薊の刺と鬼の涙 (4)


「やっぱり、あの色似合いますよね」
「隅埜君こそ……。試着した時にさ、女の子が見惚れていたよ」
 上背があって細身の啓輔が少し着崩したようにシャツを着て出てきたとたん、敬吾の視界の隅にいた女の子が確かに啓輔を見つめていたのだ。
「……そんな、緑山さんこそ」
 照れて頬を赤くした啓輔の言葉には首を振る。
「俺は……女の子にはもてないよ」
『敬吾は女より男にもてる顔だから、心配だな』
 そう言った穂波の言葉を信じるわけではない。
 だが最近穂波に言われ続けているせいか人の視線に敏感になって、そうして気付いてみると確かに男が多いのだ。
「うれしかないけどさ……」
「そんなことないですよ。女の子だって……ほら」
 啓輔がそっと指し示したところの女の子二人連れが敬吾達を見て何か囁いている。
「あれは……君を見ているのか……それとも……」
 男同士の仲の良さに萌えているか……。
 さすがにそれを公言するのは憚られて、口を噤んだ。だが、啓輔はその前半部の台詞に引っかかって、それに気付かない。
「俺じゃないですって。緑山さんってさ、ほんとその目で見つめられるとドキッとするんです」
 話の内容が内容だけに小声でぼそぼそとは話しているのだが、どうも先ほどの女の子達の視線が痛いほどで、敬吾は啓輔の背を押した。
「まあ、いいからさ……それより、今度はどこに行く?」
 手の中にある袋には気に入った服がそれぞれに入っていて、今日の目的は達成できたのだが。
 時計を見ると、穂波が帰ってくるまでにまだ時間はある。
 そういえばお土産を買わねばと、敬吾は思い出して、地下街の天井にある表示を見上げた。
「……こっからだとデパートに繋がってるな……。ちょっと食料品買いたいんだけど」
 たまにはデパートの地階でいいものを買って帰るという贅沢もいいかもしれないと思ったのだ。
「あ、いいですよ。俺も……なんか買って帰ろうかな……。酒以外で……」
「酒以外?家城さんは飲まないのか?」
 そんな筈はなかったと、敬吾が首を傾げながら問いかければ、啓輔は明らかに狼狽えていた。
「あ、……いえ……その……」
 しかも耳朶まで赤くなるというおまけ付きで、その問いかけがどうやら啓輔の何かに引っかかってしまったらしい。そして、敬吾もなんとなくその理由を察してしまった。
「もしかして……家城さんって……酒癖悪い?」
 あの冷静沈着鉄仮面の家城さんが……。
 想像だにできない家城のそんな姿に、だが啓輔は小さく頷いた。
「……枷が外れるみたいでさ……も……大変……。そっちは……そういうことってない?」
「う〜ん……」
 枷と言われれば、何かあるような気がするが、それがいつ外れるのかまではよく判らない。穂波に関して言えば、年がら年中発情しているようなところがあると思わせるところがあって、敬吾は結局首を左右に振っていた。
 その間にも二人の足は進んでいて、地下街からデパートの地階へと通じる階段へと向かっていた。
 その階段は6段ほどの短いものだった。
 ただ、その上がった踊り場からもう一つ階段があって、それは地上へと──デパートの外へと出て行けるものであった。だが、まっすぐそこから地上へ出る人は少ない。その出入り口が表通りから少し脇に逸れたところにあることと、同じ上がるにしてもデパートの中を通れば、冷房の効いた中をエスカレーターで上がることができるからだ。
 だからそこは、途中にある踊り場で数人の若者が何かを待っているかのように佇んでいるだけで、人が上下している様子はなかった。
 敬吾達もデパートへ向かっているのだから、その階段の前を通り過ぎ、全面がガラスのドアへと向かう。そして敬吾の手がそのドアの取っ手を掴もうとした時、その階段を駆け下りる複数の音がした。
「ね、待ってよ!」
 音が止まると同時にかけられた声に手が止まった。
 その手首を掴まれる。
「え?」
 聞き覚えがない声に、人違いをされたのかと敬吾が顔を上げた。
「ああ、やっぱりそうだ」
「あっ!」
 嬉しそうな声を発する男が誰か判らないと訝しげに目を細めた途端、啓輔の悲痛とも言える声が響いた。
「ああ、邪魔だよ。こっち来てっ」
 笑みの籠もった声なのに、手の力は酷く強く有無を言わさない動きで引っ張られた。
 その行為に、背筋にぞくりと悪寒が走った。慌てて啓輔を捜せば、すぐ傍でそっちは二人の男に囲まれてその表情が見えない。
「隅埜君っ!」
「緑山さんっ、逃げてっ!!」
 不安に敬吾が呼びかけた途端、啓輔のせっぱ詰まった声が迸った。
「っ!」
 その意味が判らなくても、今が異常な事態だと気付いて、手を振り払おうとする。だが、啓輔の声は男の手をさらに強めただけだった。しかも、最初は一人だったのに、今は二人の手が敬吾の腕を捕らえいた。
「久しぶりだな、ケースケ」
 親しげな声に彼の知り合いかと痛みに顔を顰めながら見上げて。
「……まさかっ」
 悪寒が激しい震えを起こさせて、敬吾の足ががくがくと震えだした。
 それは耳にいくつもはめられたピアスを見たせいで、それと啓輔の知り合いだという考えが一つの結論を導き出したせいだ。
「タイシっ!何のつもりだっ!」
 最近聞くこともなかった啓輔の低い怒声にそれが確信へと変わる。
「……まさか……」
 呆然と呟く声が止めようもなく震えていた。
 それは声だけでなく全身がそうで止められない。触れられている場所からぞわぞわとした悪寒が全身へと広がって、肌が総毛だっていった。
「あの時の……」
 啓輔とともに緑山をいいように弄んだもう一人の男。
 顔かたちのはっきりとした記憶が薄れかけた今でも、あのたくさんのピアスだけは鮮明に覚えていた。それと同じようにたくさんのピアスが、啓輔がタイシと呼んだ男の耳にもついていた。
「意外だね〜。ケースケ、この人と仲良いんだ?ぶっ壊すとかなんとか言ってたくせにさ。しかも俺達を痛めつけた奴のホモ達だろ?」
 途端に下卑た笑いと不躾な視線が敬吾へと降りかかった。それに下唇を噛みしめる。
 この男には知られているのだ。それに対して反論する気はないが、それでもバカにされるのは堪えられない。
「うるせっ!どうだっていいだろーがっ!それより何だよ、これは?」
 啓輔の罵声に、道行く人が怯えと侮蔑をいり混ぜた視線を送るが、足を止めることはない。
 今二人は、5人の男に囲まれていた。しかも今や両腕はそれぞれ別の男がしっかりと掴んでいる。そう簡単に逃げられるモノではなかった。
 その理不尽な行為に、啓輔が怒りのままに手を振り回す。
「ぐえっ!」
「隅埜君っ!!」
 カエルがひしゃげたような声が啓輔の喉から漏れ、その体が前のめりに崩れていく。敬吾からはよく見えなかったが、啓輔を捕まえているどちらかの男の拳が腹にめり込んだらしい。
 呼びかけても苦しそうに咳き込む啓輔に、敬吾の顔から音を立てて血の気が退いた。
 そこに友好的な雰囲気は欠片もない。
 あるのは、あの時と同じ殺伐とした雰囲気で、しかもあの時より人数が多いのだ。
「ここだと警備員がくるかも知れないし……。痛いことされたくなかったら付いてきて欲しいね」
 それは懇願の形を取っていたが、返事をするより先に腕が引っ張られる。
「どこへっ?」
 脳裏にあのカラオケボックスがフラッシュバックして、足が動かなくなる。
 こんなことでは駄目だと、逃げるためにもしっかりしないと駄目だと思うのだが、あの時と同じシチュエーションの今は、思った以上に敬吾の精神にダメージを与えていた。
 啓輔相手では癒えたと思っていた筈の事件は、やはり敬吾にとっては根の深いものであったらしい。
「ちっ!」
 思うように動かない敬吾に、そんな理由とは気付かないで焦れたタイシが、舌打ちした。
 途端に頬に鋭い痛みが走る。
「つう……」
 はたかれた痛みに顔を顰めた敬吾に、タイシがくすりとおかしそうに笑みを浮かべる。
「……そんなに痛くなかった?だけどねえ……」
「み……どりやまさん……血が?」
 音に振り返った啓輔が、呆然として敬吾の顔を凝視する。
「え?」
 言葉を発した途端に動いた頬がぴりぴりっと痛みを伝えた。同時に、その頬にタイシが布きれを押し当てた。
「自分の血、見る?」
 くすくすとおもちゃでも見せつけるように広げたそれはハンカチで、そこにまだ赤い染みがついていた。
 それが敬吾の血だというのなら、頬から出た血と言うことだ。
 確かに痛みはまだ続いていて、止まることはない。叩かれたにしては、それは切り裂かれた痛みであったと今頃気付く。
 その染みとタイシを交互に見やる敬吾に、タイシは目の前に叩いた左手を広げて見せた。
「この指輪……面白いだろ?」
「……それ……」
 広げられた中指には幅広のシルバーの指輪がはめられていて、その指の腹側に小さいが鋭い突起が付いているのが見て取れた。
「ふふん。これって便利モノなんだ。普通に叩くとたいしたことないけどさ、これで叩かれたら傷が入るって事。女の子なんてこれ見たら、ビビって結構言うこと聞くよ」
 その指輪が敬吾のもう一歩の頬に触れる。
 そっと触れられても明らかに判る突起物の感触に、敬吾はびくりと体を強張らせた。
「やめろっ!タイシっ!」
「煩いな、ケースケ。あんま騒ぐとこの人の顔にもっといろんな傷つけるよ」
 敬吾に対するより冷たい声音が啓輔を縛る。
「俺さあ……やっぱ、人が傷つくのって好きなんだよねえ……。だから……大人しくついておいでよ。その綺麗な顔がぼろぼろになる前に」
 声音は笑っているのに、二人を睨むその目は笑っていなかった。
 あれから体力もつけて護身術も習っている。だが、どう足掻いても勝てそうにないのだ。ただ単に人数だけ問題ではない。二人を拘束しているタイシ以外の四人が強いのだ。下手に技術を積んだから、そういうことまで判ってしまう。
 そうなると逆らいようがなくて、敬吾は黙って足を踏み出した。
 それに、敬吾が逃げたとしても啓輔は逃げられるかどうかは判らない。タイシも敬吾に対しては穏やかに話しかけるが、啓輔にはかなり刺の入った言葉を発している。それは明らかに怒りが窺えるもので、敬吾にはタイシが啓輔には容赦しないだろうと思ってしまった。
 だから、一人では逃げられなかった。
 そんなふたりから、タイシ達は荷物と携帯を取り上げた。
 それにしてもどうして……こんな事になったんだろう?
 さっきまで楽しく買い物をしていたことが遠い昔のようにすら思える。
 忘れたかった出来事は、まだまだ忘れてはならないことだったのだと、敬吾は力無く歩きながら繰り返し悔いていた。

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edit by narimayu