【TELEPHONE注意報】

【TELEPHONE注意報】


 葉崎は澄んだ青空をぼんやりと見上げていた。
 少し早めに来たこの場所は、ひんやりとした秋の空気をさらに冷やす噴水の細かな飛沫が飛んでくる。照りつける陽の光はまだ鋭く肌を焼くというのに、風が吹けば涼しさを通り越して寒いと思うこともある。
 だけどそれに気をとられることが今の葉崎には必要だった。

『明日、10時に駅前の噴水で』
 嬉々とした声の電話の主は、葉崎が言い返す暇を与えないほどに言葉を矢継ぎ早に繰り出してくる。
『あのくそ親父、この一週間は海外なんです。今度ばかりは絶対に邪魔なんかさせないから』
 悦ぶ理由も判るから、葉崎は頷くしかなかった。
 それに葉崎だって嬉しい。
 何しろ二人だけで昼間に出掛けるのは、初めてに近い。
「楽しみだな」
『はいっ!』
 それは子供のような元気な返事で、堪らずに葉崎は吹き出した。
 年齢は葉崎の方が少し上なのに、いつもはずっと大人びた雰囲気を持つ宮城がこういう時だけ年相応だと思える。
 そして葉崎はそんな宮城が好きだった。
 
「お待たせ」
 ふっと日差しが陰って、訝しむ間もなく声をかけられた。
「約束通りだな」
 言いながら立ちあがった葉崎が宮城を見つめた途端、彼のスーツ姿ばかり見慣れていたせいかその違和感に小さく息を飲んだ。
 濃紺のカジュアルなシャツに、綿パンと言った出で立ちが、体格の良い宮城をさらに格好良く見せる。相変わらずかけているサングラスはいつもより明るめではあったけれど、だからこそ、違和感なく宮城を引き立たせていた。
「あの?」
 黙ったまま呆然と見つめる葉崎に、宮城が訝しげに問いかける。
 途端に葉崎は我に返って、慌てて首を横に振った。
「いや……何でもない。それより、どこに行くんだ?」
 誤魔化すように笑い返して、今日ここに来た目的を問う。
「そうですね。映画行きますか?葉崎さん、見たい映画があるって」
 この前は社長に先を越されたけど。
 苦笑いを浮かべた宮城の言いたいことに気がついてしまうと、葉崎も否とは言えない。
「ああ、そうだな」
 宮城がそれを望むのなら、と、彼が躊躇わないうちにと葉崎は誘うように一歩を踏み出した。


 暗い室内から出て、葉崎は眩しげに目を細めた。
 まだまだ高い太陽の位置に、ほんの少しの空腹感。背後の宮城に笑いかける。
「どっか食事いこうよ。どこがいい?」
「そうですね」
 葉崎を見つめる宮城の目が細められて、口の端が僅かに上がる。
 サングラスをかけているから眩しいはずはないだろうに。
 葉崎がきょとんと宮城を見つめれば、彼が困ったように肩を竦めた。
 それが悔しいくらいに決まっていて、どきりと胸が高鳴る。
「何?」
「何でもない」
 動揺を悟られたくなくて、葉崎は宮城に背を向けた。そのまま足を進める。
 宮城は格好良い。
 悔しいくらいに格好良い。
 仕事だって社長の秘書という、これまた格好良い仕事だ。しかもそれをそつなくこなしている。
 そんな宮城が、何を思ったか葉崎に一目惚れだというのだから、未だにそれが信じられない。
 それでも。
「ファミレスとホテルのレストランとどっちがいい?ね、葉崎さん」
 敬語とため口が微妙に入り交じる宮城の言葉は、聞いていると楽しい。
「何?宮城さんの奢り?」
「もちろん」
 当然だとばかり笑う仕草は子供っぽいような気がして。
「じゃあ……」
 ちょっとだけ迷ったけれど。
「ホテル……行ってみたい……」
 申し訳ないかな、とも思ったけれど。
「良かった。実はランチバイキングしているところがあって、そこ、美味しいって評判なんですよ」
 ご機嫌になった宮城にほっとする。
 手を伸ばせばきっとその手を握ってくれるだろうが、さすがにそれは恥ずかしい、と葉崎はぎゅっと拳を握った。
 何もかも頼りにするのは、男としてはどうかな?とも思う。
 だが、相手が宮城となると甘えて良いかなあとも思う。
 いつでも宮城と会う時は、男としてのプライドと甘えたいという思いが交錯するけれど。
「宮城さんと──宮城さんの奢りなら、なんだって嬉しいよ」
 ほんの少しだけ言い換えた言葉が、葉崎のなけなしのプライドだった。


 幸せな時を切り裂く無粋な携帯の音。
 それが鳴ったのは、もう日が地平線に沈む頃だった。
 繁華街から少し離れた緑に包まれた公園で、缶コーヒーを片手に一息ついていた時。
「はい……」
 宮城の暗い声に、葉崎も知らずに顔が強張る。
「はい……ええ、帰国は予定通り……はい」
 どう聞いても深刻な対応に、葉崎は小さく嘆息をついた。
 宮城の上司である加古川がいないと言っていたのは宮城自身。そんなときに会社で何かトラブれば、宮城が呼び出されるのは必須だろう。
 本当はこのままずっと二人で過ごすつもりだったけれど。
 それも今日は無理なのだろう。
「はい……判りました……。え……でも……」
 少し苛立ったような声音に、ますますその思いが強くなる。
 手の中の缶コーヒーの温もりが、もの悲しくなってきた。
「……はい……判りました。はい。……それでは失礼します」
 終わりの言葉ともに、宮城が携帯を切った。
「仕事?」
 間髪入れずに問いかければ、宮城が苦笑を浮かべる。
「少し……トラブルがありまして。社長から確認が。けど、済みましたから──この後は大丈夫ですよ」
「そんなのっ」
 残念がっている事を読まれて、葉崎は頬を赤らめた。だが、それも気付くと恥ずかしい。
 慌てて俯いた顔を宮城が腰をかがめて覗き込む。
「真っ赤」
 くすりと笑われて、慌ててその顔を押しのける。
「お前はっ!」
「くくっ、心配した?」
「誰がっ!」
 荒げた声を意に介さず、宮城は葉崎の肩に手を回した。
「ばかっ」
 こんな衆目の場でっ、と、葉崎が慌てて押しのけようとしたら、逃さないとばかりに腕に力を込められた。
「嬉しいな。仕事が入ったかと心配してくれるなんて」
 耳元で甘く囁かれて、ぞくりと背筋に痺れが走る。
 それだけで力が抜けそうになった膝に体がぐらついた。思わず縋った宮城の腕にほっと安堵していると、頭の上でくくっと震える吐息が降ってきた。
「ずっと……こうしていたい……」
「ばか……」
 体の熱が上がって、息苦しさすら感じる。
 だけど。
「いい加減離れろよっ」
 さすがに、宮城を押しのけた。
 日が沈みかけて、空気がかなり冷たいから、公園に人影はない。けれど、一歩ここから出れば、まだまだ人通りの多い場所だ。
 二人の間を通り抜ける風が、葉崎の体を震わせた。
「じゃ、行こ?」
 代わりのように手を握られて引っ張られ、その手の温もりにほっとする。
「今度はどこ?」
「……ホテル」
 悪戯っぽく視線を寄越されて、途端に沸騰するほどに体が熱くなった。
「ホテルってっ!」
 行き着く先はそこだろうと思ってはいたけれど。
 葉崎は明らかに狼狽えて、繋がれた腕のままに一歩後ずさった。
「駄目です?」
「駄目って……ことは……ないけど」
 熱っぽく見つめられて、それから逃れるように目を伏せる。期待していなかったと言えば嘘にはなるけど、それでもあからさまに言葉にされて堂々としていられるほど経験はない。
 そう、葉崎達は体を繋ぐ行為をそう回数を重ねたわけではなかった。
 まして、こんなふうに誘われることもない。
 いつもは、宮城のマンションでだんだん盛り上がってそのままベッドに──と言うことが多かったから、考える暇もなかった。
「じゃあ、いいですね」
 なのに。
 心が酔う暇もないほどに今日の宮城は強引だ。
「ホテルでずっと葉崎さんといっしょに過ごしたい」
 突きつけられる現実が、葉崎の熱をさらに上げさせる。
「宮城さんって……どうしたんだよ、今日は?」
 沸騰しそうな頭をどうにかしたくてつい投げつけた問いに、宮城が困ったように首を傾げた。
「何か、変?」
「だってさ……いつもは……」
 窺うように葉崎に尋ねて、酷く遠慮がちで──盛り上げるだけ盛り上げても、葉崎がちょっとでも躊躇ったら、平気で止めようとする。お陰で、恥ずかしいことに自分から誘うハメになることが多々あって。
 だが考えてみると、こうやって誘われることもこんなに恥ずかしい。
 本当にどっちもどっちで。
「何でもないよ、行くんだろ。それで、ホテルはどこ?」
 にやにやと笑う宮城の顔が見ていられなくて、葉崎は半ば強引にその手を引っ張った。


 宮城が葉崎を連れて言ったホテルは、こんな格好で……と思うほどに豪華なところだった。そこは会社が海外の要人を宿泊させる、いわば高級の部類に入るホテルだ。
 しかも、宮城がとっていた部屋と来たら。
 どうやら予約していたらしく、滞りなくルームキーを渡された宮城が案内のサービスを慣れた様子で断るのを見て、ロビーで待っていた葉崎はますます小さくなっていた。
 そのソファも体が沈むほどで、ジーンズ姿の葉崎など場違いなこと甚だしい。
「じゃ、行きますか」
「お、お前って……」
「何です?」
 すっと嫌味なく葉崎の背を押して自然に半歩前を歩く宮城は、まるで大事な客を案内しているかのようだ。
「こんなところじゃなくても……」
 他に客がいるせいで小さくなった声に、宮城が聞き逃すことなく小さく笑った。
「私にとってはそれだけ大事な方ですので。それを思うとどんなところでも極上の場所ですが、やはりこういうところで、と思いまして。それにそんなに高い部屋でもないんですけどね」
 適当に誤魔化している宮城の顔を見上げれば、そこに浮かぶ茶目っ気たっぷりの笑みに、知らずに顔が赤らんでしまう。周りにいる人達は、その内容を聞いていたとしても疑問にも思わなかったようだが、当の本人としては恥ずかしいことこの上なかった。
 他の客がどんどん降りていって、最後に二人だけになる。
 それでもまだ降りる階には辿り着けなかった。
「だけどこれ……悔しいことに、社長の奢りです」
 だが、到着を知らせるベルの音共に、宮城が顔を歪めて呟いた言葉に葉崎も驚いて宮城を見つめた。
 その背を宮城が押して、エレベーターの外に導かれる。
「加古川さんの?」
「ええ。使うつもりはなかったんですが……さっきの電話で念押しされまして……」
「でも、何で」
 カード式のキーをドアにさすと、小さな音共にロックが外れた。それを宮城が開けて、葉崎を先に室内に入れる。
「うわっ……」
 加古川の件への疑問はあったけれど、部屋はそれを払拭するほどに葉崎の目を奪った。
「凄い……」
 滅多にホテルなど泊まることがない葉崎であって、しかも泊まるにしても安ホテルが大半だ。 そんなホテルに慣れた葉崎にとって、この部屋は別世界だった。
「おい、部屋が二つあるっ」
 応接間のような部屋に首を傾げて奥のドアを開けてみれば、そこはセミダブル程のベッドが二つ並んだベッドルームだった。
 ムードある部屋に、バスルームも大きな鏡に広いバスタブ。トイレは別にあって、洗面所は明るく何でも揃っている。
「これで高くないはずはないだろう?」
 振り返れば、宮城が苦笑を浮かべて値段を口にした。
 それは、葉崎にしてみれば目玉が飛び出るほどの金額で。
「まあ、普通よりは高いですが……ただ、新婚旅行客が、その時だけの贅沢な思い出として使われることもあるそうです。だからコンスタントに出る部屋ですから、スウィートルームよりは安いんですよ。って……これは社長の受け売りで」
「新婚旅行……」
 なんとなく加古川が何を意図してこの部屋を取ったのか判ってしまう。
「ほんとは……無視しようって決めたんですけど、さっきの電話で脅されました」
「何を?」
 だいたい想像はついた。
 いつだって、あの加古川には翻弄され続けてきたから。
「使わなかったら、この先ずっとデートの邪魔をしてやる、と」
「そう……きたか」
 ほうっとため息をついて、葉崎は大きな窓から下を見下ろした。
 もうすっかり暗くなった空は、煌めく街の光のせいで星が見えない。
 そのはるか向こうで加古川が、得意満面な笑みを浮かべていると思うと腹も立つけれど。
「で、宮城さんはこれからどうするつもり?」
 あの強引さも加古川の策に乗らざるを得なかった宮城の、やけくそだったのではないかと気になった。
「どうするって?」
 きょとんと首を傾げる宮城は、葉崎の疑問など気が付いていない。
 胸ポケットに入れていた携帯の画面を確認し、サイドテーブルにそれを置く。その横にサングラスも置いて、宮城は葉崎に視線を向けた。
 それに睨み返して。
「社長さんの奢りでここまで来たけれど、この後はどうするってこと」
「それは……その」
 やはり途端に狼狽える宮城に、葉崎はため息をついた。
 どこか心が期待していたそれが、やはり無理だったのかと落ち込んでしまう。
 いい加減、イヤなのに。
 いつだって、誘うようになってしまう行為は、後から考えると酷く葉崎を羞恥に貶める。
 本当なら始まりから最後まで、葉崎が何もしなくてもしてくれたら、と思うのだけど。
 こういう時だけ年上だの何だのってプライドが気にならないのだから、現金なものだと思う。
「なあ、ルームサービスとってもいいか?」
「あ、はい。オレが注文するけど……何がいい?」
「酒、飲みたい。水割りとか……あ、ワインとかいいかも」
「え?」
 宮城が驚いて、葉崎をマジマジと見つめる。
「何だよ」
「飲むんですか?」
「飲みたいんだよ」
 だって、飲んで一気になだれ込まないと恥ずかしくてしようがねーじゃねーか。
 口にしたくてできない言葉を、頭の中で呟いて、宮城を睨む。
「でも……葉崎さん、酔っぱらったら……」
「いいから、頼めよ」
 ああ、そうだよ、オレは酒に弱くすぐに寝てしまって。
 しかも、酔っぱらって抱きついて離れなくなって。
 それで最初の時に、お前に犯された。
 忘れるはずもないことをまざまざと脳裏に思い浮かべて、葉崎は覚えず顔を赤くした。
「酔いたいんだよ」
 酔えばどうなるか判っていて、それでも今は飲みたい気分だった。
 そうでもしないと、こんなところで宮城を誘うなど恥ずかしくてできそうになもなかったから。
 なのに、宮城はいつまでたってもそこを動かなかった。
「……宮城さん?」
 いつにない真剣な視線が自分を見ていると気が付いて、葉崎は訝しげに彼を見つめた。
「……飲めない酒を無理に飲む必要はないです」
「何を」
 静かに諭すように言う宮城に、葉崎はカッと頭に血が上った。
 それもこれもお前のためなのに。
 葉崎は本当に宮城が好きで、抱かれることも嫌いではない。それは宮城も同じだと思うから、葉崎は行動に移す。
 実際、宮城が行動に移せないのは、葉崎にも原因があったから。
 葉崎の言葉が信用できなくなるほどに、宮城を傷つけたのは己自身だという自覚があるから、葉崎はいつも宮城をその気にさせようとした。
「オレのせいですよね。飲めない酒を飲もうとするのは」
「違うっ……。せっかくこんないい部屋にいるんだから、ムードってもんをな」
「飲まなかったらムードを作れないオレが悪いんですよね」
「だからっ」
「オレがもっと強引に迫ってもいいですか?葉崎さんから誘われなくてもオレが迫っても……」
 真剣な瞳が近づいて葉崎を拘束したのと、熱い唇が頬に触れたのとが同時だった。
「んっ……」
 一瞬触れただけなのに肌がさざめいて、葉崎は堪らずに目を固く瞑った。
「この前……社長に叱られました。いつまで臆病なことやってんだって」
「え……?」
 宮城の言葉が頭の中で繰り返されて、葉崎はびくりと目を見開いた。
「何で加古川さんがそれを?」
 宮城が喋ったのか、と睨み付ければ、申し訳なさそうに宮城が視線を逸らす。
「誘導尋問にひっかかって……。詳しくは話していないんですが……。その、強引な事をしていないし、したくない時までしていないって言ったら、社長が怒り出しまして……」
「何でそれで……」
 判らないと問えば、宮城が苦笑を浮かべた。
「甘いだけの関係じゃ、すぐに飽きられてしまうって。したくないって言って手を引っ込められたら、言いたくなくても”したい”って伝えなきゃいけない。そんな恥ずかしいことを、葉崎さんにさせ続けているのか、と」
 その言葉に息を飲んで、だが、慌てて首を横に振った。
 けれど、宮城はやっぱりと言ったように頷いていた。
「言われてオレもずっと考えていて。確かに社長の言う通りかも知れないって思うようになって、いろいろ考えたんです。飲めない筈の葉崎さんがオレの部屋に来ると何か飲もうとするし、いつも葉崎さんが誘ってくれるのをオレも待っていたと思うし。だけど、それじゃやっぱり駄目ですよね」
 拘束した腕に力が込められて、胸を圧迫された。
「み……やぎさっ……」
「だから……今日はオレがします。何もかも……」
 大きな手が背のくぼみを辿って下に降りる。
 途端にぞくぞくっと悪寒のような疼きが全身を襲った。
「あっ……待てよ……シャワーだけでも……」
「駄目です。オレがして上げますから」
 逃れようとする体を抱きしめられて、そのまま立たせられる。
 少し上にある宮城の顔を見上げれば、そこにある真剣な瞳に息を飲んだ。それでも、シャワーをしてもらうというのは、抱かれることとは別物の恥ずかしさだ。
「ちょっと……それは……」
「オレがやりたいから」
 丁重に遠慮しようとしたけれど、有無を言わせぬ迫力が宮城の全身に宿っていて、結局葉崎は逆らうことはできなかった。


 強引であって欲しいとは思ったけれど。
「んっくっ……やめろって、そこは」
「洗っているだけですって。動くと洗いにくい」
「だけど……っやあ」
 手の平で泡立たせたボディソープが、宮城の手によって肌の上を伸ばされる。
 ほぼ全身が泡で埋まっているというのに、宮城の手はまだ足りないとばかりに葉崎の肌をまさぐっていた。
 その滑らかな手の動きは、どう考えても洗うという行為を逸脱しているような気がする。
 やわやわとつけられた強弱によって、時折微弱な電流が肌を伝う。
 我慢できなくてぺたりと座り込んだ膝から下は、さっきからもう力が入らない。
「やあっ……駄目だっ……」
 股の間で震える葉崎自身は、その愛撫に感じて切なく震えている。
 押しのけようにも、泡で滑って反対に抱きつくようになってしまった。
「いいから、大人しくしてくださいよ」
「ばかっ」
 抱き留められ、結局それに縋るしかなくて、葉崎は頭の上にある宮城の顔を睨み付ける。だけど、それでなくても風呂というのは肌を上気させるというのに、それだけでないほどに熱が籠もっている葉崎の肌は、綺麗な薄桃色に染まっていた。
 そんな姿に、宮城は苦笑を浮かべて葉崎をさらにきつく抱きしめる。
「……我慢……しなくていいんだよな?」
 宮城が漏らした感極まってはいるものの、どこか不安げな言葉に、葉崎も息を飲んで。
 いつもなら、ここで「うん」と頷かなければならない。
 だけど、と葉崎はぎゅっと口許を引き締めて、それからゆっくりと舌に言葉を乗せた。
「……そんなの……自分で考えろ」
「……」
 葉崎の言葉に、宮城がぎゅっと腕に力を込める。
 何かを確かめるようにその手の平が肌の上を辿って、そして深いため息が耳朶をくすぐった。
「そう……だよな……」
 躊躇いが見え隠れする言葉ではあったから、今日も駄目かと思ったけれど、葉崎が言葉を発する前に、宮城が動いた。
 バスタブの縁に背が押しつけられた途端に、口が塞がれる。
「うっ……んく……」
 荒々しいまでの口づけは、熱気の隠った狭い浴室では息苦しさを助長させた。無意識のうちに押しのけようとした手が宮城の肌の上を滑っていく。
 ぴちゃりと湿った音が近くでしていた。
 それが湯の音なのか、それとも口内でしているのか、判別がつかない。
 息をもつかせぬ深いキスは、宮城が離れたことで終わった。けれど、唇は離れた後も疼いて、まだ触れあっているような気がする。
「葉崎さん」
 切ない声で呼びかけられ、葉崎は虚ろな瞳を宮城に向けた。
 男らしい眉が顰められて、葉崎を見下ろしている。
「な……に?」
 問えば、その眉間のシワが深くなって。
「思うように……するから、傷つけはしないようにするけど、途中では止めない」
 震える声が耳に届いた時、葉崎はざわめく体を押しつけるように宮城にきつく抱きついていた。


 白い泡がシャワーによって流されて、薄く染まった葉崎の肌が露わになる。
「んあっ……あっ……」
 体の奥深く、限界まで突き上げられて葉崎は喉を晒していた。
 宮城のあぐらをかいた足の上に抱き抱えられ、自重によって奥深くを抉られる。力強い手に腰を揺すられるたびに、妙なる疼きが背筋を這い上がった。
「んっ……きつい……これっ……」
 時折、抱え上げられ、どすんと落とされる。
 そのたびに、堪えきれない嬌声が浴室内に響いた。
 それが堪らなく恥ずかしいのに、それでも止めろとは言えない。
 何より体が、そして心もその先を求めているからだ。切なく震える葉崎のそれは、湯によるものではない湿りを帯びていて、ぷくりと浮いた透明な液が、揺すられるたびに流れ落ちていく。
「あっ……やあっ……」
「もっと……もっと感じて……」
 ぐりっと抉るように腰を突き上げられて、びくりと体が仰け反る。
「素敵だ。すごく色っぽくて、堪らないよ」
「うっ……うるさっ、そんなこと言うなっ」
 それでなくても恥ずかしいのに、言葉がさらに羞恥を煽る。
 今までそんなことを言いながらされたことはなくて、慣れない状態に、何度も大きく首を降る。そのたびに濡れた髪から滴が飛んだ。
「でも、本当に……。こんな葉崎さん見てたら、何も考えられないっ……、我慢なんて……できないっ」
「あぁっ……もっ……駄目っ」
 手が添えられて、上下に激しく扱かれて。
「こんなにもオレを感じてくれてる。ねえ、判る……オレ、また大きくなったような気がする」
「うっ……わっ……あっ、もうっ……」
 我慢なんかできなかったのは葉崎の方だった。
 宮城の手を制止する間もなく、体の奥から込み上げる欲情が一気に溢れ出した。
「うっああっ……」
「あぁ、きつっ……」
 堪らずに締め付けてしまって、宮城が苦痛に顔を顰める。
 それに達ったばかりだというのに煽られてしまい、息苦しさに肩で大きく息をしているというのに、股間はほんの少し萎えただけだ。
「まだまだ元気そう」
 嬉しそうな宮城に、葉崎は真っ赤になりながらその胸に顔を伏せた。


 二人で寝るには狭いベッドの上なのに、たっぷりの空間でシーツがシワを作る。
「んくっ……そこ、ダメだっ……くう」
 のしかかられた重みに喘いでいるに、手が太股の内側を撫で上げる。途端に狂わされた呼吸が浅く早くなった。
「でもさ、ここはダメじゃないってさ」
「う、うるさ……あっ」
 悔しいことに積極的な宮城にかかると、葉崎はただ身悶えて喘ぐしかない。
 いつものように宮城をその気にさせる必要もなく、手持ち無沙汰の手はしっかりと彼の背に回されていた。そのせいで余計に肌が密着して、まるで一つの人のように二人は絡み合う。
 高く掲げられた足は、手と同じように宮城の腰に回り、弾ける快感に知らずに腰を締め付けた。
「葉崎さんって、そんなに力入れたら…動けないっ」
「だ、だってっ──ああっ!」
 文句を言われても意に添わない体は葉崎自身でもどうしようもなく、なのにしっかりと突き上げられて、反論することもできない。
 暖かいシェード越しの灯りに照らされて、汗ばんだ肌を余計に艶めかしく彩る。
「うっ……ああっ……ふあっ……」
 突き上げられ、何度も絶頂寸前の高みに連れて行かれ、葉崎のモノは限界を訴えている。
 つい先ほど吐き出したはがりなのに、もっと宮城が欲しいと願う。
「もっと──っ、来てっ、宮城さっ……」
「達って、いいよ……。何度でも……。今日は、オレが満足するまでするからっ、うくっ」
 息を飲むような声がして、宮城の全身がぶるりと震えた。
 途端に動きが止まって、ぎゅっと抱きしめられる。
 熱い体から、宮城の匂いがたち上り、葉崎はそれだけで酔いそうになった。
 男の匂いなのに。
 それなのに、甘美だと思う。
 そう思った途端に、葉崎の体がざわめいた。知らずに全身の筋肉に力が入り、四肢で抱きこんだ宮城を締め付ける。
「っ……我慢……できない?」
 伏せていた頭を持ち上げた宮城の顔が笑っていて、葉崎は誘ってしまったことに気が付いた。
 途端に顔が熱くなる。
「ね、欲しい?」
 にやけた顔に、しかめっ面を返したけれど、抱かれて頬を染めた顔では効果が無いようで、葉崎を抱く宮城の腕にますます力がこもる。
「言って欲しい……。いつものように……」
 言うに事欠いて、そんな事まで言われて。
「バカ……やろ……」
 そりゃ、いつも誘うのはこっちだけど。
 それでも改めて請われると恥ずかしさは倍増だ。
 目の縁まで赤くなった葉崎が顔を逸らすと、宮城が追ってきて口づける。
 軽い音を立てて離れて、宮城は笑みを引っ込めた視線を絡ませてきた。
「今日はちゃんとオレからしようと思ったけど……。でもオレ、オレを誘う時の葉崎さんの顔や声も好きだから……だから言って欲しい」
「ば、バカっ」
 逃れられない視線ととんでもないことをいってくれる声に煽られて、全身が波打つように震えた。
 放置されたままの逸物は、切なく泣き続ける。そこを指先でなぞられて、言いたくないと思っていた心も吹っ飛んだ。
「あっ……みや…ぎさっ……きて……動いてっ」
 やわやわと先端を嬲られるたびに途切れる言葉が、余計に扇情的に室内に響いた。
「やっぱ……最高……」
 感極まった声音に宮城の興奮の度合いが伝わる。
 一気に始まった抽挿は、際限なく葉崎を責め立てた。
「あっ……やっ……もぅっ!」
 欲しかった律動は叩きつけるように快感の源を抉る。
「み、宮城っ!」
 ひときわ高い嬌声とともに、葉崎は一気に高みまで駆け上がった。


 さらりと衣擦れの音が耳に心地よく届いて、夢うつつだった葉崎を現実へと引き戻す。
「宮城……さん?」
 明るい自然の光の中、ほどよい温もりが離れようとしているのに気付いて、手を伸ばした。
「すみません。ちょっと電話が」
 苦笑混じりの声に、こくりと頭だけを動かす。伸ばした手は、触れた布団の縁を掴んで、引き寄せた。
 くすりと揺らぐ空気が髪を揺らす。
 髪にキスを落とされたと雰囲気だけで察して、葉崎はひどく幸せに体を丸めた。
 なのに。
「えっ!荷物が?」
 幸せな気分など吹っ飛ぶような宮城の驚いた声が響く。
 『荷物』という、葉崎にとっても無縁でないその単語に、体が先に反応した。
「くっ!」
 跳ね起きた体がきしむような痛みに負けて、崩れてしまう。そんな葉崎を宮城の腕が慌てて支えた。
 だが、もう一方の手が携帯をしっかりと掴んで、相手との話は途切れない。
「はい……。もちろん催促を。ああ、さすがですね。御願いします」
 相手の対応に安堵したのか宮城の声が和らいだ。
 それを聞いて葉崎もほっとする。
 もしここで宮城が呼び出されるようなことがあったら、せっかくのデートもこれで終わりになる。それがイヤで堪らなくて。
「では、後のこと御願い致します。また何かありましたら連絡を、はい、失礼します」
 電話を切ると同時に宮城が柔らかく微笑んだ。
「すみません、驚かせたようで」
「いや……それはいいんだけど。なんか荷物って」
 普段仕事で『荷物』を扱っているせいか、妙に気になった。
「ああ、今日中に仕上げる予定の試作品の材料が昨日入らなかったようなんです。ちょっと大切な件でしたので、何かあったら連絡を入れて貰うようにしていたので」
 すみません、と神妙な面持ちで頭を下げる宮城に首を横に振る。
「いや、それが宮城さんの仕事だからさ、いいんだけど。でも休みなのに、仕事してんだ、そっちは」
 宮城の勤め先の大事な用件なのだから仕方がないと割り切って──それに宮城が戻るわけでもないから、自然に笑みが浮かんでいた。
「納入先への納品が明日なんです。ぎりぎりまで頑張ろうって、皆張り切っているんですよ。開発部の部長は、社長に負けず劣らずパワフルで、しかも負けず嫌いですから」
 くすりと笑う宮城を見ていると、本当に今の会社が好きなんだろうと思わせる。
 どんなに忙しくても、宮城はいつも楽しそうだ。
「そっか。でもさ約束守れないなんて厄介な会社もあったもんだな」
「そうですね」
 ちゃんと納入日に届くように荷物を出荷するのが葉崎の仕事だから、それがどんなに大事なことかよく知っている。
 だから、そう言って。
 宮城も笑って葉崎に応えた。

 が。
 その笑みが一瞬にして消えたのは、葉崎の携帯が鳴った時だ。
 独特の音楽は、会社の同僚専用に設定した着信音──判りやすいそれは、「天国と地獄」。
『葉崎っ!出勤してくれっ!』
「イヤだっ」
 電話口でがなり立てる木下に、速攻で返した。が、それで引っ込む木下ではない。
『出荷、一件忘れてた。指図ミスなんだよ〜』
 叫んでいるせいで変な声だと思ったが、よく聞くとどうもひどく掠れて苦しそうだ。
 それに、最初の威勢の良さはどこにいったのかと思うほどに弱々しくなっていく。
「木下?」
『オレ、風邪ひいてて……熱が……。お前だけが頼りなんだよ〜』
 さすがにそう言われるとイヤとは言えなくなる。
「……ミスって……」
 ため息をつきながら問う。
『出荷指示が抜けてて……納品し損ねて、客先から怒りの電話が入ったって。休出していた開発部の人が受けて、管理に連絡して、そいで管理からオレんとこに。どうしても今日中に届けてくれって。とりあえず今チャーター便は手配できたっていうんだけど──梱包がっ』
「げっ、箱詰めできてねーの?」
『らしい』
「……」
 冷たい風が頭の中を通り過ぎる。
『そんなたいした量じゃないから……』
「だったら、出勤してる誰かに頼んで……」
 それができたら木下だって電話なんかしてこないと判ってはいたけれど。
『無理。化粧箱には入ってんだけど、外箱に詰める時は向きとか梱包材とか──ISO指定があるし。それに出荷指示は、誰でもできないだろ』
「……」
 二度目の沈黙は、何事かと窺っている宮城への視線付きだ。
 木下が言った使用梱包材料にいや〜な予感が湧いてきて、それを振り払いたいと思った葉崎だったが。
『ほら〜、加古川電子向け。専用箱じゃんか〜。納品伝票とか専用だし、ややこしいし』
「……」
『12時に来るチャーター便に乗せたら、OKだから、な』
 ふと見上げた時計は8時を回ったところだから、いますぐ出ないと間に合わないだろう。
「判った」
 他に何が言えよう。
 目の前にその相手先の社員がいるんだ──とは、口が裂けても言えない。
『良かった〜。もう、お前がダメだったらどうしようかと……。今度コーヒー奢るから』
「安いっ」
 文句は言ってみたものの、その勢いは弱い。
 感謝の言葉を切れるまで続けた木下を責めることはできない。
 原因は指図の発行ミスという単純ミスをしてくれた管理にあるのだから。
 それにしても、と葉崎は目前の宮城に苦笑を浮かべて見つめた。
「出勤になっちゃって」
「……そんな感じでしたね。葉崎さんじゃないとダメなんですか?」
「まあね。もともとオレが担当してるところだし」
「でも」
 宮城が申し訳なさそうに葉崎の体に視線を這わせる。
 まだ服も身につけていない肌に浮かぶ朱印を辿り、そして布団が絡まる下肢に向けられた。
「腰とか……動けるんですか?」
「……動かせる」
 悲壮な決意が伝わったのか、痛ましげに顔を顰める宮城に、何でもないよと笑いかける。
 ここで宮城を落ち込ませたら、また元の木阿弥になりそうで。
 だが、宮城の眉間のシワはなくならない。
 葉崎は小さくため息をつくと、もう一度笑いかけた。
 それに、こんな楽しかった日を、このまま終わらせたくない。
「そのさ……会社に着くまでにはもう少しなんとかなるとと思うし。お昼までには仕事終わらせるし。だから……そのさ、待っててくれたりするかな?」
「いいんですか?」
 驚いたように目を見開く宮城に、くすりと笑い返す。
「その何時間か、ちょっとだけ出掛けてて。それからまたお昼には迎えに来て欲しいんだけど」
 己の声の甘ったるさに、恥ずかしいのを堪えて請う。
 やっぱりこういう立場からは逃れられないのだろうか?
「それは構いませんが……ほんとうに大丈夫?無茶はしないでください」
「無茶なんかしないって」
 だけど、宮城はその言葉を信じようとはしない。
 これではますます仕事の内容が宮城の会社絡みなんて言えない。
「だから、送迎付きで少しでも楽しようとしているんだからさ。頼むよ」
 どうしてここまで……。
 見えない場所でしかめっ面をして、それでも宮城にすり寄る。
 信用されないのは判っていたけれど、いい加減情けない。
「……判りました。だけど、絶対に無茶はしないでくださいね」
「判ってるって」
 口先だけでは何とでも言えると葉崎は頷いて、不承不承ではあったが宮城を納得させた。


「やっぱり、無理だったんです」
 ため息混じりで責められても、葉崎は喉から唸り声を出すだけだった。
 最初は大丈夫だと思った仕事は、昼も近づく頃には立っているのも辛いほどになってきていて、終わった頃には椅子から立ち上がれなくなっていた。
 そんなところにやってきた宮城に救出されて、とっとと会社を出たのが12時過ぎ。
 買って貰ったコンビニ弁当を車の中で仲良く食べている間、ずっと宮城は文句を言い続けていた。
「葉崎さんの大丈夫って言葉、ほんとに信用ならないんですよね」
「うるせ」
 小さく唸れば、ため息で返される。
「やっぱ、オレが無茶しなければ……」
「だ〜か〜らっ、どうしてそうなるんだよ〜〜〜」
 また悪い方向に話が進みそうで、葉崎は慌てて制止しようと体を起こして。
「ぐっ!」
 鈍い痛みにそのままびきりと固まってしまう。
「だ、大丈夫?」
「……いいから……、とにかく落ち込まないでよ」
 それだけしか言えない。
 それでも。
 宮城に心配されていると、愛されていると感じることはできるから、葉崎の口許はにっこりと微笑んでいた。

 外はひつじ雲がぽっかりと浮かんでいて、綺麗な青空が広がっている。
 そこを横切る飛行機雲を見上げながら、葉崎は宮城の肩に頭を寄せた。
「ま、最後はバタバタしたけど、少なくとも朝までは最高だった。だからさ、またこんなふうにデートできるといいな」
「……そうですね」
 それは、非常に難しい願いであったけれど。
 二人にとっては切なる願いであった。


【了】