?
「また、いないんですか……」
 ドアを開けた途端、主不在の机が視界に飛び込んできた。
 キイチ・ウォンの歯噛みするような声に、中にいた同じチームの隊員達が笑う。
「キイチがいなくなってすぐに。あんまり素早すぎて捕まえられなかった」
 などと堂々と言われて、キイチの責める視線が強くなる。けれど、言い返しはしなかった。
 仮にも彼らはキイチに取っては上官だ。たとえ、副官としての任務を全てキイチに押しつけていたとしても。
「で、どこに行かれたんです?」
 感情を押し殺して問いかければ、皆視線をあわせて、「さあ?」と肩を竦めた。
 判っているくせに。
 その口許が笑っているのが判るのは、さすがに何度も同じような事を経験したせいだ。
 キイチがこのオリンポス第11司令部ヘーパイトスの工作司令官カベイロスに配属されて以来、小隊長であるボブ・グレイル中尉のお守りは彼の役目になっていた。それは、キイチの本来の役目からは程遠い。
「ああ、そうだ。14時にリオの執務室に出頭するように、今連絡があった」
「う……」
 思わず時計を見れば、12時30分。
 そして、彼らがそれをキイチに伝えたと言うことは、キイチがボブを捕まえてリオの元に連れて行かなければならないということだ。何度も繰り返された鬼ごっこを、今日もしなければならないのかと思うと、キイチはうんざりと深いため息をついた。
「それじゃ……失礼します」
 おざなりの敬礼をして部屋を出ると、「いつもすまんね?」と気の入っていない謝罪の言葉がかけられた。
「そう思うなら、そちらも探してくださいね」
「お?」
 聞いちゃいねーな……。
 ボブの性格そのままのメンバー達のやる気のなさは、今更どうしようもない。
「さて、今日はどこかな?」
 残り90分。
 最愛にして最悪の上官殿はどこに行ったのか?
 キイチはまず彼の行動パターンを頭に思い浮かべて、考えた。
 キイチは大きい。
 背の高さだけで言えば、ボブを越える。ついでに警備兵としての立場上、体も鍛えている。見えない気配に関する感覚は、並の人間とは思えないほどに鋭敏で、後に目がついているとさえ言われている。戦闘部隊である第三艦隊アーレスに行っても、決して遜色ない働きを見せてくれるだろう。
 そんな彼が一番苦手なことと言えば。
「あ、あの……」
「今日もボブを探してんの?いっつも大変ね?」
 いくつも上がる明るい声。さざめく笑い声は多分に揶揄が含んでいる。
 彼女たちの姿を見た時に、回れ右しようと思ったけれど、すでに遅かった。
「ボブって言えばリリカの所で見かけたわよ」
「あらあ、ルイスのとこって聞いたけど?」
 キイチを見かけただけで、ボブを捜していると判るのも問題だが。今は逃げるが先だろう。
「あ、そうですか……ありがとうごさいます……、でも」
「でも、なあに?」
 喫茶室でボブの元彼女達の一団に捕まった己の不幸を呪うけれど、しっかりと掴まれた腕を邪険に振り払う度胸はない。
 若い女性達に男が一人取り囲まれているというのは、常ならば衆目の的だろう。だが、今この場にいる他のメンバーは、明らかに視線を外している。
「でも、ボブはこの子が大好きなんでしょう?女性のところに行っている訳ないじゃない」
 まだ幼さが残る彼女は、きっとボブをあまり知らない。
「それがボブだから……」
「そうなの、ボブだから」
 皆が視線を合わせて、笑いあう。
 キイチですら、思わず頷きかけた。
 キイチと恋人同士になっても、ボブの噂話には必ずと言っていいほど女性の姿が付きまとう。
 寝てはいないらしいけれど……。
 くすくすと意味ありげに笑い合う彼女達は、もしかすると真実を知っているかもしれない。
 だが、聞けるものでなく。そして、これ以上彼女たちの退屈しのぎに付き合う暇はない。時間は刻一刻と過ぎていくのだ。
「あの……グレイル中尉にお知らせしないことがあるので……」
「無線は?──ああ、さぼっている彼に通じるわけないか」
「それって、今日のデートの約束でもするの?」
「ち、違いますっ!ミーティングが」
 焦って言い訳しようとしたけれど、彼女達は聞く耳をもってはいない。
「一体どうすれば彼の約束取り付けられるのか教えて欲しいなあ」
 それはこっちも聞きたいんだ。
 ふと、思った。
 非番の日でも、彼を見つけるのはひどく困難なのだ。最近特に激しいような気がする。必ずと言っていいほど、捜し出さないと見つからない。わざと逃げているような気がしないでもない。
 キイチも逢いたい時に逢えた試しがないのだ。たまに、ボブが逢いたいと思ったらやってきて、そこにキイチの都合を考慮している様子などまったくなかった。
 だが、それがボブなのだと思うとそれまでなのだが。
 しかしボブに思いを巡らせたのも一瞬で、口さがない女性たちの言葉にキイチは赤面した。
「二人でいる時ってあてられるくらい熱々なのよねぇ」
「もう見てらんないわよね。ま、キイチの可愛いところもたっぷり見れるからいいんだけど」
 しかも声が大きい。そのせいで、キイチの全身は茹で蛸状態だ。
「と、とにかく……急ぎますので」
 何とか振り払えば、思いっきり大声で笑われて、それを背にしながらほうほうの体で逃げ出した。
 

「あ?あ、まいった」
 いらない時間を食って、しかも有益な情報は少なかった。
 女性達の所にいるかも、とは思ったのも事実だが、調べてみればあそこにいなかった親しい女性たちは今は勤務中であることは簡単に知れた。
 となると、どこだろう?
 歩いて回るには広いけれど、ボブが行くところとなるとたかが知れている。
 今まではたいてい見つけることができた。キイチは闇雲に歩き回ることやめて、休憩がてら誰もいない通路の片端で壁に背をつけた。
 すうっと息を吸い、呼吸を整える。
 ボブの気配を辿って、意識を飛ばす。それは比喩でしかないけれど、キイチの感覚としてはそうだ。
 気配はしない。
 もっとも、人よりちょっと勘がいいだけだから、判るわけではない。ただそういう体勢をとることで神経をとぎすませることができる。頭の中が整理されて、この先の行動を決めやすくなるのだ。
 研ぎ澄まされた感覚が周りの騒音をシャットアウトして、欲しい情報だけを身に取り込む。
「ボブ……」
 口の中で呟けば、脳裏にはっきりと浮かぶその顔。
 ほんの少しキイチより低いのと、座っている時に話をするのが多いから、よく見るつむじ。
 その浮かんだ光景にくすりと笑って、キイチは閉じていたまぶたを開けた。
「こっちかな?」
 それは根拠のない勘でしかない。
 けれど、キイチは迷うことなくそちらに進む。今までそうして戦い抜いてきて、かなりの確率でその勘が正しいことを知っているからだ。
 足が進む先にあるのは、居住区。
 キイチの目がすうっと細められる。獲物を狙うキイチのそれにボブの姿が映ったのは、それから数秒後だった。
 とたんに、胸の奥深くで針に刺されたような痛みが走る。
「また……」
 食いしばった歯の隙間から、声にならない言葉が零れた。視線の先、20メートルばかり先に、ボブとそして長い黒髪を一つに結わえた女性がいた。どちらも後ろ姿であったけれど、単なる仲とは思えないほどに親しげな様子なのは判る。頬が触れあうほどの距離で何か囁きあっていた。
 それは恋人同士の睦言そのもので。
 このところ、ボブを追いかけると必ず目にする光景だった。
 それでも、今はその胸の内にこみ上げるどろどろした固まりを封じ込めるしかない。とりあえず捕まえるためにも、気配は完全に絶つ必要があった。たとえさぼってばかりいるようなボブであっても、人並み以上には気配に敏感だからだ。
 足音をたてないように近づいて、死角から手を伸ばす。隠れるところがない通路だから、とにかく急いで、だが慎重に近づいて。
 声をかけたら逃げられるのは、最初の頃に学習していた。とにかく捕まえなければならないのだ。
 だが。
「ヤバッ!」
 手が届く寸前に、ボブが跳ねるように体を反らした。
「もう来たかっ!」
 その楽しそうな声に、かあっと頭に血がのぼる。だが、感情に我を忘れるほどキイチも愚かではなくて、擦り避けるボブを捕まえようとした。
「待ってくださいっ!」
「冗談っ!」
 ちらりと肩越しに向けた表情が笑っている。
「じゃあな」
 しかも、今まで話し込んでいた女性相手に別れの言葉をかける余裕すら見せつけた。巧みに女性を盾にして、キイチの行く手を塞ぐ。彼女も心得ているように、キイチのジャマをするのだ。その僅か数秒のタイムラグのせいで、二人の間が開いてしまった。
 どうしてっ!
 ふつふつとこみ上げるのはいったい何だろう?
 キイチは走りながら拳で痛む胸を押さえ付けた。鈍く不快でしかない痛み。
 好きだと、互いに求め合った仲だというのに、目の前で女性相手に親しげな様子を見せつける。
 心がざわめいて、収集がつかなくなりそうで。あれがボブなのだ、そういう性格なのだと思っても、素直に享受できない。
 イライラと、荒ぶる心が悲鳴を上げる。
 だが、キイチはゴクリと息を飲み込むと、そんな感情を無理矢理押しつけた。今そんなことに構っている暇はないのだ。
 だが、こみ上げる嫉妬がいつもよりキイチに勢いをつけたのは、どうしようもないことだろう。
 勢いよく床を蹴った足が、いつもより早い速度でボブを追いかける。
「げっ」
 ボブとて軍務についている。
 リオ・チームは危険な任務に就くことも多いから、体も鍛えている。
 だが、技術者のボブと戦士としての訓練を受けるキイチではその体力は根本的に違うものがあった。
「捕まえましたよ」
 すべてのエネルギーを瞬発力にでも変えたのか、キイチが荒い息を吐いてポフの手首をしっかりと拘束する。
「何で、逃げるんですか?」
「何で……って言われても……」
 そう言いかけたボブが口ごもる。
 そして聞いたキイチの方も、同じく口ごもって俯いた。
 どこかで同じことを言い合った記憶があったのだ。そして、たぶんこの後の展開も同じようになりそうな気がして。
「とにかく……」
 だけどキイチの方が気を取り直して、顔を上げた。
 理由など問うても無意味なのだ。ボブの頭の中には遊ぶことしかない。
「14時にリオが招集をかけています」
「リオが?」
 それまでふてくされていた表情が、真剣みを帯びる。その表情は好きだ。ボブがボブらしくなるその瞬間。
「そうです。それを伝えに来ました。……せめて無線機だけでも切らないでいてくれたら、いいんですけどね」
 本当はもっとまじめに……と言いたかったのだが、たぶんそんなことを言っても馬耳東風だろう。
 キイチはため息をつきながら、ボブを掴んでいた手を離した。
 その動きをボブが驚いたように見つめて、ふっと口の端を上げた。
「どうした?連れて帰らないのか?」
 嫌味な笑みだ。
 キイチが見せる反応をからかっているようだ、とその笑みを苦々しく見つめる。
「今日はリオの招集に出ていただければいいです。急ぎの仕事は……ないですし」
 捕まえたら気力が萎えた、と言ったらいいのだろうか?
 ちらちらと脳裏をよぎるのはさざめき笑いあう女性たちの声。先ほどボブが別れを告げた女性が、忌々しそうにキイチを見つめた目も思い出す。
「キイチ?」
 元気の消えたキイチにボブが訝しげに覗き込んでいた。
 つい先日もこんなふうに間近で覗き込まれて、「愛している」と囁かれたというのに。
 なのに、この男は女性とも遊ぶ。
「……」
「キイ?」
「いえ、何でもありません。とにかく一度部屋にお戻りください」
 そういえば、どういう招集なのか聞いていなかったな。
 リオがわざわざ呼び寄せるほどだ。何か任務が入ったのだろうか?そうなると準備がいるかもしれない。
「私は先に戻って確認します。なにか必要なことがあるかも知れませんし」
 そうだ。
 ボブとて、リオの招集をサボらないだろうし……。
 ボブのじっと窺っているような視線にいたたまれなさを覚えて、キイチは逃れるように踵を返した。
 だが。
「まだ、時間はあるだろう?」
 先程とは反対に、今度はキイチがボブに捕らえられていた。
「んな、なさけねえ面してる奴、先に帰したら俺が何言われるか……」
「別に」
 普通にしているつもりだったキイチは、ボブの言葉に眉間のシワを深くした。
「言いたいことあるんじゃねーのか?」
 ん? と覗き込まれて、その距離に顔が勝手に熱くなる。
 言いたいことなど山のようにあったけれど、その大半はこんな時に言うべきことでないだろう。キイチは小さく息を吐き出すと、無理にボブと顔を合わせた。
「仕事、サボらないでください」
 今、ふさわしい言葉を選び出す。
 だが、ボブが反応しない。それどころか、見据える目がきつくなったようだ。
「……他には?」
「他……ですか?」
「ああ」
 ますます近くなるボブの顔が近くなる。
 掴まれた腕が引き寄せられ、まるで抱き締められているようだ、と今更ながらに気が付いた。
「は、話してくださいっ!」
 せめて、少しでも、と、のけ反れば頭が壁に当たった。
「俺は、別にサボっちゃいねーよ」
 揶揄する声音が間近で響く。
「だったらなぜ……?」
 勤務中のこの時間にこんな居住区にいるというのだ。
 昨日もおとついも──ボブを捕まえたのはいつも居住区の近くだった。そして、その傍らには女性がいるか、その残り香があるか。
 もうこの男の女ぐせはきっと治らない。
 そう思わせるほど、消えない女性の影。
「わかんねえか……」
 ため息を零すボブが憮然とした表情で、キイチを見据えた。
「だったら、この鬼ごっこは終わらねえ」
 手が離れたのとその台詞が言い終わったのとが同時だった。
「ボブ……」
「14時だったな。それまでに捕まえられるか?」
「え?」
 言葉とともに身を翻したボブに、キイチはあまりのことに動けない。
「お前が捕まえられたら、明日から……当分はまじめに仕事してやるよ」
「なっ!」
 そんな賭をするような事柄ではない。まじめに仕事をするのは当たり前だ。
 だが、言い捨てられたその戯れ言に呆然としている間に、ボブの姿はもうどこにもなくなっていた。

 

 追いかけて、心当たりは散々捜し回った。
 けれどなかなか見つからないままに貴重な時間は刻一刻と過ぎていき、残りは30分程になってしまう。
「畜生……」
 適度な空調が効いている艦内でも、走り回ればさすがにきつい。流れ落ちる汗を袖で拭いながら、キイチは辺り見渡した。
「一体どこへ……」
 まさかリオの招集まではさぼるまい。と思ったのが甘かったのだろうか?
「これじゃ、鬼ごっこじゃなくて、かくれんぼじゃないか」
 姿の見えない敵を追いかける。似たような訓練は、教育期間中に何度か行った。少なくともその成績は常にトップだった。
 それでもボブを見つけるのは至難の技だ。
 何しろ彼には殺気がない。探るには難しい相手だ。それでも、諦める訳には行かない。
 仕事をサボってボブが降格処分にでもなったら困る。キイチは常にボブとともにいたいのだから。
 だから、必死になっていた。
 何度か勘を働かせて、迷いつつもキイチはここじゃないか?という所に辿りつく。
 けれど。
「ここ……」
 扉の前で呆然と立ち尽くしたのは、そこがキイチの部屋であったからだ。
 同室のアリンとともに過ごすプライベートな空間。
 灯台もと暗しと言えば、ここほどふさわしい場所はないかもしれない。それでも信じられないと思うけれど、ボブはここにいる、とキイチの勘が言う。
 キイチはそっと手を伸ばしてドアの開閉スイッチを操作した。
 結論から言えば、鬼ごっこはキイチの勝利で終わった。
 キイチが必死になっている間、人のベッドで惰眠を貪っていたボブが逃げられるものではない。
 その姿を見たとたん、キイチの目の前が怒りで真っ白になったのは、当然と言えば当然なのだが──だからといって、何でそんな行為をしてしまったのかよく覚えていない。
 けれど。
 気が付いたら、ベッドの上でボブに馬乗りになってキスをしていた。
「どうしてっ!」
 責めるキイチに、ボブも眠気が吹っ飛んだようで目が見開かれている。
「こんなっ!」
 この衝動は怒りだけでない。
「楽しいんですかっ!僕をからかって!」
「キイチ……?」
「こんなふうに逃げてっ。仕事中に女の人と会ってっ」
 捕まえた時に漂う残り香など嗅ぎたくないのに。
「僕が好きだって言ったのはウソなんですか?ずっと側にいてくれるって言ったのはウソなんですか……」
 掴んむ指先から力が抜けて、がくりと肩を落とす。
「キイ……」
 いろんな感情がごっちゃになって、訳判らない。キイチ自身、どうしたいのか判らないのだ。なのに。
 キイチにのしかかられたままのボブはひどく嬉しそうで、笑みすら浮かべている。
「何で笑ってんですか?」
 責めているはずなのに、堪えていない様子に不満が大きくなった。
 眉根を寄せたキイチに、ボブはその手を伸ばしてきて。
「お前が捕まえてくれたからだ」
「どういう意味です?」
 うれしそうに抱き寄せられ、頭をかき抱かれる。
 一体何がどうなったというのか、判らない。
「しかも熱烈なキス付きで」
「そ、それは……っ」
「お前って、俺が女といても平気なんじゃないかと思ったけど、やっぱり怒ってたんだよな。それが判っただけでもやった甲斐があるってもんだ」
「あ、あの?」
 一体どういう意味なんだろう?
 キイチは抱きすくめられたまま、混乱した頭をなんとか落ち着かせようと必死だった。
「えっと、あの?」
「判んねえのか?彼女たちには協力してもらっただけ。いろんなプレゼント要求されたけどさ、お前が本音を晒してくれるのならかまやしない」
「それって……」
 押さえつけられた頭をなんとか起こして、キイチはボブを見つめた。
 吐息を感じるほどの近い距離で、ボブが笑っている。それは揶揄するようなものではなく、もっと優しく慈しむようなものだ。
「キイチ……」
「あの……」
「どう思った?俺が女といて」
「それは」
 嫌だった。見たくもなかった。女性の残した香りを嗅ぎたくもなかった。
 ボブの問いかけにたくさんの感情がこみ上げてくる。あまりにいっぺんに込み上げたせいで、どれもが言葉にならない。
 ただ、ボブをじっと見つめることしかできない。それでも。
「そうやって、俺には本音でぶつかれよ。勤務中でもプライベートでもな」
 何もかも察しているように、ボブが頭を起こして口づけてきた。
 僅かに触れてすぐに離れて。
「お前は何もかも溜め込み過ぎる。だけどな、今回のように、嫌なことは嫌だと言え。でないとみんなから便利使いされるだけだ」
「便利使い?」
 なんだか話が混ざっているような感じがした。今まで、女性に関することを言われていたような気がしたのに。
「そうだ。嫌なら嫌と言え。判ったな」
「あ……はい」
 言いたいことは判るから受諾したけれど、今ひとつピンと来ない。
 そんなキイチに、ボブはまた笑みを浮かべて、そして。
「もっと早く見つけないから。キイを味わう時間がなくなっちまった」
 悔しそうに言いながらも施される深い口づけに、キイチの体が甘く疼く。
「ん……ふぅ」
 鼻にかかった甘い声が勝手に漏れた。
「どうする?このまま最後までやるか?」
 煽るように動く手に、キイチは眉間のシワを深くして、切なくボブを見上げたけれど。
「そんなこと……できるわけない…です」
 煽られてキイチの体は熱を帯びている。だが、それでもリオの招集を無視するわけにはいかないと訴えれば。
「ま、仕方ねえか」
 ボブも苦笑を浮かべて、体を起こした。
 結局あの毎日の鬼ごっこは、すべてキイチの訓練を兼ねていたのが事実だという。
 それを知らずにボブに嫉妬と怒りをぶつけたことが恥ずかしい。
 なにより。
「まさか、あの女性達もそれを知って?」
 問えば、そうだと断言された。
「お前のためだって言ったら喜んで協力してくれたぞ。あいつらにはウソもOKって言っといたけど、お前あんまり引っ掛からなかったし」
 残念そうにいうボブは、きっと気付いていない。
 全員とは言わないが、それでも中には忌ま忌ましげに見つめる視線があったことも。
 だからこそ、キイチの嫉妬は簡単に火がついてしまったのだから。けれど、そんな風にだまされたことが恥ずかしくて、絶対にほかの人たちには言えるものではない。なのに、そんな切なる願いは、いつだってボブによって叶えられやしなかった。
「それにしても、良かったよなあ。あんなキイ、薬にやられた時以来で」
「わああああっ!」
 リオの執務室で平気で宣うポフの口を慌てて塞いでも、それはもう今更なことだった。
 周りの仲間達が、苦笑を浮かべてキイチ達を見つめている。ダテの気の毒そうな視線が、キイチの羞恥をさらに煽った。
 このメンバーの中で隠し事は難しすぎた。
 真っ赤になって小さくなったキイチに、リオが笑いながら真新しいエンブレムを手渡して。
「おめでとう。キイチ・ウォン少尉」
 新しい階級を告げる。
「あ、ありがとうございます……」
 それは、ボブとの鬼ごっこの果てに手に入れたものだった。
 尉官クラスになるための昇級試験にエントリーされているなどとキイチ自身全く知らなかったし、その試験内容が鬼ごっこなどとは、思いもよらなかった。
 一体どの目的が真だったのか、今もってよく判らない。
 だが、確かにキイチの手のひらには新しい階級章が縫い込まれたエンブレムがある。
「これで、正式に俺の副官だな」
 尉官以上がつく副官の地位に、キイチはそのエンブレムとともに着任した。実際には階級など後からついてくるもので、実力こそがものをいう軍隊ではあるけれど。
 それでも、正式な地位があれば、何かと便利はいいのだ。
 そのことにボブは嬉しそうなのだが……キイチの表情は晴れない。
「何だ?何か文句あんのか?」
「だって、仕事しないですから……」
 正式な副官になってしまえば、あの苦労がもっともっと降ってくる訳で。
 それを考えると、素直に喜べない。だが、ボブはそんなことかと笑い飛ばした。そして。
「お前がばてないようにはしてやるよ」
 ぐいっと引き寄せられて耳元で囁かれる。
「昼も、夜もな」
「なっ!そんなんだからっ!」
 暗に行為を示唆されて、火を噴きそうな勢いで朱に染まったキイチだったけれど。
「今度逃げ出したら、容赦しませんからねっ!」
 不遜な上官を諌めつつも、気が付けば顔はうれしそうに笑っていた。
【了】