【どこまでも広い秋の空】 1 太陽の混乱と月の崩壊の章

【どこまでも広い秋の空】 1 太陽の混乱と月の崩壊の章

滝本家家族旅行 心、してよ、絆を先にお読みになることをおすすめします。
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 それはとんでもないメンバーだった。 
 滝本恵(たきもと けい)は、なんとなく堅い雰囲気の部屋の中を見回して、ほおっとため息をついた。 
 ここは県北の温泉街にあるホテルの宴会場。 
 山に囲まれた静かな雰囲気の中にあるホテルで、今の季節は鮮やかな紅葉と質の良い温泉が売りで、テニスコートやゴルフ場が近くにあって、若者にも人気のホテルだ。 

 その宴会場に恵はいた。 
 その隣に篠山義隆(しのやま よしたか)がいる。 
 こんなことになった原因を作った一人だ。 
「はじめまして、滝本智史と申します。弟がお世話になっております」 
 にこにこと笹木秀也(ささき しゅうや)の友人、明石雅人(あかし まさと)と増山浩二(ますやま こうじ)に挨拶をしているのは滝本智史(たきもと さとし)。 
 もう一人の立て役者である滝本家の長兄はご機嫌でこのメンバーを取り仕切っていた。 
 もともとこのホテルには、恵の兄 滝本優司(たきもと ゆうじ)とその会社の同僚で恋人である秀也の友人達が来る予定だった。そこに恵と義隆が無理を言って入れて貰って……ホテルに着いてみれば、なぜか人数が4人増えていた。 
  それが、智史とその親友 深山裕太(みやま ゆうた)と次兄の滝本誠二(たきもと せいじ)、そしてその恋人である矢崎真(やざき まこと)であった。 
 どうやら義隆によって情報が漏れたらしいと気づいたときには、すでに宴会場までセットアップされていて、こうしてここに一同揃っているわけだ。 
 ったく、どうしてここに兄さん達が…… 
 恵は内心ぶつぶつ愚痴をこぼしながら、義隆を横目で睨み付けた。 
「ごめん」 
 視線に気づいた義隆が、この日何度目かになる言葉を呟いた。 
 だけど謝って貰ってもどうにもならない。 
 恵はため息をつくと料理に箸をつけた。 
 山と海の幸をふんだんに使った料理は、食べればおいしいのだが、何せ場が悪い。 
 盛り上がっているのは智史と誠二だけだ。それぞれの相方もなんとなくきまずそうで、恵は気の毒に思った。 
 きっと無理矢理連れてこられたんだろうなあ。 
 視線を巡らすと、秀也の友達である雅人はそんなことが気にならない質なのか、にこにこと料理を食べつつ、優司や浩二達と和やかに過ごしている。 
 はじめて雅人を見たとき、恵は「類は友を呼ぶ」という言葉が脳裏に浮かんだ。 
 さらっとした茶色の髪に軽く着こなしたシャツやアクセサリーが似合う。すらりとした身長は秀也より高く、しかも足が長い。初めて逢った時から、気さくに話しかけてきて、笑うと華がある。 
 秀也もいい加減格好良いと思っていたが、さらにその上を行くのではないかと思った。 
 前に義隆が一番と言っていたが、やはりこの二人とはタイプが違う。 
 こういうラフな場において、どうしても差が出るのだ。 
 なぜかホテルのシャンデリアや豪華な調度品が似合うタイプ。 
 それが目の前にいる、雅人と秀也だった。 
 そして、もう一人と対峙した時、その大人っぽさにものすごい憧れを抱いた。 
 最初の挨拶以外、ほとんどしゃべらないし、笑顔もあまり見せない。ほとんど変わらない表情ではあったが、それが決して冷たいとは思わなかった。背はそんなに高くない。兄の優司とそう差がないか、少し高い位なのだが、ウエストの位置が違うのか、足が長く見える。きりっと常にのびた背のせいか、見た目以上に背が高く見えた。 
 それを思い出して、隣の優司にそっと話しかける。 
「どうして兄さんの友達ってのは格好いい人ばっかりなんだよ」 
「そう、か?」 
 不思議そうに首を傾げる優司に、恵は苦笑を浮かべた。 
 どうやらこの兄は、すでに神経が麻痺しているらしい。 
「いやいや、恵くんも可愛いよなあ。滝本4兄弟、揃いも揃ってすっごく可愛い!」 
 上機嫌の雅人がいきなりわりこんで来た。 
 その言葉に、恵の眉が跳ね上がった。 
 だが、それより先に優司が、不機嫌丸出しの声を出す。 
「可愛いって言わないでください」 
「えー。優司は可愛いって。ねえ、秀」 
 いきなり振られた秀也は、無言で雅人の頭を軽くこづいた。 
「いてっ!」 
 頭を抱える雅人を、浩二がひき掴んで席に戻す。 
「駄目ですよ、雅人さん。すぐ人をからかうのは悪い癖です」 
 静かだが、有無を言わせぬ口調に雅人がひっと顔をこわばらせた。 
「はい。ごめんなさい」 
 間髪入れず漏れる言葉を聞いて、恵はあっけに取られた。 
 どこか、ちゃらんぽらんな雰囲気のある雅人がこんなに素早く謝るとはとても思えなかった。 
 改めてそれを言わせた浩二を見ると、特に表情も変えずにお酒を飲んでいる。 
 その周りにあるお銚子の数からして、結構飲んでいるのだが、全く顔色に変化がない。 
 どちらかというとそんなに飲んでいないはずの雅人の方が酔っているように見える。 
「ねえねえ」 
 恵は、優司をつついた。 
「あの二人ってどういう関係?」 
 ひそひそと話しかけると、優司は困ったように視線を辺りに巡らした。 
 言おうか言うまいか迷っているようだ。 
 恵はそれだけで、何となく優司の言いたいことが判ってしまった。 
 優司の表情は読みやすいのだ。 
 ふーん……。 
 ほんとに類は友を呼ぶ……か。 
 ま、俺達も人のこと言えないもんなあ。 
 だけど、どう見ても雅人も浩二も格好良い。そして二人とも男っぽさが感じられる。どっちが受けなんだろうなあ……。何となくそう思って、想像してしまい……恵は赤くなった。 
 それを智史がめざとく見つけた。 
「けーい。何赤くなってんの?」 
 すりすりと恵の傍らに寄ってくる。 
「別に、アルコールが回ってきたんだよ」 
 慌ててビールの入ったグラスに口をつける。 
 だが、そんなことで誤魔化されてくれないのが智史だった。 
「違うねえ。雅人さん見て、急に赤くなっただろ。もしかして見とれたの?」 
 ぴくん。 
 その言葉に恵の表情はひきつり、そして明らかに義隆の表情がこわばったのまで見てとれた。 
 兄さんのばかっ! 
 智史を睨み付けるが、そんなことでひく智史でないのは先刻承知だった。 
「んー、図星みたいだね」 
 うー。だから嫌だったんだ。この兄と飲むのは! 
 数ヶ月前の父親の葬式の後の事が脳裏に浮かんだ。 
 どうも智史は酒を飲むと、普段隠れていた意地の悪い性格が輪をかけて激しくなって表に出てくるのだ。 
 まして、もともと恵はこの兄が苦手だった。 
 普段でも読めない表情。 
 ぼけっと見えるのに、意外に鋭い。 
 決して弟達に弱みを見せないこの兄に翻弄されて過ごした幾年を思い出してしまう。 
 それに比べれば、態度に出やすい誠二や優司を扱う事などちょろいものだった。 
 が、とりあえず現実問題、今智史に迫られているのは恵で……しかも義隆の機嫌も悪い。 
 だから。 
「兄さん……兄さんは雅人さんのこと格好いいとは思わないの?」 
 反対に質問してみる。 
「うーん、格好いいと思うよ。素敵だよね」 
 にっこりと微笑む智史。 
 それを聞いた途端、今度は雅人が真っ赤になった。 
 それに気づいた秀也までもが顔を引きつらせた。 
「だったら、判るでしょ」 
 何がだ。と普通ならつっこまれそうな問いに智史は頷いた。 
「そうだね」 
 そしてちらりと雅人の方を見る。 
「それになんだか可愛いし……」 
 智史の酔って潤んだ瞳で見つめられて、ますます赤くなる雅人。 
「兄さん、雅人さんをからかわないでよ」 
 ため息とともに優司が間に割って入った。 
「後で被害受けるのは、いつも私なんだからね」 
 うんざりしたように言う優司に、それでもその場の雰囲気が一気に変わった。 
 そこかしこでくすくすと笑いが漏れる。 
 雅人がほっとしたように苦笑いを浮かべた。気が抜けたように壁にもたれて呟いた。 
「マジで優司にそっくりで、優司に迫られているような気がした……」 
 その言葉に自分で驚いて慌てて自分の口を自分の手で塞ぐ。 
 雅人がちらりと窺うような視線を浩二に送ったのに恵は気が付いた。 
 なんか、すごい気にしているみたいだな……。 
 だか、恵には浩二の表情までは読みとれなかった。 
「恵……」 
 いきなり義隆に呼びかけられた恵は、慌てて振り向く。 
 その声色がはっきりと義隆の不機嫌さを表していた。 
 恵は義隆が智史に旅行の件をばらしたと知ってから、ずっと義隆を無視していた。 
 義隆も仕方がないと諦めていた所があった。 
 が、やっぱり他の男を見て顔を赤くしている恵を見て気分がいい訳はないだろう。 
 恵は内心舌打ちをしながら、仕方なく義隆と向き直った。 
「何でしょうか?」 
 わざと丁寧に、しかも冷たく言う。 
「……」 
 てきめん、義隆が黙り込んだ。 
 恵は自分の表情と言葉遣いがどんな風に相手に影響を与えるかを充分把握していた。幸か不幸か直属の上司がその辺りのことをきっちりと恵に教育したからだ。でないと、感情豊かな恵に営業は勤まらない。恵は義隆とつき合うときですら、このビジネスモードを巧みに使っていた。 
 なぜか義隆にはこのビジネスモードが無茶苦茶効くのだ。 
 冷たく言い放てば、決してそれ以上関わってこないし、にこやかに言えば喜んでまとわりつく。 
 なんか……犬みたいだ……。 
 ふと思ってしまった。 
 義隆だって、仕事している時はすっごい格好良いのに、何で俺の前だけこんなに情けなくなるんだろう……。 
 あーあ。 
 義隆が黙ってくれたのはいいけれど、なんだかつまらない。 
 誠二兄さんはこっちの状況など無視して、二人で和やかに酒酌み交わしているし。智史兄さんはほっといても楽しそうだし、深山さんときたら、そんな智史兄さんを嬉しそうに見ているし……。 
 なんだかんだ言って優司兄さんは雅人さんや浩二さんとにこにこと話をしているし……。 
 あれ、秀也さんは……どうしたんだろう。何だかすっごく優司兄さんに余所余所しい。 
 優司兄さんが何か無視しているようで……。 
 それに、なんだが雅人さんと浩二さんの雰囲気が変。 
 すっごい雅人さんが浩二さんに気を遣っているのが判る。 
 恵はついつい四人を観察してしまう。 
 だが、今度はそんな恵に誠二がちょっかいをかけてきた。 
「恵は、誰を見てるんだ!」 
 いきなりビール瓶を抱えてやってきた誠二に、恵は知らず知らずの内に後ずさっていた。 
「に、兄さん!矢崎さんと飲んでいたんじゃないの」 
「んー、なんかお前が楽しそうじゃないんで気になった」 
 いい加減酔っているのが判るこの兄の指摘に恵は息を飲んだ。 
「だかーら、飲も」 
 どぼとぼと空いていたグラスになみなみとビールを注ぐ。 
「もー、いいよ、兄さん!俺、結構飲んでんだから」 
 慌ててビール瓶を取ろうとするが、さっと誠二はそれを引っ込めた。 
「さあ、飲んで!」 
 にっこりと微笑むその顔はなんだか智史と似ていて…… 
 智史兄さんが二人になった…… 
 恵はこっそりとため息をつくと、半分だけ飲み干す。 
 だが、誠二がじーと見ているので仕方なく、少しずつだが全部飲んでしまった。 
「まだ入る?」 
 にこにこと瓶を掲げて問いかける誠二に、恵はぶんぶんと首を横に振った。 
「これ以上飲んだら、つぶれてしまいます!」 
 丁寧に遠慮させて貰う。ついでにその辺りにあるグラス類をすべて隠させて貰った。 
 さすがに誠二も無理強いはしなかった。その代わり、今度は優司の方へとずりずりと向かう。 
「ゆーじぃ!」 
 なんだかんだと言っても、誠二の一のお気に入りは優司であった。 
「飲んでるぅ!」 
 完璧にできあがった誠二に立ち向かえる優司ではない。 
 「もう、飲めない……」 
 と、ぼそぼそ言っているがあっという間に、ビールを注がれてしまっている。 
 上目遣いに誠二を見る優司の視線がちらりと恵の方を見た。 
 それか責めているようで、恵は視線を逸らした。 
 結構しつこいよな、優司兄さんは。 
 未だに旅行の件を兄たちにばらしてしまったことを責めている優司に、恵は心の中でため息をついた。 
「も、やだ……」 
 思わず漏れた言葉。 
 だが、まずいと思い、慌てて口を手の甲で塞ぐ。 
 辺りを窺うが、どうやら誰にも聞かれていないようでほっとした。 
 こんなところでこんな台詞聞かれたら、どうなることか…… 
 だが。 
「大丈夫?」 
 いきなり低い声で耳元で囁かれて、恵は慌てて膝をついて立ち上がろうとした。 
が、座布団の端で滑って、身体がぐらりと傾く。その身体を力強い手が抱えた。自分の手が料理の皿の上に手を付こうとしていたことに気づきほっとしながら自分を抱えている手の持ち主に視線を巡らす。 
「あ……」 
 礼を言おうとした口が止まった。 
「大丈夫?」 
 さっきとは違うニュアンスの言葉がその口から漏れた。 
 低い声。 
 眼鏡の奥にある闇夜の海を思わせるような瞳が恵をじっと見ていた。 
「あ、大丈夫です!」 
 一瞬で自分の体勢に気づいた恵が慌てて身体を立て直す。 
 軽く一呼吸して、心を一瞬のうちに落ち着かせ、礼を言う。 
「ありがとうございます。助かりました」 
 内心、どきどきいっいてるのを気づかれないように、にっこりと微笑む。 
「いや、こちらこそ驚かせてしまったようで……」 
 表情の変わらない口から漏れる言葉は優しげで、恵は不思議な気持ちになった。 
「えっと……何か?」 
 何が大丈夫なのか判らなくて、首を傾げて問い返す。 
 すると初めて浩二が微かに微笑んだ。 
 うっわーーーー! 
 恵はその目をぱちくりとさせた。 
 この人って、笑うとすっごい優しげで、しかも素敵だ! 
 思わず見惚れてしまった恵に、浩二はそれに気づいて困ったように苦笑した。 
「雅人さんが余計なことをしたので、お友達と喧嘩しているのではないですか?」 
 お友達? 
 頭があらぬ方向に飛んでいたので、一瞬理解が遅れた。 
 あ、ああ、義隆のことか。 
「いえ、大丈夫です。喧嘩なんかしていませんから」 
 思いっきり社交辞令だが、言ってしまう。 
 なんかこの人に気を遣わせるのが悪いような気がした。 
 後ろでこわごわこちらを窺っている雅人が見えた。 
「そうですか?」 
 納得していなさそうだなあ……。 
「大丈夫です。あの、雅人さんが・・・・・」 
 何か浩二さんの後ろが気になる。 
 しかめ面した秀也さんとひきつった顔している雅人さん。 
 その側で、むすっとしている優司兄さん。 
 さっきまで和やかだったよなあ、表面的には……。 
「ああ、気にしないでください。秀也さんと優司さんは喧嘩してるだけですし、雅人さんはいつもの通りですから」 
「はあ……」 
 何なんだろう……。 
 何で優司兄さんと秀也さんが喧嘩しているんだろう。 
 というか、雅人さんがいつもの通りって……。 
 よく分からない・・・・・。 
 恵が呆気にとられていると、浩二は再度微笑んだ。 
「気にしないでくださいね、今日は楽しまないと」 
 すっと席に戻る。 
 ほっとしたような雅人が印象的で……。 
 一体何が起こったんだろう。 
 頭の中がまとまらない。 
 ぼーと浩二の姿を追う恵に義隆が眉をひそめて見ていた。 

 宴会も終わりに近づき、何となく倦怠感が漂うムードになった時、 
「王様ゲームしよう!」 
 いきなり出てきた台詞に、部屋の中の動きが止まった。 
「智史……兄さん……」 
 優司の呆然とした呟きが聞こえて、恵はやっと我に返った。 
 今、何て……。 
「な、俺さあ、一度やってみたかったんだ。役場の人とじゃできないだろう」 
「……滝本さん……」 
 真が呆然と呼びかける。「役場の飲みでそんなこと、できるわけないでしょう」 
 智史と同じ部署の真がその場面を想像したのだろう。思いっきり嫌そうな表情を浮かべる。 
「あ、の、智史さん、あれは女性と一緒の飲みでやるから楽しいのであって、男ばっかりでやるものでは……」 
 秀也が引きつったままの表情で智史を宥める。 
「そうですよ。あれは男だけでやると悲惨な結果を迎え易いんです」 
 雅人も必死になって止める。 
 なんか、この人たち経験者なのだろうか・・・・・。 
 恵の視線の先で雅人と秀也はそれ位、必死になっていた。 
「あー、秀也さんも雅人さんも知っているんだあ。じゃあさ、やろうね。経験者がいるんだったら教えてくれるでしょう」 
「嫌です!」 
「嫌だ!」 
 二人の言葉が見事なまでにハモる。 
「智史さん、これだけ嫌がられているんですからね、やめましょう」 
 今まで黙っていた裕太もさすがに場の雰囲気が悪くなっているのを感じて止めようとする。だが、それで聞く智史ではない。 
 完全に酔っぱらって潤んだ瞳をうるうるとさせながら秀也の腕を掴む。 
 下から見上げるようにじっと見つめて訴える。 
「ねえ、やろうよお」 
「!」 
 秀也が下唇を噛み締める。 
「兄さん!」 
 慌てて優司が智史を引き剥がそうとする。が、そんな優司を智史はじろりと睨む。 
「優司、兄の言うことが聞けないわけ?」 
「みんな嫌がっているんだから、いい加減にして!」 
 それでも引き剥がそうとする優司に、智史は意地悪そうに言った。 
「じゃあさあ、喧嘩している訳をここで言ってくれたら、止めてあげる」 
 その言葉に優司の手から力が抜けた。 
 秀也も驚きのあまり目を見開く。 
「ずっと目を合わせないようにしていたろ。恵と義隆さんの場合は、まあ仕方がないかなって思っていたけど、お前達は何で喧嘩しているか分からないからな。ぜひ聞きたいよ」 
 酔っているとは思えない強い視線で二人を見比べる。 
「そ、それは……」 
 口ごもる優司。秀也は、元から言う気がないのか口元を固く結んでいる。 
 雅人は視線を二人に交互に向ける。 
「あのお……」 
 口を挟もうとして、浩二に引っ張られた。バランスを崩した雅人を浩二はその胸に抱き留める。 
「駄目ですよ」 
 耳元で囁く浩二に雅人は真っ赤になって抗うのを止めた。 
 恵は呆然とその姿を見て取り、やっぱりと納得していた。 
 だがそれ以上に気になるのが、今の優司と秀也の状態だった。 
 何を喧嘩しているのか気になる所なんだけど……。 
 それに、王様ゲームをしたいとも思わない。 
 自分が王様ならともかく、智史が王様になった日には何をされるか分からない。 
 今の智史を止めることが出来るのは、優司達の喧嘩の原因。 
 だけど、今の様子だと言いそうにないなあ……。 
 俺達の喧嘩の原因は……ちらりと義隆を見る。 
 と、何故か義隆の顔が青ざめていた。 
「義隆?」 
 不審げに問いかけると、義隆はぴくりと反応した。そして、ひきつった笑いを見せる。 
「義隆?」 
 先ほどは違うニュアンスで呼びかける。声色に不審さがありありと籠もる。 
 どうして? 
 何かを隠している? 
 そして、それは優司兄さん達と関係がある? 
「さあ、どうする?」 
 智史の悪魔の微笑みが秀也を攻め立てる。 
 秀也はくっと噛み締めたまま、それでも口を開こうとしない。 
 優司は、ちらりと秀也を見、そして口を閉じた。 
 二人ともここで話す気はなさそうで……。 
 智史はふっと口元を綻ばせた。 
「じゃあ、やろうね」 
 秀也が黙っているため、雅人も反対できないようで。 
「一回だけ……・ね、兄さん」 
 結局、恵が妥協案を出した。 
「試しになんだから、一回だけにしよう。もうみんな酔っているし、この部屋だっていつまでも使えないからね」 
 時間の事を出したので、智史もしぶしぶ納得した。 
「分かった、一回だけ……でね、雅人さん用意してくれる?」 
 言われて雅人が仕方なく準備を始めた。 
 割り箸を人数分集めて、印を付けていく。 
 それを智史に渡した。 
「一回だけですよ」 
 恨めしそうに言う雅人の言葉が耳についた。 
智史が嬉々として全員に引いて貰う。 
「さーて、王様は……?」 
 にっこりと微笑む智史。 
「俺だ」 
 一気に部屋の空気が沈んだ。 
 よりによって……。 
 そんな思いを全員がしていたに違いない。お互いが顔を見合わせ、ため息をつく。 
「じゃあねえ……・」 
 いたずらっ子のような笑顔に全員悪寒寒気が走る。 
「5番がの人がねえ、3番の人にビールを一杯口移しで飲ませる!」 
 ぴき。 
 音がしたと思った。 
 いや、実際音が鳴ったのだ。 
 恵のすぐ横で……。 
「?」 
 恵が義隆を見る。その膝に二つに折られた割り箸が転がっていた。 
かろうじて見えるその数字は、5。 
「げっ!」 
 思わず恵は叫んでしまう。 
「あ、義隆さんなんだあ」 
 けらけらと笑う智史。 
「じゃあ3番は?」 
 名乗りが上がらない。 
「誰なのさ」 
 業を煮やした智史が、一人ずつ手元を覗き込んでいく。 
 裕太が1番。真が6番。恵が2番。 
 そして、秀也の手元を覗き込んだ智史がにやりと笑った。 
「秀也さんかあ……」 
 強ばったその手から3と書かれた割り箸を取り上げる。 
「くっ」 
 悔しそうなうめきが口元から漏れるのを、恵は不思議そうに眺めていた。 
 いつもポーカーフェイスで落ち着いている秀也がそこまで狼狽えているのが不思議で……。 
 と、それどころではないことに気が付いた。 
 え?じゃあ、義隆が秀也さんに口移しでビールを飲ませるってことで……ということは二人、キスするっていうことで……・。 
「えーーー!」 
 思わず叫び声が上げる。 
「だ、駄目だよ、そんなの!」 
 恵の言葉に智史は冷たい視線を送ってきた。 
「王様の言葉は絶対、でしょう。恨むんなら、喧嘩の原因を言わない優司達に言うんだね。といっても、優司達はこれで十分罰を受けているのと一緒だけどねえ」 
 再びくすくすと笑う智史に、恵は何も言えなくなる。 
 罰……。 
 そりゃそうかも知れないけど……だけど、義隆は関係ない。 
 どうして、義隆が秀也さんにキスしなきゃいけないんだ。 
 嫌だ、そんなの。 
 義隆が他の人にキスするなんて……。 
「さあさ、諦めて義隆さん出てきてね。秀也さんも」 
 じとっと睨みながら、それでも義隆が這うように部屋の真ん中に移動する。 
 だが、秀也は動こうとしない。 
「秀也さん」 
 呼びかけられて顔を上げ、それから優司に視線を投げかける。優司はその視線から逃れるように下を向いた。 
 固い表情が崩れることなく、それでも意を決したように義隆の側まで行く。 
「はい、これ」 
 智史が義隆になみなみと入ったビールを渡す。 
 あんなに・・・・・。 
 恵は目眩がしてきた。 
 あんなにたくさんのビール、飲ませ終わるのに何回キスしなければいけないのだろう……。 
 王様ゲーム、やりたくないって言っていた秀也と雅人の言葉が妙に納得できた。 
 こんなメンバーでやるものではない。 
 カップルが中にいるので有れば、絶対にしてはならない。 
 相手の人が選ばれた時、片割れはこんな切ない思いで見ていなければならないなんて……。 
 恵は悔しくてきっと唇を噛んだ。 
 義隆が秀也を見、そしてのろのろとビールを口に含んだ。 
 空いた手で秀也の肩から首筋にかけて手を回す。倒されるように後ろに引っ張られて、秀也の顔が上を向いて義隆を迎え入れる。 
 義隆はゆっくりと秀也の口元に顔を近づけていった。 
 恵は見たくなかった。 
 ちらりと優司を見ると、すうっと細められた目からきついほどの視線が秀也を射ている。 
 義隆の唇が秀也の唇に押し当てられた。 
 口の端から溢れたビールが一筋流れ落ちる。 
 秀也の喉がごくりと動いた。 
 それが艶めかしくて、室内に妙な雰囲気が漂う。 
 誰もが、二人から目が離せなかった。 
 再び義隆がビールを口に含み、秀也に与える。 
 それが何度繰り返されたであろうか。 
 何度目かの時、秀也の手が耐えられないようにぎゅっと義隆の服を掴んだ時だろうか。それても微かに震える目元から涙が一筋流れ落ちたときだろうか。 
恵はもう見ていられなくてぎゅっと目を閉じた。 
秀也さん、感じているんだ……。 
見ていると自分がされているような感触を覚えた。 
脳裏に義隆にキスされている自分がいる。 
なのに、実際にキスされているのは秀也さんなのだ。 
嫌だった。 
見ていたくなかった。 
……。 
「恵」 
呼ばれる声にそっと目を開ける。 
至近距離に義隆の顔があった。 
わすがに頬が赤いのを覗けばいつもの義隆だった。だが、何となくだがいつもと違う感じがした。 
「部屋へ帰ろう」 
 義隆の言葉に辺りを見回すと、みんな、何だかぼーとした様子で、てんでに部屋に戻る準備をしていた。 
 つい秀也を捜して視線を移動させると、優司の傍らで背中を壁に預け俯いて座り込んでいる秀也がいた。 
傍らの雅人と浩二が何やらぼそぼそと小声で会話しているのが漏れ聞こえる。 
どうやら秀也を運ぶ段取りをしているようだ。 
「恵、行くよ」 
 再度義隆に声をかけられ、恵は義隆の後ろをついて部屋を出た。 
 いつもと変わらないようで、だがどこか違う。 
 キス、していた。 
 義隆と秀也のキスは、恵にはそれがあまりにも絵になっているように思えても悔しかった。 
 俺と義隆じゃあ、あんな風に絵にはならないだろうな。 
 悔しくて……。 
「恵、あれはゲームだからな」 
 エレベーターに乗ったとき、義隆がそう恵に言った。 
 それはまるで自分自身に言い聞かせているようで。 
「そうだね、ゲームなんだよね」 
 恵もそう呟く。 
 あれはゲーム。 
 だが、脳裏に浮かぶのはさっきのシーンで……。 
 恵の頭の中は訳の分からない思いがぐるぐると渦を巻いていた。 

 続く