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薊の刺と鬼の涙 (3) |
楽しそうにウィンドウを覗いている敬吾に、啓輔は眩しく感じて目を細めた。
この人は強い。 何かにつけ思い知らされること。 敬吾は初めて出会った瞬間から羨む対象であった。 落ち込んだ虚ろな瞳が力を持った瞬間を見た時から、自分にないそれを求めて、あきらめれなかった。それは本当に、手に入らないのなら壊したいと思うほどに羨ましい力だった。 あの時、自分が敬吾に与えた行為が彼にとってどんなに屈辱的なことであったかを、啓輔は決して忘れない。人が持つ物を羨んでしまったそんな愚かな自分が信じられなくて、壊そうとした行為は、いつも彼を見るたびに心のどこかでちりちりと刺激する。 なのに、忘れられない。 初恋というのは忘れられないものだと聞いたことがあったが、きっとそれと同じなのだろうけれど。 今の恋人をどんなに愛していようとも、いつか離れてしまっても敬吾のことは忘れないだろう。そんな自覚は常にあった。 それでも、会社に入って再会して、今こうしていることが信じられないのも事実。 「ああ、あれなんか隅埜君に似合いそうだね」 ほんとうに過去のことなど何もなかったかのように親しく付き合ってくれる敬吾に、啓輔は目を離せない。 「あの色だったら、緑山さんの方が似合うと思うけど」 少し低い位置にある瞳が地下街の灯りを受けて、綺麗に輝く。その瞳が悪戯っぽく細められて。 「でも、君も似合うよ」 もう一度同じ言葉を伝える。 「……」 敬吾には反論などできない。反論する前に啓輔の方が悩殺されてしまうのだ。 敬吾の笑顔を見ているだけで、どきどきと鼓動が早くなる。こんな自分には呆れてしまうのだが、それも仕方がないと最近思うようになってきた。 きっと赤くなっているだろう顔を、無理だと判っていても逸らしたくて敬吾に背を向ける。そのちょうど目の前にディスプレイ用に鏡があって、啓輔が写っていた。 『髪、伸ばさないの?』 そこに写る少し伸び始めた髪に、先ほど問われた言葉が脳裏に甦る。 思わず触れた髪は、もうすっかり黒色でそれに慣れてしまってたから、今更染めようなんて思わなかった。何より、色が変われば思い出したくない過去を思い出す。 若気の至りといえば聞こえはいいが、あの頃の自分は今から思えば汚点でしか過ぎない。 会社に入って、いろんなことがあって。 やっと本当の自分に戻れた時、啓輔はもう絶対に過去の過ちを繰り返さないと誓った。 何より、今この場にいない恋人とは絶対に離れたくないから、それを壊すようなことはしたくなかった。あの、外見上は冷静沈着で理路整然とした言葉で相手を翻弄する家城が、その内面はひどく感情的で人恋しく、しかも嫉妬深いと知った時から、それはずっと啓輔の心の中にあったことだ。 だからこそ、からかう敬吾の眼差しや言葉に堪えられる……はずであって。 「何、見てんの?」 「えっ、あ……」 鏡越しに見つめられて、ごくりと息を飲んでしまうのは……もう条件反射に過ぎないと思っているのだが。 くすくすと蠱惑的な笑みとともに離れていく敬吾から結局目が離せなかった啓輔は、大きなため息をわだかまりそうな熱ごと吐き出すしかなかった。 それでも昨夜、家城の嫉妬に満ちた瞳を安心させるように伝えた言葉を忘れない。 「どうして信用してくれないかなあ。緑山さんはいっつも俺をからかってくれるけど、あの人だって恋人いるし。俺だって……純哉のこと……」 何よりも愛しているのだから。 「……仕方がないですね」 そう言って、本当に仕方がないと許してくれた家城に、啓輔はすり寄ってキスをねだる。 膝の上に背を預けて、寝っ転がって、上から降ってくるキスに受け止める。最初は柔らかく、そしてだんだん深く強くなるそれを自ら口を開いて受け入れていた。 「ん……」 それだけの行為で、簡単に火がついた体がその先を求める。手を伸ばして家城の首にその手を搦めて、もっとと引き寄せた。お互いの口から零れる荒い息にすら煽られて、互いの間にある布地すらもどかしいと思う。 家城の唇が頬を伝い首筋を這い上がる。耳朶を甘噛みされて堪えきれなく喉が鳴った。 「啓輔……今日は大人しいんですね」 くつくつと吐息で笑れて、それが耳をくすぐる。それすらもぞくりと肌を粟立たせた。 「別に今日……だけじゃ……っ!」 言われた言葉に反論しようとして、次なる快感にそれが続かない。 家城の手が、いつの間にかシャツの下に潜り込んでいて、啓輔の乳首を摘んでいた。その強弱を心得た動きに、何度も息が詰まる。 もう何度も抱かれた家城には、啓輔の弱いところなどバレまくっていて、あっという間に追いつめられる。 「……でも、罪悪感もあるんでしょう?」 離れた家城が体勢を変えて覆い被さってきて、至近距離で視線を合わせられる。その切なげに揺れる瞳に、胸がきりりと痛みを訴えた。 こんな悲しい顔をさせるつもりはなかったのに。 ただ、欲しいと思ったから家城にキスをねだったのだが、改めて言われるとそれが否定できない。 敬吾に逢うことが、家城への申し訳なさになって、それで大人しく受けようとした。 そう言われてもしようがないくらいの自覚はあったから。だからといって、ここで謝るのも家城を傷つけそうで、啓輔は冗談めかして、にへらっと嗤いかえした。 「何だよ、だったら俺にさせてくれる訳?それならそれで張り切っちゃうんだけどなあ」 そんなことを言うから、殊勝な態度がバカらしくなったと手を家城の太股へと差し入れた。そこを撫で上げて、股間ぎりぎりのところでもう一方の太股へと移る。 「っ……」 小さな声が家城の喉から漏れ、その頬が微かに強張った。 そんな鉄仮面とすら評される表情が崩れる瞬間は、啓輔の欲情を煽って仕方がないもので、啓輔はさらに大胆に手を進めようとした。と、その手が掴まれる。 「駄目ですよ。今日は私の方がたっぷりとしてあげますから」 さっきまでの切なげな瞳はどこに行ったのやら? 敬吾の笑みが小悪魔なら、家城の笑みは魔王のそれだ。狡猾で何もかもを支配しようとする。だが、家城のそれは、その裏に潜むものを知っている啓輔にとって、甘美なものでしかない。 絶対的な威圧感を持って、仕事をこなす家城は、本当は誰よりも人に甘えたがっているのだが、そのやっかいな性格上、それができない。だからこそ、啓輔の存在が家城にとっては必要不可欠で、それを啓輔も感じていた。 そして、啓輔の行為に誰よりも可愛らしい反応を示す家城を知っているから、それを見たいがために今日は素直に従う。 確かに敬吾に揺れ動いてしまう多少の罪悪感はあるとしても、それはほんの僅かなことにしか過ぎなかった。 今は、ただ彼を満足させたかった。その裏には、次にくるいつか家城を抱く日が頭にはあったけれど。 「お手柔らかにな……」 今は笑って返して、啓輔は次を求めて腰をすり寄せる。 「加減は……できませんよ」 苦笑を浮かべた家城の手が啓輔の股間を撫で上げ、それにぞくりと体を震わせる。 「ん……もっと……」 その穏やかにして焦れったさ満載のその愛撫に、啓輔は不服そうに唇を尖らしていた。 言葉の割には優しかったと思う。 朝、ぺちぺちと頬を叩かれて目を覚ました啓輔は、体に残る違和感が酷くないことに気が付いた。 「そろそろ用意しないと……」 しかも、敬吾との約束の時間に遅れないようにと、目覚ましの代わりまでしてくれる。 「ん……」 決して上機嫌ではないけれど。 すっかり整った朝食の用意に視線を移して、決して手抜きではないその量にいつもと変わらない態度を見いだして、再度家城を見やる。 「ほんとに……行って良いのか?」 もしかすると行けないほどに攻められるかもしれないと思っていたのに。 「約束したんでしょう?だったら、約束は守らないと。それに……あなただって、友人……のつきあいというものは大事にしないと……」 「純哉……」 普通の態度を取っているつもりなのだろうけれど、そこはかとなく微妙な違和感が言葉に乗っていることに啓輔は気が付いてしまった。 家城は決して手放しで賛成しているのではないのだ。それでも行かせようとするのは、それだけ啓輔の考えを優先してくれるからで、今はその行為が嬉しくて堪らない。 啓輔は、起きあがりながら傍らの家城の腰をそっと抱き寄せた。 近づくその瞼が閉じられるのを見つめながら、微かにコーヒーの香りのするその唇に口づける。 時に強硬な態度を見せる家城ではあるが、それでも啓輔にとっては可愛いとしか言い様がない恋人なのだから。 「ありがと……。なるべく早く帰るから……」 だからこそ、こんな約束までしてしまう。 「……ゆっくりしてきていいんですよ?」 しかもその返事は想像通りで。 「ん……。でも、俺は純哉と一緒にいたいし」 途端に頬を染める家城に、啓輔はその言葉が決して嘘ではないのだと教えたくて、再度口づけていた。 |