【高鬼(たかおに)】 6


「純哉っ!来てくれたんだっ」
 家城が車から降りたとたん、エンジン音に気がついたのか、まだパジャマ姿のままの啓輔が窓から勢いよく身を乗り出してきた。
 その勢いの良さに思わず目を見開けば、すぐにその姿が視界から消える。だが、室内からはどたばたと勢いの良い音が漏れ聞こえ、しばらくして今度は玄関のドアが開いた。
「こっち、こっち!」
 呆気にとられる勢いの良さに、何を興奮しているのか啓輔が大きく手を振って家城を呼び寄せていた。
 その姿に驚いて──けれど、すぐにその口元に苦笑が浮かぶ。
 こんなにも歓迎されるとは思わなかった。
「純哉、早く来いよ」
 啓輔が焦れったく呼んでいる。
 そうされると、家城は自分が冷静になっていくのに気がついていた。
 からかうように行動がゆっくりになるのは、意識してではない。
「何をそんなに朝から焦っているんです?落ち着きがないって笑われますよ」
 隣であっても距離がある隣家ではあっても、元気な啓輔の声が聞こえないとは限らない。指し示すように視線を動かせば、啓輔が少しだけ眉根を寄せていた。
「だってさ、ひさしぶりじゃん、純哉が家に来るの」
 文句を言いつつも、その声音に純粋な喜びが含まれるのを感じる。
 それだけで、なぜこんなにも心が癒されるのだろう。
「あなたに用事がずっとあったから会えなかっただけです」
「……だってさ」
 正論で諫めれば、悔しそうに顔をゆがめていた。
 それは、ずっと会いたかった啓輔で、その表情に家城はほんの少し絆される。けれど、つい。
「私とは会いたくないのかと思うほどに、いろいろと用事を入れていましたのですけど?」
 口調が責めてしまった。
「だって……しょうがなかったんだよ。ああ、もう早く入れよっ」
 啓輔が、家城の手首を掴み、勢いよく玄関内に招き入れた。
 玄関といっても、勝手口サイズしかない場所だ。三和土も狭く、その上大きな啓輔の靴が邪魔で、足の踏み場がない。
 たたらを踏んで足場を確保している家城の体が、かちゃりとドアが閉まる音とともにふわりと啓輔の匂いに包み込まれた。
「啓輔?」
 柔らかな温もりに息が詰まりそうになる。
「う〜ん、純哉の匂い」
 ぐりぐりと鼻先を肩口に擦りつけられて、下腹部にずきりと甘い疼きが沸き起こった。
「やっぱ、純哉の匂いが一番好きだなあ」
 感極まったような物言いに、急速にこみ上げるのは恥ずかしさだ。
 体が火照りだして、鼓動が早くなっていく。
「な、んなんですか、いきなり」
 このままでは、ここで事に及んでしまいそうだと、慌てて啓輔の肩を掴んで引き剥がそうとしたけれど。
「もう、いいだろ?久しぶりなんだし」
 啓輔の力強い手が背から離れない。
「しかし、ここは……」
 家城自身、抱きしめたい。
 何より今ここで家城を抱きしめている相手は、家城自身恋い焦がれていた相手だ。
 自身の性欲の強さをこうまで自覚させた相手だ。
「気になる?」
 体を屈めているのか、少し見上げるように家城に視線をやる啓輔の瞳は、家城の欲望を燃え立たせる。
 まず話をしようと思っていた。
 タイシのことを聞いて、啓輔の心を質したかった。
 だが。
 啓輔の一連の行為は、家城の予想外のことばかりで。
「だったらさ、部屋、行こっか」
 我慢できないと、啓輔の瞳が言葉よりもはっきりと伝えてきていた。


「むっ……んふぅ」
 のしかかられたのは家城の方だった。
 餓えていたのは家城も同じだが、啓輔はそれ以上だったらしい。がっつくようにキスを望み、手が来ていたシャツの下に潜り込んでくる。
「ちょっ、ちょっと待ってっ」
 さすがにここまで急いて求められたのはそうなく、家城も対応が後手に回ってしまっていた。
 何とか体の下から逃れようとするけれど、だが、息継ぐ間も僅かですぐに唇を塞がれる。
 その余裕のなさに、啓輔の飢えが相当なものだと知った。そして体がとたんに熱くざわめく。
 こんなにもがっつくほどに求められているのだと思うと、家城の体も煽られたのだ。
「もう……夢にまで見た……ずっと純哉を抱きたくて」
 熱い熱がキスとともに注ぎ込まれる。
 欲していたのはこちらも同じなのに。
 今度ばかりは、勢いで負けていた。それほどまでに、若い性欲は余裕のなさを見せていた。
「約束したこと、後悔した……何度も」
「んっ…く!」
 胸の尖りをきつく摘まれ、首筋を濡れた熱い舌先が辿っていく。
 包まれる啓輔の匂いが強いのは、先ほどまでここで彼自身が寝ていたせいだろうか?
「こ、うかいっ、する位ならっ」
「だって、約束したもんな……。ほんとは木曜会えるはずだったのにっ」
 シャツのボタンが引きちぎられそうな勢いで外される。広げられた胸元に、きつく吸い付かれて、その痛みに家城は喉を晒して喘いだ。
 手が、啓輔を押し避けようと足掻く。
 けれど、与えられる愛撫に、その手に力が入らない。
「っあっ、やっ……んくっ」
 迂闊にも甘いあえぎ声を出しそうになって、慌ててきつく唇を噛みしめる。
 何で、こんなにっ。
 啓輔に抱かれることは、家城が抱くよりはかなり回数が少ない。それでも体が覚えている過去の愛撫のどれよりも、今日の愛撫は丁寧で執拗で。
「あっ、ん、そこっ」
 びくびくと反応する体を持てあまして、結局啓輔の体に縋り付く。
「ふふっ、かわいい……。純哉も俺のこと欲しかったんだ?こんなにも、熱くなって」
「そ、んなことっ」
 揶揄する声音に、羞恥が強くなる。
 確かに餓えていたのは間違いない。
 今日こそは絶対に会おうと思っていたほどだ。だが、その飢えは、こういう飢えではない。
 なのに、体が与えられる愛撫にてきめんに反応して、逆らう意識が萎えていく。
「あ、ここもいいんだよな」
「ひっ!」
 どうして……。
 やはり上手くなっている。
 与えられる強弱も、快感の源を辿る順序も。焦らすように逸れていって、堪えられなくなる寸前に与えてくれる快感に。
 家城はただ喘がされて。
 いつもなら、途中で反撃に出て、攻守逆転など可能なことだったのに。
「けっ、啓輔っ!もう、やめっ」
 柔らかく握りしめられて。けれど、刹那激しく扱かれる。
「だ〜め」
 ぎらぎらと欲望に満たされて余裕のない瞳が家城を見下ろしている。
 なのに、口調はからかうそれで、余裕を見せつけていた。
「今日こそは……貰うよ」
 興奮の度合いが強い、掠れた声が、耳に注ぎ込まれる。熱い吐息が、ねっとりと耳朶を包み込み、湿った音を立てた。
「ずっと我慢してきたんだ。なのに、あんた、つれないんだから……」
 怒ってる?
 怒っていたのはこちらの方なのに。
「鈴木さんとのドライブ、少しは引き留めてくれるかと思ったけどな……」
「そ、そんなこと言われても」
 行きたいと言ったのは、啓輔の方だ。
 あんなにも目を輝かせて、話に乗り気だった啓輔を、どうして止められよう。
「だから、今日は絶対に押しかけてやろうと思ったのに、あんたの方から来てくれて、すっげえ、嬉しいっ」
「ん、あっ」
 それではまるで、のこのことやってきたこちらが馬鹿みたいだ、と思う。
 待っていれば、啓輔がやってきて。
 きっと、今のこの状態とは全く逆の立場で、啓輔を苛むことができたのだと言うことだ。
 けれど。
「嬉しいよお、ほんとに」
 ここまで欲せられて、嫌なわけではない。
 ただ、立場的に恥ずかしいだけで。
「今日は挿れさせて、な」
 ふわりと啓輔の体が位置を変える。
 密着していた肌が離れたとたんに、空気に晒された肌がぞくりと粟だった。
 気がつけば、体の前の衣服は完全にはだけられて、スラックスは膝まで下ろされている。むき出しの性器は、啓輔の手に包まれてヤワヤワと揉みほぐされていた。そこから妙なる快感が背筋を走り抜け、脳髄を痺れさせた。
 慣れた手つきは、自ら自慰するより激しく感じる。
 啄むように胸に何度も口づけられ、「こんな、固くなって……」と、含まれながら呟かれたとたんに、堪えきれない声が喉から溢れた。
 もういい。
 そう思わせるほどに巧みな愛撫が意識を浸食して、家城から理性を奪う。
 いつだって大事にしていた理性だ。
 家城の行動のすべてを支配していた理性。
 それを突き崩す事のできる唯一の存在に欲せられて、家城が敵うはずもなかった。
「う、あっ……啓輔っ、もうっ」
 禁欲生活は、家城だって同じだった。
 限界がもうそこまで来ている。
 抱きついて、腰が勝手に動きそうになって。
 だが。
「駄目、それより俯せになって」
 あと少しだというのに、啓輔が意地悪く笑う。
 嫌な予感が家城の胸中におそう。けれど、結局為されるがままに従ったのは、家城自身欲しいと思ったからだ。
「ん……」
 後孔を襲う違和感に、肌がざわめく。
 きゅっとシーツを握りしめたのは無意識のうちで、力を入れすぎて腕の筋肉が勝手に震える。
「そんなに締め付けんなよ」
 視界の外にいる啓輔が、揶揄しているのが判る。だが、家城はかすかに首を横に振るくらいしかできなかった。
 慣れない行為だ。
 なのに、したことのある記憶が、その先にある甘い快感を期待させる。
 そんな風に浅ましく欲する自分が恥ずかしいと思うのに、家城の体は啓輔に言われるがままに体の力を抜いた。
「ん、そこっ」
「ここ?」
 ざわめく肌が、うっすらと朱に染まる。誘うように動く腰は、家城の目には見えていない。
 体の中からの疼きは、四肢の支配権を家城から奪う。
 ぐちゃぐちゃと淫猥な音を立てて、啓輔の指先が巧みに家城の後孔を解していった。


 貫かれたとたん、鋭い痛みに息を飲んだ。
 けれど、家城の体はすぐに弛緩していく。何度かの逢瀬で、体を強ばらせればそれだけ痛みが長引くことを知っているからだ。
「あつ──最高っ」
 感極まったように囁きかけられたせいもある。
 家城は大きく息を吐くと、肩越しに啓輔を振り返った。
 その時になって、ようやく啓輔があの匂いに包まれているのに気がついた。
「この……匂い……」
 たぶんずっと匂っていただろう。
 だが、今の今まで気づけなかった程に余裕がなかった。
「これ……、結構気に入ってんだけど……。何せ、純哉もこの匂いに反応してくれるし」
 笑われて、その微かな震えが体内まで伝わる。
 ざわめくように家城の体の中が啓輔を誘い、双方が甘い吐息を零した。
 確かに、この匂いには反応する。
 こんな時にこそ、強く匂うからだ。
 記憶と匂いと快感が、ワンセットになっていた。
「動くよ」
 かすかれた声で囁かれて、家城の全身がぞくりとざわめく。
 それは、啓輔にもはっきりと伝わって──家城が返事をするより早く、楔が体内深く穿たれた。
「あ、はあっ」
 押し込められるたびに、肺の中の空気をすべて吐き出しそうになる。
 吹き出す汗が額を伝って、シーツに滴り落ちる。
 腰を上げさせられ、先より密着して、これでもかと啓輔が快感を貪っていた。その余裕のなさが、家城を翻弄していく。
 荒い息が混じり合い、何度も意識が白く弾けた。
 先ほど一度限界近くまで高められた体が、再度限界に達するのは早かった。
 何より、三週間もの間待ちこがれていた相手だ。
 攻受逆ではあったけれど、相手が啓輔であればかまわない。
「ふっ……あっ……もうっ……」
 ぐっと手のひらを強く握りしめ、唇を噛みしめる。
 限界にうち震える家城のモノに、啓輔が手を添えた。
「いいよ、達きな」
 ぎゅっと握りしめられ、激しく扱かれる。
 それにまるで初めての時のようにあっけなく体が限界を超えて。
「う、うわあっ!」
 あられもない声を発して、シーツに幾つもの染みが広がった。

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