【独占欲1】

【独占欲1】


 最近、雅人は浩二と遊ぶことが多かった。
 明石雅人は職業がホストのため、昼間寝て夜働く。週5日制だ。
 雅人がホストをしている店では、雅人はNo.1だった。今時の端正な顔と面倒見のよい性格、そして身につけた接客手法は追随を許さない。ただ、友人の秀也がたまにバイトをしに来るとその座は簡単に奪われる。それは仕方がないと自覚していた。秀也には天性の素質がある。それを見抜いたのは他ならぬ自分自身であるし、秀也が別の職業についた今でもホストをやるよう誘いをしているのも雅人自身だった。別にそのことは全く気にならなかった。

 そして、増山浩二は、職業整形外科医。優秀ならしい。らしいというのは、雅人自身浩二が診察しているところを見たことがないのだ。
 浩二は火・水・木と昼間診察がある。金・土が夜勤。日・月は休み。が標準的な勤務日程だった。もちろん、急患次第でシフトはかわる。それでも、優秀であるがために、下っ端の医者が数人抱えることができる大病院に置いて、そのシフトはそう変わる物ではなかった。
 そして、不思議と雅人と浩二の休みは合致した。
 浩二は、正月頃、秀也に惚れて拉致事件を起こし、その後結局和解して秀也と友人関係になった。当初は秀也とだけつき合っていたが、ある日、秀也が雅人に頼んだのだ。
 秀也は週5日制で土日祝日休みの普通のサラリーマンだ。どうしても浩二と休みが会わない。それに秀也には遠く離れた所に優司という恋人がいた。だからいつも浩二に構って入られない。
 しかし、浩二は内に鬱憤を溜めると、とんでもない行動に出ることがある……そういって秀也は浩二の相談相手になっている。だが、それもなかなか休みが会わない。そこで、秀也は雅人に白羽の矢を立てた。
「たのむ。今度浩二と飲みに行くんだけど、雅人もつき合ってくれよ。でさあ、少し浩二と友達みたいにつき合って欲しいんだ。雅人ならそういうの得意だろう」
 そう言って手を合わせてたのむ秀也に雅人は嫌とは言えなかった。
 拉致騒ぎを起こした張本人に何でつき合わなきゃいけないんだ……とは思った。
 だが、もし浩二にかかりっきりになると秀也は優司に会えなくなる。それだけは避けたかった。雅人にとって、秀也以上に優司は大切な存在だった。
「わかったよ……。とにかく浩二に会ってみる」
 そう言った。
「それにしても……何でそこまで浩二って奴の面倒を見るんだ?」
「浩二はさ、今まで何でも聞いてくれる友達がいなかったんだ。性格的にも内にこもるタイプでね。だから、ある程度発散しないとこの前みたいな事件を他人に起こすかも知れない。それが本人も自覚があるから、余計悩んでいるんだ。だから、気分転換させたくてね」
 そう言って秀也は苦笑した。
「あのね、浩二は優司と似ているよ。内にこもるタイプっていうのかな、しかも二人とも結構純情でね。だけど、俺は優司で手一杯なところがあって、完全にフォローできないんだ。もう少ししたら……その内気の合う彼女でもできて、大丈夫になるんじゃないかなあって思うんだけど……」
 秀也の人生相談は的を得ていると結構評判だ。それは雅人自身経験済み。
 昔、雅人は秀也に癒されたのだ。彼女に手ひどい別れ方をされて、傷ついて苦しんでいた自分の心の傷を巧みに癒してくれた。自分の身を犠牲にしてでも。だから、秀也がそういうんだから、そうなのだろう……そう思った。
 最初は、嫌々浩二とつきあって、遊んでいたが、数回も経つ内に、結構楽しく過ごせるようになった。なんとなく気が合う。いつも物静かでひっそりと過ごす浩二と明るくもともと面倒見の良い性格の雅人は、凹凸がぴったりあったかのようだったのだ。
 


そして、3月末の天気のいい日、二人揃って秋葉原辺りをぶらぶらと歩いていた。
秀也に言われて友達つき合いしだしてから、約2ヶ月がたった。その間にあった回数は10回程か。ほとんどの休みを二人で過ごしてきた計算になる。だが、嫌な気持ちはなかった。それほど、しっくりきていたのだ。
雅人自身もあまり友達づきあいが広い方ではない。まして、昼夜逆転の生活で会えないことも多いのだ。だから休みに退屈すると、同じ休みの浩二を誘うようになった。
特に何をする訳でもない。
そんな風に二人で歩いていると、ナンパや勧誘によく声をかけられた。二人とも並の容貌ではないのを熟知しているので、雅人は帽子を目深に被っているし、浩二も銀縁の伊達眼鏡をかけていた。浩二が眼鏡をかけると一種近寄りがたい雰囲気をつくる。だが、結構雅人は眼鏡をかけた浩二が気に入っていて、いつも眼鏡をかけさせていた。
その方が雅人の好みにあっていたのかも知れない。大人びた雰囲気の友達というのは今まではいなかった。
一度それを浩二に伝えると、それからは必ず浩二は秀也と会うときは眼鏡をかけるようになった。
電気店をいろいろと覗き、店員と話をするが買うわけでもない。
もっぱら店員に話しかけたり、展示品をじっと眺めたりしているのが雅人だった。浩二は、雅人が話しかけると静かな返答を寄越すが、それだけだった。かといって退屈しているのではなく、楽しんでいるかのように口元にはかすかな笑みが浮かぶこともある。
雅人もあまり気をつかわなくていいので、自分の都合の言い様に動く。
雅人は前に一度、面白いのかと尋ねた事があった。その時、浩二は寂しげな表情を浮かべて、
「ご迷惑ですか?」
と、言った。その表情を見て、思わず雅人が「いや、全然。俺はつきあってくれてうれしいよ」と答えると、浩二が滅多に見せない笑顔で言ったのだ。
「よかった……です」
 それ以来、雅人は余計なことを浩二に尋ねなかった。
 きっと誰かがそこにいるだけでいいって思える奴なんだろうな。
 そんな風に思っている客をホストの時に経験したことがある。
 ただ、静かに話をする。どちらかというと沈黙している時が多い。だが、それでも最後にはにこやかな笑顔を向けて帰るのだ。「楽しかった」と、言って。誰かが側にいてくれるだけで慰められるのだ、とも言っていた。そんな客に浩二は似ていた。
 雅人の客にはそういうタイプが多かった。だから、そんなタイプの扱いに長けている。だからこそ、秀也も雅人に頼んだのだろう。 



「なあ、浩二。俺、今度MDのついたラジカセ欲しいんだけどさ、もうこうなるとデザインだけで決めるしかないのかなあ……機能的にはどれも似たり寄ったりで……どれがいいと思う?」
 そう言ってちらっと浩二を見る。すると浩二は、腕を組み首を傾げてしばらく展示品を見比べていた。
「そうですね。雅人さんはこういうのが割合好きではないかと思うのですが……いかがですか?」
 そう言って指さすラジカセを見て、雅人は頷いた。
 浩二は雅人の好みを熟知してしまったのか、最近の浩二の意見はいつも的を得ていた。
「やっぱり?実は俺もこれがいいかなって思ったんだけど、結構目移りしちゃってて……こういう時、誰かが後押ししてくれると助かるんだよな。サンキュ」
 にこにこと言うと、浩二はちょっと目を細めて照れくさそうに笑った。
 ああ、こんな顔もできるんだ。
 雅人は思った。
 普段見事なまでのポーカーフェイスの浩二が、うまく話かけると本当に僅かに表情を変える。最近では、そんな浩二の表情を変化させるべく会話を楽しんでいる自分がいた。
 結局その日は特に何も買わなかった。
 その後の予定もなかった。
 どうしようかな、と雅人が思っている時、浩二がCDコーナーのポスターを見ていることに気がついた。
「浩二は普段何の音楽聞いてる?」
「音楽ですか?特にこれといっては……。CDなどあまり持ってはいませんし」
「あ、そうなんだ。じゃあさ、俺が持っているCD何か貸そうか。結構いろんなジャンルのCD持ってるし」
「そうですか。ありがとうございます」
 その声はあんまり抑揚がなかったが、別に嫌がってるわけじゃないのは分かっていた。
「じゃあ、この後俺の家に行こうか?それとも浩二はどこか行きたいところがあるか?」
 そう言って時計を見る。
 午後6時25分。
「いいえ」
 浩二がそう言って首を振るのを確かめた雅人は、「OK。じゃあさ、どっかで食べて帰る?それとも家で食べる?簡単な物だったら俺作るよ」と言った。
「え?雅人さんが作られるのですか?」
 ずいぶんと不思議そうに問い返された雅人は、苦笑混じりに浩二を見返した。
「簡単なものならね。ずっと一人暮らしだったからね。コンビニ弁当ばっかりじゃ金かかるし……よーし、今日は俺何か作るよ。帰りに買い物して帰ろー」
 その途端浩二はその顔に驚きと何故か泣きそうなそんな入り交じった表情を浮かべた。だが、一瞬で元の表情に戻る。
「楽しみです」
「ああ」
 雅人は返事をしながら、さっきの表情はなんだったんだろうかなあと思っていた。



 帰りにスーパーに寄り、幾つかの材料を買うと、自宅に向かった。
 雅人のマンションに辿り着くと、早速雅人は料理を始めた。
 そして、リビングで所在なげに立っていた浩二に呼びかけた。
「そこの棚に、CD入っているから適当に聞いててくれ。面白そうなのあったら、貸すから」
「はい」
 その返事を聞くと、再びキッチンに入り料理の続きを始めた。
 今日は中華風に攻めてみようかな……。
 いつも一人分の料理を作るときは味気なかったが、それでも作っていないと料理を忘れていきそうで、少しずつでも作っていた。
 だが、今日は浩二の分も作っている。その事実が何か楽しかった。誰かのために作るってのは、楽しいもんなんだなあと、雅人はうきうきと包丁でキュウリを切っていた。
 すると、リビングの方から音楽が流れてきた。洋楽のCDだ。
確か、映画音楽の……。
天使にラブ・ソングを……か何かだったな。
ふーん……浩二はこういうのがいいのかなあ……。
最近よくつき合うようになったがまだまだ浩二が何か好きで、何が嫌いなのかははっきりと分からなかった。何を見てても表情が変わらないのだ。最初のうちはもっと酷かった。自分が嫌われているのではないかと思った。それでも数回の会っている内にそれは誤解だと言うことが分かった。とにかく浩二は感情を表に出すことが苦手なのだ。最近は慣れてきたのかだいぶん表情に出るようになった。
映画は意外にもSFが好き。
本をよく読む。ジャンルは外国作家のSFが多い。が、最近はどうやら自己啓発みたいな本も多いみたいだな。性格を変えたいんだろうか……。秀也拉致事件の一件が自分自身でも結構堪えているのかな……。
音楽は……今は洋楽だけど……どうなんだろう。
どうも浩二自身何が好きなのか分かっていないようだが……。
そんなことを考えながら料理を作っていると、スープに胡椒を入れすぎた。
「やべ」
 慌てておたまで浮いている胡椒だけでもすくい取る。
 味見をしてみるが少し辛い。
「まあ……食べれない訳じゃないだろうから……まあいいか」
 でも、浩二がなんと思うか……。こういういい加減な所、浩二はどう思うのかな……。
 ふっとそう考えた。
 だが、きっと浩二は何も言わないだろう。どんなに変な味でも、全部食べて、おいしかったですって無表情で言うだけだろう。
それとも、一瞬でも少しは変な顔をするだろうか?
それはそれで見てみたな……。
雅人はそのシーンを思い浮かべて、くくくと嗤っていると。
「どうかしましたか?」
 いきなり声をかけられて、思わず持っていたおたまを放り投げそうになった。
「びっびっくりしたっ!いつからそこにいたんだっ!」
 慌てて振り返ると、浩二がキッチンの入り口に立っていた。雅人がそんなに驚くとは思っていなかったのか、ちょっと困ったように首を傾げている。
「申し訳ありません。驚かしてしまって。何かお手伝いできないかと思ったのですが?何故か急に笑い出されたので、どうしたのかと」
「あ、ああ」
 まさか、浩二の変な顔というのを想像してて嗤っていたとはとても言えず
「ちょっとTVのシーンの思いだし笑いしてたんだよ」
と、誤魔化す。心なしか頬の辺りが熱くなったような気がした。
「そうですか?ところで暑いのですか。頬が紅くなっているようですが?」
 う、うわー……そこまで聞くかっ!
 その言葉にさらにかあっと熱くなった。
「大丈夫ですか?あの、私何か変な事言ったでしょうか?」
「い、いやあ、何でもない。その考えていたってのがくだらないシーンでさ、そんな事考えてたってのがちょっとはずかしくってさ……」
 我ながら何てべたな言い訳なんだろうと思っていたが、それで浩二はあっさりと引き下がった。
「そうですか?ところで私も手伝わせてください」
 どうも向こうで手持ち無沙汰だったようだ。
 それに気がついた雅人はにこりと笑って、頷いた。
「ん・じゃあさ、食器棚からスープカップ取ってくれるか?右側の奥の方入っているから……」
「はい」
 そう言って浩二が食器棚を開ける。と、その手が止まっているようだった。
 分からないのかな、と思って見ていると、のろのろと手を伸ばしスープカップを取り出す。両手に一個ずつ持って何か思案しているようだ。二つのスープカップを交互に見つめている。
「浩二?」
 雅人が呼びかけると浩二の肩がびくっと揺れた。
 そんな事は今まで無かったので、雅人の方もびっくりした。だが、浩二が雅人の方に向いたとき、表情にはそんな気配が一つもなかった。そして、スープカップを差し出す。
「すみません。どうぞ」
「ああ、ありがとう」
 何だったのかなあ……とは思ったが、ちょうど料理が次々とできあがっていたので、そんな疑問は隅に押しやられた。

 テーブルに並べられた料理を見て浩二は言った。
「凄いですね」
 その一言に、感嘆の響きが入っている、と感じた雅人は満足げな笑みを返した。
 浩二の言葉に感情を入れさせただけでも作った甲斐があるというものだ。
「さあ、食べよう」
 二人が向かい合って食べ始めた。
 雅人がスープを飲んでみると、予想外に辛かった。まずい、と思ったときには、浩二もそのスープを飲んでいた。
 ふっと浩二の手が止まる。雅人を見つめた。
「悪い。辛かったか?」
「そう、ですね。胡椒ですか?」
「うん。ちょっと入れすぎた。食べれなかったら残していいから……」
 さすがにこれはまずかったかなあ……とスープをかき回していると、浩二は以外にも微笑みを浮かべ言った。
「胡椒の辛さは平気です。胡椒の辛み成分は体にもいいんですよ」
「ほんとか?良かった」
 本当にほっとしている雅人に浩二は笑みを浮かべた。
 最近浩二に表情が出てきた。
 いいことだと思う。たぶん自分に慣れてきたんだろう。
 それにしても医者として診察しているときの浩二は、いつもあんな無表情なんだろうか……。一度見てみたいな……。
「あの、何か?」
 あまりにもじっと見つめていたせいか、浩二が訝しげに問う。
「あ、ああ、何でもない」
 気まずかった。差し障りの無い話題を探す。
「ところで、浩二って何歳だっけ?」
「私は29才です」
 それを聞いて、思わず浩二は持っていた箸を置いた。
「3才も年上……じゃないか……」
「はい。雅人さんは26才と聞いたことがありますので、そうなります」
 うーん、確かに落ち着いた雰囲気はあったが、3才も違うとは思わなかった。
「そうかー。じゃ優司より年上なんだ……。優司は27才だから」
「え?優司さんて27才なんですか。私は秀也さんと同じくらいかそれより下かと思いました」
 浩二の言葉に思わず雅人は頷いた。確かに優司は年より若く見える。まして、泣きじゃくる姿を浩二も雅人も見ているのだ。
「浩二はよっく考えると年相応なんだよな。いつも落ち着いているし……。あ、俺ってばずっと呼び捨てだった。やっぱ浩二さん、だよなあ。優司はもう優司としか呼べないけど……」
 そう言った時、浩二が表情がつらそうに見えたのは気のせいだろうか?
 だが、それも一瞬だった。
「構いません。どうか浩二と呼び捨てにしてください。今はもうその方がしっくりくるのです」
「え?でも」
 雅人が躊躇していると、浩二がじっと雅人を見て、言った。
「優司さんは呼び捨てにできて、私は無理ですか?」
「……」
 どういう意味なんだろうか……。浩二は俺に呼び捨てにして欲しいんだろうか……?
「……浩二がそういうのなら……」
 何か、浩二が暗くなっている、ような気がする。
 俺はまずいことを言ったんだろうか?
「ありがとうごさいます」
「そんな……礼を言われる事じゃない……」
 何か……やっぱ暗い……。
 これは話題を変えた方がいい。
「あ、あのさ、優司が今度誕生日なんだ。4月1日。で、俺、バレンタインに優司からプレゼントをもらったから、何か渡そうと思うんだけど……何がいいかな?っても、浩二はあの時しか優司にあっていないんだっけ……」
 我ながら何を浩二に質問しているんだ……。
 苦笑を浮かべる。と、浩二の様子が変なのに気がついた。明らかに顔色が変わっている。
「こ、浩二?」
 訝しげに問う雅人を見つめている浩二。
「あ、あの俺……」
 何で……何が悪かったんだろう。
 今までに見たことのない浩二の反応に、雅人はパニクっていた。
「何故……」
 浩二が口を開いたとき、その顔が苦痛に歪んだように思えたのは気のせいか?
「何故、優司さんからバレンタインにプレゼントを貰っているのですか。優司さんは秀也さんの恋人でしょう?」
「あ、えっとそれは、正月の件で優司の世話したし、走り回ったから……そのお礼貰ってもいいかなあって……バレンタインにしたのは、からかい半分、お節介半分だったんだけど……」
 何で、こんなことまで説明しなくてはいけないんだろう。というより浩二は何を気にしているんだ?
「お節介って……」
「そうでもしないと、せっかくのバレンタインに優司は秀也に会いに来ないからさ」
「そう、ですか……」
 少し落ち着いたのか表情が元に戻っているようだ。
 雅人はほっとした。そして、秀也に言われていることを思い出す。
『浩二は感情が爆発すると、感情にひきずられて行動してしまうんだ。その辺が子供みたいで危なっかしいから気をつけてな』
 今ももしかして危うかったんだろうか……でも何でだろう。何であんなに顔色が変わったんだろう。
「あの、それで優司さんには何を貰ったんですか?」
「ああ、この服だよ。結構気に入ってるんだ」
 今着ているシャツを指さす。「優司がわざわざ持ってきてくれたんだ。だからこそからかいがいもあるんだよなあ……」
 くすくす笑う。だが、浩二は一瞥しただけで、何も言わなかった。それに雅人は気がつかなかった。
「優司ってさ、秀也に隠し事できないんだよ。これ持ってきてくれたときも最初は黙ってたみたいだけど、結局その夜にばれちゃったみたいで……まあ、秀也の機嫌もよかったから許してくれたけどね。その前の時は俺、秀也に一発殴られちゃったよ」
「殴られたって?」
 浩二が反応した。じっと雅人を見る。
「ほら、秀也が浩二に拉致されたときにさ、心配であんまりにもひどい顔だった優司を慰めてるときにむらむらっときてさ、優司にキスしたんだ。精神的に落ち込んでいた優司も、受け入れてくれて……俺の理性がなかったら、最後までいってたかも知れない。ったく、優司はそういう所が危なっかしいんだよなあ。だから、守ってやりたいって思うんだけどね。まあ、秀也もいるし……」
 そこまで言った時、浩二が再び顔色を変えているのに気がついた。
「浩二?」
 声をかけたが、反応しない。
 ただ、目の前の皿をじっと見つめている。
「浩二……どうしたんだ?」
 雅人は、立ち上がり浩二の肩に手を置いた。
 途端、浩二にその手首を思いっきり引っ張られた。
「えっ!!」
体がバランスを失い、テーブルの皿を押し避けながら倒れ込む。幾つかの皿が落ちて、派手な音を立てた。慌てて手をついて体を起こそうしたとき、両手首を掴まれ、肩の上でテーブルに押しつけられた。
「っ痛」
 ぎりぎりと押しつけられる。目の前に浩二が顔があった。
 いつも落ち着いてる浩二の顔ではなかった。苦しそうに顔を歪めている。普段は静かな夜の海を思わす瞳が、荒々しく猛々っているのを見て取って、雅人は息を飲んだ。
 浩二の感情が爆発したのを感じた。
 何で……。
 考えても分からなかった。
 押しつけられた手首が悲鳴を上げている。
「痛いっ! 離しせよっ!」
 雅人は身をよじって離そうとするが、浩二の握力は半端ではなかった。
「どうして……」
 浩二の口から絞り出された言葉。
「どうして……優司さんが……いいんです……。嫌です、そんなに優司さんとのこと、楽しそうに話をしないでください」
 雅人は唖然とした。
 優司……のことを話して……何故?
 今ひとつ浩二の思考が理解できなかった。何で……。
「おい、手首が痛いんだっ! 離してくれっ!」
 本気でそう思った。だから懇願した。だが、無視される。
「くっ……こ、浩二……・」
 体も痛かった。上半身はテーブル上に上を向いて押さえつけられ、下半身は腰でエビ反りになった状態で下に降りている。その痛みもあって、浩二を振り切れない。
「秀也さんも雅人さんも、いつもいつも優司さんなんですね。私が好きになる人は、みんな優司さんを好きなんだからっ!」
 好き?
 浩二が俺の事を好き?
 ふっと抗う力が弱まった。その隙を浩二は見逃さなかった。
「んっ!」
 浩二の口が雅人の口を塞いだ。
 慌てて、顔を背けようとする。が、その途端手首にさらなる力が加えられた。
「っ!」
 あまりの痛さに涙が溢れる。その途端、口の中に進入した浩二の舌によって、歯を食いしばることができない。
「うううう」
 浩二の舌が雅人の舌と絡まり、口腔を犯す。歯茎を舌の先でこすられる。執拗な舌の攻撃に雅人は痺れにも似た快感を味わう。口の端から涎が流れ落ち、テーブルの上に溜まった頃、やっと浩二が口を離した。そして、両手を離す。
 解放された雅人はなんとか上半身を起こすが、そのまま床に崩れ落ちた。床に座り込み、テーブルの足にもたれ、苦しげに呼吸をする。
 手首の痛みと体の痛み、そして手先は痺れて感覚がなかった。
「雅人さん」
 静かな声。だが、雅人はびくっと体を震わし、顔を上げた。
 浩二が怖かった。
 感情が爆発すると何をするか分からない、と秀也に言われていた。だが、それを実感したときには遅かった。
 浩二の瞳が雅人を見据えている。
 それだけで、雅人は体がすくんで逃げることができなかった。
 怯えた表情の雅人を見て、浩二はくすっと嗤った。
「怖いですか……でもあなたがいけないんです。私の前で優司さんとキスしたなんて言うから……食器棚に揃ってるペアの食器類も優司さんの物ですか?」
 何を言っているんだろう?
 食器棚……・ペアの食器……って……。
「……あれは……違う……。ずいぶん昔のもの……。優司はこの部屋にはあの正月の時しか来ていない。あれから……来ようとはしない……」
 あれは、秀也とつき合ってたときの名残。捨てるのも忍びなく、割れずに残っていた物。
 じゃあ、さっき食器棚でじっと見ていたのは……。
「そうですか……」
 浩二が雅人の前に屈み込み、雅人の顎に手をかけた。
 びくんと雅人が震える。
「あなたといる時、秀也さんの時以上に楽しかった。私の感情が爆発しないように、冷静に対処しようと随分と注意して過ごしていた。だけど、あなたといるのが楽しくて、嬉しくて……でも、あなたにとっては楽しい話題でも、私にとっては、あなたが手の届かない所に行ってしまったようでした」
「こ、浩二……いつから……」
 いつから俺のことを……
「さあ、いつからなんでしょう?気がついたら、いつもあなたのことを考えている私がいました。あなたの電話を心待ちにしている私が。だけど、あなたは友人として接してくれています。その関係を壊したくなかった。だが、あなたが優司さんの話をした時、私の心の中で何かか弾けたのです。私は、あなたを離したくない!」
 浩二は、すっと雅人の膝に手を通し、もう片方の手で体を支え、すいっと持ち上げた。
「あ、おいっ!」
 重いはずの雅人の体を軽々と抱き上げ、すっくと立ち上がった浩二は、雅人に尋ねた。
「寝室はどちらです?」
 寝室って……何を……。
 あまりの事に言葉を失っていた雅人に浩二はもう一度尋ねた。
「寝室はどちらです?」
 途端、雅人の左膝に激痛が走った。
「うっがぁぁーー」
 浩二の膝を抱えた手が、左膝を鷲掴みにしていた。たいして力を加えていないように見えるが、ものすごい激痛が左足を襲う。
 体を起こし、手でその手を避けようとするが、先ほどの痺れと痛みが抜けていない手ではどうしようもなかった。
「寝室はどちらです?」
 3度目の問いに雅人は、
「そ、その……通路をでた左……の扉……」
 そちらをちらりと眺めた浩二は手の力を抜く。
「はあぁぁ」
 激しい痛みから解放された雅人は、がっくりと力を抜いた。浩二の胸に頭を預け、荒い呼吸を整える。
 その間に、浩二は雅人を寝室へと連れて行った。
 そして、セミダブルのベッドの上にどさっと雅人を下ろした。
 乱暴に落とされた雅人はすぐ立ち上がろうとしたが、手は力が入らず、左足全体が痺れたように言うことをきかない。這うようにしてべっどの反対側に逃げようとしたが、足首を掴まれ、引き寄せられた。
「雅人さん、私に逆らうと痛い目に遭うことになりますよ。こんな風に……」
 浩二は雅人の足首を掴んだ手に力を入れた。
「うっわあああ」
 ごきりと骨がなりそうな、そんな痛みが足首から全身に走った。
「や、止めて……お願いだから……止めて……くれ」
 涙混じりに懇願する雅人。
 浩二はすっと手を離した。
「おとなしくしてくだされば、痛いことはしませんよ」
 そう言いながら浩二がベッドに乗ってきた。
 雅人は、上を向いてベッドに体を投げ出し、目だけで浩二を追っていた。
 もう逆らう気力がなかった。
 度重なる痛みの攻撃に精神がそれ以上にダメージを受けたのだ。
「雅人さん、愛しています……」
 浩二が耳元で囁くのを聞いた。
 愛……。
 こんな風に痛みを相手に与えて、愛が囁けるのか、お前は……。
 涙がとめどめもなく流れた。
 それを浩二が舌ですくい取る。
「あ……いや……だ」
 甘い痺れを感じて、雅人は身もだえた。
どうして、感じるんだ……こんな目に遭わされて……。
だが、浩二の舌は雅人の敏感な所を捕らえては、容赦なく責め立てる。
い、やだ……こんなことで感じたくない……こんなのは、嫌だっ!
雅人は力を振り絞って、浩二の体をはね除けた。
だが、すぐさま服を掴んで引き戻される。その途端、シャツのボタンが弾け飛び、雅人の胸が露わになった。
どんっとベッドにたたきつけられた雅人は脳震盪を起こしかけた。
呆然とする雅人の肩に手をかけた浩二は、うっすらと笑みを浮かべて囁いた。
「もっと、痛い目をみたいですか……」
 びくんと怯えて反応する雅人を楽しむようにゆっくりと肩に力をかける。
 すぐさま、両肩に激しい痛みが襲ってきた。
「や、やだっ!止めろ!この野郎!」
「口が悪いですね。ベッドの上ではそんな乱暴な言葉を言う物ではないですよ」
そう言いながらますます力を入れる。
「ぐ……うっ」
「こういう時、どういえばいいか分かりますか?」
 静かなしかし有無を言わせない口調だった。雅人は涙が溢れた目で浩二を見る。
 雅人は浩二と目があった瞬間、呟いた。
「ごめんなさい。……もう……暴れません……。お願い……力を抜いて……」
 涙とともに吐き出された言葉に、ようやく両肩から力が抜かれた。しかし、浩二の攻撃はツボを捕らえているのか、その影響で両腕全体が痺れたように動かなかった。
 ほっとしたのもつかの間、はだけた胸に浩二が覆い被さってきた。
 ざらりと胸の敏感な部分を嘗めあげられ、雅人はびくんと跳ねた。
 痛みの痺れと快感の痺れが体全体をむずがゆく走る。
 浩二の愛撫によどみがなかった。
 確実に雅人の性感帯を攻めてくる。
「……うう……あふ……・く」
 声が漏れる。
 情けなくて、悔しくて……しかし、それ以上の快感の波に翻弄されつつあった。
 この快感が得られるのなら、何で逆らえるか……。
 時折ついばむようなキスが、雅人の体にマークを付けていく。
 きつい吸い付きに身をよじるが、だが、それ以上の動きはなかった。
 雅人は浩二を受け入れつつあった。
 それほど、浩二がくれる快感は甘美だった。信じられないほどの快感が寄せてくる。
 自分がそこまで敏感だとは思わなかった。
 触れられるたびに襲う痺れにも似た刺激に翻弄される。
 何で……どうして……俺、無理矢理されてるのに……どうしてこんなにいいんだ?
 いきなりズボンを下着とともに下げられ露わになった、立ち上がりかけていた雅人自身を浩二が口に含む。
 その生暖かい絶妙な感触が一気に雅人の理性を崩壊させた。
 むくむくとさらに堅くなるのを自身で感じた雅人は、うまく動かない手で浩二の頭を掴んだ。そして、浩二の口を犯すかのように自ら動かす。
 そんな雅人に、浩二は楽しそう嗤いを漏らす。
 その嗤いの刺激すら、雅人を高めた。
「う……ああ……いい、いいよお……」
 あえぎを漏らす雅人のものをゆっくり嘗めあげる。
 じらすかのようにつつき、時折ふっと離す。
 すっと浩二の手が雅人の尻のほうに回った。その指が、尻の割れ目をなぞる。
 雅人の体が大きく揺れた。
 指先が蕾の周りをなぞる。前を口で嬲られ、後ろを指で嬲られ、雅人はもうイク寸前だった。
「あ……ああ……・もう……もうっ!」
 だが、その瞬間激しい痛みが雅人の前と後ろを襲った。
「ひいぃっ!!」
 目を見開き、体を反らす。
 理性までもが回復した。
 痛いっ!!嫌だあっーーー!
 力を入れて握られた雅人自身は、イク寸前に堰き止められ、後ろには深々と指が入っていた。
 雅人は男は秀也としかつき合っていない。その時でも雅人が攻めだった。後ろは全く使っていなかった。そこに無理矢理ねじ込まれた指は1本でも苦痛を与えた。
「簡単にイッて貰っては困ります……」
 浩二の声が耳に入る。
 そ、そんな……。
 雅人は大きく息を吐き、苦痛から逃れるように身を捩った。
 しかし、浩二はそんな雅人を許そうとしない。
「・・・・・・やめ……たのむ……・・もう、いかせて……・」
 涙が流れる顔を浩二に向けて、懇願する雅人。その瞳に映った浩二は、口元に笑みを浮かべ、その瞳には燃えさかる激情が映っていた。普段の浩二とは別人のようだった。
 浩二は、そんな雅人にさらにもう一本指を増やした。
「くうっ」
 開かれる痛みにのたうち回る。しかし、前を強く握られているため逃れることはできない。
「離して欲しいですか?」
 あ、当たり前だ……。
 だが、言葉がでない。
 かわりに何でも頷いた。
「仕方がないですね……」
 何が仕方がないんだあ……
 だが、その言葉とともに雅人自身を握っていた手が離され、雅人はほっと安堵した。だが、まだ後ろでは指が体の中で蠢いている。違和感が雅人を襲っていた。
「うくっ、ああっ……」
突然快感が走った。
体の中の指が痺れを全身に放つ。
 萎え始めていた雅人自身が触られてもいないのに堅くなり始めていた。
 その姿を浩二は満足げな笑みを浮かべ眺めている。
 浩二の視線が雅人を嬲るように刺す。
 自分の今の状態が急に脳裏に浮かび、顔を背けた。全身がさらに紅潮する。
「あああっ……」
 すっと先走った液をなで取られた。
 浩二はそれを自身のモノになでつける。
 そして、雅人の足を大きく広げさせた。
「あっ!止めろっ!」
 浩二の意志に気がついた雅人は慌てて体を起こして逃れようとした。
 が、手足に痛みと痺れがあって力が入らない。
 そんな雅人を後目に浩二は自分のモノを一気に突き立てた。
「あああああ!」
 全身を引き裂かれるような痛みに雅人は大きく仰け反った。
 初めてなのにあまり慣らされない内に入れられたため、入り口から鮮血が流れる。
 激しい痛みに目を見開き、そこから涙がしたたり落ちる。口からはうめき声しか出ない。
「うううううう」
 入れたまま浩二はそのまま動かなかった。
 しかし手は萎えた雅人のモノを上下にこすり始めた。
 痛みに我を忘れていた雅人は自分に与えられる刺激に嗚咽を漏らす。
 こんな……こんな乱暴なのは嫌だ……
 もっと、もっと優しくして欲しかった……・・
 そうしたら、そうしたら俺……
「あっ……たの……む……から、もっと……優しく……」
 痛みにきつく閉じていた目をうっすらと開け、浩二に懇願する。
 優しくしてくれたら……。
 浩二にあげてもよかったのに……。
無意識のうちに言葉が漏れた。
「たのむ……やさしい……こ、こうじなら……んっ……」
 雅人の懇願の間にも浩二は刺激を与えるのを止めなかった。そして、少しずつ腰を動かし始めた。
「んん……」
 しばらく止めてむいたため雅人の体になじんでいたそれは、痛みとともにそれ以上の快感を煽る。
「こうじぃ……」
 掠れた声でただひたすら呼びかける。
 絶え間ない快感が寄せてくる。痛みは徐々に薄らいでいた。その中で、ただ無意識のうちに呼びかける。
「……んあっ……・・こうじ……・俺」
 そして言った。
「こうじなら……よかった、のに……だかれても……」
びくん
 浩二の体か揺れたのを感じた。
 不審げに浩二を見上げた雅人は、浩二の表情が変化しているのを見て取った。
 何て悲しそうな目……。
 先ほどまでの激情に駆られた浩二ではない。いつも静かな無表情な浩二でもなかった。そこにいるのは泣きそうな顔をした浩二。
「……こうじ……」
 呼びかける。
「……わ、私は……」
 ああ、浩二が元に戻った。
 雅人は確信した。
 感情を爆発させ、激情のみで動いていた浩二が……。
 何がきっかけか分からない。だけど、だけど……良かった。
「ご、ごめんなさいっ!わ、私は何てことをっ!」
 慌てて浩二が体を除けようする。
 雅人はとっさにその手を掴んだ。力が入らない手ではあったけれども、浩二は動くのを止めた。
 唖然と雅人を見る。
「俺……こんなところで止めて欲しく……ないんだ……」
 雅人の体はもうイク寸前だったのだ。もう受け入れ態勢ができていた体か浩二が離れるのを止めさせようと動く。
 雅人に体の中で締め付けられ、浩二は顔をしかめた。
「たのむ……よ。浩二……・」
「ま、まさ、と…さん」
 浩二はどうしていいかわからないような困った表情を浮かべたが、締め付けられた自身の欲情が浩二の体を突き動かした。
「……んああ……」
 雅人のあえぎと濡れた音が響く。
「ああ、いいよおっ……いい……くう!」
 意識が飛びそうになるのを必死でこらえる雅人。
 ぎりぎりまで快感を高めようとする。
「ま、まさと……さん。私、もう……」
「お、おれも……もう……」
 その途端、浩二の精が雅人の体内に放たれた。
 そして、雅人も……。
 雅人はそのまま意識を失った。



 まぶしい……。
 ふっと腕で目を覆おうとして、痛みが走った。
「ってえ……」
 それで目が覚めた。
 体かだるい……というよりあちこちがぎしぎしと音を立てていそうなくらい痛い。
 特に、腰……・・そして尻。
 それに……やたら左手首が痛い。
 それほどではないにろ、右手首、足、膝、肩……鈍い痛みがあった。
「俺……どうしたんだ……」
 意識が目覚めたのに、なかなか記憶が回復しない。
 何でこんなに痛いんだろう……。
 動かない体で、周りを見渡す。
 見慣れた自分の部屋。
 ああ、そういえば浩二と遊んで帰ってきたんだっけ……それから、晩ご飯たべようってことになって……
「!」
 思い出した。
 がばっと跳ね起きようとして、反対に突っ伏してしまう。
 体の痛みと自分の物でないようなだるさ。
 それでもかろうじて体を起こす。
「浩二?」
 呼んでみたが部屋にはいないようだった。
 どこに行ったんだろう……
 ふっとベッドサイドのテーブルに紙が置いてあるのを見つけた。
『申し訳ありませんでした。もう会いません。 増山浩二』
 几帳面そうな四角い字は確かに浩二のものだった。
『もう会いません』
か。
 浩二は脱力感を感じて、再びベッドに突っ伏した。
 会わないか……そうだろうな……俺だってどんな顔して会えるって言うのか
 せっかく友達になれた、と思った。
 最初は確かに秀に言われたからだけど、今までああいうタイプっていなかったし、以外に気楽につき合える友達ってのもいなかった。ホストをやってるせいで大学の友達とは時間が合わないし、秀とですら会えないことが多い。
 いや、今友達と呼べる人間が一体何人いるんだろう……。
 ほんとに俺は、浩二と友達になれたことを素直に喜んでいたのに……何で……。
 動かない体、走る痛み。
 そのたびに昨日の事を思い出す。
押さえつけられ、荒々しく抱かれた。
 引き裂かれるような痛み。
 激しい思いとともに貫かれて……。
 そこまで思い出して、雅人は頭を振った。
 俺は、最後には求めてしまった。
 浩二ならいい、と。
 自分を取り戻して止めようとした浩二にすがりついた。
 羞恥に顔が真っ赤になる。
 あんな目に遭わされて、どうしてあんな事を言ってしまったんだろう。
 どうして……。
「畜生!」
 頭が混乱していた。
 体が動く度の痛みも思考の邪魔をする。
 体内に残っている物が違和感を雅人に伝える。
「とりあえず、痛み止めでも……でもその前に何か食べないと……・・ああ、でもシャワーも浴びたい、けど体が動かないぃー」
 雅人は呻きながら体を起こして、ベッドサイドに足を下ろした。
「うう」
 腰から舌が自分の物ではないようだ。だが、痛みだけは襲ってくる。
 体を引きずるように壁に手をつきながら、バスルームに移動した。手首も痛みを訴えるが、それは我慢した。
 1年ほど前にやった手首の捻挫に似ているな。
 バスルームでシャワーを浴びながら、視線を手首に移した。
両方の手首に掴まれた痕が青あざとなって残っていた。
「……あいつ、何て力してんだ……・・」
ふっと鏡を見ると、押さえつけられた肩、そして膝、足首にも青あざが見える。
『もっと、痛い目をみたいですか……』
 ふっと脳裏にその言葉とともにあの時の浩二が浮かんだ。口元にうっすらと笑みを浮かべ、自分を見下ろしていた。
 ぞくり
 背筋に悪寒が走った。
 怖い……。
 痛めつけられた恐怖が急に戻ってきた。
 浩二があんな表情をするとは、思わなかった。本当に怖かった。あのまま逆らい続けたら、俺は一体どうなってたんだろう……・・。考えたくもないことが脳裏に浮かんでは消える。
 だが、我に返った浩二の表情も浮かんでくる。
 激しい後悔で泣きそうな顔。自分がしたことに恐怖を感じている顔。
 あの顔を見た瞬間、雅人は痛みを忘れた。
 そして、求めた。
 鏡に映る自分。
 あちこちにある赤いキスマーク。
 痛めつけながらも与えられた快感が甦る。恐怖がすうっと消えていく。
 今まであそこまでの快感を得たことがなかった。何故、浩二はあそこまでテクニックが凄いのだろうか。今まで男とも女ともつき合ったことがないと聞いていた。
 だのに、的確な攻撃に雅人は翻弄されたのだ。
 悔しかった。男は秀一人だったけれども、ホストとして幾人かの女性とつき合ったことがある。抱いたこともある。いつだって、男として行ってきた性行為。それが昨夜は逆転した。
 初めての受け。
 だが翻弄された。
 今まで受けていた快楽の比ではなかった。
 もっと欲しかった……。
 あんな乱暴な物でなかったら、もっと……。
「あ、俺、何考えてんだ……」
 雅人は思わず口を塞ぐように手を当てた。自分の考えに全身が紅くそまっていく。
 あんなことされたのに、俺は……。
 その時すうっと体内から流れ出る感触に思わず座り込む。
「あ、浩二の……」
 浩二が雅人の中でイッた痕。
 あの時の事を思い出した雅人は、思わず自分自身を手で掴んだ。
 そこは欲情を蓄え、天を向いていた。
 昨夜の記憶に煽られるように手を動かす。
 雅人を押さえつける浩二の手
 体をむさぼるように吸い上げ、嘗めまわす舌とキス
 そして体内で暴れる浩二自身……。
 だが、何より雅人が欲情したのは、浩二が向けていた欲情にかられる顔と激しい後悔にさいなまれている顔。普段静かな夜の海を思わせる瞳が、感情に捕らわれて怪しい光を放っている、あの瞳……。
「う、ああ、んん……あっ……」
 もう止まらなかった。一気に高みへと駆け上がっていく。
「……ああ、こ、こうじぃっ!」
 名を呼ぶとともに自らの手の中に精を放つと、ぐったりと浴槽の縁に体を預ける。
 肩で息をしながら、雅人は自分の脳裏に浮かぶ考えを肯定するしかない事に気がついた。
『俺は、あんな目に遭わされても……浩二を求めている……』
 それが愛情からくるものなのかは分からなかった。
「浩二は好きだ……だが、その感情は愛するというものと一緒なんだろうか……」
 そう呟くと、雅人はシャワーを止めた。
 壁伝いに外へ出る。
 先ほどの行為でさらに体に負担がかかったのか、一層体のだるさが激しくなった。
 雅人は苦笑を浮かべると、キッチンへと向かった。
「何かあったかな?」
 とりあえず何か食べないと痛み止めが飲めない。
 そう思って冷蔵庫を覗いた。
 すると、昨日の料理の残りが丁寧にラップをかけられ入っているのを見つけた。
 そういえば、あの時、食べてる途中で……テーブルから皿が落ちてた。
 雅人はテーブルの方を振り返った。
 テーブルの上も下もきれいに片づけられ、流しに残していた料理に使った鍋なども片づけられている。雅人自身片づけた覚えなどない。
 浩二が片づけたのか……。
 あの後浩二は一人で台所を片づけたのか。
 そのシーンを思い描いたとき、雅人の胸に痛みが走った。
 まだ短いつきあいだが、普段の浩二の性格は何となく把握していた。
 きっと後悔にさいなまれながら片づけたに違いない。
 自分のために作られた料理。
 それを台無しにしてしまった自分自身を責めながら。
 割れた皿、こぼれた料理……。
 全て自分のせいだと思いながら……。
「俺もつらかったけど、正気に戻ったお前の方がよっぽどつらいよな……」
 雅人の目から涙が流れ落ちた。
 雅人自身は確かに痛かった。だが、最後には快楽に溺れた。今だって、何でこんな事になったんだ、とは思っているが……まだ浩二を求めている自分に戸惑ってはいるが……でも、それほどショックではない。
 今回のきっかけは、浩二が雅人のことを好きだということに気がつかず、嫉妬心を与えてしまったからだ。
 一番気を付けなければならないことに、そう秀に言われていたのに、油断していた。気楽につき合っていて、気を抜いていたのかも知れない。
 それが頭にあるせいかもしれないが、浩二に対して悪感情を持っていない。
 さっきあのメモに書かれた『もう会いません』という言葉の方がよっぽどショックだったのだと改めて気づく。
 どう考えても、襲われた自分より浩二の方がショックを受けていると思える。
 好きな相手を乱暴に犯した。
 きっとそう思っているだろう。
 浩二はずっと悩むだろう。
 ずっとそのことで自分自身を責め続けて。
 そして絶対に会わないだろう。
 秀の時とは違う。
 秀は最後までいかなかった。
 秀はそういう相手を言葉で納得させるのに長けているから、だからあんな円満解決になった。
 それにどうも秀の時より雅人に対する浩二の思いが強いように感じる。
「どうしよう……」
 このままでは良くない。
 浩二が壊れそうな気がする。
 そっちの方がはるかに心配になった。
 俺は体を傷つけられた。だが、以外にも図太いのか心までは傷ついていない。
 浩二は、体は大丈夫だが、心は激しく傷ついている。
 俺は、浩二のこと好きなんだ。
 だから助けたい。
「よしっ」
 雅人は両手を握りしめ、一つの決心をした。



 自宅に戻った浩二は自分で自分を責め続けていた。
 どうして?
 何故?
 まさか自分がそこまでやってしまうとは思ってもみなかった。
 台所の椅子に座りテーブルに肘をついて頭を抱える。
 あの後、雅人の部屋の片づけをして帰ってから、ずっと座りっぱなしだった。
 何も食べていない。
 なのに空腹は感じなかった。
 寝てもいない。
 なのに眠気も感じなかった。
 浩二はひたすら自問自答をする。
 どうして?何故?
 いくら考えても結論は出なかった。
 頭の中がぐちゃぐちゃなのだけが分かった。
 浩二はため息をつくと、自分自身を落ち着かせるために、自分の思考を整理することにした。
『お前は感情を内へとため込みすぎる』
 昔通っていた道場の師範に言われたことがある。その時、教わった心を鎮める方法。
 今まで何度かそれで問題をクリアできたことがある。
 本当なら、あの行為に及ぶ前にできたら良かったのだけど……。
 あの時の感情の爆発は自分でも思いも寄らぬほど激しかった。秀也の時とは比べ物にならなかった。秀也の時も確かに間に合わなかったけど、それでもいくらかは理性があった。こんな事をしてはいけないと、何度も思っていた。
 だが、雅人に対しては、理性が完全に吹き飛んでしまうほど。
……あんなのは初めてだった。
 浩二は大きく首を振り、立ち上がった。
 リビングに行き絨毯の上で座禅を組む。
 そして、大きく深呼吸を数回した。
 まず心の中を空っぽにする。
 だが、言葉でいうのは簡単だか、今日に限ってはとにかく難しかった。 
 心がふっと昨夜の事を思い出す。
 そうなると意識がそちらに傾き、心が乱れる。
 何度も自らを叱咤し、強引に意識を鎮める。
 何とか、落ち着いた頃、ゆっくりと回想を始めた。
 ……。
私は雅人さんが好き。
だがいつからだろう?
 最初は秀也さんに言われて、たぶん雅人さんの方も秀也さんから言われて、友達づきあいするようになった。
 だが、すぐに雅人さんとつき合うことに違和感がなくなった。
 最初は、雅人さんがしたいようにしてくれればいい、私はどうせたいした趣味もなく、以前は出かけることもあまりなかったのだから……そう思っていた。
 だがすぐに雅人さんは私というモノを理解してくれた、ように思えた。
 いつも自然に自分の行きたいところに私を連れて行く。
 買い物がしたいなら店へ、ゆっくりしたいなら公園、飲みに行きたいなら行きつけの店。
 どこも気取らない気軽にいける場所で、浩二でも十分楽しめるところだった。
 そして、雅人さんは熱中していても、ふっと私を振り向き声をかける。
 その絶妙なタイミング。声をかけて欲しい、と思い始める頃を狙って話しかけてくる。
 それになによりその時の表情。話しかけるときの笑顔。
 いつからか、その笑顔が見たいがために、雅人さんについて回るようになった。
 一度、面白いのかと尋ねられた事があった。不審そうだった。
 そうだろう……ただついて回るだけ、なのだから……。でも私はそれでいい、と思っていた。楽しいとかそんなんじゃなく、ただついて回るのが好きで、あの笑顔が見ていたいから……。だけど、やっぱり駄目なんだろうか……だから『ご迷惑ですか?』と反対に聞いたような気がする。そうしたら、雅人さんはちょっと困ったような顔をして、「そんなことはない」と言った。
 嬉しかった。
 それ以来雅人さんはそんな質問をしてくることはなかった。
 たぶん気を遣ってくれているのかも知れない。
 幾度目か飲みに行って帰った後……。
 その時の事を思い出して、浩二の顔が紅潮した。
 慌てて深呼吸を数回する。
 初めて夢で雅人さんを抱いた。
 あまりにも鮮明な夢。
 自分が雅人さんを好きになっていることを思い知らせてくれた、夢。
 自分の下で喘ぐ雅人さん。
 現実の雅人さんと夢での雅人さんが重なる。
 それからのつき合いは、その感情を隠すので精一杯だった。
 秀也さんの時はそこまで親しくつき合うこともなく、不安定な自分の心が引き起こした物。無意識の内に秀也さんに救いを求めたんじゃないかと後で秀也さんに言われた。
 そうかも知れない。
 だけど、雅人さんの時は、自分で自分の感情をもてあましたのは事実。
 なぜなら、友達としてのつき合いを崩したくなかったから。
 でないと会ってくれなくなりそうだったから。それだけは避けたかった。
 眼鏡をかけ始めたのはそのころだった。多少色つきにして、視線を隠す。でないといつでも雅人さんを追っているのがばれてしまいそうだった。
 そうやって冷静でしようとすればするほど、心は雅人さんを追い求めていた。
 そこまで思い描いて、ため息をつき、再度深呼吸を繰り返す。
 なかなか心が落ち着かなかった。
 師範や秀也さんに言われていたことか思い出される。
 私は、感情が爆発すると何をするか分からない。
 気を付けていたつもりだった。
 秀也さんの事件以来、前にもまして気を付けていたはずだった。
 だけど、まさかこれほどまで自分が雅人さんを好きになっていたとは……それを溜め込みすぎていたとは思わなかった。
 雅人さんの部屋に招かれ、食事をする、その時はもの凄く嬉しかった。だが同時に不安を感じた。嫌な予感がした。
 どんどん親しくなる。
 そのことは嬉しかった。
 反対に親しくなることにより自分の感情がばれたら……。
 雅人さんが受け入れるかどうか…受け入れられなかったら……。
 不安だった。
 だから断るべきだったのかも知れない。
 だけど、その時はその場の雰囲気と雅人さんの笑顔に流されてしまった。
 自分自身、そこまでいくとは考えていなかったから……。
 だが……。
 雅人さんは気づいていなかったかも知れない。
 私は、あの部屋の本棚の奥に一枚の写真立てを見つけた。
 写真には秀也さんと雅人さんが仲良く写っている。
 昔つき合っていたということは知っていた。だが、その事実を写真という映像で見せつけられるとかなりショックだった。だが、何よりその写真の裏側にもう一枚写真があって、それを見たときにはそれ以上の衝撃があった。
 隠されるように置いてあったその写真は、秀也さんと優司さんのものだった。
 どこかの会社の事務所で撮ったようで普通紙にプリントアウトしてあるもの。
 秀也さんの満面の笑顔と優司さんの苦笑めいた笑顔。それだけなら何とも思わなかったろう。だが、その二人の間で2つに折られていたその事実は……何を指す物なのか?
 頭に浮かんだその思いを振り切ろうと台所に行った。
 そして次に見つけたのは食器棚に浮かぶペアのマグカップ、スープカップ、皿……。
 少なくとも以前に二人で住んでいたような痕跡……。
 あれらは秀也さんのものだろうか……それならまだいい。残っていてしかるべきものなのかも知れない。喧嘩別れではなかったから食器を処分するまでにはいかなかったのだろう。
 だが、もしかすると優司さんのかも……。
 ふっとそんな考えが浮かんでしまった。あの写真を見たせいかもしれない。
 そして食事。
 料理はおいしかった。
 だが、その時の話題が……聞いているとどんどんつらくなるのが分かった。
 何故、こんな時に優司さんの話題なんだ……話題を変えたかった。だけど、だからどうしたら話題を変えられるのか思いつかないままひたすら話題は優司さんで……。
 まずい……そう思った。
 決定的だったのは、キスした話だった。
 冗談のように話してた。
 きっとそうだろう。冷静に考えれば分かる話だ。
 優司さんは秀也さんの恋人で、あの時迎えに来た優司さんを見れば、お互い惚れ会っているのがよく分かった。
 それこそ雅人さんが入り込む事ができないほど……。
 だけど、雅人さんが優司さんに心惹かれていることも分かったから……。

 その後の事は憶えていたくない……。
 無理矢理押さえつけ、怯えている雅人さんを犯していった。
 痛みに打ち震える表情。
 懇願する言葉。
 何もかもがきちんと耳に残っている。
 なのに、答えてあげれなかった……。
 ただひたすら、許せなくて……苦しめたかった……。
 雅人さんが誰のことを思おうと、誰とキスしようとも、告白していない私にそれを咎める権利はない。
 それは分かっていたのに……。
 途中から、怒りは欲望にすれ変わっていた。
 快感に溺れる雅人さんの表情が見たくて……声が聞きたくて……味わいたくて。
 攻め続けた。
 痛みを訴える雅人さんの苦しげな声が耳を打つ。
 それすらも私の欲望を高める道具にしか過ぎなかった。
 座禅を組んで鎮めようとしていた感情が棘となって胸を痛める。
 閉じた目から涙が流れてきた。
 浩二自身が自分を取り戻せたのは、雅人さんの一言だった。
『こうじなら……よかった、のに……だかれても……』
 涙を浮かべて訴えられたとき、私は自分を取り戻した。
 だが、遅すぎた。
 私は雅人さんを貫いて、傷だらけにして……。
 こんなこと……して……もう、会えない。
 ちゃんと言葉で伝えておけば、こんなことにはならなかった。
 もしかしたら期待していた返事だって聞けたかも知れない。
 あの言葉はそういう意味だったように思える。
 だけど、もう遅い。
 私は、また言葉を飲み込みすぎて……結局取り返しのつかないことをしてしまった……。
 雅人さんは許してくれない。
 もう会うこともできない。
 やっと見つけた安らぎの時を、自分自身の手で壊してしまったのだから……。
 ……。
 許せない自分。
 取り戻せない時間。
 浩二は涙するしかなかった。
 
 遠くで鳴る音に浩二は座禅を崩した。
 携帯が鳴っている。
 急患か?
 慌てて携帯電話を取ろうとして、そのディスプレイに出ている名前を見て愕然とした。
 取り上げた携帯を握りしめる。
 鳴り続けていた音が止まり留守電に鳴ったとき、かすかに雅人の声が聞こえた。
 だが、それを耳に当てることができなかった。
 聞きたい、と思った。
 でも怖かった。
 何故。
 頭の中でいろいろな考えが混じれ合う。
 まとまらない……。
 接続が切れ、ディスプレイが暗くなった頃、ようやくのろのろと携帯のボタンを押した。
『雅人だけど……。体が痛いんだ……。特にその左手首がさ。前一回捻挫してるからまたなっちまったのかも知れない。痛みがその時と似ているんだ。……あの、さ、浩二は整形外科医だろう。とりあえずの応急処置でいいからさ、何か薬か……湿布でもいいから持ってないか?今日家で待ってるからさ、その、薬とかなくてもいいから来てくれないか?待ってるから……』
 な、ん、で??
 頭の中を?マークが飛び交う。
 私はもう逢わない、と。
 こんな逢えるはずもない、と。
 なのに雅人は私を呼びつけるのか?
 いや医者として私を呼ぼうとしているような内容……だからといって傷つけた相手なのに。張本人なのに……。
 どうしたら……どうしたら……・。
 逢いたい、逢って……でも、どうするんだ?
 怪我の手当をして、それでさようなら、と別れられるのか?
 冷静に対処できるのか?
 また、感情的になったら、今やっと落ち着けた感情がまた爆発して、その気のない雅人さんを襲ってしまったら……。
 どうしよう?
 結論がでなかった。



 さあ、電話をした。
 浩二は来るだろうか?
 雅人は携帯を見つめながら考えた。
 携帯の留守電は絶対に聞くはずだ。
 急患を含め病院の呼び出しがあれば携帯に入る。遊んでいるときも定期的に携帯をチェックしている浩二を見ている。
 今いなくても、いつかきっと聞く筈。
 ま、俺からだってばれて、すぐさま消されたら意味ないんだけど……でも浩二なら聞かずに消すということはないだろう。
 だから、とにかく浩二を待つしかない。
 最初は病院にでも押し掛けようかと思った。でも大勢の看護婦やら患者のいる前で話なんかできないだろうし、家に来てくれとも言えそうにない。
 家に行ってドアを開けてもらえなかったらしゃれになんないし……とも思った。
 それ以上に出かけるのには体が悲鳴を上げていた。
 だから、ストレートに来てくれと言おうと思った。
 ただ、ちょっと意地悪をさせて貰った。
 この位ならいいだろう。ほんとに痛んだから……。
 左手首を見る。
 どう見ても右の手首より腫れている。
 湿布薬を探したが、なかったのだ。浩二がこなかったら、病院行きだな。だけど、理由をなんと説明しようか……。
 まあ、その時はその時だと言うことで……。
 雅人はソファに寝そべり、浩二が来るのを待った。とにかく待つことにした。


 うつらうつらしていた雅人は、玄関のチャイムに跳ね起きた。
 電話をしてから2時間くらい経っている。
 だが、いきなり起きたものだから、腰に響いた鈍痛に思わず床にしゃがみ込む。
「てて……」
 なんとか立ち上がり、玄関に向かった。
「どちらさまですか?」
 一応聞いてみる。これで宅配便だったらしゃれになんねえ、なんて思いながら。
「増山です」
 いつもの声がした。
 やったと思った。
 1回大きく深呼吸した。
 次の瞬間、雅人はホストの雅人になった。店でNO.1ホスト。その面目にかけても、今日の客は落とさせて貰いましょう。
 雅人は玄関の鍵を開けた。
「鍵開けたから入ってくれ」
 そういうとドアがゆっくり開いた。
 外に浩二が手に袋を持ち、立っていた。少し疲れたような表情。目が赤い。
「入ってくれ」
 雅人がそう言うと、浩二はようやく動いて玄関に入った。
 ためらうような動作を見せる浩二におかまいなく雅人は玄関の鍵を閉めた。
「!」
 浩二の目が見開かれる。
 そんな浩二を見て、雅人は笑みを口元に浮かべて言った。
「何をびっくりしてんだよ。まっ、俺としては昨日からいろんな表情が見れて楽しいけどな」
 からかうような雅人に浩二はとまどいを隠せない。
「あ、あの」
「そら、リビングのソファに行こう。早く、この痛いの何とかしたいんだ」
 さっさとリビングに向かう。
 くっそう、格好つけるのはいいが、さっさと動くのはきついぃ!
 雅人が内心苦笑を浮かべているのに気づかない浩二は誘われるままにリビングに向かった。
 先にソファに座り、浩二には隣のソファを進めた。
 浩二は一瞬迷うようにソファと雅人を交互に見つめたが、結局一つため息をついてから座った。
「手首を見せてもらえませんか?」
 どうやら今日は医者に徹するようだ。
 だけど、そうはいかない。
 雅人はそう思いながら、両手首が見えるように袖をまくり上げた。
 そこに浮かぶ青あざに浩二の顔色が変わる。
 浩二がポーカーフェイスを作れていないことに雅人は満足げに笑みを浮かべた。
 感情を爆発させないようにコントロールするのも難しいが、そういう客を相手にしたことだってある。
 浩二の手が腫れている左手首を取った。
「どの辺りがどのように痛いですか?」
 雅人が痛い部分を指さすと、浩二は僅かに頷いた。そういう症状に心当たりがあるのだろう。
「確かに捻挫ですね。無理にひねったから……」少し言いにくそうに原因を呟いたが、次には前の口調に戻る。
「捻挫はくせになりますから」
 そう言うと、袋から湿布薬と包帯を取り出した。
 誰のせいだ。と口の中で呟いたが、浩二のしたいようにさせた。
「できれば、明日病院に行っていただいた方がいいです。念のためレントゲンを撮った方がいいですし、塗り薬は薬局で貰わないといけませんから」
 そういいながら、慣れた手つきで包帯を巻いていく。
 それを見ながらに雅人は言った。
「じゃあ、浩二の病院に行こうかな?浩二見てくれるんだろう?」
 びくんと大きくこうじの体が揺れた。
 包帯をみていた浩二の顔がゆっくりとあがる。
「何故?」
 浩二の顔が泣きそうだった。
「もう逢えません、と……」
「俺は逢いたいから、浩二と縁切ったつもりないから」
「え?」
「勝手にもう逢わないなんていわれても、俺は嫌なの、俺の意志無視して、勝手に進めないで欲しいな」
「だって……だって……私は……」
 あんな酷いことを……。
 だが、雅人はその言葉を浩二に言わせなかった。
「俺は、浩二が好きだ。というか、気がついたのはさっきなんだけど、な」
「え?」
 この人は一体何を言っているんだろう?
 浩二は呆然と雅人を見つめていた。持っていた包帯の巻が床に転がる。
「浩二が俺の事、好きって言ったのは聞いているからな。だったら何で逢わなくなる必要があるのか俺にはわからないね」
 そう言われてやっと浩二も言葉を振り絞った。
「私は、あなたを傷つけたのですよ。この手首の捻挫だって……他にもあなたを痛めつけたのに……そんな私があなたに好かれるはずないじゃないですか!」
 叫ぶように言う浩二に雅人は笑みを浮かべた。
 それは浩二が好きな雅人の表情だった。
「俺、あの時言ったよな。優しくしてくれるなら、浩二なら、よかったのに……ってね。あれ、誤魔化しじゃないよ。本心だ」
 すっと真顔になる雅人。
「だから、俺は浩二が好きなんだ。そりゃ、いっつもいっつもあんな乱暴なセックスしたいとは思わない。でも、浩二はいつもは優しいから……だけど、乱暴なセックスでも、浩二が悩んでいるのを知ってしまったら、俺は受け入れるしかないんじゃないか、って思った」
「そ、そんなの……」
 信じられない。
 あんなことした私に、きっと雅人さんは同情しているから、それで……。
 呆然としている浩二に雅人は苦笑混じりで言った。
「まだ、信じられない?あのさあ、俺ってもともと攻めなの。自分が受けやるなんて思いもしなかった。だけど、浩二に攻められて俺の体は思いっきり感じてしまった。あれだけ痛い目に遭っているのに、次の瞬間には快楽に流されているんだ。最後にはもう浩二が欲しくて欲しくて……思い出すのも恥ずかしいだけど、俺から求めてしまった……」
 羞恥心に紅潮させた顔を横に背ける。
「俺、浩二といるのが嫌じゃない。今こうしていても、浩二がきてくれて良かったって思っている。せめて、それだけでも信じてくれないか?」
 そういう雅人の顔が真っ赤なのを見て取った浩二は、ただただ頷くしかなかった。
 まだ心のどこかでは信じられないと思っている。
 でも同情でもいい。
 こうやって雅人は私を招き入れた。
 少なくとも嫌っていたらこんなことはできないはずだ。
 私は今でも雅人が好きなんだ。
 だから、受け照れてくれるならそれに甘えても、いい、かな……。
 不安はある。
 また乱暴をしてしまったら……。
 でも今はもういい!
 そんなこと考えていたくない。
 私は……。
「私は雅人さんが好きです。愛しています」
 涙とともに溢れた言葉は、雅人さんの笑顔に迎え入れられた。
 浩二の大好きな笑顔に。
「俺も、浩二の事が好きなんだ。愛している」
 そういって、雅人は浩二の体に手を回した。
「雅人さん」
 浩二は雅人に引き寄せられ、雅人が座っていたソファに腰掛けさせられる。そして、雅人の唇が浩二の唇を塞いだ。
 お互いむさぼるように舌を絡め合う。
 雅人は浩二の舌が口腔をくまなくなぞっていくのをうっとりと受け入れていた。
 本当に自分が受けをやるとは思っていなかった。
 だけど、浩二が相手となると、受け入れたくてしようがなくなるのだ。
 今この時点ですら、雅人は体が高ぶっていくのを感じていた。
 だが、体が本調子でないままやったら、明日仕事どころか病院にも行けなくなる。
その思いが、何とか浩二から唇を離させた。
 浩二の舌が名残惜しげに雅人の唇をつつき、離れる。
「俺……このままだと浩二が欲しくて溜まらなくなる……その、恥ずかしい話、浩二のキスだけで欲情してしまうんだ……。だけど、今日はちょっと無理だから……」
 浩二もはっと我に返り、雅人から体を離すと大きく頷いた。
「分かってます。というより気づかなければいけないのは私の方でした。すみません」
 その浩二の口調が冷静なので、雅人はほっとするとともに、妙に残念だった。それが口について出た。
「残念だなあ。冷静な時の浩二に抱かれたらきっと優しいんだろうなあ。激しい時にもあんなに感じたんだから、優しい時にはどんな感じになるんだろう……」
 それを聞いた浩二の方が真っ赤になってうつむいてしまった。
「……雅人さん、苛めないでください……」
 雅人はくすくす嗤いながら言った。
「苛めたくもなるよ。昨日さんざん苛められたんだから、これ位いいだろう……」
「はあ」
 諦めたように呟く浩二。雅人はそんな浩二に寄り添いながら言った。
「だけど、お願いだから、言いたいことがあったらできるだけその都度言ってくれ。俺に遠慮しないでくれ。浩二は内に溜め込んで爆発したときが恐ろしいのは身を持って体験してしまったから……だから、頼む」
 それを聞いた浩二は、雅人を見つめ、大きく頷いた。
「約束します。私もあなたを傷つけたくありません」
「良かった……」
 そう言って雅人は目を閉じる。
「絶対に……」
 浩二は自分に言い聞かせるように口に出した。その時、雅人が突然呟いた。
「でも……」
「でも?」
 浩二が不審そうに雅人を見つめる。
「たまにはあんな激しいのもいいかなあ……って……」
 うっとりと宣う雅人に浩二は何か言おうと口をぱくぱくさせていたが、その内諦めたようにため息をつくと、雅人の頭に手を伸ばして抱きしめた。
「ったく、あなたって人は……」
 その言葉に雅人はくすりと笑う。
 今まで聞いたことのない浩二の台詞がおかしかったのだ。
「笑い事じゃありません。私はあれだけ悩んだのに、良かったなんて言われると困ってしまいます」
 浩二は再びため息をついた。そんな浩二を見つめる。
「雅人さんって、面倒見のいい性格だなあって思ってましたけど、もしかして性格悪くありませんか?」
「駄目だよ、今更気がついても。俺は好きな奴を苛めたくなる性分なんだ」
「はあ」
 雅人はにやっと笑うと再び目を閉じた。
 絶対にこれでよかったんだ。
 きっと……。
 自分に正直になったら、こうなったんだから、これが最良の選択だったんだ。
 どう考えても、それ以外の結論にはならなかった。

【了】