薊の刺と鬼の涙 (11)


 閉まっていたドアが音を立てて開いて、啓輔は俯いていた顔を慌てて上げた。その頬には、為す術もないふがいなさに浮いた涙が流れている。
 だが、ドアの前にいる槻山の全裸の姿に、そんなことなど頭の中から吹っ飛んでしまった。
 筋骨たくましいその体がしっとりと汗ばみ、体躯にあった雄は雄々しく勃ちあがって、なおかつ滑るように灯りを反射していた。
 それこそ、そんな状態を家城相手に何度も見ている啓輔には、槻山が今の今までしていた行為がすっと頭の中に浮かび上がる。
 途端に、激しい怒りとともに、だが、確かにリズム良く刻んでいた鼓動が一気に早くなったのも確かだ。
「っ……」
 ずくっ、と何もしていないのに啓輔の雄が震える。その先端にぷくりと浮いた滴は興奮している証だ。
「君もできあがったようだね」
 槻山が笑みのままに啓輔の体から紐を外していく。
 今だ。
 と思う心もあるのに、肌を擦る紐のその心地よさに陶酔しかける。ぶるりと震える肌を槻山の大きな手が優しく撫でると、全身を甘い疼きが走って堪らずに槻山にしがみついてしまった。
「ん……あっ……」
 それはもう自分の意志ではどうにもならないほど激しく、一気に全身が脱力する。
 縋っていた手も爪の先だけが相手の皮膚に引っかかっている状態だ。
「な……に……?」
 相手は家城でないのに。
 敬吾をあんな目に遭わせて、なおかつ薬で朦朧とした状態で抱いたであろう槻山なのに。
 なのにどうしてこんなに反応してしまうんだろう?
 槻山の手が啓輔を抱き上げる。それなのに、逆らえない。
 イヤなのに、浮遊感に縋ってしまうのは槻山の腕しかなくて、啓輔は見たくないと固く瞑っていた目尻から涙を流した。
「君はほどよく薬が効いたようだ」
 楽しそうな声音も、肌をくすぐる吐息にかまけてしまって気にならない。
 触れられるたびに、話しかけられるたびに、心と体が槻山に流されていく。
 それはイヤだと思っているというのに。
「可愛いね」
「ん……」
 口づけが頬に落とされて、もうそれが拒否できなかった。
 

 ドアを通り抜けて、背後で閉まる音がする。
「すみ…の……くん……」
 力の入らない声に、啓輔は瞑っていた瞼をこじ開けるように開いた。
「あ……」
 ぼんやりとした頭が、一気に晴れそうになる。
 そこにいたのは、ベッドにしどけなく横たわって腕の力で上半身を支えている敬吾だった。そのどうみても行為の後だと知れる染まった体と快感に潤んだ瞳とは対照的にその表情は悔しそうに歪んでいる。
「彼に……手を出す…な……」
 抗議の声も掠れていて、余計な艶やかさを醸し出す。
「でも、このまま放置しておくのもケースケ君にとっては辛いだけだからね」
 くすりと笑う吐息が頬をくすぐって、また口づけられた。
 イヤなのに気持ちよくて、もう快感を欲する体が掴んでいた腕を引き寄せようとする。
 だが。
「やめろっ……彼は。彼には……」
 何かを言いかけて、だが悔しそうに口を閉ざした敬吾が、ベッドにそのきつい視線を落とした。だが、すぐに槻山へとそれを移動させる。
「彼をここへ……俺が助ける……」
 途端に槻山がびくっと震えたのが判った。
 それは確かに驚きからで、啓輔もその言葉に一瞬我に返る。
「……君がするというのかね?」
 しばらくして槻山がどこか楽しげに敬吾へと声をかけていた。その顔が悔しそうに歪んで、色を失うほどに唇が噛みしめられている。
 それもこれも、全て啓輔のためだと知ったから、啓輔はふるふると首を横に振った。
「お、俺は……いいから……」
 敬吾にこのどうしようもない体を慰めて貰えるのなら、という歓喜の心と、そんなことをさせたら駄目だという、拒絶の心がせめぎ合っていて、啓輔はその争いを裁ち切るように固く目を瞑った。
 これ以上敬吾を見ていたら、その言葉に縋りたくなりそうで、目を閉じれば槻山だけを感じていればいい。
 敬吾にされるより、槻山に抱かれる方がまだマシだと思って、その腕に力を込めた。
「いい……俺は……この人に抱かれるから……」
 それでなくても恋人以外の男に抱かれてしまった彼を、これ以上追いつめたくなくて、それは本心だったのだが。
 その体がいきなりふわりとベッドに落とされた。
「うわっ」
 縋っていた腕のせいで落下の速度は遅い。
 それでもどすんと音を立てた途端に、啓輔は怯えた色を浮かべた瞳を見開いた。その視界に入ったのは、心配そうに啓輔を見やる敬吾に、笑い顔の槻山。その槻山が、啓輔の上半身を背後から支えて座らせる。そして目の前には横たわった敬吾が啓輔を見上げていた。
「彼はまともに薬が効いているから、そう簡単には慰められないよ。……まあお手並み拝見と行こうか」
 槻山が背後からふたりを見下ろして言う。
「君だって、意識の方はかなり醒めているけれど体はまだ疼いているだろう?」
「うっあ……」
 その手が啓輔を押しのけるように伸びて敬吾の胸の突起を摘んだ途端、その全身が大きく震えた。身悶えるように離れるその仕草が、見る者を劣情に駆り立てるほどに艶っぽい。
「そんなふたりの絡み合いか……。これはイイね」
「……お前を……楽しませる訳じゃない……」
 口調はきついが、はあっと熱を吐き出す敬吾の肢体は、息を飲むほどに扇情的な眺めだった。
 だが、それでも敬吾はかなり薬の影響から覚めているように見えた。
「……みどり…やまさん……。俺は……いいから。だから……」
 逃げて。
 そう続けたかった啓輔の言葉は、優しい笑みを浮かべた敬吾の表情に遮られた。
 今なら、力は入らなくても槻山を止められる。そして敬吾が隣の部屋にいく間くらいはできるから……。それは無きに等しい勝算の賭だったけれど、それでもこれ以上敬吾を苦しめたくなくて、啓輔は近づく敬吾の体を押しのけようとした。なのに。
「俺に任せて……。このままだと辛いだろ……。な、俺は大丈夫だから……」
 辛いはずなのに、啓輔を安心させるようにふわりと優しく笑いかけられて。途端に抗う気力も何もかもが消え失せた。
 嬉しい、とそれか心の大半を占めてしまう。
 そうなると、もうなけなしの理性は為す術もない。しかも。
「ああっ」
 薬だけでなく煽られ続けて、それだけで限界がきていた雄がすっぽりと熱く柔らかなモノに包まれて、啓輔はあられもない悲鳴にも似た声を上げていた。
 慌てて身動ごうとして、だがその体は槻山がしっかりと背後から抱え込んでいる。
 見開いた視界の中で、股間に蠢くのは敬吾の頭だ。その艶やかな髪が乱れて汗でうなじに張り付いていた。
「んあっ……やめ……ああっ」
 途端に脳裏をあの時がフラッシュバックする。
 忘れることなどできなくて、家城に出会う前までのネタであった敬吾との行為。今は啓輔の悲しい汚点だったその記憶が、今と重なって、そして明らかに前よりは確実に啓輔を追い上げる。
 逃れなければ、と思うのだが、槻山に押さえられている以上に、体が快感に溺れていた。
 ぞくぞくと背筋を這い上がる痺れに、肌が何度も細かく震える。全身が鳥肌がたって、エアコンの風すら肌を刺激するほどに敏感になっていた。
 何もかもが、啓輔を狂わせて、快感の虜にしていく。
「んっ……んくあっ……やめて……ああっ」
 誰も制止の声など聞いてくれなかった。啓輔自身も、それがもう口先だけだと判ってはいた。銜えられた敬吾の口腔にさらに深くと蠢く腰が止められない。
「やだ……やめ……っ……」
 堪らずに固く瞑った目尻から溢れた涙が、槻山の指で掬われる。その濡れた指が敏感な肌をまさぐって、ゆっくりと身体を下りていった。その肌に残る濡れた後を、今度は口づけられて舐められる。
「いあ……ああっ……」
 その触れられる感覚も耳に聞こえる濡れた音もそれすらも啓輔を煽って、高めて、狂わせて。
「あ……もう……」
 限界だと叫ぶ体に、啓輔は堪らずに敬吾の頭を押しのけようとした。
 あの時の、泣き顔が視界に広がって。
 なのに。
 啓輔の高ぶりを感じた敬吾が、一気に唇と舌を使って扱き上げた。
「あああっ!」
 我慢なんかできなかった。
 びくんっと全身を硬直させ、吐き出す快感に身を震わせる。
「んあ……あぁぁ……」
 それは確かに快感で、歓喜の悲鳴を上げるほどの快楽の海に浸ることができたけれど。
 啓輔は弛緩した体を槻山に預け、泣きそうになりながら股間にいる敬吾を見下ろした。そこには何事もなかったように離れる敬吾がいて、その喉が数度ごくごくと上下する。
「……ごめん……」
 夢にまで見ていた行為は、決して実現がしないから夢だった。
 そして、それを夢でとどませなければならない事も、誰よりも判っていたというのに。
 なのに。
「大丈夫だから、ね」
 敬吾が啓輔を見つめて、笑う。
 だけど、その瞳が僅かに揺らいでいた。
「ごめん……ごめんなさい……」
 もう啓輔は、それだけしか言えなかった。
 なのに。
 男同士の行為に慣れている体は、まだまだ続きを求めて強く疼いていた。


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