11
「簡単だろ?」
 何が……。
 躰に籠もった熱を吐き出さないと、いつまでたっても躰を支配する気怠さが抜けない。
「リオ……」
「何だ?」
「お願いですから……こんな時に二度とそういうことしないでください」
 言葉だけで高ぶってしまった事を隠すことは出来ないが、それでも羞恥に赤く染まった顔は見られたくなくて、顔を上げることはできなかった。

「そうだな……考えておく」
 その言葉にダテはひくりと引きつった。
 考えてはくれるだろう。だが、それを守ってくれないのがリオなのだ。
「……それより」
 ダテは、強制的に話題を変えることにした。
 今はそれどころではない。
 意識を切り替えないと、リオにずるずると流され続けそうだった。
「あれはどうして動いているんです?」
 だいたいその話をしていたはずだ。
 どこがどうなってこんなことになったのか?
「ふん、俺の頼みを聞いてくれないのに、言わせようとするのか?」
「リオ……」
 責めたかったが、出てきた声は随分と情けないモノだった。
 だが、それにリオも心を動かされてくれたのか、しようがないと言った感じのため息が聞こえてきた。
「……情報用微細伝導システムの駆動エネルギーへの応用とその効果……」
 流れるようにすらすらと発せられたその単語の羅列にダテは、呆然とリオがいる辺りを見つめた。
 僅かな輪郭でそこに人がいることが判るまでは回復した目が大きく見開かれる。
「それって……」
「お前の士官学校最後の論文だな。惜しくも次席だったが、俺としては首席でも良いくらいの出来に見えたけどな」
 そうだ……。
 確かにそれはダテが作り上げた論文だった。
 人工知能から情報を各末端組織に伝達する通常使われている微細伝導システムの材質を変え、情報と同時に筋組織を駆動するためのエネルギーを伝えるためのシステムにする。その結果よりコンパクトなシステムの作成が可能になる。
 デモ機として作り上げたのは30cm程の体長を持つ猫型のロボットで、そのシステムを採用したことにより重量の軽減と効率化によって、それは2mの高さからふわりと着地することに成功した。
「それが?」
「あのパワードスーツにはその原理が組み込まれたモノだ。あれはお前の原理で動いている」
「???」
 一瞬、頭の中にハテナマークが飛び交っているような気がした。
 だが……。
「な、なんだってっ!!」
 ばかなっ!あれが実用化できるなんてっ!
 あまりの事に言いたいことが言葉にならない。
「ど、どうしてっ!」
「ば?か、お前は小型の動物形ロボットで証明してみせたが、そこまでできてればヘーパイトスの中枢部が大型化するなんて軽いもんだろう」
 さらりと言われては絶句するしかない。
 たしかに言われる通りで、大型化するのにたいして問題はなかったという自覚はある。ただ、末端までの伝達距離が長くなればなるほど反応速度がすこぶるつきで悪くなるというデメリットをもたせた30cm程度のロボットだけしか作らなかった。
「あれに目をつけた中枢部は、その原理を応用してロボット並に自稼働するくせに、パワードスーツとして着用できるものに作り上げた。つまり、人間の外側にロボットを着せて人間の負担をより軽くしようとしたんだ」
「……私のデータを使って?」
「そうだ。回路が少なくなればそれだけ内部に余裕ができる。一見ノーマルな宇宙服なのに、その実はかなりのパワーを備えた最上級のパワードスーツだ」
「確かに理論的には……」
 自分が出した論文とはいえ、それをヘーパイトスがどう使おうが、構わない。
 オリンポスで特に優れた技術は世に出た一瞬後には、どこかのチームが吸収して活用している。その好奇心の旺盛さが、今のオリンポスを作り上げ、さらに活力としているのだ。
 だが。
「……それで、何でそのシステムを使ったパワードスーツが暴走しているんです?」
 自分が関わった技術のせいで人が死ぬ。
 それが堪らなく嫌だった。
 不快で吐き気を催すようなどす黒いもやもやが胸の中で大きくなる。
「…前にも言ったけどな、あの最初の報告書はもう一つ書かれていないことがあったんだ?」
「はあ?」
「あの日のもう一日前にもう一人死んでいるんだ。それは事故だっが、おなじこの場所で」
「えっ!」
「まあ、関係ないと言えば関係ないかもしれないがな、事故であることは証明されている。ただ、その事故の原因は記載されていなかったが」
「それはでも……関係あったんですね。その情報はどこから?」
「ベルが引っ張り出した。ベルはあれで凄く細かいから、いつだってあの手の報告書の前後を全て洗い直すんだ。決して上層部の言葉を鵜呑みにしない。だから、実力があるのに俺の副官なんかに流れ着いたんだが……まあ、そのベルが、見つけだしたんだ。ああ、お前も、ベルを利用しろよ。出来ることと出来ないことの区別は自分でしっかりつけろ。そしてうまく他人を利用しろ。それがたとえ俺でもな」
「はい……」
「で、そのベルが見つけた報告書の裏は、ユウカから引っ張り出した。あそこには嘘偽りのない情報が集まるから、確実だ」
「……リオの人脈は、そのためにあるんですか?」
「当たり前だ。そのためのつきあいだ」
 ふと聞いてみた事は、力強く肯定された。
 まあ……いいけど……。
「で、まあ……この時点で、かなり今回の任務が怪しいのは想像できたんだ。だが確証はなかった。あの指令書自体、正規のルートの依頼だったし、断ることもできない。しかし、総司令達の連名だ。余計に勘ぐりたくはなったがな」
 指令を受け取ってから、作戦の実施計画が立てられるまで半日もなかったのに……そこまで調べていたのかこの人達は。
 ダテは素直に凄いとしか思えなかった。
 ここまでされると、自分ができなかったことなど当たり前だと思ってしまう。
 情報量が違うのだ。
「ま、最初の死亡事故は、やはりヘーパイトスの技術者で、実験中の事故だ。何を実験していて何で事故が起きたのかは機密事項扱いで記載されていなかったから、ユウカの方から正式な報告書を手に入れた。そこにさっき言ったシステムの事が書いてあったんだ。そいつらは遠隔操作に失敗して、コンテナを一部破壊。その時に飛んだ破片で頭部を強打して死亡。そのコンテナにはここにくる途中に寄った惑星で仕入れたある特殊な植物が生きたまま入っていた。アテナにいる生物学者が仕入れたモノらしいがな。それももろとも吹っ飛んだらしい。で、ジ・エンド」
「……ところで、なんでコンテナ室で?」
「運んでいる間についでに低重力時や低気圧時のデータをとっていたみたいだな。コンテナ室はそういう意味では格好の実験場でよく使われる」
「はあ……」
「で、いい加減喋りくたびれた。少しはしょるが……コンテナを壊したときに中にあった、これまた運搬中の植物が事故の所作で放置されていたパワードスーツとリンクしたから今回のいわゆる殺人事件が発生した」
「……」
 理解力の許容範囲を超えた説明のせいでダテの頭の中は真っ白になった。
「あの……」
「なんだ?」
「はしょりすぎです……」
「そーか?」
 本人はちっともそんな事をおもっていないのだろう。
 確かに壊れたコンテナで運んでいたものは植物だったとは言っていた。
「だけど、どうしてそれがリンクするんです?植物ですよ?動くことも何もできない……」
「動くことはできるらしいぞ?もともと砂漠地帯に生息する植物で、僅かな水分を求めて触手を使ってずるずると動くことくらいはできるらしい。しかも、種族繁栄のために、水分を逃さないほどの硬い殻で覆われた種子を、どういう仕組みかまでは判らんが、200m位は飛ばすらしい。水のありそうな場所に向けてな。ということで種子が発生する時期にはその植物がある地域には近づかない方がいらしい」
「……」
 小さいとはいえれっきとした種子を200mを飛ばすための射出力は一体どれほどのモノだろう。もし至近距離でそれを受けたばあい、人間の柔らかな肉体はどうなるのか……。
 ぞぞっと背筋を走った寒気に思わず身震いする。
「で、さきほどの仮定だ。ここにくるまではさすがの俺も半信半疑だったんで、はっきりとは言えなかったんだが……あの動きを見ているとな、そうとしか思えなくなった」
「中が植物?」
「そうだ」
「……でも」
 確かに動く植物が皆無とは言えない。しかし、だからと言ってパワードスーツを動かすことなど……。
「植物には微細な電気を出しているものがいる。その電気信号が今回のパワードスーツが持つ特殊な伝達システムとリンクしたと考えるとどうなる。植物が持つのは、種族繁栄のための種子の放出と生き延びようとする生命維持のいわゆる本能だ。そのためだけの指令がパワードスーツに組み込まれた人工知能に指令として送られたとしたら……身を守るために動く触手の僅かな動きを伝達システムが確かに末端まで伝えたとしたら?」
「そんなこと……」
 信じられない。
 生きること。
 子孫を残すこと。
 確かにそれが一番かも知れない。
 哀れな被害者達は、その犠牲になった。
 たぶん、たまたまだ。たまたま出会った。たまたまそこにいたから……。
 俺の作ったシステムが植物の持つ力を増大させ、そして……。
「何を考えている?」
「え?」
 こつんと叩かれた音に顔を上げる。
「お前のせいではない。お前のシステムの欠点を補うためにパワーをうかつに増幅させ、しかも操作に失敗した最初の犠牲者達が起こした事故のせいだ。お前ではない」
 ダテの考えていることなどお見通しだと言わんばかりに、リオが断言する。
 しかし、ダテの心はそれくらいでは晴れない。
 暗く、どす黒く……ぐるぐると渦をつくり地の底に潜ろうとする。
「だいたいその後の犠牲者な、とっととあれを破壊すれば被害者なんかにならなかったんだ。それを後生大事に傷つけずに停止させようとするから、あんな事になる。犠牲者は全員、なめてかかったんだよ」
「じゃあ、犠牲者は?」
 たまたまあれに出会って殺されたのではなく……。
「敵対行為を行えば、生存本能だけで動いているあれは、反撃する。もともと戦闘用に造られたそれにノーマルな装備でいって勝てるわけがない。ましてや、向かったのがそれを造った技術者だ。自分たちが造った物だからどうとでもなるとでも思ったのか?そのせいでダテちゃんがこんなにも落ち込むことになるなんて、いい加減にしてもらいたいね。馬鹿らしいっ!」
「リオ」
 腹立たしげな言いぐさに、それはないだろうとは思うのだが、どうやら自分のせいで怒っているのだと思うから、結局それは飲み込んだ。
 これ以上リオに不穏当な言葉を発せさせないためには、自分が浮上するしかない。
 ダテは大きく息を吐くと、顔を上げた。
「判りました。私が落ちこんでいてもしようがないですね。それより、あれをとっとと倒しましょう。これ以上、ここにはいたくないです。ここは……あまり気分がいいところではない」
 見えない分、周りの気配に敏感になっている。
 肌がざわざわと逆なでされ、見えない敵がすぐそばまできている気配がした。
12
「ところで、どうやって倒すんです?」
 自分たちは戦闘のプロフェッショナルではない。ましてや、ダテは今目が見えないのだ。
 人より優れているらしいその敏感な気配の読みとりだけではせいぜい逃げることくらいしかできない。
 だが、リオはそれを倒すつもりなのだ。
「さっきのダテちゃんの攻撃は相手にダメージを与えている。多少なりとも動きは鈍っている……もしくは、こっちのセンサーにも反応があってもおかしくない。それにいくら動くことが増強されていると言っても所詮は植物だ。本能的にしか動けないし、考えての行動ではない」
 確かにそうなのかもしれない。
 直接的に相手の動きを見たわけではない。
 だが、長々とこんなところで喋っている割にはなんら攻撃がない。
 植物の本能……それの動きがそれのみに帰するというのなら。
「もし傷ついているとしたら、子孫を残そうとするのではないのでしょうか?何かの時にそう聞いたことがあります。植物は自らの枝葉が傷つくと、よりいっそう沢山の花を咲かせ、種を作ろうとする性質があるものがあると……」
「ああ……あれだけ種を放出しまくるあれも、それに従って動くとしたら……次はどう動くかな?」
 リオが楽しそうだ……。
 すこしだけ、胃がきりきりと痛んだような気がした。
 危ないまねは止めて欲しいと言いたいが、それは今更だ。
 だが、できれば、ふ、つーにしていて欲しい……。
「もともと砂漠に住む植物で、水のある方に種を飛ばすと言ってましたよね」
「ああ。だから犠牲者は種を植え付けられた」
 嫌な映像が頭の中に浮かんだぞ……。
 リオの言葉にダテは顔をしかめた。
「このコンテナ室で通常水があるところはないですよね。あるとすれば……それは人の躰の中です、ね」
 胃液がせり上がってくるような感覚にダテは掌で胸を押さえ、意識を落ち着かせた。
 あれは、人の躰に含まれる水分に引かれているのだ。
 種を発芽させ、子孫を残すための本能に突き動かされ、そして哀れな犠牲者はその植物の苗床になる……。
 なんてやっかいなことだ。
「だから、こんな僅かな水分に気をとられることのないように、十分な水を作ってやればいい」
「陽動……ですね」
 何よりも水を欲しているというのなら、それを用意すれば勝手に出てくるだろう。
 そして、それにとって背後から近づく人など何の興味の対象ではないだろう。
「ですが、パワードスーツに取り付けられている人工知能ですが、どの程度のレベルなんでしょう?中のものが水に興味を引かれてたとしても、その人工知能が私たちを敵だと認識すれば、当然攻撃をしてくるでしょう?」
「そうだな……まだまだテスト段階だからそんなにたいした物ではないとは思うんだが……」
 リオの言葉の歯切れが悪い。
 リオもそれは把握できなかったのだろう。
「もしパワードスーツが本気になったら、バーナーくらいでは倒せませんよ。ましてや、あれは特別品なんでしょう?」
 だから、みんなを呼ぼう。
 そう言おうとした。
 が。
「本気になったらしい……」
 リオの言葉と、全身が総毛立つのが一緒だった。
「こいっ!」
 引っ張られ、薄闇の視界のままに走る。
 つながれたその手だけが今は頼りだった。
 背後で、爆発音が響く。
 とたんに襲ってきた風圧で転びそうになった。それをなんとかバランスをとって持ち直す。
 重力が低い分、ちょっとした衝撃でバランスを崩しそうになる。
「本気だぞ?あれ」
 リオの声が楽しそうだ。
 半ば揶揄している言葉が耳にはいり、ダテは眉間にシワを刻むことしかできなかった。
「残念ながら、人工知能のレベルはたいした物だったようですね」
 少なくとも敵を見つけ、破壊しようとする行動だけをとってみれば……。
「まったくだ。機械ってのは躊躇うことがないからやっかいだよなあ……」
 再び引っ張られ、走り出す。
「どこへ逃げるんです?」
「さあ……」
 いい加減な……。
 そうは思うのだが、今は引っ張られるままに必死で付いていくしかない。
 ただその手の引っ張られる動きだけが頼りで、ときおり壁か何かに激しく躰をぶつける。目から火花が出そうになったことも一度や二度ではなかった。
 背後ではひっきりなしに物が落ちる音や、引きはがされる音が重低音と高温域での不快な音のミックスで響いてくる。
 地響きを足の裏に感じながら走る。通常ではないはずの床の振動と大気がひっきりなしに激しく揺らぐその動きに、センサーが必要以上に感知して警告音を鳴らし、煩いことこのうえない。
「あったっ!」
 いい加減息が上がった頃、ようやくリオが足を止めた。
「…な、にが?」
 ぜいぜいと肩で息をし、リオを窺う。
「水……」
 コンテナ室に水?
 あるはずのないものがここにはあるのか?
 訝しげなダテの頭をリオがこづく。
「あの植物は生きたまま運ぼうとしたんだぞ。いくら砂漠の生き物とはいえ、水は必要不可欠だろう。絶対どこかでストックして、定期的にやっているはずだと思ったんだ」
「あ、ああ、そうですね」
 乾燥しやすい輸送船の中だ。植物を生かすのには水が絶対必要で……リオは逃げながら、それをずっと探していたのか?
「まだ、見えないか?」
 うっすらとした人影がダテに向かって掌を指しだす。それが淡い影のような頼りなげな見え方。
「輪郭程度しか判りません……」
 たぶん、役に立たないと思われているのだろう。
 考えたくはなかったが、どうしても考えてしまう。
「じゃあ、ここにいろ。もし何かが近づいたのが判ったら、呼んでくれ」
「はい」
 もっと役に立ちたかったが、今の自分のこれが限界なんだと、ダテは自分に言い聞かせリオに向かって頷いた。

 リオが何をしているかは判らない。
 パワードスーツの人工知能が本気になったと判ってから、リオは通信をシャットアウトした。
 必要な時だけ呼びかけことになっている。だが、その時にはお互いの居場所が敵にばれると言うことだ。
 不安でしようがない。
 自分の身が、ではない。
 不安なのはリオの身の安全。
 じっと気配を絶って蹲っているダテと比べて、何らかの作業をするために動き回っているリオの方が絶対敵に目を付けられやすい。
 その危険を、自分が察知できるのか?
 ダテは、パワードスーツの存在をリオから聞かされたが、では、それがどの程度の力を持っているかについては、まだ教えて貰っていない。
 その多すぎる不確定な要素が、不安なのだ。
 情報を制するのが戦いにおいて勝利を得る。
 それははるかな過去からずっと語り続けられている兵法の基本中の基本だ。
 リオは僅かな時間にかなりの量の情報を仕入れてきた。
 ただ、与えられるだけの情報しか持ち得ていないダテとは段違いの。
 それでも足りないのだ。
 足りない情報への不安は、神経を苛つかせる。
 苛つきは焦りを生む。
 ずっと一人だけで周囲に流されるように生きてきた。
 過去の辛い思い出に全てを拒否して、自分の力を封じ込めた。
 もう自分が何を封じ込めたのかさえ、よく覚えていない。
 だが、今となってはそれをひどく悔やむ。
 もし自分にその力があれば、こんなに不安になることはないんじゃないか。
 もっとリオの役に立つんじゃないのか?
 激しい後悔に胸が締め付けられるような痛みに襲われる。
 リオが心配で心配で。
 自分がこんなにもリオの事を気にかけるのだと改めて気付く。
 どきどきといつの間にか鼓動が早くなっているのに気付いたダテは、大きく深呼吸をした。
 意識を落ち着かせ、冷静さを取り戻すように。
 と。
 幾度目かの深呼吸の後、ふっと唐突に言葉が思い出された。

『知識はね、好奇心によって集められるのよ』
 ふわっと暖かい空気に包まれた記憶共に甦る言葉。
「母さん……」
 まだ幼いダテを傍らに置き、母が優しく語りかけてくる。
 その傍には伯母の笑顔があった。
『知りたい、と思うことが一番重要なの。トシマサが今知りたいと思ったのなら、努力を惜しまず手に入れる事よ。それがあなたのため、そしてまわりのみんなのためにもなる』
 ああ、そうだ……私は、知への好奇心を忘れていた。
 流されるように生きていて、与えられるモノだけをそのまま吸収していた。
 それでは駄目なんだと、今更ながらに気付く。
 それがまず最初の大きな違い。
 自分とリオとの。
 自分で信用できる情報を手に入れて確信を持って動くから、あんなにもリオは生き生きとして自信に満ちあふれているんだ。
 もし、あのリオをサポートしようとするのなら、それだけの事をしなければならない。
 こんなところで、判らない事に左右されて落ち込む暇はないはずだ。
 そして。
『負の感情は、運をも左右するよ。後悔は後からゆっくりすればいい。今は直面していることに意識を向けて、前向きに突き進んでいくことが必要なの。でないと周りを巻き込む羽目になる。それは絶対に避けなければならないよ』
 母との会話を思い出したからだろうか。
 その後の会話までもが思い出された。
 それは、伯母の言葉だった。
 仲の良い姉妹だった二人は、プライベートになるとお互いに行き来をしていた。そのころから、へーパイトスの総司令の座にいた伯母はとても忙しく、滅多にプライベートな時間はとれなかったけれど、それでもダテの記憶にはいつも母と一緒に伯母の姿がある。
 そして……。
 その二つの言葉が、一つの言葉を思い出させる。
『後悔することのないように、常に最新の情報と知識を身にすること』
 それは、今のヘーパイトスの精神そのものだ。

 命の遣り取りに対する緊張、目の見えぬ不安、それを打破しようとする意志……。
 それがダテの脳を活性化させていた。
 だからこそ、思い出すのだろう。
 今最も適した言葉を。
 過去の辛い思い出を封じるために、一緒に封じてしまった言葉が、適所にて思い出される。
 そうしなければリオを助けることなど不可能だから。
 リオの元にいられなくなることだけは避けたい。
 リオが好きだから。
 どんなに罵倒されようとも足手まといになろうとも、離れることは考えたくない。
 なぜだろう。
 なぜ、あんなにも傍若無人なあのリオに惹かれてしまっのだろう。
 気付けばいつだってリオの事を考えている。
 リオとともにるためなら、あの伯母に頭を下げてもいいとさえ思っている。
 リオをどうして好きになってしまったのか?
 未だによく判らないけれど……少なくとも、リオのためなら上の世界を目指してもいい。
 自分を解放させてもいいんじゃないか……。
 そう思う。

 ピシッ
 どこか頭の最深部でした弾けるような微かな音。
 それが何か、ダテには何となく判っていた。
13
 あのシステムに欠陥はなかったか?
 後悔しないために、今できることに全力を尽くす。
 目が見えないから、動くことは出来ない。
 なら、目が見えなくても出来ることをすればいい。
 頭だけを使うのであれば、目はいらない。
 あれは、ダテ自身が作った論文をヒントにしているという。
 あのテーマは、担当の教官が呈示したモノから面白そうなモノを選んだのだ。
 研究に熱中している間は、嫌なことも忘れられた。伯母が逢おうと言ってくることも、その研究に忙しいと理由にできた。いや、何よりもやはり機械いじりが好きだから、必要以上に熱中したのかも知れない。
 それまで適当にこなしていた研究成果からすれば、それはあまりにも突出したできばえで……このままの提出はやばいんじゃないかと気付いたのは、もう提出日の寸前だったから、スケールダウンして適当に不完全な部分を入れることしかできなかった。
 幸いなことに担当教官がもう一人の成績優秀な人を担当していたのが幸いだった。ほとんど一人で全てをこなしたから隠すことができたのだ。
 成果を作り直していた残り1ヶ月は大慌てで、担当教官はまだ出来ていないので焦っているのだと信じて疑わなかったくらいだ。
 それはリオも知らないことだ。
 実は、あれは完成していたのだということを。
 その気になれば人型のロボットを等身大サイズで作成することも、あの時は可能だったのだ。
 だが、ダテはそれをしなかった。わざと欠陥システムを作り、小型のロボットにしか応用できないようにした。
 猫にしたのは、ただ軽く作れるという事に特化したかったからだ。
 敏捷で身軽なロボット。
 しかし、大型化すると伝達システムにわざと作った欠陥から、反応速度が鈍り、大きくなりすぎた故に鈍かったと言われる恐竜並の反射神経しかもたない。それ以外にもいろんな問題が起きてくる。
 できないことはないが、完全なモノにするにはもっと手間暇がかかる。金もかかる。
 だいたいその回路に使う材料だって特殊なのだ。 
 つまり実用化には向かない。
 それでも次席になってしまったのだから、驚きだった。
 スケールダウンはわざとだということがばれたのかと冷や汗ものだったが、それはばれていなかったらしい。
 その後逢った伯母の不機嫌そうなふくれっ面が思い起こされる。
 
 だが、さすがにヘーパイトス……といおうか、やはり実用化していたのか……。
 欠点を補い、実用化させた。
 ダテに出来たことだ。考えてみれば、精鋭揃いのへーパイトスが出来ないはずがない。
 さてと……。
 ダテはその時に描いた設計図を脳裏に思い浮かべた。
 猫型ではない。先に考案した人型の方だ。
 細部まで思い出すことができたその図面の回路を一つずつ辿る。
 タデが作った回路図とヘーパイトスが改良した回路図が全く同一であるとは思えないが、それでも考え方は同じの筈だ。そう相違があるとは思えない。
 自分の回路図にわざと狂わした部分をもう一度載せて、そしてヘーパイトスがしたであろう改良を行っていく。
 ダテは、それを考えるだけで頭に思い浮かべることができた。
 物心付いたときからそれができたから、他人がなぜできないのかが最初は不思議だった。
 できる方が特殊なのだと気付いたのはいつだっただろう?
 ふっと逸れた意識を、元の回路図へと持っていく。
 過ぎたことだ。
 今は、今しなければならないことをすればいい。
 リオを助けるためなら、もてる力を使うことは惜しまない。
 
 活性化した脳が、考えられる限りのデータをダテに与える。
 その過程で、なぜリオが自分をここに連れてきたのか、ふと疑問として湧き起こった。
 何もかも終わったら、問いただしたい。
 リオは……何を望んでいるのだろう?
 リオの役に立つ自分なのか、今のままの自分なのか?
 ちらりと過ぎる不安に考えることが止まりそうになる。
 頭を左右に振り、その考えを振り払った。
 とにかく生きて帰ること。
 それをリオと約束したじゃないか。
 帰って……抱かれる……って……。
 急に込みあげてきた羞恥心に、思考が乱れる。
「リオ……」
 思わず呟いていた。
 
「どうした?」
 急に降ってきた声に、ヒッっとひきつった悲鳴をあげた。
 全く気付かなかった……。
「お前……俺が近づいても判らないほど、何を考え込んでいるんだ?敵だったら、気づけていたのか?」
「え?」
 リオの声に含まれる怒りを感じて、ダテはびくりと躰を震わせた。
「お前、死にたいのか?こんなところで、自分の殻に閉じこもるのがどんなに危険なことか判っているのかっ!」
 ぐっと胸ぐらを掴まれ、引き上げられる。
「すみません……」
 その敵の弱点を探っていたのだが、それを言っても仕方がないとダテは素直に謝った。
 悪いのは自分だ……。
「ったく、すぐ謝る」
 だが、ため息と共に漏らされた言葉は、別の意味でダテを責めていた。
「お前な、何かしようとしていただろう?ひどく真剣な顔をしていた。俺任せにしないで自分でもなんとかしようと、考えていたんだろう?なんでそれを言わない?何ですぐ謝るんだ?ちったあ、自分の意見を言って見ろ。お前は俺の腰巾着でも何でもない。俺の……参謀副官だろう。意見は言えば良いんだ。それが仕事なんだからな」
 意見を言え……って?
「あの?」
「俺はお前の頭が並大抵のレベルじゃねーこと位知っている。どっちかっていうと仕事のときでもそれを働かしていないだろ?というか働かすことができていないって言うか……。あのな、今さっきのお前の表情、目の力、今までとは段違いだったぞ。何か、やろうとしているのが判った……判って様子を窺っていたら、呼びかけられたんで返事をしただけだ。ついでに文句の一つも言ってやったら、やっぱりすぐ謝るんだよな。どうしてだ?」
「ど、どうしてって言われても……」
 それは条件反射なんだけど……。
 今までのリオの教育の賜物なんだ、と言ってみたい気がしたが、それは墓穴を掘りそうだ。
 ……って、やっぱりリオのせいじゃないか……。
「で、何を思いついたんだ?」
 何も言わないダテに、リオは業を煮やしたのか、質問を変えてきた。
「……」
 突然の矛先の変換に、ダテはついていけない。
 目をぱちくりさせていると、ごんとヘルメットをバーナーで叩かれた。
「……リオ……」
 もうため息しか漏れない。
 だから謝りたくなるんです……。
「ほら、さっさと言えよ」
 リオの言葉にダテはため息をつくと、口を開いた。
「あのパワードスーツの弱点を思い描いていたんです。まだ、思いつきませんけどね」
 はああ。
 語尾と共に大きく息を吐く。
「そんなもの判るのか?お前、設計図なんか見ていないだろ?」
「自分で前に回路図くらい引いたことがありますので、だいたい想像はつきます」
「……お前作ったのは猫型だったな」
 胡散臭そうに窺うような問いかけ。
 ああ、やっぱりリオは聡い。
 ダテは何度目かのため息を諦めたように吐いた。
「猫型はカモフラージュです。人型だって作ろうと思えば作れました」
 ふっと息を飲む気配がした。
「なるほど……あの論文、妙なところがあるなと思っていたのは誤魔かしていたからか。大した策士だ、お前は……。なあ、ほんとのお前を知っている人間てどのくらいいるんだ?」
 こんな場だというのに、リオの方がよっぽど楽しそうだ。
「ほとんど知りません。天才、なんて呼ばれたのは小学校の頃までで、それを過ぎたらただの人って言われるくらいに大人しくしていましたからね」
「ということはババアくらいか?」
「まあ……後はその周りの人達くらいでしょうか?結構昔から顔を合わせていましたから、彼らは私のことをよく知っていますからね」
「よりによって、という奴らには知られている訳か」
 ふんと鼻を鳴らして、リオが何かを考えているように感じた。
「ま、面白いっていやあ、面白いな。凡人の殻を被った天才が脱皮する様がこの目で見られるのかもしれないんだな」
 脱皮って……。
「面白がらないでください。こんな才能、リオのため以外に使うつもりはありませんから」
 言ってしまって、ダテははっと口を噤んだ。
 だが、それは遅かったようで、ぐいっと抱き締められる。
「嬉しいこと言ってくれるじゃないか」
「は、離してくださいっ!苦しいっ!」
 リオのばか力っ!
 それは抱擁とはほど遠いほど、ぎりぎりと締め付けられ息が苦しい。
「もう、ここでダテちゃんを押し倒したいよ」
 声が踊っているリオは、本当に押し倒しそうな勢いで、ダテは必死でリオを押しのけた。
「いい加減にして下さいっ!敵はいつくるか判らないんですよっ!」
「なんだ、先にぼーっとしていたのはそっちなのに、なんで俺が怒られなきゃいけないんだ?」
 ……。
 このリオに謝るという言葉はないんだろうか?
 取れることのない眉間のシワは、そのまま固まってしまいそうなほどだった。
14
「で、原作者殿が考える弱点、まだ思いつかないのか?」
「私が考えた時は、増幅装置をちょうど間接部にいれていたんです。ですから、間接部にダメージを与えればそこから先は動きが鈍くなるはずなんですが……」
「それと同じシステムかどうか判らないってか?」
「……はい」
「ふむ……」
 あれの動きは早い。
 最初に狙った時、照準は確かに合っていたのだ。だが、コンマ何秒かの遅れで熱線が辿り着いた先には、それはいなかった。
 後の時は見えていなかったから判らない。
 だが、軽量化している上にどの程度の増幅をしているのか判らないが反射速度もなかなかのものだとしたら、どこかに固定しない限りダメージを与えるのは難しいかもしれない。
 あれがあのシステムだとしたら……。
 と、またあの総毛立つような不快感が襲ってきた。
「リオ」
 緊張のあまり震える声を必死で押さえる。
 伸ばした手をリオが握りしめてくれる。
「心配するな。どんな相手だろうか、所詮は人間が作った物だ。俺が作ったのならともかく、な」
 するりと手が離れるとダテは、自分の手をぎゅっと握りしめた。
「あれは暴走しているのだから……動かしてしまった物は、かならずとめなければならない。だから、俺たちへーパイトスが止めてやる責務があるんだ」
「はい」
 そうだ。あれは止めなければならない。
 正規の動きをしていない機械は……止めなければならない。
 中にいる植物のためにも。
「行くぞ」
 その言葉とともに、リオの気配が間近から消える。
 目が見えれば……。
 いや……今はできることをしなければならない。
 バーナーを構える。
 自分の勘を信じる。
 リオが言っていた。
『見えている俺より早く確実に敵の気配に気付いている。そういう気配を敵に限らず自分に降りかかる災難でも気付くことができるから、運がいいように見えるんだ』
 そして……
『運のいい上司につけば、部下もその運にありつける』
 悔しいけれど、今はその伯母の言葉に縋り付きたい。
 自分の気配に気付く力がほんとうにあるというのなら、全力を持ってそれを使う。そしてそれに気付くことが運だというのなら、その運をリオに渡したい。
 リオとともに帰るために。

 意識が弾けた。
 先程までよりいっそうあれの動きが判る。
「これは……」
 呟く先に、それがどうしてか判っている自分がいる。
 それは懐かしい感覚だった。
 そしてダテは、その感覚使い方を知っていた。
 人に五勘があるように、ダテはそれを生まれつき持っていたから、それがあって当たり前だった。
 それは何より機械に対して反応し、どんな機械の動きでも目で見るように把握して、その動きを設計図面のように視覚化して頭の中で思い描くことができる。
 伝達回路の流れが見えなくても判る。
 どこにその回路が必要なのか?
 そのギアをどこにどのサイズで組み込めばいいのか?
 見れば判る。
 だから、幼い頃よりどうすればそれを分解できるか、どうすれば元通りに組み立てることができるか、教えられることなく判っていた。機械は……ダテにとって空気よりも身近に感じる物。そして、意のままに扱うことのできる物だった。
 だから、自分は判るのだ。
 あれがいる場所が。
 だから、構えたバーナーの引き金をダテは躊躇することなくひいた。

 早い動きで気配が移動する。
 その動きの変化から、ダテの放った一撃は当たらなかったことが判る。
 何ら鈍ることのない動きに、ダテは続け様にトリガーを引く。
 外れた熱線が関係ないコンテナを焼き、解けた外壁から中身がこぼれだし、落下音だけが響く。
「駄目だ……」
 遠のいた気配に落胆の色を隠せないダテは、構えていたバーナーを力無く降ろした。
 所詮バーナーでは駄目なのだ。
 もとより攻撃用ではないそれは、どうしても素早さだけは劣る。
 パワーに重点をおいているせいだ。それでは、敏捷さでは最高性能を誇るであろうあのパワードスーツには追いつけない。一度でも当たっている方が不思議なほどだ。
「ダテちゃんっ!」
 リオの声が飛び込んできた。
「マジで本気になってるっ!」
 あれよりリオの動きの方が掴めない。
 いつの間にか躰を密着され、その動きを装備越しに感じる。
「最大パワーで打っているとエネルギーが切れる」
「あ、はい」
 その手を押さえられ、ダテは強張っていた手を緩めた。
 指がかくかくと動き、バーナーから離れる。
 緊張してる……。
 じっとりと汗ばんだ手のひらを感じ、見えないのにその手を見つめていた。
 どこかぼやけた輪郭がかろうじて視認できた。
 その手の上に別の手が覆い被さる。
「お前は……第六世代なんだな」
 苦笑混じりの言葉に重ねられた手から視線を移す。
 第六世代。
 それはここオリンポスにおいて人の能力としての進化の度合いを示す。
「私が?」
 今は第五世代の時代だ。
 第四世代から第五世代に移ったとき、オリンポスは外の世界と交流を再開した。
 世代の変革期には、何かしらの大きな事件が起きる。
 今がその時だという人はいるけれど、自分が第六世代と言われてもピンと来ない。
「だからだ。あのババアがお前を次期にしたがるのは。アテナもアレースも……次期は第六世代だ」
「そんな……ことない」
 否定したいとずっと思っていた。
 まだまだ数の少ない第六世代に自分が当てはまっているなどとは思いたくなかった。思ってしまえば、自分が他人とは違うような気がする。
 だが、リオが言うとそうなのだと思い知らされる。
 リオはそういうところでごまかしをするような人ではない。
 そうなると復活した感覚すら、疎ましいと思う。
「何を落ち込んでいる?」
 意外そうな声に、首を振る。
「別に落ち込んでいるわけではありません」
 これはもうどうしようもないのだと、思っている。
 人がいずれ辿る道を、一足先に辿り着いてしまっただけのことだ。
「……お前は……自分が嫌いなのか?」
「え?」
 驚くダテの手をリオが握り止める。
「だからだな。次期に後押しされているからだけではないだろう。総司令を嫌っているだけではないんだ。何もかも……何もかも嫌っているんだ。お前自身の全てを。その持っている能力全てを。だから、封じ込めたんだ。だから、誤魔化そうとするんだ。どうしてだ?」
「そんなこと……」
 ない、と言おうとして、結局その言葉を発することはできなかった。
 否定しきれない何かが自分の中にある。
 そうなのだ、と。リオの言葉を肯定している自分がいる、から。
「リオは……どうしてそう思ったんです?」
 どうして、私が自分を嫌っているなどと思ったのだろう?
「今さっき言ったろ、アテナの次期も第六世代だと」
 苦笑混じりのその声はどこまでも優しくダテの耳に届く。
「だからさ。俺の弟であるケインも……第六世代だ。あいつも幼い頃はお前のようにひどく引っ込み思案で、自分の殻に閉じこもる奴だった。そんなあいつを俺はあいつが生まれたときからずっと見ていた」
 あ……そうか……。
 脳裏にパラス・アテナで逢ったケインが浮かぶ。
 リオとは正反対だと思えるほど落ち着いて、年以上の冷静さを感じさせた。
「でも、今はそんなことないですよね」
「あいつの能力は人の機微が、人の考えが先の先まで見えてしまうことだ。アテナの次期副官としては最高の力だろ。だがそのせいで幼い頃のあいつは他人との接触を拒んだ。一時、専用の施設に入れられる所だったんだ。だけど俺は嫌だった。嫌だから、俺が鍛えた。気にしないことを学ばせた。そんなあいつと付き合うから……こんな性格になってしまったがな。しかし、あそこまで何もかもが好みが似てしまうとは思わなかったぞ……腹が立つくらいだかな」
 握られた手に力が入って、それがリオの葛藤を伝えてきた。
 逢ったときから喧嘩腰で、嫌っているのだと思ったけれど、そうではないんだとその手が教えてくれる。ケインの事を話す声音が優しい。
「今のケインはリオのお陰なんですね」
 くすりと笑いが自然に漏れて、落ち込んでいた感情が少し回復する。
「それなのに……あいつは……じゃない。そんな事を言いたいんじゃなくて、だからお前も俺が鍛えてやる」
「え?」
「持っている力を何で嫌う。それはお前にとって必要だからついてきたんだ。お前がいるから、その能力はあるんだ。その能力があることを認めろ。認めて理解して、それからだ。能力に使われてどうする?能力を使ってこそ、初めてほんとの意味で封印も解放もできるんだ」
「認める?」
「そうだ。なあ、お前、俺が好きだろ?」
 いきなり変わった矛先に目をぱちくりと瞬かせる。
「あの?」
「どうなんだ?」
 ひどく真剣だと判るその声色に、ダテはごくりと唾を飲み込み頷いた。
「好きです」
 言った途端に羞恥に顔が火照ってくる。
「なら、同じくらいに自分を好きになれ。俺は、お前の力全て含めてお前が好きだ。愛してる。だから自分自身を好きになれ」
「それって……どういう理論です?」
「何か変か?」
「変だと……思いますが……」
 そんなことも判らないのかとため息をつかれても、ダテにしてみればリオの言うことは判りづらくてしようがない。
「愛しているから……俺はお前にそんなに縮こまって生きていってなんか欲しくない。自分自身が嫌いだとな、どうしても後ろ向きにしか生きていけないから。俺はお前のそんな姿なんか見たくない。ダテちゃんはやっぱり生き生きしている方がいいよ。俺はそんなダテちゃんをずっと見たい」
「あ、あの……」
 これは……こんなところで口説くのか、この人は
 今日は一体なんて日なんだろう?
 こんな生と死の狭間にある極限の状態で、一体何回リオに口説かれたのだろう?
「返事は?」
 だが、その珍しい真剣な口調に操られたのか、ダテの口がかってに動く。
「はい」
 掠れた声で放たれたそれは確かにリオに届いたようで、ダテの躰は包み込まれるように抱きしめられた。
15
 装備の中にいるというのに、なぜかリオの体温が熱いまでに伝わった来るような気がした。包み込まれるように抱きしめられているせいか、その胸の中はすごく安堵感をもたらす。
 フル回転して熱を持ち始めていた頭が、意識を少なからずそらされたせいで落ち着いてきた。
 リオがダテ自身を好きになれと言う。
 確かに自分が好きだと思ったことは一度もない。
 もって生まれた能力を嫌悪してきたから、好きどころか嫌いであったのも事実。
 だけど、リオがそういうのなら、自分の力と向き合ってみようかなと思わせてくれる。
 不思議だ……。
 どうしてこんな傍若無人なこの人にここまで惹かれてしまったのか?
 こんなにもこの人の言に従おうとしてしまうのか。
 自分よりリオの方がよっぽど総司令の座にふさわしいような気がする。
 もっとも……。
 リオが率いるヘーパイトス……それを想像するのも怖い気がするのも事実。
「二人とも……時と場所を考えてください……」
 ため息とともにもたらされたその声に、ダテは夢心地だった意識を一気に覚醒させられた。
 はっと辺りを窺うと、くすくすと漏れ聞こえるのは笑い声。
 ぼんやりとした視界に、数人のリオでない影が映る。
「なんだ、お前ら。向こうの修理はもう終わったのか?」
 ダテをその腕の中に抱きしめたままのリオが平然とそれに答える。
「とっくの昔に……それなのにあなた方から何の連絡もないもんで、ちょっと様子を窺いにきました」
 その言葉に、みんなが来てくれたのが判った。が。
 タイミングが悪いっ!!
 来てくれて助かったと思う反面、とんでもないシーンをみんなに見られているという自覚。
 慌ててリオの躰を突っぱねる。
「離してくださいっ!」
 叫んで力を込めるダテにリオはむっとした口調で言い放つ。
「お前ら、来るの早すぎるんだよ。せっかくいい所だったのに」
「よく言いますねえ。痕跡を辿って来てみれば、入ったとたんにぼろぼろになったコンテナや異常を知らせる警報。それに、そこかしこであがる煙という見事なまでの惨状に、もうお二方の命は亡きものと思いましたよ……それが、こんな状態ですから……」
 呆れたような情けないとばかりのため息。
 それを漏らしたのは向こうの修理チームを率いていたリッチだった。
「リオ達だって、外見だけ見ればたいしたダメージに見えるよ。何があったのさ」
 くすくすと嗤いを堪えるように言うのはボブの声。
「もっ、離してくださいってば」
 仲の良いボブの揶揄する声に、顔が火を噴いているかの如く熱い。
 再度突っ張った腕に、リオが仕方なく抱きしめていた腕を弱めた。
 それを逃さず、身を翻したダテはその勢いの良さと何かにけつまずいた拍子にバランスを崩した。
「あっ!」
 小さな悲鳴は、すとんと誰かに躰を支えられたことにより、安堵の吐息へと変わる。
「大丈夫?」
 どこか幼さの残る声に支えてくれたのがキイだと判った。
「ありがとう」
 礼を言い、キイであろう影を見遣る。
「ダテちゃん?」
 とたんにキイが訝しげな声を上げた。
「ダテちゃんってば、もしかして見えていない?」
 支えた手に力が込められたのが判った。声に嘘であって欲しいというニュアンスが込められている。しかし、ダテの視線の動きに異常を見て取ったのだろう。キイの考えは正しい。
「ごめん……よく、見えていないんだ……」
 見破られているのに嘘をつく理由もない。ダテが正直にそう言うと、ぐいっとその躰が別の人物に引き寄せられた。
「う、そ……だろ?」
「リオっ!」
 ボブの悲痛な声とリッチのリオを責める口調が重なる。
「増光モードでバーナーを発射したんだよ。それで目をやられたんだ」
「何でっ!」
「リオ……一体、何が起きたんです。この周りの惨状も含めて説明していただきたいですね」
 皆の言葉がリオへと向かう。
 ダテは、その様子に下唇をぎりりと噛み締めた。
 自分の不注意による怪我、そのせいでリオが責められる。
 それは想像がついて当然のことだった。
 素人同然のダテを引き連れてここに来ているのだから、ベテランの、しかも指揮する立場のリオがそれ相応の対応をするべきだ。
 みな、そう言っているのだ。
「私が……うっかりしていたんです。敵の気配をどうしても捕らえたくて……だけどそれが視界に入った途端に、何の対処もなくバーナーのトリガーを引いてしまって……」
 慌てて説明しようとしていたダテをリッチが優しく制した。
「ああ、ダテちゃん、もしかして、リオを責めていると思いました?」
「え?」
「そんなつもりはないんですよ。あなたには見えないかもしれないけれど、このコンテナ室の惨状はなかなかのものです。その中で、あなたの目以外、ほとんど無傷に近いあなた方を確認した時、私たちはほんとにほっとしたんです。あなたの装備もリオの装備も傷だらけですしね。まあ、だからこそ聞きたいわけですよ。この惨状の原因と、あなた達の活躍ぶりをね。状況を知らないってのは戦闘状態においての致命的な欠点になりますからね」
 その柔らかな物言いと内容に、ダテは狼狽えたことを後悔した。
 確かにリッチの言うことはその通りで……よく考えてみれば、誰もリオが悪いとは言っていない。
「あ、すみません……」
 かああっと顔が火照り、堪えられなくて俯く。
 ああ、もう……。
「ダテちゃん……可愛い」
 くすりと笑うその言葉が誰のものか?
 それすらも判らないほど頭が混乱していた。

 敵の気配が近場にないことをキイが確認してから、リオが全員に今まで起こったことと、敵の正体について説明していた。
 それはダテにした時よりはるかに要領よく、しかも簡潔で判りやすかった。
 それに理不尽なモノを感じながらも、ダテはコンテナの壁にもたれて座り込んで躰を休めていた。
 人数が増えたことで精神的な負担もすごく軽くなった。
 その分、考えることに集中できる。
 恥ずかしいシーンを見られはしたが、そのことを考えるのは全てが終わってからだと割り切った。
 割り切らずにはいられなかった、ということが正しいのか……。
 ダテはごくごく小さなため息を漏らすと、数人の固まりにしか見えない影を見遣る。
 何となく疎外感を感じる。
 今まで共にいたリオが傍にいないからだろうか……。
「ダテちゃん、大丈夫ですか?」
 その声とともに傍らに人が座る気配がした。
「ビル?」
 ボブの双子の弟。
 陽気なボブと違い、言葉少なく丁寧な物言いだがなかなか鋭いつっこみをするビルはボブ同様普段は仲のいい友人だった。
 その声音を聞き間違うことはないと思いつつ、つい不安げに呼びかけた。
「当たりですよ」
 くすりと笑う声にほっとする。
「全く見えないんですか?」
「少しは……輪郭がモノクロで……」
「そう。ところであれはダテちゃんが設計したシステムが組み込まれていると聞きましたけれど、何か弱点みたいなモノありますか?」
「う?ん、考えてみたんだけど……私が考えたシステムと全く同じであれば、間接部当たりに増幅装置が組み込まれているはずなんだ。そうしないと、ラインが細いから動力用の容量が足りなくなる。そこを攻撃すれば……あの動きを止められるかもしれない」
「間接部ですか?ロボット系だとどうしても弱いところですね。そして攻略ポイントとしてはポピュラーです。ヘーパイトスの中央がそんなシステムを作りますかね」
 その言葉に目を見張る。
 そうか……。
 弱点だと判っているところに、致命的な弱点を据えるのは変だ。
「ビルの言う通りかも……そうしたら増幅装置はどこにつけたんだろう?……いや……」
 ふっとある考えがよぎった。
 それがそのまま口について出る。
「もし、軽さを犠牲にすれば……それでなくてもパワードスーツは鈍重さが常だから……このシステム導入のメリットである軽さを少々犠牲にしても問題はない。となると……神経伝達に使うはずの回路。もっと線を太くすればそれだけ伝達量が増える。そうなると増幅装置はいらない……」
「となると間接部ってのは今まで同程度の弱点となるね。となるとせっかくそこまで考慮に入れたとしたら、中央部の方々は当然そこのダメージを少しでも減らそうとするわけで……う?ん、弱点はそこにはないもしれないね」
「あ、そうか……」
 さすがビルだ。
 こういうところに経験の差が出るんだろうな……。
 つい感心してぼおっと見えるその影に視線を見据えていた。
「何です?」
 それに気付いたのか、幾分訝しげな声が返ってきた。
「いえ、その……やっぱ、ビルは凄いなって思って。ずっとリオの下でやってきたせいかな?」
「そう?ダテちゃんにそういわれると嬉しいな」
 いつの間にか肩に回された腕がダテをぐいっと引き寄せる。回された手がぽんぽんとヘルメットを叩いて、ダテの頭をビルの肩にもたれさせた。
「ビル?」
 その行為に頭を上げようとすると、ぐいっと再び押さえつけられる。
「いいからいいから。こうしていたいんですよ」
 こうしていたいって……。
 たぶん他の人から見たらひどく仲むつまじく見えるんじゃないだろうか?
「どうして……?」
「だって、僕はダテちゃんのこと好きですからね。こうやって甘えさせたいなあって、いっつも思っていたんですよ。今日はいい機会です」
 好き……。
 今、ビルは好きって言わなかったか?
 ぴくりと反応しかけたダテを、ぐいっと押さえつけるビルの力強い手。
「じ、冗談?」
「まさか」
 期待を一刀のもとに切り捨てられる。
 そんなこと……今まで気付かなかったのにっ!
「ビルッ!何をしているっ!」
 リオの鋭い叱責が二人の間に入ってきたかと思うと力強い手がダテの腕をぐっと引っ張ろうとする。
 だが半ば引きずられかけたダテの躰はすんでの所でビルによって引き留められた。
「もう、リオ。野暮はなしですよ。せっかくダテちゃんを口説く気になっているのに」
「てめえっ!ダテちゃんは俺のものだっ!」
「そんなこと、判らないですよ。これからの僕の努力次第では、僕のモノになるかもしれないでしょ?」
 鋭い声音のリオと対するビルはどこまでも静かに、笑みすら含んだ声で対応する。
「そんなことに労力を費やすことは止めときな。ダテちゃんの心が俺から離れることはないっ」
 ぎりぎりと双方の腕に込められていく力は、装備越しにダテの躰を痛めつける。
 苦痛に涙が浮かびつつ、その様子に声もでないダテであった。
「二人とも?。ダテちゃん、痛そうだから止めた方がいいよ」
 それを救ったのは、ボブだった。
 その言葉にさすがに二人もそれに気づき、はっと手を離す。
「リオに任せておくと、ダテちゃん傷物になりそうですからね。僕の方がよっぽど大切にできますよ」
「うるせっ!こいつは大事にしすぎるとすぐ考え込むんだよ。少しは乱暴に扱う方がいいんだっ」
 傷物、って……。
 乱暴に扱うって……。
 ダテは今度は痛みではない涙が目尻に浮かぶ。
 私は、モノですかあ?
 恨めしげに二人であろう影を見つめると、二人はどうやらまずいと悟ったらしい。
 かすかに身動ぐ二人を割るようにもう一つの影が入ってきた。 
「とりあえずダテちゃん争奪戦は後にしてくれない?なんだか近づいてきているんだよね。変な気配」
 それはキイの声だった。
16
「ダテちゃん、まあとりあえず、気を確かに持って。それと俺が護るから俺についてて」
 うずくまっているダテの腕を取って立たせてくれたのはボブだった。
「ありがとう、ボブ」
 ついつい情けない口調になるのは、もうどうしようもない。
 なんて情けないんだろう……。
 気だけは確かに持ちたいが、どうも頭の中にさっきのリオとビルの会話がぐるぐるしている。
「……ダテちゃんって、ほっんと男運悪いねえ?」
 しみじみと言われたその言葉に、さらに落ち込むしかないダテ。
「ダテちゃんって、実力はあるくせに、どうも目が離せないっていうか……かまいたくなるタイプだからな?。危なっかしい所もあるし、ね」
「そのせいで、男にばっかもてるのかな……」
 ここの二人といい、パラス・アテナのケインといい……。
 士官学校時代はこれでも結構女性にもてていたんだけど……。
「う?ん、そうかな。カベイロスの他のチームでも結構ダテちゃんって人気あるよ。特に、その手の趣味の人にはね」
「その手の?」
 嫌な予感がした。聞きたくないのに、思わず聞いてしまう。
「ん?だからゲイの」
「……」
 聞くんじゃなかった……。
「知らぬはダテちゃんばかりかな、って?でもこの話マジだって。まあ、リオのお手つきだから、みんな手をださないけど」
「お、お手つきってっ!!」
 いくら何でもその言葉の意味くらいダテも知っていた。
 パニクっているダテに、くつくつとボブが笑いかける。
「違うって?あの様子だと、もう最後まで言っているんだってみんな思っていたけど?」
「ち、違いますっ!まだですっ!!」
 思わず叫んでいた。
 が、言った途端にまずったと唇を噛み締める。
 おずおずと周りの雰囲気を窺っていると。
「へえ?、まだだったんですね。ということはまだまだ二人は出発点にいるってことで……僕にもチャンスは十分あるっていうことで」
「たまたま抱けていないだけだっ!ダテちゃんだってまだだって言っているだろっ!帰ったらするんだよっ!」
 後悔……するどころではなかった。
 あまりの言葉に頭が真っ白に飛んでしまう。
 帰れないということは、「死」を表すから、帰りたいのは山々なのだが、その後をここにいる全員に想像されると思うと帰りたくなくなる。
「だからあ……」
 完全に頭が飛んでいる人々を現実に引き戻したのは、キイの呆れまくった声だった。
「死にたくなかったら、用意してくださいね。近づいているんだって」
「……」
 一瞬、全員が沈黙した。
 決まり悪げなその沈黙を破ったのは、リオだった。
「ま、とりあえずちゃちゃっと終わらせて帰ろうか……」
 どうやら敵の存在はすでに興味の対象から外れているようだった。
「じゃ、ダテちゃんの想像通りだとして、弱点をクリアしたパワードスーツってことは、とにかく足を止めないといけないですね」
 真面目な声で……いや、もともと真面目なリッチが作戦を立てていく。
 その周りで派手な爆発音がするのは、キイがあれと対峙しているせいだ。
 馬鹿な話をしていたせいで、作戦を立てる時間のないままにあれの接近を許してしまった。だから、キイが時間稼ぎをしているのだ。
 ダテはボブの傍らで、それの気配を敏感に感じ取っていた。
「いい加減、モノを爆発させているとこのコンテナ室自体がイカれてしまいますし。そろそろ引き時でもありますが」
「しっかし、キイもよくやるねえ?。あんなの一人でよく相手できるわ」
 ボブが驚いたように言っているが、キイは普段はボブの配下だ。知らないわけではないだろうに、なぜか妙に感心している。
「しかし、そろそろ加勢にいかないと、いかなキイでもそろそろ苦しいかと」
 こののほほんとした会話に緊迫感は見られない。
 いっつもこんな調子なのだろうか、この人達は……。
 呆れて挟むべき言葉も思い浮かばない。
「にしても、厄介だな。キイが手こずっている」
 リオの声に、ダテは不安げに顔をしかめた。
 確かにキイが戻ってこない。
 キイの役目は僅かな時間稼ぎ。なのに、一向に戻ってこず、なおかつ戦っているのであろう音が断続的に聞こえる。
「なあ、ダテちゃん。その回路、材質何?」
 突然リオが尋ねてきた。
 その問いにダテが悪戯っぽく笑って返した。
 ちょっとでもリオに説明できることが嬉しいって思うのはやっぱりプライドの問題だろうか?
 自嘲めいた考えに、内心苦笑すら浮かぶ。
「炭素ですよ」
「炭素って、あの炭素?」
 ダテはそれに頷き返した。
「まあ、炭素を分子レベルでちょっとした形状に結合させて、表面を強化させたんで、結構丈夫です。ただ、生産コストは滅茶苦茶高いですから……だから、あんなものよく使ったなっていうのが本音です」
「って、お前学校で作ったそのネコはどうした?そんな金のかかるもの、させてくれるものでもないだろう?」
「……別に私が作ったわけではなくて、貰ったモノを使っただけですけど」
 私は機械は得意だが、合成や生成は得意ではない。
 それを言った途端、リオが息を飲んだのに気が付いた。
 リオを驚かせる。
 それがなんだか楽しい。
 ただ、いい加減にしないと後で御礼がたっぷりきそうだな。
 ダテは首を竦めると、口を噤んだ。
「ダテちゃん……聞きたいことがあるが、それは後でベッドの上で聞いてやるよ」
 だがそれは遅かったようで、リオの機嫌の悪そうな声がとんでもない台詞を吐く。
「……それは、遠慮したいです」
 ばくばくと波打つ心臓を必死で堪えて、できるだけ平静な声を出す。
 ここには他のメンバーもいるから二人っきりの時にいろいろ仕掛けられたような醜態は晒したくなかった。
 その言葉にリオが面白くなさそうに舌打ちしたのが判った。
「とにかく、キイもそろそろ限界です。動きますよ」
 リッチの言葉にほっとしたダテは、小さく息を吐いた。
「ダテちゃんって、結構頼もしいとあるね」
 ボブがヘルメットをひっつけてそこから伝わる振動で直接会話をしてきた。
「そう?」
「だって、あのリオを翻弄している。今まで誰にも屈したことのないリオがダテちゃんの前だけは、結構負けているように見える」
「ま、まさかっ!」
 とんでもないとばかり首を振るダテに、ボブは再びひっついて言った。
「そのうち判るよ。リオはあれで結構純情なんだから」
 ごんっ!
 衝撃過多の警告音にダテは、またか、と眉をひそめた。
 だが、今回のターゲットはボブの方らしい。
「この、てめーっ!いらんこと喋るんじゃねー!」
「ちょっと真実をですねえ……」
 妙に焦っているリオと笑いながら逃げているのであろうボブの声が聞こえた。
 何なんだ?
 ダテが茫然とそれを窺っていると、今度はリッチの声が飛び込んできた。
「二人ともっ!じゃれ合ってないで、さっさと行ってくださいっ。じゃないといつまでも帰れませんよっ。リオも早く帰ってダテちゃんとしたいんでしょうが、真面目にやってくださいっ!」
 ……。
 あのリッチまで……。
 一番常識人だと思っていたリッチにまでそんなことを言われ、ダテの頭は真っ白になった。

 この後、何があったのか目の見えないダテにははっきりと判らない。
 たが、作戦内容としてはこうだった。

 キイが寸前の所を逃げてくる。いや、わざと逃げてくる。
 時折銃で攻撃し、自分は敵だと見せつけて煽るかのように移動する。
 その行く先にあるのは、コンテナを一つ開けて作った水槽だ。突貫工事、わずか3分で作った水槽には、水やり用に準備していた水用タンクから引っ張り出した水が半分ほど入っていた。
 そこにやってきたキイがするりとコンテナ脇を駆け抜ける。
「よし」
 リッチのごくごく小さな呟き、そしてそれを合図にボブが持っていたスイッチを押した。途端に水槽の前側の壁がぱかっと倒れて中の水が一斉に溢れる。その水がパワードスーツの足下を濡らした。
 途端に、それが動きを止める。
 いや、動こうとはしているのだ。
 だが、意志に反しているのか躰が動かない。
 そんな感じで葛藤しているように見えた。
「リオ?なぜだかあれ、混乱しているように感じます。伝達系統に混乱が起きています」
「躰と心の不一致ってのは、厄介なもんだよなあ」
 どこぞの精神科医のようなことをリオが言う。
「は?」
「……判らんのか?しょうがないなあ」
「あのですね」
 毎度の事ながら、どうして素直に教えてくれないのか。
 ふっと今までのリオの行動が脳裏に浮かんで、慌てて付け足した。
「御礼は、後でお食事でもご一緒しますから、教えてください」
「ちっ……」
 微かな舌打ちで先制が取れたことが判った。
「リオ?」
「まあ、しゃーねーか。人工知能と植物の本能が喧嘩してんだよ。敵を倒そうとしてる人工知能と、せっかくの水にありつけたからここで根でも伸ばして子孫を残そうとしている植物のね。だから、動けない」
「あ、ああ、そうですね」
 言われるまで気が付かなかった。
 そうか、エネルギーの伝達回路と指示命令の伝達回路が一緒だから、相反する動きを使用して普通のロボットより混乱をきたし易いんだ。
 ああ、これがこのシステムの弱点なんだ……。
 と、ピンと頭の中にある考えが浮かんだ。浮かんだ途端に、思わず口に付いて出た。
「リオ……あれ、放って置いたら壊れるかも……」
「は、あ?」
「ダテちゃん、どういうことです?」
 ダテの発言にリッチまでもが会話に入ってくる。
「あの、あれってエネルギーが流れる回路と命令を伝える回路が一緒なんですよね。で、普通、動けと言う命令とそれに必要なエネルギーは同時に動きます。その逆も然り。つまり、この二つはいつも並行に同じ向きに流れる筈なんです。ところが、今はその二つの流れが全く別を向いてます。これは、回路に負担を非常にかけて、それが限度を超えると、もっとも細い回路から切断されていきます。これは、オーバーワークを避けるためなんですけど……」
 ふっと言葉を切る。
 ダテに思いついたことをヘーパイトスの中央部がやってくれればいい。だが、なんとなくあれの内部の動きはそうではないような気がする。
「基本的に、そういった事態も考慮に入れて、リミッターがつけてあります。だけど、それがもし働かなかったら、その混乱したエネルギーの流れが回路の内部に渦を作り、回路に異常な過負荷を起こさせます。その結果あの材質を原料にして、驚くほど一気に燃え上がります。そのため、あれが火器を持っているのならそれは爆発するでしょうね」
「燃焼?確かに炭素はよく燃える……って、まさかその材料って、トライアングル・ダイヤじゃねーのかっ!」
 トライアングル・ダイヤ。
 装飾品にも使われるダイヤモンドと組成と構造式が非常によく似ている物質で、普段は推進装置に爆発的なエネルギーを与える触媒として使われている。
 その取り扱いを手軽にするためにいろいろと加工されているのだが、今回使った物はその課程でできた物なのだ。
 非常に伝達スピードがいいという、それだけの理由で。
 だからその問いかけにこくりと頷くと、ぐっと襟元を引っ張られた。
「お前っ!何でそれをさっさと思い出さないんだっ!」
「いえ、その……まさか、こういう事態が起こるとは、想像していなかったので……」
 だってそうだ。
 あれを実用化しようと、しかも武器に使おう何て思う人間がいるとは……いや、いてもおかしくはないなとは思ったが、その点は論文にもきちんは書いてあったはずだ。
「リオだって読んだはずです。その危険性は少ないけどあるって……」
 それを言うと、さすがにリオも黙り込んだ。
17

「……まあ、リオですら忘れているようなことだったようですので、その点はおいといて……どうします?」
 せっかくリオを黙らせることに成功したというのに、ダテの気分は晴れない。
 リッチの言うとおり、はっきり言ってこの先どうする?の方が先決だった。
 あれを破壊するのか?
 勝手に自滅させるのか?
 それとも……捕獲するのか……?
「俺たちの仕事は修理だけなんだよなあ……」
 今更ながらにリオが言う。
 それはここに来る前に言いたかったことだ。
「しかし……どうせあれをどうにかしろっていうニュアンスは知っていたんでしょう?」
 どうやらリオの行動パターンをお見通しのリッチ。
 素っ気なく言い返す。
「……ほっとくか……」
 やはり投げやりな言葉がそれに続く。
「放っとくって……」
 リオの投げやりな態度が全員に伝播したのか、どうも意見の出が悪い。
 確かにダテ自身、今まであって奇妙な高揚感は消えてしまっていた。
 命のやりとりが含まれる、緊迫した雰囲気が完全にない。
 だからだろうか?
 敵の正体を知ってしまった。
 敵の弱点も知ってしまった。
 あのまま放置すれば、いずれあれは発火を起こし、壊れるか燃え尽きるかするだろう。
 ならば、それまでに逃げればいい。
 緊迫感のない状態。
 だが、それは早すぎたようで……。
 一番にキイが反応した。
「下がってっ!」
 ダテの体を押しのける腕が力強い。
 そして、ダテの見えにくい視界にもそれが動いているのが見えた。
「う……ごけるのか?」
 すでに接合部から独特の臭気を上げているそれが、わずかだが移動している。
「往生際の悪いっ!」
 毒づく声に全員が頷いた。
「どうやら人工知能の方が勝ったようですが」
「この期に及んで……か?」
 だが、その推論は正しい。
 ダテは滞っていたシステムの流れが回復しているのに気がついた。
 だが……。
「限界だ……」
 すでに引火している。
 ぽつりと呟く声はリオに拾われた。
「逃げよう。相手にする必要はもうないし、ヘーパイトスの中央には諦めてらうしかない」
 まったく同情の色はないその言葉に、全員が従った。
 それまでだらけていた態度は、撤収の合図で緊張感のあるものに戻った。
 ダテの手をボブが取る。
「大丈夫?」
「大丈夫」
 それに頷き、そして再度あれに視線を移した。
 目前にいるキイ。
 そのむこう側で蠢く機械の固まり。
 それがひどく変だった。
「ダテちゃん?」
 傍らにいたボブにそれが伝わったのか、腕を掴む手に力が入っている。
 変だ……。
 いや……変じゃなくて……限界が早いっ?
 一瞬にして広がった頭の中の回路図に、一気に朱色で修正が入る。
 瞬く間にそれを成し遂げた頭脳が警告を発する。
 太すぎる回路が、最終リミッターの作動程度では止められないほどのエネルギーを流す。
 爆発的に伝播してしまえば、もともとは触媒物質だ。
 それは爆発的な勢いのはず!
「逃げてっ!爆発するっ!!」
 言葉より、金属の弾ける音の方が早かった。
 装甲を止めていたはずのジョイントが裂けていく。
「逃げろっ!!」
 叫んだのは誰か?
 その言葉は、激しい爆風でかき消された。
 腕が痛い……。
 切り裂くような痛みに苛まれながら、ダテはゆっくりと体を起こした。
 装備のセンサーが警告音を発し続ける。
 相当なダメージを受けているようだったが、とりあえず動ける。
 体をゆっくりと動かし、他にダメージはないか確認した。
 右手の痛みを除けば、他には打ち身のような鈍い痛みがあるだけだ。不自由なく動く左手で装備を探っていくと、腰や背につけられた装備や工具はそのままのようだ。
 だが、鳴り響く警告音は、装備そのもののダメージを訴えている。
 何が壊れて何が無事なのか……。
 音だけでは全てを把握することは不可能だ。
 だが、切羽詰まったダメージはなさそうだ。
 呼吸も通常通りに行えるし、身動ぎ程度だがそれを遮るようなことはない。
 ダテは、ゆっくりと視線を動かした。
 相変わらず暗い視界。
 だが……。
 それが見えないせいではないと気がついた。
 ちらちらと何かの標識灯のような物が瞬いているのが見える。
 ごく小さなそれが、装備の警告灯だと気がつく。
 見えてる……。
 それでも通常の何分の一かの視力だろう。
 だが、それでもそのわずかな灯りに照らされて、そこに誰かがいるのに気がついた。
 支えた腕に走った痛みに顔をしかめながら、ゆっくりと這うように動く。
 暗くて見えにくいが、それでも妙な圧迫感があった。
 閉じこめられている。
 だから、立つことはできなかった。
 近づく先で、ダテの気配に気づいたのかそれが身動ぐ。
「だ……れ?」
 微かな声だが、ダテにははっきりと聞こえた。
「キイ?」
 呼びかけると、今後こそはっきりと彼が動いた。
「その声はダテちゃんだね……」
 弱々しい声が妙に幼く感じる。
 慌てて這うスピードを速めた。
「キイ、大丈夫?」
 ようやく上半身を起こしたキイが、ヘルメット越しに頭を押さえて数度振っていた。
「ん……ちょっと脳しんとう起こしたみたい……ってダテちゃん?」
 力のない声が、視線をダテに向けたとたん、驚きの声音に変化する。
「え?」
「腕……が……」
 呆然と呟くように言われ、ふと自分の腕に視線を落とした。
 どこか霞んだ視界の中に、わずかな灯りを借りて見ることのできるそれは、不自然に歪んでいた。
「血も」
 キイの手がのろのろと伸びて、ダテの装備に触れる。
 そこは大きく裂けていて、かろうじて自己修復機能によって応急的に塞がれていた。そこに赤黒い血がこびりついている。
 疼くような痛みは、堪えきれないほどではない。
 だが、それは今だけだ。
 そのうちに、激しい痛みと熱を発するようになるだろう。
「薬を……」
 キイが自分の腰につけてあったメディカルキットから圧入器を取り出して薬のアンプルをセットした。
「痛み止めと化膿止め。とりあえずの応急処置だから……」
「う……ん」
 装備の専用の注入口に差し込まれ、微かな音がして蒸気状態の薬が皮膚から浸透していく。即効性の薬が、痛みを薄れさせた。
「……大丈夫……だから」
 はあっと息をつく。
 痛みが薄らげば動きも楽になる。
 だが、実はこれがくせ者なのだが……。
「ぼくを、庇ったから……」
 キイが心配そうに顔を覗き込む。
 庇った?
 言われて首をかしげると、キイがわずかに口の端をゆがめた。
「無意識だったんだ?あれが爆発した瞬間、ダテちゃんぼくの腕をとって引っ張ったよ。その拍子に、ぼくの体は床を転がって、ダテちゃんの体が爆風の矢面に立ったんだ」
 だから、ぼくは無事なんだ……。
 そういうキイはひどく辛そうに顔をゆがめた。
「無意識だったから……あれが爆発するって思ったら、手が出てた。この目の時と一緒だ……」
 後先も考えずに行動してしまう。
「……それでも……」
 キイが何かを言おうとして、逡巡し、結局僅かに首を振っただけで喋ろうとはしなかった。
「キイ?」
「いや、なんでもないよ」
 いつも元気だったキイがどこか気怠げだ。
「キイもどこか怪我しているのか?」
「え?いや、別にどこにも痛みはないし、変でもない」
 それが自分の態度からくる心配だと気がついたのか、キイがダテに視線を向けた。
「ちょっと考え事していただけだから……」
「考え事?」
「う……ん、みんな無事だったかな?って思ってさ」
 言われて、ふっと辺りを窺う。
 少なくとも灯りの届く範囲は、全てコンテナの破片や荷物でできた壁に覆い尽くされている。
 その中に、二人のためだけにぽっかり開いた空間。
 その空間のお陰で、二人は潰されずに済んだのだ。
「ここにはいない……」
 リオもいない……。
 立ち上がることもままならない高さ。
 聞こえるのは、何かが崩れる音。
 マイクも何もかもが沈黙を保ったままだった。
「無事だから、みんな」
 ダテが祈るように言葉にした。
 リオのことだから……あの我が儘な男は、運命相手ですら我を通すだろうから……。
「ボブ……無事かな?」
 ぽつりとキイが呟いた。
「そっか……キイはボブが上官になるんだよね」
 普段はリオのチームをいくつかに分けて行動している。そうなると、キイはボブの配下になるのだ。
「まあ、あの人のことだから、無事だと思うけどね。あの辺はリオとそっくり」
 くすりと笑み混じりの声は、どこか震えていた。
 恐怖のせいではないそれに気付いた。
「キイ?」
 だから呼びかける。
「爆発した時、ダテちゃんの腕を握っていたのにさ。ダテちゃんを守るって豪語していたくせに……何でここにいないんだろう……」
「!」
 ぐっと息を飲む。
 爆発した時、傍にいたはずのボブ。
 もしあのままの位置関係だったとしたら、ボブの位置は……。
 視線を巡らし、そこを見る。
 一際大きなコンテナの分厚い壁面が突き刺さり、壁を作っている場所。
 ぞくりと得も言われぬ悪寒が走った。
「……大丈夫だよ」
 ダテの声も震えていた。

 落ち着きのないキイ。
 気遣わしげに何度もダテにかまう。
 ずきずきと痛む自分の傷より、ダテはその方が心配だった。
 いつだって、一人でみんなを守るために先頭にたって戦うキイなのに、何故こんなにも……。
 ダテにして見れば、先程までの勇猛果敢なキイからは想像できない彼に、戸惑いしか浮かばない。
 リオや他のみんなのことも心配だったが、今は目の前のキイが気になってしようがなかった。
 キイの視線が時折、コンテナの壁に向けられる。
 それは助けを求めるモノではない。
 誰かを探しているのだ。
 そこにはいないはずの誰かを。
「キイはボブが好きなんだ?」
 思わず口にした言葉は、驚きによって迎えられた。
 言われたことに呆然となっているキイに、ダテは違ったのかと不安になる。
「……好きって言われれば……そうかもね」
 しばらくしてぽつりと呟いたキイは、一瞬後に肩をすくめた。
「ダテちゃんってそういうことには鈍感だと思っていた」
 くすりと吐息で笑うキイはいつもの様子でほっとする。
「まあ……鈍いけどね」
「でも、ちょっと外れ。ボブってぼくにとっては憧れの人なんだよ。だから好き、かな」
「憧れ?」
「そう。ダテちゃんがリオに好きって言う意味と同じじゃないからね、念のため」
 くすくすと嗤いながら言う言葉には悪戯っぽい視線が付随していた。
 それにかあっと顔が熱くなる。
 思わず俯いてしまうと、キイがほっと息を吐いた。
「なんでかなあ……。ボブってリオに似てて、すっごいいい加減だろ。女癖悪いし、すぐさぼるし……。上官としては最低の部類に入るとは思うけど。でもさあ、子供の頃の思い出に縛られちゃって、どうしてもボブには憧れの念を抱いちゃうし、こういう時は心配で溜まらなくなるんだよね」
 しみじみと吐き出された言葉にふっと視線を向けた。
「子供の頃?」
 二人が割と中が良いのは知っていたが、子供の頃のつきあいだとは知らなかったから問うてみた。
「子供の頃、ボブが1年くらい近所にいたんだ。その時に出会っているのに、ボブときたらそのことを完全に忘れているんだよ。酷いだろ」
「忘れて?じゃあ?」
「もう腹が立つから、こっちからは絶対に言わないことにしているんだ。だからダテちゃんもばらさないでよ」
 くすくすと笑っているがどこか寂しそうだった。
「キイ……」
 呼びかけても返事はない。
 手を伸ばして肩に触れるとその肩が僅かに震えていた。
 思わずぐっと引き寄せていた。
「せめて思い出して……」
 聞こえるか聞こえないかのような小さな声がかろうじて届く。
「忘れてたこと、ごめん……って謝らせたいんだ……」
「無事だよ」
 抱き込んだ肩はダテより大きな体躯を持っているはずなのに、どこか小さく感じた。
18
 震えが伝わる。
 不安というモノは伝播してしまうのだろうか?
 キイの肩を抱いているとなんだかじわじわとした捕らえようのない感覚が胸の内に湧き起こってくる。
 それは、不快なほどに神経を苛立たせていて、今すぐにでもここを出ていきたい衝動に駆られる。
 その不安の源にあるのは、リオの不在。
 いまここにいないリオは無事なのか?
 キイがボブの安否を気遣うように、ダテにとってはリオの安否も気になる。
 先程まではキイを慰める方に意識がいっていたが、今キイはかなり落ち着いている。その反対に今度はダテの方の不安が増してきたのだ。
 だが、ここにはキイがいる。
 キイは友達ではあるが、階級からすればダテの方が上官になるわけで、その自分がキイにみっともない姿を晒すわけにはいかない。
 だが……。
 一度わき出した不安は、際限なくダテの心を浸食していく。
 マイクは壊れているのだろう。
 幾ら操作しても反応がない。
 いや、マイクだけではない。思った以上に装備のダメージが大きい。
 これが普通の作業服だと、今頃命はなかっただろう。
 ぞくりと震えが走った。
 寒い……。
 座り込んでいる床から、もたれているコンテナの壁から……しんしんと冷気が伝わってくる。
「キイ……」
 その感覚に呆然とキイに呼びかけると、キイも苦笑いを浮かべていた。
「コンテナ室の温調が壊れたみたいだね」
 キイの言葉にすうっと口元を引き締める。
「G?(3)装備でよかったよ。しばらくはしのげるから」
 寒いと言っても、動けなくなるほどではない。
 だが、際限なくもつというものでもない。
 温度変化には強いが……。
「空調は?」
 センサーが壊れているから大気の状態がわからない。
「まだ大丈夫みたいだ」
 キイの手が自分の装備を操作する。
 ダテのそれよりダメージが少なそうなそれに頼るしかない。
「とにかく、ここを出ないと」
 危機感が、どこかぼんやりとしていた二人を奮い立たせていた。
 他人の命を心配するより、まず自分が生き残らなければならない。
「このコンテナの壁……壁だけかな?」
 キイがこんこんと壁を叩く。
 何が何やらわからない崩れた物達の中で、はっきりと壁だとわかる場所。
 宇宙空間に放出されてもその形を保持できるように、結構な強度を誇るそれは素手ではどうにもならない。
「中に荷物がまだ入っていたとしたら危険かな」
 ダテの言葉にキイがくすりと笑う。
 ダテの意思に気付いたのだろう。
 自分達はヘーパイトスだということをこれほどまでに感謝したことはない。
 物を加工する。
 そのために必要な工具は常に身につけている。
「でも右手が利き腕だろ。大丈夫?」
 左手で不自由そうに工具を取り扱うダテにキイが手を貸しながら問いかけてきた。
「左手だから……っていうより、まだ遠近感が変だから……それでだよ」
「ああ、そうか……」
 キイとて左右どちらの手でも自在に武器を扱えるから、ダテの言葉に頷く。
「バーナーがないのが痛いけど、どっちにしろこんな狭い空間じゃ使えなかったかな」
 変わりに引っ張り出したのは、マイクロカッター。
 手のひらサイズのそれは、見えない刃で対象物を切断する。
 これなら……。
「あ、ぼく、それ嫌い」
 キイがひくりと体を震わしてダテの背後に回った。
「え?」
 驚いて、キイに視線を向けると、キイがえへへと笑う。
「それ、高周波、立てるだろ。なんでかその音、ぼく感知しちゃうんだよなあ……」
「聞こえるの?あの音が?」
 不思議そうに問いかける。
 ダテには、このカッターの奏でる音は聞こえない。
 見えない刃の正体は見えない音。
 超高温域の音の振動が固体の分子構造を破壊して、隙間をつくり、あたかも刃で切ったように物体を切断する。
「なんでか、その音だけ聞こえる。気のせいかも知れないけど、結構くるんだよ。もの凄く嫌な音でさ、ぞくぞくと寒気が走る程の音。耳塞いでも聞こえてくるし、最悪」
 心底嫌そうなキイには申し訳ないが、とりあえずここを脱出するのに一番手っ取り早い方法だ。
 ダテは、それを壁面にセットすると、スイッチを入れた。
「うわぁぁぁぁ」
 何とも言えない悲鳴がキイから聞こえる。
 歯を食いしばり、塞げない筈なのにヘルメットの上から耳を押さえていた。
 それに可哀想だ……とは思うけど。
 ダテは気を取り直して、カッターを動かし始めた。
 どうせしなければならないのだから、素早く作業して早く終わらせる方がキイのためだろう。
 コンテナの壁の厚みを計算して、ゆっくりと動かしていく。
 早ければ、壁を切ることはできない。
「うううぅぅ」
 絶え間ない苦痛の声に相当キイのダメージがきついような気がした。
 腕から伝わる痛みに堪えて作業しているダテより、その苦痛の色が濃い。
「キイ?」
「ご、ごめん……ほんと…だめなんだ……」
 絞りだすような声に、切断できるまでキイが持つのかが不安になってくるほどだ。
「急ぐから……」
 それでも亀の歩みのように遅々としたスピード。
 15分。
 それだけかかってようやく、壁が僅かについた状態で切断された。
 カッターを止めると、キイがずるずると崩れ落ちる。
「キイっ!」
 慌てて這いずっていくと、キイが虚ろな視線を寄越してきた。
「ははは……大丈夫……」
 体を起こすのを手伝いながら覗き込むと、苦笑いを浮かべていた。
「も……どうしようもないよね。どうも振動系の工具や武器はぼくにはむかなくって……」
 確かに……。
 マイクロカッターでこんなにもダメージを食らうのなら、その手の武器を持って戦うことなど無理だろう。
「それよりさ、切れた?」
 ちらりと窺う視線の先に、切った痕跡が薄闇にも判る程度には浮かび上がっている。
「切れたと思う……」
 自信がないのは思ったより分厚かったからだ。
 手応えが今ひとつ伝わってこなかった。
 それに安全を見てゆっくりと作業するほどの余裕もダテにはなかった。
「後はどうする?」
 キイの問いには答えずに僅かに残した壁にぺたりと粘着質の塊を貼り付ける。
「爆発させんの?」
 一瞬でキイがその正体を見て取った。
 濃い灰色の一見粘度の塊は、直径3mmで3cmほどの棒状の信管を突き刺せば、あっという間に遠隔操作可能な爆弾に早変わりする。
「……そう。最後まで切って、……こっちに倒れてきたらシャレにならないから」
 こちらに倒れることも考えて、最小サイズで切ってはみた。
 だが、一抹の不安もある。
 じわじわと伝わる痛みが強くなっているのか、その痛みが細かい思考を邪魔する。
「え?と……これでいいんだよね」
 はあっと吐き出す息には、痛みと熱と、そして自信のなさが乗っている。
 どちらかというと組み立てる方が得意だから、こういう破壊系の作業は苦手なダテはしばらく逡巡する。
 それを見かねて、キイがその手からリモコンを取り上げた。
「標準品のコンテナだよね。だとしたら、そのくらいの量で妥当だと思う。後は任せてよ。壊す方はたぶんぼくの方が得意だから」
「ああ、そうか……」
 押されるようにキイの背後に回った。
「んっ……」
 迂闊に手を動かしたせいで、きつい痛みが走った。
 体内を駆けめぐっていた薬の効用が薄れてきている。
 もうそれだけ時間が経ったのか……。
 キットに入っている薬は、最低限の効力しかない。持続時間も短い。
「ダテちゃん……痛む?」
 キイの心配そうな声に、微かに笑って首を振った。
「まだ、大丈夫」
 それが嘘だとはキイも気付いている。
 人間の体が痛みを誤魔化せる期間は、戦闘訓練の際に最初の段階で教育されるからだ。
 それを越えればより激しい痛みが襲ってき、そして怪我によっては発熱する。
 そのうち、神経が痛みに麻痺しても、今度は絶え間ない悪寒と気怠さを背負うことになる。
 簡易的な痛み止めはいずれ効果を無くす。
「薬、まだ効果はあるはずなのに?」
 痛み止めを打てば、痛みは消える。だが、痛くないからと無理をすれば薬が切れ始めるとさらなる痛みをもたらす。
 緊急時用の薬だから、即効性は高い。だが、それは麻薬に近い効能を持っていた。
 副作用はかなり改良され、常習性は軽減されている。しかしできれば使いたくないし、この薬は使用間隔が厳密に決められていた。
 それが2時間。
 それに薬は多用すると、その効果を半減させていく。
「後30分は我慢して」
 有無を言わせぬ口調のキイには逆らうことはできなかった。キイは年若いとはいえ、中学卒業してすぐに正式配属されている。実経験の差からくる力の差にはダテはただ頷くしかできない。
「じゃ、下がって」
 その言葉からきっちり3秒後、ボンッと小さな爆発音がした。
 指向性の強い爆発は後方には何の衝撃も残さない。
 が。
 ぐらっと壁が迫って来た。
「!」
 キイの手がダテの背を押す。
「っ!」
 しまった!
 バランスを失って慌ててついた右手が、激しい痛みを訴えて、ダテの体を地に沈めた。
「ダテちゃんっ!」
 その上にキイが覆い被さる。
 ドゥンっ!
 腹にくる地響きが、傷に振動を与え、それがさらに痛みを引き起こす。
 歯を食いしばり、蹲って堪えるダテをキイがそっと背後から抱き締めた。
「開いたよ」
 ぽつりと漏らされた声に、顔を上げると切った以上の壁が倒れ、空間が広がっていた。
 だかそれを一瞥しただけでダテは再び腕を抱えて蹲ってしまう。
 意識が痛みに捕らわれていた。
「相当痛そうだね」
 キイの手が腕に触れる。
 それだけで、歯を食いしばらないと漏れそうになる呻き声。
 迂闊に手をついたせいで、新たな傷を作ったのかも知れない。
 先程までとは打って変わったように、痛みに翻弄される。
「う少し我慢できる?薬、まだ早いから」
「……う…ん……だいじょーぶ……」
 無理矢理吐いて吸ってと意識的に繰り返して呼吸を整える。
「ごめん……」
「いいさ。でも、後一回分しかないからね、早くここを出ないとね」
「うん……」
 だが小さなキットに入っているそれは痛み止めには劇的に効くが、止血効果は少ない。
 さっきまで痛みに紛れていたのか、手のひらを液体が伝う感覚にダテは今更ながらに気がついた。
 動かすことできない手を見下ろす。
 ……早くしないともたない。
 直感的に悟った。
19

 どんなに気力で踏ん張ったとしても悪くなる顔色までは誤魔化せない。
 薄暗いコンテナの中でもはっきりと判るほどの顔色の変化にキイは気づいてしまったようだ。
「あまり動かないでよ」
 そっとダテを壁にもたらせて座らせる。
「ごめん……」
「何言ってんのさ。ぼくを庇って怪我したんだから、謝るのはこっちの方だと思うけど」
 悪戯っぽく笑うキイにダテの口元も綻んだ。
「ああ、それとこれ……。この通話装置は5m離れたら使えなくなるから……気をつけててね」
 指さすのは緊急用の装置だ。
 ダテはこくりと頷いた。
 マイクが壊れた今、離れたキイと話をするにはこれしかない。
 ダテの傷が思っていたよりひどいと気付いたキイは、先程までの狼狽ぶりはどこかに消え去ったかのように率先して動き始めた。
 いや、これがもともとのキイなのだ。
 弱々しかった瞳に力が宿る。
 キイがゆっくりと開いた空間に足を踏み入れる。
「広いね。中身があまりなかったコンテナの中だよ。少し変形しているけど、コンテナ自体は無事なようだ。ということは、この出入口が外かな?」
 こんこんと叩くとなんとなくだが空洞がその先にあるような気配だった。
「開ければ出られるかも」
 その言葉にのろのろとダテも移動してキイの方を窺うと、キイが逡巡していた。
 どうやって開けるのか?
 マイクロカッターが苦手なキイには、それを使う術は端から頭にないはずだ。
 爆発させるのかな……。
 ふと何気なく、コンテナの奥まった方を見た。
 何かないかと……そう思ったからだ。
 そうして見てみれば確かに広い。
 普通のコンテナの2倍はありそうだった。
 が、中はほとんど空で特に荷物らしい物はない。なぜこんな無駄な空間があるのかが不思議だった。
 と、出入り口から反対の奥に仕切のような壁があってそこから灯りが筋のように漏れていた。
 灯り?
 じっとそこを凝視していると、時折ふっと光が遮られる。
 一度目は見間違いかと思った。二度目に目を凝らし、三度目に確信する。
 何かがいる?
「キイっ」
 小さいが鋭い呼び声に、キイが急いで戻ってきた。
「何?」
「あれ……」
 左手で指さすとキイもすぐにそれに気付いた。
 途端に一瞬にしてぴんと空気が張りつめる。
 キイの瞳が一瞬にして鋭く厳しい光を放った。
「ダテちゃんはここにっ」
 喋る言葉は低く鋭い。
 沈黙が支配すると、何かがいる奥の方から時折水の音が聞こえた。
 水……。
 こんなところで……。
 ふっとキイがダテに視線を送ってきた。
 それが来いと言っているようで、ダテもそっと足を進めた。
 数歩で待っていたキイの隣に立つ。
 漏れていた光は小さな窓にかけられていた蓋の隙間。それをキイが開ける。
 キイが顎をしゃくって、その場所を指し示した。
「……」
 ぱしゃ……。
 微かな水音が響く。
 そして砂。
 コンテナの半分を仕切って作られた別世界。
 うすらぼんやりとした視界でもダテには何故かはっきりと見えているような気がした。
「これは……あれを運搬していたコンテナ?」
「そうみたいだね」
 ふうっとついたため息は、どういう意味なのか。
 たぶんついたキイ自身にも判らないだろう。
 あの植物が元々いた世界を模倣して作った空間。
 小さな水溜まりとも言えるような池の横に、1メートルほどのその植物がいた……いや、ある、と言った方がふさわしいだろう。
 それは何かを探し求めるかのように触手をゆっくりと動かしながら、そこに立っていた。
 柔毛に覆われた肉太の枝葉。
 濃い緑色のその枝葉の先端が長く伸びて水面下にある。
 水音は、微かに揺れる触手が水面を打つ音。
「とてもあのパワードスーツを動かすとは見えないね」
「そうだね」
 自ら動く意思を持つとは思えないそれ。
 何を思ってこの植物を生まれた地から移そうとしているのか?
 元いた土地にいればこんな惨劇は生まれなかったかも知れない。
「ね、ダテちゃんっ!あれ、凍り始めている」
 キイの声に慌てて覗き込むと、確かに中の様子が変だ。
 徐々に薄れる灯り。
 そのせいでそれでなくてもよく見えないダテにとって、ひどく見にくい。
 いや、窓自体も白く曇ってきている。
「バックアップ電源が壊れて空調が死んだんだ……」
 動いていたせいで忘れていたが、すでに周りの気温は氷点下まで下がっていたはずだ。
 リオはこの植物のことを何て言っていた?
 確か、砂漠にすむ生き物だと……。
「助からないよ、あれは……」
 凍った組織を元に戻すことは難しい。
 あれは、そう間を置かずに枯れてしまうだろう。
「暴れていたパワードスーツは、爆発しちゃったし、問題のマシンガン並の噴出力をもつ植物は枯れちゃたし……。これって、原因追及されて答えられるの?」
 ……。
 キイの言いたいことが何となく判った。
 今回の顛末をどうやって上層部に伝える?
 証拠となる物をすべて壊してしまった今、状況でしか伝えられない。
 ヘーパイトスやアテナの司令部はまだいい。
 きっと自分たちより、よく判っている。
 問題は……そこに至るまでの間の……方々。
 確かにキイの問いはその通りで、ダテは眉間にしわを寄せてう?と唸っていた。
 リオが無事だとして……いや、きっと無事だと思う。
 だが、そのリオが今回の件でどのように上層部に報告するのか?
 修理に来て全く別のコンテナ室を破壊してしまったのに……。
 しかも非公開情報の件で……。
 ぞくりと悪寒が走る。
 怪我のせいではないとはっきり判るそれに、ダテは苦笑いを浮かべながらキイに尋ねた。
「これ……終わった後、しばらくキイの所に入り浸っていい?」
「……怪我の手当が済んだらいいよ。ほんと籠もるのもいいかも」
 キイも肩をすくめて了承した。

「で、誰が籠もるって……」
 金属音がした。
 慌てて振り返る間もなく聞き慣れた声が飛んでくる。
「リオ……」
 先程の音はコンテナの出入口が開く音か……。
 目前につかつかと歩み寄る愁眉端麗な顔。
 もしかして……という不安は常に合った。だから逢えたのは嬉しいはずなのに、ダテの足は下がっていた。
 何となれば、リオの顔が怒りに満ちているからだ。
 な、何なんだ……。
 思わずリオから逸らした視線の先でキイがボブに絡んでいた。
「ボブ!生きてたんだっ!」
「誰が死ぬか、こんなところで」
 ばしばしとキイを叩くボブが、ほっと安堵の色を浮かべている。
「もう……」
 文句を言いながら、キイの声は嬉しそうだった。
 呆然とそちらを見ていたから、気がつけばリオが真正面にきていた。
 ずりっと後ずさる間もなく逃げられないようにがっしりと肩を捕まれ、ダテは視線だけを逸らした。
「お前は?、何一人でこそこそしてるんだよっ!」
 こ、こそこそ……。
 急に体から力が抜けてしまった。
「別にこそこそしたくてここにいたわけではないです……吹っ飛ばされたんです」 ため息をつく暇もなく、リオがぐっとダテの顔を上げさせた。
「あんな爆発ぐらいで吹っ飛ぶんじゃねーよ。ったくどこに行ったのかと思ったら……」
 あんな……って言ったって……。
 吹き飛ばない方がおかしいと思う……。
 相変わらずだ、この人は。
 だが、さすがに文句の一つ言ってやろうと、視線をリオに向けたとたん、至近距離にリオの蒼白な顔色が目に入った。
 眉間に深いシワが入るほどきつく眉根を寄せ、すがめられた目がじっとダテを見つめている。
 どきりと心臓が鳴った。
「リ……オ……」
 途端にぐっと抱き締められた。
「このバカっ!ドジっ!勝手に俺の傍から離れるんじゃねーよっ!」
 抱き締められているせいで触れあったヘルメット越しに直接声が届く。
 抱きしめられた腕が微かな震えを伝える。
 リオの顔がダテの肩に埋められたせいでその表情を窺い知ることはできない。
 だが、その震えがリオの本音を吐露していた。
 あ……。
 心配してくれたんだ……。
 ぎゅうっと抱き締められるその力を幸せだと感じてしまう。
 涙腺が緩んで今にも溢れてしまいそうになっていた。
「すみません……」
 思わず声が漏れた。
「謝ったって許すかよ」
「リオ……」
「帰ったら、覚えてろよ。どんなに謝ったって許してやらない……俺の傍から離れたらどういうことになるか、もうその体に覚え込ませてやるっ!」
 ぴくりと震える体。
 気づかれただろうか。
 息が上がる。心臓が鳴り響く。
 立っているのが辛いのは……なぜだ?
「帰ったら……速効で俺の部屋に閉じこめてやる……」
「あ……」
 かあっと熱くなる体が崩れそうで、思わずリオの体に縋り付いた。
「ちくしょーっ!ヘルメットが邪魔だっ!」
 リオは一言吐き捨てると、ふっとダテの体から手を解き、そして再度抱き直した。
「ダテ……」
 甘く囁く。
 が。
「うっああぁぁぁぁっ!」
 ダテの口から漏れたのは、色気も素っ気もない叫び声だった。
「お、おいっ!」
 慌てたリオがはっと手を離すと、ずるずるとリオの体を伝うようにしてダテの体が崩れ落ちていく。
 痛い……痛い……。
 激しい痛みが腕から全身へと伝わる。
 抱きしめられたとき、リオの手が傷口を強く押さえたのだ。
 切れかけていた薬はその痛みを誤魔化してはくれなかった。
 叫び声は無意識だ。
 意識は、ただ「痛い」と繰り返していた。
「リオっ!ダテちゃんは、ひどい怪我してるっ!」
「ばかやろーっ、そーゆーことは一番に言えっ!!」
 キイとリオの悲痛な叫び声すら、ダテの耳にはもう届かなかった。
20
 覚醒は唐突だった。
 見開いた視線の先には白い天井。
 ──ここはどこだろう……。
 目はいきなり覚めたのに、頭がはっきりしない。
 体を動かすことができなくて頭だけを巡らすと、右腕が肩のところから見覚えのある装置に包み込まれていた。
 丸太のような形が腕を覆っていて、それは、正式名称はやたらにごつくて長い名前なのだが、一般には簡単にキュアーと呼ばれている物だった。
 特殊な薬液と電波と温度と酸素の管理で細胞の活性度を上げて、治癒力を高めるのだ。
 それに包まれているせいか、それとも麻酔でも効いているのか、腕から先が自分の物ではないような感触。
 キュアーから腕が外れないようにだろう、上半身はベッドに拘束されていた。だから動けないのだ。
 キュアーがあるということは、病室なのだろう。
 だが見渡しても、他にベッドはない。あるのはたくさんの機械。
 心拍数と呼吸数が記録されているモニターくらいは判るのだが。
 ここは……どこだろう……。
 誰も傍にはいなかった。
 キュアーにつなげられている以上、自分の力では動くことはできない。
 ただ、顔だけを動かして様子を窺っていると、ドアの開く音に気付いた。
 そちらに視線を向けると見知らぬ男性が入ってくるところだった。
 思わず目を見張った。
 すらりとした細身の体に明るい色の金髪、そしてダテのピアスと同じ色のエメラルドグリーンの瞳。
 小ぶりの頭にバランスのよい顔立ち。
 少なくとも工作艦カベイロスの人ではない。
 リオに負けじ劣らずの顔立ちがにっこりと微笑む。
「気がついたようだね」
 医者?
 彼の肩に医療を司るアフロディーテ司令部の象徴をモチーフにしたエンブレムが見えた。
 やはり病室なのか?
「ここは?」
 ぽつりと呟くダテに、彼はその笑みを絶やさずに答えた。
「救急医療センターだよ。医療船ケフェウスにある」
「ケフェウス?」
 そういえば、アテナに派遣されている医療船がその名だったと思い出す。
「私は、外科を担当しているセイレス・コーン大尉だ。セイレスと名で呼んでくれればいいからね、ダテ中尉」
「あ、はい……」
 何気なく返事をしていたが、頭はまったく別のことを考えていた。
 ここに運ばれたということは、何もかも終わったと言うことなのだろうか?
 どういう状況に陥って自分がここにいるのかが判らない。
 リオに抱き締められた所は覚えている。
 激しい痛みが全身を襲ったことも。
 でも、その後……から記憶がない。
「あの……みんなは?」
 何も判らない状況というのは、不安だ。
 みんなに聞けば、何か判るのだろうか?
 だが、セイレスは微かに首を振ってから、ベッドの縁に腰掛けた。
「皆さん、たいした怪我はしていないから一度カベイロスに戻って貰ったよ。君の容態をひどく心配していたけれど、彼らはそれぞれに後始末があったからね。君の意識が回復したら、連絡するとは言っておいたから」
「そう、ですか……」
 無事なのは喜ぶべき事だけど、また一人ぼっちに取り残されたのだと、それが胸を締め付ける。
「心配ごと?」
 セイレスがちらりとモニターを見遣る。
 心拍数が変化していた。 
「……いえ……」
 言える物ではない。
 一人で病室に残されるのが嫌などとは。
 その原因をつくったあのリンドバーク医師くらいになら毒づくこともできるが。
「まあ、今日は無理としても、明日には誰か来てくれるよ。みんなひどく心配していたからね」
「はい」
 思わず返事をして、かあっと頬が熱くなった。
 その声が弾んでいたのだ。
 不安を見透かされていたのかも知れない。そう思うと羞恥にいたたまれなくなる。
 そんなダテに、セイレスはくすりと笑うと、すっとその指でキュアーを指さした。
「君の怪我は、全治1ヶ月。ここから出してあげられるまでには1週間を要するからね。それくらいは寂しくても我慢してくれないと」
「……」
 もしかしなくても、この人も結構意地が悪い?
 言葉使いは丁寧だが、根底には流れる物がリオに通じているような気がする。
「爆風で飛ばされたと聞いたけれど、その時に骨折してたんだよ。傷口も開いててね。その後、いろいろ無理をしたから、その傷が広がっちゃってて……君の腕から装備を外したら、中は血の海。君の仲間達もさすがにそれを見て蒼白になっていた」
「そんなに……」
「ついでに言うと、皮膚からは折れた骨まで見えていたしね。幾ら痛み止めをつかったからといって、よくもまあ動けたものだと感心するね」
「……」
 露骨な表現にうっかりその状態を脳裏に浮かべてしまった。
 顔をしかめるダテにセイレスはくすくすと笑う。
「そういう訳で、しばらくはキュアーにつながっていて貰うよ。一週間もすればギプスにして、君の船に戻っていいから。あ、それと視力は異常なし。よかったね、視神経はダメージを受けていなかったら、もう見ることには問題はないだろ」
「はい……」
 こくりと頷くと、セイレスは途端に悪戯っぽい笑みを口元に浮かべた。
「ところで君、第六世代なんだって?」
 ぐぐっと身を乗り出して来られて、ダテはひくりと引きつった。
 リオと張り合えるくらいの整った顔立ちが、10cmと離れていない所にある。
 翠の瞳がダテを捕らえる。
「あ、あの……」
 声が震えていた。
「トシマサ・ダテ中尉……ヘーパイトスの次期司令候補。ぼくは昔から君にたいへん興味を持っていたんだ」
 改まった言葉遣いが消えたそれ。
 馴れ馴れしいという感じはなかったが、その分戸惑いは隠せない。
「え、ええ……昔って……そんな年じゃないですよね……」
 どう見ても、ダテとはそう変わらない。
「年は君より3つほど上かな。実はぼくはヘーパイトスのコーダンテ司令とは親戚なんだ」
「へ?」
 あまりのことに頭が真っ白になる。
 まじまじと見つめ返すと、セイレスがくつくつと笑い出した。
「そんなに驚くこと?どっちかっていうと知らないって言う方がぼく的には結構ショックなんだけど」
「え、あ……」
「まあ、昔逢ったときは、まだ中学生くらいだったかな。君って、親戚づきあいなんかほとんどしていなかったろ。ずっと寄宿舎に入って帰ってなかったし。だから、ぼくも噂しか聞いたことなくて……あの伯母さんがやたら君のこと誉めちぎるもんだから、ずっと君に嫉妬していた」
「……伯母さんが……」
 だから嫌だったのだ。
 あの伯母はダテが傍にいると、とにかくダテを誉めちぎる。ダテこそが自分の後継者だと言ってはばからない。それがたまらなく嫌だったから、親戚が集まることがあっても決して自分からいく事はなかった。
 だけど、こんな目立つ顔立ちをしている人が親戚にいたとは知らない。
 興味がないことだから、記憶も曖昧と言ってしまえばそれだけだけど……。
「伯母さんの亡くなった旦那さんの弟がぼくの父親。まあ……近いようで遠い親戚だけどね」
「……知らないです」
 確かに、知るわけがない。
「で、まあ……君のこと、いろいろと噂とか聞いていたんだけど、実際はたいした噂を聞かないし……かといって、あの伯母が口からでまかせを言うはずもない。で、思い切って伯母さんに直接訊ねてみた。本当に優れているのかどうなのかって」
 セイレスの手がすうっとダテの頬に触れてきた。
 するりと触れるか触れないかの状態でその指を滑らす。
 振り払いたいのに、動く方の手はいつの間にかもう一方の手で上からベッドに押さえつけられていた。
「そうしたら、あの伯母さんは笑い飛ばして言ってくれたよ。『そんなに気になるなら、トシマサの傍に言ってみたら』ってさ。だから、君がこの艦隊に派遣されたのを知って、ぼくもこの艦隊に派遣されるように伯母さんに頼んだんだ」
「えっ?じゃあ、コーン大尉がここにいるのって……」
 問いかけた途端に、ぐっと手のひらで口と鼻を塞がれた。
 息を止められ、驚きに見開いた視線の先で、セイレスがムッとしている。
「セイレスで良いって言ってるだろ。ぼくは名字で呼ばれるのが嫌いなんだ。なんか間が抜けてて」
「う、うう……」
「だから君もセイレスって呼んでよ」
 息が苦しくて、とにかく離して欲しくて目線で頷く。
「判った?」
「んぐ……うう」
 こくこくと頷いているのにようやく気付いてくれたようで、口と鼻を塞いでいた手が外された。
 新鮮な空気が肺の中で一気に汚れた空気と入れ替わる。
 眉間にしわを寄せてぜいぜいと肩で息をするダテを至近距離で見下ろしながら、セイレスは真顔で言った。
「じゃあ、呼んでみて?」
 ここで何のことだ?と伺う気は毛頭なかった。
「……セイレス?」
 掠れた声で呼びかけると、セイレスは再びにっこりと微笑んだ。
「よくできました」
 その言葉が間近で聞こえた。
「?」
 呆然としているダテの唇が柔らかく塞がれる。
 ちゅっと軽い音を立てて、それが離れてから、ダテはようやく我に返った。
「な、何を!」
 固定された体をそれでもベッドに深く沈めることで、目前の男から逃れようとする。
「これは単なるご褒美。君が最近は気になってしようがなかったから、こういう状態とはいえ逢えて嬉しかったよ。ここに来てリオとの噂を聞くにつれて興味が深くなった。何より、第六世代というものにもとても興味があったし。それが遠いとはいえ、親戚にいるなんてね」
 再び頬に触れてきた指に、寒気が走る。
 ぞくりと総毛立つような悪寒のせいで体が震えた。
「あれ、寒い?震えているけれど……」
 にこりと首を傾げる様は、艶やかという形容詞がふさわしい。だがその中身ははっきり言ってリオより質が悪い。
「それに君がここにいると、いろいろな第六世代と接触できそうだ。楽しみだよ」
 第六世代……と聞くと、ケインの顔が浮かんだ。他にもいるのだろうか?
 だが、このセイレスの関心の持ち方はひどく不快だった。
 まるでモルモットだ。
 ダテが第六世代だと気付くと、周りの人間の目が少なからず好奇の目になるのは気付いてはいた。それがなかったのは、リオとその周りの人々だけだったと今更ながらに気付く。
 だが、ここまではっきりとそれを口にされたのは始めてだ。
 ひどく不愉快で、そしてそれを平気で口にするこの男が恐ろしかった。
「私に……触れないで……」
 顔だけを背ける。
 それでも追いかけてくる指。
「どうして?ぼくは君が気に入ったよ」
 くいっと背けた顔を元に戻され、再び唇を塞がれる。
「んっ!」
 ぐっと押さえつけられ、振り解くこともできない。足だけがじたばたとシーツを蹴飛ばすが、セイレスの所までは届くことはなかった。
 嫌だ……。
 リオとのキスはもっと甘くて気持ちよかった。
 だが、セイレスのは何も感じない。それどころか、ぞわぞわと悪寒だけが全身を支配する。
「…やめ……っ!」
 声で制止しようとして口を開いた途端に、舌を入れられた。
 慌てて舌で押しのけようとすると、今度は逆に絡め取られる。
 舌の先の敏感な部分に歯を当てられ、引き抜くこともままならない。
「う……うぅ……」
 唸る声が喉から漏れる。
 それでもセイレスはダテを解放しようとはしなかった。
 息が苦しい……。
 呼吸もままならなくて、頭が酸素を欲してぼうっとなってくる。
 それほど長い間口を塞がれていた。
 舌が絡まることで、溢れた唾液がシーツに染みを作る。
 目尻からこぼれた涙がダテの黒髪を濡らしていた。
 さんざんダテの口内を蹂躙したセイレスがようやく体を起こしたときには、ダテにはもう逆らう気力が消え失せていた。。
「かわいいね、君は。もてるのも判る気がする」
 もてる……。
 ぼんやりとした頭がその言葉に反応した。
 虚ろな視線がゆっくりとセイレスを追いかける。
 そのセイレスは、ベッドの横のパネルを操作していた。
「少し、寝るといよ。まだまだ君のダメージは大きいから」
 途端にすうっと睡魔が襲ってくる。
 くすり……。
 睡眠剤を入れられたのだと気付くと同時に、ダテの意識はぷつっと途切れた。

続く