なぜこの場所を選んでしまったのか……。
雅の入口で、葉崎はぼうっと佇んでいた。
中を窺うと、まだ宮城は来ていない。
場所を聞かれたとき、葉崎はただこの場所しか思いつかなかった。
あの加古川が、どういうふうに宮城に説明したのかは判らない。
葉崎は今日宮城に引導をつけさせるためにここに来た。だが、それを宮城が知っているとは思えなかった。
「だけど……なんて言えば良いんだろう……」
嫌われるように、冷たい振り方をすればいいと言われたが、今までそんな経験はない。振ることも振られたこともない。
それに……。
葉崎は雅の入口から離れると、ぶらぶらと通路を戻り始めた。
この前も、入るに入れなくてこうやってぶらぶらしていたら、宮城に捕まった。
飲んでいる間は楽しかった。
年下とは思えない程の場数は、今の仕事のせいだろうか?
上司である加古川に随分と信頼されているように思えた。それにあの電話での加古川の言葉は、本気で宮城を心配しているように聞こえる。
角を曲がった途端、とんと人に突き当たる。
「すみま…!」
謝りかけて息を呑む。
「葉崎さん……」
唖然としてそこに立っていたのは宮城だった。
「どうしてここに……」
「それは……」
そういえば、どうしてここにいるかの理由を考えるのを忘れていた。
酒に弱いのはばれている。この通路の先は雅しかない。葉崎が、いるような場所ではなかった。
「宮城さんこそ何で」
「オレは社長の代わりに……」
「オレは加古川さんに……」
「それってうちのうちの社長?じゃ社長の相手って……葉崎さん?」
ひどく驚く宮城がいた。
「名前を聞いても、顔を見れば判るって言われて……変だとは思ったけれど」
「……そうです」
もうそういうしかない。
「でも、何で?」
歪んだ表情に浮かぶ疑惑の色。
と、がやがやとホテルの客らしい一団がやって来た。
宮城の手が葉崎の腕を掴む。
痛みすら覚えるほどきつく掴まれ、葉崎は顔をしかめた。振り解こうとするのだが、簡単には外させてくれない。しかも、宮城はぐっと引っ張って歩き始めた。
「どこへ!」
狼狽え抗う葉崎に、宮城が囁く。
「ここだと周りが煩いでしょう」
どこか怒っているような声音に、葉崎は萎縮してしまう。
大人しく従っていくと、宮城はエレベーターへと乗った。5階のボタンを押す。
「どこへ?」
問いかける葉崎の言葉は、沈黙を持って返された。
どこへいくつもりなのか……。
ここの1階と地階は入ったことがあったが、それより上はいったことがない。
あるのは客室だけだと、思っていたが。
5階につくと宮城は葉崎の腕を掴んだまま、歩き始めた。
そして、ある部屋の前に辿り着くと鍵をポケットから取り出し、ドアを開け葉崎を引っ張り込んだ。
「何で?」
呆然と見遣る。
なぜ鍵を?
「社長がこの部屋に連れて行くように言ったから」
加古川さんが……?
落ち着いて周りを見渡すと、奥にあるのはダブルベッド。それを見た途端、どきりと心臓が高鳴る。
「で、聞きたいんだけど、何で社長の相手が葉崎さんな訳?」
「それは……」
何で怒っているんだろう。
宮城が記憶にあるものよりはるかにきついと思われる視線で葉崎を捕らえる。
「社長……今日はデートだと楽しそうだったんだけどね、急な用事が入って、この部屋に案内して待って貰うように言ってくれと頼まれた。デートの相手って葉崎さんだったんだ」
「デ、デート?」
なんて事を!
「あの社長が男を相手にするなんて初めて聞いたけど」
どこか暗い澱んだ声に、慌てて首を振る。
「違う!デートなんかじゃないっ!オレは」
「じゃあ、なんで社長と会う約束なんか」
「それは……」
あんたを諦めさせるため……。
思わず言いそうになった言葉を飲み込む。
まだ、なんて言えばいいのか考えていなかった。いや、言いたい事を言えばいいと思っていたのに、なのに宮城を前にしたら何もかもが頭の中から吹き飛んでしまった。
オレは何でここにいるんだろう……。
目の前にスーツ姿の宮城の姿がある。
忘れようとして、忘れることができなかった相手。
オレは、彼を完全に忘れるために、ここに来る約束をしたのだから……。
だから……。
「言えないんだ?」
揶揄するように言われて、カッと頭に血が昇った。
嫌われるような言動をすればいいんだ。
「ああ、そうだよ。あんたんところの社長に誘われたんだ」
言った途端に、胸の奥がきゅっと絞られるように息苦しくなった。
宮城の顔を見てしまったから。
何かに堪えるようにぎゅっと目を固く瞑り、ぐっと下唇を噛み締めている。ひどく辛そうなその表情……。
「嘘だ……」
絞り出すように言うその言葉に息を飲む。
何でそんな事を言う!
否定しないでくれ!
オレを嫌って、もう忘れてくれよ。
「ほんとだ」
「嘘だっ!」
葉崎の言葉を覆い隠すように宮城が声を荒げる。
「そんな筈はないっ!」
「何でそんな事言うんだよ!」
「あんた、あの日が初めてだろ、社長に会ったのさっ!」
言われて思わず葉崎は頷いた。
「次の日から社長はほとんど予定が詰まっていて、あんたに逢う機会なんか無かったはずだっ!」
げっ!
そんなん知らない!
びくっと顔を引きつらせ、後ずさった葉崎の肩を宮城が掴んだ。
「何を企んでいるんだ、あんたと社長は?」
顔を近づけ、その鋭いまでの目で睨み付けられる。
その何もかも見透かされそうな視線から逃れたくて、葉崎は俯いた。
「だから……今日初めてのデートなんだよ……。まさかこんな部屋まで用意しているとは思わなかったけど」
「……そう。あくまでそう言うんだ……」
掴まれていた肩にさらに力が入る。
「痛いよ、離せって」
「あんたさ、判ってる?」
ふっと宮城が諭すように話しかけてきた。
「何が?」
「あんた、自分で何を言ってるか判ってんのかってこと」
「だから何が!」
苛々と宮城を見上げると、宮城がふっと笑みを漏らした。
その瞬間、ぞくりと背筋に悪寒が走った。
怖い……。
笑っているのは口元だけだった。
目は冷たいまでに葉崎を見下ろしている。
「社長とデートってことは、あんた男でもOKだって言っているんだよな」
「!」
そ、そんなことっ!
慌てて身を捩って逃れようとした。頭が逃げろと警告している。
だが、宮城の力の前では葉崎はそれに従うことは出来なかった。
一瞬の内に抱え上げられ、乱暴なまでにベッドに投げ落とされる。
ベッドのクッションで吸収できないほど激しく頭を叩きつけ、くらりと意識が遠のく。
「社長に犯られるくらいなら……」
悲痛なまでの宮城の声が、耳に届く。その意味を理解するより早く、躰の上に宮城が覆い被さってきた。
「…やっ、止めろっ!」
かろうじて保った意識。
だが、完全に組み伏せられ、葉崎には為す術がない。
「どうして……」
こんな事……されたら……。
襲われているというのに、躰が熱くなっていく。
葉崎は必死になって逃れようと足掻いた。
「離せ!だから、もう逢わないって言ったのに!何で逢ってしまうんだよっ!」
「そうだよな。逢わない約束だった。だがな、それでもオレは何度もあんたに逢いたいと……それこそ、あんたの会社の前まで行ったことだってある。あのコンビニにだってな。逢いたかった。忘れられなかった」
ぎりぎりと押しつけられ、痛みを訴える手足。
だが、頭はその痛みより宮城の悲痛な声の方が痛いと訴えていた。
オレに逢いたいって……?
「なのに、あんたは社長と会う約束をして……デートだって?そんなこと!」
ぎり
喰い縛られた歯の音が葉崎まで響く。
ぽたり、と葉崎の頬に熱い滴が落ちてきた。
「嫌だ、あんたが他の誰かのものになるなんて……そんな事!」
ぽたぽたと落ちてくるものは、宮城の両目から幾らでも溢れてくる。
濡れた頬が熱いと訴える。
吐き出され届いた言葉に息が詰まり、喘ぐようにしか呼吸ができない。
心臓に突き刺さる棘は無数にあるとさえ感じた。
宮城が泣いている。
それが堪らなく辛い……。
「誰にも、やらない!」
乱暴なまでのキス。
葉崎は痛みに顔をしかめながらも、それを避けることは出来なかった。
躰が動かない……。
目も耳も宮城の動きと声をひたすら追っている。
躰も、宮城にされるがまま、逆らおうにも動かない。
つうっと目尻からこめかみに向かって流れる熱い液体。
オレは何をしているんだろう。
忘れるためにここに来た。
けりをつけるために……。
なのに、オレは何をしている?
こうして、抱かれようとしているのに……だが……。
「ふっ!」
首筋を舐められ途端に、鼻にかかった吐息が漏れた。じわじわと甘い痺れにも似た疼きが全身を襲い始める。
はふっと息を吐きそれを逃そうとするが、次々と来る疼きにそれは無駄な足掻きでしかなかった。
躰が宮城を求めている。だから、躰が動かない。
こうしたかった。
あの日以来、忘れることの出来なかった行為。
それは……だれでもよい訳ではない。加古川がもしその気で迫ったとしても、股ぐらを蹴飛ばしてでも逃げただろう。
逃げないのは、ここにいるのが宮城だから。
オレを忘れられないと苦しそうに叫ぶ宮城だから……。
宮城だから……忘れることができなかった。
葉崎が感じているのを知った宮城の動きは性急だった。
「あんた、嫌じゃないのか?」
くくっと嗤う。だが、その表情はその言葉とは裏腹に怒りに満ちていた。
引き裂くように葉崎のスラックスと下着を剥ぎ取り、いきなり指を入れる。
「あっ!」
激しい痛みに襲われ無意識の内に抗う葉崎の躰を押さえつけた宮城は、そこが馴れる気配のないままに次々と指を増やしていった。
それはこの前の一夜とは雲泥の差がある行為。
あの時にしか、受け入れたことのないそこは宮城の行為に痛みしかもたらさない。
「きついな。力、抜けよ」
苛々と命令する宮城に葉崎は為す術もない。
ふるふると頭を振り、歯を食いしばる。
だが、拒否する気は起きなかった。
たぶん、こうするしかないのだ。
彼を諦め、元の自分に戻るためには。
彼を慕ってしまっている今の心をなくすために。彼を軽蔑するために……。
そうしないと、ずるずると彼のことを想ってしまう。
それは、自分にもそして宮城にも良くないことだ。
男が男を想う、なんてこと……続けられることではない。
現に加古川も言っていたではないか。
宮城が変だと。
二人とも、道を踏み外しかけているのだから、だったらここで取り戻さないと……。
そして、彼にもこれでけりをつけて貰う。
あの日の宮城だったら、こんな事は出来ないはずだから。何故か怒りに我を忘れている今の宮城が正気に戻ったら、きっとひどく後悔する。
そして……きっと……もう、逢おうなんて想わない……筈……。
「うあああっ!」
やっと痛みが少なくなったと想った途端に、今度は指よりはるかに大きなモノが押し当てられ、そしてぐっと入ってきた。
そのいきなりな行為に意識が飛びそうになる。だが、それをさせないほどの痛みが、葉崎を襲っていた。
ぎしぎしと音を立てて侵入するそれが、葉崎の中を抉る。
「ああぁぁぁ!」
痛みに耐えかねて、がくりとベッドに躰を落とした葉崎を、宮城が後から抱え込んだ。
その手が、胸の両の突起を痛いほどにつまみ上げているのだが、その痛みは下肢からくる痛みにかき消えていた。
体の中で彼のモノが蠢く度に、意識が飛びそうになる。
奥深くを突かれるたびに、喉の奥から呻き声が漏れる。
無理に入れられたそこは切れているのだろう、シーツや躰に鮮血にも近い色の血が染みていた。
「あうっ!」
息を吐き出すことで痛みから逃れようとした。が、それが出来ないまま、また突かれるのだ。
がっしりと腰を捕まえられ、打ち付けれるそこから逃げることもできない。
時折来る愉悦をもたらす疼きは、感じる間もなく痛みに隠れてあっという間に消え失せた。
「社長より、オレの方がいいだろ。あんたのここ、ぐいぐい締め付けてくる」
躰だけでなく言葉でも執拗にいたぶり続ける宮城に、羽崎は耳を塞ぐこともできないままそれを受け入れていた。
どんなに罵倒されても、葉崎にはそれを受け入れることしかできなかった。
これだけひどい目に遭えば、そうすればもうこいつの事を諦められる。
こんな関係続けなくてもよくなる。
忘れられなかった記憶は、今日の痛みにとって代わって……そして彼のことを忘れられる。
「んああぁっ!」
鋭く突かれたそこから激しい衝動が全身を襲った。
仰け反り躰を震わせる葉崎を見た宮城はそこを狙うように何度も突き上げた。
葉崎の目尻から涙がこぼれ落ちる。
どうして……早くに忘れられなかったんだろう……。
もっと早くに忘れてしまえば……もっと違う関係になれたかも知れないのに。
「ああっ!」
一際大きな叫びが喉から漏れ、葉崎はふうっと吸い込まれるように暗闇の世界へと意識を飛ばした。