薊の刺と鬼の涙 (6)

「あ、あんた、どういうつもりだよっ!!」
 先に言葉を発したのは啓輔だった。
 男が啓輔の目の前にいたせいもあったのだが、荒んだ過去を持っている啓輔の方がこういうことには慣れているところがある。
 だが。
「口が悪いね〜、可愛い顔をしているのに」
「な、何がっ、可愛いだっ」
 落ち着き払っている男に対してきゃんきゃんと吠えたてる啓輔の様子は完全に負けていた。
「私は、男が好きなのだがなかなか好みにあった相手は見つからなくてね。まあ……乱暴にするつもりはなかったのだが、あの様子を見ていると君たちが逃げてしまいそうで縛らせて貰った。せっかく大枚を払ったんだから、することはしないとね」
「だからって、こんな無理矢理っ!」
 敬吾も大人しくされるつもりはなくて、必死で言葉を選ぶ。
 相手が落ち着いている以上、こちらも冷静になろうとするのだが、やはり状況はこちらに歩が悪い。
「うん、そうだね。でも嫌がる子を無理矢理ってのもそそるからね」
 笑みを浮かべながら言う台詞でないと、顔に浮かぶのは嫌悪なのだが、相手の冷静さには勝手が掴めない。敬吾はただ睨み付けて次の言葉を探していた。
 何を言えば、相手を怯ませることができるのか?──逃げることができるのか?
「さて……せっかくだから楽しもう。私は巧いよ」
 くすっと吐息で笑うその様は、普通にしていれば格好良い方に入るだろう。
 どこか穂波に似ているとすら思う。だが、穂波よりはもう少し若く、意地悪く、そして好色そうだった。
「ああ、自己紹介がまだだったね。私の名は槻山憲弘(つきやまのりひろ)」
 まるで友人同士の挨拶のようなそれに、一瞬気が抜ける。
「君たちの名前は?」
 それは黙って無視した。
 が。
「教えてくれないのかい?……こっちは確かケースケと言っていたな。ね、ケースケ君」
「さ、触るなっ!!」
 必死の声音に敬吾が啓輔をみやれば、槻山の手が啓輔の襟元から中に入っていた。
「隅埜君っ!!……あ……」
 咄嗟に口走ってから気が付いた。
「なるほど、スミノケースケ君ね。どんな字を書くのかな?」
「んっく……」
「止めろっ!」
 イヤらしく歪んだ顔は、じっと開かれた啓輔のシャツの中を見ていて、敬吾の罵声を意にも介していなかった。
 その手が逆らう動きをものともせずに、どんどん中に入っていく。
「離せっ、てめっ!」
「口が悪いね。抱かれる時はいつもそんな言葉を発してんのかい」
「なっ!」
 ぴきっと啓輔の体が硬直したのが敬吾の目にも明らかだった。
「君も男はOKなんだろ?敏感だし……何より、君の熱烈な恋人がつけた情熱的なキスマークがあちこちに残っているようだし」
 それだけなら女が相手だともいえたも知れない。
 だが、硬直してしまった啓輔も、そして黙り込むしかできなかった敬吾の様子も、何もかもがそれが本当のことだと槻山に知らせていた。
「ま……類は友を呼ぶっていうけどね。見た時からそうじゃないかと思ったんだ。二人とも男に好かれそうな感じだし」
「ど、どこがっ!」
「ふふ、全部」
 槻山の手が啓輔のシャツのボタンを外しだした。啓輔はというとひきつった顔をさらに強張らせて、槻山のすることをじっと見ているしかできない。時折、感じる場所に触れられるのか苦痛に耐えるように顔を顰めていた。
 それを見ながら敬吾の方は何もできない。
 じたばたと体を動かしても、大きめのソファがかろうじて揺れるだけだった。
「止め……ろ……」
 手足だけを縛られているせいで、啓輔のシャツはあっという間にはだけられ、あろうことか来ていたTシャツははさみで開かれてしまう。しかも。
「ほら、腰を上げて」
「イヤだっ!」
 今はズボンと格闘していて、ズリ下げようとする手を啓輔が体重をかけて必死で押さえているところだった。だが、それも縛られているという不自然な体勢で思うようにいかない。
「よいしょっ」
 かけ声とともにジーンズが呆気なく下着とともに下ろされた。足が縛られているせいで膝のところまでしか下りないが、それでも啓輔の前面は完全にさらけ出されてしまった。
「てめー……」
 ぎりっと音がしそうな程に啓輔が悔しそうに顔を歪める。
 暴れたせいか互いのソファがちょうど向き合うようになっていて、敬吾は啓輔の裸体を真正面に見ることになってしまった。羞恥に頬を染めて槻山を睨む啓輔は、その気がなくても確かに扇情的だ。しかも遠目に見てもはっきりと判る鎖骨と胸に広がる朱の斑点。そのまだ新しい印を目にした途端、敬吾は自らの体にもある同じ類の印を思い出して、それからそっと視線を逸らした。
 嫉妬深い恋人達がつけた印は、たぶんどちらも同じ思いでつけたのだろう。
 それが判るから、今のこの状況が悔しくて堪らない。
「や、やっ!止めてくれっ!」
 上擦った声に慌てて視線を戻すと、槻山がその啓輔の印の辺りに顔を寄せているところだった。
「っ!」
 不意に啓輔がきつく目を閉じて、内なる衝動を堪える表情をする。
 槻山の体に隠れて何をされているのか見えなかったが、きっと印の場所に吸い付かれているのだと、敬吾には簡単に想像できた。
「隅埜君……」
 何もできない自分が悔しい。歯噛みするしかない敬吾は、どうにかしようと必死で考えていた。
 確かに啓輔は男相手でもOKだ。だが、元はといえばタイシは敬吾を売ろうと考えていたのだから、啓輔はとばっちりなのだ。
 このままあの男にやられてしまったら、啓輔はどんなことになるのだろう?
 最近の幸せそうな啓輔と昔の啓輔の両方を知っているから──そして、最近の啓輔は敬吾にとって大事な友達だから、助けたいと強く願う。
 こんな目に遭わすために、今日一緒に出掛けたのではないのだから……。
「待てよっ!」
 だから、叫んでいた。
「俺が相手をするから、隅埜君には手を出すなっ!!」
 たぶん、家城しか相手を知らない啓輔。
 家城に出会うことで、今の啓輔になったのだとしたら、そんな彼を好きだから、他人に抱かれるなんて事させたくなかった。
 そして、滅多に表情を見せない家城が、啓輔にだけ優しく微笑むことを知っているから、その顔を歪ませることを啓輔がどんなに忌むだろう事は簡単に想像できたから。
「俺の方が具合はいいと思うけど」
 振り返った槻山に、目を細めて口の端だけで笑う。
 ほんの少し上目遣いにして、挑発するように。
「俺の相手、結構遊んでて、いろいろと頑張らないと駄目だからさ。だからテクだけは彼よりも上だと思うよ」
「ほお……」
 脳裏に浮かぶ穂波の顔が怒っているけど、今はもう他には手段がなかった。槻山の意識をこちらに向けるしか他に方法がなくて。
「駄目だっ、俺でいいから、彼には手を出すなっ!!」
 だが、今度は啓輔が必死で離れていく槻山に追いすがっていた。
「俺がっ。俺がやるからっ!!俺の方が若いから体力あるぞっ。それに……俺はもう男しか駄目だから、平気だからっ!!」
 最後の言葉は敬吾に向けられていた。何度も何度も首を振って、敬吾を思いとどまらせようとしていた。
「ふ〜ん。それも楽しそうだね〜」
 ちょうど二人の中間に立ちすくんで、槻山が楽しそうに二人を見比べる。
 顎に手を当てて、どうしようかと考えあぐねているようで、しばらくそのままで動きがなかった。
 その間に啓輔が敬吾に声をかける。だが、無理にその顔に笑みを浮かべているのがありありと伝わってきた。
 それでも、啓輔は敬吾を庇おうとしていた。
「俺は……平気だからさ。ねっ」
「隅埜君……でも……」
 敬吾が啓輔を守りたいように、啓輔も敬吾を守りたいのだと、その様子ではっきりと判った。それは時折啓輔が見せる罪悪感に満ちた視線から来ているのかも知れない。彼の中では、まだ贖罪は済んでいないから。だからきっと、敬吾を守ろうとして自分を盾にしているのだと。
「美しい友情ってことか……う〜ん。だけど私は両方とも気に入ったし……。この元気な坊やも敏感で楽しませくれそうだし、こっちの君も、その瞳で睨まれるとぞくぞくとしてくるね。しかも男を誘うのに長けている。先ほどの言葉も気になるし……。う〜ん、これは優越つけがたいね。本当に……どちらも酷くそそられる」
 感極まったように呟く槻山の言葉に、敬吾達は結局押し黙ってしまった。
 きっと何を言ってもこの男を煽る。
 そして槻山は、二人を離すつもりはないのだ、と。
「ま、夜は長いし、もっと気楽に楽しもうよ。明日になって……私が満足していたら解放してあげるから。ああ、SMの趣味はないから、傷つけるつもりはないしね」
 そのどう聞いても信用できない言葉に、それでも縋りたくなる。そんな二人の視線にくすりと笑った槻山は、かつかつと足音を響かせて部屋を横断した。その先には出入り口とは別の扉があって、それを勢いよく開ける。
「こっち……キングサイズのベッドがあるんだよ。だから三人でも大丈夫なんだけど?」
 振り向いた槻山の笑みに、敬吾達二人の表情は完全に凍り付く。
 どう足掻いても二人を相手にしようとしているのだと、その逃れられない運命にそれでも抗おうとしたけれど。
 室内に入った槻山がすぐに何か小瓶のような物を持って出てきて、二人に笑いかけた。
 その笑みは町中で見ると、気さくな愛想の良い笑みであったけれど。
「それでさ、君たち二人同時ってのも面白いと思わない?」
 その言葉は二人にとって最悪のものだった。
  

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