【恐怖の一夜】  

【恐怖の一夜】  

【恐怖の一夜】  ?2万HITお礼SS。恐怖の体験

? 道に迷った。
 滝本優司が呆然と地図を眺める。
 彼は、もともと方向音痴の気はあったのだが、うっかりどこかで違う道に入り込んでしまったらしい。
 すっかり暗くなった空。
 車のライトで照らされているのは、鬱蒼と生い茂った木々。
 道はそこで途切れていた。
「やっぱり、行き止まりじゃないか」
 疲れも手伝ってか不機嫌極まりない笹木秀也がハンドルに突っ伏している。
 秀也が遊びに来たので、優司にドライブでもと誘われたのが間違いのもとだった。
 秀也が運転していると慣れない山道に方向感覚が狂わされていた。
「ごめん……」
 暗い声の優司に秀也は顔を上げる。
「ま、迷ってしまったのは仕方がないし、とりあえず戻ろうか」
「うん」
 すっかり落ち込んでしまった優司に秀也は苦笑を浮かべると、車をゆっくりとバックさせた。
 少し戻れば車をUターンさせるだけのスペースがあったはずだ。
 バックの警告音が暗闇に響く。
 ゆっくりと数分走らせて、ようやく広い場所に着いた。ここまで来ればUターンできる。
 何度か車を切り返し、車の向きを変えることに成功した秀也はほっと息を吐いた。
 だが、その時ずっと黙っていた優司がぶるぶると震えているのに気がついた。
「優司?」
 訝しげに問う秀也は、ふと優司の視線の先を見やった。
「……」
 沈黙が車内を覆う。
 どう見ても、人としか見えない。
 しかも若い女性。
 だが、なんでこんな山奥にこんな時間に?
 秀也は思わず辺りを見回すが、車らしき影はどこにもない。
「優司……」
 腕を掴むと優司がゆっくりと秀也に視線を向ける。
「あれって……」
 目が合ったせいで、優司の感情がダイレクトに秀也に伝わる。
 秀也は他人の感情を読みとる力を持っているのだ。
 ぞく
 背筋に氷でも入れられたような寒気が走る。
「あれ……見間違いだよねえ」
 震える声をそれでも押さえつけるように優司が言う。その口元には笑みが張り付いてはいた。だが、伝わる感情は恐怖そのもの。
「そうだよなあ……」
 伝わってきた感情に押し流されそうになりながらもそれでも優司よりは冷静になろうと努力する。
「あ、のさ……帰ろうよ……」
 すでに隠すことも出来ない震える声で優司が言う。
 それは奇しくも昨夜二人で見たビデオを思い出してしまった事を物語っていた。
 
 昔、男を慕って都より追いかけてきた女がいた。
 都にいるときは、毎夜のように交わるほど恋いこがれていたが、男はその女がうっとおしくなって都に捨ててきた。だが、幾ら言っても女は戻ろうとしない。
 好きだ、どこまでも付いていくと言い張る女を男は、人里離れた山奥の峠道で殺してしまう。
 だが、女は自分が死んだことを信じられないまま、そこに自縛霊となって道行く人を恋しい男だと思いこんで戯れ交じり合い、自分のもとに連れて行こうとする。
 それをある高名な呪術師が退治する……。

 いわゆるB級ホラー&エロビデオだったのだが……。
 未だ鮮明に残っているその記憶と今の光景が合致してしまった。
 一度それを自覚してしまうと、今度はどんなに記憶を振り払おうしても決して振り払えるモノではなかった。
「秀也……帰ろうよ」
 動かない秀也に優司は半端泣き声でせっつく。
「あ、ああ」
 固まっていた秀也もさすがにアクセルを踏んだ。
 ぐいっと踏み込みすぎたせいで勢い込んで前に突っ込む形になる。
 幸いにしてストレートな道のお陰で事故らずには済んだが……。
 秀也の喉はからからに乾いていた。
 あれは何だ?
 白い肌・黒く長い髪……白い着物……どう見たってビデオからそのまま抜け出してきたようなあの幽霊。
 恐怖が背後から襲ってくる。嫌悪感と共に。
「ねえ、秀也」
 暗く沈んだ優司の声に薄恐ろしさを感じ、運転に集中する振りをしてそちらを見ない。
「あれっと昨日見たヒデオの幽霊だよねえ」
 妙に間延びして聞こえる優司の言葉に、違和感を感じた。
 少し広くなった場所に車を止める。
 止めたくは無かったが、優司の違和感が気になった。
「優司?」
 やや俯き加減に、それでもその視線は上目遣いに正面を見据えている。
 秀也の問いかけに反応がない。
「優司?」
 再度呼びかけ、ふと秀也は優司の視線の先に自分も見やった。
「ひっ!」
 車の直前に先ほど見た人影が寸分違わない姿で立っていた。
 その視線が車の中の二人を見つめている。
 秀也と視線が合うと、それはゆっくりと微笑んだ。ぞくりと背筋に寒気と、得体の知れない刺激が走る。
 その笑みは、寒気を及ぼすほどの妖艶さ。
「うっ、あ……優司!」
 思わず優司の腕をきつく掴む。だが、それすらも気づかないのか優司の反応はない。ただ、その視線は前方を見ていた。
 まずい。
 優司が既にそれに魅入られているのが判る。
 このままでは自分も……。
 必死の思いで前方から視線を外す。
 このままでは二人とも魅入られる。
 その危機感だけが秀也を動かした。
 サイドブレーキを降ろし、ハンドルを切るとアクセルを踏み込む。
 タイヤが滑る音がし、それでも砂利を弾かせながら道路に戻ると、一気にアクセルを踏み込んだ。
 ほとんど自殺まがいの行動だった。
 狭い山道を疾走する車。
 崖下に転落しなかったのが夢のよう。
 山裾まで降り、平坦な道になるとやっと秀也はスピードを落とした。
 もう背後からの恐怖感はない。
「助かった……」
 ほおっと息をつく。
 全身が汗にまみれ、気持ち悪い。
 秀也は車を止め、ぐったりとハンドルにもたれかかった。
「優司ぃ」
 助手席の優司に視線を移し……ひくっと顔が強ばった。躰が自然に逃れるように動き、背がドアに張り付く。うまく動かない手が背後のドアロックを外そうともがく。
「優司……」
 反応がない。
 その瞳は虚ろで、だけどそれがただ一点を見つめているのは判った。
 ただ、一カ所。
 何もないはずの優司の膝の上にいる女の顔を……。

 

「うわああっ」
 悲鳴と共に跳ね起きた秀也に、優司もびくりと目を開けた。
 未だ状況が把握できていなさそうな優司の虚ろな視線に、秀也は先ほど見た優司の虚ろな視線とダブる。
 部屋の中なのに、まだ車の中にいる……。
 ここは?
 思わず周りを見渡した。
 見慣れた部屋は優司の物で……。
「あれっ?」
 再度優司に視線を向けると、訝しげな優司の顔がそこにあった。
 先ほどまでの虚ろな雰囲気はどこにもない。
「どした?」
「あ、ああ……なんか強烈な夢を見た……」
「夢?どんな?」
 優司の質問に秀也は苦笑いを浮かべる。
 あんまり話したくない。
 だから、言わない。
「それより、今日どうする?俺、4便で東京に戻らないと」
 話題を転換する。
 単純な優司はそれだけでそっちの話題に移る。
 秀也はほっとした。
 優司を怖がらせるために借りてきたホラービデオに秀也の方が煽られてあんな夢を見たなんて言える物ではなかった。
 確かに怖がる優司を宥めて、ついでにHまでもつれ込んだのは収穫だったが。
「じゃあ、ドライブくらいかなあ。お昼を空港で取る?」
「ああ、そうだな」
「で、行きたい所ある?」
 ……行きたい所?
 考え込む。
 別に行きたいとこなんてない。人混みは嫌いだし、いい加減寒くなっているから外に出るのも億劫だった。
「俺は別にどこでもいいよ。優司はないのか?」
「うーん……別に……」
 聞いた俺が馬鹿だった。
 優司はもともと出不精なのだ。
 秀也が来ないときには、ひたすら家の中で怠惰に過ごしていたらしい。
「どうしよーか?」
 うーん、と秀也が考え込んでいると、優司が秀也になだれかかってきた。
「お、おい」
「なあ、やろ……」
「え?」
 思わずまじまじと優司を見る。
 優司から求めてくるのは珍しい。しかも昨夜したばかりだ。
 その優司は、頬を朱に染めて潤んだ瞳で秀也をしたから見上げるように見つめている。欲情で満たされたその瞳に、秀也の下半身はずきんと反応した。
「ゆ、うじ……」
 誘われるままに、キスを落とす。
「どうしたんだ?えらく積極的じゃないか?」
 唇を数センチ離し、囁きかける。
 優司はうっとりと目を閉じると、自らその唇を秀也に押しつけてきた。
「ん……」
 じんわりと伝わる快感に漏れる声はどちらのものか……。
 秀也の指が優司の髪を梳くように動く。
 さらさらした髪。
 うっとおしそうに前髪を掻き上げながら、そろそろ切り時だなと昨晩言ってったっけ……。
 その手をそのラインを確認するように耳から首筋に這わせる。
「あん」
 喉に当てた指が声を振動として拾う。
 優司の腕がきつく秀也の躰を締め付ける。
「しゅーやぁ」
 甘い声。
 気が付けば優司はうっすらと目を開き、秀也を見ていた。
 その目が、秀也を縛る。
 離せない。
 秀也はじっと優司のその目を見つめていた。
 視界が揺らぐ。
 これは……?
 妙にぼやけた思考。どこからか警鐘が鳴っている。
 変だ……。
 誘われるままに優司を組み伏せている。秀也の舌が這い、その手が肌の上を滑る度に、優司が反応する。
 その素直な反応は……。
 どこか変だ!
 何が変なのかは判らない。だが、そう思っているにもかかわらず躰の動きが止められない。
 それに気付いた途端、一気に心は冷めた。
 だが、躰の動きは一向に止まらない。
 優司の胸の突起を口に含み、舌で転がす。
 それが止められない!
「も……と、ねえ……」
 声が耳朶を打つ。
 だが、この声は……。
 秀也は懸命に優司から躰を離そうとした。しかし、一向に離せないどころか、躰はどんどんと優司への愛撫を進めていく。
「う……わ……いや……だ……」
 噛み締めた唇から鉄の味が口の中に広がった。
 ぴりりとした痛みが朦朧とした意識に冷たい楔を打ち込む。
 躰の支配権が戻った!
 そう感じた。
 途端に、優司の躰を引き剥がした。転がるように優司から離れる。
「誰だ?」
 思わず口に付いて出た。
 目の前にいるのは誰だ?
 姿は優司だ。
 だが、その目は……優司の物ではない。
 伝わってくる感情が、慣れ親しんだ優司の物ではない。
 どこか寂しく、冷たい……。
「お前は……」
 すうっと開かれたその瞳が、夢の中のあの女の瞳を思い起こさせた。
「まさか……」
 すうっと血の気が引く。
 夢の中の出来事で無かったのか、あれは……。
 思い起こそうとしてもはっきりと思い出せないもどかしさがある。
 あのビデオの幽霊だとして……どうすればいいんだ?
 欲情に満ちた目から微妙に視線を逸らして、秀也はほおっと息を吐いた。
 心を落ち着かせ、取り込まれないように、流されないように意識を集中する。
「あんたは、何がしたいんだ?」
 ゆっくりと目の前の誰かに声をかける。
 すうっと優司の形をしたものが口元に笑みを浮かべた。
 ぞくりと背筋に寒気以外の何とも言えない疼きが走る。
「その躰は優司の物だ。返してくれ」
「抱いて……」
 その言葉に耐えきれない程の甘い痺れが全身に走る。
 それをかろうじて精神力でねじ伏せた。
「返せ」
 自身のモノが勃ち上がりかけているのを自覚するが、必死で堪える。
「優司を返してくれ。優司は俺の恋人だ。俺は、優司以外抱くつもりはない!」
「私が優司……」
「違うっ!」
「どうして、そんな事を言う?」
 声は確かに優司の声、目の前にいるのは確かに優司。
 だが、秀也には判る。
 流れ込む感情が優司とは似ても似つかない。
 優司でしか味わえない安堵感はない。
 他人を相手にしている時と同じ、隠しきれない緊張感。
「俺には判る。優司だけが俺を受けいれてくれた。優司だけが本当の俺を、全てを知っている。それでも俺を受け入れてくれた。お前は、それを知らない。お前は、俺を知らない!」
 知らないから、その感情が秀也を苦しませる。
 優司はその性格上、そんなにきつい感情を垂れ流しにすることはなかった。
 欲しい。
 それだけが伝わる。
 優司は秀也が感情を読んでいると知っている、その時でさえ、恥ずかしそうに秀也を求めるのだから。
 こんな露骨な感情を優司は出さない。
「出て行け!優司から出て行けっ!」
「くくく」
 叫ぶ秀也に、優司の中にいるモノは嗤って返す。
 ぞくりと背筋に走る寒気。
 室内の温度が急激に下がったような気がした。
 いつも穏やかな表情が、うっすらと張り付いた笑みによって酷薄さをかもし出す。
「抱けば極楽を見れるのに」
「そんなもの、いらない。俺が欲しいのはいつもの優司だ。単純で素直で、だけど俺だけには我が儘を言ってくれるそんな優司だけだ」
 悲痛と懇願、両方が入り交じった感情が言葉に乗って迸る。
「返してくれ」
と。
「いいねえ、そんなにも愛しているんだ。今の快楽よりも、愛を取るのかい。むなくそ悪くなるねえ」
 その声は優司の物だったが、その口調は全くの別人だった。
「私を愛していると言った男は、その口で罵詈雑言を浴びせた。私の肌を優しく扱ったその手で私の首を絞めた。お前もいつかはその口で別れを切り出すことになるだろう。だったら、私のものにならないかい。お前の躰は私に合いそうだ」
 それは手を差し出し、秀也の顎に触れる。
 触れたところから、ぞくりと痺れが走った。
 思わず目を固く瞑り、歯を食いしばる。
「気持ちいいだろう。私を抱いた男は、そこから一滴も残さないほどの精を絞り出しても腰を振り続けるよ。お前も、男として最高の快楽を味わってみないかい?」
 触れられただけで萎えていたはずのモノが勃ち上がる。
 欲しい。
 理性は駄目だと訴えているのに、躰は正直に反応する。暴れ出しそうな欲望を必死で押さえていた。
「……優司を、返せ……」
 必死の思いで、言葉を発する。
「嫌だね」
 その言葉に、秀也の心に絶望が走る。
 優司……。
 固く瞑られた目から涙が溢れ出した。
 助けられないのか……。
 だが。
 それでも諦めることはできなかった。
「返してくれ……優司を……俺は、優司がいないと駄目なんだ……優司だけが俺の全てを受けて入れてくれたから……俺は、もう、ひとりぼっちにはなりたくない……」
 あふれ出す涙を止めることなどできなかった。
 動かない躰。
 触れられるだけで反応する躰に嫌悪を抱きながら……それでも、訴え続ける。
「頼むから……優司を返してくれ。俺は優司以外は駄目なんだ……」
 ただ、それだけを願う。
 と、優司の動きがぴたりと止まった。
 顎に添えられていた手がゆっくりと下ろされる。
「秀也……」
 その口から紡ぎ出された言葉に、秀也は閉じていた目を見開いた。
「秀也……」
 再び聞こえるその声は間違う事なき優司がいつも呼ぶ声、口調。
 固まっていた優司の目から涙が流れ落ちる。
「……なん、と……いうこと……」
 だが、それに混じるように違う言葉が混じる。その言葉を発するとき、優司の顔は苦しそうに歪んだ。
「秀……わた……しの……支配が、抜ける……た、すけて」
 最後の「助けて」は優司の言葉だ。
 秀也は確信した。
「優司、優司!」
 何度も呼びかける。
 優司があいつに逆らっている。
 自分の躰をあいつの支配から取り戻そうとしている。
「優司、俺の所に帰ってきてくれ!俺は優司がいないと駄目なんだ!」
 悲痛な叫びが優司の耳に届く。
「秀也あ!」
 途端、優司の口から吐き出された言葉。それとともに、優司はがっくりと崩れ落ちた。
「!」
 唐突に、音が消えた。
 世界から全ての音が消え、そして……。
 秀也は意識を失った。

 音が秀也の意識を覚醒させた。
 それが車のエンジン音であることに気付き、懐かしい気分になる。
 そういえば、昨日から優司の部屋に泊まっているんだっけ。
 ぼんやりとした頭を回転させ、辺りを見渡す。
 ベッドの上に優司がその躰を長々と投げ出している。
 秀也はいつもその横に布団を敷いて寝ている。
 それはいつもの光景。
 だけど……。
 ひどく躰が疲れていた。
 やりすぎたっけ?
 前髪を掻き上げながら、昨夜のことを思い出そうとする。
 昨日は夜ドライブに行って……道に迷って……。
 その後、どうしたっけ?
 はっきりとしない記憶がもどかしい。
 帰ってきたんだよなあ、ここにいるから。
 首を傾げる。
 道に迷った後から、記憶がはっきりとしない。
 この怠さは、したんだよなあ……。
 あ、れ……でもドライブ前にもしたよな。それで、熱くなった躰を冷まそうってドライブに出かけて……。
「おかしいなあ、前後関係がおかしい……」
 うう、と唸っていると優司がもそもそと動き始めた。
「優司、起きた?」
「ふあ……ああ、しゅーやあ」
 寝ぼけ眼の優司の様子はいつもの通りで、秀也はほっと安堵のため息をもらした。
 あれ?
 何故、こんなに安心しているのだろう?
 自分の感情が理解できない。
「どーしたの?」
「あ、ああ、いや、何でもないんだ、おはよー」
 不安そうな視線を向ける優司に、訳の分からない感情を心の中に押し込め、笑いかける。
 まあ、いいか。
 訳の分からない事につきあっている暇はなかった。
 今日の昼には、ここを出なければならない。
 それまでは楽しく過ごさないと時間がもったいない。
 秀也は僅かな時間を有意義に過ごすための段取りを考えることにした。
 今は優司と共にいるのだから。

【了】