Sweet, sweet and too sweet night 1

Sweet, sweet and too sweet night 1

サイト中短編【Sweet, bitter and too bitter night】の続編です。


 半年前に引っ越したマンションは、まだ新しい上に希望する設備が整っていて、駅から歩いて10分という適度な距離は運動にもちょうど良い。近くにはコンビニはもちろん、少し足をのばせばスーパーが入ったショッピングセンターもあり、少し早く帰ることが出来た日に買い物をすれば、貴重な休みの日に買い物だけに出かける必要も無かった。
 そんな良い立地条件なので郊外とは言え多少値が張ったが、幸いにして高谷啓治(たかやけいじ)の収入は同年代にしてはかなり高く、また、浪費するような趣味がない分蓄え続けていた貯金が頭金にできた。その結果、今までの家賃+アルファ程度でのローン返済だけで購入することができたのだ。
 つまり持ち家となったのだが、実のところこの前に住んでいた古いマンションから引っ越すつもりは、最初はまったく無かったのだけど。
 もともと、家とはただ寝るためだけに帰る部屋と言っても過言ではなかった暮らしをし続けていた啓治だからだ。
 ワーカホリックという訳ではないけれど、几帳面な性格故か、手を抜くべきではないことは徹底的にしてしまうところがあった。それゆえ、勤務時間が長くなったこともあるけれど。だが、その堅実な仕事ぶりで、会社では将来有望なエリート社員として、噂されているのは知っている。
 女性社員達が密かに作ったと言われる社内ランキングでは、彼氏候補としても結婚相手としても1位になっているという話は、同僚からやっかみ半分に聞いたことがあった。
 そんな男なら喜ぶべき状況は、けれど、今の啓治にとって煩わしいことでしかない。
 男に嬲られて喜ぶようになってしまったこの身体では、女性と付き合うことなどもう無理だ。
 前の彼女と仕事が忙しすぎて別れたことをばらしていないから、激しいアプローチこそないけれど、それでも貰ったプレゼントに扱いが困ることが多々あった。
 特に、今日のように女性が堂々とアプローチできるバレンタインデーともなれば、彼女たちも遠慮が無い。
 ビジネスバッグとは別に手に食い込む大ぶりの紙袋の中身にあるギフト包装の量が、それを物語っていた。
 保険の勧誘員がくれた義理チョコから、いつもより化粧の濃い女性からの高級スイーツ店のロゴが入ったシックな箱まで、多種多様なチョコ。手のひらに食い込む重い袋をもてあまし気味に持ち直し、啓治はマンションのエントランスをくぐった。
 部屋は4階で2戸あるうちの西側だから、普段は階段を使う啓治だったが、今日は素直にエレベーターを利用する。
 通い慣れてしまった通路の奥にあるドアはオートロックだから閉まっている。
 けれど、啓治があと少しでドアの前に着こうとした時、ガチャリとシンプルなステンレス製のドアが外に開いた。
「よお、お帰り」
 野太い野性味溢れる男の低い声は、どこか揶揄を含んでいて嫌みに聞こえることも多々あった。だが、今の啓治にとってその声は毒だ。その声を聞くだけで、身体の奥にわだかまり出す熱を感じてしまうことを、少しでも隠したくて、視線を落とす。
 まして、電話しているとは言え、自分が帰るタイミングを見計らってドアを開けてくれるなど、奴隷にあるまじき甘い期待を抱いてしまう。
 そんな思いを飲み込んで、気取られないようにいつもの顔をつくる。
「ただいま帰りました」
 およそ、自分の家に帰る言葉とは思えぬ丁寧な物言いで返すのは、ここに引っ越す前からずっと続いてる習慣で、もう板に付いている。
 一年前、兄を探していた街で捕らえられ、レイプされて。そのまま部屋に上がり込んできた陵辱者は、今や完全に同居人だ。このマンションを購入したのは啓治だが、支配しているのは大紀と言っても過言ではない。
 前のマンションは二人で住むには狭すぎた。
「飯食ってきたか?」
 三和土の壁に寄りかかり、啓治のために道を開いた大紀(だいき)の横を擦り抜けようとしたときに問いかけられ、「まだ」と短く小声で答える。
 その時には、なぜ問われたか判っていて、食欲を誘う匂いに胃袋が期待に反応していた。
「カレーがある、いるんなら食え」
「はい……ありがとう、ございます」
 もともと貧しい故に自炊が多かった大紀は、時々、一人分も二人分も一緒といいながら作る。性格もながさつな男の料理だが、料理が苦手な上にする時間も無くて外食や弁当ばかりだった啓治には十分おいしいといえるモノだ。
 今日のカレーも、大ぶりの鍋いっぱいに作られていて、また数日カレーばかりの生活になるのが判ったけれど。
 大紀は、日ごとにサラダを追加したり、総菜の海老フライと一緒出してくれたり、と、適宜手を加えて味の変化を入れてくれて、飽きは来ないことが多い。
「おいしそうです」
 温かなカレーは帰るタイミングを見計らって温めておいてくれたのだろう。皿によそうだけで温かな料理を食べられるとなると、一日の疲れも消えていくようだ。
「おう、今日のは俺もうまいと思った」
 背後でした機嫌の良い声にこくりと頷き返し、食卓代わりのローテーブルに運ぶ。ダイニングテーブルは部屋が狭くなると大紀が言い張って置かなかったが、床のラグの上にぺたりと座り込んで食べるのも、疲れた身体には助かった。
 もっとも、『買ったら、その上に縛り付けてさんざん犯せるな』という嬉々とした大紀の言葉で、最初に犯された状況を思い起こさせられた啓治がどうして買いたいと思い続けられるだろうか。
 カタログをめくる手を止めて、苦虫を噛み潰したように顔を歪めた啓治を嗤う大紀は、真面目で堅物なくせに淫乱だ、と、からかいながら、啓治をなぶることが大好きなのだ。
 それでも、引っ越しにまつわる事務処理は啓治にさせたけれど、友人達を使って、引っ越しや前の部屋の片付け、力仕事は全部してくれた。
『俺の部屋でもあるしな』
 一銭もかけずに引っ越しができるとは露とも思っていなかった啓治が感歎の声を上げると、大紀は嬉しそうに笑い返してきて。
『大紀様のために引っ越すハメになったんですから……』
『おまえがイヤらしい声で叫ぶからなぁ』
『大紀様が押しかけてきたから狭くなったんです』
 つい口を吐いて出た嫌みも笑って返されたほど、あの日の大紀はご機嫌だった。
 それを見て、あのとき啓治はほっと安心したことを思い出す。自分と暮らすことを大紀は厭うてはいないのだ、と安心した理由を、啓治は今は理解していた。


 そんなことを思い出して、いらぬ妄想に結びつく寸前に、慌ててカレーを口に運んだ。
 毎夜のように大紀に犯され、奴隷のように傅く記憶は、何をしていても結びつく。
 このラグが洗濯できるタイプなのも、部屋の真ん中を広く取るレイアウトなのも、棚の引き出しを開ければ入っているジェルやゴムも、テレビ台の下に目立たないとは言え置いてある卑猥なグッズの数々も。
 今はきっちりと閉められたカーテンの向こうのテラスに敷いたマットは、コンクリートに淫猥な染みができるのを防ぐだめで。
「啓治、今日も仕事中に抜いたか? ん?」
 食べている最中に背後から抱きしめられる大紀の匂いに、慣れた身体が簡単に欲情し始めてしまう。
「抜いていません。今日は、そんな暇ありませんでしたから」
 ぷいっとそっぽを向いて、胸を這ういたずらな手を押しのける。
 無理矢理始まった同居当初は、そんな些細なことにも怯えて、完全に言いなりだった生活も、一年も経てばあしらい方にも慣れてくる。
「そっか、今日、は……な」
 口角を上げている大紀とて最初の頃は強引で横暴なばかりだったが、徹底的な躾がある程度功を奏したとでも思ったのか、こんな啓治の些細な反発くらいなら許すようになっていた。そういう機微が悟れるようになってきたのは、ここに引っ越す前くらいからだったか。
「それより、それ差し上げますので、食べてください」
 カレーを頬ばりながら、背後の紙袋を指し示す。
「ん、ああ、チョコレートか」
 紙の音がして、どしりと重い荷物がひきずられて。隣に座った大紀との間に、ばさばさと中身がひっくり返された。
「割れますよ」
 繊細な細工のチョコレートもあったよな、と嫌そうにそれを見つめると。
「食べてしまえばおんなじだろ」
 あっけらかんと返されて、大紀のがさつさを改めて認識してしまう。
「しっかし、たくさんあるなぁ……やっぱエリートはもてるよなぁ」
 呆れ半分、やっかみ半分のその物言いは好きではない。
 大紀はエリートが好きで、だから啓治を犯したのだから。自分がエリートでなければ、大紀の好みから外れていただろうから。
 エリートで居続けるのは疲れるし、家に帰る時間が減ってしまう。けれど、大紀が、啓治がエリートであることを望むのだとしたら……。
「これなんか、バリバリ本命チョコじゃねぇのか? 俺でも知ってるぞ、この店。隅に置けねぇなあ、な、啓治」
「……」
 それを直接持ってきた彼女は営業の子で口達者な子だから、断るのも難しく押し切られるように受け取ってしまった。
 あの強引さは誰かに似ていると受け取る時に思ってしまったのは、傍らでチョコレートの品定めをしている大紀には秘密だ。
「ふぅん、これなんか食いでがありそうだけど……。ちょい多くね。こんなに食べたら、確実に太るぞ?」
「お友達にも差し上げてください。確か、チョコレートが好きだという方がいたような覚えがあります」
 大紀に捕らわれて、大紀と一緒に遊ぶ仲間達とも引き合わされた。
 大紀だけでなく、彼らの相手をしたこともあるから、積極的に会いたい訳ではないけれど。
「それも手だな」
 皿いっぱいのカレーを平らげ、水を飲んで。ふうっと息を吐いて、物色する大紀を見やる。
「おまえはいらねえのか?」
「……これだけで良いです」
 そう言いながら取り上げたのは、保険の勧誘員がくれた大入り袋の個包装のチョコレートが三つ入っている袋もの。
 他の子からのチョコレートは重い。義理だと言ってても、彼女たちの目が真剣だったことくらいは判っている。
 実際、食べたいとも思わない。
「へえ、もてる奴は余裕だねぇ」
 嫌みは聞こえないふりをして。ちらりとキッチンの片隅に置いてあった包装された箱を見やった。
「大紀様も貰ったんでしょう?」
 去年の夏前に日雇いのような前の会社を辞めて、別の倉庫業での定職に就いた大紀は、力仕事を厭わぬところから結構重宝されているらしい。
 それに、無精ひげを丁寧に剃って髪を整えて。啓治が見立てた衣服にそのたくましい身体を包めば、けっこう人目を引く容姿を持っていた。
 大紀は、啓治がアゲマンだと言う。
 嫁入り先を栄えさせる女性のことを言う言葉を冠されても、嬉しいとは思えないが、確かに大紀は啓治を手に入れてから彼の運は格段に良くなった。定収がある仕事を得たのが一番大きいが、もてるようになったし、何かにつけ良いことがあるという。
 実際、過去もてたことのなかったという大紀だったが、今では女性社員からお土産とかなんとか、誕生日には本格的なプレゼントまで貰ってくることがあった。
 それは少なからず啓治にも衝撃を与えたほどだ。
 だから、あれもまたそういう相手なのだろう、と、思ったのだ。
「ありゃあ、御年ん十歳の気持ちだけは永遠の娘っこにな。みんなに配ってたぞ……。ん、何だ妬いたか、ご主人様がもてて」
「……あ、……」
 意味ありげに眇めた視線で見つめられ、硬直したとたんにぐいっと引っ張られる。
 床に座っているせいで、引っ張られるとあっという間にその腕の中だ。
「あれが男だったら、押し倒してさっさとモノにしていたかもなあ……残念」
 ニヤリと笑う肉厚の唇が近づき、啓治のそれを覆い尽くす。
 貪るようないつもの大紀のキスは、あっという間に啓治の口腔奥深くを侵食して、息すら奪った。
「ん、ぐっ……うっ」
 息苦しさに暴れるが、力強い腕で包み込まれたら逃れる術はない。
「んぐっ」
 シャツをめくりあげられ、直接肌に触れられて。いたずらな指先がなぶる背筋に、ぞくりと快感が駆け上がる。
「この淫乱が、煽りやがって……ったく、欲しくてたまらねぇって顔をしてるな」
 離れたとたんに互いの間に垂れた唾液が胸元に落ちた。はあはあと荒い息しか零せない啓治の身体が離されて、がくりと崩れた拍子に床に転がっていた箱が周りに飛び散った。
「洗ってこい、淫乱奴隷を躾てやろう」
 冷たく下された言葉に跳ね上がった視線の先で、大紀が嗤っている。
 強い命令に啓治は逆らえない。逆らってはならない。
「……は、い……大紀様」
 ざわりと全身を襲う疼きと下腹部に集まるから意識を外して、だるい身体を動かして跪き、深々と頭を下げる。
「淫乱な奴隷を、どうか厳しく躾けてください」
 大仰な台詞は、最初の頃におもしろがって教えられたまま。
 このマンションの他の住人は、仲の良い従兄弟同士が節約のために一緒に住んでいると信じているけれど。
 部屋の中では大紀は主人で、啓治は奴隷。
 二人の関係は、今でも決して変わらない。

続く