に十個の人形が容器の中に山積みになっていく。
 さらに十一個目というところで、ぽちゃんと崩れたもなかが落ちていった。
「ああ、終わりだね」
「惜しいね、兄さん、じゃこれはおまけ」
 十一個目の犬姿の人形が追加された。
「ありがとう、これもいいね」
「それから、おめでとうっ!! スペシャルをすくった特典だ」
「おおっ!」
 憂にとってはわざとらしいやりとりが目の前で行われた。
 差し出されたのは大きな人の腕ほどの細長い箱だ。
「ほお、中身は、と」
 さっそくとばかりに開けられた中身は。
「いいねえ、これは」
「憂お気にの電動ディルドだと。十段階調節付きバイブ機能に、落ちないように腰バンド付き、無線機能もあるから遊ぶには完璧」
 視線がいっせいに憂へと集まった。憂はといえばそのディルドを食い入るように見つめていた。
 それは憂の本来の持ち主、鬼の綱紀(こうき)のものを象ったひどく凶悪な形をしているものだ。
 淫魔の性を持つ者は、より強い精気を求める傾向がある。特に鬼の強い精気は淫魔の大好物となり、それがより淫魔を育てる。一度味わえば、より強い精気を味わうまでその味は忘れられずほかでは満足できなくなる。いつしか飢えて、そればかりを考えるようになることもざらだ。
 憂にとってその精気の持ち主が綱紀だ。
 だが綱紀はめったなことでは憂を犯さない。
 飢えてどうしようもなくなって、与えられたのがそのディルドだった。どういう理屈がわからないが、そのディルドは無機質なもののはずなのに憂に精気を与えた。それは生身で与えられるよりもはるかに少ない量だが、それでも一回は一回。憂の飢えを不十分ながら解消させる効果はあった。
 そのせいで本来快感だけを与えて飢えを助長するディルドなのに、憂はそれを見ると身体が熱くなる。欲しくて仕方がなくなって、遊びだしたら理性はあえなく潰えて、ただの性欲の塊になってしまう。
 それほどまでになるのが、淫魔にとっての強い精気の持ち主。
 ごくりと喉が鳴る。
「憂もこれが気になるようだね。だがこれで遊ぶのは最後だよ。まずは祭りを楽しもう」
 背後で様子を窺っていた長兄が、そんな憂に釘を刺した。
 男たちはそれの効果的な使い方を知っていた。
 目の前のごちそうを取り上げられて、憂は喉を鳴らしながらそれを目で追った。だが視界から外れるとようやく自分がどんなに浅ましい姿を晒したのか気がついた。
 それは羞恥に苛むものであると同時に、飼い主の意には沿わないものだ。関根は自らねだることを憂に禁じていた。
「さあ、立って」
 次兄の手が憂の脇へと入った。その手のひらが、薄い浴衣地の下の突起を撫でる。少し強い刺激に、憂の身体が小刻みに震えた。零れそうになった声は飲み込んだが、唇を噛み締めてしまうほどに、下半身が疼いた。
「おや、座りっぱなしで足が痺れたのかい? ならば運んであげよう」
「あわっ」
 不意に膝下に腕を差し入れられ、抱え上げられる。背と膝裏に感じる逞しい腕は安定感があったが、とっさのことで暴れた足が浴衣の裾を割り開いた。
「手を離さない」
 慌てて手を伸ばして裾を揃えてようとするが、耳元で囁かれた命令には逆らえなかった。
 開いた裾は太腿までその肌を晒しており、しかも仰向けになれば、その股間が布を盛り上げているのが皆の目には明らかだ。
 その破廉恥な自身が視界に入り、憂の頬が熱くなる。
「おやおや、もう興奮しているのかい? まだ人形すくいをしただけだよ。あの体位で遊んであげるのはここの屋台を全部楽しんでからなんだから、もうちょっと我慢しててよ」
 残り五つを指し示されて、憂ができることは欲情した自分の意識を逸らすことだが、一度発情した淫魔は人に抱かれるまで萎えることはない。
 泣きそうな思いの憂は、抗うこともできずに今度はヨーヨーすくいのところへと連れて行かれた。
 抱きかかえられたまま中を見せられる。
 だが浮かんでいるものを見て憂は不審げに眉根を寄せた。そこにあるのは見慣れた風船のヨーヨーではなく、丸い形状をした大中小、三種のサイズ違いの玉だったのだ。色はいろいろあって鮮やかだがヨーヨーではないそれに、憂は思わず屋台の主の席についた男を見つめた。
 そんな優に末弟の彼は笑う。
「少し趣向を凝らしたもののようだ、ほら」
 人形すくいと同じようなトロ舟に浮かぶ色鮮やかな玉の一つを取り上げた。よく見れば、その玉には真ん中に一本トンネル状の穴が開いていた。そこに釣るためのゴム、その先端にフックが付いていた。そして次に取り出されたのは細く長い鎖。
「釣れた玉はゴムを外してこの鎖でつないでできあがりってわけだ」
 二センチほどの玉がその鎖に通される。三センチほどの径の玉がさらに続き、今度は五センチの玉。それが十個ばかりつながったところで、憂はその意味に気がついた。
 その玉をつなげたものは、憂を苛む玩具の一つにそっくりだったのだ。
 さあっと血の気が失せた憂を尻目に、再びその玉が水の中に落とされる。バチャバチャと水音をさせて沈み込んだ玉が再び浮かび上がり、また沈むのを繰り返した。
「今度もスペシャルがある」
 ぼとんと重い音を立てて沈み込んだそれが浮かび上がれば、径が八センチはあろうかという大きな漆黒の玉だった。
「……入らない……」
 思わず呟いたのは無意識だが、確かにその場の誰の耳にも入って笑いを誘う。
「入るさ、憂ちゃんはどんな大きさでも貪欲に喰らうじゃない、私たちは毎回楽しみにそんな憂ちゃんを見ていたんだから」
 確かに以前、そのぐらいのサイズを持つ人とは思えぬ巨根に犯されたことがあった。そのときの憂の映像はいまだにトップセールスを誇っている。
 続編を希望する声も多いらしいが、あいにくあの男優はその直後憂に精気を搾り取られて死んでいる。そのことを伝え、自分が悪いのだと土下座して謝る映像も地味に人気があって、一時期謝罪のために全国行脚の旅に出さされた。そんな謝罪の映像でも購入してくれた客のうち抽選で当たった人に直接謝りに行くことになったためで、そのときの光景はシリーズで映像化されている。
 それをあげつらわれては、憂は黙るしかない。
 ただ蒼白な面持ちでその玉を見つめるだけだ。
「だけど憂ちゃんはさっきので足が痺れたままだと思うんだよ。またしゃがむのは無理じゃないかな」
 ところが憂を抱きかかえている次兄が不意にそんなことを言い出した。
「だからこうやって抱いたままにしてあげる。かわいい憂ちゃんが足を痛めないようにね。でもこれだと釣れないよね」
 揺すり上げるように抱え直して、次兄がそのまましゃがみ込む。そのせいで近くなった顔が意味ありげに末弟を見つめた。
「そうだな。だったら代わりに俺が釣ろうか。兄さんは憂を落とさないように足の痺れをとってやってくれ」
「うん、いいよ」
「そうだな、それがいい。憂、マッサージをしてあげよう」
 さらによそにいたはずの長兄までもが横に片膝を突いて座り込んできた。それに否という間もなかった。
 次兄の膝の上で抱きかかえられた身体に、長兄の大きな手が触れる。
 その手は足だけでなく、身体にも触れ、胸の袷から中へと素肌に触れてきた。
「ひんっ」
 憂の肌は敏感だ。身体が資本の淫魔には肌はより敏感に、艶めかしく潤むようにと、最善を尽くした薬液で手入れをされている。指先で軽く撫でられるだけで甘く疼くほどの快感を感じるそこを撫で上げられて、たまらずに嬌声が喉から零れた。
 逃れようにも抱え込む次兄の力は強く、身悶えることしができない。
「あ、やっ、ぁぁっ」
 指先が隠れた乳首に触れた。ピンと先端を弾かれて、びりびりと神経が痺れる。覚えた快感はすぐに性の源である股間の器官に集まり、血を集めた。
 長兄の手は上だけでなく足にもいたり、柔らかな内股をそっと撫で上げた。
 刺激に震えた身体は、うまく動けないせいでよけいに快感を逃せない。
 跳ねた足に浴衣の裾が割れ、下から持ち上げる力もあってすぐにひらりと左右に広がり落ちた。そこから覗くのは、だらだらと先端から涎を垂らす憂自身だ。すっかり勃起仕切ったそれはピンと立ち上がりへそ近くまで腹に着いている。男として十分なサイズと言えるそれは、実のところ本来の性器として使われることはもう無い。
「かわいいおちんちんのお目見えだ。おやおや、憂は女の子だと思って、今日デートしてあげていたのに」
「兄さん、騙されたよ。どう見てもこれは男の子だよ。こんなにかわいいおちんちんが付いているなんて……憂ちゃんは女の子だと思っていたのに」
「や、ああ、つ、触らないでっ」
 敏感な性器は、触れられればすぐに限界に至る。だが許可のない射精は厳罰ものだと知っている憂は、耐えるしかない。
 頭を振り乱し耐えるうちに、ウィッグまでもが頭から飛んでいってしまった。
「おや、本当に男の子だね。はてさて、うまく化けてくれたものだ」
「どうするの、兄さん。関根氏に文句でも言う?」
 その言葉に熱くなった身体も一気に冷める。
 関根の意に染まぬことをしたと叱責されるのは憂なのだ。
 だがそんな憂の様子を見て満足気に笑みを浮かべる彼らもまた、そんなことはわかっての言葉だ。だいたい憂が男なのはわかりきってることなのだから。
 そんな憂の怯えすら彼らの興を誘うのだとわかっていても、今の憂には怯えることしかできない。
「ご、ごめんなさっ、なんでも、なんでもしますから、だから関根さまには伝えないでくださ――ああっ!」
 大きな手のひらにすっぽりと陰茎が覆われる。自分の体液で滑るそこを軽く扱かれただけで、憂は喉を晒して喘いだ。
「なんでも、ねえ……。だったらこれから憂ちゃんはずっと女の子でいてよ。この後も女の子としてずっと付き合って欲しいな」
「それはいい。憂じゃなくて憂ちゃんか、よく似合うかもな」
「女の子の憂か、なるほど」
 三人が三人ともに満足気に頷く言葉の意味が、憂にはよくわからなかった。男であっても男に犯される憂はいつでも女扱いだ。女と呼んでくれるならまだしも、メス扱い。メスイヌ、メスブタとろくでもない扱いはいつものこと。
 それをわざわざ女の子になれという意味がわからなかった。
「うんうん、憂ちゃんはこれから女の子。関根氏にも伝えておく」
 そう言われて仕方なく頷いた。

続く