柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊
柊と薊
〜あざみ AI歌 2〜
柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊柊薊

 目の前に座る姿を何とはなく眺め、はたと気付く。
 回りを見れば、相席などしなくても席は空いていた。
 目前に座った男は、食券をウェイトレスに渡すと、頬杖をついて緑山の方に視線を移す。それが緑山の一挙一動を窺っているようで、どこか居心地が悪い。
 見知った顔ではない。
 ぱっと見た目の雰囲気は、ちゃらちゃらした感じがする。だが、決して不快な感じはなかった。それは彼の表情や立ち居振る舞いのせいだろうか?
 僅かに浮かんだ口元の笑みが全体に柔らかな印象を与える。
 整った顔立ちは、テレビでよく見かける誰かと似ていた。
 もてるんだろうなあ……病院には似合わない人だ。
 緑山はコーヒーを一口飲むと、いつまでも彼を見つめているわけにもいかず、ふっと視線を中庭へ向けた。
 眩しいばかりの光が植えられたばかりの立ち木の緑に反射していて、ちらちらと目を射る。それに僅かに目を細めた。
 この季節の緑は好きだった。明るい気分になれる。見ていて気持ちよくなる。
 気怠げな躰のせいか、眠たくなってきた。
 頬杖をついて、ぼおっと外を見ている、と。
「ね、増山先生と知り合い?」
 唐突に相席した男が声をかけてきた。
「え?」
「さっき親しそうに話をしていたからさ、どうなのかなって思ったんだけど」
 にこにこと話しかけられ、なんと答えて良い物か迷ってしまう。
「あの先生って無口だからさ、こんなふうに人と一緒の所見るのって珍しくてさ。それで気になって……いやあ、迷惑かなって思ったんだけど……つい、ね」
「あ、私、今日営業の代理でここに納品に来ただけなんですけど、同僚が先生の友人とかで、それでこちらで食事を一緒にすることになりまして……」
 なんでこんな事喋ってるんだろう、俺は。
 ふと浮かんだ疑問に、思わず口を噤んでしまう。
 まるで誘われるように喋ってしまった。これって営業失格だって穂波さんに怒られてしまう……。
 そこまで考えて、緑山は内心苦笑を浮かべた。
 なんか、俺の思考って、穂波さんに怒られるか、そうでないかに偏っていないか?
 うう、結構あの人に毒されているなあ……。
 黙り込んでしまった緑山に、相手が困ったようにぽりぽりと頭を掻いていた。
「珍しいこともあるなあって思って……あ、気を悪くしたらゴメンね。俺、あの先生の知り合いなんだけど、ほんと、珍しいんだ。あの人が、他人と一緒にいるところを見るのってさ」
 あっけらかんと言われて、緑山も苦笑するしかない。
 と、その頭に持っていっていた手首に湿布が貼られているのに気付いた。
 その白い湿布薬が、増山の言葉を思い出させる。
『友人がね、治療しに来るんです』
 治療って……整形外科の先生だよな、あの人は……。それにこの人、さっき何て言った?
『あの先生の知り合いなんだけど……』
 って……。
「あ、あの……増山先生のご友人が今日治療に来られるって聞いてるんですけど……もしかして?」
 伺うように訪ねると、彼は驚いたように目を見張り、そしてくすくすと笑いだした。
「何だ、聞いてたんだ?あいつってそんな事まで話してるなんて珍しいな……」
 笑っているのに、その視線の強さが気になった。
 気付かれないように、それでも密かにこちらの様子を窺っているように見える。
「あ、名前まだだったね。俺、明石雅人。増山浩二の……友人」
 手を差し出され、緑山は慌ててそれを受けた。
「私は、ジャパングローバルの緑山敬吾と申します」
 そう言うと、明石は何に驚いたのかその目を見開いて緑山を見つめていた。  「ジャパングローバルって……じゃあ、君の同僚って、秀也のこと?」
「笹木のことですね。正確には同僚というか、同じ会社の先輩って言う感じですね。私は工場の人間なので直接の仕事のつき合いはないのですが、今日はちょっとこちらで手が空いてしまいまして、その結果彼のお陰でここに来ているんです」
 というか、来さされた、というか……。
「え、じゃあ、優司と一緒なんだ?」
「優司……って?」
 誰のことを言われたのか判らなかった。
 どうしたんだろう……知っている名前なのに、出てこない。
 少しぼーとした頭を軽く振る。
「あ、ごめん。滝本優司。工場にいるだろ?」
「あ、はい。滝本ですね。すみません、名前だとピンと来なくて……チームは違いますけど同じ開発部です」
「そっかあ、それで浩二が親しくしていたんだね」
 ほっとしたようなその仕草が気になった。
 俺が増山さんと親しくすると気になるなんて、それって……ねえ。
 ちらりと窺うと、なんだかとても嬉しそうにしている。
 これって……こういう感情の表し方って心当たりがあるんだけど。
 緑山は気づかれないように視線をコーヒーに移して、内心の苦笑を押さえる。
 この人達って……そういう関係なんだ。
 さっき、自分のことを友人と言うときに、ちょっとした間があった。
 それもそのせいだと思えば理解できる。
 そっか……。
 それでさっきから気になっていたんだ。
 増山さんと笹木さんじゃなくて、増山さんとこの明石さんっていうのが正解?
 で、この人は、俺と増山さんが親しくしているのを見かけた物だから、思わず話し掛けてきたってことか。
 すうっと息を飲み込む。
 知ってしまうと、なんだか親しみが湧いてきた。
 それでなくても男同士って言う関係を理解して貰える相手はそういない。
 自分からばらす気は無いが、それでもそういう相手と親しくしたいと思ってしまうのは、どうしようもない。
 あと少し普通に話をして、それで……帰ろうかな。
 増山さんも忙しそうだし、この人に断りを入れておけばいいだろう。
 それに。
 さっきから躰が怠いとは思っていたけど……なんとなく本調子でないような気がする。
 食欲は大丈夫だったけど……なんだか、怠いのは気のせいではないな。
 額に手をあてると、手の冷たさが気持ちいいと思ってしまう。
 風邪……でもひいたかな?
「どうかした?」
「え?」
 ふと気が付くと、明石が心配そうに緑山を覗き込んでいた。
「なんだか、顔色悪くない?それもだんだん悪くなっているような気がする」
「いえ、そんなことは……」
 顔色、悪いんだろうか……。
 ここに鏡がないから、自分ではそんなことは判らない。
 でも、彼が嘘を付く理由もないから、本当なのだろうけど。
 少なくとも病院に来る前までは、そんな事無かった。
 だけど、確かにさっきから躰が怠い。食事をとってこの状態というのは、どうしたものだろう。
 疲れるほど仕事はしていないが、寝ころびたいって思うのは、そのせいだろうか?
 明石が随分と心配そうに見ている。
「少し青白い。それにね、君の目がぼんやりとしてきている」
「目?」
「ああ、なんていうのか、緑山さんの第一印象って目だったんだよね。さっきね、偶然視線が合ったときにね、凄く気になった。俺ってそんなに惚れやすい方ではないと……思うんだけど。凄く気になった。だから、話し掛けたのかも知れない」
 ……。
 この人も……。
 なんでだろう。自分としては何もしていないのになぜか皆、目が良いという。
 しかも、そう言ってくるのはなぜか、女性ではなく男ばっかりだったりする。
 ……だから穂波さんが心配するんだよな。
 はあっと息を吐くと、なんだか躰の熱を吐き出したようでちょっとだけ気持ちよかった。
 あれ?
 これって……熱が出たときと同じ……。
「ね、ほんと、大丈夫?」
「……」
 まずいかも知れない。
 これってやっぱり微熱が出たときの症状だ。
 こんな急に熱が出るなんて……。
「あ、の……もしかすると微熱がでているのかも知れません。何か自覚したら急に怠さが増してきて……だから、帰ります。増山先生には、断りを入れて貰えませんか?後でここに来られるそうなので」
「あ、ちょっと待って」
 かけられた言葉に訝しげな視線を送ると、明石が対面から手を伸ばして緑山の額にその掌を押しあてた。
「う〜ん。やっぱ少し熱いような気がする」
 驚いて身を竦める間もなく、その手は離れていった。
「帰れる?ついでにここで診て貰ったら?浩二、整形外科だけど、風邪ぐらいだったら診察してくれるよ。酷いようだったら、内科にまわしてくれるし」
「え、いえ……保険証とか持っていないし」
 そんなもの、家に置いてきている。
 そう言って、首を振ろうとしたその頭をそっと押さえられた。
「え?」
「大丈夫ですよ。熱ですか?」
 随分としっかりとした手が額に押しあてられる。
 先程の明石の細い指をした手とは違う。鍛えられた人の手。
「浩二!」
 明石が驚いたように声をかける。明石側からだと背にしているから気づかなかったのは判るが、緑山自身、掌をあてられるまで全く気づかなかった。
 そんなにもぼーとしているのだろうか?
「あ、あの」
「あるようですね。診ますから、診察室に来られると良いですよ。保険証は後日からでもいいですから」
 その有無を言わせぬ口調には頷くしかない。
「雅人さんは案内してくださいね。先に行って用意しますから」
「ああ。行こう、緑山さん」
 促されて立ち上がると、ふうっと視野が狭くなった。
 あっ、やば。
 僅かにぐらついたところを明石の腕で支えられる。
「なんだか酷そうだよ」
「すみません……」
 立ちくらみ……かよ。
 緑山はくっと唇を噛み締めた。
 こんなにもきているなんて……。
 立ち上がってしまえば、怠さはあるが歩けないほどは悪くなっていない。
 だが、明石がぴったりと寄り添って、心配そうに支えてくれる。
 これって……。
 穂波さんがここにいなくて良かった。
 思わず苦笑を浮かべてしまう。
 でも、まあ、まだこんな事を考えられてるんだから、まだ大丈夫かな。


 体温計を見て驚いた。
「38.4℃……」
 微熱どころじゃない。
「もしかして、熱に強いタイプ?」
 明石がそれを覗き込んで、ぼそりと呟いた。
 そうかも知れない。
 多少の微熱で、寝込むということはなかった。
 躰が怠いことはあっても、気力で乗り切っていたような気がする。
 だが、さすがに38℃を越えると、気力では無理なようだ。
 それに節々もひどく怠い。
「熱の上がりが早いですね。念のため、インフルエンザの検査をしましょうか?」
「すみません……」
 まだ外来受付時間より早い。
 それなのに……。
「どうせ雅人さんを診る予定でしたからいいんですよ。午前中に来るように行っていたの
に、どうしても昼過ぎでないと来れない人ですから」
 恐縮している緑山に、増山は安心させるかのように言った。
「それにあと30分もすれば、外来始まりますしね。その程度の融通は利くんです」
「はあ……」
 促され、診察室の椅子に座る。
 喉の粘膜を擦り取られ、それを検査にまわすために看護婦がぱたぱたと出ていく。
「じゃあ、胸出して」
 胸、ね……。
 何気なく前を広げようとして……はたと手が止まる。
 まずいっ!!
 顔から血の気が音を立てて引いていく。
 見せられない……。
「どうしました?」
 ボタンにかけた手を止めて、俯いて動かない緑山に増山が心配そうに問いかけた。
「いえ……あの……」
 こんな場合、どうすればいいのだろう。
 たとえ医者であっても見られたくなかった。
 その肌には、穂波がつけた痕がまだくっきりと残っているのだから。
「どうしたんだ?気分悪いのか?」
 後から覗き込むようにして明石が声をかける。
 それにも答えられないほど、頭が混乱していた。
 だから、つけるなって言ったのに!
 今ここにいない穂波を罵る。
 程度って物がある。
 あの人は、面白がってつけるんだから!
 あまりのことに、躰の怠さすら吹っ飛んだ気がする。
 だが。
「ね、どうしたのさ……っ!」
 頭の後から覗き込んでいた明石が、はっと気づいたように息を飲んだ。
 あっ……。
 慌てて首筋に手を当てる。
 普通にしてみれば見えないだろう。だが、俯いていた緑山に上から覗き込むようにしていた明石の位置関係だと、それははっきりと見えたのだ。
「もしかして、緑山さんってすっごい情熱的な恋人がいるんだ?」
 感心したかのような声音に、かあっと躰が熱くなる。
「ん、まあ、もてそうだし……俺、外出てるから、終わったら呼んでね」
 背後で、かちゃりとドアが閉まる音がした。
 遠慮してくれたんだ……。
 それにほっとする。
 頭がぼおっとするのは熱のせいだけではないような気がする。
 緑山は大きく息を吐いた。
「気にしないでくださいね、胸の音を聞かせてください」
 静かな声でそう言われて、諦めにも似た心境でワイシャツのボタンを外し始めた。
 日に焼けていない白い肌は熱のせいかさらに白く青ざめていた。だからか、あちこちに広がる濃い朱色の痕がよりいっそう目立つ。それが何であるかは経験のある人ならすぐに判るだろう。
 ましてや医者である相手には、もろバレだ。
 躰は熱から来る寒気に総毛立っているといのに、羞恥から来る熱が顔を火照らす。
 相手の顔を見ていられなくて、緑山はずっと下を向いていた。
 だが、こんな相手には慣れているのか、もともと動じない性格なのか、増山の態度は何ら変わるものではなかった。
 されに幾分ほっとはするが、恥ずかしい事には変わりない。
 どこかぼおっとしている頭の中で、それでも穂波に対しどんな文句を言ってやろうとずっと考えていた。
 つまり現実逃避をしていたのだが、その間に増山が聴診器で緑山の胸の音を聞いていた。
 心臓がどくどくと早鐘のように鳴り響いている。
 それが羞恥のせなのか熱のせいなのかもう訳が判らない状況だ。
 落ち着こうと思うのだが、こればっかりは意志の力でどうにかなるものではない。
 酷い緊張と熱から来る怠さ。
 急激な熱の上昇は、体力を余計に消耗する。
「いいですよ」
 増山の言葉をかけられてもすぐに反応できなかった。
 ワンテンポ遅れて言葉が理解できる。
 のろのろと動かした手に、増山の手が重なった。
「え?」
 訝しげに顔を上げると、目前に増山の顔が来ていた。
「しますよ」
 言葉より先に手が動いていた。
 はだけられたワイシャツの前が合わされ、上から順にボタンをかけるその手の動きをぼうっと見つめる。
「緑山さんは、今日はどうされるんですか?出張中ですよね」
 一番下を止められているときに増山がふっと顔を上げた。同時にかけ終えたボタンから手が離れ、躰を起こして緑山を見遣る。
「今日は泊まり、でしたから……ホテル、取ってます……」
 この熱で……ホテルか……嫌だな。
 酷く心細さを感じた。
 一人暮らしの家で高熱が出ると、やはり酷く心細くなった覚えがある。だからだろうか、少々の熱でも会社に出てしまうのは。
 家でぼーっとするより人のいる会社でぼーっとする方がマシだと思えていたから。
 だが、出張先のホテルと自分の部屋と比べると、やっぱり自分の部屋がいい。
 はああ
 思わずついたため息は躰の熱をほんの少し取り除いてくれるが、不安までもはぬぐい取ってくれなかった。
 いつもなら、こんなな事は思わない……と思いたい。
 だが、気力が萎えてしまうと、どうしても悪い方ばかり頭が向かっているようだ。
「……誰かついてくれる人はいないのでしょうか?」
「え?」
 何を言われたか判らなくて、緑山は熱に潤んだ瞳を増山に向けた。
 途端に、ふっと増山が躰を後に逸らした。
 それはほんの僅かだったけれど、緑山は気づいて訝しげに増山を見返す。
「あの……」
 何か?
 言葉を継ごうとした途端、増山がふっと僅かな笑みを漏らした。
 そして数度頭を振る。
「あなたは……あまり人を見つめない方がいいですね。特にこうやって弱っているときは……」
「は?」
 似たようなことをよく言われているにも関わらず、何を言われたのかよく判らない。
 自嘲めいたその笑みはすでに消えていたけれど、その分酷く真剣な瞳が緑山を捕らえた。
「気づいていないですか?でも、誘われたように感じましたよ。熱で潤んで焦点が合わない瞳のせいか……ひどくね。だから、熱が出ているときは、あなたの恋人以外にはそんな視線を向けない方がいいです」
「あ……」
 それは、たぶん穂波がいつも緑山に言い聞かせている言葉と同意語なのだ。そして、さっき明石にも言われたことと。
「どうして……」
 ふっと口について出た。
「俺は、何にもしてないのに……どうして……」
「何もしなくても人の興味をそそる人っていますよね。それもいろいろありますし、程度の差というものもありますよね。ただ、決して悪い印象ではないと思います。私もそういう精神面の専門でないので、こうだ、とは言い切れませんけど。ただ私にしてみても、最初に緑山さんを見た時、手助けをしたいと思いましたから、ね。」
「う〜ん」
 判ったようで判らない。
 それでなくても熱でぼけた頭で考えられるのではない。
「それでですね。ホテルのチェックインはまだもうちょっと時間あるでしょう。ですから、ここで寝ていてください。この診察室は午後は使いませんし。時間が来たら、雅人さんにホテルに連れて行って貰ってください。彼は、夕方までは暇ですから」
 当然のように言われた言葉を反芻し、慌てて首を振った。
「そんな、迷惑でしょうから」
「今のあなたでしたら、とても一人ではホテルまでたどり着けませんよ」
「でもタクシーで」
「いいですから……そんな熱に潤んだ目でその辺りをうろうろされる方が心配です。こちらはあなたが住んでいる街に比べて、その手の方がずっと多いんですよ」
 し、心配って……。
 子供扱いされているようで、唖然と増山を見遣る緑山に彼はうっすらと微笑んだ。
 しかし、その手の方って……。ようするに、あの時の隅埜君みたいな連中がうろうろといるって言いたい訳なのか?
 ……それはマジでやばいかも。
 増山の言葉どおりだとすると、今の自分は無意識の内に男を誘うような感じらしい。
 今のこの体力と気力でそういう場面になったとしたら、いくら穂波さんに鍛えて貰っていたとしても敵いそうにない。
 緑山は、小さくその熱い吐息を漏らすと、首を上下させた。
「でも、明石さんはいいんですか?用事は?」
「雅人さんは夕方から出勤ですからね。それに暇だとすぐうろうろするんで、ついでに捕まえて置いてくださいね。あれであの人もよく声をかけられるのに、すぐ彷徨くから……」
 その言葉が前半は酷く悪戯っぽく、そして後半はぼやくように聞こえて、目を見張る。
 確かに、あの人ならそういう相手に声をかけられやすそうだ。無造作に纏めている髪を
きちんと整えて、きっちりした格好をすれば、どこぞの有名なタレントとひけを取らない
ように見える。
「ですから、遠慮なく世話させてくださいね」
 にっこりと笑みを浮かべるその顔は、患者を心配する医者の表情で、酷くリラックスするものだった。
 しかし……。
「でも……あのその……ほんとにいいんですか?明石さんに俺なんか世話させて?」
「はい?」
「だって明石さんって……」
 そこまで言いかけて、はっと口を閉じる。
 やっぱり相当熱が高い。今やばいことを言いかけたような気がする。
 明石さんって、先生の恋人でしょう?
 って……。
 緑山は慌てて頭を振って、曖昧な笑みをその口元に浮かべた。
「すみません……俺……頭ぼーっとしていて」
 その言い訳を、増山はふっと首を横に振って制止した。
「構いませんよ。そうですね、雅人さんと私は恋人です」
 その何でもないような言いように、緑山の方が面食らう。
「でもあなただって恋人がいるんでしょう。あなたが雅人さんにちょっかいを出すようには見えませんし」
「そんな、ちょっかいなんて、俺、今の相手で十分ですから!」
 あ!
 声にならない悲鳴とともに、語尾をごくりと飲みこむ。
 あ、ああ!
 駄目だ、歯止めが利かない。
 恐る恐る増山を上目遣いに見ると、小さな笑みがその口元から零れていた。
「ですから、心配なんかしていませんよ。雅人さんだって、あなたにちょっかいを出そうとは思わないでしょうに。あの人もいい加減惚れっぽいところはありますが、ちゃんと言い聞かせておきますので」
 その自信ありげで、しかもどこか何かを企んでいるような悪戯っぽい表情は、誰かを彷彿させる。増山の方が表情の変化ははるかに少ない。
 なのに似ていると思ってしまった。
 そう……今頃、事務所でふんぞり返って、緑山の上司の恋人を嫌みのようにこき使っている穂波さんと。
 出張前に彼は緑山に言ったのだ。
 退屈だから、滝本でもからかってこき使ってやろう、と。
 自分が恋人と逢えないからと、人の恋路を平気で邪魔するような人なのだ。
 それを聞いた途端、そちらの滝本には幾ばくかの同情は湧いたが、上司たる篠山には自
業自得という言葉が浮かんだのは今でも覚えている。
 この出張、本来篠山が行くべきものだったのだ。
 それを体よく緑山に押しつけたあげく、金曜日のデートコースにどこかいい所はないか?っと嬉々とした表情で言ったモノだった。
 別にその件を穂波にばらした訳ではないが、穂波を止める気もなかった。
 その穂波とこの増山は一見どこも似ていない。
 性格だって全く違うだろう。
 なのに何故、似ていると思ってしまったのか?
「さあ、ベッドで休んでいてください。少し眠ると楽になりますよ」
 増山に促されるまま、診療用のベッドに横たわる。
 掛けられた毛布が少しでも寒気をしのいでくれそうでそれを肩まで引っ張った。


「……緑山さん」
 躰を揺すられ、目を開けた緑山はそのぼんやりとした目で声をかけた相手を捜した。 
 暗い。
 薄闇に包まれた部屋は無機質で、人のいない冷たさがあった。
「緑山さん、気付いた?」
 再度した声が頭の上からだとようやく気付いた緑山は頭を上げ視線を廻らした。
「……明石、さん?」
 僅かな逡巡の後、緑山はようやく口を開いた。
 どこかぼんやりとした頭は、彼の顔と名前を結びつけさせるのに時間がかかったのだ。
「起きた?そろそろホテルに行かない?」
 その手がそっと緑山の額にかかった前髪を掻き上げた。
 その言葉に緑山はようやく眠る前の出来事を思い出した。
 そっか、明石さんが送ってくれるっていう話になったんだっけ……。
 他にも何か話をしたような気がする。
 だが、まだ熱が高いのか、今ひとつ意識がはっきりしない。
「起きられる?玄関前にタクシー乗り場があるから、そこから行こう。あ、秀也に連絡を取ったから、荷物は会社が終わったら持ってきてくれるって」
 荷物?
 回らない頭は、簡単な単語ですら認識するのに時間がかかった。
 訳も判らないままに頷く。
「……増山さんは?」
「病棟の方に行くって言ってた。浩二も今日は早く帰れるから、後で見に行くって言っていたし……。あ、薬預かってるからね」
「すみません……」
 何だか迷惑かけっぱなし……。
 緑山は手をついて、躰を起こそうとした。
 途端に、ふうっと視野が狭くなる。
 ぐらりとした躰は倒れる寸前で明石によって支えられた。
「大丈夫?さ、俺に掴まって」
 迷惑をかけているとは思うが、何せ躰も頭もまともに動かない。
 節々が痛み、動くのも酷く億劫だった。
 支えられ、のろのろと歩く緑山にあわせて、明石もゆっくりと歩いてくれる。
 その明石の肩の所に緑山の頭があった。
 背、高いんだな……それにすらりとして、凄い均等が取れている……なんか、うらやましいな。
 そんな事を思っていると、人が多くなったのに気がついた。
 外来受付は、済んだ人やこれからの人、薬局への申請者等でごった返していた。その中を縫うように歩いていく。
 と、時折、すれ違う若い女性が振り返るのに気がついた。
 はっと目を見開き、それからまじまじとこちらを見つめる。
 それに気付いて、ぼんやりとした目で辺りを窺うと、どうも女性達の視線を浴びているような気がする。
 原因は彼なんだろう。
 心配そうに、緑山の顔を覗き込む彼は、とても優しげで、そんな顔を女性に向ければ一発で悩殺できるだろう。
 こそこそとこちらに視線を向けながら内緒話をしている女性達もいる。
 病人だろうが……。
 思わずそんな事を言いそうになるほど、彼女らは元気で、微かに黄色い悲鳴すら聞こえた。
「何なんだ……」
 雅人に対する視線とは言え、すぐ隣でひっついているから自分にも視線が来ているような気がして妙に恥ずかしくいたたまれない。
「参ったな……」
 ぼそりと呟く声に顔を上げると、雅人が苦虫を噛み潰したように口元を歪めていた。その眉間に皺が寄っている。
 どうしたんだろう?
「明石さん?」
 訝しげな緑山の声に、はっとしたように雅人がその表情を崩した。
「いや、何でもないんだ。行こう」
 僅かにその足が速くなる。
 緑山もいたたまれなさも手伝って、怠い足を無理に動かしてついていった。


 ほっと一息をつけたのは、タクシーに乗ってからだった。
 タクシーの運転手に明石が行き先を告げる。
 ホテル名を言った覚えはないな〜
 と、思いつつ、それでもぼうっとしていると、その視線に気がついたのか明石がくすりと笑う。
「秀也と連絡取ったとき、ホテルとかその辺りの事情、だいたい聞いたから。明日もなんかお客さんから連絡があってキャンセルになったから心おきなくゆっくりとしてくれって、これ秀也からの伝言だよ」
「あ、ああ、そうですか」
 忘れていた。
 明日のお客さんにもう一回電話する予定だったんだ……。
 まずいとは思ったが、だからと言って今の状況で電話をしても要領の得ない物でしかないだろう。それにそういう伝言があったと言うことは、すでに決着がついている筈で、その内容を知らない以上、うかつに電話すると、つじつまが合わなくなる。
 タクシーが大きな道には行った途端、渋滞にかかって動きが遅くなる。
 ゆっくりと動く周りの景色をぼうっと見ていると、明石が声をかけてきた。
「それにしてもさっきは困ったね」
 微かな吐息とともにもたらされた明石の言葉は、苦笑を伴っている。
「何?」
「最近の女の子達って、男同士って言うのに妙な興味があるらしくってさ。さっき俺達そういう目で見られたんだよ。気付いていなかった?」
 へ……。
 そうだったのか?
 あれって明石さんを見ていたんじゃないのか?
「あ、あの……それって」
「そ、俺と緑山さん。俺ってどうも男の人といるとそう思われちゃうんだよね」
「そう、なんですか?」
「それをさ、浩二の奴、俺が惚れっぽいって怒るんだから、たまったもんじゃないよ。俺はそんなつもりないって言うのにさ」
「そういえば、増山さんがそう言って……」
 ぽつりと呟いた言葉は、口に出して言うはずはなかったもの。
 慌てて口を閉じたが、それは十分明石にも伝わったようだ。
「やっぱり言ったか。さっきそんな事言われたんだよなあ。俺ってそんなに信用ないんだろうか……」
 はあっとため息をついた明石が、ふっとその視線を緑山に向けた。
「まあ、こうして見ていても緑山さんってなんだか色っぽいよね。熱のせいか目が潤んでいるし、凄い色気があるんだよな。可愛いし」
 くすくすと笑いながら言う。
 それって……口説き文句みたいだ。
 緑山はふっと明石から視線を外した。
 惚れっぽいって言われるの判るような気がする。さっき逢ったばかりの相手にそんな事言うのか、この人は……。
 他意は無いのかも知れない。
 だが、もし元気な時にそんな事を言われたら……それこそナンパとしか思えない。  肩にまわされた腕に力を込められ、ぐいっと明石の方に引き寄せられた。
 ふらつく躰を支えられただけだとは思うのだが、その温もりにどきっとした。
 それでなくても熱い躰がさらに熱が上がったような気がする。
 怠い躰のせいで半身を明石に預けるようにシートに座っている。
 それがひどく心地よい。
 車の振動と明石から伝わる温もりが、頭をぼうっとさせてきた。
「眠そうだね、着いたら起こすから寝てていいよ」
 耳に入るその声も優しいから余計に眠りを誘う。
 眠い……。
 肩にまわされた手が頭にまわされ、肩に押し付ける。
 それは幼い子供にするような感じだったから、はっと躰を起こそうとした。
「いいからさ、この方が楽だろ」
 が、そう言った明石の柔らかな笑みが目にはいると、緑山の躰から自然に力が抜けた。
 確かに、躰を起こしてきちんと座ることすらすでに苦痛だったから、躰がそれを求めて
いたのだ。
「すみません……」
 小さな声で呟くと、明石の手が安心させるようにとんとんと軽く肩を叩く。
 その一定のリズムに誘われるように、すうっと意識が遠のいた。


 がくんと躰が揺れた。
 そのショックでふっと現実世界に引き戻された。
「あ、起きた?」
 その声が誰かと認識すると同時に、慌てて躰を起こした。
 明石の肩に頭を預けて眠り込んでいたのだ。
「すみません……」
「いいって。それよりもう着くよ」
 指さされた所に、見慣れたホテルの外壁があった。
 東京に来るときはよく利用しているホテルだ。
 旅先での病気で心細さはあるものの、とりあえず横になって寝られる。

 ホテルでの手続きは全て明石がしてくれた。
 部屋のキーを受け取り、部屋に入ると、着替える気力もなくベッドに倒れ込む。
「ほら、服脱がないと皺になるよ」
「すみません……」
 声だけは申し訳なさそうに出るのだが、いかんせん躰が動かない。
 横になった途端、筋肉が動くのを放置したようだ。
 それでも、なんとか明石の助けを借りて起きあがると、緑山はスーツを脱いだ。
 熱が下がれば速攻で帰りたいから、皺にするわけにはいかなかった。
 スーツの上下にワイシャツまで一気に脱ぐ。と、あれだけ緑山自身が隠したがっていたキスマークがその白い肌と共に露わになる。
 だが緑山自身は、その瞬間はそんなことを完全に忘れていたのだ。
 困ったように明石が視線を逸らしたのに気付いた。
 何……しまった!
 はっと気付いた緑山は、慌てて差し出された浴衣を羽織った。
 それこそ太股の内側までついているその朱色は、部屋の灯りでも十分目につくものだ。
 ああ……もう……。
 一気に残っていた体力が減っていく。
 だが、まだやることは残っていた。
「ありがとうございます。今日は大変お世話になって……」
 いつまでも彼の世話になり続けるわけにはいかない。
 もう引き取って貰わないと……。
「別にいいって、それより寝てて。なんか食べるもの買ってくるから」
 その言葉にはっと顔を上げる。
 まだ、世話をしてくれるというのか?
 それはあまりにも申し訳ない。
「いえ、後は自分でなんとかしますので、明石さんは今夜仕事があるって言われてましたよね。ほら、支度とか……」
 だが、明石はくすりと笑うと、緑山の腕を引っ張ってベッドへと向かわせた。
 力の入らない躰はなすがままで、すとんとベッドに腰掛けてしまう。
 見上げた先で、明石が緑山の顔を覗き込んでいた。
「そんな状態だと買い物なんかいけないだろ。ここまで付き合ったんだから最後まできちんとやるよ。それにこんな状態の緑山さんをほっといた、なんて浩二にばれたら怒られてしまう……浩二は怒ると恐いんだ……」
 苦笑を浮かべ肩を竦める明石にそこまで言われると、緑山は返す言葉を失ってしまう。
「でも……」
「仕事の事は大丈夫。こっからだとそんなに遠くないし……店で準備するからこの格好のままでもOKなの」
「店?」
 問いかけた言葉はなぜかするりとかわされた。だが、それを気にする間もなく、明石が、これが肝心、とばかりに語気を強める。
「それにさ、何か食べないと薬も飲めないだろ」
「はあ」
 気のない返事は、食欲のなさからきたものだった。
 何も食べたくない……。
 だが、確かに何かを胃に入れないと薬は飲めない。空きっ腹に薬を飲むような冒険はしたくなかった。
 仕方なく、緑山は明石に向かって頷いた。
 

 明石がかいがいしく世話をしてくれる。それがとても申し訳なくて、緑山は何度も帰って貰うよう促すのだが、明石は約束だからといつまでも帰ろうとしない。
 窓の外は、完全に日が落ちている。なのに、明石はまだここにいる。
「明石さん……仕事は?」
「う〜ん、今日はもう休もうかなあ……」
 なんて言うものだから、気になってしようがない。
 だが、それを緑山自身もありがたいと思っている。
 節々が痛くて、怠くて、動くのも億劫なこの躰。熱のせいか妙に気弱だとは自覚はしている。だからといって、それが変だとは思わない。
 それでも……やっぱり。
 ふうっと熱い息を吐くと、緑山は明石を見上げた。
「そんな、俺のせいでなんて……困ります」
 顔を歪ませ見つめると、明石が困ったように自分の前髪に手を入れて掻き上げた。
「だから、そんな顔しないでよ」
 苦笑混じりにそう言われてしまい、緑山も困ったように力無く笑みを浮かべた。
 と。
「ほんと……放っとけない……。君の恋人って大変なんだろうな。俺が緑山さんの恋人だったら、閉じこめておきたいな。だって、すっごく心配になるよ。……ひどく、色っぽい……」
 明石の頭にあった手が、降りてきて緑山の頬に触れた。
 あ……。
 触れられた部分から甘い疼きが全身へと広がる。
 思わず布団の縁を握りしめた。
 何……これ?
 ぼおっとした頭でも、自分が感じてしまったことくらい気付いていた。
 だが信じられない。
 そんな筈はなかった。
 そういう意図を持って触られることを……緑山にとってそれは過去の出来事を思い出させ、その結果穂波以外に触れられることは嫌悪でしかないはずなのに。
 頬に触れられたままの明石の手が、すすっとそのラインを辿り、顎に触れた。
「あ、明石さん……」
 なんでだろう……躰が動かない……。
 されるがままで、じっと明石を見つめるしかない。ただ、ぎゅっと握りしめた拳がわず
かに震えていた。
 明石の目がすうっと細められた。
 と。
「……ごめん……」
 苦しげに囁かれた言葉が耳に入った途端、無理矢理のように引き剥がされた手が離れていくのを、緑山はその視線で追いかけていた。
「やば……」
 そんな言葉が漏れ聞こえた。
 な……に……?
 ベッドについた腕に力を込め、半身を持ち上げる。
 その視線の先にいる明石を捕らえる。
「な、んで……?」
「緑山さんこそ……」
 窓際に立ち窓の外の夜景を眺める明石の表情は判らない。
 自分が何をされそうになったかくらい、緑山には判っていた。
 そして、それに逆らおうとしなかったことも……。
「……これだから、浩司に怒られるんだよな……」
 苦笑混じりのその言葉は、緑山に向かってというより自分自身に言っているようだった。
 それを聞いた緑山はただ黙って俯くだけだ。
 あれだけいろいろ言われていた。
 自分がそういう相手を誘いやすいのだと……今日逢ったばかりのこの二人にも言われて
いたのに……。
 だけど、どうして逃げなかったのか?
 あの手が、そういう意図を持っているというくらい、いくら熱でぼおっとしていも判っていたというのに……。
 それより何より、どうして抗う気になれなかったのか?
「……もうしないよ」
 明石がくすりと吐息と共に漏らし、言う。
「こんなこと言える立場じゃないけどさ……内緒にしといてくれると嬉しいな」
「……ええ」
 別に頼まれなくても、自分から言いふらすなんてできない。
 こんな事、穂波さんにばれたら……。幾ら未遂とはいえ……油断していたのには違いない。ましてや、逆らわなかったなんてばれた日には……。
 ぞくりと走る寒気は、熱のせいだけではない。
「よかった……」
 明石も心底ほっとしたため息をつく。
「浩司……に、こんなことばれたら……」
 よっぽど恐いのだろうか?
 明石がこつんとその額を窓に当てて考え込んでいる。
「明石さん、帰っていいですよ」
 ここにいればいるほど迷惑をかけるような気がする。自分で誘っているつもりはなくて
も、そういうふうにとられるのが自分なんだ。
 だからそう言ったのだが、明石はふっと顔をこちらに向けると苦笑しつつも首を振った。
「秀也が来るまではいるよ。それが浩司との約束だから……もう何もしないから、安心して寝てて」
 どう足掻いても帰るつもりはないようだ。
 笹木が来るまでとはいうが、いつくるのか?それでなくても欠勤者の多い営業部。そう簡単に帰れる物ではないし……。
 それに……なんだか自分が判らない。
 なんで逆らわなかったんだろう……。
 あの時以来……穂波さん以外に触れられることは嫌悪でしかないのに……
 あんな風に触れられて……感じるなんて……。
 ああ、もうっ!
 絶対熱のせいだよな、これ。
 きっと……きっと、そうだ……。
 緑山は、ぐいっと掛けを引っ張り上げ、顔を隠した。
 きっと青ざめていた顔が赤くなっているだろうから、隠したくて……。
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