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【鬼の子】 (2)
〜888,888キリリク〜



 カフェでは話せないとごねる槻山を、啓輔は胡乱な目で睨み付ける。
「一時間しかねえんだろ?」
「ああ、そうだった」
 わざとらしく項垂れる槻山を、本気で殴りつけたくなる。あの時にされた事、忘れたことなど無い。
 自分ばかりか敬吾まで辱めたこいつを許せるものではなかったが、今はそれを差し置いても気になることがある。
「だから、どこでも良いから適当なとこを探すからな」
「ふむ、時間もないことだし……。ああ、あそこなら良いか」
 何を思いついたのか槻山がいきなり通路をかくんと曲がる。もっとも、いきなりの行動に遅れかけた啓輔の腕を引っ張ることは忘れていない。
「ホテルじゃないから、安心しなさい」
「ホテルじゃなくても安心できないって言ってるだろ?」
 文句を返す啓輔の足は、それでも素直に動いていた。
 なぜ槻山が純哉と会っていたのか、その理由が知りたくて堪らないのだ。
「それって、マジで人前では話せない内容なのかよっ」
「う〜ん……、まあ、そうかな?」
 意味深な表情に、啓輔の胸の内にもやもやと渦巻くものが生まれる。それは、胸につかえて息苦しくさせ、意識を暗く支配するものだ。
「どこまで……」
 気が付けば、そんなに離れていないのに人気が減っていた。
 と思う間もなく階段を上がって地上に出ると、そこは駅の外れ、バスターミナルからも離れていた。そのせいで、ひどく閑散としている。
 裏通りというわけではないけれど、人の流れから外れた場所なのだ。
「このベンチ……今日は寒くも暑くもないから良いだろう?」
 槻山が指し示したベンチの、その意外さに啓輔は目を剥いた。
「こんなとこ?」
「ホテルも駄目だって言ったのは君だよ」
「そりゃそうだけど」
「まあ、座りたまえ。私もどうしても新幹線に乗り遅れるわけにはいかなくてね、残念なことに」
 残念そうにホテルを見やる槻山に同情する気などさらさらない。
 ただ、知りたい。
 そのことが、啓輔を動かし、多少ためらうことはあってもそのベンチに腰を下ろさせた。
 確かに、ここなら無体な事はされないだろう、という気もあったからだ。
 ちらりと周囲を窺えば、少なからず人目はある。
 ただ、遠すぎて話し声は聞こえないだろう。
 確かに槻山の言うとおり、話をするにはもってこいの場所だった。
「で、何で純哉と会っていたわけ?」
 さっそく切り出して、ヒョウヒョウとした槻山の横顔を睨み付ける。
 口が巧い槻山に、騙される気はさらさらなかった。
 だが、槻山は何でもないことのようにさらりと言ってのけた。
「ああ、そういう約束だったんだよ。君を助けた時、あの子の居場所を教える代償だ」
「俺を?」
 助けた、といえば、あの時のことしかない。
 そういえば、啓輔の居場所を教えてくれたのは、この槻山だったということは聞いていた。だが、その他の事は詳しく聞いていない。
 今更ながらにその事に気付いた。
「会って……それで」
 何か嫌な予感がした。
 槻山が愉しそうに笑っているのも気になる。
 この男が純哉と会って欲すること──それが一つしか思いつかない。
「彼はね、昔から目を付けていたんだよ。だけど、なかなかなびいてくれなくてね」
「昔、から?」
 聞きたくない。
 警報を鳴らす理性を聞きたい欲望が凌駕する。
 啓輔は、ただじっと槻山を見つめていた。問い返した声音も、つい出たものでしかなかった。
「何だ、そのことも知らなかったのかい? まあ、君とつきあう前──ずいぶん前だね。その手の人間が集まる場所だな、初めてあったのは。可愛かったよ、彼は」
「かわ、いい?」
 純哉のことをそんなふうに言ったのは、自分以外では聞いたことは滅多にない。
 まして、こんな相手から聞こうとは……。
 軋む音が頭の奥深くで聞こえた。胸の中に広がり始めた暗く澱んだモノが、確かな形になってくる。
「可愛いよ。今でこそ仏頂面が板に付いているけれど、あのころはそうでもなかったしね。けど、ガードの堅さは変わらなかったな。私なんて嫌われてしまっていたからね」
「純哉はお調子者は嫌いなんだよ」
「ははっ、そうかもね。だが、素直でない子は私は好きだよ」
「それで?」
 なかなか進まない話に苛々と、啓輔は先を促した。
 聞くな──という理性の言葉は無視していた。
 聞かなければならないのだ、たとえどんなことであっても。それが自分達のためなのだ。
 そう思いながらも、確かに煽られいてく負の感情が抑えきれない。
「まあ、それで、久しぶりに一人でこっちに来たこともあって、連絡を取ったんだよ。会おうって」
「それで?」
「会ったよ、金曜日だったから……夜7時に、ここで」
 槻山が立てた親指を後方へ向けた。それを視線で辿っていって、啓輔の口が何か言いかけて止まる。
 そこに在ったのは、県下でも一二を争うホテルだ。
 そのホテルを見上げながら、槻山が呟く。
「可愛かったよ、彼は。一度きりの約束が悔しいくらいだ」
 心が、さらに軋む。
 大きくなった音から堪えようと奥歯を噛みしめた。
 口の中が粘ついて、気持ち悪くて仕方がない。
「教えて良かったよ。こんな役得があるなんて思いもしなかったけどね。本当にあの子は可愛くて……」
「可愛かった……?」
「ああ、とっても」
 ホテルで。
 可愛かった、という言葉。
 純哉の服に残っていた残り香。
 そして、この男の性格。
「彼は可愛い声で啼くんだね」
 啓輔しか聞いたことのないはずの声を褒める。
「俺の……せいで?」
「ん? ……ああ、君のおかげだね。彼を抱けたのは」
 それは、決定的な言葉だった。


 おみやげ、と渡された紙袋が重い。
 自分のせいだと思うと、純哉を責めることなどできない。
 けれど。
 堪えきれない程に膨らんでくる胸の奥の澱みをどうすればいいのだろう。
 押さえつけられない。
 言ってくれれば、あんな奴の所になど行くことはないと、止めることもできたのに。
 巧くすれば、タイシにも相談して、何とか策を取ることだってできただろう。それをしなかったのは、啓輔のためだったのだろうけど、逆効果だ……。
 純哉の行為を肯定的に考えようとする度に、けれど、と頭が反発する。
 ずっとずっと、最近ずっと、抱かせて貰っていない。
 最近頭の片隅にずっと引っかかっていた事が、こんな時に頭をもたげてくる。
 あいつには抱かれたのだ。
 俺には抱かれないくせに。
 槻山の体の下で純哉が悶えている姿が鮮明に脳裏に浮かぶ。
 それはひたすら受け入れられない映像だ。
「ちくしょうっ!!」
 悪態が口をつき、全身が小刻みに震える
 啓輔自身のせいなのだからと、必死で我慢しようとするのに、それとは別問題だと感情が暴発しようとする。
「ああ、これ、重てえっ!」
 無理矢理渡された荷物が、意外に手に食い込んで、よけいに啓輔を苛つかせた。
 いらないと言い張ったのに、ロッカーから出してきた荷物を無理矢理持たされたのだ。
「何なんだよ、これっ?」
『君にあげるよ。私は今回使う暇が無くてね、君ならきっと有効活用してくれそうだ』
 何のことだ? と思って、結局持たされた中身の正体はまだ知らない。
 このまま持って帰る前に一度確認した方が良いかも。
 そんなことに気が付いて、啓輔は人気のない路地に入り込んだ。
 片手で袋の中を漁り、箱に入ったそれを取り出して。
「……まさか……」
 乾いた笑いが零れ、箱を慌てて突っ込んだ。
 見えないように上にタオルが入っていたのも、道理だと頷けてしまう。
 思わず、袋ごと地面に叩き付けようと持ち上げた。
 が、そのタイミングで近くを人が通り、慌ててそれを下ろす。
 代わりにいろんな悪態が口をついて出てくる。
「あの野郎……」
 これを純哉に使おうとしたということか?
 使う暇が無かったという言葉を信じたい。
 けれど、槻山の言葉など信じられるものではない。
 だったら、純哉を抱いたという言葉も信じられないはずなのに、それは信じてしまっている。
 自己の矛盾が判っているのに、それでも純哉を責めることしか頭にない。
「どうすれば良いんだよっ!!」
 混乱した頭が、ぐるぐると幾つもの映像を繰り返す。
 それは、どれも純哉が槻山に押し倒されている姿なのだ。
 純哉の白い肌が朱に染まり、喉元を晒して仰け反る。
 切なく物欲しそうに見据えて、震える手で抱きしめてこようとする。
 ぎゅっと首に手を回して抱きついて、掠れた声で甘くねだる姿──。
 それは、ここ最近啓輔は目にしていない姿で、そんな姿を槻山は見てしまったというのだろうか?
 啓輔が欲して止まないあの姿を……。
 ──羨ましい……。
「え……俺は……。もしかして……羨ましがっている?」
 ざわめく心の中に芽生えた感情に気が付いて、啓輔はぎゅっと手を握りしめた。
 怒っていたはずなのに、悔しいと思っていたはずなのに。
 今は、見たい──自分こそが触れたかったのに、と槻山を羨んでいるのだ。
「くそっ、頭いてえ……」
 混乱している頭を落ち着かせようとするが、なおさらに収拾がつかなくなる。
 あんなふうに純哉を抱きたかったのは、自分の方なのに。 
 だいたい、純哉自ら進んで抱かれてくれたことなどどの位あっただろうか?
 いつだって、攻防の末、かろうじて勝った時だけ、抱かせて貰える──そう、お情けなのだ。
 そんなお情けすらも、最近減っていて。
 いや、無くなったと言っても過言ではない。
「俺だって、男なんだよ。抱きたいんだよ」
 呟く声音がはっきりと自身の耳まで届く。
「抱いて、俺のモノだって……言いたいさ。純哉が可愛いって言葉は俺だけのモノだったのに。あんな奴に、そんな姿晒したって? 俺に黙って? 俺にだって滅多に見せないのに? 俺だって……俺だって」
 繰り返される思考が、啓輔の心を凝りかためていく。
 もう槻山のことも、過去にあった啓輔のことも、何もかも忘れていて。
「今日……家にいるよな」
 日曜の夜、明日は会社だけど。
「休んだって良いよな。俺だって休まされるんだから」
 今日こそは。
 暗い声音が、決意を露わにする。
「覚悟してよ、純哉」
 啓輔の口元が、小さな笑みを作っていた。。

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