どうしたらいい……。
葉崎は、目覚めた途端、ひどい後悔に襲われていた。
理性が昨夜の行為が異常だと訴えている。
忘れたいほどの昨夜の痴態を、脳は不思議と覚えている。
躰から流れる残滓もひりひりと焼け付くような痛みも、自分が何をしたかをはっきりと思い出させ、それが自分の羞恥を煽る。
逢ったばかりのしかも男とこんな関係になったなんて……これはきっと酒のせいだと思いたかった。だが記憶は残酷なぐらいに昨夜の事を覚えている。
どちらが手を出したかなんて最初の頃の記憶はあやふやだ。それなのに、受け入れてから自分がどういう状態だったかという辺りは呆れるくらいしっかり覚えている。
受け入れてしまった事実も、彼に抱き締められてよがったことも、躰が彼のモノに馴染んでしまって、最後には求めて自ら受け入れたこともしっかりと記憶にある。
思い出すだけで躰がひどく熱くなる。
その証拠のように腰から下が動かない。
受け入れた場所は、裂けてはいないようだが、それでもひきつれる痛みがひどい。何度も突き上げられた腰が、鈍く痛みを訴え続ける。
快楽の波に溺れた証拠の余韻は、ひどく汚れたままの躰が教えてくれる。何より、身動きするのもままならないほど躰が疲れを訴えていた。
それが葉崎にとっての初めての性行為の結果だ。
女性ですらしたことのない行為の最初の相手が男性であったという事実。しかも、自分が女のように抱かれたのだ。
躰を捩れば、その違和感から、体内に入っていた相手のモノがいまだに躰に残っているような錯覚すら覚える。
その相手は、葉崎の隣で微かな寝息をたてながら熟睡していた。
彫りの深い横顔が、葉崎の視界に入っている。
年下だと言っていた。
まだ25歳だと。
それなのに、完全に翻弄されたのは自分の方だった。その経験の豊富さすら漂わせた昨夜の行為。
それすらも悔しい。
何もかもがこの宮城という男に負けている自分を再認識してしまう。
ちくしょうっ!
葉崎は、ただきつく唇を噛み締めるしかなかった。
こんな情けないってこと、ないじゃないか!
こんなことって……もう。
考えれば考えるほど自分が惨めになってくる。
帰りたい。
ふと、そう思った。
こんな情けない姿をもう誰にも見られたくなかった。目前にいる男が目覚める前にここから消えたかった。
自分が喘いで抱かれた事を知っているこの男から、逃れたくて……。
だが、動こうとすれば痛みが襲う。
この状態で、目の前の男から気付かれないように逃れることは不可能に近い。
ぎりりと噛み締める唇。
その痛みのせいではない涙が溢れる。
自分が信じられない。その混乱した頭が涙を溢れさせる。
混乱した頭が結論を出せようはずもなかった。
ぽたりと落ちる涙が、男のむき出しの肩に落ちる。それすらも気づかなかった。
声もなく泣き続ける葉崎の頬に触れた手にはっと我に返る。
「あっ……」
気が付けばよく寝ていたはずの宮城の目が開かれていた。
「泣くな……」
ひどく辛そうに零れたその言葉。
「オレのせいだから……あんたが泣く必要なんてない」
その言葉が宮城が後悔していることを伝えてはくれる。
だが。
止めてくれ……。
慰められる自分が余計惨めに思えた。
その視線から逃れたくて、顔を布団に埋める。
その頭を宮城の大きな手が触れ、癒すように優しく撫でてくる。
嫌悪はなかった。
少しだけ気分が和らぐのを自覚する。
「オレが悪いんだ。オレ、葉崎さんに抱きつかれてさ、自分がコントロールできなかった。葉崎さんさ酔っぱらってたのに、それにオレつけ込んで……だから泣かないでくれよ」
それを聞いた途端に、宮城だけのせいではないんだという気持ちが湧き起こる。
……オレだって求めてしまった。
それははっきりと自覚はしていた。入れられて痛かったけど、確かに最初は早く終わって欲しいと思っていたのに……最後には、自ら受け入れた記憶は嫌になるほど覚えている。
いっそのこと記憶がなくなってしまえばいいのに。
そうすれば、もっと酒の上の冗談だって思えるのに……こういうときだけ悔しいくらいに覚えている。
「オレ……自分が情けない……」
掠れた声が布団に吸い込まれ、くぐもって伝わる。
その言葉に、宮城の手がびくりと震えた。
「ごめん……」
絞り出すような言葉が聞こえる。
だけど、それが葉崎の癪に障った。
「もういい……」
呟く言葉に宮城はさらに言い募る。
「オレが悪いんだ、無理矢理だったから……ごめん」
だから!
もう……止めてくれっ!
「謝るなっ!」
ぐいっと手を突っ張り上半身を起こす。が、途端に走る激痛に再びシーツへと顔を埋めるはめになった。目を固く瞑り歯を食いしばってその痛みをやり過ごす。
「っ痛ぅ……」
「大丈夫か!」
宮城が跳ね起きたのがベッドの振動で判る。
「く、薬、持ってくるよ、痛み止め」
そんなの後でいいから!
慌てる宮城の手をがしっと掴んだ。
宮城の動きが止まる。はっと見開く目を、葉崎は横目で見つめ返した。
「謝るなって言っているんだよ。頼むから……オレ、謝られると、オレの方が情けなくなるから……頼む……」
見つめていた視線を外して再び顔を埋める。
その顔を見ているのが辛い。
それどころか、そんな辛い顔をされるのが嫌だと思う。
もっとあっけらかんとして欲しい。
それが昨日見た、宮城という男だったから。
「オレが謝るとあんたが情けなくなるのか……」
掴まれた腕を振り解こうとしないから、葉崎もそれを離すことができなかった。
その手がすうっと持ち上げられる。宮城のもう一方の手が、葉崎の手首を掴んだ。
その手の甲に柔らかな感触があった。
葉崎の唇が手の甲を柔らかく啄む。
途端に甘い痺れが走って、意識がそこに集中する。躰を苛んでいた痛みがすうっと和らぐような気さえした。
「じゃあ、謝らない」
手の甲のすぐ上で囁かれて、ひどくくすぐったい。
駄目だ。
躰が……疼く。
手の甲から伝わる刺激が全身へと飛散する。
葉崎はくっと歯をきつく噛み締めた。
意識を痛みへと戻す。そうしないと、宮城に縋り付きそうだった。
そんなこと……できるか……。
だから。
「オレは忘れる。昨日のこと、全部!」
葉崎の口から苦しげに吐き出されたその言葉に、宮城の手が葉崎を離した。その手を力無く下ろし、葉崎は再び顔を宮城へと向けた。
宮城のひきつった顔が葉崎の視界の片隅に入る。
「酒のせいだよ。宮城さんとこんなことになったのは……だからオレは忘れる」
忘れて、忘れて……全部忘れる。それが無理なら、笑い飛ばせるように記憶をすり替える。酒のせいで……オレが酔っぱらって、こんな事になった。
後で思い出しても笑い飛ばせるように、冗談にしてしまえ。
こんなこと……今の感情は全部、忘れてしまうんだ……。
ふっと泳いだ視線が自分の手に落ちる。
ぐっと白くなるほど握りしめられたその拳。
微かに震えているそれをぎゅっとさらにきつく握りしめる。
「あんたがそう言うのなら……オレも……忘れる」
ひどく苦しそうな声が届いた。
途端に葉崎の胸にずきりと痛みが走る。
それが躰の痛みよりひどいと感じた。
何で……。
オレは悪くない。なのに、ひどい罪悪感を感じるのは何故だ?
宮城をこんな辛い目に遭わせている自分が嫌だと、言っている心がある。
そんなつもりではないのだと、叫ぶ心がある。
オレは……。
たぶん宮城という男を嫌っていない。
こんな目にあっても、彼を嫌いにはなれない。
何でだろう……判らない。
だが。
だからこそ!
葉崎は、心の中で叫ぶ。
こんな記憶は欲しくないんだっ!
忘れたいんだ!
「でも……友達としては……逢ってくれるか」
「え?」
いきなりの言葉に信じられなくてはっと顔を上げる。
ヤクザのようだと思った顔が子供のように歪んでいた。目つきが悪いんだと笑っていた目が、真剣な色を湛えて葉崎を見つめる。
「もう、こんな事はしない。だけど……オレ、あんたと仲良くしたい」
仲良く……?
どうやって?
何も言わない葉崎に、宮城は一つため息をついた。
「その……やっぱ無理だよな、こんなの」
あはは
どこか空しい笑いがその口から漏れる。
途端に走る胸の痛み。
だが、それでも……。
「嫌だ……もう逢わない……」
それが本心だと思っているのに、その言葉を吐き出すのにひどく苦労を要した。
絞り出すようにしか出ない言葉。
「どうして……逢えるって言えるんだ?」
信じられない。
友達でいようなんて、そんな虫のいいこと。そうしていられないことをしたのはそっちじゃないか!
この記憶を消したくて堪らないのに、逢っていたらきっと忘れることなんか出来ない。きっと逢うたびに思い出してしまう。
オレとそんな関係でいたいなら、何でオレを抱いた?
悪いのはそっちなのに。
こんなことされて、逢える訳ないじゃないかっ!
気が付けば、ぽろぽろと涙を流していた。
心の中の叫びが涙がなって頬を伝う。
「もう、逢わない……動けるようになったら、こっから出て……もう逢わない……」
躰の痛みも胸の痛みも全部こいつのせいだと、思いこもうとするのに。
また罪悪感が過ぎる。
それが変だと思うのに……だけど、罪悪感は消えない。
宮城がじっと自分を見ている。その切ないまでの瞳の色が、葉崎を縛る。
それでも受け入れることできない。
宮城の視線から逃れるように葉崎は、痛む躰を無理に動かした。
「シャワー貸してくれ」
「ああ」
宮城の手が躰に触れる。
それだけで、熱くなる躰。
触って欲しくなかったが、一人では動けなかった。
連れて行かれるわずか数十歩の道のりがひどく辛かった。触れられたくないと心と触れて欲しい躰。その相反する感覚が、葉崎を苦しめる。
浴室でやっと一人になれたとき……再び多量の涙が溢れ出た。
それが何故かは判らない。
ただ、涙が溢れ出て、葉崎はシャワーを頭から浴びながら嗚咽を漏らし続ける。
混乱した心が、そうしないと壊れそうだった。