【蟻地獄のおいしい獲物】7

【蟻地獄のおいしい獲物】7

 
 あれから一週間、この拠点の要というべき執務室には、いつものようにピンと張った緊張感が漂ってはいなかった。まあ、それがいつものことだと言えば、それだけだったのだが。
 ただいつもと違うのは、なんとも言えぬ全身の怠さに、沈み込むような感覚でずうぅんと机に突っ伏している俺と、ぎくしゃくとした動きで荒い吐息を零しながら、山積みの仕事に精を出すゴルドンという状態だった。
 その周りでは部下達が動けぬ俺たちの代わりに走り回っている。
 何しろ、動くこともままならぬほどに疲れ切っているのだから、書類一つサインすることすら今の俺には重労働なのだ。
 それもこれも、「性欲が有り余っているなら、運動して発散させろ」という地響きがするようなマーマニーの怒りの言葉に、逆らわなかったからに他ならない。
 この部隊でも地獄の特訓とも言われて、一回すれば二度としたくないとまで皆に言わせるそれを、毎日させられているのだ。しかも定常業務外で。
 俺もゴルドンも一回であれば、その程度何の文句も言わずにやりこなすことはできるのだが、さすがに今日で七回目、仕事量の多さも相まって蓄積された疲労は限界だ。
 一体いつになったら解放されるのか、判らぬほどにマーマニーの怒りは激しい。
 あれは時々恐ろしいことを平気でやってくれるが、基本的に医師としての立ち位置にいるときは、敵に厳しく、味方に甘い。疾病者に優しく、健常者にはきつい。
 俺より小柄で、俺たちに比べれば柔な体格のはずのマーマニーだが、怒り心頭モードのあれのドスの利いた声はまったく恐ろしい。
 今回は味方であるリアンが怪我人であるのせいで、余計に血が昇っているようだった。まして先日直したばかりの身体であればなおさらだ。
 これが戦時であれば、俺たち二人がこんな状況では機能が果たせぬと拒否できるのだが、あいにくとそういう気配は全くなく、俺たちの特訓は他の隊員達にとっては娯楽でしかなく。
 これならいっそ、前回のようにマーマニー特別講師の性的興奮コントール授業のほうがマシだったか……いや、あれはあれで男としてのアイデンティティーとかプライドが……。
 などとバカなことまで考えていることに気が付いて、よけいに気持ちが沈んでいく。
 それに加えて、あれからリアンにも会えていない。
 あの時は楽しく興奮しまくっていたから気が付いていなかったが、どうやらリアンの身体はマジで限界が来てて、目覚めたのは24時間後、その時点で意識はまだ朦朧としていて、何を見ても恐怖を覚え恐慌状態に陥るという心神喪失状態。
 傷の一部が化膿して、骨折はヒビとは言えひどく、肩関節も脱臼しかけていたという。
 何をしても喜ぶからとついつい羽目を外したとは言え、やり過ぎた感は否めない。
 マーマニー曰く、俺たち二人揃ってのセッションは、「死なせて良い捕虜限定」とのことだが、確かに二人揃うと互いに互いを刺激して、ずいぶんと昂ぶってしまったのは事実だ。
 確かに楽しかったから、もうそれができない……というのは、ちょっと残念なんだけどな。と、マーマニーに聞かれたら激怒しそうなことをつらつらと考えてたら。
「バージル」
 不意に呼ばれてのそりと顔を上げる。
「総司令からお礼が届いた」
 視線の先で、部下の一人がゴルドンになにやら一抱えの箱のようなものを手渡していて、それの表書きを見たあいつがしかめっ面をしていた。
「総司令から?」
「例のやつの礼」
「れいのやつのれい?」
 一瞬言葉が把握できなくて、オウム返しに問い返した俺のもとにその箱が届く。
 おおよそ三十センチ×二十センチ×高さ五センチぐらいか。
 昔ながらの段ボール箱で簡易的なテープで止めただけのそれは、面倒くさくて部下に命じて開けさせた。それは力を入れればすぐにフタが開いて、中の様子が一目で見て取れて。
「ひっ」
 開けてくれたマジメなタイプの部下が喉から引きつった悲鳴を零して後ずさった。その拍子にガシャンと音を立てて机の上に落ちてきたそれ。
 全員の視線が一斉に集まる中、机の上に落ちたそれが誰の目にもしっかりと入ったわけで。
「……おい、あのおっさん、何考えてる?」
「俺たちより若い」
「そういう問題じゃねえ」
 そうでなくてもいつもより人気が多い執務室の中にざわりと異様な雰囲気が漂う中で、俺とゴルドンは面倒くさげにそれを見やった。
「もしかして、これが例の総司令官のお気に入りの伴侶殿か?」
「らしいな」
 それはフォトフレームだった。
 折りたたみ式卓上フレームは、複数の写真が表示されるタイプだ。それが一定間隔でいろいろな写真を写しているのだけど、どうやらもうスイッチが入っていたらしく、写真が次々と表示されていて。
 まだこれが二人の婚儀の式の写真だったらここまで異様な雰囲気にはならなかったろうけれど。
「こ、これが、総司令官で、そのまさか、最愛と言われてる伴侶殿……?」
 アウアウと喘ぐように呟くマジメで堅物なそいつに頷いてやる。
「うちの総司令官は優秀だが、変態だ。まあ変態と言っても伴侶限定だから、俺たちに実害はないから、気にせぬように」
「は、はい」
「まあ、ここにいたら今更だろうがよ」
 捕虜に対してだったらこれくらいはまだまだ序盤的行為である俺たちのところで務まっているという時点で、堅物とは言っても、その根幹はどこか異常だからな。
「そうですね」
 結局、その言葉一つで納得してくれる。
 まあ、だからこそ、こんなものを平気で送ってきたんだろうけれど。
 最初に目に入った写真は、全裸に亀甲縛りで吊され、目隠しされて全身に白い粘液を垂らし、その肌には鞭打たれたとおぼしき痕があちらこちらにある青年が映っていた。
 まあ、鞭と言っても、少し赤くなる程度の初心者的行為のそれではあるけれど。
 その青年の後ろから着衣のまま抱きしめて肩に顔を埋めるようにしているのが、この国のモノなら誰もが知ってるはずの若き総司令官殿。
 後ろから顎を捕らえて上向かせている青年の瞳は虚ろだけど、それを覗き込んでいる総司令官殿の蕩けた微笑みときたら、どんだけ彼を愛してるか誰が見ても判るのだが。
 まあ、サドっ気、マゾっ気がない連中からしたら、引くしかないわな。
 おとなしいのと言えば、花嫁衣装に身を包んだ青年の幸せそうな笑顔とかもあるのだけど、大半がそんな行為中のもので、だからこそ花嫁衣装の清楚な彼とのギャップが際立ってしまう。
 年齢的にリアンと同じくらいか、その面影がどこか似通っているようで、けれどどこがと言われるとはっきりとは言えないのは、色欲に狂っている姿とか蕩けきっている表情とかだと今一つはっきりしないからだったけれど。
 まあ、この伴侶も整った顔立ちに垣間見える可愛さとのギャップがちょっと好みとは言えるが。まあ、総司令官が溺愛している伴侶に手を出す気はない、ないが、ちょっとリアンを思い出して、会いてえなあとか内心で呟いた。
 というか、こんなもんどこに飾っとけって?
 まさか取調室か、いやいや……。
 なんて考えてたら、ゴルドンの呟きがぼそっと聞こえてきた。
「送った甲斐はあったぜ。今度新規開発の装備がいの一番で配布されるようだ」
 新しく送った映像は、マーマニーが乗り込んできたせいで中途半端に終わったけれど、どうやら向こうはずいぶん良かったらしい。こっちはそのせいで大変な目に遭っているんだけどな。
 うれしいはずの連絡も、この身体の怠さに全てが薄れていく。
 確かにここまで体力を奪われると、今リアンが裸で来ても、欲情できるかどうか。
 はあああ。
 と重いため息を吐く向こうでゴルドンもまた呆然と天井を仰いでいた。



【後日談1】

 二週間の精も根も尽き果てた地獄の特訓の日々は、マーマニー特製栄養剤で乗り切った。というか、無理矢理飲まされ、乗り切られさせられたのだが、ようやく許された翌日の休日に、朝から薬の副作用の悶絶絶倒の筋肉痛にベッドから起き上がることもできなかった。
 どうやら飲んでる間は副作用は出ないらしいのだが、飲むのを止めた翌日から酷使された全身の筋肉が悲鳴を訴えてしまうらしい。
 ああ、だから注意事項に基地に戻るまで飲み続けろとあったのか……と今更知ってももう遅い。
 トイレに行くにも這ってしか動けず、あやうく漏らしそうになったのは絶対に誰にも言えなかった。



【後日談2】

 なんとか写真の固定表示設定ができた例のフォトフレームは、結局執務室の一角に飾られることになった。もちろん映像は無難な二人の婚儀の式の記念写真。
 そりゃ、普段ならば諸々の写真でも楽しいっちゃ楽しいが、さすがにマジメに仕事をすることもある執務室で延々他人のそれが流れるのも堪ったものじゃない。
 というか、仕事にならん。
 何しろあれから二週間、いまだにリアンとのセックスは医師から解禁されていない状態で、疲労困憊の今とは言え俺の性欲を煽るのは厳禁なのだ。
 そんな日々、気分転換にリアンが車いすでやってきた。ただし、残念ながらマーマニー付きでだ。
「バージルっ」
 久しぶりに見るリアンは、たいそう元気そうだけど、そのヒビが入った足は太股までギプスで覆われているし、大きく動くと鎖骨の辺りが痛むらしく顔を顰める。
 けれど、そんな目に遭わせた俺たちに、うれしそうに微笑むリアンに、愛されているなあと自覚して笑みが止まらない。
 そのリアンが懐かしそうに執務室を見渡して、例のフォトフレームに目を留めた。
 まあ、始めて見るものに興味を抱くのは当然だろうけれど。
「……これは?」
 その声が震え、表情がひどく硬い。
「あ、ああ、それは総司令官の婚儀の写真だ。軍服着てんのが総司令官、隣の花嫁衣装が伴侶」
「花嫁……」
 まあ、男同士で花嫁衣装ってのもあれだが、可愛い笑顔の彼は結構似合ってて、こうやって飾っていても違和感はない。
 だが、リアンの表情は硬く、と、不意にその瞳にぶわっと音がなったように涙が溢れて両頬に伝い始めたのだ。
「どうした、リアン?」
 ゴルドンがちらりと俺を見やり、同時にリアンに向かう。
 俺も一歩遅れて駆け寄った。
「この子、こっちの……レリィ、俺の遠縁の……行方不明だった……」
 その言葉にピンと来た。
 リアンの兄が関与している思われる行方不明事件、リアンが兄の正体にうすうす気付くきっかけになった、行方不明の。
「こ、これ、無事だったってことだよね? 伴侶になってるって、そういうことですよね?」
 他人の空似と言うには、あからさまな写真の存在。
 このことが判っているからこそのこのフォトフレームなのだとしたら。
「喰えねえおっさんだ」
 少し前におっさん呼ばわりした俺を訂正したゴルドンですら、同じ言葉を呟いて、天を仰ぐ。
「てことは、総司令官はモリエールと繋がってる?」
 行方不明時点と今の状態、二つの点を結びつける間には誰が考えてもモリエール家の存在が否定できない。
「モリエール家としたら儲かれば他国であろうと問題無い。むしろ、両国に武器を提供して、戦争を続けてくれたほうが良い、そう考えたら、その重要顧客は」
「総司令官」
 実際に武器弾薬の購入を管理している幕僚どもや裏で暗躍してる連中の政治的駆け引きとかいろいろあるが、総司令官の鶴の一声の効果は無視できないはずだ。
「だが、俺の調べた限りでは、総司令官とモリエールが繋がっている情報はないし、どうも嫌っているとの情報のほうが多い。実際、先だってもモリエールと裏取引しようとしてる連中が一斉検挙されたばかりだし、あっちの手先もかなり投獄されたはずだ。現に、武器弾薬の購入の流れが変わってるのは確かだ」
「ふーむ。ということは、行方不明の子が伴侶になっている理由はどう推測する?」
 車いすの背にもたれるように首を傾げるマーマニーに、リアンも不安そうに見つめてくる。
 まあ仲良かったとあのとき言っていたから、今が幸せそうだったら良いが、その過程もやはり気になるのだろう。
「あー、総司令官がその伴侶と出会ったのが、その子が行方不明になったという2ヶ月後から3ヶ月後の間だな。出会ってあっという間に婚儀、今に至るというわけで。当時は総司令官電撃結婚に本部は騒然となったとかならなかったとか」
「いや、なるだろ、それ」
 しかも、降って湧いた、どこの誰とも判らぬ輩。
 若くして総司令官の地位に上り詰めた掛け値無しのエリートに、虎視眈々と狙っていたはずの女どもの阿鼻叫喚が聞こえるようだ。
「考えられることとしては、モリエールが差しだした据え膳を気に入って、手に入れたものの後の約束とか何とかは完全無視。だいたい、あの人って武力行使で相手を潰すってのはそんなに好きじゃないらしいからなあ。どっちかっていうと裏で画策してるタイプだな。で、それに対してやいのやいの言うモリエールは邪魔だから潰す。もとより、なんだかんだ言って実力も無いのに口先ばかりの奴は大嫌いらしいから、ついでに一緒にして追放処分とか。まあ、証拠隠滅とかそんな方向じゃないかね。何せ、総司令官の伴侶に対する溺愛ぶりは、隠しても隠し通せないというか、隠す気ねぇんだろうな、この様子じゃ」
 ゴルドンがフォトフレームを手にして、しみじみと呟いた。
 そう言われてみれば、この写真の伴侶がリアンと似ていると思ったのは正しかったようで、怪我で少しやつれたリアンと彼は似ているところもある。
 特に、この翆色の瞳なんか特に。
「レリィに会いたい、会えないかな?」
 不意にリアンが考え込みながら、問いかけてきた。
「俺の立場だと難しいと判ってます。けど……」
 リアンは俺の伴侶ではあり国籍も正規のものがある。けれど、その出自は微妙だ。だいたい、下手に連れ出すとモリエールの関係者に見つかる可能性は高い。
 すでにバレているとは言え、それでも危険は避けたい。
 さてどうしたものか?
 と無言で視線をゴルドンにやれば、肩を竦めて返された。
「向こうはリアンの存在を知っているからな、事情は判っていると思うから。今度総司令官に頼んでみる。ただ……」
「ただ?」
「また、何か要求されるかもしれないが……」
 意味ありげな視線に、俺は口元を歪めて返した。
 さすがに今度やったら、地獄の特訓どころじゃなさそうで。
 けれど。
「まあ、聞いてみてからだな」
 それしか言えなかった俺だが、リアンはそれでもうれしそうに微笑んでくれて。
「ありがとう、バージル」
 その視線に、節操無しの股間が一気に熱くなってしまい、マーマニーが冷めた視線で、もう一週間延ばすかと呟いた言葉に、慌てて首を振りまくったのは言うまでも無かった。
 
 
【完了】