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薊の刺と鬼の涙 (14) |
「約束は守るよ。もっとも君たちがここにいたいというのであれば、無理に帰れとは言わないが?」 動けない敬吾に、タクシーの手配をしながら槻山は言った。 「君たちが気に入ったから、いつでも連絡してくれよ」 なおかつ敬吾のシャツの胸ポケットに四角い紙切れを滑り込ませる。 「誰がっ」 毒づく敬吾の顔は蒼白に近いほどで、立つこともできずにソファに身を沈めていた。 その傍らに啓輔が所在なげに寄り添っていた。 目覚めてすぐに、帰る、と伝えると槻山は黙って頷いた。 もとより速攻でここを出て行くつもりだったのだが、何回抱かれたのか記憶にないほどの行為は、敬吾の足腰から力を奪い去っていた。 それでも時間が経つにつれて少しはマシになったのだが、5分と歩くことはできない。 そんな敬吾達に槻山はタクシーで帰れと言ったのだ。 その待ち時間の間だった。 「……どうして……こんな無理矢理に……」 考えてみれば、無理矢理に連れてこられて、薬まで使われたことを除けば、そんな無茶はされなかった。道具も最初だけで、後は体だけで敬吾を何度も昇天させた。もっともそれを可能にする精力絶倫とも言える体があったからだろう。 それだけ落ち着いて相手を抱くことができるならば、こんなふうに無理に相手を抱かなくても相手は見つかるだろうと思う。 「無理矢理ってのが好きだから」 くくっと喉で嗤って槻山が敬吾に近づいた。その間に啓輔が立ちはだかる。 きつい横顔が目に入って、敬吾は小さく息を吐いた。 こんな目をさせたくないと思って体を張ったけれど、それはまた啓輔に罪悪感を植え付けたのかもしれないと気付いたからだ。今の表情は何をおいても敬吾を守ろうと、必死になっているものだ。 「……君も面白いね。初めて男を抱くのかと思えば、結構慣れていたし。だけど、君はネコっぽいしね。もしかして、今の恋人との関係はリバなのかい?」 「うるさいっ!」 細められた目が、きつく槻山に向けられる。だが、槻山は意にも介さない様子で、ただ楽しそうに笑っていた。 「まあ、特定の相手が今いないってのが原因の一つなんだけどね。いろいろと心当たりを当たってはみたんだが、どうも好みに今ひとつ合わなくて……。それで知り合ったタイシって子にそれらしい子がいないか聞いてみたんだよ。男相手がOKな子はいないか?ってね。そうしたら、君達を連れてきたって訳で。……まあ、承諾を得るように、と伝えなかったのは私のミスかもしれないね」 ……確信犯。 不意に浮かんだ言葉に、敬吾は顔を顰めた。 それから逃れるように槻山が窓際により、眼下に目を向ける。 「ああ、タクシーが来たようだ」 その言葉とともに、クラクションの音が響いて敬吾は慌ててソファから立ちあがった。 だが、すうっと視野が狭くなって慌ててどさりと腰を下ろす。 「緑山さんっ!」 啓輔の悲痛な声に、大丈夫だと制止するが、酷い立ちくらみなのかなかなか視野が戻らない。 「貧血かな……。食べずにしたし」 かつかつと槻山の足音が響いたと思った途端に、ふわりっと浮遊感が体を襲った。 「うわっ」 「おいっ!」 敬吾の悲鳴と、啓輔の怒りに満ちた声が同時に響く。だが、槻山は落ち着き払っていた。 「このままではいつまでたっても下に下りられないだろう」 その言葉が嘘でない証拠に、敬吾を抱き上げたまま階下へと向かう。 結局啓輔も手出しができないのと、その言葉を否定することもできずに後ろから付いてきていた。 そのまま運ばれてタクシーの後部座席に下ろされる。 「じゃ、よろしく」 なおかつ、タクシー代を先払いだと運転手に金まで渡していた。 本当は、拒否したかった。 槻山の手で手配された何もかもが本音はイヤだった。 だけど……そんなことよりも今は、一個も早くここから離れたかった。 だから。 ばたんとドアが閉まってタクシーが走り出した時、敬吾と啓輔は二人揃って安堵のため息を吐き出していた。 敬吾のアパートの前で二人揃ってタクシーから降りた。 まだ足下のおぼつかない敬吾の体を啓輔が支えて部屋へと向かう。 部屋の鍵を取り出しながら、ふと空を見上げれば、太陽の傾きからしてもう昼は過ぎていた。ということは、ほぼ一昼夜、拘束されていたということになる。 昨日啓輔と一緒に取った昼以来何も食べていないというのに、敬吾には食欲がまったくなかった。 ただあるのは疲れた体を横にしたい。休みたいという睡眠欲だけだった。 それは啓輔も同じなのか、青い顔にうっすらとクマが浮かんで、その目はどこか虚ろだった。だが、それでも必死になって敬吾を支えてくれる。 「大丈夫?」 「うん……ありがとう」 「……礼なんて……」 何かを言いかけて止めた啓輔の言葉の先は想像できたのだが、あえて聞こえなかったふりをした。 後で、何もかも話し合って、そして対処方法を決めよう。 だけど今は、休みたい。 そればっかりが頭にあって、だからふたりとも、肝心なことを忘れていた。 それを思い出したのは、力を入れていないのにいきなり開いたドアの向こうを見た時だ。 「え、開いて……」 簡単に開いてしまったドアに驚いて、だが次の瞬間、中にいた男達を認めて、言葉すら出ないほどに驚いた。 途端に、しまった、とそのことに思いあたらなかった事に激しい悔いが生まれる。 「ゆ、幸人……」 震える唇が無意識のうちに愛おしくて、だが今一番あいたくなかった恋人の名を発する。体はもう硬直して動かない。そんな敬吾の腕を、啓輔がぎゅっと握りしめていた。その視線が、仁王立ちになっている穂波の後ろに注がれているのは見なくても判った。 きっと啓輔の方が驚きは強いだろう。 彼がここにいる、そのことが理解できない。 そんな啓輔の体が怯えたように小刻みに震えているのは判っても、それを慰めることは今はできなかった。そんな事をすれば、穂波の怒りに油を注ぐようなものだ。 「入れ」 怒りを含んでいるのにそれを無理に押さえようとして、結果地を這う声が響く。 「……ゆき…と……」 イヤだ……。 その瞬間、確かに拒絶しようとして、それなのに体が動かない。 どうして考えなかったのだろう? 今の時間。 昨日の朝の約束。 穂波が連絡の取れない敬吾を捜したのは想像に難くない。 寝不足に白目を赤くした穂波の腕が身動きが取れない敬吾の腕を荒々しく引っ張った。それに足がついて行かなくて、穂波の体の中に倒れ込む。いつも嗅いだ穂波の匂いが敬吾を包む。 だが、それはいつもの優しい抱擁ではなかった。 「ま、待てっ!」 無理に引っ張られて、体がきしむ。 「ちょ、ちょっと待ってよっ!」 我に返ったように啓輔が穂波を止めようと手を伸ばす。 だが、彼の腕はその傍らにいた家城によって掴まれていた。 「啓輔……あなたに話があるのは私の方ですよ」 感情の窺えない声に、部屋の温度が一気に低くなったように感じて、敬吾達はぶるりと身を震わせた。 何か……何かを言わないと……。 このまま詰め寄られて、昨夜からの事を喋らされるのはイヤだった。 たとえそれが無理矢理だったとしても、どうして彼らに言えるだろう。 特に啓輔は……。 ちらりと窺う先で、蒼白な顔をした啓輔が敬吾を見つめていた。 彼は……。 だが、どうしたらいいんだ? 何も考えずに迂闊にも戻ってきたことを後悔することになるとは……。 頭の中で幾多の言い訳が浮かんでは消えていく。 それはどれも決定的な言い訳にはならなくて、敬吾の頭の中は混乱の極みだ。しかも、無理な動きをしたせいか、きしむ体が座り込みたくなっているというのに、穂波に腕を掴まれてそれもままならない。 本当に。 こんな目にあったのも全て槻山とあのタイシって奴のせいだ。 混乱した頭がまるで逃避のように怒りのはけ口を捜す。 「敬吾っ!今までどこに行っていたんだっ!」 何も言わずに俯いたままの敬吾に穂波が苛々と詰問する。 だけど、答えられない。 答えられるモノではない。 ただ言えることは……。 「……気持ち悪い……んだ……」 ただ、今の現状だけで。 そう呟いたのは嘘ではなく、しかも言った途端にずるずるとその場に崩れ落ちる。胸元に込み上げる嘔吐感は、言葉にしたせいかさらに酷くなっていた。 それは、目覚めた時から敬吾につきまとっていたものではあったけれど。 それが酷くなっていた。 「お、おいっ」 「緑山さんっ!」 口と胸を押さえ、冷や汗を浮かべる敬吾に、さすがの穂波も慌てて傍らに俯く。それに啓輔も家城の手を振り払って跪いた。 「あ、あのっ……俺達、飲み過ぎてっ!だから……っ!」 それは啓輔の咄嗟の詭弁だった。 それだけ言って、次の言葉が続かない。だが、敬吾は少し霞んだ頭で、それに乗っていた。 「……昨日調子に乗って……ちょっとだけっ……思った……だけど……。でも飲み過ぎて……」 「二日酔い……か?」 胡散臭そうな穂波の言葉に、負けてはいられなかった。 「俺がバテて……なんか気が付いたらふたりでホテルに寝てた……。はは……情けないけど……」 「そ、そうだよっ。ふたりで寝てて、気が付いたら朝になっててっ……。で、で……」 「言っとくけど、何も無かったからな」 それだけははっきりさせないと、穂波が何を言い出すか判らない。 というより、こんな情けない言い訳をはっきりいって聡いふたりが納得するとも思えなかったけとれど。 それでも敬吾達は必死だった。 「つまり……。昨夜早く帰ってくるといった割には、飲みに行って、酔った拍子にふたりでホテルに入って、何もせずに今まで寝ていたということか?しかも携帯がいくら鳴っても出なかったほどに熟睡していた……と、こう言いたいらしいな」 そんなことが信じられるか、という顔つきの穂波に、だが、今のふたりはこくりと頷くしかない。 一度つきだした嘘はもう止まらない。 だが、本当の事をいう勇気は今はなかった。 たとえ無理矢理だったとしても、他人に抱かれて何回も達ったなんて。 それにそれを話せば、啓輔に抱かれたことまで言わなくてはならないだろう。 それは、敬吾にとって以上に、啓輔には酷なことで、言えるものではなかった。 抱かれるのは無理矢理だったと言える。だが、抱くのは……。 「啓輔……本当ですか?」 無表情なのに、辛そうだと思える瞳を家城が見せていた。それは初めて見るもので、啓輔もごくりと喉を上下させる。けれど。 「……そうだよ……」 結局彼も嘘を付くしかなくて、その瞬間、家城と穂波が互いに顔を見合わせたのが敬吾にも判った。 |