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薊の刺と鬼の涙 (21) |
煌々と部屋の灯りはついているけれど、締め切られた分厚いカーテンのせいで外の明かりは入ってこない。そんな中で啓輔は何度も体内の奥深くを抉られていた。 「んあぁぁっ!!」 喉から振り絞るように吐き出される悲鳴は、もう掠れかけている。 深く手加減なく抉られて、啓輔は激しい嘔吐感に必死で歯を食いしばって堪えた。 快感なんてすぐに飛んでしまう。 ただ、痛みと嫌悪感と、そして悔しさが全身を襲う。だからこそ感じてもそこに悦びはない。 きりきりと食い込む指が肌に赤黒い痕を残して、苦しさに床を掻いた爪に血が滲む。それでも、責める動きは止まらなかった。 力が入らなくて沈んだ体を無理に引っ張り上げられて、突き上げられる。 もう嫌だ。 何度訴えても、止まるどころかより激しくなる。 だから、もう何も言葉にすることなどできなかった。 呼び出された時、覚悟はできていたつもりだった。 こんなことになることも、うすうす気が付いていてそれでも堪えられると思った啓輔だったが、この状態は思っていた以上に精神を傷つけた。いっそのこと快感だけを追い求めて、自ら体を開けばもっと楽になるだろう。 なのに、啓輔はそれをすることができなかった。 それは家城への裏切りになる。出会った時は、最低だと思っていたけれど、それでも彼がいたから啓輔は今この時を歩むことができたのだ。彼がいなければ、今の会社にいることも、敬吾と仲良くすることも決して叶わなかっただろう。 「×××」 耳の中に飛び込む音が、ひどく耳障りで啓輔は顔をしかめる。 流れた涙が頬を伝い、汗と混じって滴り落ちていた。 喉はもう枯れ果てて、ただ意味のなさない音しかでない。 そこに何人の男達がいたのか、それすらももう判らない。 ただ、啓輔は薄れそうになる意識と夢の狭間で、必死に手を伸ばしていた。 ──ごめん……。 伸ばすたびにぼんやりと浮かんでいた人影がはっきりしてくる。 それがふわりと複数になり、だけどはっきりするうちにふたりになって、そして一人になる。 少し背が高くて、細身で──きっとこんな汚れてしまった啓輔を見つめる視線は、ひどくきつい筈。だけど、今の啓輔に見えるのは、ひどく優しい眼差しだった。いつも啓輔を見つめるその優しい瞳は、紛うことなく彼の本心だから。 それに気が付いた時、嬉しいと感じたのは覚えている。 誰よりも愛おしくて、甘えたくて。 その腕の中にいたくて、だけど抱きしめたくて。 それが誰かも判らないままに、啓輔は必死で手を伸ばし、謝罪の言葉を口にしていた。 ──ごめんなさい……。 いつも、いつも……守られていた。 悲しみも辛さも、気が付いたら癒されていた。 会社にいけば……誰かがいた。 目の前の彼も、そしてみんなが。 だから……そこから離れたくなかった。 だから。 ──帰りたい……。 切なる思いを胸に秘めたまま、啓輔は何もかもを拒絶するように意識を失った。 ──今、何時だろう? ふとそんなことを思って、頭を巡らした。 ぼんやりとした頭が次第にはっきりしてきて、見慣れない部屋に顔をしかめる。だが、すぐにここがどこか思い当たった。 何より、あちこちの関節が鈍い痛みを訴え、転がされて下敷きになっていたらしい腕が痺れている。 そのせいで意識が戻ったのだと気が付いて、啓輔は楽になれるよう体を動かした。 安物のカーペットが赤く擦れた肌をちくちくと刺激していて、それも嫌だと身動ぐ要因になる。だが、それでも体を起こすまでには到らなかった。 ──怠い。 見覚えのある痛みと、ひきつれる肌の感触。 それは確かにあって、意識すればするほど心を暗く染めていく。だけど、それ以上に何もする気にならないほど体が怠くて動きようがなかった。 それに全裸であることをさっ引いても少し寒い。 もう遅い時間で気温が下がっているのだろうか? 一晩中責められて、気が付いたら人の気配が減っていた。 皆が疲れたように啓輔の体から離れていったのは覚えている。だが、それがいつだったのか、ひどく記憶が曖昧で、だから今の時間が知りたかった。 時間が経つにつれ意識ははっきりしてくるのに、体の怠さもどんどん酷くなってきた。 そういえば、何も食べていないと思うのだが、しかし食欲は全くなく、余計に時間の感覚を啓輔から奪っていた。 それこそあれから、二日たっているのか……それとももっと経っているのか? ただ、ここにきたのは火曜日の夜で、会社から帰った後だった。 ぴくりと体が震える。 ──ああ、会社に休みの連絡をしていない……。 そんなどうしようもないことに気が付いて、だが酷く気になった。 一日くらいならなんとか誤魔化してもらえるかも知れない。 互いの事情を知っているから、上司である服部は啓輔がいきなり休んでも、しようがないね、と対処してくれるのだ。 だが。 それも二日続けばどうなるだろう? そして三日、四日ともなれば……。 無断欠勤が続くと会社を辞めさせられる。 そうしたら──家城とも服部とも敬吾とも……みんなから離れなければならなくなる。 みんな、あの会社で出会った。 あの会社にいたから、救われた。 「じゅ……や……」 その中でももっとも愛おしい相手の名を呟くと、啓輔の蒼白だった顔に、僅かに血の気が戻った。 知らずに口の端が笑みを形作る。それは儚いほどに小さな笑みだった。 逢いたい、と。 本当に願った。 「気が付いたか?」 怠い体に起きあがる術もなく、横たわっていたままの啓輔に、揶揄が混じった言葉が降ってきた。聞き慣れた声音に、啓輔はあえて視線を上げず、その視線の先に、素足の爪先が入ってくるのをじっと見つめる。 「お前、色っぽいのな。すっげーそそられた」 先ほどから人の気配が一人しかないことには気が付いていた。きっと家主であるこのタイシしかいないのだろう。だが、昔の友達であったはずの男の言葉は答えられるものではなく、啓輔はむき出しの体を隠すように身を竦めた。 「隠しても無駄無駄。俺、お前の体でもう知らないとこなんかないぞ。……こことか」 爪先が視界から消えて、脇腹を軽くつつかれる。 「ん……」 嬲られ続けて敏感になった肌が鈍く疼く。堪える気力もなくなっていて、あえなく喉が震えた。 「ここも……」 回された爪先が、今度は熟れたように赤くなっているはずの後孔周りを押した。 ぶるりと震えたのは、怯えだけではない。 「男ってのは初体験だったけどさあ、マジ良かったよ。きつくって、お前の顔見ているとなんかゾクゾクするしな」 ぐりぐりと後孔に食い込む爪先を動かされて、啓輔は苦痛に顔を顰める。タイシはそれを見ながら楽しそうに喉を鳴らしていた。 「ふふん、痛い?それとも感じて声も出ないってか?」 揶揄する声に反論する余裕はもうどこにもない啓輔にとって、ただ無様な呻き声を上げないようにと唇を噛みしめる。それだけしか、できない。 本当に情けなくて。 無様で。 決してこんな姿を家城にも、そして先に必死で守ってくれた敬吾にも、見せたくなかった。 と。 「ん?」 軽快なメロディが響き、タイシが携帯を取り出すのが見えた。 携帯……。 自分の携帯はどこにあるのだろう? そんなことを思い出して、目が辺りを探っていた時、タイシの声にふと我に返る。 「はいっ、あっ、槻山さんっ」 ──槻山? 驚いたようなタイシの声と知った名前に、啓輔は床に伏せていた瞳を動かした。 「え、来るって……何で?」 槻山が何を言っているのか判らないが、タイシが激しく動揺してその声が上擦っている。 それが何故かは判らない。なのに啓輔はそれに期待している自分に気が付いた。 もしかすると、と思う。 そういえば、とタイシが啓輔をこの部屋に連れ込んだ時の言葉が脳裏に鮮明に浮かんで、狼狽えるタイシを見つめていた。 槻山は敵が多い。 だから、お気に入りだと思われた啓輔を、敵に売ったのだ。 そこには、啓輔を悦ばせようと言う意志は全くなかった。壊れて当たり前、いや、壊れてしまえと、そんな抱き方をされて、放置されて。 その体にこびりついているのは、誰のとも判らない精液と自らの出したもの。おざなりに使われたジェルに傷ついた肌から出た赤黒い血の塊。 汚い体だと再認識して、堪らずにぎゅっと目を瞑れば、男達の嘲っている様子が甦る。 そんな記憶からすれば、その前の槻山との行為は、されなかったこともあって、甘いの一言につきた。それは目の前で敬吾を犯されたことを思えば許せるものではないはずなのに。 少なくともあの男は、こんなふうに敬吾達を放置はしなかったから。 びくりと指先が動いて、爪が床をひっかいた。 それだけで、血の滲んだ指先が痛む。 だけど、痛みは意識をはっきりさせるために必要だった。 槻山が来るというのであれば、もしかするとその時が逃げる唯一のチャンスかも知れない。 「ちょっと待ってください。俺が行きますからっ」 焦るタイシの声に、啓輔はにやりと口許を歪めた。 寝返って、啓輔を槻山の敵に売ったのだ。 それがバレれば、タイシとて無事では済まないだろう。 だったら、もっと焦ればいい。焦ってスキを作って──そうすれば逃げるチャンスはいくらでも広がる。 啓輔の顔に暗い笑みが浮かんだ。 だけど──服だけはどうにかしないと……。 そんな事に考えが到った時だった。 「えっ、ちょっと待ってくださいっ、そのっ……」 その声が終わらぬ前だった。 ドアが激しく叩かれたのは。 タイシが携帯を手にしたままびくりと一歩後ずさった。 「なんで……もう」 その狼狽えように啓輔はドアの外にいるのが槻山だと悟った。 何故彼がここに来たのか?なんて疑問は、助かるかも、という期待に打ち消される。 タイシの動揺は、彼を歓迎されざるものとはっきりと表している。 「槻山さん……」 思わず呟いた途端、タイシがぎりっと奥歯を噛みしめながら啓輔を見下ろした。途端にぞくりと激しい悪寒が背筋を走る。 「ケースケ、助かると思った?でもただじゃ、渡さない」 その手が、啓輔の力の入らない腕を掴み上げていた。 |