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薊の刺と鬼の涙 (9) |
啓輔の目の前で、敬吾がぐったりと弛緩していった。 劣情に翻弄され血が巡った肌はほんのり薄桃色へと変化していて、吐き出された白色がはっきりと下腹を彩っている。そこから目が離せない。 何よりも、それまでのあられもない敬吾の痴態に、見ては駄目だと思いつつ目を離せなかった。 それが堪らなく悔しい。 助けたいと、それは家城の次くらいに大事な敬吾だから思っているというのに。 助けるどころかその姿に欲情して、啓輔の雄は立派に屹立していた。 それが情けなくて──悔しくて堪らない。 ぎりっと音が出そうなほどにきつく奥の歯を噛みしめて、敬吾をそんな目に遭わせた原因を睨み付ける。 だが槻山は啓輔に背を向けているせいか、全く頓着無しに敬吾を束縛していた紐を解き始めた。 「んんっ……」 敬吾の肌の上をそれらの紐が滑るだけで、妙なる声で呻く敬吾はソファから解放されてもぐったりと沈み込んで荒い息を吐くだけだった。 「緑山さんっ、しっかりしてっ!!」 「うん……」 啓輔の悲鳴にも似た声になんとか反応するのだが、向けられた瞳はどこか虚ろだった。そこには、いつもの力強さはなかったが、あろうことか啓輔は痺れるような快感をその下肢に味わって息を飲んでしまった。 晒された快感のせいか目尻が朱に染まっていて、それがひどく扇情的なのだ。 いや、もう妖艶といっても良いほどだろう。 敬吾が達っても、触れることすら許されない元気な啓輔の雄がさらにびくりと振るえるほどに、下半身が欲情する。 それはもう、あまりの情けなさに涙が出てきそうな程で、どんなに落ち着こうとしても収まるものではなかった。 「おや……君もテンパっているね〜」 とにかく視線だけでも逸らそうと俯いていたところに声がして、慌てて顔を上げれば槻山が啓輔をにやにやしながら見下ろしている。その視線の先は、紛う事なき啓輔のいきり立った雄だ。 「だけどもう少し待っていなさい。わたしは彼と遊んでくるから」 それだけいって作業を再開した槻山に啓輔は唖然として見詰めた。 まさか……。 言葉の意味を否定したくて堪らないのだが、それは決して否定し切れるものではなく。 「てめーっ!緑山さんから手を離せっ!!」 槻山がまず敬吾を抱こうとしているのだと気付いた啓輔は、今の状況を忘れて暴れだした。だが、すぐに縛られているという現実を思い出して、今度は音を立てて血の気が引いた。 手が出せない啓輔にとって、敬吾を助ける手立てはない。 愕然として目だけを見開いた啓輔の前で、槻山が虚ろな敬吾を抱きかかえた。 どう見ても何かスポーツをしてきたがっしりとした体格の槻山に抱きかかえられた敬吾の体が軽々と運ばれる。 「緑山さんっ!!」 口しか自由にならない啓輔がどんなに叫んでも敬吾の耳には届かない。いや、届いていたとしても、薬に朦朧としている敬吾にはどんな声も反応しようがないのだろう。 微かに身動いだような気がしたが、そのまま槻山はドアの向こうへと消えていった。 しかもそのドアがぱたりと音を立ててしめられて、啓輔は一人そこに残される。 できることと言えば、ドアを睨み付け続けることだけだ。 ドアを閉じる寸前、槻山が啓輔を振りかえり挑発するように笑いかけてきた。 その嫌みな顔が頭から離れない。そして、その腕の中で丸くなっていた敬吾の姿も。 今頃彼がどんな目に遭っているかを考えると、とても落ち着いてはいられない。今すぐにでも駆けだしてドアの向こうに行きたいのに、縛られた手足は決して緩むことはなくて、その肌に傷を付けるだけだった。 「……緑山さん……」 何もできない自分が悔しくて、こんな事に巻き込んでしまった自分の罪が重くて、啓輔はきつく唇を噛みしめる。 本を正せば、親との不仲から荒れていた啓輔が最初に敬吾を脅したところから始まっているのだ。 あの時、目をつけなければ、こんなことにはならなかったのに。 何度も何度も頭の中にその言葉が浮かんで、啓輔を責め立てる。 あの人を、二度も傷つけてしまう……。 啓輔をからかいながらも、それでも敬吾はいつも啓輔に気をつかっていてくれた。あんな目に遭わせた相手を、気遣うだけの器を持っている敬吾に、啓輔は何度も惚れ直していたのだ。それは、家城に対する思いとは全く違う何か。──それはきっと尊敬に近い。 だからこそ、啓輔は敬吾に煽られまくって彼を抱く妄想までしても、実行には移せなかった。 尊敬する相手を傷つけることはできないからだ。 そして。 そんな啓輔を、敬吾は今日のように遊びに誘ってくれる。 どんなに嬉しかったことか。 嬉しくて、幸せで、楽しかった一日。 なのに……。 『んあ……あ……』 ドアの向こうから、聞きたくもなかった敬吾の喘ぎ声が聞こえてくる。 最初は微かな──空耳のようにしか聞こえなかったそれが、どんどん大きくなっていく。 「やめろ……」 聞きたくなくて、耳を塞ぎたいのに。 叶わない願いに身を焦がしているのに、なのに、体はどんどん熱くなる。 『あんっ……そこ……イ……」 明らかに求めてる声にびくりと体が震えた。 夢の中では何度も妄想して、求めさせた声。 だがそれは夢だからこその願いであって、現実に聞きたいわけでなかった。だが、体は夢の時と同じように反応して熱く高ぶっていく。 ドクドクと激しくなる鼓動は、頭の中を朦朧とさせるほどで、額に浮き出た汗がぽたりとむき出しになった太股に落ちた。 そこに目をやると、完全に勃ち上がってゆらり揺れる己の雄までもが目に入った。 その先端がぬめぬめと明かりに照らされて光っていて、それが悔しくて涙がにじむ。 『ふああっ!』 ひときわ大きな声に、どくんっと体の中が爆発しそうになった。 意志とは裏腹に感じる体は、槻山の飲ました薬が効きだしたのだ。 そのせいでどんどん体が高まっているのだと、今更ながらに啓輔は気が付いた。が、だからといってどうしようもなく、敬吾の声に煽られて、それこそにっちもさっちもいかなくなってくる。 欲しい、と明らかな欲望が体の中に渦巻いて、啓輔は苦しさに身悶えた。 一度達ってしまえば、楽になるのに。 だが、触れることもできない今の状況ではそれは無理と言うもので、啓輔は焦れったさに何度も身を捩った。それに加えて、耳から伝わる敬吾の艶やかな声は、啓輔をさらに限界に近づける。 なのに。 後少しなのに。 頬を流れる涙は悔し涙だというのに。──ぎりりと噛みしめられた奥歯は快感を逃そうとしている。 こんなことはイヤなのに、イヤだと思うことを止めたいと切に願う。 もうどっちが自分の考えなのか判らなくなって、啓輔は何度も頭を振った。 だが、ぱさりと肩に触れる髪の毛も、ぽたぽた落ちる汗も、何もかもが敏感な肌を刺激して、啓輔は堪らず甘い吐息を吐いてしまう。 それを後から気が付いて、啓輔はいたたまれなくなってさらに歯を噛みしめた。 ぎりりと骨を伝わって頭に直接響く。 誰か来て……。 せつない体を持て余し、啓輔はとうとう誰かが来てくれることを願った。 脳裏に浮かぶのは、家城の冷たい顔。そして、敬吾の笑顔。 だが。 『あっ……ああっ!』 艶やかな嬌声に、それらが全て引き裂かれる。 びくんと啓輔の雄が声に煽られて揺れ、先端から先走りの液が流れ落ちる。その刺激すら今の啓輔には堪えられない快感で、ぞわりと全身を震わせる。 身も心も揺さぶられるような快感に捕らわれて、だけど何もかも、大事にしていた部分を引き裂くように、今という現実が啓輔を襲って。 なのに、それでも快感に身を狂わせて、欲しいと願う。それをはっきりと自覚してしまうから──自分がそれに興奮しているという事実が、何よりも啓輔を陥れて。 心がむちゃくちゃに掻き混ぜられて。 いらないけれど欲しくて。 欲しいけれどいらなくて、 だけど……抱いて……欲しくて……。 狂わせて……欲しい────だけど、ここは……イヤだ……。 だって……。 だって……ここは────っ! 『んああっ……いやあっっ……!』 今までとはうって変わって悲鳴のような声が響いた。 「!!」 朦朧と仕掛けた意識が一瞬現実へと戻った時。 「ちくしょっおおお!!やめろおおおおっ!!」 啓輔は、声も枯れよとばかりに、叫んでいた。 |