【水砂 虜囚】(2)

【水砂 虜囚】(2)

 周りがうるさかった。
 体は身動ぎ一つできないほど強張っていて、頭には脳の代わりに綿でも詰まっているのではないかと思うほどに働かない。それなのに、意識だけは急速に醒めていく。
 冷たくて、暗くて、寂しくて、ああ、いつもの夢を見たんだ、と思って。
 けれど、周りの喧噪は、先より激しく、地響きまで伝わってきて、ふっと現実へと呼び戻された途端に、全てを忘れた。
 その代わりに。
「うっ……」
 身体のあちこちに走る鈍い痛みに、喉の奥で呻きながら、重い瞼を上げた。
 はっきりしない視界の中で、どこか薄暗い空間が映る。岩壁と、天井も岩。岩に囲まれた空間は、広いけれど圧迫感がある。そんな空間のそこかしこに酒瓶やら食べ物の残骸が転がっていた。
 どうしてこんなところに……。
 全身が重く身動ぎができない理由も判らないままに、首だけがかくかくと動いた。
 広くて、狭い。
 閉ざされた空間故にそう思うのだと気が付いた矢先に、視線の先にだらりと白い手足を伸ばして倒れ伏している人影を見つけた。
 丸みのある身体は、女のモノだ。全裸で縛られ、尻だけを高く固定されていてその股間からだらだらと流れる液体は白色だけではなかった。さらに近くには、M字に開脚して縛られて、中心でだらりとペニスを垂らしたまま、放置されている男もいた。上から下まで、ねっとりとした液体覆われて、虚ろな瞳で呻いている。
「……ここは……ケホッ」
 喉が音を出そうとして、口の中の残滓がひっかかって咳き込んだ。吐き出した唾液が白い。馴染んだ苦い味に顔を顰める。咳き込めばさらに痛みが加わり、ミズサは何度も呻いた。
 数度瞬き、朦朧とした頭を振る。
 地面のゴツゴツした感触に鋭い痛みが走り、徐々に頭がはっきりしてきた。動かない腕を無理に捻ろうとして、ギシッと縄が軋む。
 一体どのくらいの間嬲られていたのか、口が麻痺したようにうまく動かない。アナルもいまだ何かを銜え込んでいるような感触が残っていた。
 腹が重いのは、まだ中に残っているからか。
 下すことのない腹は苦しまなくて良い分、自分で出さない限り、いつまでも中にあの汚濁が残ってしまう。
 自分が縛られている理由も、体が重い理由も、目の前に見える彼らがなぜあんな状態なのかも理解してしまう。
 そして気付く。
「……いない?」
 辺りを見渡しても、見える範囲に奴隷商達の姿はない。
 けれど、地面が震動していた。
 耳を澄ませば、その中に伝わるのは、怒声のような悲鳴のような言葉では無い音だ。
 この広間の出入り口の方から響くそれらが、ただならぬものだと気付く頃には、刃を交える金属音すらしてきていた。
「……やっと……」
 呟いて、ミズサの口角が上がった。僅かな笑みはぎこちなく、けれど、その表情は満足げだ。
 ズンっと大きな地響きが鳴って、ぱらぱらと土塊が落ちてきた。
 ──この辺りは洞窟が多いせいで亀裂も多い。封じる場所は慎重に選ぶ必要がある。
 爆発物の扱いが得意なのは誰だっけ?
 働かない脳がそれでも浮かべたのは、つい先日別れたばかりの顔ぶれの一人。まだ数日も経っていないのに、ひどく懐かしく思い出す。
「せ、いこ……したのかな……」
 皆で辿り着いた近くの街から、脱走という形で抜け出したミズサには、レイメイの命によりダマスからある役割が課せられていたのだ。
 奴隷商達の気を引いて、隙をつくること。
 できるだけ大勢の者達を一カ所に集めること。
 そのための餌としてミズサは選抜された。誰よりも、何よりも餌に適した素材として、これ以上の適役はないだろう。
 その他大勢の攫ってきた者達より、たった一人の純血の奴隷であるミズサの方が価値は高い。それに、ミズサの身体はそれだけで媚薬のようなものだ。男達はミズサを犯したくて堪らなくなり、犯し始めれば休憩など考えられないほどに溺れてしまうのは、ダマス達が身をもって経験していた。
 課せられた命令は過酷なモノだと言えた。今回の奴隷商人は、彼らが商品で遊ぶことは判っていたからだ。だからこその作戦であって、だからこそ、ミズサはここに来た。
 どちらかと言えば、ダマスの方が躊躇ったと言えよう。
 それでもミズサは悦んでこの任にあたると言い、結局、誰もレイメイに反対などできぬままに始まったのだ。
 殺されるなら、それでも良かった。けれど、できれば成功報酬としての死にたかった。
 リジンの行く末に何もできなかった、何もしなかった自分が許せないミズサにとって、死ぬべきモノは己だったと思っていた。けれど、リジンの愚行に巻き込まれたたくさんの死者を置いておいて、ミズサはまだ生きている。
 ここで死ぬことは簡単だろう。けれど、今は、できれば、この作成だけ死ぬ前に成功させたかった。
 彼らはリジンの民ではないのに、色が一部だけ似ているというだけのラカンの民なのに。そんな彼らが助かるのであれば、あのラカンに戻れるのであれば。
 自分が死ぬことよりもまず、皆が生きて戻れることを、そして、早く彼らを助けて欲しいと。
 今、ミズサはそれだけを願っていた。


 音がし始めてから、まだ誰もここには来なかった。喧噪は激しくなってきているから、激戦なのだと言うことは判るけれど。
 近くにあった牢屋は無事なのだろうか?
 皆怪我などしていないだろうか?
 それとも、奴隷商達が……。
 ふっと悪い予感がして、慌てて首を振った。
 悪いことは考えない。良い事を考えて、明るい未来を考えて。
 リジンでは決してしなかった考えを、今ミズサは必死になって考えるようにしていた。
 それでも、暗い想像をついしてしまう。
『この部屋のあの入り口から入ってくるのが奴隷商だったら……。いや、きっと仲間達で……』
 ふっとそんな事を考えて、ミズサの口角が僅かに上がった。
 仲間、なんて、彼らはきっとそんなことを思ってもいないだろう。
 ミズサは彼らにとって性奴隷でしかない存在なのだから、仲間なんて……。
 最近、ほんの少しは打ち解けたような気がしている部隊の人たちを思い出す。それは、当初の激しい陵辱風景ではなくて、最近の一人ずつ相手にするときの、それぞれの表情だ。
 カランはあの部隊で唯一知的で冷静な男だけれど、ミズサを犯すときは子供のように瞳を輝かせている。まるで、新しい玩具でどうやって遊ぼうか、その回転の良い頭で考えているのがよく判る。普段は感情など見せやしないのに、ミズサにはとてもよく見せる。
 クドルスはその図体の大きさから窺えないほど、細かな気配りをする。
 やることは激しいが、事が終わればベッドまで運んでくれたのは最初からクドルスの役目で、その手は決して乱暴ではなかった。
 最近のリムイは、街中に出る度に菓子の土産を買ってきてくれる。それはミズサが甘い物好きだと知ったからだ。酒飲みなのに甘党なリムイは、つきあってくれるミズサに土産を買ってくるのが気に入っている。
 ジムリーは、ゴウゼルは……。
 一人一人が脳裏に浮かぶたびに、ミズサの笑みは深くなった。
 ダマスは時々ミズサの頭を撫でてくれる。
 幼子にするようなその仕草は、いつも行為が終わったあとでダマス自身無意識のようだったけれど。
 ミズサもその行為を夢うつつで受けていたのだけど、なぜか胸の奥がいつも熱くなった。そんなこと、誰からもされたことが無く、それがそんなに心地よいモノだとは知らなかった。
 あの優しい雰囲気は好きだ。
 疲れていてもホッとする。
 なぜだか泣きたくなるほどに胸がつかえてしまうのに、離れる方が嫌だった。
 この作戦が成功して生きて帰ったら……ダマスは、誉めてくれるだろうか?
 こんなボロボロの身体でもベッドの中に連れ込んで使ってくれるだろうか?
 そんな事をつらつらと考え出して、止まらない。
 さっきまでは周りの人たちを気にしていた頭が、そればかりを占めてくる。
 訓練は辛かったけれど、強くなるのは楽しかった。
 強くなれば、皆がいろいろと教えてくれるようになって、さらに強くなって。
 長剣の訓練ができなかったことは、本当は気にしていた。ダマスに怒られて、でも、それはミズサのためだと知っていたから、お仕置きだと言われても、しょうがないことだと思ったくらいだ。
 ああ、あそこに……帰りたいな。
 ふっとそんなことを考えて、苦笑する。
 しょせん性奴隷で、成功したら死なせてもらうのに……。
 それでも、なぜか無性に帰りたくて。
 そんな気持ちを止められない自分がおかしくて、小さな吐息のような笑みを零したとき。
 不揃いな猛々しい足音が複数、鼓膜を震わせた。

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