【明けぬ夜】2  (【宴の夜】続編)

【明けぬ夜】2 (【宴の夜】続編)

 朝の数十分の主人──室崎への挨拶が終われば、佐々木の執務室に戻っての仕事が始まる。
 今日は佐々木は一日会議で、部屋に戻ってくることはほとんど無い。
 ふらふらとした足取りで自席に着いて机に突っ伏して、わずかな休息を味わう。
 ここでの久能木の仕事は、佐々木のアシスタントと隣接する資料庫の整理だ。長い歴史の会社だから、資料庫の中は整理できていない会社の機密資料が山とある。その中でも特に外部に出せないそれらをスキャンし、データ化して整理するのが主立った仕事だった。
 けれど、今は資料庫に行く元気がなかった。
 室崎の朝の挨拶はいつものこととは言え、昨夜は一晩中嬲られていてその疲れが癒えていなかった。その状態で室崎を受け入れるのは、たいそうきつかったのだ。空達きを繰り返した体は、全力疾走を繰り返したかのように疲れて力が入らない。なのに、下腹部の熱は未だに奥深くでじゅくじゅくと煮えたぎっている。零れる吐息は熱く、喉を焼く。けれど、どんなに熱を吐き出そうとしても、吐息ごときでは熱は逃げなくて、ぞわぞわとした疼きを呼び起こすだけだ。
 このまま何もなければ、少しは冷めていくだろう。
 孕んだ熱を逃す術はそれしかなくて、久能木は大きくため息を吐いてまぶたを閉じた。
 スラックスの上からでも判るほどに膨らんだ股間は、しっとりと濡れそぼっているのが判る。
 卑猥な匂いが立ち上るそれは、きっと今日一日こんな感じだ。下着の刺激にすら感じて、先走りを滲ませ続ける淫乱な体。
 もし戒められていなければ、会社の中でも射精してしまうだろう。これを解放できるのは、第一の主人である佐々木だけなのだ。
 それを感謝する気などとうてい起きないけれど、それでも出せないことに安堵する。
 もう今を憐れむ涙など涸れ果てたと思っていたけれど、情けない姿に赤く腫れた眦に新たな涙が滲む。
 何度も繰り返されて、全てを諦めたはずなのに。
 快感に意識を飛ばして淫乱に振る舞えば、主人達はいつも喜んで酷いことはしない。今日のこれとていつものプレイの一貫で、何ら珍しいことではなかった。
 こんなことに慣れてしまった己を蔑むことすらもうしなくなったはずだけど。
 高ぶって放置されている熱が、脳の中まで沸騰させて、あらぬ感情までも呼び起こしているようだ。
 いっそのことどこか訴えて、彼らを貶めれば良いのかも知れないけれど。何度も機会があったのに、それができなかった自分はもうこの泥沼から抜け出ることなどできなくて、堕ちるところまで堕ちるしかないのだ。
 いつかあの四人の主人達が飽きて、解放しようと思ってくれる時が来るのでは?
 当初はその未来に縋っていたけれど、そんな一縷の望みに縋る久能木を、四人は嗤いながら否定してくれた。
『我々が飽きたら、SM倶楽部に売り飛ばしてやろう。あそこはM役の奴隷はすぐに壊れるので、万年人手不足なんだよ。そこでなら我々よりもっと激しく躾けてくれるだろうが、そういうのが好みかな?』
 望む未来などもう無いのだと絶望に落とされて、縋る者など無い現実を見せつけらていく。
 そう──縋る者など無い。
 許されるのは、主人に従うことだけということを、深く脳裏に刻まれていく。



「く、のきちゃん」
 朗らかな声とともにドアが開く。
 佐々木がいない時はこの部屋には鍵がかかっている。久能木がいてもいなくてもだ。それは、久能木が資料庫にいることが多く、その間無人と同様になるからだという言い分からだった。
 その部屋にノックなどしなくても入ってこられるのは、鍵を渡されている主人達だけだ。
 のろのろと机から立ち上がり、第三の主人に歩みよる。
 気がつけば時刻は昼を指していて、いつの間にか眠っていたことに気がついた。朝から何も進んでいない机の上は、席に着いたときのまま変わっていない。
 けれど、それを指摘するような人はここにはいない。
 本来、久能木が何もしなくても何とかなっていたのだから。久能木はただ、佐々木が仕事しやすいようにたまに届いた資料を整理すれば良いだけだ。
「あらら、目の下にクマが出ているよ。昨夜は佐々木様にずいぶんと可愛がられたんだね」
 出先から帰ってきたばかりなのか、香我美のスーツに草のくずが絡んでいた。それを無言で取り上げれば、香我美が不審そうに首を傾げ、「ああっ」と頷いた。
「今日は風が強いんだよ。そこの公園ん中通ったせいかな。春一番だったら良いけどさ」
 パンパンとスーツをはたく香我美をよそに、ふっと窓の外を眺めた。
 風が強いというけれど、高い階の窓からそれは窺えない。会社に来るときも、家のガレージからここの地下駐車場まで、佐々木の車の中でぐったりと眠っていたから、何も覚えていなかった。
 佐々木がいなければ電車で通うのだが、佐々木がいる時は彼の車で送り迎えされる。
 もう長いこと、外など気にしたことがなかった。
「さ、行こか。俺、午後も出かけなきゃ行けないからさ」
 背を押され、役員室から資料庫に通じるドアを通る。
 元は小さな応接室だったそこは、今はぎっしりと書類が納まった棚が並んでいる。その奥の一角で促されるがままにシャツをはだけて胸を晒せば、香我美の口がぱくりと膨らんだ乳首を銜え込んだ。
「んっ」
 昨夜も朝も、さんざんに嬲られたそこは、熟れたさくらんぼのように腫れている。吐息だけで痛みにも似た疼きが脊髄まで届き、四肢から力を奪った。押されるがままに棚に背を預け、はあはあと熱い吐息を荒く繰り返す。
 こうやって、昼には香我美か第四の主人である瀬能かがやってきて、乳首を育て上げるのが常だ。
 香我美と瀬能は、会社では久能木を犯さない。
 それは佐々木の命令だとは聞いていたけれど、それで不平など言わない二人の特典が何なのかは知らない。だが、二人が嬉々として佐々木の言うことを聞くのは、それがたいそうメリットがあることなのだという事は容易に知れた。
「ひっ、あう……ヤ……ぁ」
 れろぉっと強く押しつけられた肉厚の舌で舐め上げられ、それだけでビクビクと全身が震える。目の前がチカチカと点滅して、棚を掴む手に力が入った。狭い室内は空調など効いていない。けれど、隣室からの暖房のおかげで部屋は十分暖かく、沸騰しそうな熱を与えられて汗が噴き出してくる。
 久能木の乳首は女性のそれと比べればささやかな大きさではあるけれど、敏感さはその比ではなかった。
「ひっ、イ……イク……っ」
 達けないのに、全身を貫く快感に目の前が爆ぜる。
 下肢を覆う衣服はそのままなのに、ただシャツの前だけをはだけただけの格好で、体が空達きを繰り返した。
 あれだけ朝繰り返したというのに、体はひどく貪欲に快楽を貪り食う。
「も、許し……きつっ……あぁ」
 それは、際限ない快楽の渦に放り込まれた状態で、どんなに藻掻き暴れても決して脱することなどできない。
「ひっ、あっあぁ……」
 口の端から涎が溢れ、喉を伝う。胸まで垂れたそれが香我美の唾液と混じり、蛍光灯の明かりを反射した。
 もう体を支えているのは棚を掴んだ手だけだ。
 腕は震え、今にも崩れ落ちそうになる体を必死で支えてはいるけれど、じっとりと汗をかいた手のひらは少しずつずれてくる。
 香我美が胸に吸い付いている間、久能木は立って吸い付きやすく胸を突き出していなければならなくて。
 その体勢を許しなく崩せば、罰が与えられる。
「も……も……許、して……」
 乾いたはずの眦から涙が溢れ、一心不乱に吸い付く香我美へと懇願した。
 前の罰は、シャツも肌着も脱がされたままスーツの上着とコートを着せられて、首にはマフラーを巻かれて外へと連れ出されるというものだった。会社の近くの公園を一周して帰ってくるだけの、香我美曰く「散歩」は、一見すれば食後の散歩に出ている会社員と大して変わらなかったろう。けれど、さんざん吸い付かれて赤く熟れて濡れた乳首がスーツの布地で擦られながらの散歩は、久能木にしてみればたいそうな苦痛と、逃れられない快感にまみれたものだった。
 おかげで最後には歩くこともおぼつかない体を香我美に支えられて、淫らに潤んだ瞳と上気した顔を晒しながら部屋へと戻ることになり、昼食から戻ってきた人たちには、風邪でも引いたのかとさんざん心配をかけられるという目にあったのだった。
「お願い……す……」
 あんな羞恥にまみれた散歩は、もう二度としたくない。
「っ、か、香我美、様の……チ、ンポ、吸ひた……から、おねが、ひっ」
 跪く事を許される唯一の体勢を願い、香我美に卑猥なお強請りを繰り返す。
「た、べた……ひ……ください、チンポ……」
 蒸れた空気の中、立ち上る淫臭は人を狂わせる。
 貪欲に瞳をぎらつかせる香我美は、確かに肉食の獣のそれだ。食欲が性欲へと変わるほどに、昼になれば久能木を喰らいにやってきた。
「そんなにチンポが好きか?」
 ようやく口を離して、喘ぐ久能木を見上げながら問う姿は、女性にも人気があるテニス好きの青年などどこにも窺えなくて、ただ久能木を支配する過激な主人のそれだった。その眠っていた本性を佐々木は見いだし、久能木の主人の地位に据えた。それは、人を支配することにこそ悦びを見いだす、というものだ。
 その香我美が、命令を下す。
「だったらくれてやる。だが、手は使うな。口だけで喰らえ。……そうだな、手はお前のその情けねぇチンポを弄ってるんだな」
 それは、これ以上の刺激を望まぬ久能木には辛い命令で──けれど、逆らうことなど考えられない。
「か、しこまり、した……ご主人様」
 もう限界だった両足の力を抜いて、崩れるように座り込む。
 ちょうど目の前に来た香我美のスラックスのジッパーを下げ、中から押し抱くようにもう十分育ちきったペニスを取り出した。
「ご主人様のチンポ……い、ただきます……」
 いつもの挨拶、いつもの手順。
 もう何度となく繰り返された行為だけれど、汗で蒸れた男臭いそれを口に含むのはわずかな躊躇いがある。震える唇がわずかに開いては閉じて、けれど意を決したように大きく開いて一気に飲み込んだ。
 躊躇えば、それだけ臭いを嗅ぐことになるからだが、それ以上に少しでも早くこの時間を終わらせたいということもあった。
 香我美は、ここでは久能木を犯さない。だから、香我美を口で達かせればこの昼のお勤めは終わるのだ。
「うっ、ぐ……」
 ジュルジュルと音を立てて吸い付き、舌を絡めて頭を前後させてペニスを扱く。
 喉の奥に先端が当たって吐き気がするけれど、それでも教え込まれたように喉の奥を開いて奥まで銜え込んだ。
「美味いか?」
 上ずった声に、小さく頷く。生臭い臭気が喉から鼻へと流れたけれど、もう気にしない。
 集中して、ただ香我美を達かせることだけに集中して。
 そうでないと、自身の先走りでべたべたに濡れた両手で扱く己のペニスからの快感に意識が持って行かれそうなのだ。
「むぁ……うっ……ふ」
 耳まで届くペニスを扱く際の水音は、こんなに激しく擦っては──という理性では止められない手の動きのせいだった。
 解放されない快感が与える苦痛と喉の奥まで犯される苦しさと、それに酸欠気味の脳とが相まって、それでなくても弱っていた心が引きずり落とされていく。
 これが通常、これが自分。
 淫乱であれば良いのだ、ご主人様達を満足させれば良いだけの存在なのだ。
 それは最近とみに久能木を襲う思考で、事が終われば異常なことだと判るのに、今はその考えこそが正しいのだと捕らわれてしまう。
 とろりと瞳が蕩けていき、視線が虚ろにさまよう。
 口の粘膜に感じるペニスの存在と頭上から振ってくる侮蔑の視線に、ぞくりと背筋が震えた。
 この後、喉の奥に粘膜が精液に汚される。
 そんな想像をしただけで、ヒクヒクと全身が痙攣した。
「おいおい、銜えているだけで感じてんのか? だったら、もっとちゃんと味わえよ」
 熱く太くなるペニスに絡む己の唾液を啜り上げ、柔らかな亀頭を吸い込んで絞り上げて。
 滲み出る先走りをごくりと飲み込む。
「ははっ、美味いか? すっかりザーメン中毒になっちまってよ。たいした淫乱奴隷だよ、お前は」
 その相容れないはずの罵声に、どうして体が熱くなるのか判らない。
 すでに考える事を止めた脳が、よりいっそうの快楽を求めて体を動かすだけなのだ。
「ん、ぐあ……あむ」
 ご主人様。
 達かせてください。
 何を、とも、何で、とも、考えない。
 そんな事は最初から許されていなかった。それでも逆らえば、待っているのは考えるのもおぞましい、羞恥に満ちた罰や躾ばかりだ。
 それを一つでも思い出せば、久能木は確実に意思を失っていく。
 まして、封じ込められた熱は快感によりさらにその温度を上げて、理性すら焼き切ってしまう。
 そうなれば、いくら奉仕しても叶えて術を持たない香我美の精とは言え、それでもそれを美味しそうに全て胃に収めてしまうことが止められなくなって。
 香我美が満足するまで続く行為を、久能木はただ言われるがままに続けていくだけだった。


「あれぅ? もうしてたんですか? 今日は香我美さん帰ってこないのかと思っていたのに」
 ドアからした言葉に、虚ろな視線が向かう。
 見慣れたシルエットは、紛う事なき第四の主人である瀬能だ。
 昼は一人だけのはずなのに。
 口いっぱいに頬張ったまま、虚ろに考える。
「お前の番じゃないだろ、どうしたんだ?」
 香我美のいぶかしげな声音に、苦笑が返った。
「とりゃしませんって。俺は月曜にたっぷり遊ばせていただきますから。それより、佐々木様から伝言です。土日は一人で遊ぶから、手配しとく必要があるなら言えって」
 それは、時折彼らの間で交わされる謎めいた言葉だ。
 けれど、その意味を考えることもなく、忘却の彼方に消えていく。
「OK、そうだな、手配してもらおうっと。お前も遊ぶ?」
「もちろんですよ。明日はできれば俺好みの華奢なコがいいなあ。へへ、佐々木様のおかげで、ストレス解消しまくりですよ」
 どこか楽しげで、けれど、背筋が凍るような空気が漂う。
「OK、OK、じゃ」
 苦笑をし手を振れば、瀬能はおとなしく帰って行った。彼らはほんとうに佐々木に逆らわない。
「それじゃ、一気にラストスパートってことで」
 先より喘ぎ苦しむ久能木の喉の奥を犯し始めた香我美は、ずいぶんと楽しそうだ。
「明日は、何してやろうかな……? へへ、鞭かろうそくか……、拘束しての竹刀でのスパンキングも……」
 判らぬ言葉は、脳の中を素通りして届かない。
 何よりそれらは全て他人事で、久能木に向けられた物ではなかった。こんな呟きは何度も聞かされたけれど、久能木がその目にあったことはなかったのだ。
 それよりも。
 口内ではっきりと膨れあがった欲望を、一滴残らず飲み干す準備に全てが向いていたのだった。

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