【鬼の居ぬ間に……】

【鬼の居ぬ間に……】

 怒ってる……。
 一見すると無表情のいつもと変わらぬ家城純哉ではあったが、隅埜啓輔の目には、彼が内包する怒りがはっきりと映っていた。
 何で?
 と、内心引き連りながらも考えるが、いっこうに心当たりが無い。
 確か昨日の夜、会社で別れたときには機嫌は悪くなかったはず。
 けれど、昼間に所用を済ませてやってくれば、すでに機嫌は最悪のようで、何を言っても冷たい一瞥くらいにしか反応が無い。
「え?と……俺、言ってたよな」
 せっかくの土日ではあったが、幼なじみが帰ってきているから一緒に買い物に行くので夕方にならないと行けないという話は了承済み。
 何しろ、未だたくさんお世話になっている佐山の家の息子なのだ。
 邪険にもできないし、何より啓輔も会いたかった。
 一つ上の大学生四年生。
 前にあったときよりさらに細くなったのを突っ込めば、困った顔で笑っていた。昔からちょっとひ弱な優しげなお兄ちゃんの姿は変わっていない。
 懐かしさと共に、ほんの少し食指が動いたのは、仕方がない……として……。
 そこまで考えて、啓輔の動きがはたっと止まった。
 純哉にはそのことを言っていた、よな。
 買い物行く相手。
 どこに行くのかも……。


 春物が欲しいんだけど……お金が無くて……。と言う裕真に渋々お金を渡していた佐山のおばちゃん。
「啓輔君を見習いなさいっ!」
 って怒られているのを連れて、とりあえず安く買えそうなところ探しに行くって。
 そうなると啓輔が行くところはたいてい決まっている。
「東京で買えばいいのに。もっと良いものあるだろ?」
 駅前のイトーヨーカドーに連れて行って、春物の服を物色する。
 裕真のもさっとした格好は田舎に帰っているから……と思ったが、どうやらいつもこんな感じらしい。
 選ぶ服が、なんとなく地味。
 顔はいいのに、もったいないなあ?とついつい「こっちの方が似合う」とお節介をかきたくなる。
「ん、ありがとう。やっぱ啓輔君に一緒に来て貰って助かるよ」
「ほら?、こっちのジャケットは?」
「ん?、けどあんまりお金がないからね。無駄遣いしないようにしたいんだ、就職活動しなきゃいけないから、いろいろお金かかりそうだし。母さん達にはあんまり無茶言えないし」
「でも貰っていたじゃん、お金」
「さすがにお金無くてね。春休み、こっち戻るって約束したからバイトいれてなくてさ。それにこっちの方が物価安いだろ?」
「ああ、そうか」
 なんだかんだ言って、佐山のおばさんは寂しがり屋だ。
 息子に会いたいから、そんな約束をさせたのだろう。
 その事に、この裕真は気づいている。
「就職活動、大変そう?」
「難しいね、俺、そんなにできるほうじゃないし……。三月にもいろいろ説明会回ってきたけど……」
 重いため息は、結果を聞くにも憚られて、啓輔は引きつった苦笑を浮かべるしかなかった。


 それから、昼を食べて。
 本屋に行って。
 東京のガイドブックを買って今度はイトーヨーカドーの店内にあったハンバーガーショップ。
 頭付き合わせて、どこら辺りにに住んでいるとか、大学はどことか……。
 裕真も昔遊んだことのある晃一達の会社と近いね、とか。
 そんな昔話も含めたいろんな話をしたんだけど。


 いや?な予感がするのは、それが啓輔が良く取る行動パターンであって、しかももしかすると……という気がするせいだ。
 何しろ、この啓輔の恋人であるこの男。
 非常に嫉妬深い。
 クールな外見に似合わぬ激情をその胸に秘めている。
 それこそ子供じみた反応すらすることもあって、意外に気が抜けない相手なのだ。
 そんな家城が、一日にして機嫌が悪くなる原因が、今日の啓輔のお出かけだとしたら。
 嫌な予感は、最高潮。
 けれど、確かめないことには話にならないが、下手な問いかけは地雷を踏むことにはなりかねないと、二の足を踏む。
 そんな啓輔が躊躇うこと数十秒。
 結局今の状況に音を上げて、啓輔はそろそろと近づいて声をかけた。
「純哉……そのさ……怒ってる?」
「別に」
 間髪を容れずに返された否定の言葉。
 だが、視線を合わせることのない答えは、信じられるものではない。
「でも、俺を見ねえし……」
「そうですか?」
 むすっとした口調。
 鬼の鉄仮面だと、最近誰かが言っていたっけ。
 ぞくぞくと走る悪寒をなんとか押さえつけ、じりじりとした思いで、言葉を紡ぐ。
「その、さ……俺、何かした?」
「さあ、何かしたのですか?」
「あ、いや……」
「疚しいところが無いのであれば、そんなにびくつくこともないでしょう?」
「あ、だって……」
 疚しいことなんか何もしていない。それこそ、天地神明に誓ってもしていない。
 と……思うけど……。
 今ひとつ自信がないせいか、啓輔の目が泳ぐ。
 けれど、確かに何もしていないはずで。
「だって、今日は裕真と出かけていただけだし……」
 途端に、びくりと純哉の肩が震える。
 くしゃりと持っていた新聞紙がかすかな音を立てた。
 これって、ビンゴ?
 あっという間に消えた動揺だが、啓輔の目はごまかせない。
 だが、何で? という思いも湧き出てくる。
 そりゃ、裕真はあのひ弱な感じがちょっとそそられるところはあるけれど。
 でも、ほんのちょっとだけだし……。
 それに、啓輔にとっての一番はやっぱり純哉な訳で、裕真は純哉とは似ても似つかない。
「あのさ、裕真は、幼なじみだって言ったよな」
「……ええ」
 名を出すたびに反応する姿に、純哉の怒りの原因がこれだと判る。
 だが、何もしていないのに。
「ふつうに買い物行って、食べて……そんでここに来たんだけど……。ほら、土産」
 通りすがりの店を覗いたら、無性に食べたくなったケーキ。
 ラム酒たっぷりのモンブランは、純哉だって食べられるものの一つのはずだ。
 なのに、純哉はそれを一瞥すると、ますます顔を歪めた。
「あの、……さ?」
 おかしい。
 やっぱりおかしい。
 一体何が原因になんだろう?
 必死になって考えるが結論が出ない。
「純哉? なあ、いい加減にしてくれよ。言ってくれなきゃ判んねえし……」
 昼間楽しく過ごした分、このギャップが啓輔を責め苛む。
 理不尽な態度に怒りすら覚えるのに、口から出るのは泣き言だ。
「なあ、……教えてくれよ」
 気が付けば必死になって、純哉に縋り付いていた。



「メールをね……貰ったんですよ」
 なだめすかして数十分。
 ため息を吐いた純哉が、ようようにして啓輔へと視線を向けた。
「メール?」
 見てくれたことにほっとする。
「誰から?」
「穂波さん」
 途端に、安堵感は瞬く間に消え去った。
「穂波?さ?んっ?」
「緑山さんもご一緒だったようですよ」
「え?と、まあ、そうだろうけど」
 仲の良い先輩の名に、さもありなんと頷く。
「けどさあ、穂波さんからメールなんて珍しいね。純哉、メルアド教えてたのか?」
「まあ……ね」
 そのことには曖昧に口を濁された。
「それより、その内容なんですけど」
「ああ、何だっだんだ?」
 どうせろくでもない内容なんだろうなあ、と指し示された携帯をひょいっと覗き込んだ啓輔の体が、ひくりと動きを止めた。
「ずいぶんと仲が良くて、楽しいそうだったらしいですね」
「あ、えっと……なんだよ、これ?」
 思わず、純哉の手から携帯を引きはがし、まじまじとそれを見つめる。
 表示されていたのは、一枚の写真。
 どこかの店内で啓輔と裕真が顔をつきあわせている。視線は下に向かっているから、ガイドブックを二人で見ていた時の事だろうけど。
 メールタイトルは「浮気現場発見」。
「な、何だよ?これっ!!」
「ったく……あなたと来たらいつもいつも」
「ち、違う?っ。これは雑誌を見ながら話をしていただけでっ」
「それでも、こんな仲の良い写真を見て、私が何も思わないとでも? それに、写真を撮られたことに気づかないところが、緑山さん達が脇を通っても気づいていなかったとか?」
「え、あ、そうなの?」
 慌てて、再度画面に見入る。
 確かにこのときは、近所にこんな店があって、行きつけのここがおいしくて。
 とか、貧しいながらもいろいろ楽しく過ごしている様子を聞いていたような気がする。
「でもでも、マジ、話をしていただけで……」
「電話しても出てくれませんでしたよね」
「あ、それは、後で謝ったじゃんか?」
 うるさい場所で気づかなくて、ここに来る間際に留守電に気が付いて、電話して。
「まあ、それは良いとして……」
 少しも良いと思っていなさそうな純哉の顔が、間近に迫ってくる。
「あ、あ……」
 にこりともしない無表情に、啓輔の背筋がぞくぞくと震える。
「別の男の匂いなんて、消し去ってしまいたいですしね」
「な、何だよっ、匂いなんてっ!!」
 確か裕真は何にもつけていなかったはずなのに。
 思わず袖口をくんくんと嗅いでも、何も匂いなんかしていない。
「するんですよ、だから……」
「う、わっ」
 手首を強く掴まれて、ソファに引きずり倒される。
 ごつんと音がしそうな程に強く肘掛けで頭を打って、啓輔は声もなく悶えた。
「それに……最近間が空いていますしね?」
「っう……え?」
「久しぶりに、たっぷりと虐めたい気分なんですよ」
 ぺろりと首筋を舐め上げられ、掠れた声音で囁かれて。
「じ、純哉?」
 愕然と見上げる啓輔に、純哉がくすりと笑みを落とした。
「今日は……覚悟してくださいね」
「ま、さか……」
 変わらない口調の口元から香るアルコールを嗅ぎ取って、啓輔は全身を総毛立たせた。
 

 完全に酔う寸前。
 理性が飛ぶ寸前の自分のその酒量を純哉は知っている。
 その酒量をうまくコントロールすれば、適度に理性が飛んで、しかも本音は出さない状態を作ることができる。
 飲み過ぎれば、本音ばかりでそこを啓輔に突かれてしまうが、この状態の時は純哉の方が強い。
 啓輔は、今がその状態だと気づいた。
 さあっと顔が音を立てて青ざめる。
「浮気、していないことを確認しましょうか?」
「していないってっ!」
 グリグリと股間を膝で押さえられ、疼痛と快感のない交ぜ状態に身悶える。
 だてに付き合っていないから、急所は全て知られている。
「あっ、くうっ」
 痛いとか辛いとかなら、全力で押しのけていただろう。
 けれど、純哉のくれる刺激は、啓輔の体に甘い疼きを湧き起こさせる。
 気持ち良さと、それとほんの少しの罪悪感が、啓輔の動きを縛るのだ。
 きっと、純哉は寂しかったんだ。
 見た目とは裏腹にこの人は寂しがり屋なのだ。
「ごめん……」
 深い口づけの後に熱い吐息とともに零す。
 快感に潤んだ瞳を純哉が覗き込んできた。
「悪いと……思っているんですか?」
「ん……」
 だって、こんなふうに酔わせてしまったから。
 あんなメールで惑わせてしまったのには間違いない。
 会いたくないときに限って会ってしまう友人達は、ほんとに油断大敵だ。
 後で覚えてろっ、と、ここにいない人達に毒づいて、啓輔は下から手を伸ばして純哉の首に回した。
「純哉、たっぷりして良いよ、俺も欲しいから」
 まあ、こういう純哉も悪くないしな。
 セックスは嫌いじゃない。
 若い啓輔にとって、それはもう毎日だってしたいほどだ。なのに、ここ数日忙しくて、キスすらまともにしていないのだ。
「ん……」
 触れ合う唇が甘い。
 貪るように互いの舌を絡め、唾液を交わす。
「んっはあ……」
「啓輔……」
 情欲に満ちた純哉の瞳が、ゆらりと揺れる。
 その瞳を見つめて、微笑んで。
「何?」
 と、問う。
「今日は、私の言うことをずっと聞いてくれますよね。あんなメールを見てしまった私の……」
「え、あっ、ああ」
 暗く深刻さを漂わせた声音。
 なんだか様子が変だとは思ったけれど。
 そう言われると、何となく罪悪感に苛まれて、頷かずにはいられなかった。
「そうですか」
 そう言ったきり、純哉の舌が肌を彷徨う。
「ひっ、あっ」
 長い指が、するりと下着の中に入ってきて、啓輔は絡みつく感触に身悶えた。
 くりくりと先端を嬲られて、あっという間にそれが濡れてくる。
 余すことなく開発された啓輔の良いところを、純哉は全て知っている。
 丹念に施される愛撫に、啓輔の身も心もあっという間にとろけてくるのだ。
「あ、あっ……純哉……、じゅんやぁ……」
 腹をくすぐる純哉の髪を掻き抱き、ぬめる口内に包まれた雄からの快感を必死になって堪える。
 今すぐにでも達きたいけれど。
 もったいなくて、もっとして欲しいから、奥歯を噛みしめる。
 啓輔の全身が汗できらめき、内股にどちらともつかぬ、体液が垂れ落ちていた。
 それでも、限界はやってくる。
「あっ、もっ、もうダメ、達くっ」
 臨界点まで僅か一歩。
 覚悟を決めて、ぎゅうっと純哉を掻き抱いた——と。
「ダメですよ」
「うっ、痛っ」
 ぎゅっと陰茎の根本を握りしめられ、痛みに息が詰まる。見開かれた瞳の端から、ぽろりと涙が流れ落ちた。それを体を起こした純哉がぺろりと舐め取って笑う。
「まだまだ我慢していてください」
「そんな……」
 残酷な宣言に、顔を顰めれば次の涙が零れ落ちた。
 爆発しそうな快感は、与えられた痛みにほんの少し落ち着いたけれど。
 それでも、ぜいぜいと荒い息を吐くほどに、体の熱は落ち着いていない。
「我慢、できませんか?」
「う、ん……」
 達きたい。
 純哉の舌技は、啓輔の快感の虜にする。そんな行為を途中で止められて、堪えられるはずもない。
「純哉ぁ……もっと……もっとしてくれ……」
「そうですね。してあげますよ。けれどその前に」
 ふわりとした笑みだった。
 あまり純哉では見かけない、楽しそうな笑み。
 やはり酔っているからなのか、とぼんやりと思っていた啓輔は、次の瞬間走った痛みに悲鳴を上げた。
「ひっ、な、何っ!」
 痛いというよりきつい。
 辛い。
 食い込む感触に、慌てて視線をやれば、陰茎の根本に皮のベルトが巻かれていた。そのきつさは肉が食い込んでいるほどだ。
「なっ、何っ」
「コックリングというものですよ。知らないですか?」
「しっ、知ってるけどっ」
「我慢できないっていうから、ちょうど良いですよね」
 にっこりと笑われて、ひくひくと頬がひきつる。
「じゅ、純哉……酔ってる?」
「ええ、酔ってますよ」
 いや、それは判っているのだけど。
「だ、だって、純哉はこんな玩具好きじゃないってっ」
「ええ、あまり好きではありませんね」
「だったら、なぜっ」
 ズキズキと疼く陰茎のそれを外そうとする啓輔の手を、純哉が掴む。
 ぐっと力強く握られて、頭の上でソファに押しつけられた。
「貰ったんですよ、これ、穂波さんに」
「へっ」
 さらりと言われた名前に抵抗を忘れる。
「このメールの後、わざわざお越しになって……。節操なしの君には躾が必要じゃないかって」
「何だよ?、それっ」
「啓輔が色目を使っていたから、ちゃんと躾しておけ、と」
「い、色目?っ、誰にっ」
 話ながらも純哉の手は啓輔の陰茎を弄んでいて、妙なる快感を与えてくれる。けれど、感じていきり立とうとするそれは、ベルトによってそれ以上の勃起を許されない。
 限界まで達しようかというと、痛みが責めさいなんで達こうに達けないのだ。
 だから、必死になって逃れようとするが、純哉がそれを許さない。
「やっ、やだぁっ!」
 情けなく泣きが入る啓輔だったが、純哉の顔色は変わらない。
「本当に……あなたは……」
「ひっくっ……純哉……純哉……」
「可愛い顔して、節操なしで……」
 違うと、髪を振り乱して首を振るが、純哉は何も言ってくれなかった。
 それどころか。
「あっ、ああっ」
 太い楔が、ゆっくりと肉を押し開くように入ってくる。
 慣れた痛みと快感が堰き止められたそこで渦を巻く。啓輔は、喉を反らして、堪えるように固く目を瞑った。
 それでも口はだらしなく開き、溢れた唾液が顎を伝い落ちる。
 もう頭の中は真っ白で、ただ達きたい、とそれだけを考える。
 どうやったら。
 どうやったら、達けるのか?
「あっ、くあっ……純哉っ……じゅんやあ」
 室内に響くのは、啓輔の叫声と抽挿に伴う濡れた音、そしてソファが上げる軋み音。
「やだあっ、達きたっ……達かせてっ」
 痛いっ、きつい、達きたいっ。
 締め付けられる痛みとそれを上回る快感が、啓輔を狂わせる。
 血流が止まったのか、じんじんとした痺れがよけいに敏感にしていて、肌が擦れ合うだけでも達きたいほど感じる。
 なのに、達けない。
「あぐっ、ひっく……達かせて……」
「啓輔……啓輔……」
「あっ」
 ふっと頬に口づけられた。その優しさに目を見張る。
 まなじりから流れ落ちた涙を舐め取られ、耳に囁かれる懇願に気が付いた。
「啓輔、愛してる……こんなにも愛している。だから、誰も見ないで……」
 辛い責め苦を受けている啓輔よりも苦しげな言葉だった。
「私、だけ……を……」
「あっ……はっ——じゅんや——ぁ」
「私には、あなただけです……。啓輔だけ……」
 その苦しさの前には、どんな痛みも消え去ってしまう。そんな声音の純哉に、啓輔はもうろうとする意識を総動員して、与えられる温もりを抱き締めた。
「うん……っ——誰も……っ誰もっ見ない……」
「私だけ」
「ん——純哉、だけ」
 そんな独占欲が堪らなく嬉しい。
 苦しいだけでなく、堪らない愛おしさで胸がいっぱいになっていく。
「ごめん、純哉……ごめん」
 酔っているのだ。
 この人がこんな暴挙に出るほどに酔っているのだ。それこそ、限界をはるかに超えて飲んだに違いない。
 そして、その原因を作ったのは自分なのだ。
「純哉……達って……、俺ん中で達って……」
 この人の狂おしい愛を、全部受け止めたい。
 どんなに辛くても。
「啓輔っ……啓輔——ぇっ」
「あ、ああぁぁぁっ」
 ぱちん
 ベルトがいきなり外された。
 その僅かな衝撃が、啓輔を襲う。
 長く続いた叫声は、けれど途中で純哉の口の中に吸い込まれた。
 息苦しさに喘ぐほどに深いキスに、啓輔は酔った。酔うしかなかった。どんな酒よりも甘美なそれに。
「純哉……」
「啓輔……」
 たった一度の射精で疲れ果てた体が、ソファに沈み込む。
 折り重なった重みに荒い吐息がなかなか戻らない。
 けれど、純哉を押し除ける事などできない。彼の人の温もりに、包まれていることがどんなに幸いか。
「も……堪んねえ……」
 まだまだ元気で疼く自身ではあったけれど、酔いが回って深い眠りに入ったらしい純哉をどうこうすることはできない。
 可愛いとさんざんその口が言っていたけれど、啓輔にしてみれば、こんな純哉の方がよっぽど可愛くて堪らなかった。


「え……」
 寝ぼけ眼だった純哉が、自分の姿に気が付いて絶句していた。
 結局狭いソファに純哉を寝かせ、啓輔はその横のラグマットの上で横になった。二人揃って真っ裸だったが、啓輔も起きて綺麗にする気力も無かったのだ。
 身動きすると飛び散った精液が、ぱらぱらと剥がれ落ちる。
「はよ……」
 ぼおっとした頭ではあったけれど、啓輔は肘をついて上半身を起こした。
「正気?」
「正気……って……、その……」
 きょろきよろと不安そうに顔を顰める純哉は、どうやら昨日の記憶がかなり曖昧なようだった。
 そんな純哉も珍しいから、昨日は相当飲んでいたんだろう。
 口調が崩れないって反則だよ……。
 ため息を吐いて、昨日の様子を伝える。
「来たら、酔ってたよ。んで押し倒された」
「あ、それは……」
「穂波さんの悪戯に引っかかっちゃうんだもんなあ……」
 ため息と共に呟けば、純哉もだんだん状況が判ってきたようだ。
「もしかして……?」
 いつもと違う戸惑いを隠さない純哉をもっと見てみたかったけれど。
「ん……、積極的だったよ」
「あ、その……なんか言いました?」
「何か怒られた、かな?」
「それだけ、ですか?」
「あぁ?、まあそうだったと思うけどなあ、なんか一気にやっちゃったから……俺も覚えてないや」
「そう、ですか?」
 なんだか要領を得ない表情だが、啓輔はそれ以上教える気は無かった。
 あんな事を言ったなんて素面の純哉が知ったら、もう酒なんか飲まなくなるかもしれない。
 それでなくても羞恥心が強いのだ。
 あんな素直な純哉は、そうそう見逃したくない。
「ん、もう凄かった。けどさあ、これはもう勘弁して欲しい……」
「あっ……」
 転がっていたベルトをひらひらと振ると、それが何なのか知っている純哉が絶句する。
「穂波さんに突き返そうよ。それとも、梅木さんにでも上げようかなあ……」
 後でバレたら、服部さんに怒られるだろうけれど。
 少なくともこの家には置いておきたくない。
 もっとも、純哉にするなら別だけど。
「そ、そうですね……」
 啓輔の瞳に浮かんだ欲情を敏感に感じ取ったのか、純哉が大慌てで同意する。
 らしくない動揺を見せる純哉は可愛いが、あまりからかうと本気で怒り出すから、もう限界だ。
 それよりも、昨日は一回しか達っていないのだ。
 そして、今日は幸いにも一日休み。何の予定も入っていない。
 そうなれば、やることは一つだけ。それに、今の純哉はどうやら多少の罪悪感を持っているらしい。
 きっと、あのメールが穂波の悪戯だと気が付いているのだ。
 だったら、その罪悪感を使わせて貰いたい。
 のっそりと立ち上がって、純哉に近づいて。
「な、シャワー浴びよ……。んで……今度はベッドで、な。ふつうに……したい」
 甘く囁けば、白い肌を朱に染めた純哉が、小さく頷いて返してくれた。

【了】