【会(あう)】  

【会(あう)】  

 優司は待ち合わせ場所の新宿駅の改札口で、腕時計を眺めた。
「……遅いな……」
 待ち合わせ場所はここで間違いがなかった筈だが、時間は5分ほど過ぎている。困った優司は所在なげに周囲を見回した。
 9月も終わろうとしている金曜日、滝本優司は営業の笹木秀也が新規開拓した顧客先に訪問する予定で東京まで来ていた。優司達の会社では営業は開発営業と言われ、顧客の要望、改良点等を打ち合わせし、それを工場の開発技術チームに伝え、開発技術チームはその要望に合う物、それ以上の物を作り上げ、顧客に提供するシステムを取っている。
 秀也は別件で新しい要望を持つ顧客と出会い、会社の技術力と相まって採れる判断を下した。その技術を持っているのが優司のチームだった訳で、社内メールや電話などで打ち合わせを行いった結果、金曜を出張日として新宿駅で待ち合わせをすることにしていた。
 予定では、昼過ぎに合流、昼を食べながら打ち合わせ後、顧客に向かう。その後、金・土を東京に泊まって、秀也と遊びにいく予定だった。
 もともと秀也がメインの出張のため、優司は顧客先へのアポイントメント、ホテルの手配から土日に何をするかまですべて秀也に任せていた。
 秀也が来ないと困るんだけど……。
 優司は小さくため息をつくと、再度辺りを見回した。
 スーツ姿のサラリーマン達が改札を出たり入ったりしている。その中には秀也の姿は見つからなかった。
 優司が秀也と恋人としてつきあいだして2ヶ月。その間1週間に1回程度しか会っていなかった。といっても会社で会えただけというのも含めてである。泊まりに来るのは2週間に1回程度くらいに激減していた。
 8月の夏休みにはお互い会えなかったからなあ……。
 二人が深くつきあう前の方がよっぽど頻繁に泊まりに来ていた秀也は仕事の都合がつかなくなり、工場への出張が減ってしまっている。
 自分の気持ちに気づく前の優司にとって、秀也の顔を見ることは苛つきの対象であったが、いざ気持ちに気づいてしまうと会えないということに無性に苛ついてしまう。
 だから、今日会えることを優司は楽しみにしていた。
 ところが、その秀也がなかなか待ち合わせ場所に来ない。昼からの顧客と会う時間は決まっているので、あまり遅れられると食事の時間がなくなる……初めての客だから一人で行くのも嫌だし……本気で優司が心配をしだした頃、やっと秀也が現れた。
「すまん。出がけに電話があって……」
 息をきらしている秀也に、優司は軽く苦笑する。
「有能な営業マンは、忙しいからな」
「それ、嫌みに聞こえるんだけど……」
 秀也の苦笑混じりの返事を優司は口の端を上げて笑みを浮かべわざとらしく聞こえないふりをする。
「ところで、昼、どこで取るんだ?時間がなくなるんだが」
 言われて時計を見た秀也は、そうだな、というように首を傾げた。
「この先にあるレストランなら、食事をしながら簡単な打ち合わせもできる。すぐそこだ」
「ああ、任せる」
 地理に詳しくない優司が秀也が案内されて着いたレストランは、昼の時間帯を少し過ぎたこともあって、空席がちらほら出来始めたところだった。その一つに案内された二人はウエイトレスが下がった後、早速資料を広げた。
 今日の出張は新規開拓顧客で秀也自身が直接担当していないテーマであったため、優司が技術担当者として説明にいくことになった。そのための最終の詰めである。
 料理が並んで食べ始めても、その合間に二人は必要なことを詰めていった。
 秀也は開発チームに入っていてもおかしくないほどの実力を持っている、と優司は思う。
 言葉の節々に出てくる技術用語・単語の使い方、データの見方、読解力がずば抜けている。こんなふうに面と向かって打ち合わせをすると、ありありと実感できる。
 また営業力にも優れているため、客が何が欲しいのか、何をして欲しいのか、何に困っているのか……いつも適切に情報を収集してくるから、技術者としてはその情報がたいへん役に立つ。
 普段、おちゃらけた感じがする秀也と今目の前で仕事をしている秀也とどっちが本当の秀也なんだろう。
 最近は秀也の仕事をしている真剣な表情を見ると凄いなあ、と素直に思えるようになったが、それは優司自身にはそれだけ秀也が好きになったのだと自覚させられる。
「……どうした?優司……」
「え?」
 言われて初めて自分が秀也を見つめていたのに気がついた。思わず顔が赤くなるのには気付いたが、努めて冷静に答えた。
 今は仕事中だ……と意識しながら。
「何かその資料に質問があるかなって待ってたんだ」
「ふーん、特にないけど……そうかなあ、どっちかというとその視線は俺に見惚れてたって言った方が正解かな?」
「!」
 優司は図星だっただけに一気に躰の熱が上昇する。
「くくくく」
 秀也は、そんな優司を見ながら嗤いをかみ殺していた。これが二人きりの場所だったら、大笑いしていただろう。
 思わず優司の手が拳をつくり、机の下でわなわなと震えていた。
 つきあいだしてからの秀也はしょっちゅう優司をからかって楽しむのだが、優司もついつい反応して、秀也を楽しませてしまうのだった。
「時と場合を考えてくれ……」
 それだけ言うと、優司は資料を手に取り、内容のチェックを行い始めた。
 それでも秀也は堪えきれない笑いに肩を震わしている。
 隣の席に新たな客が来た気配に、優司はふっと顔を上げたが、まだ笑っている秀也に気付いた途端、むっとして資料に視線を戻す。
「秀(しゅう)?秀じゃないのか」
 だから、そんな声を聞いたときも、何となく聞き流していた。
「えっ、あ……雅人さん……」
 秀也の声?
 ふっと顔を上げると、隣の席の男が秀也に満面の笑みを浮かべて話しかけてきていた。
 茶色の長めの髪、すっきりした顔をしている男で、ラフな着こなしに金色のアクセサリーがちゃらちゃらと音をたてている。
「やっぱり秀かあ。見違えたよ。最初別人かと思った」
 そう言うとこちらが何も言わない内に秀也の隣の席に移ってきた。
 秀也の知り合いなのか?
 優司は不審そうな視線を秀也に向けるが、それに秀也は口の端で笑いを返し親しげにその男に話しかけた。
「雅人さんは、どうしてここに?」
「ああ、俺待ち合わせ。ところで、もしかして仕事中だった?」
 見たら分かるだろうが。
 優司は雅人という男の馴れ馴れしさにむっとしていた。秀也とも仲がよさそうだ。
「あ、はい。ああ、滝本さん。こちらね、昔のバイトの先輩で明石雅人さんて言うんです。で、こちらは同じ会社で、滝本優司さん」
「あっ、はじめまして」
 紹介されて優司は仕方なく、会釈をした。
「こちらこそよろしく。秀がそちらの会社に入っちゃって結構ショックだったんですよ。就職が決まらなかったら、そのまま続けてくれるって言ってたのに。結局会社入っちゃって……秀って評判良かったのにねえ」
 雅人は人懐っこい笑みを浮かべながら、優司に話しかける。
「そうですか……」
 バイトっていったらホストのことだな……まさか、つき合っていた先輩って……。
 秀也が昔つき合ってた相手がバイトの先輩だったと言っていたことを思い出し、顔からすうっと血の気が引いた。
 そんな優司に気づいていないのか、二人は随分と楽しげに会話を続けていた。
「怪我の方はもう大丈夫ですか?」
 秀也に言われて、雅人は頷くと右手を振った。
「もう、すっかり。秀には迷惑をかけたね」
「いえ。あの位でしたら、いつでも言ってください、お手伝いできますから。それにあの臨時収入は結構うれしかったんですよ。お金が欲しいときだったから」
 その言葉で優司は、秀也が夏期休暇は昔世話になった先輩が怪我をしたので、その代理でバイトをすると言っていたことを思い出した。
「もしかして、夏休みの時の代理って?」
 優司が問いかけると、秀也は頷いた。
「そう、雅人さんが怪我をして、頼まれたんだ」
「本当にすまなかったね。せっかくの休みを潰してしまって……。稼ぎ時に穴を開けることが出来なくて……でも秀が了解してくれて良かったよ。代理が秀だと分かったら店長も何も言わずにOKしてくれたし」
「俺で役に立てたか……」
「何言ってんだよ。たかだか1週間ちょいのバイトで、何人の客に「辞めないで」と言われたんだい。最終日にはほとんどの客が来店して、お別れパーティーまでしてくれたっていうじゃないか。本気で店長は、君を雇いたいと思ってるらしいよ」
「勘弁してくださいよー。俺、今の仕事結構気に入ってるんですからー」
 秀也は笑って手を振った。
「ま、そう言わずに考えといてよー」
「バイト程度だったら考えますけど、本職は無理です。それに今の職場、バイト禁止なんですから、押し掛けてばらさないでくださいよ」
「分かってるって……無理矢理辞めさせてへそ曲げさせて、それで違う店に行かれたらかなわないからな」
 本気でまずいと思っているのか、苦笑混じりに弁解している。
「笹木、そろそろ時間……」
 妙な疎外感を感じていた優司は、時間が来ていることに気がついて、これ幸いと秀也に時計を示した。
「え、ああそうだな。じゃあ、雅人さん、俺達行きます」
「ああ、仕事中済まなかったね」
 ちっとも済まなさそうじゃない……笑みを浮かべている雅人から逃げるように優司は伝票を掴むとレジに向かった。
「嫌われちゃったかな……」
 くっくっと雅人は、嗤いを噛み殺して秀也に話しかけた。
「結構単純なんだろうなあ。俺見て青くなってたってことは、俺がライバルに見えたのかな。それとも、浮気されてるとでも思ったか……」
「からかってたんですね。やっぱり……」
 秀也はため息をついた。「電話で場所を聞かれた時に何故かなって思ったけど、本当に来るとは思わなかったです」
「分かってたくせに、のってたのは誰だ」
 雅人に指摘され、あはははと秀也は笑う。
「ま、いい奴だとは思う。秀にはお似合いかな。だが、考えてみるとあの程度の男に秀を奪われたというのも心外なような気がする」
 本気でいっているような雅人に秀也は慌てた。
「いくら雅人さんでも、優司にちょっかい出すとなると、こちらも何か対処方法を考えますよ。俺、たとえ雅人さんでも許しませんから」
「おー怖い」
 雅人はおどけて怖がって見せる。秀也はため息をついた。
「笹木」
 優司がレジで秀也を呼んでいた。
「ほらほら、お連れさんが呼んでるよ」
「じゃあ、雅人さん。また」
「ああ、またな」
 秀也は慌てて、優司の方に向かった。
「あの秀が慌ててるってのもおもしろいよなあ……」
 雅人は二人が出ていった後も思い出しては笑っていた。
 すたすた歩いていく優司の顔を秀也はひょいとのぞき込む。
「優司、怒ってる?」
「いや」
 だが、優司は秀也の方を見ようとしない。
「怒るなよー」
「怒ってない」
「……その口調で言われたら、誰も怒ってないなんてのを信じるわけないよ」
 しつこい秀也に優司は建物の陰に入り、周りに人気がないのを確認してから秀也に詰め寄る。
「……私がレジに行った後、何を話していたんだ……笑ってたろ」
 見てたのか……。
 秀也は苦笑を浮かべた。
「気になる?」
「笑われたような気がする」
 いや、笑っていた。これは確信だ。それに秀也も笑っていたのが見えた。
 だいたいあの男が怪我をするから、夏休みに秀也と会えなかったんだ……。
 せっかくの夏休み……。
「もしかして、優司、雅人さんに妬いてる?」
 心臓が跳ね上がるが、怒りがすぐにそれを抑える。
「悪いか……」
 不機嫌そのものでじろっと秀也を睨んでいると、秀也が見る見るうちに赤くなった。
 その変化に驚いた優司がさも珍しそうに秀也を見つめる。
「びっくりした。そう簡単に肯定されるとは思わなかった。なんか……俺……嬉しくって照れてる」
 その言葉に、優司の何だか気分が少しだけ良くなった。
 私が妬いていると知って秀也はが照れてくれるってのは本当に嬉しい。
「優司も気づいていると思うけど、確かに俺は昔彼とつき合っていた。でも今は違う。今は優司だけだからな」
 きっぱりと優司を見つめて言う秀也に、知らず知らずのうちに笑みが浮かぶ。
「私は確かにあの男に嫉妬した。……あの男は私の知らない秀也を知っている……」
 秀也を秀と呼ぶ雅人。優司の知らない世界で働く秀也を知っている男。ホストで働くときの秀也も仕事中の秀也のように凄いのだろうか……。
 『本気で店長は、君を雇いたいと思ってるらしいよ』
 それは、秀也がホストとしても十分な実力を持っていることを物語っている。
 じっと見つめる優司に秀也はにっこりと笑いを返した。
 優司を魅了してやまない笑顔を向けられて、躰に痺れが走る。
「ああ、それに雅人さんは優司のこと、いい奴だって言った」
「?」
「いい奴だとは思うが、あんな奴に秀を奪われたというのも心外なような気がする、とも言われた」
 そ、それって……。
「も、もしかして、あの人は私と秀也の関係を……」
「知ってる」
 途端自分が嫉妬していたのが相手にばれていたと判って、顔から火が吹き出そうなくらいに熱くなる。
「バイトを頼まれるとき言い寄られそうだったのではっきりと言っておいた。俺には恋人がいる。滝本優司という恋人がいて、他の奴らなんかは目がないんだって」
「……」
 あまりのことに目を白黒されている優司に秀也はくくっと嗤う。
「優司さあ、雅人さんにからかわれたんだよ」
「!」
 驚いた優司は秀也を見つめた。その姿に秀也はウィンクする。
「そうだね。いろいろと話をしていないことがあったよね。ほんとは今すぐ話をしたいけど、時間もないことだし、今日ホテルに入ったら、ゆっくりと話をしてあげる。今日の客がすんだら、いくらでも時間があるんだから、さ」
 その言葉に優司の頬がさらに紅潮する。今日は同じ部屋に泊まる約束だから。
「思いっきり楽しもうね。土日も楽しみ……うーん、東京のいろんな所に行こうかなと思ったけど、ホテルに閉じこもって二人で過ごすのも楽しいかも……」
 赤面ものの台詞を平気でのたまう秀也に、それを次々と聞かされた方の優司は茹で蛸状態だ。
「おーい、何真っ赤になったんだよー」
「……お前のせいだろ……」
 言う言葉に元気がない。
「俺には優司だけだよ。嫉妬してくれるのはうれしいけど、覚えといてね。俺の好きなのは優司だけだ」
 耳元に顔を近づけすぐ側で囁く。そのため吐息が耳朶に触れそれが全身に痺れをもたらした。
 こ、これは、まずい……。
 ある意味をなすその兆候に優司は狼狽える。
「ほらほら、さっさといかないとお客様がお待ちだよ」
 秀也が何気なくとんと叩いた背中。その僅かな接触に優司の躰は強く反応した。
 まずい!
 この状態を落ち着かせないと客どころではない。
「……駄目だ。私、心臓がばくばく言ってる……苦しい……」
 真っ赤になっていた優司の情けない声に、秀也はまじまじと優司を見つめる。そして優司の反応が指す事に気付いた。
「まさか……す、すまない。そこまで反応するとは思わなかった……少し休むか……あー、でも時間がなーい」
 天を仰ぐ秀也にもたれ、優司は賢明に深呼吸をしていた。

【了】