【階段の先】-1

【階段の先】-1

「鞭」シリーズ(長編18話までで1日2~3話ずつUP) 2017年作
某クラブの調教師でありベテランAV男優でもある龍二の最近のお気に入りがAV男優新人の正樹。
彼を手に入れるために調教師仲間の冬吾と相談して、正樹は何も知らないままに彼らの罠に堕ちていく。
鞭打ち調教メインのSM調教、マゾ精神堕ち



1. Prologue

 アンダーグラウンドと紙一重の場所――いや、正確にはその一線を越えている場所に違いない。それでも見ようによっては越えていないと言い張ることのできる場所は、明るいエリアで十分満足している者が今の場所を投げ出してまで立ち寄ることのない世界だ。
 そんなギリギリの世界に、龍二は気が付いたら嵌まっていた。
 別に堕ちる必要などない生活をしていたのにも関わらず、一度知ってしまったこの世界の魅力が忘れられないのだ。
 そう、こちらの世界がすばらしいと感じる、そういう性癖が自分にあることもその時に知ってしまった。
 龍二が自分を知ることになったその場所は、主要駅の賑やかな繁華街の近くにあり、立派なホテルとしての外観を持っている。実際に中にはホテルやショッピングエリア、ジム、プールまでをも備えている。
 ただ、そのホテルエリアに泊まれるのは特別な審査を経て入会できた会員のみで、よほどのことがない限り、一見客が中に入ることはできない。もしまかり間違って入り込んだとしても、即座に警備員に外に連れ出されるだろう。
 目を剥くほどに高額な会費とどうすれば入会できるか判らないほどに難しい会員資格。
 それらを得るために、そのホテルの実情を知る者は躍起になるという。
 そのホテルは一階から二階はテナントが入って、一般の客も食事やショッピングにも訪れる。ただし、三階以上は会員のみが立ち入ることが可能だった。また、上階には同様の資格を得ている者の住居なども備わっている。
 ただ普通のホテルと違うのは、一般人が決して立ち入ることのできないフロアで見られるその光景だろう。
 鋭く弾ける音がするたびに苦痛に喘ぐ声であったり、揺らめく灯火に身悶える人影であったり、感極まったような嬌声が漏れ聞こえて続けるのだ。
 時折絶叫に近い悲鳴の中に浅ましい欲に満ちた懇願が混じり、鼓膜を震わせる激しい音の中ですら歓喜の絶叫を上げ、泣き喚きながらの懇願に身を震わせて、青臭い独特の臭気が満ちている。
 そんな光景を忌避するか、それとも闇夜の炎に吸い寄せられる蛾のように魅せられてしまうか。
 多様な人がいる中で、確かに龍二は後者であったのだ。
 大学の先輩に連れられて見た初めての光景に、龍二は瞬時に魅入られた。
 人の苦痛の声に陶酔し、さらなる声を聞きたいと願い、肌を打つ音の心地よさに勃起した。できれば自分でもあの感触をこの手に味わいたい。逞しい腕を持つ者達に混ざり、俺ならばもっと良い声を上げさせるのにと妄想した。
 魅入られたその光景に、龍二はすぐに抜け出せなくなった。
 まだ大学の三年の、今から思えば青臭い年頃だ。
 それでもその片鱗はどこかにあったのかもしれない。
 だからこそ大学で知り合ったある資産家の息子――冬吾(とうご)は龍二自身より先に、彼の性癖に気付いたのかもしれない。
 その日、龍二は他者を支配することを知った。
 人を物のごとく扱うことも、身体を痛めつける己の前にその身を自ら差し出させるよう強要することも、それら全てが道徳的に問題があるなんてことはしっかりと理解していても、その身を震わす欲求には逆らえない。
 冬吾は招き入れたそのホテルを支配する倶楽部で龍二にいろいろなことを教え、隆二自身ももともと素質があったのか、すぐにそこで調教師としての頭角を露わにした。
 もともと身体を鍛えるのが好きであるため、全身は筋肉で覆われていた。さらに角張った男らしい顔立ちをしており、それなのに優しい言葉遣いで容赦のない責めを施す。その徹底的ないたぶりに魅せられたマゾ奴隷候補は、ここぞとばかりに龍二を調教師として指名してきた。そのおかげで今ではすっかり売れっ子でちょっとした小金持ちにはなっている。
 もっとも、それだけでは世間体に何をしているのかと勘ぐられてることが多くて面倒だったので、知り合いから勧誘されたゲイAVの攻め俳優として出てみたら、これも当たって今や人気ものとなってしまっていた。こちらでは調教中のサドっぷりは消して穏やかな優しい役を演じているせいか、抱かれたい男ナンバーワンだったりもするけれど。
 それでも龍二の本質はサドだ。
 ただかなり嗜虐嗜好が強いせいで、未だ満足のいくマゾ奴隷に出会えていないという難点があった。
 そんな龍二の悩みを知っているのは、実のところ冬吾ただ一人だ。今では仲の良い友人である冬吾とは、あれから倶楽部でもよく顔を合わせて、一緒のセッションもこなしたことがある。
 もっとも実業家でもある冬吾と撮影の仕事が忙しい龍二とでは、最近少し疎遠にはなっていた。
 それでも時には時間が合えば、こうやって彼の調教風景を見学することもある。
 そんな冬吾の久しぶりの調教風景を、龍二は腕組みをしたまま壁にもたれてじっと見つめていた。
 プレイのない今日はスーツ姿だ。
 このホテルがある建物の上階に入るためには、それなりの格好が必要で、龍二は無難にスーツを着用することにしていた。と言っても、奥まで入ってくれば、息苦しいネクタイは緩め、上着のボタンは外していた。
 その姿は龍二の野性味をさらに強調し、途中で会った会員達がうっとり視線を寄こすほどだ。
 そんな龍二と人気のほどは大差ない冬吾は、普段は清潔感と若々しさに溢れる青年実業家として髪を短くしていてパリッとしたスーツ姿がよく似合っている。着やせして見える冬吾だが、な革製タンクトップにスリムなレザーパンツに身を包めば鍛えた筋肉がその陰影を濃くしてより強調されて見えた。筋肉質で大柄な体躯の龍二よりは少し細身だが、鞭を振り上げる腕には筋肉が盛り上がり、空気を裂く音も鋭い。
 久方ぶりに見た彼の奴隷の背には縦横に打たれた痕が残り、吊られた身体は弛緩していた。
 それでも冬吾が打てば、ぴくりと跳ね、虚ろにでも礼を呟いている。
 確かあれは、この倶楽部に望んでマゾ奴隷になりにきた、どこかの御曹子の義弟だったか。
 紆余曲折の上冬吾の専属M奴隷になった彼は、倶楽部に来た当初よりよほど幸せそうで、先日は何か祝いのパーティーまで開いてもらったらしい。
 龍二は残念ながら、最近本職となってしまったAV撮影の仕事と重なってしまい出られなかったのが、なかなか盛況だったと聞いている。
 その奴隷の、細い、脂肪すらあまりない痩せぎすの生っ白い身体は、鞭の傷跡だけでなく可哀想なぐらいに痛々しく見えた。だがあれで冬吾のきつい調教にどっぷりと嵌まっている真性マゾで、プレイでも辛抱強く耐える。本当に得がたい奴隷だと、冬吾がうれしそうに喋っていたことを思い出す。
 そんな二人のプレイを羨望も交えて眺めていたのだが。
「よお」
 ふっと手を止めた冬吾が、龍二へと振り返って声をかけてきた。
 二人が使っていたプレイ専用のレンタル部屋に合い鍵を使ってこっそり入ってきたというのに、ばれていたらしい。
「暇ならやるか?」
 まるでタバコでも誘うかのように自身の鞭を差し出す冬吾に、龍二は苦笑を返しながら歩み寄った。
「良いのか? 俺がやるとやりすぎるかも、な」
 愛情がない調教は、時にやりすぎて重傷を負わせるかもしれない、と暗に返せば。
「こいつ、昨日、俺のLINEに即座に返信しなかったんだよ、既読スルーなんてひどいと思わないか? だからお仕置き中ってことで好きなようにしてくれ」
 さらりと言い放った言葉に、思わず。
「どこの中坊だ、こら」
 と、呆れ果てつつ言い返しても、威勢良く音を鳴らした鞭はしっかりと受け取った。
 龍二の強い力にしなやかに伸び、ずしりとした重みもほど良く、明らかに良い鞭だと伝わってくる。これで打たれて喜んでいた奴隷は、汗に濡れた額に前髪を貼り付けて、涙で濡らした頬を引きつらせながら龍二の手の鞭を見つめていた。
 僅かに開いた唇から白い歯が覗いている。その唇には食い縛ったのか少し傷ができていて、淡い色に濃い朱が混ざっていた。
 その色合いに魅入られて、さらに龍二が動く姿にびくりと震える小動物のような反応が可愛くて。
「ちょっと遊ばせてもらおうか」
「お好きなように」
 実のところかなりやりたい気分にはなっていたので、善意はしっかりと受け取ることにした。


「あ、あっ……ぅっ」
 吊られていた身体を少し下げて膝立ちにさせてから、腕から首輪へと鎖を繋ぎ直した。腕は腰の前で手首を繋いで、その位置に置けと言い含めていれば、どこか虚ろだった瞳を不安げに揺らめかせながら、離れてブランデーを口に含んでいる冬吾を探している。
 どんなときにもご主人さまを探す良い奴隷で、いつだってその視線の先は冬吾だ。それに少し苛立つのは、内に沈めているはずの羨望がまたぞろ暴れだそうとしているからか。
 深く吸った息をゆっくりと吐き出しても、それはわだかまったまま出ていかない。
「こっちを見な、おい」
 名前は何だっけか。
 忘れたそれを思い出そうとはしたが、すぐに別に良いかと思い直した。
 そのまま奴隷へと笑みを見せる。
「ご主人さまを無視したお仕置きを頼まれちまったからなぁ、オレ流でたっぷり仕置きさせてもらうぜ」
 いつもより低い。撮影時の『腰が砕ける』声よりさらに低く、明らかな怒気を滲ませる。
 龍二の内なる性格が表に出た証であるとも言える声音に、奴隷は敏感に何かを察したように身震いしその顔を青ざめさせた。
 疲労と痛みに朦朧としていた表情で、助けを乞うように冬吾を探す。
「おい、誰がよそ見しろって言ったっ! あぁっ?」
「ひぎっ」
 罰だと近い位置でろうそくを傾ければ、熱して溶けたロウがボタぼたっと白い身体の上で跳ねた。
 プレイ用途とはいえ熱い物は熱い。まして至近距離であれば冷える間もない。跳ねたロウの一部がまだ流れるほどに熱い液体が肌を彩った。
 血を模した鈍い赤色が、所有の証であるリングが嵌まった乳首を覆う。
「あ、熱っ、やあっ、ああぁっ」
 ボタ、ボタッ。
 繰り返し山となるまで落としたロウが、暴れるたびに花びらのごとく散らばった。
「動くな」
「は、いっ、あうっ」
 命じても反射的に動く身体は止められないようだ。
 それでも、腰の前にある手で払いのけようとしないのは、よく躾けられている。
 だったら。
「OK、今度はてめぇでそのはしたねぇ涎垂れまくりのチンポを支えてろ」
 またろうそくを立てて命ずるその意味を、奴隷はすぐさま理解したようだ。
 唇が震え、何か言いたげに蠢いた。情けなく歪んだ眉が、哀しげに垂れる。
 だが奴隷は開きかけた口を自分の意志で閉じた。そのまま震える手で自らのペニスを捧げるように持ち上げていく。
 膝立ちのまま、震える身体で腰を突き出す姿は滑稽で、いつもなら笑い飛ばすところだったのだが、内心の苛つきを抑えきれないままに沸き立つ暴力的な思考に捕らわれる。
 ああ、マズいな、とは思うのだが、この場の雰囲気のせいか止められない。
 日常生活のときとか普通の撮影のときとかは、超極大のネコが覆い被さっている龍二の本性が、隠しきれなくなっている。いつの間にかそのネコがどっかに遊びに行ってしまったようだ。
「汚ねえチンポだ、傷だらけじゃねえか」
 先ほど打たれたのか、ペニスにまで残る鞭の痕を揶揄しながら、龍二のろうそくを持つ手がすうっと奴隷のみぞおち辺りまで下がった。
 そのあまりに近い距離に、奴隷の喉から音のない悲鳴が長く響く。
「ご主人さま以外にチンポ晒すような悪い奴隷は、当然お仕置きが必要だな。特にその淫乱なやつには」
 傾けた先でゆらりと灯火が揺れる。
 さらに近くなったそれは、もう十センチ足らず。その距離で、ロウがぽたぽたっと落ちていき、ピアスが貫く先端を彩った。
「あがぁぁぁぁ──っ!」
 強く押されたように仰け反った身体が、奇妙な悲鳴を上げた。
 ペニスの根元を握ったままのせいかに腰が突き出され、サンタの赤い帽子でも被ったようなそれがフルフルと震える。
 位置が変わったせいで、外れて落ちたロウが床に幾つも痕をつくり、散った。
「っ、てめぇっ、動くなって言ってんだろうがっ」
「ひっ、ご、ごめんなっ、あっ、あうっ! やあっ」
 外れたそれに苛立ちが増し、持っていたろうそくでペニスを打てば、散って固まったロウが砕けて落ちた。そのできた隙間にまたロウを垂らして。
「あ、あつっ、ううっ、くうっ」
「可愛いサンタみたいだぜ、どうせおまえのチンポはションベンするぐらいしか役に立たないだろ。飾って、見栄え良くしてやるよ」
 次々と落ちていくロウに、奴隷は涙を流して叫び続けたが、龍二はロウでペニス全体が隠れるまでそれを続けていった。
 プレイ用とは言え、ここまですればペニス全体が軽いやけどを負っただろう。それでも苦痛に耐え続ける奴隷がか細く泣き続ける。
 ロウが流れ落ちていったろうそくはどんどん短くなっていき、これ以上の龍二自身の手を焼きそうだった。
 だったら、別の罰だと鞭を確認していたから。
「あ、うっ……うっ……く、鎖……を、鎖を持ってよ、ろしい、でしょー、か……、愚かな奴隷は、鎖、を……持たない、うっ、姿勢が……くずれそ……うっ」
 嗚咽を堪えて願う言葉を無視してやるほど情け知らずではないが、なんとなく簡単に許しを与えるのも業腹だな、なんてことを考えつつも冬吾に視線を向けた。そこから返ってきたのは苦笑混じりの曖昧な表情で、小さく首を左右に振られた。 
 さすがにその意味を履き違えないほどの素人ではなく、調教の師でもある冬吾に逆らうほど愚かでもない。
 ましてなんだかんだ言っても冬吾お気に入りの奴隷を、窒息させるわけにもいかないと、俺は頷いて許可を出してやった。
「あ、りがとうっ、ご、ざいます……」
 本来ならそこに、ご主人さまとか続くんだろうが、こいつは龍二の名を知らないし、それ以前にご主人さまでもない。
 龍二に礼を言った後、主人に向かって頭を下げているのだから、この命令が主人の許可によるものだと気が付く聡さもあるようだ。
 バカなやつは、苦しみから逃れようとすぐさまに尻尾を振って懐いた振りをするが、こいつは誰にも彼にも尻尾を振らないぐらいに主人を認識している。
 ――できれば、俺もあいつをこんなふうに調教したい、誰にもなびかず、俺の言葉だけを最優先で聞くように。
 そんなことに流れた思考を、奴隷が震える手で鎖を掴み、ほっと息を吐いたところで脳裏の片隅に追いやって。
「さあて、お仕置き、まだ続くぜ。その姿勢のままでいろ。今度はてめぇの大好きな鞭だ、ちゃんと数えてろ」  
「っ、はっ、い……ぃ」
 鞭で奴隷の頬を撫でながら命令すれば、コクコクと頷く。その姿が一瞬ものすごく馴染みのあるやつと被さってごくりと息を飲んだ。
 もっともそれは見間違いというか、龍二の強い願望によるものだったのか、見直せばやはりそこにいるのは冬吾の奴隷で間違いない。
 現も夢も入り交じりやがった、と、失笑とも苦笑とも付かぬ笑みが零れそうになって、堪らず奥歯を噛みしめて、鞭を振り上げる。
 とにかく今は集中するしかないとばかりに勢いよく振り下ろせば、小気味よい音に奴隷の絶叫が入り交じった。
 冬吾の時より悲鳴が大きいのは、やはり打つ者が違うからだろう。打ち方自体は師弟関係のせいかそれほど変わらないが、誰に打たれているのかが、問題なのだ。
 主人からなら愛の鞭も、他人がやれば単なる暴力になる。
 この奴隷はそんな躾をされていて、それこそが龍二の理想でもあって。
「や、ああっ、あぁっ」
「数えろって言ってるんだ、数えられるまで打つぞ」
「ぁ、は、ぃ──ぎぃぃっ、いやっ、あ、痛、待っ……あ、やああぁっ」
 礼どころか数えることもままならず、拒絶の言葉が出てくるほどに、嫌だと泣き喚く。
 けれど、嫌だと思ってはいても鎖を掴んだ身体は膝立ちのままで、結局奴隷は無防備に背中を晒したままだ。
「言いつけも守れないとは、もっと罰が必要だな、ほらっ」
「い、痛ぁぁっ、があぁぁっ、あっ、あっ」
 強く腕を打ってやれば、鎖を視点にぐらりと揺らめいた。その鎖にしがみつき、命じられたままに膝立ちの姿勢を取る奴隷は先の調教もあって限界に近い。
 そのせいか、縋るように向けられる主人への視線はどこか虚ろに見えた。
 だがそこにあるのはどこまでもひたむきな忠誠心で、それはこんな眼にあっても失われていない。
 そんな二人の関係を改めて認識して、知らず込み上げる羨望と同時に、ただ無性に苛つくのが止められなくて、龍二はそのまま腕を振るい続けたのだった。


「まあ、よくやってくれたな。あいつ、明日は起き上がれないぞ」
 呆れたようにグラスを差し出す冬吾に、「すみません」と殊勝に返したのはその自覚があるからだ。
「まあ、あれが休もうとどうしようと、全部あれの兄貴が誤魔化してくれるからな、その辺りは別に構わないが」
「VIPの例の方だったか。あの方の便宜を図ることへの御礼でうまくいったんだよな。羨ましいことで」
 付き合いは大事だと冬吾は常々口にしていたけれど、確かにそうだと龍二も思う。
 この倶楽部のあるVIPにとって邪魔な親族があの奴隷。もともと恭順を示すほどに飼い慣らしてはいたが、どうせなら性奴隷にまで貶めたいと計画していたところに冬吾が手を貸したのだ。今ではすっかりそのVIPの思惑通り、いやそれ以上の支配してくれる主人がいないとどうしようもないほどの性奴隷となっている。しかも冬吾はその過程であの奴隷を自分の思うままにできる権利をもらったのだ。
 全く、羨ましいときたらねえぜ……。
 彼らのなれそめを思い出すたびにそんな感情に苛まれ、深く重いため息を吐く。
 そんな龍二に冬吾はくすりと笑みを零すと、自身のグラスを口元で傾けた。それに習って龍二も口に含めば、ふくいくたる香りが鼻孔を擽り胃の中に落ちていくのを感じる。
 某資産家の息子で、自身も相応の利益を上げる実業家である冬吾の身の回りにあるものは、本物の高級品ばかりだ。
 実際、今はベッドで気絶したままに寝入ってる奴隷も、その出自は申し分ない。
 彼と付き合う龍二もすっかりこんな良い酒にも慣らされていて、時折安い酒では物足りなく思うこともある。それでも、根っからの庶民である龍二は、安い酒もそれはそれ、ジャンクフードも大好きだ。そして、欲しい奴隷も実に庶民的なもので。
 そんな龍二に最適な、性格も素質も絶対に間違いなく好みだと思っているそれが、どうにかして手に入らないかと、最近暇さえあれば考えていることを思い出した。
 しかも、その候補となる者は、実はたいそう身近にいるのだ。
 彼は龍二がAV関係で所属している事務所の後輩で、実に虐めたくなる性格をしていて、顔も体型もたいそう好み。あれが奴隷になるならば、と、会ったそのときからずっと夢想してきていた。
 そんな龍二の奴隷候補──否、もう絶対に奴隷にしたいとしか考えられないほどに気に入ってる後輩のことを脳裏に浮かべていたら。
「で、くだんの奴隷候補くんは墜ちてきそうなのかい?」
 揶揄の含む嫌な笑みを見せてきた冬吾を上目遣いで睨みながらも、首を横に振った。
 出てくる吐息に憂鬱な気分を乗せて、「きっかけがないっていうか……」と小さく零した。
「こっちの世界に興味の一つでも持っていれば誘い込めるのにね」
「残念ながら性癖は至ってノーマル。お手々繋いでデートから始めましょうっていう感じの子なもんで」
「デートして、キスして、それからやっと」
「順調に交際して、一年でやっと……ぐらいかな」
「……AV出てる子とは思えないね、それは」
 クツクツと肩を揺らして笑う冬吾に、龍二は力なく頷いた。
「今みたいに人気が出る前に痴漢物に出たことがあったんだけどねえ、撮影時マジで嫌がってんすよ。3Pってのも撮影じゃなきゃ絶対に受け入れそうにないって感じ。公開調教なんてもってのほか。もともと家の借金返済とかで、手っ取り早く儲けられるところって感じで入ってきた子だからなあ、AVが好きでってわけではないところもね」
「それだから龍二の好みにどんぴしゃってことなんだろうね。おまえって、そういう初な子って好きだもんな、純真無垢なのが無理矢理やられて汚されて堕ちていって……そのままずっぽり不幸の中で藻掻き足掻いて無駄な足掻きを繰り返すっていう、おまえの下劣な趣味はもう……」
「わざわざ言わなくても良いって。自分でもゲスすぎるって判ってんだから」
「別にそこまで自分を卑下しなくても良いさ、この倶楽部で奴隷飼ってる連中なんてみんな似たり寄ったりだし。俺があれを気に入ったのも、自分でどつぼに嵌まっていってるのに気が付かない愚鈍なところだったし。おまえのお気に入りも田舎っぽいところがあるんだろ」
「ええまあ。あんな世界にいるわりには擦れても、ギスギスもしていないし。借金のせいなのに悲壮感がないなんてバカじゃねえのかって思ったりもして。でもまあ俺が気に入ったのは痴漢物の撮影風景を見た時かなあ。その時の本気で泣いて嫌がってた表情が結構ツボにはまったんすよ」
「本気の泣き顔に惚れたか?」
「俺ならもっと泣かせて怯えさせて、恐怖のどん底で犯してやるのにって思ってたんだよね、確か」
「ククククッ、さすが龍二だ」
「でもなぁ、なかなか現実的には無理っていうか」
 もともと後輩達にも人気がある龍二だから、その新人と親しくなるのに時間はかからなかった。
 けれど、どんなに懐かれてもそれ以上には進めない。優しい先輩という今の状態から脱却できないのだ。しかも龍二の希望は真性のマゾ奴隷としてその全てを管理したいというものだからよけいにそのきっかけが掴めない。
 気さくな先輩の仮面を被った龍二の、その恐ろしい本性をうかつに表に出して行動すれば、それはもう誤魔化しようもない犯罪だということも判っている。
 この倶楽部では許される行為も外では無理だ。従業員や客をその力で護る倶楽部であっても、存続が危うい状態に置かれるならば切り捨てるのも早い。何よりの優先すべきことは倶楽部に危険が及ばないことだ。下手なことをすればその保護対象から外れて最悪抹殺されてしまう。
「もうここに連れてきたらいいんじゃないか? わけが判らぬうちに調教しちゃえば良いじゃないか」
「あいつ、ここの入会資格ないし。そりゃ俺の推薦枠あるけど、そうすると客にも使わせなきゃいけないし」
 調教師たる龍二が推薦すれば倶楽部には入会できるだろう。騙して連れてきて入会させることぐらいはできるが、一般会員だとVIPにでも気に入られたら彼らの手で遊ばれてしまう。専有奴隷を持つのは限られた上位の人たちだけなのだ。
 冬吾の奴隷も名目上はそのVIPのものであって、冬吾は借り受けている形になっている。
「俺は、あれを他のやつに触れさせる気はないから」
 調教の一環として他人の手にも触れさせるのは有りだろう。そのほうがより楽しいときだってある。
 だが要求されてほいほい貸し出すような奴隷にはしたくない。
 調教が済めば自分だけのもの、自分のテリトリーで飼うのが夢だ。
「ほんと、なんだかんだ言って龍二は、唯一人を愛するってやつだからなあ。後は遊びってのはよく判ってたけど」
「唯一人っていうか、一つのことしか眼が向かないっていうのか。とにかく欲しい、あれだけが欲しい……、それだけなんすけどね。……ああもうっなんかこう、最近特に煮詰まっちまってって……どうにかしないとまずいっと思うんだけど」
 グシャグシャと、短く整えた髪を掻きむしる龍二に、冬吾は肩を竦めて宥めるように言った。
「濃縮しすぎて爆発する前に、手に入れたほうがいいってのは確かだな」
「手に入れるって言ってもその手段が……。いきなり行方不明にするのも難しいし。親の分まで引き受けてるあいつ名義の借金があるから、借金取りからも見張られているらしいし」
 天涯孤独だったら良かったのに、と、脳裏に邪魔な連中が次々と浮かんだ。その中にはその後輩の両親まで入っている。
「まあまあ、そう物騒な顔をしなさんな。まあ、その借金の件も利用して……な。こんな案が浮かんだんだけど」
 ニヤリと笑う冬吾に指で招かれて、龍二が身体を傾ける。その耳元で楽しげに語る言葉に、いぶかしげに眉根を寄せた龍二だったが、すぐにその顔が喜色に染まった。
「そんなのできるのか、マジで? と言うかほんとに良いのか、それで」
「任せなって。この倶楽部でも人気の龍二くんという後輩のために、先輩として協力は惜しむつもりはない」
「悪い顔している冬吾ほど怖いものはないけどな……まあ、背に腹は代えられないし、確かに冬吾の案だとなんとかなりそうだし……」
「少なくともその後輩くんをこの世界に落とすきっかけにはできる。その後どうするかは、おまえ次第だ。後顧の憂いになるようなことは俺のほうでなんとかしてやろう」
「そうか……そんなことができるなら……だったら……」
「ということで」
 どちらからともなく差し出したグラスの縁がカチリと音を立てる。
 視線が絡みニヤリと笑い合った二人は、さらなる詳細を詰めるためにその日遅くまで話し続けた。