【嫉妬】

【嫉妬】

【嫉妬】?  ?

秀也が行方不明。雅人の協力のもと、探し出した場所は? 浩二との出会い

「やっと……手に入れて……」
 そんな声が聞こえて、秀也はうっすらと目を開いた。
 腹が痛い。何か……だるい……・。
 秀也はだるい体をもてあますかのように、身じろいだ。
「ああ、気がついたようですね」
 どこかで聞いたことのある声が、耳に入ってくる。
 誰だろう……。
 しかし、頭の中は霞がかかったように働かない。かろうじて視界に入るのは、黄色のカーテン。
 ここは……どこだ……
「秀……。私の元にやっと来てくれた……」
「……誰だ?」
 秀也は、かろうじて声を絞り出した。何もしなければ、力を抜けば眠ってしまいそう。
「ああ。無理に動かない方がいいですよ、少し力を入れすぎたようですね」
 秀也の胸に手が載せられた。
「う……」
体がびくんと跳ね上がり、声が漏れた。触れられたところが熱かった。しかも、その手は柔らかく、秀也の体をなぞるように触れていく。そのたびに、秀也は体中に広がる痺れに声を漏らした。
信じられないほど体が刺激に敏感になっていた。
体の中心が、耐えられないほどのうずきを脳に知らせる。
「私の手に感じてくれるのですね。うれしいです」
 静かな囁きのような声が耳に入る。
 どこかで、聞いたような気がする……。
 誰……なんだ。
 俺を秀と呼ぶのは……ホストの関係だが……。
 秀也の頭の中で何度目かの問いが沸き起こる。
しかし、それは度重なる愛撫によってあっとという間に奥に追いやられていった。
「う……ああっ……」
「感じますか? ……ごめんなさい。暴れられると困るので少しだけ薬を使わせていただきました。後遺症は残りません。少しの間、体が痺れて、そして、ちょっと敏感になるんです」 
するりと移動した手は、秀也の股間のものを掴む。
 それだけで、秀也の体はイク寸前まで高ぶった。
「やっ……」
 体をよじる。
 すると、男の顔が目に入った。
 霞がかかった向こうに見えた顔……見たことがある……。
 秀也は、その男に手を伸ばした。
 その途端、秀也自身をぎゅっと掴まれた。
「うっあああ……・」
 秀也は男の手のなかで達った。
 体に広がる快感、しかし心の中は達かされたことのと悔しさが沸き起こっていた。
 そして、秀也は男の名を思い出した。
「……ます・・や・ま……こうじ……」
「はい」
 男はわずかに口元に笑みを浮かべて、頷いた。
「覚えていてくださって光栄です」
 
「え?」
 滝本優司は、携帯を耳に当てながら、呆然と突っ立っていた。
 秀也が行方不明?
『……もしもし!おい、聞いているのかっ!』
 電話の向こうでイライラとした声が叫んでいる。
「あ、ああ。すみません。あの、秀也が行方不明って本当ですか?」
 あまりの事に、秀也と名前で呼んでいることに気がついていなかった。
 普段は二人っきりの時以外は、名字で呼ぶのが習慣だった。男同士のつきあいと言うことと同じ会社であることから、ばれるのは勘弁願いたかった。しかし、今はそれどころではない。
 秀也が何故?
『本当だよ。俺も信じたくないんだが……ここ2日程、店、無断欠勤なんだ。連絡も取れないし、それで自宅にいってみても居ないし……。それであんたなら何か知ってるかと思って……』
 電話の相手は、秀也のバイト先の先輩で明石雅人という人だった。
 優司も一度会ったことがある。
「ってことは、秀也はまた、ホストしてたんですね……」
『……もしかして、言ってなかったのか……』
「はい」
 優司は、ぎりっと奥歯を噛み締めた。
 あいつ、休みは忙しいから、とかなんとか言ってたのは、またホストに明け暮れていたのか……。
『ああ、まあ、その話は秀也が帰ってきてから、本人とゆっくりしてくれ。とにかく、連絡は入っていないんだな』
 念押しされて優司は頷きかけ、電話だと気がついて声を出した。「はい」
意識的に心を落ち着かせる。
「秀也は来ていません。あの、よく私のところの携帯番号をご存じでしたね? いえ、連絡いただいて本当にありがとうございます。秀也の事は、こちらでは全く分かりませんが……」
『……俺、あいつの部屋の合い鍵持ってるからな。それで、家捜ししたら電話番号表に名前があったんでな』
……合い鍵
どうしてこいつが秀也の部屋の合い鍵なんか……。
 優司の胸に、暗い感情が沸き起こる。
 と、それを察したかのように電話先で雅人が言った。
『おい、変な想像してんじゃないだろうな。俺はな、一回ぐてんぐてんに酔っぱらって、秀に一回泊めてもらったことがあるんだが、その時先に秀が仕事に出かけたんで、後の戸締まりのために預かってたのをそのまま持ってんの!』
 あ、ああ……そうなのか。
 優司はなんとなく割り切れないものを感じつつも、それどころではないと頭を振って、話題を戻す。
「あの、それで、秀也はいつからいないんですか?」
『ああ、秀は会社の有休がとれたとかで、24日から来ていたんだが、店には28日まで来てた。帰ったのは29日の朝だが……。その夜には出勤してこなかった。それで、30日の朝、俺が仕事終わってから家を覗いたんだが、いなかったんだ。しかも今日になっても連絡はこない。家の中は荒らされてはなかったが……。あいつの実家にそれとなく電話してみたが、秀は帰っていないようだった』
 確か、秀也は金曜日の24日と月曜日の27日を有給休暇にしていた。28日から正月休みに突入した優司達は31日から一緒に遊ぶ約束をしていた。
 今日は31日。
 優司は、今日の4便で東京行き飛行機を予約していた。
「あの、私、今日の4便で東京に行く予定だったんです。もうすぐ、家出ないといけないんで、そちらに着いたら詳しい話聞かせてもらえませんか? 電話だとよく状況が分からないです」
 優司はそう言って時計をみた。
 後30分もならない内に出ないといけない。
『ああ、こっちに来るのか。分かった、その時に話をしよう。いつ頃こっちに着くんだ?』
「羽田に夕方5時過ぎにつきます」
『てことは、7時に新宿駅の俺達があったことのあるレストランで待ち合わせしよう。その時間なら、たどり着けるだろう……』
「はい、わかりました」
『たぶん、大丈夫だと思うが、とにかく勝手に休むなんてしたことのない奴が休むものだから、ちょっと心配でな。もしかすると、そっちが来るっていうんで、ひょっこりどこからか現れるかも知れないし……』
「そうですね」
 だが、二人ともその言葉が気休めにしかならないような漠然とした不安を感じていた。

「う……ん」
 思いっきり伸びをした。
 なんとなく体がだるく、しゃきっとしない。
「今、何時だろう……」
 体を起こす。
「あ、れ……」
 見たことのない部屋が視界に飛び込んできた。ふっと下を見た秀也は自分が全裸であることに気がついた。
「げっ」
 我に返った秀は、思わず毛布を体に巻き付ける。
「え……とお」
 ベッドに座り込んだままの秀は呆然と辺りを見回した。だんだん記憶が甦ってきた。
「増山浩二……。確か、あの男だ。店に何度も来ていた……んで、店に行こうとしたら、あいつがいて……あっ、俺あいつに車に連れ込まれて……・・記憶が切れてる」
 うーんと秀也は髪をかき乱した。
「なんか、話をしたぞ……。確か、自分が増山だと認めてたぞ……。うーん、げ……思い出した。俺……あいつに達かされた……」
 どっと自己嫌悪に陥る。あんな簡単に捕まって、しかも男の手で達かされるなんて、俺は、俺は……悔しい……。
 これが優司なら、うれしいんだが……。
 ふっと顔がにやける。
 あ、ああ、違うって……。えっと……あの増山だとして、そんな感じは一つもしていなかった。店にいるときも静かに酒を飲んでいて、いかにも連れの女性達を連れてきただけだ、っていう感じで……。
俺も忙しかったし……話は、していない……。
「ちっ!一回でも話をしていれば、こんなことには……」
 秀也には、人に言えない秘密があった。
 人は秀也のことを相手の機微にとても敏感な話上手・聞き上手な人。痛いところに手が届く会話をしてくれる人。などなど、印象を持っているが、秀也自身は、ただ相手の表情を見ただけで、相手がどういう感情を持っているか分かってしまうのだ。読心術とは違うのだが、ある意味それに近いと秀也は思っている。
 子供の頃は巧く制御できなかったその力も、今はバイトのホストや本職の営業活動になくてはならないアイテムとなっている。
 だから、一度でもその男と話をしていたら、秀也を拉致……誘拐というのか、こういうことを考えていたら分かっていた筈だ。秀也自身、トラブルの未然防止には力を注いでいるのだから……。だからこそ、悔しさは達かされた事以上にあった。
「起きられましたか」
 静かな声が、耳に飛び込んだ。低すぎず、けれど高すぎない、しかしよく通る声。確かに店で幾度か聞いたことがある。
 いい声しているな、と思ったこともある。
「増山浩二さん、ですね」
 秀也は振り向いた。
 やや茶がかった髪が額を軽く覆っている。その下の目は静かな海を思わせた。
確か、外科の医者で、知的な印象を持っていた。が、それを鼻にかけるでもなく、いつもゆったりとした雰囲気を持っていた。
この男が何故?
 秀也は理解できなかった。
 秀也の問いに軽く頷くことで肯定した増山はゆっくりとベッドに近づいた。手にはトレーを持っており、珈琲の匂いが部屋に漂った。
「もう、昼過ぎです。お腹がすかれたでしょう。どうぞ……」
 そう言って差し出されたトレーを受け取る。
 珈琲の他にサンドイッチの皿が載せられていたのを見た秀也は、増山に視線を向けた。
 あくまで増山は静かだった。
 その瞳に映る感情は、激しい物ではない。
「食べないと、体がもたないと思います。その、口に合わないかも知れませんが……」
 それどころか、秀也の体をいたわる感情が流れてきた。
「ありがとう」
 秀也はそう言って食べることにした。
 毒や薬のような物を入れられているのではないか、という不安もあった。
 だが、食事は滞りなく終わる。
「増山さん、聞いていいか?」
「はい?」
 ベッドサイドのイスに腰掛け秀也が食べるのを見ていた増山に話しかける。
「何故俺を捕まえた?」
 答えてくれるとは思わなかった。
 だが、増山はあっさりと返答した。
「申し訳ありません。私があなたに一目惚れしてしまって……」
 その言葉とともに伝わってきた感情に嘘はなかった。
 だが、どこかひんやりとしたものを感じたのは、その口調のせいか。
 増山の口調は、ただ、ただ静かだった。
「私は、あなたに恋人がいるのを知っていました。あなたは店でそう言われていましたので。ですから、一度は諦めようとしたのです。しかし、気がついたら私はあなたを追っていました。家まで調べて、あなたを見ていた私に気がつきました……」
「それって、ストーカーじゃないか?」
 さすがに秀也も怒りがこみ上げたが、その言葉に勢いはなかった。
 あまりにも増山が淡々としていたからだ。
「確かにそうです。私は自分のしていることに気がつき、自分に恥じました。こんなことをしてはいけない。これは犯罪だ、と」
「……」
「しかし、昨日あなたが店に出ようと家を出た姿を見たとき、私は自分でも思いもしなかった行動に出てしまった……。我に返った私の前に、気を失ったあなたがいた。あなたを裸にして、自分の物にしようとしていた、私自身も……」
 秀也から視線を逸らす増山。
 秀也はその時、やっと増山の中の感情が溢れ出したのを感じた。それまで堰き止められていたものが、やっと溢れだしたかのように。
 その溢れた思いは、増山の涙となって溢れだした。
「す、すみ、ません……。こんな事言えた義理じゃないんですけど、何かもう自分が信じられなくて。私、一体どうしてしまったのか……す、すみません。本当にごめんなさい!」
 下を向き、ひたすら涙する。
 秀也は、そんな増山を唖然と見つめていた。

 

 優司は待ち合わせのレストランに入って、珈琲を頼んだ。
 雅人はまだ来ていない。
 あれから、飛行機で東京に入り、何度か秀也に電話をかけたが、電源が切れているようだった。それでも携帯へメールを送ってみる。
『迎えにいくからな』
 31日に東京に行くと言ったとき、確か秀也はそう言ったはずだった。
 だが、羽田についても秀也の姿はなかった。
「……何やってんだ」
 優司は、今日会えるのを楽しみにしていた。
 だからこそ、ここに秀也が居ないのがたまらなく寂しかった。
 いつか秀也と一緒に昼を取ったこの場所。今日はいない……。
「すまん、遅くなった……」
 声をかけられ顔を上げると見知った顔が暗い顔をして立っていた。
 茶色の長めの髪を無造作に束ねている。TシャツにGパンとラフな姿だったが、もともときれいな顔立ちをしているので、それだけでも絵になる男が雅人だった。
「あ、こんばんは……」
 優司は我ながら情けない挨拶だなと思ったが、なんと言っていいか分からなかった。
 雅人は優司の向かいの席に座ると、おもむろに話し始めた。
「本当に秀が見つからない。心当たりは探したんだが」
 電話で聞いたときも不安がよぎったが、直接言われると激しい脱力感が優司を襲った。
「連絡、ありがとうございます。もし聞いていなかったら、私、秀也が何故居ないのか分からないままだったから」
 優司は掠れ声で呟いた。
 雅人はそんな優司をしばらく見つめた後、ため息をついて言った。
「あいつの大事な恋人に連絡一つ寄越していないってことは……何かあったんだろうな……」
 普通なら赤面ものの事を言われた優司だが、反応することはなかった。
 二人はお互い何を話して良いか分からず沈黙してしまった。
 雅人が頼んだ珈琲が運ばれてから、ようやく雅人が口を開いた。
「経過をもう一回話すよ、そうしたら、何か思いつくことがあるかも知れない……」
 優司は黙って頷いた。

24日 金曜日 バイト始め。
25?28日 バイトに出る。
29日 無断欠勤 電話に出ない。
30日早朝 秀也の自宅を訪問。留守。
30日 無断欠勤 電話に出ない。
31日朝 秀也の自宅訪問。留守。合い鍵を使って中に入る。30・31日の朝刊から新聞が取り込まれていない。
連絡が付かないので、優司に連絡をいれる。

雅人の説明に沿って書かれたメモを見ながら、優司は呟いた。
「新聞が30日から取り込まれていないんですね。ということは、29日には家に居たことになりますが。店には行っていない……」
「秀也は、店を無断で休むほど無責任ではない……」
 雅人もそのメモを覗き込みながら、思いつくことを並べていった。
「秀也の携帯は電源が切れている」
「31日からは私と会うことになっている」
「秀のバイトの期間は、30日が最後だったんだ。だから、30日は必ず来るはずだ」
 雅人がはっきりと断言したので、優司は不思議そうに見返した。
「なぜそうと言い切れるのです?」
「今までの例から言って、秀目当ての常連さんはバイト最終日に一斉に押し掛けてくるんだ。夏もそうだったし。たくさんの客がくると、秀も特別手当がもらえるから余計張り切っていたし……本当に昨日は困ったんだ……。秀目当ての客達が秀が来ていないことに暴れ出しそうだった……」
 大きくため息をついた雅人が嘘を言っているようには見えなかった。
 確かに根はおちゃらけた感じがする秀也だが、結構責任感がある、ということは常日頃感じていたので、この無断欠勤騒ぎは異常としか思えない。
 優司の不安はますます大きくなった。
「何か事件でも巻き込まれたのでしょうか?」
 考えたくはなかった。しかし、他に見当がつかない。
「うーん。心当たりは当たったし、それでもいないから……」
 雅人もお手上げだというように頭を抱えた。
 優司は、そんな雅人を見て改めて見直している自分に気がついた。
 最初会ったときはからかわれてたらしくて、いい印象はもたなかった。まして、この人は秀也と昔つき合っていたのだ。
 もちろんあの後、秀也にはっきりと今は自分だけだと言われて、少しは安心したのだが、それでもわだかまりは消えなかった。
 だが、今目の前にいる雅人は、本当に秀也を心配していて、しかも一番に優司に連絡をくれたのだ。それが優司にはうれしかった。
「ところで、これからもう一度秀の家に行ってみようと思うんだが……」
 ふっと、雅人が顔を上げて優司に尋ねた。優司はそれに大きく頷く。
「ぜひ、行きます。それに、今日は秀也の所に泊まる予定で、たとえ秀也が居なくても行くしかないんです」
 優司は苦笑した。
 しかし、一体どこへ行ってしまったんだ……。
 優司も雅人も悪い方向に向かっていく思考を止めたくて、雑多な話をしながら秀也の家へと向かった。
 秀也の部屋は片づいていた。
「昨日入ったとき、できるだけ物には触らないようにした。どこに秀の大切な物があるかわからないからな」
 雅人はそう言って、棚の上に置かれていた写真立てを撮った。そして、優司に渡す。
「これは……」
 その写真を見て、優司は思わず笑みを浮かべた。
 そこには、満面の笑みを浮かべた秀也と照れくさそうに笑っている優司が二人並んで映っていた。場所は、工場内事務所。
 会社で新しく購入したデジカメで、試写会だあっとみんなで撮りまくった時の一枚だった。
「その写真を見たとき、正直言って妬けたよ。秀の奴、ずいぶんと楽しそうでさ……。ホストの時とは違う笑顔なんだよな……」
「明石さん……」
「ああ、雅人でいいよ。何か明石さんて改まって呼ばれるとくすぐったい感じがするから。それに敬語も止めてくれ。それと、俺も、優司と呼んでいいか?」
 優司は無言で頷いた。
「じゃあ、優司は秀と俺との関係、聞いてるだろう?」
 写真を覗き込みながら、雅人は優司に話しかける。
「はい……」
「俺と秀の仲はそんなに長い間じゃなかった。どっちかというと、俺は本気だったと思ってたが、秀は俺には本気じゃなかった。俺はそれでもいい、と思ってた」
「……」
「だが、つきあっている間の秀は本当に優しかったよ。そのせいで俺は助けられたのかも知れない。ちょっと精神的にごたごたしていた時期でもあったからな。秀は、なんというか人の心を溶きほぐすのが巧いんだよな。俺の精神が落ち着いて、しっかりと地に足がついたようになって、それから納得ずくで秀と離れることができた。その内、秀はお宅の会社に入ったし、ちょうどいい時期だった」
 この前、秀也自身もそう言っていた。もし、今の話を秀也から聞いてなかったら、今頃嫉妬に狂ってたかも知れない。だが、秀也はすべて優司に話してくれている。そして、優司はそれを信じている。
 それに、優司は秀也の秘密を知っている。雅人はそれを知らない。秀也が何故人の心を溶きほぐすのが巧いのか。その力が一体何なのか……。
 そして、秀也が最近になって一度だけ、本当にその力を使いたくないと思ったことがある相手が優司であることも……。
 そういう事を知っているから、秀也の本当の力を知らされていない雅人に対し、優司は嫉妬心はあるものの、それ以上の感情はもたなかった。
 いや、実を言うと、今優司は友情にも似た感情を抱いていた。
「雅人さんて……いい人ですよね」
「え?」
 雅人は驚いたように目を見開き、そして苦笑した。
「俺が、いい人? 違うよ。未だに秀が諦めきれない情けない男だから、ここで秀にいいとこ見せようと思っているだけさ」
 しかし、優司はにっこりと笑った。
「その言葉が本当にそうだとしても、私にはあなたがいい人だと思ってます。だって、あの秀也が未だにつき合っている人だから」
「……そうか。そういう考えもあるのか……。まあ、確かに秀はあんまり人とプライベートにつき合っている奴はいなかったから……。今回、それが余計分かったんだけど……。優司は秀の事がよく分かってるんだな」
 雅人の口調が、優司を見直したかのように変わった。
「そう、かな? でも知らないことが多いですよ。ホストの時の事は全然分からないし、だから、今度のことは本当に明石さんがいなければ私は途方に暮れていたと思います。あっそうだ!」
 優司は今思いついたことを雅人に尋ねた。
「秀也がホストでアルバイトしていた時に、何か兆候みたいなもの、なかったですか?」
「うーん……。いつも一緒にいたわけじゃなかったからな」
 何かを思い出そうかと首を傾げた。
「何かトラブルがあったとか……」
「トラブルねえ……秀に限っては、思いつかない。結構別れ上手っていうのか、その当たりのテクニックはピカ一で、後腐れがないようにしていたし、人気があるからって傲ったりはしてなかったし……」
「じゃあ……客関係ではないんでしょうか……」
 優司は額に指を当てて考え込んだ。
「ホスト仲間でもあんまり考えられない。そりゃあまあ、何人かは客を取られたような奴もいたけど、その辺のフォローもしっかりしてたしな」
 雅人も腕を組んで唸っていた。
 どちらからともなく、フローリングの中央に置かれていたガラステーブルに向かい合わせで座る。
「じゃあ、秀に入れあげてしまったお客さんの元彼氏とか……」
「そうなるとお手上げだな。一人一人当たってる訳にもいかない。そうなると、警察に届ける必要が出てくるけど……家出人扱いされると秀も帰ってきたとき困るだろ……」
「はあ。確かに。でももう数日たっても帰ってこないと、ちょっとまずいから、そうなると……」
「ああ、そうだな」
 優司がふっと時計を見ると9時が過ぎていた。
「あの、明石さんは今日はお店は……」
「ああ、今日は店長に許可もらってるから大丈夫。店長も秀のことが心配なんだ。ホストとしてだけじゃなくて、結構かわいがってるからなあ……。あっ」
 雅人が何かに気がついたように声を上げた。
「客と言えば、今思いついた人がいる。ちょっと、待っててくれ」
 そう言って雅人は自分の携帯を取り出すと、どこかに電話を始めた。
「あ、雅人です。明(あきら)います?」
 どうやら店に電話を入れたらしい。
 優司はそんな雅人を凝視していた。今は少しでも手がかりが欲しいのだ。
「やあ、明。ちょっと聞きたいんだけど、ここんとこずっと来てたあの医者だっていってた客の名前知ってるか?」
 電話の向こうで言われた言葉を雅人がメモする。
 そこには[増山浩二]と書かれていた。
「ああ、病院は北川病院だな。ああ、知ってる。で、この人いつから来ていない? あれだけ毎日来てたろ……」
 その返答を聞いて雅人は、やっぱり、というような表情を見せた。
「ああ、サンキュ。うん、こっちは何とかやってるから、たのむな」
 そう言って雅人は携帯を切った。
 優司はそんな雅人に視線を向ける。
「この増山って医者は、秀が来た次の日に看護婦達を連れて来たんだ。それから毎日来ていた。看護婦はいろいろ変わっていたけど、秀が気に入ったから、病院で話をしたら、みんな来たがったから連れてきたって言ってたんだ。ところが、29日も30日も来ていない」
「増山浩二って男ですよね……」
 何かとても嫌な感じがした。
「ああ、結構知的な感じはしたが、秀をじっと見ていたことがあったな。ただ、いつも静かに飲んでいて、連れの女性達とたまに会話する程度だった」
 雅人は言い切ったが、その途端嫌そうな顔をした。
「あまり静かなんで秀が一度話しかけようとしたときに、看護婦達が嬌声をあげてた記憶がある。何か二人が並ぶとはまっちゃう、とかなんとか言って……」
「秀の奴、ちゃんとフォローしなかったんですか?」
「うーん。どうなんだろ。看護婦達の相手で忙しそうだったし、なんせ相手の増山って男があんまり反応していなかったし……なんか凄い落ち着いていて……」
「でも秀也は相手にその気があるかどうか位、見抜きますよ」
「ああ。そうなんだが……」
 二人はそのメモを見ながら考え込んだ。
 秀也なら、本気かそうでないか見分けて、それなりの対処ができる。本気の相手にはきちんと相手をして、後腐れないようにすることだって出来るはずだ。だが、もしそれに失敗していたら……秀也の考えた以上に、そいつが異常だったら……。
 優司はそこまで考えて、背筋がぞくりとした。
「とりあえず、この増山って医者探してみないか?」
 優司は頷いた。
 今のところ手がかりはこれだけなのだから。
雅人が再度店に電話をし、増山という医者の情報がないか、ホスト仲間から聞き出していた。
優司は、雅人がコンビニで買ってきたおにぎりを食べながらそれを聞いていたが、ふっと写真を手に取り、見つめた。
笑っている秀也……この時、何を話したっけ。
優司は思い出そうとした。
写真を撮って、パソコンに取り込んで印刷する間、仲間達ととりとめもない話をしていた。確か須藤さんクラスの人たちがみんな出張に出てたもんだから、すっごく和やかだったんだよなあ……。
もう会えないのか……ふっとそう思った。
何か、言いしれぬ不安が胸中を駆け抜ける。
優司はそんな考えを追い払うかのように、頭を激しく振り、そしてテーブルに突っ伏した。
秀也……どこにいるんだ……。
 雅人は、そんな優司に声をかけることもできず、じっと見つめていた。

 

外にでるともう明け方近かった。
冷たい冷気が体に入り、徹夜呆けした頭が冴え渡ってくる。
車がいるだろうと言う雅人に反対意見もなかったので、始発電車に乗って雅人のマンションに行くことにしたのだ。
優司は着いたマンションを見て驚いた。
 新築なのか外観はきれいで、中のホールや設備も最新のようだ。
「凄いところ住んでいるんですね」
 思わず優司がもらした言葉を雅人は笑いながら受けた。
「俺、秀がいなきゃNO.1ホストだからね」
「へえ……」
「ああ、そうだ。ちょっと部屋入ってくれ。もう一カ所電話するところがある」
「え、はい」
 案内された部屋は南向きの日当たりがいい角の部屋だった。ベランダも広く観葉植物も置いてある。インテリアなどもシンプルでさっぱりとした部屋だった。
趣味がいいんだな。
優司はそう思った。
 だが、広い。少なくとも、このマンションの中では最高級の部類に入るんじゃないかと思えた。
 一体、この部屋幾らしたんだ……。
 優司が眺めていると、後ろから雅人の苦笑混じりの声が聞こえた。
「そんな所で突っ立ってないで、ソファでも座っててくれ。あ、いや、そこバスルームだからシャワーでも浴びたらどうだ。凄い顔しているぜ」
 そう言って、横の扉を指さす。
「え、いや、いいです」
「ったく、鏡ちゃんと見てみろって……。自分が今どんな顔しているか分かってるか」雅人がため息をつくと、優司に手鏡を渡した。
そこに写ったのは、心労が入り交じった不安に満ちた切なげな表情の優司だった。
 今にも泣きそうな、張りつめた表情。
 これが……私の顔なのか……。
 動かない優司をしばらく見つめていた雅人はふっと優司の顎に手をかけた。そのまま優司の顔を自分の方にくいっと向けた。
「あっ」
「優司がそんな顔してると、なんか放っておけなくなるなあ。……」
 そういいながら、雅人は優司に口づけた。
「っ!」
 優司は慌てて、雅人の手をふりほどこうとする。しかし、雅人はしっかりと優司を抱きしめ離そうとしない。それとごろか、雅人の舌が優司の口腔に進入してくる。その舌を追い出そうとする優司の舌は、雅人のものに絡め取られる。
雅人のキスは巧みだった。振り切ろうとする力が弱まっていく。
優司の手があらがうのを止め、雅人の服を強くつかんだ。
優司の舌が雅人の舌を受け入れるかのように動く。
先に動いたのは雅人だった。優司の体から手を離す。
雅人はそっと優司を解放した。
「……」
「っ!私は……」
はっと我に返った、優司は右手の甲で口を押さえる。
体に甘い痺れが残り、優司自身のモノが疼くのを感じた。
 こんな……秀也がいないのに……
 自分が自分で信じられなかった。
 雅人を欲しがっている自分自身に……。
 愕然としている優司に、雅人は笑みを浮かべながらバスタオルを渡した。
「くくく。冗談だよ。あんまり切なそうな顔しているから、つい襲いたくなっちまった。もうしないよ。ほら、しっかり顔を洗って来な。」
 優司には、冗談とも思えなかった。
「!」
 きっと振り向くと、バスルームに駆け込む。
 バスルームに入った優司は、洗面台に手をついて大きく息を吐いた。
 ……どうして……。
雅人の唇が触れたとき、痺れが全身を走った。
最後には自分から求めていた。
「っくしょう。秀也が私を放っておくからだ……」
 訳の分からない感情が胸の中に一気に広がる。
 今まで我慢していた物が、一気に爆発した。
優司の目からとめどめもなく涙が流れた。
「今日、会えるってどれだけ楽しみにしていたと思うんだ!お前が私に来いって言ったんだろうが!ばかやろう!とっとと出てこい!私が誰かに取られてもいいのか……」
 床に崩れ落ちる。
「どこに……どこに……いるんだ……しゅうやあ……」
 涙が、床に滴り落ちた。

 優司の消えたドアを一瞥し、雅人は苦笑を浮かべた。
 優司を見ていると放っておけなくなる。そんな危うさを優司は持っていた。
 一晩一緒にいた雅人はそれに引きずられそうになったのだ。
 先ほどの口づけは本気だった。秀のことがなかったら最後までいってしまったかも知れない。
 そして、優司が求めるように動き出した時、やばい、と思った。
 このままでは、自分が自分で止められなくなる。
 やっとの思いで自分を取り戻した。
 優司は、弱い。
 前に秀也がちらっと言ったことを思い出した。
 何かの拍子に出た言葉で、それ一回きりしか聞いていない。
 だが、本当にそれを唐突に思い出した。
 このことだったのかと思う。
 何かに耐えきれなくなった時、差し伸べられた手に容易に乗ってしまうような弱さ。
 普通の状態だったら、きっと簡単にふりほどかれたに違いない先ほどの行為。
 だが、優司の精神状態は今まいっているのだ。
 一見普通に見える行動とは裏腹の表情に、それが端的にでている。
 もし、俺が秀也の事を知らせなかったら、優司はずっと秀也の家で帰ってくるのを待っていたのだろうか。
 いつ帰るとも分からない恋人を……何故いないのかも分からず……誰にも聞けず……。もし、それで戻ってこなかったら……優司はどうしていたのだろう……。岡山に帰り、普通通りに生活するのだろうか? 壊れそうな心を持って生活できるというのだろうか……。
そんな時に、誰かが悪意を持って手を出したら、優司はその手にすがりつきそうな気がする。
 雅人は首を振って、考えるのを止めた。
 秀也が帰ってこない訳がない。
 大事な恋人が苦しむのを放っておくような奴ではない。
 それは昔つきあっていた自分が一番よく分かっている。あいつは何とかして帰ってくる。
 優司を守るために。
「ったく、秀よお。さっさと帰ってこい。お前の恋人はもう危ない……」
 雅人は一人呟くと、携帯のボタンを押し始めた。

 

 外が暗くなっていた。
 あれから何度か、電話を貸してくれるように頼んだ。帰らしてくれるように頼んだ。
 しかし、増山は静かに首を振るだけだった。
 あの時の一時の溢れんばかりの感情はもうない。
 湖のように静かな感情に秀也は戸惑った。
 今まで、こんなに静かな感情はなかった。いや、これはもう感情がないんじゃないかと思えるほどだった。
 だが、一度は見せた感情のほとばしり……。
 泣いて秀也に謝った増山を見ている限り、感情がないとは言い切れない。だが、それ以上の何かが増山の感情を押さえつけているような気がした。
 それを何とかしないと、自分は帰れない。
 そう思った。
 優司が来る。
 約束の日だ。
 俺がいないことに気づいた優司は、どんな思いをするだろう。
 切ない表情で街中をうろうろされたら、簡単に毒牙にかかってしまう。
 早く帰らないと……。
 そのためには、もう一度あの感情を引っ張り出さなければ……。
「増山さん。どうしても帰らしてはもらえませんか」
 秀也は自分も冷静であるように努めた。
 今日は優司の来る日なのに……。
 その思いが秀也を駆り立てる。だが、ここであせっては駄目なのだ。
 感情的になる方が負け……。
「私はあなたはを虜にしていたいのです」
 静かな声色は、秀の背筋をぞくりとさせた。
 増山はあれから一度も秀也の体に触れようとしなかった。
 何が望みなのか、増山自身も分かっていないようだった。
 だから、それを引っ張り上げなければ……。
「俺も仕事がありますからね。いつまでもここにいる訳にはいかないでしょう。増山さんだって仕事があるでしょう」
 その時、初めて増山の表情がぴくりと動いた。
 何かに反応した!
 秀也は今の台詞を口の中で反芻した。
 キーワードは!
「仕事……増山さんはお医者さんでしたね」
 明らかに動揺が走っている。それはごく僅かだったが、秀也の手に掛かれば十分な動きである。
「整形外科と伺っていますが……。きっと大変なんでしようね。俺には皆目見当がつきません……。いろんな人が患者としてやってくるでしょうし……」
 秀也は増山の感情の起伏を考慮して、できるだけ反応する言葉を選んでいく。
「確かに……いろんな人がいます。患者にも、医者にも……」
「先だっての看護婦さん達はあなたのことを大変に優秀だと申しておりました。確か、若干29歳にして、次期外科部長になられる程とか……」
 その途端、明らかな動揺がはっきりと分かる程、増山の表情の上を走る。
「部長か……私は、そんなものにはなりたくないのです……」
 秀也の巧みな誘いによって、増山が自分の事を話し始めた。
「どうしてです? 優秀であるからこそ選ばれたのではないのですか?」
 そう言うと、増山はふっと寂しそうな笑みを浮かべた。
「私は、昔から人体の構造というものに大変興味を持っていました。幼い頃からずっと実践的な拳法を習っていたせいでもあります。だから、最初は医者になれた事がたいへんうれしかったのです。ですが……」
「……何かあったのですね」
 秀也は、その言葉に軽くため息を混じらせた。
「医者というのはプライドが高い人が多いのです。ある意味年功序列なら仕方がないと諦める人も多いのですが、院長がぜひ次期は私にと……」
「あなたは優秀で、若くして外科部長の座を得ようとしている。それを妬む者がいる。こういうことでしょうか」
 秀也は、増山の言いにくそうな言葉を言ってあげた。
「そうです。私はそんな人間関係に大変疲れていました。嫌でした。だけど、彼らの思いも分かる。私の勤めている病院は大きく、その中にはたくさんの医者がいます。彼らは上を目指している。そんな彼らを乗り越えてしまった。妬まれてもしようがない……。だけど、医者という神経を使う仕事に加わったダメージは自分でも予想しないほど激しかったのです。それこそ、夜が眠れなくなりました。私を責める声でいつも目が覚めます……。眠れない夜を過ごしたくなくて、看護婦達に誘われるまま、あなたのいる店に行きました。そして、女性達を言葉巧みに楽しませているあなたに会いました」
 秀也は心の中でため息をついた。
どこか優司に似ている……。
他人のせいで、人の心のせいで自分がダメージを受けているのに、それすらも自分のせいにしようとする……弱さ……。
しかし、表情は笑みを浮かべ、増山に次の言葉を言うように促す。
「一目惚れ、というのが本当にあるとは思いませんでした。私は、あなたの笑顔に心惹かれてしまったんです」
 増山はきっと顔を上げ、秀也を見つめた。
 感情が渦を巻いて溢れだしているのを秀也は感じた。
「あなたのその笑顔を見ていると、何か自分の中のどろどろしたものが溢れ出すんです!あなたの声を聞いて、笑顔を見て、家に帰ると、悩んでいたことが嘘のように消えて、ぐっすりと眠られるんです!だからいつもあなたを見ていたかった。いつも、その笑顔を自分のものにしたかった!」
 叫ぶように増山が訴える。
 秀也は黙ってそれを受け止めた。
「だけど、あなたには恋人がいて、ホストはバイトだから30日までって聞いて……何か自分の頭の中が真っ白になって……気がついたらこんなことに……。私は、私は、ただ、秀に笑いかけて欲しくて、いつも笑いかけて欲しくて……・」
 あの時の感情と一緒。
 この人は疲れているんだ。人とつき合うことの難しさに……。
 この人は純粋なんだ……。あまりに純粋であるがために、人間関係の泥臭さに耐えられなくなって……いつの間にか感情を必要以上に押さえつけて自分を守るようになってしまっている。それはたぶん、ずっと子供の頃からだろう。それが、余計対人関係を悪化させていると気づかずに……。そして、必要以上のどろどろした関係を目の当たりにして、それが綻びかけてきているのだ。
 そして何よりもそれを他人のせいにすることができない弱さ、もある。
 だからこそ俺の笑顔に安らぎを求めた。
 手段は間違っていたかも知れない。
 だが、俺も悪い……あんなに何度も来てた彼に話しかけることをしなかったのは失敗だった。一度でも話しかければ、もっと別な方法があったはず……。
 何よりも人間関係の泥臭さは……何より俺自身がずっと経験して、嫌と言うほどこの身に染みているのだから。
 知らなくていいことまで知ってしまう俺の力がコントロールできるまで、俺は人の裏の感情をもろに浴びてしまっていたのだから……。
 あの時、やっとの思いで離しそうになった俺自身の心をつなぎ止めることができたのは……。
 心の守り方を俺は、俺自身で見つけた。
 人の感情を受け流す事を……。
 そんな過程を経ているから、だから、俺は人の痛みを癒すことができる。
 増山浩二……彼は、まだ間に合う。
 純粋で鋭敏な心を守る鉄壁の砦を一度取り払い、その上にもっと柔らかい砦を作る。
 それが俺にはできるはず。
 この人は、優しい。本来他人を傷つけるようなことはできない……。それが分かる。
 優司……。
 似ている、と思った。
 似ていない、とも思った。
 優司の心も純粋だ。だが、その心を守っているのは、もっと柔らかい砦。多少の攻撃を柔らかく弾き飛ばす。……言い換えれば、鈍感、ともいうが……。だが、人間関係はそんな守りすら破壊しようとした。
 人というのは愚かしいな……。
 あの時、優司は別の砦を見いだした。秀也という心の拠り所を……。
 では、増山は何を砦にすればいいだろう……。
 俺自身を砦にすることはできない。
 そんなことをすれば、優司を裏切ってしまう。
 だから、増山自身がその砦を見つけるまで、仮の砦を作ってもらおう。
 彼は、きっとこの方法で巧くいく。
 だって、彼が必要としているのは、この言葉だから……。
「……浩二」
 秀也が囁くように名前を呼ぶと、増山……浩二は驚いたように秀也を見つめた。
「私は、浩二のものにはなれない。でも、来て欲しいと願えば、いつでも……とは限らないけど、会うことができる。声が聞きたいと思えば、聞かせることもできる……。この体を浩二のものにすることはできない……それでよければ、俺は浩二の友達になれる……」
「友達……」
 浩二は、視線を逸らさなかった。
 秀也もその視線を逸らさない。
「俺は本心からそう言っている。浩二がそれを信じるかどうかは、浩二次第だ。友達でいいなら……友達なら、浩二が悩んでいても、とことんつき合ってやる。深酒しても、一晩中話し込んでも、旅行に行っても……俺は浩二と友達になりたいと思っているけど、浩二はどうなんだ……」
「友達……私には友達がいなかった……」
 浩二の両目から涙があふれ出した。
「子供の頃から成績がよくて、偏差値の高い学校で……私はこんな性格だから、疎まれて、友達なんかできる状況じゃなかった……悩みをうち明ける相手も……親も勉強ばかりいって、それ以外の私の悩みや聞いて欲しいことにことなどに構っていなかった……」
 浩二は信じてくれるんだな……。
 俺の本心を。
 本当に弱ったときに差し出された手に簡単にすがりついてくるその心は、本当に優司に似ている。
 こんな目にあったのが、俺でよかったと思う。
 優司に似ている奴を、放ってはおけない。
「なら、俺が初めての友達かな。じゃあさ、まず友達記念第一回としては一晩中話をしないか……俺のことも聞いてくれるか……」
「俺は秀をこんな風に閉じこめてしまったのに……どうして、そんなに優しく……してくれる……」
 浩二が訴える。
 憎むのが当然じゃないか。
 嫌われて当然じゃないか。
 悪いのは、私なんだから……。
「浩二は悪くない。ただ、あまりにも鬱積した心が浩二を走らせてしまった。俺は、それが分かる。分かるから、浩二を責められない。浩二は俺に癒しを求めてきていたのに、俺はそれに答えてやらなかった。今からでも遅くない。やり直そうよ。俺は、そう思っている」
 秀也は、とっておきの笑みを浩二に見せた。
 それがどんな現象を引き起こすのか分かっているから……。
「あ、あ……りが・・とう」
 浩二は秀也の膝に踞って、いつまでも嗚咽をあげていた。

 

 雅人が運転する車の助手席に乗った優司は何となく気まずかった。
 どうも先ほどのキスが思い起こされる。
 何か話をしようと思うのだが、何も思いつかなかった。
「緊張してる?」
 突然雅人に話しかけられて、優司は飛びあがらんほどに驚いた。
 そんな優司に、雅人は声を上げて笑った。
「ははは……。何やってんだか……ははは」
 涙を溜めて笑い続ける雅人に、優司はむっとした。
「いきなり雅人さんが声をかけるから」
「わりぃ。でも、そんなにびっくりした? 何か黙りこくっちゃってるからどうしたのかなって思って」
 優司は屈託のない雅人の言葉にため息をついた。
「雅人さんが悪いんです。あんなことをするから……」
「あんな事って……。ああ、なんだ気にしてたのか? 冗談だって言ったろう」
「冗談でも……あんなことして欲しくなかったです……」
 口の中で呟く。
「ん?」
 何? というように聞き返されて優司は口を閉じた。
「もしかして、感じちゃった?」
 かあっと全身が熱くなった。血液が沸騰しそうな気がした。
「図星かあ……」
「……ないで……」
 優司は下を向いたまま、掠れた声を出した。
「ん?」
 聞き取れなかった雅人が、優司にちらっと視線を向ける。
「秀也に言わないでください……」
 そう言った優司の顔は泣き出しそうだった。
「私、秀也がいない時に……こんな時に……」
 掠れた優司の声に、雅人はしまったかなと舌打ちをして、優司に話しかけた。その声は優しかった。
「すまなかった。からかったりして……。秀には言わない。絶対に。たぶん、そんなことばれたら、俺が秀にぶっ叩かれる」
 そう言って、左手で優司の頭をぽんぽんと叩いた。
「心配するな。必ず秀也は優司の所に戻ってくる。そして、こんなことがあったんだよってお互い笑い話のように話せるようになる。信じようぜ、そう思って、絶対に秀に会える」
「絶対に秀也に会える」
 その言葉が頭のなかでリフレインする。
 優司はそっと雅人の横顔を窺った。
 雅人の顔にもうっすらとくまが出始めていた。
 この人は私より先に秀を探し回っていたのだ。
 そして、今私の事まで心配していってくれている。
 絶対に秀に会える。
 そう思いたいのは、この人自身のはずだから。
「ありがとう、ございます」
 優司はそれしか言えなかった。
「ここだ……」
 そう言って雅人が車を止めたのは、雅人のマンションよりやや小さいマンションだった。
 管理人室はあるが、素通りできる。
「医者のくせに、ちゃちな所住んでるんだなあ……」
 雅人は呟いた。
 しかし、優司にしてみれば結構立派なマンションである。
 そうなのか、と思いつつ雅人の後ろを着いていった。
 エレベーターに入り、ドアが閉じると優司は話しかけた。
「どうやって家が分かったんですか?」
「ん、ああ。その増山って奴が連れてきていた看護婦がうちのホストに連絡用の番号を渡していたんだ。そのホストが看護婦から聞き出したんだよ」
「へえ。よく教えてくれましたね」
 それってプライバシーの侵害とかで、看護婦さん怒られそうな気がするが……。
「そこはそれ、お気に入りのホストが甘い言葉を囁くと、電話先でころってしゃべっちゃったみたいだよ」
 くくくと嗤う雅人。
「はあ、そんなものなんですか……」
 優司が呆れたように言った時、エレベーターのドアが空いた。

増山の部屋は一番奥の部屋だった。
「本当にここでしょうか?」
 優司は不安になった。
「他に心当たりがないし……間違ったら、せーので逃げ出そうぜ。遅れをとらないでくれよ」
「はい」
 優司は大きく頷いた。
 そうだ。
 もうここしかない。
 やるしかないんだ。
 優司は拳をにぎり締めた。
 雅人がインターホンを押す。
 しばらくすると無造作にドアが開けられた。
 不用心だなあ……。
 雅人はそう思いつつも出てきた男に話しかけた。
「おはようございます。増山さん」
 そう言って、にっこりと笑う。
 ドアを半開きにした男は、訝しげに雅人の顔を見た。
「どこかで……会いましたか?」
 不審そうに雅人を見つめる。
 短めの髪が乱れている。整った顔立ちが、確かに知的な印象を与える……。だが、何故か目が赤い。
 泣いていたんだろうか……。
 優司は、その男の一挙一動を見逃さないように、じっと見ていた。
「俺達は、秀の友達なんです。秀がここにいると聞いたのもので……」
「秀?」
 その言葉は、肯定とも否定ともとれるものではなかった。が、優司は直感的にここに秀也がいると感じた。
「ここにいますね。会わせてくださいっ!」
 思わず優司は詰め寄った。断られたら強行突破でも何でもするつもりだ。
「……」
 そんな優司と雅人を一瞥した浩二はふっと室内を振り返った。
 そして、扉を全開にした。
「秀は奥の部屋にいます。どうぞお入りください」
 静かな声だった。
 あまりにも簡単に肯定されたので、優司と雅人は一瞬顔を見合わせた。
「入らないのですか?」
 その声に促されるように入った二人は、
「よう。おはよう」
 という、ソファに座った晴れやかな秀也の笑顔と声に迎えられて、がくっと一気に脱力した。
「どうした……」
 不思議そうに言う秀也にはっと我に返った優司が飛びついた。
「どうしたもこうしたもあるか!いきなり連絡もせずにいなくなるからみんな心配したんだぞっ!」
 がっとシャツの喉元を掴み引き寄せる。
「雅人さんも俺も、どうしようかと思ったんだから……」
 そのまま優司は秀也の胸元に顔を埋めた。涙が頬を伝う。
 頭の中で巡っていたあらゆる思いが、いっぺんに吹っ飛んだ気がした。
体が言うことを効かない。
ただ、ただ、秀也を感じていたかった。
「……会えてよかった……」
 それだけ言うと、もう言葉は出なかった。ひたすら秀也の胸の中で嗚咽を漏らす。
 最初はあっけに取られていた秀也だったが、ふっと笑みを浮かべると優しく優司の柔らかい髪を何度も手ですく。
「すまなかった。心配をかけて……」
 それでも泣きやまない優司に、秀也はそっと両手で優司の頬を持ち上げた。
 涙で濡れた頬を優しく指でなぞり、そして優司の口を塞いだ。
 優司は胸元を掴んでいた手を離し、秀也の首に手を回し抱きついた。
 もう、もう離さない。
 もしかすると、という不安があった。
 それでも考えないようにしていた。
 たまらない不安、押しつぶされそうな不安。
 それでも必ず会えると信じていた。
「ごめんな、優司……」
 そっと口を離した秀也は再度優司の耳元で囁いた。
「おーい。こっちも何とか言ってもらいたいな。ずいぶんと心配をしたんだからな」
 不機嫌そうな雅人の声にびくっと秀也が顔を上げた。
 秀也の側に腕を組んで仁王立ちをしている雅人を見つけた秀也は、ひきつった嗤いを浮かべた。
「申し訳ありません。えっと、その、今日にでも連絡しようかと思っていたのですが……」
「おう。ぜひとも理由を聞かせてもらいたいな。優司もそう思っているだろうし」
 雅人が優司と呼んだことに気がついた秀也はむっとした。
 だが、そのことを問題にする前に、玄関から戻ってきた浩二が割り込んだ。
「私がお話しします」
 その声は淡々としていた。
「そうだな。聞こうか」
 雅人は秀也の向かいの席にどかっと座った。秀也は優司を抱き起こし、隣に座らせる。
 浩二は雅人の隣の席に座った。
「原因は、私が秀を自分の物にしたかった、ことです」
そう言って始まった説明に優司と雅人はことばを失った。

「本当に不思議な人ですね、秀は。意識を回復した秀は、私を責めることなどしませんでした。何かたくさんの話をしました。最初は私もとまどっていましたが、その内自分がものすごく解放されたような気がして……秀が私を友達だと言ってくれたときは、何よりもそのことに喜んでいる自分にびっくりしました。私は、秀が大好きです。でも、愛している、という感情とは違うようです。秀と話をしていて、そのことに気がつきました。私は、恋人としての秀ではなく友達としての秀を手に入れることができて、たいへんうれしいと感じています。それがはっきりと自分の中で認識できたとき、もう秀を留めておく理由がなくなりました。そして、今日秀には帰ってもらう予定だったのです。その前にあなた方が来たんですけど……」
 苦笑する浩二。
 それを聞いた雅人が大きなため息をついた。
 ったく。俺達の苦労は……。
 だいたい、こいつが悪い……。
「秀……お前油断したな……」
「はい」
 秀也はさすがにしゅんとなって答えた。「反省しています」
「あの、秀は悪くないんです。私が、秀にまいってしまったのが悪いんです」
 慌ててかばう浩二に秀は笑いかけた。
「違うよ。浩二の気持ちに、店に来ているときに気がつけば、こんなことにならなかった。浩二のようについてきた人が俺にまいることは今まであったんだ。だから気をつけていれば、浩二の気持ちが分かったんだ。幾ら、浩二が隠していてもね。じゃないと、トラブルもなくホストをやってることは不可能だったから。俺は、割と一目惚れされやすいらしくてね……気をつけていたんだが……ま、だから油断していたんだよな……」
 そんな秀也を不思議そうに浩二は見返していた。
 秀也の力を知らない、または経験したことのない人からすれば、秀也が凄いことを言っていると思うだろう。
 だが、それは事実なのだから。
 そうやって秀也が過ごしてきたことを経験上雅人は知っていたし、優司は話に聞いて知っていた。
「それにしてもみなさんは、どうやって秀がここにいると分かったんです?」
「不審者があんた一人しか見つからなかった。だから当たって砕けろってな感じで当たってみたら、ドンピシャだったんだ」
 雅人がため息とともに答えた。
 本当にラッキーだった。
 だが、勢い込んで飛び込んで見れば、秀は思いっきり和んでいるし……一体俺達の苦労は一体なんだったんだろう。
「優司がこっちに来るのが分かってたから、本当は昨日までに帰りたかったんだけど、なかなか浩二が許してくれなくてね。まいったよ」
 ぴくんと優司がその言葉に反応する。
 どうして、そんなに親しげに呼ぶんだ。
 横に座っている秀也は気がついていない。
 雅人さん達は気がついて、苦笑いしているというのに。
「申し訳ありません、優司さんにはご心配をおかけしました。私の気持ちが完全に落ち着くまで秀はつき合ってくれまして、それが今日の朝までかかったんです」
 静かに話す浩二を見ていると、とても秀を拉致したとは思えない。
 感情を内にため込むタイプなんだろうな。と優司は思う。
 こういうタイプは、いきなり爆発するから……そう思ったとき、自分もそうであると思い出す。
「じゃあ、もうこんなことはないんですね」
 優司は念押しした。
 あってもらっては困る。もうこんな思いはしたくない。
「はい。秀は私を許してくれました。そんな秀に私はこれ以上嫌われたくありません」
 静かだがはっきりと言う。
 私には、それを信じる手段はないけれど、きっと大丈夫なのだろう。
 優司は秀也が彼を許しているのだから、彼を許すことはできないけれども責めることは辞めようと思った。
 それでも、秀也が浩二と親しげに呼ぶことはどうしても許せなかった。
「いやあ、やっぱ自分の家はいいなあ……」
 送り届けられた自宅に入るなり、秀也は思いっきり伸びをして、言った。
 後から入ってきた優司は何も言わない。
「ん、どした?」
 優司は帰りの車の中でも全く口を利かなかった。
「ふーん……」
 秀也が優司の瞳を覗き込む。
 優司を目をつむり、秀也から顔を背けた。
 瞳を覗き込むときは、秀也が感情を探っているときだと知っているからだ。
「優司……ごめん……怒ってるよね……」
 秀也が急にしおらしく謝ってきた。
 思わず、優司は目を開いた。
 そこに秀也の顔があった。
「あっ……」
 慌てて顔を背けようとしたがその顎を掴まれ、そのまま唇が重ねられた。
 舌が優司の口内を念入りに犯していく。
 口から全身に甘い痺れが走った。
 たまらず、秀也の背中にしがみつく。
「はあ……」
 秀也がやっと優司を解放したときには、優司は秀也にしがみついていないと立っていられない状態だった。
「すまない……」 
 耳元で囁かれる言葉が、新たなるうずきをもたらす。
 優司の中心が熱を帯び、解放を求めていた。
「秀也……戻ってきてくれた……でも……」
 そう言って、優司は秀也の胸に顔を埋めた。
 でも……何故……あの人のことをあんなに親しげに……。
「ごめん、優司。俺は彼を助けたかった……」
 何も言わない優司の髪を秀也はやさしくすいていく。
「彼は優司に似ているよ。だけど、もっとずっと繊細だったんだ。あのまま突き放すと、泥沼に陥ってしまうのが分かったから……」
「だから……」
「一応、友達っていうことにして……だって俺の恋人は優司だから、恋人の座を渡すわけにはいかない……俺の代わりになるような人が見つかるまで……俺は浩二の友達になることにした……」
「友達……」
「浩二は、それでもいいっていたったろ……だったら、俺もそれに答えてやらなきゃいけない。優司は、それでも許してくれない?」
 友達……
 いや、今、恋人は優司なのだから……とはっきり言ってくれた。
 なら、何を悩むことがあるだろう……。
「秀也は、さっき私の感情を見たから、私が何故怒っているか知っているよね……」
「……実はちょっとうれしかったな。優司がそこまで嫉妬してくれるなんて……」
 顔が熱くなる。
「……からかうなって言ってるだろ。いつも……」
「かわいいもんなあ……赤くなってる優司は……」
「私は……かわいくなんかない。こんなに嫉妬深いなんて私自身思わなかったけど……でも、秀也が親しげに他人を呼ぶと、何かもやもやした気持ちが沸き起こってきて……
秀也に当たり散らしそうで……だから黙っていたのに……秀也は私に隠し事をさせない……」
 そう言って拗ねたように余所を向く優司の額に口づけて、秀也は微笑んだ。
「かわいいさ。嫉妬している優司もね。誰だって恋人が親しげに他人の名を呼ぶと、嫉妬にかられる。俺だって……」
 ぎゅっと優司の体を抱きしめる。
「優司が雅人さんのことを親しげに呼ぶのを聞くのが嫌だった。優司が雅人さんに笑顔を向けるのが嫌だった。世話になった礼を言っているだけだと分かっているのに……俺がこんなに嫉妬深くなったのも優司と恋してからだ……」
「秀也……」
 優司がかろうじて腕の中から顔を出す。
 上に向けられた唇に、秀也は自らの唇を近づけた。
「愛してる……」
 そう呟きながら……。
 優司はそのキスを味わいながら、それでもふっと雅人とのキスを思い出した。
 同時に後ろめたさが湧き起こった。
あのキス……たぶん雅人の方が技巧的には巧い、と思う。
 だからこそあれだけ感じてしまった……。
 もし、もし、秀也があのことを知ってしまったら、一体どうなるんだろう……。
 秀也は怒るだろうか……怒るに違いない。
 私が、親しげに名前を呼ぶことで、それだけで嫉妬すると今言っていた。秀也も私と同じだ。なら、もしキスをしてしまったことがばれたら、秀也は許してくれるだろうか? 確かに無理にされたけど、でもそれに自分は感じてしまった。
 どうしよう……。
「優司、何を悩んでいる……」
 はっと気がつくと、秀也が優司の顔を覗き込んでいた。
 まずいっ!!
 慌てて、秀也の胸に顔を押しつける。
 見ないで!
「……優司……何か隠してるな、言って見ろ」
 秀也の声は怒りを含んでいるように聞こえた。
 優司は胸に顔を押しつけたまま、首を振った。
「優司っ!俺に隠し事はできない。分かっているだろう。それでも隠したいのかっ!」
 言えるわけがない。
 言えるわけなど……ない。
「ったく、俺に隠し事はできない。じゃあ、俺から言ってやろうか!」
 びくっと優司の体が震えた。
 秀也は、それを見てすっと表情を変えた。優司にはそれが見えていない。
 秀也は優しく、優司の体を抱きしめた。
「どなって悪かった……」
 優しく抱きしめる。「優司……。雅人さんと何があった……」
 優司の体か震えた。
秀也は気がついてる……。
「たのむ、俺は優司の口から聞きたい。分かっているだろう。俺に隠し事ができないのは……。俺だって知りたくなかった。だけど、知ってしまうんだ、いや、優司のことは何でも知りたくなる。歯止めが利かないんだ……。だから優司が隠したい事まで、俺は知ってしまう……優司の隠したいことまで……。こんなのフェアじゃない……だけどそんな俺を知ってて優司は俺を認めてくれたんだろう……。だから、たのむ……俺に隠し事をしないでくれ……」
 秀也の声は切なくて、掠れていた。
 優司は、顔を上げた。秀也の顔を見つめる。
「私は……雅人さんとキスをしたんだ……」
 絞り出すような声がその口から漏れた。
「最初はいきなりだった……でも、だんだん感じてしまった……秀也がいないのに、こんな時に……私は、雅人さんに抱かれたいと思ってしまったんだっ!」
 最後には叫ぶように言った。
秀也はじっと優司を見つめていた。
ふっと優司が顔を背けた。
「私は……秀也を裏切ったんだ……」
 苦痛に顔をゆがめ、呟く。
 私は、秀也を裏切った……。
 秀也が浩二と親しげに呼ぶことに嫉妬しているくせに……それなのに……自分は……。
「優司……」
 秀也が優司の耳元で囁いた。「愛してる……」
 はっと秀也の顔を見つめる。
「ありがとう、自分の口から言ってくれて……。そして、気にしないでくれ」
 そう言ってにっこりと微笑む秀也。
「俺は、分かってしまうっていったろ、だから、何かがあったなとは思った。だから、それでも優司が隠していたら、俺は優司を傷つけてでも知りたかったろう。何が起きたのか……」
「秀也……私は……・」
「気にするなっていっても優司は気にするだろうけど……。俺は気にしないよ。元は俺が優司を一人にしてしまったのだから。優司は寂しかったんだよ。不安だったんだ。だから、雅人さんの優しさに無意識のうちにすがろうとしてただけなんだ。あの人は優しいから、そんな優司を慰めたかったんだろうけど……」
 ふっと口を閉じる秀也。
 訝しげに秀也を見る優司に笑いかけ、そしてきっぱりと言い切った。
「今度雅人さんにあったら、一発殴ってやる」
「え、ええ。ちょっと、秀也」
「慰め方を間違えるなって言いたいんだよ。余計に優司を混乱させやがって」
 ぶつぶつと文句を言う。
「あの、私が悪かったんだから……そんなことは」
「うん、優司も悪い。本当に気をつけるんだよ。優司は気がついていないだろうけど、切ない顔でうろついたら、絶対放っておけなくなるような、そんな危うさが優司にはある。知らない人間だったら、絶対最後までやられちゃってたかも知れない」
 きっぱりと言い切られた優司は困った顔をして、うつむいた。
「そんなこと……」
「まあ、一番悪いのは俺だ。でも、俺の恋人だって分かってて手を出した、雅人さんも悪い。一発くらい殴らせてもらっても構わない筈だ」
「秀也あ……」
 今度、いついつ会えるから、その時に……などと計画を立てている秀也に、優司はひっしと抱きついた。
「ありがとう……秀也」
「優司……」
「私、秀也を愛してる。だから、私がふらふらと余所の人についていかないように見張っていてくれないか……私は、秀也がいないと……駄目なんだ……」
 涙ながら訴える優司を秀也は抱きしめた。
 むさぼるように唇を欲する。
「離さない……」
 秀也の手が優司の服の裾から背中に回される。
 秀也の愛撫が優司に甘い痺れをもたらし、手の動きが体と心を溶かしていく。
「──あ……」
 いつの間にか、上半身をはだけさせられ、胸の突起を口に含まれていた。鋭い刺激が、全身を貫く。
 そんな優司の喘ぐ声が秀也をさらに興奮させた。
 優司を傷つけても優司の体が欲しかった。優司の体に入りたかった。
 しかし、秀也はかろうじてその思いをねじ伏せた。
 まだ、まだだ……。
 そう思いながら、優司のズボンのボタンを外し、手を中に入れる。
 その中のすでに堅くなっているモノを掴む。しっとりと濡れたモノを上下に嬲るとさらにそれは力強くなった。
「い……や……」
 その刺激に優司の体ががくっと前のめりになった。
 秀也は優司の体を支えながら耳元で囁いた。
「ベッドに行くよ……」
「……」
 優司は股間に与えられる刺激に翻弄されていた。
 すっと秀也が手を引き抜くと、切なげな顔を向けた。
 離さないで……。
 優司は思わずその腕を掴んだ。
 秀也はその頬に軽くキスすると、優司の体を抱きかかえベッドに運んだ。ベッドはセミダブルだから狭い。だが、もう何度ここで愛を囁いただろう。
秀也は優司をベッドに横たえ、微笑みかけた。
「愛してる」
優司も紅潮した顔に笑みを浮かべて答えた。
「私も……愛してる……」
それを聞いた秀也は優司に覆い被さった。
 我慢できなかった。
 優司が欲しくて欲しくて堪らなかった。
 そして、それは優司もそうだった。
 優司の体が入れて欲しいと悲鳴を上げていた。
 秀也のモノが差し込まれるのを願っていた。
「し、しゅうやあ……」
 しがみつく。服を取り払うのももどかしかった。秀也の愛撫すらもどかしかった。
 お願い、早く、早く……・
「……早く……」
 そんな言葉が秀也の耳に入る。
 だが、秀也はじっと我慢していた。今、感情の赴くままに優司に突き進めば優司の体を傷つけてしまう。そんなことをしたら、まだ後数日はある休みを何もできずに過ごさなければなくなってしまう。それだけは避けたかった。
 秀也は後ろに回して手で優司の蕾を指でつつく。
「う……・」
 その刺激にたまらずのけぞるその首筋に舌を這わせながら、指は絶え間なく蕾を弄ぶ。じらすかのように周りをなぞり、すいっと蕾に指の先を入れる。
 少しずつ柔らかくなる蕾に指が吸い込まれそうだった。
 もう片方の手で優司のモノを掴みこすり上げると、じっとり液がにじみ出てきた。その液を指に取りその指で蕾を貫く。
「ああっ……」
「……優司の中は熱いな」
 秀也が囁く。
 優司は、自分の体が秀也を欲しくて欲しくて悲鳴を上げているのを感じていた。
 秀也のちょっとした動き全てが快感をくれる。
 それでも、物足りなかった。
 もっと、もっと……自分のどん欲な感情を抑制する術はもうなかった。
 早く、秀也と一つになりたい……。
「お、お願い……しゅう・や……はやく……」
 目元に涙をため懇願する優司に、秀也の下半身は新たに反応する。
 秀也も入れたかった。早く、はやく……体が悲鳴を上げていた。
 たが……。
「……んく……ああ……」
 もう少し……あと少し
 その時、とんと秀也の体がベッドに押しつけられた。
「え、優司?」
 優司が秀也の体の上に乗ってくる。
「く」
 優司は秀也のモノを掴むと、一気に自分の中に押し入れた。
「っああ!」
 痛みが優司の体を貫いた。
「ばかっ!まだ早いっ!」
 慌てて秀也が優司の体を支えようとするが、優司はそれをさせず、完全に秀也のモノをくわえ込む。
「くうっ!」
 痛みにがっくりと秀也の体に倒れ込む。
「……ばかやろう……そんなに待ちきれなかったのか」
「……しゅうや……」
 涙目の優司の目元にキスをする。
「お願い……秀也……動いて……」
 囁くように懇願する優司にたまらず秀也は腰を動かした。
「……くっ」
 優司は痛みをこらえるかのように眉間にしわを寄せている。
「痛いか……」
 慌てて秀也が動きを止める。しかし、優司は首を振った。その瞳が艶っぽく秀也を高ぶらせた。
「大丈夫。お願い、動いて……痛いけど……気持ちいい……」
 優司の瞳が欲情に煽られるように秀也は再び動き始めた。
「……あっ……」
 だんだん優司の声が喘ぎ声になってくる。口は半開きになり、涎が顎を伝っていた。それすらも気にならず優司は秀也のモノを貪欲にむさぼる。
「……・は、あああ」
 秀也はさらに腰を動かした。
 秀也のモノが体の最深部に当たる。その快感に優司は我を忘れていた
「あああ、いや……しゅう・や……」
 優司自らも腰を動かす。
 その動きは秀也を一気に高めた。空いていた手で上を向いていた優司のモノを掴む、それは先走りの液でしっとりと濡れていた。
 軽く上下する。
 優司の口からはあっと声が漏れた。息が熱い。
「……ああ……いい……もっと……もっと……」
 優司からもたらせる圧迫感が強くなった。
 秀也の与えた刺激が優司によってさらに高められ秀也にもたらせる。
 もう、我慢できなかった。
「優司……俺も、達くぞ……」
「いっしょに……うっ──あっ、あぁ──しゅう、やぁぁ──」
 その叫びで優司は一気に高みに駆け上がった。同時に秀也も達する。

「優司……俺、お前に出会えて幸せだ。まさか、自分がここまでのめり込める相手に出会えるなんて思わなかった。だって、さ、人の心が分かってしまうと、人の裏まで分かってしまうと……もうその人を好きになるなんてできなかった。それが、優司だけは違うんだ。心の裏を見てしまっても、でも、好きなんだ。嫉妬している心も、心配している心も、何かを嫌っている心も……何もかもそう思っているのが優司なら俺は受け入れられるんだ……。だから……俺こそ願う。俺から離れないでくれ……」
「私は離れない……」
 二人はそのままずっと抱き合った。
 眠りにつくその時まで……。
【了】