【どしゃぶり注意報】  8

【どしゃぶり注意報】  8


 欲望を吐き出した宮城の躰から力が抜け、ふと我に返る。
 自分は何をしていた?
 その問いに答えるかのように、眼下に力無く横たわっている葉崎。
 その葉崎の腰から下肢、そしてシーツへと広がる赤い染み。頬に伝う涙の痕。
 固く目を閉じても、その染みの形が、瞼の裏に張り付いていた。
 その暗闇の中で浮かび上がる形を認識しながら、宮城は呆然と自問自答する。
 オレは……何をした?
 気が付けば、シャツもスラックスも身につけたままだった。
 のろのろと持ち上げられた手が額を押さえる。
 じっとり汗ばんだ躰は、いつもの気怠さを伝えていた。が、心が叫び声をあげる。
 開かれた視線の先にいる葉崎は身動き一つしない。
 血の気を失い真っ青な顔なのに、その唇が異様に紅くそして黒ずんでいた。
 噛み切った傷跡がはっきりと判る。
 ぞくりと、背筋に寒気が走った。
 ぶるぶると震える躰を抱き締める。
 オレは……こんな事をしたかったんじゃないのに……。
 忘れられなかった。
 忘れると言ったのに、忘れられなかった。
 だからと言って、こんな風に蹂躙しようなんて思っていなかったのに……。
 逢いたいとは思っていたけど、それでも逢えないのなら……諦めるしかないのだ。
 あの日、あの会社で葉崎に逢えたとき、胸が高鳴るほどうれしかった。
 もう逢えないかと思っていた彼の仕事姿は、惚れ直すのに十分だった。
 オレとは視線を合わせようとはしなかった葉崎に落胆し、やっぱり嫌われているんだと思ったから……もう諦めようと思ったのに。
 社長とデートだという言葉に、我を忘れた。
 他人のモノになるくらいならっ!
 心が叫んで、躰がそれに従った。
 その結果が……。
 血の気のない躰がひどく白い。
 おずおずと触れた胸から伝わる確かな鼓動にほっとする。
 だが、異常に躰が冷たかった。
 慌てて、掛け布団で彼の躰で覆う。その時に彼の下肢が血塗られているのに気が付いた。
 ああ、汚れた躰を何とかしないと……それに傷を手当ても。
 しなければならないことが次々と頭に浮かぶ。
 だが、葉崎の傍から離れられなかった。
 いない間に起きたらどうしよう……。こんな目にあった彼は、オレを罵るのだろうか……こんな躰で帰ろうと言うだろうか……。
 帰る……。
 どうやって帰ることができる?
 それにこの惨状……。
 この部屋は社長の名で取ってあった。この惨状によるクレームは、社長の元にいくだろう。
 ぎりりと奥歯を噛み締める。
 いや、事の発端は社長だ。社長が葉崎を呼び寄せた。それを宮城に世話させたから……。
 彼は用事を済ませたら来ると言っていた。
 ふと時計を見ると、いくらなんでもその用事は終わっているであろう時間だ。
 どうする?
 その内、ここに来るのに……彼をどうしたらいい?
 だけど……一回、連絡を入れないと……。
 聞きたい……。
 社長の真意を。
 なんで、彼と付き合おうとしたのか……こんな部屋まで取って……。
 事務的な動きでもって、宮城は携帯を取りだして、加古川の携帯へと電話を掛ける。
 数度の呼び出し音が鳴り響き、聞き慣れた声が耳に飛び込む。
 いつもなら敬意を持って対応する加古川なのだが、今はそんな気になれない。
『もしもし』
 反応のない宮城に加古川が訝しげな言葉を返す。
「社長……葉崎さん、待っていますよ」
『待っているって?』
 なぜか不審そうな言葉なのだが、宮城は不思議に思わなかった。
 ただ、言葉を繋ぐ。
「だってデートなんでしょう?」
『それは……そう言ったが……』
 なぜか煮え切らない態度で言葉を濁す加古川がふっと気がついたように問いかけきた。
『で、葉崎さんは何をしているんだ?』
 何を……って。
 ちらりとベッドの方を見る。
 加古川が彼の名前を呼ぶことにすら嫉妬している自分がいた。
 オレは……こんなにも彼の事が好きだったのに……どうして。
 流れた血の色が脳裏に浮かび上がる。
「オレ、彼に乱暴してしまって……怪我しているんですよ」
『乱暴!君は一体何をしたんだ!』
 加古川の怒りに震えた声を聞いた途端、我慢してきたモノが堰を切った。
「あんたが、彼を誘うから!何であんたのデートの相手が葉崎さんなんだよ!どうしてっ!」
『宮城!』
「あの人の口からあんたの名前を聞いて……そしてデートなんだと言われたら、オレ……我慢できなかった……。こんな部屋で、あんたがあの人に何をするのか、なんて考えたら……オレ、もう……」
 吐き出す言葉と共に溢れ出す涙。
『宮城……一体何を……言って……』
「こんなこと……するつもりなかったのに……」
『宮城!そこにいろ。すぐに行く!』
 携帯が切れた音がした途端、宮城の手からそれが落ちた。
 絨毯の上に転がる携帯を眺め、そして葉崎に視線を移す。
 加古川が来る。
 こんな姿の葉崎を見せたくなかった。
 それまでに躰だけでも綺麗にしてあげないと……。
 宮城はのろのろと浴室へと歩いていった。
 
 ドアを開け中に入った加古川の目に入ったものは力無く床に座り込んでベッドを見つめている宮城の姿だった。その見た事もない部下の様子に、愕然とする。
「宮城……」
 声をかけると、泣き笑いのように顔を崩した宮城がこちらを向いた。
「躰、綺麗にしたから……でも、その間も目を覚まさないんです。思ったより傷もひどいようで……」
「傷薬持ってきたが、傷はどこだ?」
「……」
 唇を食いしばり、俯いてしまった宮城からの返答はない。
 これは……。
 ため息をついて、葉崎の方に近寄る。
 シーツに顔を埋めるようにして目を閉じている葉崎は、血の気がなくひどく弱って見えた。
 布団を剥ぎ、全身を確認しようとして、そのシーツに広がる赤黒い染みに目を見張る。
 これは……。
 まさか……。
 ふと、とんでもない考えが脳裏に浮かんだ。
 加古川はそういう行為を女性としかしたことはないし、ごく普通の交わりでしか行ったこともない。だが男として普通に性欲があるから若い頃にはその手のビデオや雑誌を読みあさったことだってあり……例えば、初めての女性ではこういうこともあるという事くらい知識として知っていた。
 だが、彼は男だ。
 男なのに……。
 加古川の知識には、男が男とする場合というのも一応あるにはあったが……。
 下着だけの葉崎から宮城へと視線を移す。
「お前は……無理矢理したのか!」
 押し殺した声が部屋に響く。
 びくりと躰を震わす宮城が無言でそれを肯定していた。
 あの電話の内容はこれを意味していたのだと判る。
「そんなつもりで、わざわざこの部屋を取ったのではないぞっ!二人でゆっくりと話が出きるだろうと取ってやったのに、なんでこんなことになっているんだっ!」
「は、話?」
 訝しげに加古川を見る宮城。
 まさか、こいつ……俺の策を曲解した?
 本当に俺が、この男とデートすると……まさか……そこまで、参っていたのか、お前はっ!
「宮城……私がデートだと言うときは……接待だろうが……」
 ため息と共に吐き出した言葉に宮城がはっと目を見開いた。
「お前……この1年間私の秘書をしていたというのに……そんなことも忘れたというのか……お前は!」
 ちらりと葉崎を見遣る。
 彼をここに来させるために、宮城の事を話し、私の代わりに宮城をここへ来させた。
 どう見ても互いに気にかけている様子がありありと判るから、逢わせてみれば少しは今の状況が改善されるかと思ったのだが……。
 なんてこった。
 いつものように言った言葉が、いつものように伝わらなかったとは……。
 彼をあんな目に遭わせた責任は私にもあるというとか。
 ここまで宮城が暴走してしまうとは思わなかった…私の責任か……。