TWINS  ビルのお話のプロローグ – 2006-06-04 – リオチームの双子の兄弟 ビルとボブ。性格が正反対のこの二人のお話。一応ノーマルのお話。?
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 オリンポス星系所属 第二艦隊派遣の工作艦カベイロスのテラス。天井は常に宙(そら)の様子を映す喫茶コーナーでもあるここは、総勢750人の乗員達の憩いの場だ。
 まだ朝の早い時間、リオ・チームの主要メンバーの一人であるビルは不機嫌も露わにそこを訪れた。
 最奥にある柔らかなソファに体を沈める。傍らに寄ってきたオーダー・ロボットにコーヒーを頼み、小さく息を吐いて天井を見上げた。少し長目の金色の前髪が視界を遮るのを鬱陶しそうに掻き上げつつ、その碧玉色の瞳が映すのは、宙に幾多も浮かぶ光の点。
 望んで配属されて2年もの時が過ぎ、慣れてしまうととにかく働きがいのある職場だった。破天荒で何かと退屈させてくれない上官にも恵まれ、しかも働くことが苦ではないビルだから、常であれば不機嫌になるような要因などない。
 だが今、ビルは額に深くシワを刻み、恨みでも込めているかのように呟く言葉は低く響く。
 常に知的さと冷静さを漂わせ、秘かに女性ファンの多いビルの珍しい態度に、憩いの時を過ごそうとしてやってきた乗員達は、皆そそくさと逃げ出す始末だ。ビルにはそれが判ってはいても、だからと言って己の態度を改めようとする気はなかった。
 今は何もかもが鬱陶しい。
 ビル自身の体調が、実はとてもすっきりと快調なのも腹立たしい要因の一つで、それに考えが至ると、ますます眉間のシワは深くなる。
 そこまでビルを悩ませる元凶は、実はビルの双子の弟にあった。
 彼らが双子であることはその容姿からして一目瞭然なのだが、だが改めて双子だというと、皆一様に驚く。
 知的派という言葉が似合うビルと行動派という言葉が似合うボブ。
 感情表現ですら静かだと言われるビルからすれば、ボブの豪快で無節操さはとうてい同じ遺伝子を持つとは思えない。
 そう……あいつは無節操なんだ……。
 そこが一番の原因だと、結局はそこに行き着いてしまう。
 と、部屋の片隅で、ビルの存在に気付かない女性の一群が賑やかな声を響かせた。
 何に興奮しているのか、嬌声に近いそれが、明け方までビルを翻弄した事柄を思い起こさせる。
 コーヒーでも飲めば落ち着くかとここに来たのは失敗だったかと、それすら悔いるはめに陥り、ビルは一気にコーヒーを飲み干した。
 それならば仕事場であるチームの司令部にこもればいいのだが、そこにはビルの不機嫌の元凶がいる筈で、なかなか足が向かおうとしない。
 そんなことを考えて元凶の顔が脳裏に浮かんだ途端、ビルの機嫌はさらに悪くなってしまった。

 それでも、時は経ってしまう。
 強張って張り付いたようなシワを意識的に緩めて、ビルは司令部のドアをくぐった。
「おはようございます」
「おはようございます」
 昼夜の区別は時計でしか判り得ない艦内において、それでも時間通りの挨拶を交わす。
 不機嫌さを押し隠しているビルに気付かず、リオ付きの副官ダテが小さく笑って頭を下げた。
 チームの司令官であるリオが階級で呼び合うことを嫌うので、ここではいつもコールネームを使う。と言っても基本的に名前か愛称であるからそう違和感はなかった。
 そのダテと親しく会話をしているのは、この司令部付きでは一番年下で階級も低いキイチだが。
「あ、おはようこざいます」
 何を夢中になっていたのか、勘の鋭さではトップクラスのキイチには珍しくワンテンポ遅れた。それに気付かない振りをする。
 気付きたくもなかった。
 だからビルは、部屋に入った時からの違和感の原因をダテに問うた。
「リオはまだ?」
 どこにいても目立つ指令官がいない。
「はい。今日は、司令官級会議があります」
「あ、ああ、そうか」
 言われてビルは頷き、その口元を歪めた。
 我慢のきかないリオは、司令官会議の度にいろんなもめ事を持って帰ってくる。それに気付いたダテもまた肩を竦める。
 また忙しくなるなとは思うが、今のビルにはそれより先に気になることがあった。問わずにおこうとしたが、結局聞いてしまうのは性なのだろうか。
「ボブは?」
 何の因果か配属先まで同じ弟を捜す。ふつふつと心の奥深くで煮えたぎる怒りに一言文句を言わなければやっていられない状態なのだ。
「……ボブは……まだです」
 ため息混じりの少し高いキイチの声が背から聞こえ、ビルはやはりと小さく息を吐いた。
 キイチが夢中になる唯一の事柄が直属の上官たるボブの行動と言えよう。
 不真面目を絵に描いたような上官に仕事をさせるために、キイチは司令部詰めになっていると言っても過言ではない。
 そのキイチを見れば、ボブがさぼりを決め込んでいるのは想像できたというのに。それでも振り返る頃には、ビルはいつものように口元を引き締める。
「またですか?」
「はい」
 その端的な返事に隠された事柄は、さらにビルを不快にさせた。
 ボブが何故さぼっているのか?
 その原因は、この場にいる者なら誰でも知っている。
「いつからですか?」
「昨夜、勤務が終わった途端に」
 悔しそうに答えるキイチがその瞳を壁に向ける。位置的に、『繁華街』と呼ばれるバーがあるところだ。
「そうですか」
 ならば、やはりあれは現実のものだったのだと、ビルはきつく奥歯を噛みしめた。
 どんなに不快に思っているか、何度ボブに言っても彼は止めようとしない。
 まったく……。
 らしくないため息が零れてしまう。
「ビル?」
 さすがにそれを見咎めて、ダテが目を丸くした。
「何でもありません。それより今日の予定は?」
 これ以上勘ぐられたくないビルが、さりげなく会話の流れを変えた。
 それに反応して操作を始めたダテの後で、ビルは誰にも気付かれないように目を細めた。
 どうしてくれよう?
 と、今ここにいない男に思いを馳せる。
 表面上は微笑みにしか見えないその口元は、実は怒りを内包して微かに震えていた。
 不機嫌な理由を言葉にするのは難しい。
 まして、その内容が内容であるが故に、ビルは他人にはそのことを一言も漏らしたことはなかった。
 だが、ボブは他人ではない。もう一方の当事者だ。
「ボブ」
 ようやく捕まえたボブを、ビルは有無を言わせずに誰も来ない部屋へと連れ込んだ。
「何だよ?」
 目前でふてくれた顔が上目遣いに睨んでくる。
 光を反射しやすい金色の髪が、ボブが動くたびにきらめく。睨む碧玉の瞳が映しているのは、同じく金色の髪だ。
 ボブが真面目だったらビルと区別がつかないと、言われ続けてはや10年以上。ボブのふざけた性格が顔に出て、決して見間違われることはない。
 そのボブが怒っている。だが、ビルとて怒っているのだ。だから左腕でボブの右腕を掴む。
「ちっ」
 舌打ちし、掴んだ腕を振り払おうとするボブが嫌そうに顔を顰めた。
「何が言いたいか判るだろう?」
 歪んだ口元が問う。
「ああ……」
 口惜しそうにボブも答える。触れあった肌からそれがビルに伝わった。
「”また”かよ」
「ああ、”また”だ」
 二人の口から同時に深いため息が漏れた。
 生まれた時、二人は一人だった。
 ビルの左腕とボブの右腕は肩胛骨こそそれぞれにあったが、そこから先の腕はなかった。肩の先にあるのは互いの肩だったという。
 命に関わる器官の共用はなかったから、再生技術を活用してそれぞれの腕が作られ、二人の体は今は何の不自由もなく存在する。
 だが、もともと一つであったせいだろうか?
 無かったはずのビルの左腕とボブの右腕が触れ合うと、お互いの思考が相手に伝わってしまう。最も、それが二人にとって自然であったから、それに関しては何の問題はなかった。もともと表層意識しか伝わらなかったし、知られたくなかったら心を閉じるか、触れあわなければいいことだからだ。
 ところが長じて、二人はある事に気がついた。
 触れあっていなくても、相手が何をしているのか判ることがあるのだ。
 その距離は短いとは言え、まるで自分がそこにいるかのように感覚だけが体験してしまう。
 それでも自覚さえしてしまえば、苦労はしたけれどコントロール化に置いたはずだった。
 が、起きている間はきちんとコントロールできるそれは、睡眠を取っている間に希ではあるが暴走してしまう。しかも、それはたいていボブの体験がビルに伝わってしまうという一方通行で行われるのだ。
 今回がそうだ。
 目覚めたときには、それはまず夢だと感じる。
 だが体に残る倦怠感とある意味爽快感とよべる物に、ビルは否応なしにそれが夢でないと気付かさてしまう。
 いや、夢でもある。だが、夢ではない。
 柔らかな女性の体に掌が触れる触感も、肌から立ち上る汗の匂いも、柔らかな内部に包まれる快感も全て現実のものと何ら変わりはない。感じたままに体が興奮し、吐き出す精だけがビルにとっては現実だというのに。
 睡眠中のシンクロはボブが行った性行為のすべてをビルに伝えて、ビルは抱いたこともない女性を抱いた記憶を持ってしまう。
 いろいろと問題のあるボブの性格のうち、不特定多数の女性と付き合うその無節操だけはどうにかしたいと願うのをビルは止められなかった。
 一体、何人の女性を抱いてしまったのだろう?
 相手は何も知らないのに、ビルは彼女たちのあられもない姿を知っているのだ。感情表現がそれほど豊かでないビルでも、さすがにしばらくはその女性と逢うとそのシーンを思い浮かべてしまい、赤面しそうになる。
 それにボブが吐精した後にシンクロは解けてしまう。
 その直後にビルは意識を取り戻し、激しい自己嫌悪に陥るのもいつものことだ。
 情けない、と何度思ったことだろう。夜中に濡れた下着の感触で目覚めるということは。
 シンクロしているのだと気付く前は、自分が異常ではないかと思うことすらあった。
 一度も女性を抱いたことがないというのに、夢に出てくるリアルさは悪友達に無理矢理つきあわされて見てしまったアダルトビデオ以上だった。
 しかも普段はどんな女性を見ても、抱きたいなどとは思わないというのに。
 これでは、俗に言うむっつりスケベという類ではないかと、真面目に落ち込んでしまったこともあった。
 だからその原因がボブであると知った時には、本気で彼の息の根を止めてやろうかと思ったくらいだ。さすがにそれは無理だとしても、大けがでも負わせてベッドに括り付けるのも良いかもしれないとすら思う。
 それから幾星霜、理由を話して何度ボブに女遊びを止めるように言ってみたものの、それは決してやまることはなかった。
「お前……いい加減その無節操な生活を改めろ」
 普段から丁寧なはずのビルの言葉遣いが荒くなる。そうなってしまうただ一人の相手が子供のように唇を尖らしてふてくされた。
「俺はお前みたいに聖人君子じゃないからね」
 何が聖人君子だと、ビルはこめかみが痛むのを指で押さえた。
 誰のせいだと思っているのか?
 ビルが女性に興味がないのは、シンクロによって否応なく与えられた体験によってだ。それで満足してしまった体は、あえて相手を欲しようとしない。
「私は普通だ。お前がケダモノすぎるんだ」
「何がケダモノだ」
「ケダモノだろうが!」
 苛々と吐き捨てれば、ボブが眉間のシワを深くして唸る。
「だいたい、お前だって気持ちいいんだろ?肉体労働抜きで、女を味わえるんだぜ?」
 その右手が、ビルの左腕に触れる。
 羨ましい限りだ。
 突然飛んできた揶揄を多分に含む感情に、ビルの頭に血が上った。吊り上がった眼がボブを見据える。
 静かだと評される性格は所詮外面でしかない。
「私は、女なんか欲しくないっ!」
 思わず叫んでいた。
「んじゃ、男がいいのか?」
「そんなものいらんっ!」
 同性という偏見は、このオリンポスでは少ない。
 だが、自分がそうなるかと言えばそれは別物だ。
「やっぱ聖人君子だよな……お前、どうやって処理してんの?」
 不思議そうに問われ、ビルはがくりと肩を落とした。
「判らないのか?」
「判らん」
 力ない言葉はきっぱりと返される。
 どうして、同じ遺伝子を持っているというのに、考え方が違っているのだろう?
「お前とシンクロするせいで……間に合ってるんだ……」
 言いたくもないことを口にする。
「なら、いいじゃねーか」
 それのどこが不満なのだと、結局は元のところに戻ってしまうボブとの会話に、ビルはただ反論の言葉を失う。
 毎度繰り返されるこの手の会話は、どんどん不毛なものになっていき、続けることが困難になってしまう。
「ボブ……」
 だから、と、ビルは一縷の望みをかけて請う。
「せめて、相手を一人に絞れ」
「え?、面白くない」
 やっぱり殺してやりたくなる。
 込み上げる怒りそのままに、ビルは握りしめた拳を思いっきりポフの腹に叩き込んだ。
 コントロールできるはずのシンクロが暴走する原因は、片方に意識が無いことだが、それともう一つ感情の昂揚によるものがある。
 急所に入って朦朧としてしまったボブの心が、今怒りに我を忘れてしまったビルとシンクロしてしまう。
 自分で自分を本気で殴ることができないのは痛みに恐怖を覚えるからだ。だからビルはどんなにボブに怒りを覚えても、彼を殴ることはできない。
 それを忘れれば……。
 のたうち回るボブの傍らにビルは腹を抱えてがくりと膝をついた。
 きりきりと腹から伝わる痛みはボブと同じもの。
 しまった、と悔いてももう遅い。
 込みあげる吐き気を必死で堪えながら、ビルは荒い息を必死で整えようとしていた。
 シンクロしないようにするには、もう一つ手段がある。それは、ある一定以上の距離を置くことだ。
 しかし、狭い艦内、端と端にいたとしても有効範囲であることは確認している。
 だから、ここにいる以上ビルには逃げ場はなかった。
 結局、ボブの意識矯正が先だと言うことになるのだが、それはまた夢のような話だと思う。
 視界の中でビルのものと同じ顔が苦悶に歪む。
 その様をビルは、鏡を見ているようだと溜息をつきながら見つめていた。
 

【了】