【太陽の暴走・月の自爆】  絆 番外編

【太陽の暴走・月の自爆】 絆 番外編

 「絆」と「接待してよ」を読んでからの方がわかりやすいと思います。

 車の中で、なぜかそんな会話になってしまったのか判らない。
 滝本家からの帰り道、篠山義隆の車に乗せて貰って笹木秀也は空港に向かっていた。
 確か、昨夜の深山さんの話から発展したんだとは思っているけれども。
 だけど、雰囲気が気が付いたら、こんなことになっていて……。

「そのさ、笹木くんの特技ってきのう言ってたじゃないか」
 運転中なので、正面を見たまま義隆は秀也に話しかけてきた。
 かかっていたCDの音楽がちょうど途切れた辺りで、車内が静かになった途端だった。
 タイミングを計っていたかのような質問の仕方に、秀也はちらりと横目で義隆を見ると、無言で車外に視線を移した。
 ああ、やっぱり気にしているんだろうな。
 あの場面で話してしまったのは、多少の勢いもあった。あのメンバーならもしかすると教えても良いのかもしれないと……。
 だけど、やっぱり気になるだろう……。
 秀也が黙っていると、義隆が微かに息を吐いたのが聞こえた。
「ごめん。もしかして、話したこと後悔していた?」
 その口調が静かだったこともあって、秀也は視線を義隆に戻した。
 正面を見据えているので、考えていることがはっきりとは判らなかったけれど・・・…彼が、決して揶揄している訳ではないのが分かった。
「少し、ね……」
 彼がまじめに話すのなら、自分もまじめに話さなければならない。
 そう思った。
「別に、気にすることはないよ。笹木くんが隠したいのなら、俺は言いふらしたりしないし。深山さんだって、そうだと思うよ」
「うん」
 秀也は小さな声で頷いた。
 と、義隆がくすくすと笑い出した。
 驚いて義隆に顔を向ける。
「ご、ごめん。なんだか、すっごいしおらしい返事でさ、普段とのギャップが激しくてつい笑えちゃって……なんか、昨日の行きの時の態度と全然違うんだから」
「……行きの時って、そりゃあ俺は篠山さんとそんなに親しくなかったから、何しゃべっていいか判らなくて……」
 空港からピックアップして貰って、滝本家に向かっている間、二人はひたすらまじめに仕事の話をしていたのだ。
 だいたい、秀也は前から恵の相手が義隆であることは知っていたが、義隆は優司の相手のことは知らなかったのだ。葬式に行きたくて、秀也の方から前日に電話をかけ、優司の相手が自分であることを伝え、『連れて行ってくれ』と頼んだとき、義隆は、まるまる1分間は絶句していたのだから。
 だからピックアップ直後、それこそ30分間くらいは二人とも気詰まりな状態で無言だった。
 結局共通で当たり障りのない話題である仕事の話でなんとか行きは過ごせたという状態だった。
「笹木くんって仕事をしている時って、圧倒されることあるもんな。普段からポーカーフェイスっていうか、あんまり表情変えないし、昨日の話の内容からしてそうだったし。なのに、さっきの返事なんて、すごく子供っぽく感じて、思わず笑ってしまった」
 そう良いながら、まだくすくすと笑っている。
 なんか……。
 腹立ってきた。
 しおらしくって……そっちがまじめに話しているから、こっちも神妙に対応しただけじゃないか。
「そんなに笑わないでください」
 きっぱりと言い切る。
 堅い口調の秀也にさすがにまずいと思ったのか、何とか笑いを飲み込んだようだ。
「悪かった」
 そういう義隆の口元にまだ笑みが浮かんでいるのを見て取ると、秀也は視線を外に向けた。
 山間を流れる川の横を走っているので、景色だけはいい。
 あと、一時間もすれば空港に着く。
 飛行機に乗って1時間もすれば、喧噪にまみれた東京だ。明日からは仕事が始まる。今日休みを取ったから、次はいつ休みがとれるか判らない……。
 今度プライベートで優司に逢えるのはいつだろう。
「なあ、怒ったのか?」
 義隆が心配そうに話しかけてくる。
 この人は!
 人が憂いを込めて恋人のことを思っているのに、どうして邪魔するんだ。
 秀也は他人が聞けば理不尽な怒りを心の奥底に静めてから、ゆっくりと義隆に視線を向けた。
「別に怒っていません」
 少なくともさっきまでのことでは怒っていない。
「そうか」
 ほっととしたのか表情が緩む。
 どうもさっきからちらちらとこちらを見ているようで、何となく怖い。彼は運転中なのだ。
「あの、何か気になるんですか?」
 仕方なくこちらから切り出す。
 義隆がこちらを見る視線がもの問いだけなのが秀也にはありありと判ってしまうのだ。「んー。あのさあ、笹木くんは人の心の奥の感情が判るんだろ」
「はい」
「でさ、恵って、俺のことどう思っているのかって判るか?」
「は?」
 この人は、一体何を言っているんだ?
 恵くんが篠山さんのことどう思っているかなんて、昨夜から今日にかけての様子を見たら、そんなもの明白なる事実じゃないか?
 なぜ、わざわざそれを聞く?
 秀也の不審さ丸出しの視線を受けて義隆は口を開きかけて止めた。
 困ったような視線をちらりと秀也に向けた後、峠の曲がりくねった道にしばらく運転に集中する。
 だが、先ほどの問いのせいで、車内にはいたたまれないような妙な雰囲気が漂っていた。
 秀也にはどうあがいても義隆の焦りと悔いが感じられる。
 道がなだらかになったのを見て取った秀也は、仕方なく義隆に話しかけた。
「恵くんは篠山さんの事が好きなのは、紛れもない事実でしょう。何よりそれは篠山さんが一番よく知っているではありませんか」
 昨日、やっと辿り着いた優司の実家で、一番に恵が本当にうれしそうに義隆に飛びかかってきたのはなんだと言うんだ?
 キスした後、自慢げに篠山さんのキスをほめていたのは誰だ?
 今日見送るときに、篠山さんと一緒に帰りたがっていたのは誰だ?
 全部、恵くんじゃないか。
 それなのに、恵くんの本心が自分ではないとでも思っているのか?
「そうだよな……」
 だが、なぜそんなに自信がないんだ?
 不安・焦り・怯え・後悔……
 なぜだか、義隆から感じられる負の感情。
 彼は何を不安に思っている?
「恵くんに愛されている自信がないんですか?」
「っ」
 車がぐらりと蛇行した。
「し、篠山さん!どこか止めて話ししましょう!」
 秀也の悲鳴に近い言葉に、義隆は「わかった」と言うとしばらく無言で走らせた。
 しばらく行くと、河原に降りられる場所があった。
 平日であることから、他に車も人影もいない。土手の中腹に竹が生い茂っていて、道路からは見えにくい所だった。
 車が止まると、秀也はほっと息を吐いた。
 エンジンを切った義隆は、ハンドルに手をかけたまま、頭をハンドルの上に押しつけた。
 その様子に、秀也は戸惑い、呼びかける。
 すると、義隆の掠れた声が紡ぎ出された。
「俺、さ。恵とつきあっているとさ、なんだか自信がないんだ。なんだか恵にからかわれているんじゃないかって思うときがある。いつも主導権は恵にあるし……」
 言われて、昨日の夜の告白を思い出す。
 智史さんからの呼びかけに答えたのは恵だけだった。義隆はあの時どうしていただろう?
「恵がさ、俺のことを好きだって言うと、俺は嬉しいんだ。それは、最初の出来事が尾を引いているから、いつも許してくれたんだって思えるから……」
 義隆と恵の最初の告白とも言える状態は最悪だった。
 酔った勢いで、義隆は装置の購入をたてに恵に迫ってしまったのだ。
 その事件を秀也は知っていた。
 落ち込んでいた恵を慰めたのは秀也だったから。
「恵くんは……少なくとも恵くんは、そのことをまったく気にしていませんよ」
 それだけははっきりしている。
 彼はそれを逆手に取って、自ら篠山さんに告白した筈だ。
「ずっと許して欲しかったから、恵が俺のことを好きだと言ってくれたときは本当に嬉しかった。だから、俺、恵がいやがること出来ないんだ。どうしようもなくなったら俺すぐ暴走するから、その勢いでつっぱしって、また失敗するんだけど……その後、自己嫌悪に陥るんだよ。だけど、突っ走らなかったら俺、恵を抱けないんだ。恵が少しでも嫌がると、手が出ない。恵は俺のことやりたがり屋だあって言うんだけど……俺は、そうしないとあいつを抱けないんだ」
 えーと……。
 彼は一体何が言いたいんだ?
 呆然と秀也は義隆を見つめた。
 つまり……
 篠山さんは恵くんが好きで、だけど恵くんが本当に篠山さんのことを好きなのかが信じられなくて……それは、最初に失敗したせいで本当に許してくれているのか分からなくて、で……。
 あー、なんでそうなるんだ!
 あんなべた惚れ状態なのに、何でそれで信じられないんだ?
 いや、それほど最初の失敗が根が深いってことか?
 にしても。
 秀也はこの篠山義隆という男を観察する。
 確か、仕事はできるタイプだ。
 そこそこの強引さと実行力、頭の回転、要領の良さとくれば、その実力は同クラスのリーダー達の中でも一、二を争う。それに比べたら、いっちゃ悪いが優司は、下の方だ。 ただ、どこか不真面目な雰囲気が漂うのは否めなかったが……それでも本気になった彼は、真面目ならしい。本気になるまでが大変らしいが。
 だから目の前の彼とは結びつかない。
 こんなにも、自信のなさはどこから来るのだろう。
 ……。
 これは、もしかして恋愛音痴なんだろうか?
 その、もしかして、恵くんとが初恋とか……?いや、初恋は行き過ぎとしても、つきあったのは始めての経験とか?
 いや、そんな筈はないだろう。
 このスタイルとルックスは今時の男性としてはまあまあだろうし……。
 もてない理由もあまり考えられない。
 となると一体どうしてだ?
 秀也はもてる知識を総動員して、原因を探る。
 そうこうしていても、義隆の苦悩が伝わってくる。
 感情が溢れだして、秀也の意識までをも絡め取ろうとする。
 まずい。
 秀也は顔をしかめた。
 狭い空間、二人っきりの場所。
 いつもより、感応するのが早い。
 秀也が友人達の間で悩み事相談をするはめになったのは、実は自分のためだった。秀也の力を知らない人間ばかりであったが、人間というのは何故か他人に悩みを聞いて貰いたがる。普通は、それに相づちを打つなり、打開策を一緒に考えてやれば終わりだろう。
 だが、秀也は違う。
 心の奥底の感情が読めるために、その心に捕らわれそうになることがあるのだ。
 心を閉ざすことは簡単だ。
 しかし、そうすると話しもできなくなる。冷たい奴だと言われてしまう。
 困った秀也は、さっさと相手の悩みを解決させる事にした。
 他人のためではない。全て自分を守るためだった。
「篠山さんは、どうして恵くんに好かれていない、と思うのですか?」
 情報は多い方がいい。建前と本音が違うので有れば、そこから攻めるのも有効な手段だ。
「……恵はさ、俺に抱かれる嫌いみたいだから……」
「どうして?昨夜のキスの時は、嫌がっているようには見えませんでしたよ」
 あんなにうっとりとしている恵を見て、なぜ嫌がっていると思えるのか?
「始まってしまえばいいんだけど、その前の段階で……なかなかさせて貰えない。同じ部屋にいても、巧みに逃げられるんだ」
「はあ……」
 それはからかわれているだけ……じゃあないんでしょうねえ。
「それでも抱いたことはあるんでしょう?その時の恵くんは嫌がっているんですか?」
 露骨ではあったが聞いてみた。
 案の定、真っ赤になって口ごもる。
「別に嫌がってるとは思わないんだけど……あ、でも平日は絶対嫌だって言われるけど」
 そ、それは当たり前!
 篠山さんは攻めだからそう思わないでしょうけど、受けはつらいです。
ま、篠山さんは経験者じゃないからだけど……。それくらいは分かるでしょうが。
 秀也は頭痛がしてきた。
「それは、仕事に差し支えがあるからでしょう。優司だって、何か仕事が有るときは、拒むことがありますよ」
「だって、キスすら嫌だって逃げるんだ。休みの日だって、恵が選ぶコースは、たいていそんなムードじゃなくて、無いどころか体力使うところばっかで、帰ってきたらそのまま寝てしまうってことも、ある」
 恵くんも恵くんではあるけれど。
 ああ、なんだか頭がぼんやりしてきた。
 暗い感情にのめり込みそうだ。早く解決しないと……。
 ふう。
 深いため息をついて、感情をその吐息とともに外に吐き出そうとする。
 少なくとも表情だけは、冷静に笑みすら浮かべていよう。
 外見だけでも保てば、まだしっかりしていられる。
「だからと言って、それで恵くんに好かれていないと思うのは早計ですよ。何かキスすることで言われたことはないのですか?少なくとも昨日は嫌がってはいませんでしたよ。褒めてたじゃあないですか?」
 ——義隆のキスってすっごい感じるんだよ。
 確かそんなことを言っていたと思う。
「前に、感じすぎるから嫌だって言われたことはある」
 感じすぎる……。
 何か目眩がしてきた。
「それ……その嫌われていたら、同情とかでもですね、そんなに感じないと思いますよ。恵くんて感度が良すぎて、それを篠山さんに気づかれるのが嫌だとか?もしかして、篠山さんのキスがとても上手で ——昨日言ってたじゃないですか、恵くんだって」
「俺、上手いんだろうか?恵の感度はいいみたいだって思うけど……。確かに、前にキスだけでイッたことはあったけど。だけど、本当にそうなんだろうか?」
 ぐら。
 内心、気が遠くなっていくのを必死で押さえる。
 ああ、もう。
 恵くんが篠山さんを嫌ってはいない。
 恵くんがここにいたら、そんな悩み簡単に吹き飛ばせるけど、彼はいない。彼の口からはっきりと言ってもらうのが一番いいんだけど、だけど、彼はあれで強情だから、自分からじゃあ絶対いわないだろうな。
 絶対、絶対、恵くんは嫌ってなんかいない。
 ただ、ただ、あなた達は相性が良すぎるんだって。
 そのセックスの相性がね!
 たぶん、まだ慣れていない恵くんだから、それが怖いんだ。
 翻弄されてしまうことに慣れていないから、だから必要以上のスキンシップを避けてしまうんだ。
 にしても。
 この経験の少なそうな彼のキスが、それほどまでとは。
 ふと気が付くと、義隆が秀也をじっと見つめていた。
 いつも明るい義隆が暗く沈んだ表情を見せていてる。
「たぶん、あなたのキスに翻弄されることが怖いんですよ。だから、逃げるんです。キスされて拒みきれなくなるのが怖いんです。次の日の仕事のこととか、考えちゃうとね」
「俺、普通にキスしているんだけど……俺のキスってそんなに感じるのかなあ」
「それは、分かりませんよ。俺は篠山さんのキスがどんなものか知りませんから……」
 義隆の瞳が秀也を写していた。その瞳から眼が離せなくて、秀也もじっとその瞳を見つめる。
 そうすると、心が嫌がおうにでも流れて来るというのに……。
 だけど、もう離せなかった。
 義隆の悩み。
 恵に嫌われたくない。
 すぐ突っ走る自分とそれで後悔する自分。
 どうしたらいい?
 キス?
 俺のキスが恵を翻弄してしまうなら、ならどうすればいい?
 教えてくれ!
 キスの仕方を!
 !
「っ!」
 思わず顔を歪んだ。
 今のは何だ?
 秀也はぎりっと奥歯を噛み締めた。
 離せない。視線を離せない。
 それくらい強い思い。
「なあ、どういう風にキスすれば、恵を畏れさせない?笹木くんはいつもどうやっているんだ?教えてくれないか?」
 思いが言葉になって出てくる頃には、秀也はあきらめにも似た思いで強ばった腕で自身の身体を掻き抱いた。
「人に聞くことじゃない……」
 そう呟いた。
 だが、秀也の心は義隆の心に感応して、同調してしまっていた。
 キスして見せて……。と。
 心の葛藤を見透かされないように、無理矢理微笑んでみる。
「自分に自身をもてばいいって。恵くんは絶対篠山さんの事が好きだから。俺にはそれか分かるから。もう少しすればさ、恵くんも慣れてくるよ。きっと……」
 だけど、義隆の耳には聞こえていないようで……。
 がしっと秀也の両腕を掴んだ。
「一度だけでいいから……。どういう所を気をつければいいか、教えてくれないか?」
 ぼ、暴走するなあ!
 すぐ暴走するって言ってたな。確か。
 心の片隅でふとそう思った。
 そうか。
 仕事の時、乗り気になれば凄い効果を挙げるとけど、だけどそれまでが大変なんだって、このことか!
 一度そのムードにのってしまうと突っ走ってしまうのだ。
 仕事にしても、恋愛にしても、セックスにしても。
 じゃないって!
 この暴走野郎。だからやりたがりやだって思われているんだろーが。
 めっちゃ強引なの分かってんのかよ!
 だけど、その言葉は同調された心のせいで出てこなくて。
「キスして・・・・・・」
 そんな言葉に変化して出てきた。
 ち、違う!
 これは篠山さんの心の言葉で、俺じゃないって!
 何てことだ。
 ここまで流されるなんて・・・・・・・これじゃあ、優司のこと、怒れない!
 って言ったって分かるわけないか?
 ああ!
  いつの間にかシートベルトを外していた義隆の身体が秀也の上に抗うまもなく覆い被さってきた。
 顔が近づいてきて、思わず首を竦めて、眼を固くつぶった。
 逃げられない。
 柔らかい感触があった。
 なま暖かくて、少し湿った感じ。
 少し押さえつけられて、そして緩められる。
 それが数回繰り返されて……。
 そして、再度押しつけられた時、ゆっくりと唇を舐められた。
 肉厚の舌が這うようになぞっていくと、甘い痺れが唇からに走り、つい力が抜けた。その瞬間を逃さず、義隆の舌が秀也の中に入り込む。
 その舌が秀也の歯列をなぞった途端、ぞくりと得も言われぬ感触が背筋から尻にかけて走った。
 びくりと震える秀也の身体を抱きしめる義隆。
 やばっ!
 心の中で警告が発せられる。
 しかし、その手は義隆のシャツを握りしめていて……。
 口内をまさぐる舌がどこかをなぞる度に、ずきんと下半身に響く。
 押しのけようとする秀也の舌を押さえつけるように義隆の舌が動き、それすらも官能を呼び起こす。
「……うぅ……」
 耐えきれなくてこぼれた声に、秀也自身が煽られた。
 絶え間ない刺激に翻弄されながら、抜けていく力に秀也は為す術もなかった。
…………。
 すっと義隆の口が離れたとき、秀也はその唇を追いかけようとした自分に気づき、慌ててシートに身を沈める。
「あの、どうだった?」
 心配そうに問いかける義隆の顔がまともに見れない。
 身体の奥が疼いて、秀也はくっと唇を噛み締めた。
 どうだった、じゃない・・・・・・。
 こんな、濃厚なキス。こいつ、気づいていないのか?
 自分のキスがどれだけ他人を翻弄させるのか。
 秀也は、昔バイトでホストをしていたことがあったせいで、戯れで女性達とキスしたこともあった。
 昔の恋人は男だったけれど、彼のキスも上手かった。
 だけど、義隆のキスはその誰よりも上手かった。
 ただ、触れられているだけでも痺れが起こる。
 決して経験豊かではないだろう義隆は、このキスをどうやって身につけたのだ?
 秀也は、自分の身体が自分でなくなったような気がした。
 かろうじて、呼吸を整え、表情を整える。決して、自分の狼狽を気づかせないように。
「すごく上手だと、思います。だから、恵くんの言っていることに間違いはないんです。俺も多少は感じましたから」
 多少どころじゃなかった。
 理性を手放しそうになった。
「だから、恵くんはまだ慣れていないから、自分が簡単にそうなるのが怖いんですよ。間違いなく。そして、ね、恵くんは篠山さんのことが好きだから、余計に感じて、抱かれるところまでいきたくなるんです。でも、普段は仕事に支障があるでしょう?だから、キスするのを止めようとするんです」
 一気に伝える。
 話すのを止めると何だか中途半端に煽られた身体が求めてしまいそうだった。身体が鎮まるまで、ひたすらしゃべろうとする。
「自身をもってください。あなたのキスはとても巧みですから。きっと恵くんでなくても、その毛のある人ならあなたはキスだけで落とすことが出来ると思います」
 俺みたいに・・・・・・。
 ちらりと義隆を見ると、義隆は手を顎に当てて考え込んでいる。
「そんなこと・・・・・・」
「いいですか?まず、恵くんについては、平日出来ないときは、軽いキス——触れるだけのキスか吸い付くだけのキスみたいなのに押さえてください。その内恵くんが慣れてきますから・・・・・・。そうしていたら、恵くんだって必要以上に感じ過ぎなくて、キス位は受け入れてくれるようになりますって」
 義隆は、そう言われて頷き返す。
「ですから、二度と他人とはキスしないでください。でないと、恵くんを泣かせることになりますよ」
 こればかりは、くれぐれも念を押す。
 秀也も優司の事がなければ、そのまま流されそうになった。感応しただけでない。あのキスはそういう魔力がある。
 たぶん持って生まれた唇や舌の形・柔らかさ、そして気づかない内に行っている動きが、全てマッチしているのだ。
「わかった。なんだか笹木くんに言われると、自信がついてきたよ」
 にっこりと微笑むその唇に眼が行きそうになって、秀也は視線を外に向けた。
「それから、今のことは絶対に恵くんに言わないでくださいね!」
「へ?何で?」
 な、何でって・・・・・・。
 秀也は目眩がするのを気づかれないように窓際に肘をついて顔を押さえた。
「だって相談にのって貰っただけじゃないか?キスだって試して貰っただけだし」
「・・・・・・そういうのってね、例えそういう理由があっても妙に勘ぐられて邪推され安いんです。それに恵くんに伝わったら優司にだって伝わってしまうんです。それは俺は嫌です!」
 ついつい口調がきつくなるのはしょうがない、と思う。
 どうしてこの人はこんなに悠長に考えられるのだろう。
 そういう所の機微に疎いというか、鈍感というか・・・・・・ああ、だから、恵くんに惚れられている自信がないんだ。
 こればっかりは、本人の性格だからしようがないとは言え、しかし困ってしまう。
 絶対この人はばらしてしまいそうな気がする。
 恵くんは、少なくとも篠山さんよりはるかにそういう所が敏感だ。
 少しでも不審な行動をすれば、気づいてしまう。気づけば優司に伝わる。優司は精神的に弱いところがあるから、うじうじと悩むんだ。そうなったら浮上させるのに一苦労させられる。しかも、今回の件がばれるとしたら、それは秀也が浮気したというとんでもない話として・・・・・・。
 それは・・・・・・・絶対に避けなければいけない。
 だから。
「もし恵くんにばれたら、絶対にねお兄さん達もばれますよね。あの、智史さんにも・・・・・・」
「げっ!」
 これは効いた。
 明らかに義隆の様子が狼狽えたものになる。
「わ、分かった。あの人にばれたら、何かとんでもないことされそうだ。だから、気をつける。絶対に」
「俺も嫌ですからね。だから、絶対お願いしますよ」
 秀也も心底嫌そうに言う。どうしようもなく疼く自身を宥めながら。
 もう、二度と彼とキスしない。
 でないと今度は止められる自信がなかった。
「帰りましょう・・・・・・」
 妙な雰囲気になってしまった車内から早く離れたくて、秀也は義隆に頼んだ。
 本当は懇願したかった。
 はやく、帰りたい・・・・・・。
 彼から、離れたい。
 義隆が側にいると、彼のキスをほしがってしまいそうな自分に秀也はため息をついていた。
 だが、義隆はそんな秀也の様子に全く気が付かない。
 悩みがなくなった義隆の表情は明るくて、憂いを含んだ秀也とは対象的だった。

【了】