ONIの混乱 2

ONIの混乱 2


 ジャパングローバル社品質保証部にとって、出荷する製品の検査データシートのチェックは最重要項目の一つだ。開発途中であっても、客先の要望いかんでは有償品として処理する。そうなればなんら製品と変わること無いルートを通り出荷される。その中に検査データシートのチェックが入っていた。
 もっとも、検査データシートから起こされる客先送付分──いわゆる検査成績書に押される印鑑は、その場合、品証のものではない。それだけが開発部の責任者印とはなるのだが。
 それでもおざなりにはできない。
 家城は担当の製品群のデータシートをつぶさにチェックしていった。もし問題があればクレームとして返ってくるのだから。もっとも問題があれば、検査時にチェックされるので、そうそうここで問題が起こるものではない。
 ぱらぱらとめくった最後の一枚までもが今回は何の問題もなさそうだった。
 家城の口から小さく安堵の吐息が漏れる。
 クレームは出すわけにはいかない。
 その想いが、家城に毎度の緊張をもたらすのだ。
 決済済みのトレーに用紙一式を放り込んだ家城は、束の間手が空いたことも手伝って、肘をついた手を額にあてて目を伏せた。
 明日か……。
 今日は金曜日で、明日は土曜日。
 その当然の曜日の移り変わりが今週に限っては異常に早く感じた。
『でも先にいったら、純哉誘い受けね』
 赤面モノの行為中に啓輔と無理に約束させられたその期日はもう明日だった。
 今日は一緒に休憩しなかったが、たまたますれ違った時に啓輔に言われた言葉も家城を追いつめる。
『今日行けないんだ。でも明日は絶対に泊まりに行くから』
 随分と楽しそうだったと、歯噛みしそうになりながら思い返した。
 明日の事を考えると酷く気が重い。
 啓輔を受け入れるのは、最初の時より精神的なゆとりも出できて、欲してくれるのなら……とも思うのだが。
 それでも、抱かれる自分のあられもない姿は、実のところ知りたくもないものであった。
 そう。
 判らなくなる。
 啓輔は家城以外に知らない筈。
 なのに、的確に家城の感じるところを責め立てて、快感を呼び起こす。
 あんなにも、啓輔に愛されることが気持ちいいものだとは思わなく、それによって我慢できない行為を露わにしてしまう。
 言いたくない言葉を言ってしまう。
 欲しい……と願う姿なんて思い出したくもないのに。
 それをしたことを思い出して、激しい羞恥に身を焦がす。
 そんな家城を、啓輔は可愛いと言う。だが、それすらも家城にとっては我慢ならないことなのだ。
 ずっと。
 ずっと、鉄仮面であったのは、そんな自分の醜態を誰にも知られたくなかったから。
 我を忘れる自分など誰にも知られたくなかったから。
 なのに、啓輔はそんな家城を簡単にさらけ出す。
 恥ずかしい。
 その言葉すら伝えることが恥ずかしいのに。
 なのに……。
 誘えと……。
 啓輔が面白がって言ったのだとは判っているが。
「誘う……」
 思わず口をついて出るほどに家城はそのことばかり考えていて。
「……誰がデートにでも誘うのか?」
「えっ!」
 肩越しに声をかけられて、激しい驚愕に襲われた。
 慌てて振り向けば、手にA4用紙の束を持った篠山が不思議そうに見下ろしている。
「ほい、頼まれていた資料。遅くなってすまんな」
 既に一週間過ぎた〆切に対する詫びを一言ですませ、だがその顔は別のことで好奇心に満ちていた。
「家城君がデートっていうと……あの子しかないけど……。もしかして、違う子?」
 含ませた物言いは、浮気を疑っているのはモロバレで、さすがに動揺激しい家城を責め立てる。
 だが、そこは家城である。
 動揺は一瞬で押し隠し、冷めた瞳で篠山を見遣っていた。
「……そうですね。デートにでも誘ってみようかと思いましたが、振られまして。ですので、どなたか暇つぶしにつきあってくれないかと思っているんですよ。そういえば……先ほど……滝本さんの弟さんを見かけまして、少し話をしましたが、今夜当たり暇か聞いたんですよね」
「!」
 しらっと言ってのけたその内容は真実で、今頃滝本恵は帰社中であろう。
 だが、彼を恋人とする篠山にとっては、その内容は無視することはできない。
「まさか……本気か?」
 低く唸るような声音に、他の品証の人間が何事かと振り返る。
「……冗談です。彼は暇ではなさそうですので。それに今夜は用事があるとか言われて残業できないとか?」
 子供のような笑顔だというのにその瞳にかいま見た色気は今日がデートだと知らしめるのに十分で。家城は思わず苦笑して別れたものだった。
 それを伝えた途端、篠山もそうだったとのびた笑顔を向けてきた。
「俺も……残業できないんだ。んじゃ、また何かあったら橋本にでも言ってくれ」
 きっと何も知らない橋本に仕事を勝手に押しつけた篠山は、今日の楽しみに心を浮き立たせていて、家城の冷たい笑みの真意に気付かない。
「先日メールを送った別件の資料、実は本日中なんですが、確か橋本さんはお休みでしたよね」
 パソコンの時計に視線を走らせながらさらりと伝えた事柄に、篠山は途端に顔色を変えた。
 きっと集めていないだろう事は、こんな納期遅れの資料だけを持ってきたことから気付いていたとは言え、相変わらずの事柄には、呆れてものも言えなくなる。
「橋本さん、体調不良のために欠席だそうですね。きっと今日やろうとしていたんでしょうが。まあ、もともとこの話はリーダーである篠山さんに話をつけていたものですし……ですので、”篠山さん”が責任もってやってくださいね。”今日中”に」
 その冷たい笑みは誰にも逆らえない。
「……今日中?」
 ひくつる頬を隠しもせずに、篠山が問う。その間にも時計が、刻を進めていた。
「はい」
 間髪入れずに返す家城に、篠山と付き合う気は既になかった。
 よろよろと部屋を出て行く篠山の後ろ姿に気付いてはいたが、納期を守れなかったそちらが悪いのだと、罪悪感など浮かびようもい。
「ま……余計な事は考えなくは済みますが」
 手渡された資料は、啓輔の事を考えながら片手間にできるものではない。
 それだけは篠山に感謝だと、決してそうは見えない態度で家城は作業にとりかかった。


 それでも、家に帰れば否応にも思い出す。
 先週押し倒されたソファもベッドも、家にある何もかもが家城にあの約束を思い出させた。
「どうやって……」
 もう一度受けをしなければならないのかと、それも気がかりなのだが、何よりも”誘う”という言葉にひっかかりを感じる。
 啓輔が誘ってくれるのなら……こんな楽しいことはないとは思うけれど、それを自分でするとなると別問題だ。
 だいたい啓輔にしても、誘うと言うよりは仕掛けてきたのをやり返すという状態の時の方が多い。
 だが、今回はたぶんムードからそうしなければならないのだろう。
 かと言って……。
 そんなシチュエーションはなかなか考えつくものではない。
 シャワーを浴びて……ガウン姿でベッドで待つ。
 その程度にしか想像力を働かすことのできない家城──いや、頭がそれ以上考えることを拒絶するのだ。いつも啓輔にして欲しいと願うことをすれば良いのだとは判っていても……。
「啓輔……ほんとに……意地悪だから……」
 自分もそのように思われている事を棚に上げて、家城がぐたりとソファに疲れた体を沈める。
 堪らずに手元に置いていたビールを手にして頬に当てた。冷たさにぶるりと体が震えたけれど、それがとにかく気持ちいい。
 考えるだけでそれだけ火照ってしまっている体だというのに、明日は一体どんなことになるというのか。
 熱くなる体も、情けなく歪む表情も、何もかもが取り繕えなくなるほどに、家城はひどく困惑していた。

 そんな状態で眠られる訳もなく、寝不足の頭は、より以上に集中力を欠いてしまう。
 だから。
「おじゃま?」
 いつにも増して明るくやってきた啓輔の顔を見ただけで、家城はその頬を紅く染めてしまったのだ。
「あ……」
 啓輔が持っていた荷物を床に落としてしまった意味にも気付くことができず、どこかぼんやりと慌てふためく彼を見つめていた。
 どうしよう。
 それだけが頭の中を占めているから、啓輔が何をしようと頭に入らない。
 そのうすらぼんやりした家城を見つめる啓輔が苦笑いをしているのにも気付かない。
 だだ、どうしよう、と、まとまらない頭で考え続けていた。
 仕事ではこんなに悩まない。
 白黒をはっきりさせることがまず第一で、言い訳など後の事だ。必要であれば誤魔化すことはあるがそれは最終手段であって、全ての原因ははっきりさせなければならない。
 そういう強気の姿勢でいつも行動していた家城にとって、自ら誘って受け入れるというその性行為はどうしても強気になれない事柄だった。
 もともと恋愛に関してはそういうところはあった。
 だが、それは黙っていれば済むことで、何もしらない他人は、そんな家城を想像だにしないだろう。
 それでも、それに気付いた啓輔にはきっと何も誤魔化しはきかない。
「純哉。どうする?どっか出掛ける?」
 困ったように窺ってくる啓輔に、家城は黙ったまま首を横に振って拒絶した。
 今のままで気にかけながら出かけてもどうしようもない。
 だったら……さっさと終わらせれば。
 けれど、その手段が思いつかない。
 堂々巡りの思考は態度にも表れて、家城らしからぬ失敗を連発して、啓輔の失笑を買ってしまう。
 それがまた、家城の頭を沸騰させる。
「す…みません」
 戸惑い、狼狽えて、羞恥に頬を染める家城がそこにいた。
 何もどうしようもない……。
 諦めて、負けを認めるしかできないのか、と、それも悔しいと思い始めたのもちょうどその時だった。
「堪らねーよ……」
 ぽつりと啓輔が呟いたのは。


「純哉……今自分がどれほど色っぽいか判ってる?」
 苦笑を浮かべた啓輔の手が立ちすくむ家城の腕を掴む。
「色っぽい?」
 自分は何もしていないのに。
 ただ、どうすればいいかと考えて、狼狽えて、失敗ばかりしているというのに。
 そんな姿が……色っぽいって……。
「そ。鏡見てみろよ、失敗するたびに顔が紅くなって、申し訳なさそうに歪めて。何を考えているのかなあ?心ここにあらずって感じ。それに今日は鉄仮面完全に剥がれているし」
 指さされて、そうなのかと掴まれていない側の手の平で顔を隠す。
 確かに、火照っているのは判るけれど。
 笑う啓輔に視線を取られて、所在なげに立ちすくむしかない今の現状は……確かにいつもと違う。
 だったらどうしろと言うんだ?
 誘えと言われて……一応いろいろ考えているのに。
 なのに……どうすれば。
「啓輔……私は……」
「そんなに考え込まないとできない?それとも……恥ずかしくてできないって言う方が正解?」
 ひかれる腕の力に誘われて、ソファに崩れ落ちた。
 片膝をソファについて体を支えて、真正面に啓輔を見る。
 この年頃の子がまだ持っているはずの無邪気さを取り戻す前、啓輔はひどく荒んだ瞳をしていた。それを屈服させるよろこびもあったけれど、その根底に流れる寂しさに気付いてどうにかしたいとも思ったのが興味を持ったきっかけの一つだったと思い出す。
 だが今はその瞳が、無邪気とは決して言えない劣情にまみれた楽しさを見せている。
「でも、どっちでもいいや。今の純哉、十分に誘っているよ、俺を」
「え……」
 誘っている?
 そんな行為は何もしていないのに。
 服だって着たままで、まだ昼間の日差しを刺すこの部屋で。
 なのに確かに啓輔の欲情ははっきりと兆していた。
「どうして……」
「気付いていない?でもさ、もし今の純哉がそういう人達ばっかりがいる街角に立ったら、いくらでも男をひっかけることができると思うよ。攻め気質の人をね」
 その言葉に息を飲んで。
 真っ白になった自分を取り戻す前に、啓輔の唇が塞いでいた。
 私が受けとして相手をひっかけることができる?
 そんな事はいまだかつてなかったことだ。
 誰も家城を受けだとは思わなかったというのに。
「でも、俺はそんなことさせないよ、絶対に。だって今の純哉はとにかく可愛くて誰にも見せたくないから」
 離れた唇がそんな事を言って。
「啓輔……」
「だけど、もっと誘って。もっともっと俺を煽って、こんな純哉、当分拝めそうにないもんな」
 このまま行為に向かうのかと思った啓輔が、まだ満足しないと悪戯を楽しむように嗤っていた。
「……まだ……?」
 満足しない……と言われても……。
 ならばやはり、考えたいろんな行為を実行しなければならないのか?
 血の気がひくとはこのことだと、茫然自失の家城が、だが頭の中を走る数々の行為に捕らわれた途端、沸騰するような熱を感じてしまった。
 冷めたりあがったりの体温は、それだけで家城の気力を奪う。
「……啓輔……は、意地悪だ……」
「それはお互い様」
 吐息を飲み込んで、家城は啓輔を見つめるしかない。
 だけど。
 しなければならないのだ。


 諦めて大きく息を吸った。
 啓輔を誘ってその気にさせればいいのだと、さすがにここまでくれば割り切れようというものだ。
「判りました」
 息をつく。
 だが、気が付けばそれだけで落ち着き始めた自分がいた。
 何を恥ずかしがっていたのだろう。
 要は啓輔をその気にさせればいい。
 したいと、思わせばいいんだ。
「……私を……愛してくれますか?」
 手を伸ばして啓輔の頬に触れて。
 それだけで顔を上げることができないほどに顔が熱くなるのを必死で我慢して。
 戸惑い、動きを止めようとする手を無理に動かして、指先に力を込めた。
 昔、啓輔以外の男達を相手にしたことがあった。
 その時にはどんなことをしただろう?
 その記憶を頼りに、啓輔に迫る。最後のところで、攻めるのではなく受けるだけだと……その違いだけだと自分に言い聞かせて。
「私は……啓輔を……愛しています……」
 甘く熱を吐き出すような吐息にのせて、愛の言葉を囁いて。
 唇に軽く触れて反応を見た。
「俺も……」
 小さな声に微かに頷いて、今度は深く口づけた。
 愛している。
 愛しているから欲してしまう。
 きっとそれが強いから誘ってしまう。
 相手が欲しいと願うから、相手にもその気になって欲しいと願うから……。
 躊躇いがちに上がってきた手が自らのシャツの小さなボタンを、弾くように外す。
 触れあいたいと欲して、ならばその手をここに導きたい。
 音がするほどに絡み合う舌が、相手ともっと絡みたいと欲して、激しく動く。
 手が、啓輔の手首を掴んで、その手の平を胸へと誘い込んだ。
 触れて欲しいから。触れたいから。
「んっ……んふう……」
 耳に聞こえる己の声は羞恥を呼び起こす。だけど、これも誘う行為であれば、と家城は喉を鳴らす音を我慢しなかった。
 手が胸の突起に触れて、弾いていく。
「んあぁぁっ!」
 羞恥が肌を敏感にしているのか、電流のように疼きが背筋をはい上がっていった。
 仰け反る背に啓輔の手が回される。
 露わになった喉に口づけられて、今度は家城が啓輔の頭を掻き抱いた。
 梳くように指を髪に搦めて、強く掴む。
 もっとキスが欲しくて、その髪を強く引っ張った。
「っ!」
 痛みに眉根を寄せている啓輔の唇に触れて、それだけでは足りないと舌を忍ばせる。
 欲しい……。
 だからもっと触れあいたい。
 手が自然に啓輔の懐に入り込み、その肌を滑っていった。
「純哉……あふ……」
 名前を呼ぶそのスキすら与えたくないと、再び塞いで、貪る。
 その間に手は下に延びて、啓輔の衣服をくつろがせた。
 弾けるように飛び出す雄の象徴は、今弾けてもおかしくない。それを見た途端、思わず口づけた。
「んあっ!」
 堪らないとばかりにソファの背に体を押しつけて仰け反る啓輔の腰を掴み、さらにそれに高みを見せようとして頬張って。
「んあぁ……ちょっとっ。ふあっ!」
 啓輔の手が家城の髪を掴んで引きはがそうとする。だがその痛みより欲しいという思いの方が強くて、家城は激しく舌を動かしていた。
「やっ……やあっ!」
 甘く可愛い声だと思う。
 口の中を流れる独特の粘りのある液を飲み込むと、それを発した唇を見つめた。
 垂れる唾液の後をぐいっと手の甲で拭って。
 肩を揺らして荒い息を繰り返す啓輔は、一気に弾けたほどの激しい快感に脱力したのか、ソファに体を沈めていた。
 前のはだけたシャツからは弄られて紅く充血した突起が見え、吐き出したばかりのそれがまだ少し硬度をもってズボンのファスナーから覗いている。
 しかも肌は、上気しているせいか淡い桃色に近い。
 不意に下腹分に激しい疼きが走った。
 それは堪らずに家城の顔を歪ませる。
「啓輔……」
 言葉とそしてズボンを緩める手は、意思より本能に従っていた。
「えっ?あっ!」
 覆い被さって初めて啓輔が驚きの声を上げた。だけど、もう止まらない。
「……可愛いいですよ。そんなしどけない格好をされたら。啓輔のほうがよっぽと誘い上手です」
 その言葉に走った啓輔の怯えたような瞳に、さらに劣情を駆られて、家城は手早く啓輔の後孔に指を這わせた。
「ちょっ、ちょっとっ!!今日は純哉が受けだって!!」
「だけど我慢できないんですよ。あなたに挿れたいと私のモノが疼いて疼いて……しょうがないんです」
 一体何をどう間違ったのか?
 気が付けば、家城はいつものように啓輔を責め立てていた。
 欲しいと思わせるようにすればいいと、そう思ってした行為は、実はいつもと同じだったのに、啓輔もそしての当の家城も気付いていなかったのだ。
 しかも今日は精神的にも異常な状態で、啓輔を欲する心が一気に高ぶってしまった。
 これも自分が持つ嗜虐心の一つかも知れないと思うのだけれど、それを止められない。
 啓輔の期待を裏切るのは申し訳ないけれど、やはり啓輔は愛おしくて可愛くて、抱きたくて堪らない相手なのだ。
「また……今度抱かれることもあると思いますから。今日は誘っただけで我慢してくれませんか?」
 誘うだけはしただろうと笑みを返せば、啓輔の顔が拗ねたように歪められた。
「……なんか……ずるい……」
 確かにそうだという認識はある。
 だが、伸ばした指が熱く絡みつく体内を探って、啓輔の反論を許さない。
「じゃあ、止めましょうか?」
 頃合いを見て問いかければ、もう啓輔は我慢できないと首を横に振っていた。
「それでは」
 逆の立場になった啓輔は、それでも家城のモノをその熱く柔らかな内壁で包み込む。
「んくうっ……ううっ……うあああ」
 こうなると約束事などどうでもよくなってしまって、啓輔は必死で家城にしがみついてきた。その背を抱いて、腰を動かす。
 見たい。
 啓輔のこんな姿をもっと見たい。
 見つめる先で切なげに眉根を寄せる啓輔は、艶やさに溢れている。
 あ、ああ……そうか……。
 不意に思い当たったことに、家城は確信を持って頷いた。
「な……に……?」
 僅かな感情の変化に、相変わらず啓輔は聡くて、家城に問いかけてきた。
「……啓輔……本当のところは、あなたに抱かれても構わないんです。あなたなら……構わないと……だから今日の約束でも……本当は受け入れるつもりだした……」
 その間も腰を動かしているから、どれだけ啓輔の耳に入っているか判らない。
 それでも上がる息を落ち着かせて、家城は言葉を継いでいた。
「だけど、気が付けば私はいつもあなたを抱いている。あなたを抱きたくて堪らなくなるからです。その理由が、今判りました」
 それはきっと啓輔が家城を抱きたくなる理由と一緒だろう。
 抱かれる家城に啓輔はいつも「可愛い」と連発するのだから。
「こういう時のあなたが最高に可愛いからですよ」
「んあぁっ!」
 ひときわ深く激しく突き上げて、啓輔が喉を晒して嬌声を上げる。
 その痛みを堪えるかのような顔も、涙に濡れた顔も──何もかもが可愛くて堪らない。だから、もっともっと見たい。
「あなたがその表情を見せてくれるのなら、……私はあなたを抱き続けます」
 だから抱かれるより、抱きたいのだという、願いを込めて伝える。
「あっ……あ……あぁ……」
 縋るように延びてきた手を背に回して、家城は快感に震える啓輔を抱きしめていた。
 あなたが、こんなにも可愛いから、私はあなたとの約束を破りたくてしようがなくなるんです。
 解放を求めて震える自分のそれに最後の刺激を与えるために、啓輔を深く抉って。
 脳が真っ白になる程の愉悦に、家城はその顔にうっすらと笑みを浮かべた。

 
「約束……今度は絶対っ」
 むすっと唇を尖らして、約束不履行だと訴える啓輔もまた可愛いと思う家城は、かなり余裕を取り戻していた。
 経験は己を強くする。
 初めて望まれたことに狼狽えてしまったけれど、二度目はもっと巧く対処できるだろう。
 それが今までの家城であり、これからもそうであろうとしているからだ。
「でも少なくとも最初は十分満足していたでしょう?堪らないと言ったのは啓輔の方ですよ。その後も、私の奉仕にあんなにも呆気なくいって。そんなに感じましたか?それは私が誘ったら?」
「っ!」
 さすがに真実を指摘されて、啓輔も二の句が継げない。
 相手が動揺して、自らのペースさえ掴んでしまえば家城は勝てると踏んでいた。それが仕事をしている時の強さなのだから。
「まあ……気が向いたらまたして差し上げますよ。受けるかどうかは別にして」
「……ずるい……」
 最近の啓輔の口癖だな、と家城は笑って返す。
「でも、どんな時でも必ずあなたを満足させますよ」
 そうすれば啓輔のあの顔が見れるのだから。
 家城の言葉に、啓輔の頬が一気に朱に染まっていた。


【了】