【明けぬ夜】4   (【宴の夜】続編)

【明けぬ夜】4 (【宴の夜】続編)

 久能木の必死の懇願に、佐々木はその瞳に怒りを滲ませていた。
 それでも、「ふむ、それはそれで問題があるか」と呟いて、久能木から手を引いた。
 その意味がどういう意味なのかははっきりしないけれど、少なくともこれより淫乱にすることは考え直してくれるのだという期待はあった。
「あ、ありがとうございます」
 歓喜に震える声音で礼を言い、頭を下げる。
「だが、私が前言撤回しても良いと思えるほどの奴隷であるかどうかはテストする必要がある」
 続けられた言葉の、その冷え切った声音に総毛立つ。
「来なさい」
 すくっと立ち上がった佐々木に言われるがままについて行けば、その先は地下にある「久能木の部屋」だった。
 コンクリートが剥き出しの、元々は倉庫として使われるために作られた部屋だ。だが、電気どころかエアコンもあって、水道すらあるそこは倉庫にしては変だろう。
 実際、今そこにあるベッドとAV機器、そして棚を見れば一見普通の部屋にしか見えない。ただし、棚に整然と並ぶのはたくさんの淫具で、引き出しには小さな淫具やローション、薬が所狭しと入っている。AV機器の棚にはテレビにプルーレイやDVDのレコーダー、ビデオカメラにカメラや三脚が置いてあって、隣の棚にたくさんあるディスクや機器内のHDDの中身は、全てが卑猥な映像や写真ばかりだ。ベッド周りには、画像が撮りやすいようにライティングまで施されていて、その横からは滑車や鎖がぶら下がっている。
 広い地下室は実は他にも部屋があって、一つにはパスルームが設置してあった。もちろん、ただ風呂に入るためだけの部屋ではないのは、その装飾を見れば明白だ。
 それら全ては、久能木が揃えたことになっている。あるいは、久能木が望むから仕方なく揃えた、ということになっている。
 だから、ここは「久能木の部屋」なのだ。
 この地下室の広さと、そんな家を建てられるだけの財力を持つ佐々木に恐れを成したのは、最初にそれを知らされた時からだ。
 しかもその地下室から伸びた通路が、実は片端から大声を上げてももう一方には届かないと言われるほどに広い敷地を持つ隣の屋敷と繋がっているらしい。最初にそれは聞かされていたけれど、それがいったい何のためなのかは教えもらっていなかった。知りたいと思わなかったのは本能から来る恐怖のせいだ。
 その部屋に連れてこられて、久能木は目の前が暗くなるのを感じた。
「あ、う……や……」
 震える体を、両手で包み込む。
 久能木の部屋、となっているけれど、実際この部屋を使う事はあまり無い。
 使うのは、他の主人達が遊びに来たとき。彼らが使うのは、この地下室のみだ。そして、恥辱と苦痛と快楽に満ちた仕置きの中でも、特に映像が関わる時にはここを使う。
 見せられながら、撮りながら、音と映像に狂わされながら犯される苦しみは、また別の意味を持つ。
 客観的に見せられる己の痴態は、久能木を確実に追い詰める物ばかりだった。



 拘束は右腕の枷に繋がった鎖だけだった。
 だが、佐々木より「動くな、喋るな」ときつく命令されていて、動くことは許されていない。
 これがテストだと言った佐々木の真意は判らないけれど、それでも落第点では即、売りに出されるだけだろう。
 ベッドに仰向けになり、右手は横に、左手は体の横に伸びてシーツをきつく掴んでいて、足は膝を立てて大きくM字に拡げている。煌々と肌を照らす灯りの下、そこから外れた暗い空間で赤いLEDがぽつりぽつりと数カ所に見えていた。
 佐々木はいない。右手に枷をつけた後、命令して──さらにペニスバンドを外して出て行ったのだ。
 けれど、そのLEDが見張り役だった。だから動けないままに、襲い来る快感に堪えるしかない。
「うっ、くぅ……」
 鈍い振動が下腹部の奥深くで響いていた。
 力を入れて排出しようにも、アナルには太くてくびれの深いストッパーが嵌っていて、自力で出すことは叶わなかった。小さな──たぶんここにある中でも一番小さなローターは、それでも強力に振動していて前立腺を叩き続ける。
「や……っ」
 小さな声で出かけた悲鳴を飲み込んで、声を殺す。
 気持ち良すぎるのだ。射精を許された体は、快楽の泉を掻き回されることにたいそう悦んでいて。
「くっ!」
 ビクビクと痙攣しながら白濁を己の腹にまき散らしながら、それでも姿勢は変えられない。
「……まっ、はっ」
 吐息混じりの音のない言葉は、続く喘ぎ声に混じった。
 何度射精しても、振動は止まらない。達ったばかりの敏感な体は先よりもっと貪欲になっていて、嬉々として快楽を受け入れる。けれど、そんなことを二度三度繰り返せば容易に限界はやってきて、今度は達ける苦しみに嗚咽混じりの喘ぎ声を繰り返した。
「あっ……はっ……くっ…………」
 まなじりから涙が零れ、シーツに染みをつくる。腹に溜まった精液がたらりと腹を流れ落ち、尻とシーツを汚した。
 快楽にとろとろに蕩けた頭でも、苦しみが募れば醒めてくる。
 佐々木の命令に従うことに疑問すら感じて、左手を動かしてストッパーを外してしまえば、この苦しみから逃れられるのに、と考えて。
 ひくりと指先が動き、シーツの皺が形を変える──けれど、それ以上は今の位置から手は動かなかった。
 駄目だ──。
 もしここで動いてしまえば、それは主人の命令に背くことだった。
 背けば罰は酷くなる。それこそ、佐々木が言ったように躾けられてしまうかも知れない。それどころか、売られてしまうかも知れないのだ。
 それだけは避けなければならなくて。それを考えれば、今の姿勢を崩すことはできなくて、ただひたすらに今の苦しみに耐えていくしかなかった。
 ぎりっと噛み締める音が、頭骨に響く。意思とは関係なく早い勢いで駆け上がる快楽の階段は、先より長い。限界が来ているからこそ長くなっている階段を駆け上がるのはたいそう辛かった。
 それでも、必死になって我慢して、泣いて、悲鳴を飲み込んで。
 閉じそうになる足を意識的に開いて、動こうとする左手をシーツに食い込ませて、命令に従うのだ。
 従順な奴隷で有りさえすれば今より酷いことにはならないはずで、そうなるためには全てを我慢するしかないのだから。
 久能木のそんな必死の決意も、小さくても存在感のあるローターは持ち主を苛み続け、確実に追い詰め続けた。
 もう何度目かの、背筋から脳髄まで駆け上がる衝動に、息を飲む。
「はっ、あぁっ……あっ……」
 射精と言うよりも滲み出していると言った方が良いような、それでも確かな射精に全身から力が抜けていく。
 もう動く気力もなくなって、虚ろな瞳から力が抜けていった。膝からも力が抜けて、パタンと両側に分かれて、ひっくり返ったカエルのように足がシーツに落ちた。
 大きく胸が上下している。放置されていた乳首は、それでも体内の快感の渦に煽られて、ぷくりとイヤらしく立ち上がり続けていた。暗い朱の色は、ひくひくとあえぐ亀頭の色とよく似ている。
 それに伸びた手の存在ももう気づいていなくて、触れられたとたんに走った快感に、全身が大きく跳ねた。
「あっ……はっあああっ!」
 意識が完全に戻るより先に、はっきりとした悲鳴が迸る。
 ビクビクと腹の上でペニスが踊り、最後かと思った射精をまた繰り返していた。
「淫乱」
 蔑む言葉にぞくりと震え、逆光でよく見えない姿を探して。
「だが、ローター一つでこんなに短い間に射精を繰り返す、その淫乱さは私の性奴隷にふさわしい条件の一つだ」
 惚けた脳を冒す言葉は、それでも確かに理解できて、久能木はうっすらと笑みを浮かべた。
「こ、しゅ……んさま……」
 堪らずに呼びかけたが、言葉を封じられていることを思い出して慌てて口を噤んだ。だが、幸いにもそれは不問にふされたらしい。
「言いつけを守ることは、奴隷の最低条件だ。もし守れなかったら、香我美か瀬能の専属にすることも考えていた。何しろ香我美や瀬能は最近専属の奴隷を欲しがって煩いからな」
 嘲笑を含む声音に冷気を感じ、久能木は動けないままにぞくりと身を震わせた。同じ主人でも、格の違いをまざまざと露わにすることは珍しくて。
 それに、佐々木の言葉から、あの二人の専属になることがどんなに酷いことになるのかが容易に想像できてしまったのだ。
「そうだな、お前にはあの二人の本性がどんなものか見せてやろう」
 沈むベッドの感触に、佐々木が傍らに座り込んだのが判った。それがなぜかを考えるより先に抱き寄せられて、アナルストッパーを引きずり出される。
 その狭く張り付いたそれを無理に引きずり出されることに痛みはあるけれど、同時にわき上がるぞくぞくと疼く感触に必死に声を殺して、胸に回された腕に縋って堪えた。
 まだ、声を出す許可も、勝手に動く許可も出ていないことに気がついていたからだ。それが判ったのか、佐々木が嗤う。
「お前は賢いようだね。そんなお前ならば、私が望むべき奴隷になれるだろう。おいで」
 笑みを含んだ声音とともに、あぐらを組む佐々木の上に同じ向きに座らされ耳朶を嬲られながら下ろされた。
「ぐぅっ」
 ストッパーが抜けてまだ開いているアナルに、熱くて硬い佐々木のペニスが入り込む。
 ズブズブと自重によって自ら杭を銜え込み、その存在感に零れた吐息はひどく熱くて喉が焼けるようだった。体がひどく嬉しがっている。アナルが勝手にきゅうっと締まると、もっとまざまざとその存在を感じて、堪らず零れたのは微笑みだった。
 そのまま、佐々木という生身のイスに体を預けさせられて、ほおっと息を吐く。
「もう良いよ、喋っても、動いても」
 少し声音が優しい。そのことにほっと安堵して、久能木はこくりと頷いた。
「はい。ありがとうございます、ご主人様」
 淫具よりも存在感のある肉を感じて、嫌悪よりもひどく安堵していた。
 挿れられるということは、遊んで貰えるということで。こうやって生身で遊んで貰えるということは、すぐに手放すなんてことはしないはずで。何より、触れた肌を通して、佐々木が落ち着いているのも判る。
「見てご覧、先週あの二人が遊んでいた様子だよ」
 示された視線の先には大型のテレビがあって、そこに映っていたのは確かに香我美と瀬能の二人だった。さらにもう一人、男がきつく拘束されて天井から足が触れるかどうかの高さで吊されている。
「あれが最初、それから……」
 佐々木が手元のリモコンを操作する。早送りで流れるそれは、音声こそ聞き取れるものではなかったが、どんな映像なのかはだいたい判って。
 その凄まじい行為に、久能木の全身がガクガクと震える。恐怖に全身が総毛立ち、体に回された佐々木の手が無ければ、耳も目もふさいで全てから逃げだしていただろう。
 鞭打ちにロウソク。
 それだけならSMではよくあることだ。現に、久能木とてされたことはある。けれど、映像の中の彼がされていた鞭打ちは、全身至る所に──尻からペニスに至るまで赤い痕が残り、血が噴き出すほどに激しい物だったし、降ろされれば今度は尻を真上に上げた上体で拘束されて、アナルに腕より太いロウソクを突き立てられて燭台のように灯された。
 それらを受けていた男のペニスは勃起しきっていて、それらにも快感を感じているのはよく判る。けれど、彼は常に泣き叫んで涙でぐしゃぐしゃの顔を晒していて、ひどく辛いのだと言うことは、画面越しでも伝わってきていた。
 短くなるロウソクから溶けたロウが、尻から腹にまで流れていく。相当熱いのか尻が踊ることは止まらないし、ロウが流れた後は皮膚が赤くなっていた。ペニスの先にも別のロウソクから至近距離でロウを落とされて、マングリ返しのままに暴れ回る姿もあった。
 そして。
 火傷に腫れたアナルにはペニスが突き刺さり、サイズだけは大きな乳首には歯が付いたクリップで挟まれて彼自身のやはり水ぶくれを作っているペニスと短い鎖でつながれて。
 そのまま、ビデオが終わるまで二人にさんざん犯され続けていたのだった。
「い、ひ……っ」
 喉の奥から言葉にならない悲鳴が出て行く。声を出すのも恐ろしい。今すぐに彼らの姿がここに現れて、今度は自分の番だと言われそうで暗闇が怖い。
 ──怖い。
 怖い怖い怖い。
 あの二人がこんなにも残酷だなんて。
 恐怖が記憶を呼び覚まし、確かに二人の行為は最近とみにきつくなっているのと感じていた。
 特に瀬能は容赦がないところがあって、アナルは使えない代わりに、全身を徹底的に嬲っていく。口で手で乳首でペニスで。全身至る所を使って、瀬能が満足するようにさせる。
 いつか。
 いつか、あの映像の男と自分が入れ替わる。それは、きっとあり得る未来で、しかもこのままではそう遠くない。
 それに、今日の昼間に香我美と瀬能が話していた内容まで思い出してしまう。 
 あれは、これだったのだ。久能木のアナルを犯さない代わりに、こうやって遊ぶ手配を佐々木がしていた。ならば、あの相手を誰がするのか、佐々木の胸先三寸で決まってしまう。もし久能木が佐々木に捨てられたら、今度は久能木があんな目に遭うのは必然であった。
 その恐怖は今までの比ではなく、久能木を縛る。縛って雁字搦めにして、逃れる術などどこにもなくなって。
 優しく宥めるこの手を離してしまえば、もう自分は助からないのだと気がついて。
 だから。
「でも、久能木が常に私の気に入りである努力をするならば、手放しはしないよ」
 その言葉は絶対の力を持って久能木を支配する。優しい手に縋り付き、決して逃しはしないと、他の何よりも大事な存在としてそれだけを追う。
「は、い……ご主人様のために……ご主人様のお気に召すような奴隷になります」
 この手に包まれていれば、あんな目に遭わされずに済むはず。
 背後からいたずらに乳首を摘む手に自分の手を添えて、強く押しつけるようにして無言で佐々木を促し、背後を見上げる。
「けれど、私は愚かな何も判らぬ奴隷ですから……どうか。どうか、ご主人様の手で、私を完璧な奴隷に仕立て上げて下さい」
 佐々木が望むように、佐々木が気に入る存在になるために。
 それがどんな奴隷なのか、判るのは佐々木だけだから。
「……良い返事だ。賢い奴隷は好きだよ」
 予想外の返事だったのか、佐々木が目を見張り、けれどすぐにその口元を弛ませた。
 そのとたん、震えて縮こまっていた心臓が悦んで跳ねる。
 ああ、嬉しい。
 ご主人様に悦んで貰えることが何よりも嬉しい。
「ありがとうございます、ご主人様。どうか、私がもっと賢くなれますよう、存分に躾けて下さい」
 仰々しい言葉も、佐々木に悦んでもらおうと思うと、すらすらと出てきた。
 その言葉が、自分にどんな未来をもたらすか判っていて、なお。
「躾けられたいか? この体がもっと淫乱になるようにされたいか? どこにいても誰の前にいても、触れることなく発情し、射精しまくる体になりたいか?」
 それは、つい数時間前にも示された未来。
 あのときは拒絶した未来を再度提示されて、けれど久能木は躊躇いもせずにこくりと頷いた。
「それが、ご主人様の望みとあれば」
 淫乱であることで、佐々木の元にいられるのならば。
「お願いいたします、ご主人様」
 恐怖に捕らわれた心は、ただ一点の光だけを追い求める。たとえそれが間違いだと判っていても、手放すことなど考えられなくて。
「どうか、私をもっと淫乱な体に」
 佐々木の性欲解消奴隷として生きる道しか、今の久能木の目には見えなかった。

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