ガムテープ

ガムテープ

 幹人(みきと)が風呂に入って出てくると、梱包用のガムテープが、ベッドの上に転がっていた。
 そう言えば、昼間にホームセンターに行っていた竜城(たつき)が、寝室に篭もってずっと何かをしているようだった。
 その竜城はまだ何かしようとしているのか、袋の中を探っていた。
 一体何を買ってきたのやら。
 その横顔がずいぶんと嬉しそうで、幹人もつられて口元をほころばせた。
 恋人が楽しくしているのを見るのは好きだ。
 背後から覗き込み、袋の中を見る。
 だが、その中身は細いロープやら鎖やら。
 何の目的で買ってきたのかとんと判らない。
「なんかするの?」
 訝しげに問うても、竜城はにやりと口の端を上げただけだ。
 だが。
 何を思う間もなく、幹人の体がびくりと跳ね上がった。
 得も言われぬ恐怖心が遅れて迫り上がってくる。
「どうしたんだ、ミキ?」
 立ち上がって振り返った竜城の顔は笑っていたけれど。
 その手に握られている細い鎖はなんだろう?
 幹人の瞳が、銀色に鈍く光るそれを注視する。
 金属が擦れる音が、音のしなくなった部屋に甲高く響いた。
「たつ…き……さん、それって?」
「可愛いミキを見たいんだよ」
 静かな声だった。
 だが、微かな笑みと瞳に込められた熱が、幹人を縛る。
 半歩後ずされば、竜城が一歩前進する。一度魅入られてしまった体は、幹人の制御を意図も簡単に無視する。思うように動けないままに、伸びてきた手が幹人の手首を掴んだ。
「今日は、もっともっと可愛い姿を見せて欲しいからね、ん?」
 優しく乞う竜城の手の中にある鎖。
 手の甲に幾重にも巻かれた鎖が、ゆっくりと目の高さに上げられて、すぐ前で外されていく。
 輪が解かれて音を立てて、鎖が伸びる。
 そんなに太くない。
 5mmほどの細かい輪が、幾つも繋がっている。
 強く引っ張れば千切れてしまいそうな、飾りのような鎖。
「綺麗に飾ってあげるよ」
 鎖を握った手のひらが幹人の頬に添えられた。
 ゆっくりと頬を撫で下ろし、顎を上げさせる。
 竜城の手のひらは顔を顰めるほどに熱く感じたのに。けれど、身震いするほどに鎖は冷たかった。

 

「ひっ……あっ……」
 幹人の熱を奪った鎖が鈍色に光る。
 肩から胸へ。両の腕を後ろ手に縛り付け、鎖はさらに腰へと回されて、大腿に絡んでいた。
「こっちへおいで」
 体を幾重にも飾ってもまだ余るほどに長い鎖の端を引っ張られて、幹人はもつれるようにベッドへと転がる。
 チャリと耳元で擦れる音がした。
「ん、あっ……っんく」
 身動きしづらい体勢だというのに、竜城が容赦なく引っ張って、鎖が股間を滑る。途端に、びくびくと体が震え、幹人の喉からあえかな悲鳴が零れた。
「痛いか?」
 顔を顰めて覗き込む竜城に、幹人は「ちがう」と小さく呟く。
 痛みなんかないのだ。
 強く会陰を擦られて、声が我慢できなかっただけ。
 器用な竜城の手にかかれば、単なる鎖が幹人を責め立てる性具へと早変わりする。
 しかも、こんなもので、という思いが、幹人をより敏感に反応させていた。
 目の前でベッドヘッドの隙間を使って鎖の端が強く結わえられた。さらに解けないように、ガムテープで端を止められる。
 あの袋の中身は、全てこのためのものだったんだろうか……。
「その昔、神話の時代に生け贄は鎖によって逃れぬように縛られたと言うが……」
「んっ……やっ……」
 鎖に擦れていつもより赤く色付いた胸を指先で嬲られ、逃れようと体が仰け反る。だが、鎖の縛めは、それすらも許さなかった。しかも、突っ張った鎖が幹人の肌を擦り上げる。
 刹那、幹人が欲情に染まった目を見開いた。
「ひっ、やあっ……ぁぁ」
 喉から、甘い嬌声が零れた。
 堪らずにうごめく体にさらに食い込むのは、竜城が故意に作った結び目だ。
 それがあるのは竜城によって開発された性感帯の場所。
 ぞわぞわと肌の内側を走り回る快感に堪らずに動けば、さらに鎖が性感帯を嬲る。
「い、やぁぁぁ……」
 鎖は、その役目を十二分に果たしていた。
 囚われの恋人は予想以上に竜城を楽しませ、堪え切れそうにもない興奮の渦に連れて行く。
 いつもは理知的な紳士の瞳が欲情の炎を燃え立たせ、引き結ばれていた唇が笑みを絶やさない。
 ぺろりと赤い舌が唇を舐めた。
 捕獲者にとっては至福の時だ。その手が、意図を持って鎖を引っ張る。
「あ、あぁぁん」
 甘い声を放つ幹人はすでに快楽に朦朧としていて、虚ろな視線を向けていた。
 鎖に引っ張られるがままに近づいて、視界いっぱいの竜城に気付いて幹人は笑みを浮かべた。
「た……つき……さ……」
 与えられる快感をさらに欲し、乞うように最愛の恋人の名を呼ぶ。
 細い鎖のみを纏った体を晒し、自らを苦しめるように胸の鎖を引っ張った。
「あ、はぁ……」
 走り抜ける快感に、喉を晒す。
 しとどに濡れた幹人の雄は、さっきから触って欲しいと震えていた。
 なのに、竜城はいつまで経っても見ているだけだ。
 あんなにも欲情に満ちた瞳で見つめているのに。
 冷静な態度をとり続ける竜城の衣服は、未だ一糸も乱れていない。
 それがまた口惜しい。
「竜城さぁん?、たつ、き、さっ……ねえ……」
 後ろ手になっているせいで自分では触れられないのに。
 竜城だけが、幹人を達かせることができるのに。
 何もして貰えないと判ると、激しい焦りが胸の内に湧いてきた。
 欲しい。
 竜城が欲しい。
「ね……竜城さん……来て、ねぇ……」
 甘い声音を出し、必死になって竜城を誘う。だが、竜城は微かに浮かべていた笑みをさらに深くしただけで、一向に動こうとしなかった。
 竜城とて感じていない訳ではない。
 だが、そんな素振りなど露とも見せない。
 こうと決めたら、絶対にやり遂げるほどに頑固な竜城のことだ。
 幹人にしてみれば、そんな彼が動くきっかけを探すことしかできない。
 何かをすれば、あるいは何かを言えば、竜城は動く。
 過去の経験から、幹人は知っていた。
 だが、じっと見下ろす竜城を窺おうとしても、動けば走る快感に思考が邪魔される。
 何かヒントになる物がないかと周りを探ることもできない。
 幹人は甘い拷問に涙を浮かべて喘ぎ続けていた。
 もうどのくらいそうしていただろうか?
 あぐらをかいて幹人を見下ろす竜城の姿勢は変わらなかった。
 ただ、幹人の方も性感帯を鎖で嬲られていると言ってもそれだけなのだ。一番感じる陰茎や前立腺を刺激されている訳ではないのだ。
 じわじわと絶え間なく続く快感とは言え、単調なそれはいつしか慣れてしまう物。
 もっと強い刺激が欲しいのに、自分一人ではもうどうしようもなくて。
「や……あぁ……」
 達きたい。
 身悶え、自らを擦りつけて、涙混じりの視線を竜城に向けた。
「たつ……き……、ねえ、来てよ……解いて、抱いて……」
 思考は快感を追うことにとらわれ、深く考えることができない。
「ね、来て……」
「ミキ」
 懇願し続けた幹人に、ようやく竜城が動いた。
 手が、ベッドヘッドに伸びた鎖に触れる。
 途端に幹人に甘い期待が込み上げた。
「あ?」
 高い位置にある顔を見上げれば、涙がつぅと頬を伝った。溢れた涙は視界を遮り、竜城の姿を歪ませる。それでも必死になって竜城を見据えて、言葉の続きを待った。
「求めてごらん」
 竜城が言う。
「ミキの可愛い口で、必死になって”助けて”って……言って欲しいんだけどな」
 指先が赤く濡れた唇を辿っていく。
「言ってごらん」
 促すように唇を押して開かせて。
 言葉を誘う。
「た……すけ……て?」
 何故その言葉を欲するのか、混濁した意識でも疑問として浮かんだけれど。
「そう、可愛いよ、もっと言って?」
 掠めるように施された口付けに、頭の中が白く爆ぜた。
「た、すけて──助けてっ、助けて、竜城さんっ!」
 シャリシャリと鎖が鳴る。
 竜城に縋ろうと体を無理に動かしたせいで、鎖が強く引っ張られた。
「助けて、助けてよぉ、竜城さんっ!」
 言葉が幹人を煽る。
 本当に竜城に助けて貰わないとダメなのだと、背後から何かに迫られているような恐怖に襲われていた。
 だから、必死になって竜城を呼んだ。
「竜城さっ! 竜城っ!」
 ガシャッ!
 肌を走った痛みをモノともせずに擦り寄った。
 音と共にがくんと前のめりになった体が大きな手で受け止められる。
「ミキ……素敵だ、ミキ……」
 陶酔しきった声音が頭上から振ってくる。
 抱きしめられ、ベッドに押しつけられて。
 貪るような口付けに、全身が小刻みに震えた。
「ん、むふっ……ん……」
 呼気すら奪われそうなほどの口付け。強く押しつけられた腰の確かな存在。
 腕の鎖が外され、いつにも増して性急な竜城が、幹人の後孔を性急にまさぐる。
「やっ、いたっ」
「ごめんな、けど俺も…苦しい……」
 眉間にくっきりとシワを寄せ、切なげに見つめてくる竜城に、幹人も慌てて首を振った。
「いい、俺も、早く……ほし……」
 それも事実。
 痛みなどどうでも良いほどに竜城が欲しくて堪らなくて。
 ベッドに滴るほどにたっぷりと落とされたローションの助けを借りて、竜城が一気に腰を進める。
「あ、ああぁぁ!」
 広げられる痛みは、最近はなかったもの。
 だが、それでも止めてくれなどとは言えなかった。
 それよりも、もっと、と足を絡めて竜城に腰を擦り寄せる。
 二人の間にある鎖が、いつもと違う感触を肌に与え、そんなことにすら煽られて、いつも以上に体が高まっていく。
「た、竜城っ!」
「ミキ……可愛い、ミキ……」
 白く爆ぜる。
 何度も何度も。
 堪らなくて、何かに縋りたくて。
 壊れるっ!
「いゃぁぁぁぁっ!」
 目の奥に閃光が迸った。
 どくんと腰が激しく震える。
 全身が硬直して、ぎゅうっと縋れるモノに縋り付いた。
「あっ……あっ……あぁぁ……」
 いつまでも続く解放感。
 止めて欲しいと願うほどに。
 怖かった。奈落の底に引きずり込まれそうな気配が、さらに恐怖心を煽った。
「た、たつき……、あん たつきさぁん……助けて……た、すけてぇ……」
「ミキ、大丈夫だ、ミキ」
 優しい声が、幹人を包み込む。
 震える体を抱きしめられ、あやすように背を撫でられた。
 頬を伝った涙は、柔らかなモノで掬われた。
「大丈夫だよ、ミキ。何があっても俺が助けるから。だから、大丈夫だよ」
 繰り返される優しい言葉に、幹人はようやく微笑んで、ゆっくりと意識を手放した。
 
 
 鎖に彩られた裸体が白いシーツで踊っている。
「って……いつの間に?っ!」
 正気に戻った後、必死で忘れようとしているのに、そんな苦労を嘲笑うように竜城が写真アルバムを見せたのだ。
 そこには、縋る幹人も含めて、数十枚のいろんな痴態を晒した幹人が映っていた。
「竜城さんっ!」
「最近のビデオカメラは高性能だね。暗くてもちゃんと映っている」
 笑みを浮かべた竜城が指さすところを見れば、ドアの上の辺りにクローゼットと壁の隙間に突っ張り式の棚があった。その上に何があったかは、残ったガムテープの痕と竜城の言葉に窺い知れた。
「い、いつの間に……」
「ぜひともミキの可愛い姿を撮りたくてね」
「……」
「それに、ミキの柔肌に無骨な鎖が這う姿というのもぜひ見たくて」
「……」
 にっこりと微笑みながら言われて、幹人はぱくぱくと何かを言おうとしたけれど。
「……何でそんな事思うんだよ……」
 かろうじて絞り出した言葉とは別にぼんやりと考える。
 だんだん竜城が壊れていくような気がする。
 だが、そんな竜城の前で悶え狂った自分も相当壊れている。
「なんか……とってもヤバイ方向に進んでいるような……」
 唸りながらに呟けば、竜城がくすりと笑いながら、首を振った。
「幹人は責められると可愛いからするんだよ。可愛くならないことはしないから、安心して良いよ」
 と言われても。
 鎖に彩られた自分のどこが可愛いのか、幹人にはさっぱり判らないのだから、竜城の言葉に安心はできなかった。
 ただ。
 数日後、本棚で見つけてしまった「緊縛」特集と銘打たれた雑誌。
 幹人は有無を言わさずに燃えるゴミに詰め込んで、回収に出したのだった。
 
 もっとも、二ヶ月に一回発行のそのシリーズを、竜城がかかさず購入しているとは、幹人もさすがに気が付いていなかった。
 
【了】