【明けぬ夜】3   (【宴の夜】続編)

【明けぬ夜】3 (【宴の夜】続編)

 空腹の胃に流れ込んだ精液の臭いが逆流してくる。
 うがいすら自由に許されない奴隷は、再びイスにぐったりと身を預けていた。
 座り心地の良い分不相応なイスは、大きな背もたれとアームのおかげで、そのまま眠ってもすぐに体がずり落ちることはない。
 もうすぐ昼が終わる。
 虚ろな瞳で時計の時刻を捕らえ、うまく動かない頭で目の前の溜まった書類を捕らえる。
 今日はもう資料の片付けはできそうになかった。
 ならば、この山を整理する位はしておこうか。
 疲れ切っていても、してもしなくても良い仕事だとしても、少しでも何かしておきたいと、仕事に縋り付く。
 でなければ、本当に主人達が言う通りの性奴隷としてしか存在意義がなくなる。
 果てぬ行為の度に、全てを諦めてしまおうと思うけれど。それでも束の間の休息時間には、理性が戻ってしまう。
 いっそのこと、佐々木の家に閉じ込めてくれれば良いのに。
 会社など連れてこずに、奴隷として日がな一日弄ばれるだけの存在にしてくれれば良いのに。
 願いたくもない未来をそれでも願ってしまうのは、心が疲れ切っているからだと判っている。判っているけれど。
 襲ってくる睡魔に身を預け、手にしようとした書類を取り落とす。
 動けない。
 疲労は体も心も蝕んで、何かをする気力も奪い去っていた。
 自由を望む心も、彼らに逆らう気力も、それを保持できる時間が、だんだんと短くなっているのは判っていた。
 けれど、疲労には逆らえない。
 そして。
「もう……許して……ご主人様達」
 願う言葉など許してくれないと知っていながらの久能木の言葉は、懇願でしかないものだったけれど、同時に、誰も聞いていないと知っているからこそ零れた言葉だった。




 ふっと目が覚めれば、窓の外はもう暗かった。
 ぼんやりと霞む目で時計を見やれば、もう定刻を一時間も過ぎている。
 カチカチとパソコンのキーボードを打つ音に視線を移せば、その先にある重厚な机では佐々木が事務仕事に励んでいるところだった。
 いつ戻ってきたのだろう。
 ぼんやりと考える久能木の体は、未だに眠っているかのように動かない。
 結局昼を除いて朝から今まで、ずっと眠っていたような物だけど、不安定なイスに座ったままの姿勢では、節々が痛み疲労は完全には取れてない。
「……おなか……空いた」
 ぽつりと呟いた言葉は、以外にも大きく響いたようで、佐々木が顔を上げた。
「起きたか?」
 普段と変わらぬ平穏な声音に、掠れた声で「はい」と答える。軋む体に顔をしかめ、ゆっくりと体を起こした。
 少なくとも佐々木だけなのだと辺りを見渡して、ほっと安堵の吐息を吐いて。
 机上にあったはずの書類が一つも残っていないことに気がついた。
「書類……すみません」
 ふらふらと歩み寄り、それが全て佐々木の手によって処理されていることを知り頭を下げた。
「かまわん、たいした量ではない」
 そのたいしたことのない量ですらこなせなかった事に胸の奥が痛む。
 黙り込んだ久能木を一瞥し、佐々木はいくつかキーを叩いてから、再度久能木を見やった。
「そろそろ帰る支度をしろ」
「はい」
 佐々木は、会社では久能木には何もしない。するのは、佐々木の命を受けた3人の主人達だけだ。
 朝一は室崎で、昼は香我美か瀬能が交代で。瀬能は全裸でバイブや他の玩具を使うのが好きだから、香我美より辛い。今日のような日は香我美で良かったと安堵する。時々、昼に来なくても夕方頃にやってくるけれど、今日はどうやら来なかったようだ。
 ふらふらと帰り支度をする久能木の元に、さっさと支度の済んだ佐々木がやってくる。
「ふらついているな。歩けるか?」
 会社での佐々木は優しい。
 労るような言葉に、その原因の全てをもたらした張本人だと判っていても思わず涙ぐみそうになる。
「歩けます」
 そう言えば手は出してこないのだが、それが惜しいと思ってしまうほどにこの優しさに縋り付きたくなる。
「食事はどこかに寄ろうか」
 佐々木の車での送迎は、辛い体には楽なのは間違いない。それに、疲れているときは体に良いというわれる食事を率先し選ぶような気遣いもしてくれた。
 家の敷地に入るまでは佐々木は本当に優しく細やかな気遣いを見せるのだけど、車がガレージに入り自動でシャッターが下りきるその瞬間、尊敬すべき上司の表情が消えその瞳に別の色が混じる。その瞬間は、何度も見ても慣れない。
 佐々木の家は、いわゆる高級住宅地の中にあって、ある財閥の広大な屋敷と隣接している。その屋敷の警備員のおかげでこの家も守られているのだという佐々木は、今は一人暮らしだ。妻は早くに亡くなりそのために子供がいない。一人暮らしでなんでも一人でしてきた佐々木は家事全般が得意だ。
 だから、「家事手伝いもお願いするから」という名目で始まった同居生活で、実際に久能木がすることなどない。やることは大きく括ってしまえる一つだけだ。
 ガレージが見え始めてから高まった緊張は最高潮で、全身に神経を張り巡らせて準備する。疲れた、なんて言ってられなかった。実際、だるくて辛い体も、張り詰めた緊張感にそれを忘れてしまう。
 車が止まれば、先に車を下りて運転手側に駆け寄りそのドアを開ける。
 下りてきた佐々木は、久能木を置いて家に通じるドアから中に入っていった。その後ろについて、けれど、家に入ってすぐのところで久能木は分かれる。
 それは、この家に帰ってきたらまずするべき事として、佐々木に命じられていることをするためだった。
『外からの埃を落とし、体を綺麗にしなさい』
 最初にそう言われて、その「綺麗」の意味を教え込まれた。
 そのために衣服を脱いで入ったバスルームの、シャワーとは違う蛇口に付けられたホース。その先にノズルを付けて湯を流す。その湯がだらだらと流れるノズルを、クリームで滑りを良くしてからアナルに差し込んだ。
 毎日誰かに犯されるアナルはそんな細いノズルは難なく飲み込んで、すぐに鏡に卑猥な尻尾を生やした姿を映し出す。
 佐々木が命じた腸内洗浄は、欠かされることはない。
 一回目だけは佐々木自身の手で教えられたが、その後は久能木自身の手で行っていた。自分が吹き出した汚水を確認することも、もし汚れが残っていたら何度も何度も綺麗にすることも教え込まれた。
 それは、時にたいそう辛いほどの回数を重ねる羽目になって。
 今ではすっかり慣れた行為は、だけど奴隷になる儀式が身についたのだと再認識させられてしまう一つとなっている。
 不意に、今している行為は、これから犯されるために自ら準備しているのだと思い出した。とたんに、惨めさに涙が滲んで、麻痺したはずの心が悲鳴を上げていることに気がついてしまう。自らを守るために、麻痺したように見せかけていたのだろうけれど、今日と明日・明後日に及ぶ辛い数日間を想像してしまってどこかの枷が外れかけているようだった。
 入る湯に重くなる腹を抱え、襲い来る排泄要求に耐えてハアハアと喘ぐ久能木の股間に大きくなったペニスがぶら下がっているのも目に入る。
 毎日嬲られているそこは、女を知らない。
 男との性交はあるけれど、それほど回数もしていないし、アナルを使われるだけの淡泊なセックスしかしていない。快感を与えるためだけの口での愛撫も、他者の優しい手淫も、そのときの数えるほどしか受けていない。
 ここ数ヶ月の陵辱だけの中で、久能木のペニスは主人達の嗜虐心を煽るためだけに存在していた。
 通常はきつく拘束され、彼らの嗜虐心のためだけに弄られ快楽を与えられる存在。そのせいで、前より色素が沈着し淫らに肥大してきているように見えた。鈴口は、自ら呼吸でもしているように口を開き粘液を滲ませている。しかも、飢えている体は、それでなくても敏感な男の器官をよりいっそう敏感にしてくれたようで。
 湯により圧迫された前立腺のせいで体の熱が沸騰し始め、ペニス近くまで垂れてきた湯の感触にむず痒いような疼きを感じてしまう。
 そのせいで、数度の洗浄の後には欲情しきったペニスがいつもできあがってしまっていた。


 家の中での久能木はいつも作務衣着姿だ。下着は無い。
 寒い場所では綿半纏を着たり洋服に着替えさせられることもあるが、基本的に家中快適だから、不要とも言える。冬でも快適なリビングは広く、ソファよりもラグに直に座ることを好む佐々木も作務衣に着替えてくつろいでいた。その傍らに正座をして、頭を下げる。
「お待たせいたしました、ご主人様」
 頭を下げれば、少し大きいサイズのそれはふわりとはだけ、腫れた乳首を露わにした。一度崩れたそれを、直す手を久能木はもたない。衣服の乱れを直せるのは、佐々木だけなのだ。
「報告を」
 冷たい物言いのそれを聞く度に、ここにいる佐々木と会社の佐々木は別人だと思ってしまう。そう頭を切り換えないと、ついていけない。
 妥協を許さぬ厳しさは同一だけど、それを向ける場所が違うのだ。
「本日は会社の中で、朝から疼き続けたこの淫乱な体を見かねた室瀬様のお手を煩わせ、そのたくましい肉棒を頂戴いたしました。それから……」
 朝の思い出したくない情景を、けれど命ぜられるがままに教えられた通りに卑猥な言葉を連ねて丁寧に報告する。本当は全てが命令されていることなのに、報告する内容は全てが久能木主体にしなければならない。
 主人達は仕方なく久能木を使ってくれている。
 そういう報告でないと、佐々木の怒りを買ってしまうからだ。
 これは、久能木には辛い作業だった。昔から作文は苦手で、しかも馬鹿丁寧な敬語を多用しなければならないからだった。
 絶対に不敬の態度を滲ませてはならない。
 それを久能木は佐々木のもとで学んでいた。
 けれど、そうやって注意していても、間違える。
「どこで?」
 冷たい指摘にびくりと体が震え頭を下げた。必死でさっき言った言葉を思い出す。何かが足りなかったからの「どこで」という問いに、それでも今回はそれを思い出した。
「私のケツマンコでございます、ご主人様。室崎様の肉棒を頂戴したのは、浅ましくも物欲しげにひくつく私のケツマンコでございます」
 この報告は、室崎からも佐々木に伝わっている。
 何をしたか、何を言ったか、久能木がどんな対応を取ったか。
 だから虚偽の報告はできない。
「それから、このイヤらしく膨れあがった乳首をたっぷりと室崎様の指で可愛がっていただきました。この卑猥な体はそれだけで快感に悶え、会社の中だというのに何度も空達きを繰り返し果てた次第でございます」
「相変わらずの淫乱ぶりだな、久能木」
 蔑む言葉に含む呼び名は、会社と同じ。そのせいで、佐々木とは別人だと思いたいのに、同一人物でしかないことを久能木に判らせる。
「しかも奴隷の分際で許しもなく姿勢を崩し、室崎の手を煩わせた上に、質問にも答えなかったとか」
 やはり伝わっていた出来事は、久能木が口にする前に佐々木が発した。
「……はい、申し訳ございません」
 何を言っても、何を弁明しても、結局は責められるのは同じだということも判っている。謝って許してもらうことなどできないことも知っている。だからこそ、堪えようとしてるのだけど、それがまた主人達の嗜虐心を煽ってしまい、責められる。
 戦慄く舌が乗せた謝罪は、佐々木にとって右から左に流れるだけの音でしかない。
「昼は、香我美様にこの乳首を育てる協力をしていただきました……」
 昼の状況も逐一報告するうちに、正座した足が痺れてきた。
 行ったことが長ければ長いほど、この姿勢は辛い。洋風建築の建て売り住宅だけで育った久能木には、正座をする習慣がほとんど無かったのだ。だから、痺れをうまく逃すことができない。もっとも、佐々木がそれを許すはずもなく、感覚を失った足を足蹴にされたことも一度や二度ではない。
「……香我美様の精液は濃厚でたいそう美味しく、のど越しも絡みつくように流れていく様に全身で感じてしまいました」
 生臭い味と絡みつく様子をそう評して、報告を終わる。それから頭を下げ、その姿勢のままで佐々木の命令を待つのだ。
 前に手を付き、ひれ伏す久能木の頭に佐々木の手が触れる。
 びくりと体が強ばるより先に、髪を捕まれて上体を引きずり上げられた。
「いっ!」
 プチッと数本の髪が千切れる。頭皮の痛みと、急な動きによる血流の回復による痺れに、動けない。
「いつになったら、この淫乱な体はおとなしくなるのか?」
 近づいた怒りをたたえた瞳に凝視され、血の気を失った顔がさらに白くなる。
 いつものことだ。いつもの行為の一貫だ──と判っているのに、怖くて堪らない。
「も、申し訳、ありませ……ん」
「昨夜あれだけ可愛がってやったというのに他の輩に色目を振り遊んでもらうとは、まこと最低ランクの性奴隷になるだけのことはあるな」
 複数の主人に可愛がられないと生きていけないうえに、それ以外の男にも色目を使うのが佐々木曰くの最低ランクだ。久能木自身そんなつもりはないけれど、会社や路上で色目を使って男を誘っていると言われている。実際、痴漢に遭う比率が高くなっているのは、そのせいだと言われてしまい否定できないのも事実なのだ。
 だが、どれも佐々木が関わる何かがあって、佐々木に従わなければ遭わなかったのではないかと思う。だからと言って、理不尽だと反論できる立場でなかった。
「ぎぃぃっ!」
 作務衣の緩いズボンを膨らましていたペニスを握られて、脊髄に痛みが走る。完全に勃起してたそれを情け容赦なくへし曲げられたのだ。
「あぁ、あぁぁ!!」
「しかもすでに勃起しておるとは、主人に叱られることを期待しているのではないか?」
「あひっ、ちが……いぃっ」
 いきなり突き飛ばされて崩れ落ち、今度は痺れた足にのたうち回る。
 ハアハアと喘ぎ、うずくまり、痺れた足を抱え込んでしまえば、それだけで背がまくれ上がった。白い肌に汗が浮かび、背骨のラインがくっきりと浮かんでいた。久能木には大きいズボンは紐で絞るタイプだったが、今はゆるめにゴムが入っていた。それが悶えた弾みで尾てい骨付近までずれている。
 その背骨のラインを、佐々木の指先がなぞる。
「期待しているのだろう?」
 繰り返される言葉は、痺れに捕らわれた頭にも入ってくる。
 くっと喉の奥を鳴らし、こみあげる激情も言葉も全て飲み込んで、久能木は姿勢を正して頭を下げた。
「は、い……、期待しております。淫乱な最低ランクの性奴隷である私を、……ご主人様に、酷く、お仕置きしていただくことを……私はっ、期待しております……」
「そうか、奴隷の分際でずいぶんとたいそうな期待を抱いている。そういうところも最低ランクと言われるゆえんだな」
 何を言っても、どんな態度を取っても。
「今日はどんな仕置きが良いかな」
「……ご主人様のお望みのままに」
 拒絶することなど許されない久能木の仕事は、全てに従順に対応し、主人を楽しませることだけなのだから。
「どうか、罰をお与え下さい」
「罰すらも期待の範疇というのはやりづらいな」
 何を期待しているのか、言葉尻を探り、顔色をうかがって。
 楽しげに笑む佐々木に、顔を強ばらせて続きを待つ。
「だいたい、淫乱を治す薬など無い。どんなに仕置きしても、それで悦んでしまうのだから質が悪い。ならば、最初から治すことなど諦めてしまえばよいだろう?」
 何が言いたいのだろう?
 諦めて……ではどうするというのか?
「どうせなら、もっと淫乱にしてやろう。触れなくても疼く体。想像するだけで達く体。男を見ただけで達く体──いや、何を見ても欲情するというのはどうだ? すばらしいだろう」
 嬉々として宣うそれに、久能木は耳を疑った。
 いまでも十分淫乱な体だ。
 乳首は少し触れただけでも感じ、つぶされてこねくり回されれば、それだけで空達きする。我慢を重ねて欲情している時には男の臭いで勃起することもある。
 今だって、こうやって佐々木に詰られているというのに、勃起は収まらない。
「……な、にを……」
「条件反射で体に覚えさせようと思うのだがな。たとえば……」
 佐々木の手が伸びて、乳首を摘む。
「ひぃっ!」
 びくんと震える体は、快感が爆ぜたせい。
 腰が砕けたように力が入らなくて、その腕に縋り付く。
「何をしてるときでもこうやって快楽を与えるんだ。これから丸二日、いや、これから先はずっと、普通に生活をする間中──風呂に入り、寝て、起きて、食べて、洗顔して、一日を暮らすその間中ずっと快楽とともにあるんだ。ああ、射精もして良いぞ。家でもどこでも……外でも、射精していないところは無いほどにしてやろう。その全てを脳に刻みつければ、何もかもが快楽に結びつくようにならないか?」
「そ、そんな……お、許しください、それだけはっ」
 抗う気力など潰えてしまったはずだけど、佐々木の言葉に従えばもう人としては戻れないのだということは判った。
 乳首を弄る手に縋り付き、それだけは、と頼み込む。
「お許し下さい。佐々木様の言うことは何でも聞きます。佐々木様の前でなら、家の中なら尻も振ります。肉棒も銜えます。イヤらしい奴隷になります。けれど、そんな体にすることだけは、それだけは、お許し下さい」
 逃げられない。
 そんな事は判っているけれど。
「お願いします……許してくださいっ。佐々木様」
 ただ、繰り返すことしかできなかった。

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