目隠し鬼

目隠し鬼


「やっぱり、いないのか……」
 ぽつりと零れる声が誰もいない空間に伝わっていく。
 遅くに帰ってきた部屋は、暗闇のまま部屋の主たる家城純哉を迎えていた。最近は、金曜の夜は灯りがついていることが多いから、暗い部屋はどこか寂しさがつきまとっていた。
 家城の恋人である隅埜啓輔が遊びに来るのは金曜のことが多い。
 金曜は会社の帰りに家城の家により、そして土曜か、用事がなければ日曜に自宅に戻るのだ。
 『そのために、平日に近所づきあいをしてるんだぞ』
 と、偉そうに言っていたのはいつだったか?
 それだけ入り浸っているというのに。
 だが、今日は駐車場から見上げた自室の窓は真っ暗で何もうつしていない。
 玄関まで辿り着いて鍵を使う、といういつもならしないことをする。
 ドアを開けても零れるのは闇ばかり。
 その全てが啓輔の不在を改めて家城に教える。
 判っていた。
 今日は啓輔は来ない。
 そう本人の口からはっきりと聞いて、それを家城は了承していたはずなのだ。
 なのに、判っていたはずの事が実は受け入れることができていなかったという事実。
 もしかすると……という甘い期待を抱いていたのだと改めて気付いてしまう愚かさ。
 もうこれには、苦笑いしか浮かばない。
 今日来ないことを聞いたときに味わった寂寥感は表に出しはしなかった。
 来てくれ、とも言わなかった。
 そんな家城の元に啓輔が来るはずがないと思っていたにもかかわらず、このていたらくだ。
 やはりそれは甘すぎる期待だったのかもしれない。
 現実は、暗いままの部屋。
 ぱちりと手探りで入れたスイッチでようやく灯りのついた部屋に当然啓輔はいなくて……。
 ひどく寒々としていた。


「製造の飲み会に誘われたから、明日行かないから」
 ごく普通の世間話のように、啓輔が言ったのは昨日の午後の休憩の時。
 寝不足なのか、細められた目がどこかぼんやりとしている。気怠そうに熱いコーヒーをゆっくりと飲んでいた。
 その動きを目で追いながら、家城は微かに首を傾げた。
「飲み会ですか?でもそれが終わればいつも来るでしょう?その後は泊まらないんですか?」
 啓輔は、夜遅くなるとひどく交通事情が悪くなる地区に住んでいる。飲み会を二次会、三次会とまともに楽しもうとすればその交通事情が邪魔をするし、だからと言ってタクシーを使えば1万円近い出費だ。だから、そういう時啓輔は必ず酒臭い息を吐きながら、家城の家に押しかけてきた。
 今回もどうせそんなことだろうと思っていたのだ。
 だが。
「ん?でもさ、櫂(かい)ん家に泊まるんだ。そうしろって言われてさ」
 啓輔の口からそんな台詞が吐き出され、家城は僅かに片眉を上げた。
「櫂……?」
 人の家に泊まる?
 啓輔がそんな事を言ったことも初めてなら、櫂という名にすぐにはぴんと来なかった。
「ん?俺の同期の里山櫂だよ。ほら、今日の午前の休憩ん時家城さんが先に行った後入れ替わりにここに座った奴。家城さんも顔会わせたろ?」
 製造の里山櫂。
 そういえば……、と言われて思い出す顔。
「え、ああ、あの人ですか」
 製造の新人──啓輔の同期。
 最近になってようやく啓輔はいろんな人と交流を持つようになった。
 今までは家城がつきまとっていたせいで、家城に対する恐れとその家城を独占しているという反感から、なかなか他の人たちに馴染めていなかったのだ。
 だがさすがに家城もそれを反省し、必要以上には会社では接触しないようにした。 また最初の頃の暗くあまり外向的ではなかった彼が、その原因の過去のいざこざを彼自身が乗り越えた結果、もともと持っていた明るさを振りまき始めた。それが功を奏したのか、何故か製造の年配の女性達に人気が出るようになってきたのだ。
 それは両親をいっぺんに亡くしたという悲劇的な背景と、それを乗り越えたという週刊誌ネタにでもなりそうなそれに対する同情もあったのだろうが、何より何事にも頑張る姿が彼女らの気を惹いたのだろう。
 製造の影の支配者たるそういうおばさま方を味方に付けた啓輔を可愛がる輪は徐々に広がっていった。
 今では、家城や服部がいなくても、一人で休憩を取っていることはない。
 油断すれば、家城ですら一緒に休憩を取ることが難しくなっている位だ。
 それは、啓輔のためとは言え家城としては一抹の寂しさを感じることなのだが、それでもそれを表には出せなかった。
 仕事の上で、そういうつながりはプラスにこそなれ、マイナスにはならない。
 それをよく知っていたから。
「んでさ、櫂が熱心に誘うから断り切れなくて……」
 だが、理性はそうであっても感情は別物だ。
 啓輔の楽しそうな弁に、家城の眉間が知らず知らずのうちに寄ってくる。
 少し小柄なタイプの人なつっこい笑みという印象の里山櫂。
 単なる同期だ。
 そうは思う。
 自分たちのように、彼はゲイでは無いはずだ。
「他の同期の奴らも泊まるって言っていたしさ、なんか映画のビデオ見せてくれるって言っていたし……まあ、ちょっと楽しみだし」
 他にも泊まる人がいるなら心配ないか……。
 家城の心配を余所に、頬杖をついて楽しそうに予定を話して聞かせる。
 だが、家城は自分の考えにワンテンポ遅れて気づいた。
 ──心配?
 私は何を……。
 ふっと気付くとテーブルの上で握られた拳が微かに震えていた。
 それをそっとテーブルの下に降ろす。
「飲みに行ったらたいてい何人かで櫂ん家に泊まるらしくてさ、今回は俺も誘われたんだ。同期の連中と騒ぐのなんて、最近なかったから楽しみなんだよね」
 啓輔の表情は、本当に楽しそうだ。
 それを壊すことは今の家城にはできない。
 断らせる理由も何もない。
 たかだか、同期の家に泊まるだけ。
 なのに、何を心配することがあるのだろうか……。
「じゃあ、土曜日来ます?」
 つい尋ねてしまったのは、それでも消せない胸中の焦り。
「駄目だって……土曜は午後から地区運動会の準備に出るんだ。日曜はその運動会で走らされる。だからさ、今週末って忙しいんだよね」
 呆気なく断られては、家城も二の句が継げない。
 まして、地区の行事となると無理にとは言えなかった。
『火事ん時と葬式ん時で近所の人に迷惑かけっぱなしだからさ、断れねーんだよ」
 前にそう言っていたのを覚えていたから。
 田舎で一人暮らしをする啓輔の近辺は何かと気ぜわしい。
 零れそうになるため息はここが食堂だと言うことでかろうじて堪えた。
「なあ……」
 そんな家城の顔を啓輔が覗き込む。
「はい?」
「もしかして、俺が飲み会に行くの嫌なのか?」
 真摯な瞳が向けられて、家城はくっと息を飲む。
 相変わらず啓輔は家城の変化を読みとるのが巧い。
 確かに啓輔相手だと簡単に表情が出てしまうことは自覚している。
 だが、普段のそれは微々たるものだ。どちらかというと気付かれたくない感情──変化と言えない変化を、啓輔の方が気付いてしまう事が多い。
 ゆっくりと顔を上げ、啓輔を見遣る。
 誤魔化しきれるとは思わなかったが、それでも僅かに口の端を上げて答えた。
「別にそんなことはありませんよ」
 自分がそんなふうに笑うと冷たい印象を周りにさらに与えるらしい。
 なのに啓輔は意味ありげに口元に笑みを形作る。
「ふ?ん」
 コーヒーに口づけながら上目遣いに家城を見遣る啓輔の瞳は面白そうだ。
 見透かされている。
 家城の焦燥を。
 とたんにそれを恥じる気持ちが強く湧いてきて、顔が熱くなる。
 生理的な反応に近いそれは、理性だけでは止めることができない。それでも必死で押さえつける。
 意識を他に持っていく。
 確かにいって欲しくないと思っている。
 だが、それは飲み会ではなくて泊まりに行くというそちらの方だ。
 止めろ……と言いたい。
 だが、その理由は?と聞かれれば、今の家城には答えることはできない。
 胸に走る焦燥は根拠のない物でしかない。
 家城はわざとため息をついた。
 意図的に話を変えるためだ。
「何がふ?んです。飲み会に行くのは構いませんけれど、いつぞやみたいにいらないことまで喋らないように注意することですね。あなたは酒を飲むと口の滑りが良くなるようですし」
 これはある意味切り札だ。
 現に啓輔は酒の上での失態をしたことがあるのだから。
 とたんに、啓輔も憮然とした表情で家城を睨め付けた。
「判ってるよ、飲み過ぎないようにするから……」
「だいたい未成年でしたね」
「今更……」
 もう一つの切り札を出してしまえば、啓輔も口ごもるしかない。
 これで少なくとも今の啓輔から家城の行動を不審がる余裕はなくなった。
 だけど、何故私はそうやって誤魔化すんだ。
 ここで、行って欲しくない、と言えば、啓輔は行かないだろうか?
「隅埜君……」
 気がつけば呼びかけていた。
「んん?」
 むうっと唇を尖らして考え込んでいた啓輔がちらりと家城を見遣る。
 言えば……彼は飲み会に行かずにうちにきてくれるのだろうか?
 だが。
 先ほどの楽しそうな表情が脳裏にちらつく。
 口ごもる家城を啓輔が不審そうに見つめる。
 と。
 手元にあったPHSが鳴った。
「家城さん、電話」
 目線と言葉に促されて、家城は仕方なくPHSに出た。液晶表示の番号は、内線電話の番号だが、それが現す意味は……。
「はい、家城ですが?」
 出た電話はやはり外線の取り次ぎ電話で……その対応をしている間に啓輔は休憩を終えて行ってしまった。
 行かないで欲しい……。
 その言葉は結局家城の口から出ることはなかった。

 結局、あれからろくに話す機会はなかったし、引き留める手段も思いつかなかった。
 これが仕事上の問題で、重要な客との折衝であったらどんな手段でも思いつくというのに、こと啓輔相手となるとどうしていいか判らなくなる。
 あの時も……。
『あんたって、言いたいこと言ってくれるくせに肝心なこと、言わないんだよな?』
 手に入れたいのに、どうしていいか判らなくて子供じみた事をしていると思っても止められなかったあの時。
 そんな家城のらしくない対応に啓輔は気付いてしまった。
 考えて見れば、それも当たり前のひどく露骨な態度だった。
 だが、あの時の家城は自分が止められなかったのだ。
『なあ、返事くれないのか?』
 あの時……。
 啓輔が動かなければ、自分からどうすることもできなかった。
 どうしてこんなにも啓輔とのことになると臆病になるのか……判らない。
 露骨に表に出てしまう感情に翻弄されてしまうことも多い。
 吐き出すため息は、誰に聞きとがめられることはない。きっと啓輔は家城のことなど忘れて遊び回っているだろう。
 何せあの年代が持つパワーは、かなり激しい。
 製造部門と開発部門の飲み会が、どちらがより盛り上がるかを比べて見れば一目瞭然。製造部門に軍配が上がる。
 啓輔にしてみれば、そんな人達と遊べるのだから嬉しいだろうし……。
 家城は、そう思うことで暗然とする心を振り払った。



 昼間の疲れもあって深い眠りについていた家城は、何かが割れる物音にがばっと跳ね起きた。
 聞き間違いではない。
 確かに、何か物音が……しかも、何かが割れる音がしたのだ。
 寝ぼける間もなく一気にしゃんとした意識が、音のした方に意識を向けさせる。
 何が……?
 シーツについた手をぐっと握りしめ、ドアの向こうを窺う。
 泥棒か?
 いくらセキュリテイ対策がしてあっても万全でない。抜け道があることは知っている。
 だが……。
『あ?あ……何やってんだよ……』
 ドア越しに微かに聞こえるその声を聞き間違える筈もない。
 幾度もこの部屋で聞いたことのあるその声の持ち主が隣にいる。
 気付いた瞬間見開かれた目は、だかもう一人いる気配に訝しげに細められた。
『ごめ?ん……』
 どことなく甘えるようにして謝っているところを見ると、啓輔の知り合いらしい。
 とにかく……確かめないと……。
 ベッドから降りて数歩の所のリビングに続くドアを無造作に開けた。
 煌々とついた灯りに一瞬目を細める。
「あ?純哉、起こしちゃった?」
 その声に視線を巡らすと情けなさそうに顔を歪めた啓輔が、ぺたりと床に座り込んで家城を見上げていた。
 酔っぱらっているせいか、いつもなら怯むきつい視線を受けても肩をすくめているだけだ。
 しかも……。
「おじゃましてま?す……」
 啓輔にまとわりつくようにして座り込んでいるもう一人の人物がぺこりと頭を下げるのを見て取れば、もう眉間に深いシワが寄ってしまう。
 こちらはどう見ても、啓輔よりさらに激しく酔っぱらっている。
 何せ、自分の体が支えられなくてぐったりと啓輔に体を預けているのだ。
「里山…くん?」
 呼びかければ、こくんと頷く位には意識がある。
 だが、その目はひどくぼんやりとしていてかなり意識が混濁しているように見えた。
 そして二人の足下に散らばる硝子の破片と水溜まり。
「ごめん……割っちゃって……」
 家城の視線に気付いた啓輔が申し訳なさそうに肩を竦める。
「一体……何をしているんです?」
 作るまでもなく、冷たい声音が口からついて出る。
 さすがに啓輔にはその冷たい怒りが伝わったのか、ひくりとその頬が強張る。だが櫂の方は、そんな家城の怒りなどどこ吹く風、といった感じだ。ぼんやりとした視線が焦点を合うことはない。
「櫂が水飲みたいっていうから渡したんだけど……」
 聞かなくてもその情景が頭に浮かんでくる。
 何をやってんだか……。
 零れるのは深いため息ばかりだ。
 それに気付いたのは意外にも酔っぱらいの櫂の方で、その手がひょいっと破片を掴む。
「うん、俺が落としちゃったって……あ、片付けま?す」
「あ、駄目だっ!」
 切っ先を気にせずに握り込もうとしたその手を慌てて開かせる。
 幸いにして怪我はしていないが、このままここに置いておくのはマズイ。
「啓輔、彼をあっちのソファに連れて行っててください。片づけは私がやりますから」
「ごめん……」
 その申し訳なさそうな声に、ふっと笑みが零れた。
 確かに酔っぱらってはいるが、家城の言葉を守って飲み過ぎないようにしていたのだろう。
 家城の冷たい怒りに気付いたせいか少しは酔いも冷めたようで、先程よりも啓輔の言動は少しマシになっている。
「櫂、立てよ……」
 啓輔が先に立ち上がって櫂を引っ張り上げようとする。
 だが、完全に軟体動物となってしまった櫂は小柄とはいえ酔っぱらいの啓輔には荷が勝ちすぎたようだ。
 ふらっと啓輔の体が大きく傾く。
「危ないっ!」
 慌てて家城が支えて、かろうじて破片に突っ込むことは避けられた。
「ほら、しっかりしなさい」
 力の入らない啓輔を助けるように櫂を抱え上げる。
 たかだか2mほど先のソファがひどく遠く感じるほど、力の入らない体は重かった。
「あんがと?」
 陽気な櫂は二人の苦労も知らずにひらひらと手を振っている。
「あのさ、それで純哉、今日さ櫂も泊まって良いよね?」
 どこか甘えるように上目遣いに家城を見遣る啓輔に、家城は思わず片づけの手を止めて啓輔を見つめた。
 彼も?
 隠しきれない動揺に気付いた啓輔が苦笑を浮かべながら続ける。
「その……飲ませすぎて……櫂が家判らないっていうんだよ。なんか今日はみんなに見捨てられちゃってさ、俺も判るとこここしかなくって……」
「そうなんです?。俺、家の場所、判らなくなっちゃいましたあ……」
 笑いながら言う櫂に家城はため息をもらす。
 もし啓輔がいなかったら、彼はどこかの路上で一夜を明かしたことになっただろう。
 さすがに家城もこの状態の彼を追い出すことはできなかった。
「別にそれは構わないんですが……一体どのくらい飲んだんですか?」
 責める声音も酔っぱらいには効かない。
「んん?……わかんなぁい……」
 だんだん呂律も怪しくなっている。
 とろんとしていた目も瞼に遮られ、窺い知ることはできなかった。
 これだとそう間を置かずに、睡魔に捕らわれるだろう。
「いっぱぁぁぃ、のんだぁ……」
 だらしなく開いた口から最後の言葉が漏れると、後聞こえるのは規則正しい呼吸音だ。
 ったく……。
 額に手を当てて唸ってしまう家城の苦悩に啓輔が申し訳なさそうに小さくなっている。
 まあ、啓輔を責めることではないとは思う。
 酔っぱらいを放置するような冷たさを啓輔が持つのは嫌だから。
「ああ、いいですよ、もう……それより啓輔は彼に掛布団でも掛けてあげてください。私はこちらを片付けます」
「ん?」
 気怠げな返事で啓輔は頷き返した。

 大きな破片を新聞紙上に取ると、それをガムテープでぐるぐる巻きにする。
 それを簡易的にキッチンの奥のゴミ箱の傍に置くと、今度はぞうきんで零れた水を吸い取った。
 最後は、さっさと済ませるために掃除機で小さな破片を吸い取る。
 防音性が高い部屋で良かった、と安堵する。
 でなければ、夜中に掃除機など近所迷惑もいいところだ。
 ついでに周りも掃除して掃除機を片付けて戻ると、啓輔は櫂の横でもたれかかるように体を預けていた。
「啓輔?」
 呼びかけると、う?、と微かに唸る。
 だが、かなり眠いのだろう、その目が開くことはなかった。
 ふと時計を見ると、深夜3時を過ぎようとしている。この騒動で家城の方はすっかり目が覚めてしまったというのに、この二人の幸せそうな寝顔。
 寝るんだったら、私のベッドに行けばいいのに……。
 憮然と啓輔を見つめる。その視線の先で、啓輔の手が抱え込むように櫂の体にまわされた。
 途端に胸中に湧き起こる嫉妬心は誤魔化しようがなくて、ぎりりと奥歯を噛み締める。
 血が上った頭が二人を引き剥がせと命令する。
 それは堪えようがないほどの激しい欲求だった。
 乱暴に引き剥がしそうになるのをぐっと堪え、ゆっくりとその手を伸ばす。
「啓輔……」
 櫂に抱きついてる啓輔の唇に誘われるように軽く口付けた途端に、その吐息に混じるアルコール臭に眉根を寄せた。
 啓輔自身はそんな家城の行動にまだ気付かない。
 だが唇に触れた途端条件反射のようにその腕に力が入ったようで、ぎゅっと抱きしめている気配がした。
 大切そうにしっかりと抱きしめた腕は、相手を家城だとでも思っているのだろうか?
 だが例えそうだとしても、家城にしてみれば憤まんやるかたない。
 とにかく二人を離さないとと、啓輔の腕をそっと櫂の体から解く。
 嫌だと逆らうように動く手に憤りを感じ、乱暴にしたくなるのを必死で堪えた。
 離されるのが嫌だと伸ばす手を自分に向けさせると、その手が家城の首に絡みついてきた。
 その背に手をまわし啓輔の体を起こして支えると、アルコール臭に紛れて啓輔の匂いが鼻孔をくすぐる。
「啓輔……」
 こてんと肩に頭を預けているせいで家城の口の近くに啓輔の耳朶がある。触れそうで触れない距離で囁く。
「んん??」
 くすぐったそうに肩をすくめる啓輔がぎゅっと回した手に力を込めてきた。
 途端に心の中に湧き起こるのは、啓輔に対する愛情だ。
 その仕草が可愛くて、愛おしくて、そして啓輔から伝わる温もりと匂いが、家城の苛立ちを消し去ってしまう。
 誘われるように舌を伸ばしてぺろっと耳朶を舐めれば、鼻にかかった吐息が家城の首筋をくすぐる。
 それにぞくりとした刺激を受けながら、家城は啓輔の体に回した腕に力を込めた。
 ぐいっと持ち上げると条件反射的に首に回された腕に力が込められる。
 縋り付くようにしてくる啓輔の顔を見るとうっすらと開いた目と視線が合う。だがその焦点の合わない瞳は夢うつつで、何が起きているのか判っていないようだった。
 そんな彼を寝室に運ぶと、ベッドにそっと降ろした。
「ん……」
 ごろんと寝返りを打ち、離された温もりを探して枕を抱きしめる啓輔を見ているとこのまま抱きたい衝動に駆られる。
 だが。
 家城はふっとまだ開け放たれたドアを見つめた。
 向こうには櫂が寝ているのだ。
 ため息が漏れる。
 せっかく啓輔が来てくれても、これではどうしようもない。
 様子見に一度リビングに戻り、櫂の布団をなおして電気を消して戻ってみると、どこかぼんやりと薄目を開けている啓輔と視線があった。
「啓輔?」
 呼びかける先で、啓輔の目線が周囲を探る。
 まだ寝ぼけているのか焦点が合っていないそれ。
 体をかがめその瞼に口づけると、数度瞬きをした後、大きく見開かれた。
「あ……純哉?」
「ソファに二人は眠れませんからね。啓輔はここに寝なさい」
 あんなところで抱き合うようになんか寝させられないんですよ。
 言いたい事は飲み込んで笑顔で話しかける。
「あ……ごめん……櫂、連れてきちまって……」
 申し訳なさそうな啓輔の頬に両手を添え、その言葉を遮るように口付ける。
「しようがなかったんでしょう?家が判らなかったんですから」
 もし判っていれば自分はどうしただろう。
 タクシーを呼んで、放り出しただろうか。
 そうしたいと強く願っている自分に自嘲めいた笑みが浮かんでしまう。
「う……ん、俺、あいつに飲ませすぎちまって……しかも、櫂ってば、俺から離れなかったんだよ。何度も他の連中に押し付けようとしたんだけどさ」
 家城の腕から擦り抜けるようにして上半身を起こした啓輔は気怠そうに髪を掻き上げていた。
 だが、家城はその台詞に含まれる違和感を感じて、目をすがめた。
「押し付ける?」
 そうだ、何故押し付ける必要がある?
 今日は彼の家に泊まるのではなかったのか?
「ん。今日は泊まるつもりなかったからさ……なのに絶対泊めるつもりでいたんだよ、櫂ってば。俺が用事あるって言ってんのにさ。だから、酔い潰して先に帰らしてしまえって。誰から押し付けてしまえって思ったんだけどさ、あんまりにも酔いつぶれさせてしまって……気付いたら反対に押し付けられていた」
 肩を竦める啓輔を呆然と見遣る。
 泊まる……とは聞いていたが、用事?
「でも、昨日は泊まるという話をしていましたよね」
「だって、純哉、嫌なんだろ?」
 上目遣いに家城を見つめる啓輔の言葉にびくりと全身が震える。
 彼は今……何て言った?
 握りしめた手のひらがしっとりと汗ばんでくる。
「私が……?」
「そうだよ。昨日話したときに嫌そうな顔してたからね。だから飲み会には参加するけど、帰ろうって思ったんだ」
 心臓がどきどきとさらに大きく鼓動を打つ。
「帰るって?」
「そりゃあ、純哉のとこに決まってんじゃん」
 その言葉を聞いた途端、家城の感情は理性を凌駕する。
 落ち着こう、と、息を吸い込めばそれがひどく大きく静かな室内に響くような気がして、余計に羞恥を煽る。 
「だってさ、純哉は俺にいて欲しいんだよな?」
 判りきっていると確信めいた笑みを口元に浮かべた啓輔が目の前にいる。
 やっぱり気付いていたのだ。
 あの時、言葉にすることができなかった想いに。
 気付いて欲しいと思っていたのに、本当に気付いてくれると、なんだかひどく落ち着かない。
「だけど……楽しみにしていたのに……」
 嬉しい、と一言が言えない。
 自分がどんなに赤い顔をしているか、伝わる熱で判っている。そしてそれが啓輔にばれていることも彼の表情で判る。
 なのに、言葉に出せない。
「純哉と一緒に過ごすのも俺にとっては負けないくらい楽しいことなんだけどな」
 くつくつと喉の奥で笑いながら見上げる啓輔は、本当に楽しそうで……。
 何を言えばいいのか、言葉が頭に浮かばない。
 憮然としている家城に、啓輔は手を伸ばす。
「純哉ってほっんと判りやすいよな」
 伸ばされた手が家城の手を取り、引っ張っていく。
 崩れるように彼の体の上に覆い被さると、視線が合った。
 アルコールのせいか少し赤い顔の啓輔の目は相変わらず笑いに満ちていて、余計に純哉の羞恥を煽る。
「そんなこと……啓輔にしか言われたこと無いですよ」
 本当に、今までそんなこと一度も言われたことがなかった。
 いや、反対の事はよく言われていたのだが。
「うん、純哉は俺にだけ判りやすいんだよな。不思議なことに」
 またしても笑われて、さすがにムッとする。
 確かに、啓輔には自分が取り繕えない事は承知しているけれど、笑うことはないではないか。
「やっぱ、純哉ってかわいーや」
 言うに事欠いてそう宣う啓輔に、いてもたってもいられなくなった家城はその口を速攻で塞いだ。


 触れて、軽い音を立ててすぐに離れる。
 いきなりの行為に目を見開く啓輔に、なんとか自分を繕って笑みを見せた。
「誰が可愛いですって?そういうあなたの方がよっぽど可愛いですよ」
 そう言うと、むうっといつも不機嫌そうに唇を尖らす癖に、同じ事を家城に言う。
 だが、本音を言うと啓輔なら何を言われても実は嬉しい。
 誰も知らない……家城自身知らない家城を、啓輔だけが知っているのだと思い知らされる。
 再びキスを落とすと、今度は啓輔も目を閉じて受け入れてきた。
 積極的に主導権を握ろうとする。
 そのせめぎ合いも実は楽しい。
 啓輔が家城を欲しがっているのは重々承知している。
 それも構わないと……最近では思うことがある。
 それでも簡単に受け入れてしまうより、そのせめぎ合いを楽しみたいのだ。
 啓輔が今度はどんな手を使って責めてこようとするのか、想像するのは楽しいから。
 舌を吸い出されて軽く噛まれると、じんわりとした疼きが体を駆けめぐる。
 啓輔が高ぶっているのは、腰の辺りに触れる形を為したそれではっきりと判った。
 家城は自分の体を啓輔の両足の間に割り込ませ閉じられないようにして、ぐいっと膝を持ち上げた。その先にあるのは、啓輔の股間だ。
 ぐりっと確実にそれを押さえ込むと、啓輔がぴくんと激しく体を震わせた。
「あっ……つっ……」
 きつすぎる刺激は痛みをもたらしたようで、恨めしげな瞳が家城を射る。
 啓輔の性欲はいつも旺盛だ。
 ちょっとした刺激で反応するのはいつものこと。
 それの相手をするのはやぶさかではないのだが、今日はちょっと事情が違った。
「啓輔……今日はお客さんがいるんですよね」
 悔しいことに。
 最後の言葉を飲み込んで微笑みかけると、かあっと啓輔の顔が赤くなった。
「そ、そんなこと……判ってる」
 忘れていたくせに。
 くっくっと喉の奥で笑っていると、啓輔の眉間に深いシワが寄った。
「ちくしょー……捨ててくれば良かった」
 本気で言っていると判るから、笑いが止まらない。
 実際、たったあれだけの刺激で啓輔のモノははちきれんばかりの気配が窺える。
「それとも……します?」
 その首筋に唇をつけ、ぺろりと舐める。
「んっ……だって……」
 しっとりと汗で潤んだ肌は、少し塩辛い。
 吸い付いて朱色の印が残った肌は、微かに粟立つように震えていた。
「したいんでしょう、ここはこんなに元気ですよ」
 ズボンの上から触れるそれは、随分と窮屈そうだ。
 それは家城とて違いない。
 欲しくて堪らないのは家城だって同じだ。
 だけれど、できれば啓輔から求めさせたい。
「だって……櫂が……」
 息が荒くとぎれがちになるのは、家城の愛撫に感じている証拠で、それすらも愛おしくて堪らない。
「啓輔が声を出さなければ、大丈夫ですよ」
「あっ……だって……」
 シャツの下から手を差し入れるとその体がびくんと震えた。
 啓輔が夢中になると嬌声を押さえられなくなるのは常のこと。それを自覚しているから、戸惑いがあるのだろう。
 だが、何度も抱き合った体は、その先の快感を覚えている。その先を求めて、体の方が自然に感じる体勢へと体を動かして敏感に反応する。
 アルコールのせいだけではない朱に染まった肌が薄闇の中で扇情的に蠢いていた。
 首筋に吸い付き、はだけられていた襟元に舌を滑らす。鎖骨に添ってなぞっていくと、甘い吐息が啓輔の口から漏れた。
「…っ……」
 もう止まらない。
 啓輔も、家城自身も。
 こんな状態でいまさら止めるなんてことをすれば、この次にするときまでずっと欲求不満なままだ。
 辿り着いた指先がきゅっと胸の突起を掴み上げると、啓輔の眉根がきつく寄せられる。
 その反応が楽しくて、ついつい何度もつまみ上げていると、どんどんとそこが固くしこってきた。
「あぁぁっ……も……ぅ……」
 服が邪魔だと、啓輔が自分でボタンを外しにかかる。
 その両手首を捕らえて、ベッドに押しつける。
「我慢できない?」
 笑みを含ませた問いに、啓輔がきつい視線を返してくる。
「できるかっ!」
 負けん気の強さがそこに出てきているが、アルコールと愛撫の両方に酔った体は力が入らないのだろう。せいぜい睨み付けてくるだけ。
「しょうがないですね、声は抑えるんですよ」
 言い聞かせるように耳元で囁く。ついでにぺろりと耳朶を舐めると、啓輔がぶるっと身震いをした。反発しようとしていた手からはもう力が抜けている。
 その手を離し、家城は啓輔のシャツのボタンを外していった。
 焦らすようにゆっくりと。
 時折、はだけた襟元から覗く胸に口づけ、膝で股間を押し上げる。
 そのもどかしい刺激に、切ない喘ぎ声がその口元から洩れていた。
「啓輔……」
「んっ……も……早く……っ」
 呼びかければ、せかす言葉がその口から漏れる。
 それに煽られる。
 堪えられなくなった啓輔が自分でズボンのボタンを外し前を開く。
 ぐっと下着ごと降ろすのを家城は手伝ってやった。
 弾けるように目の前に飛び出す啓輔のそれは相変わらずの元気の良さで、その先端はしっとり濡れそぼっている。
 その先端の割れ目にそっとキスをする。
「んっ……」
 敏感なそこに柔らかく触れただけで、啓輔の腰が逃げるように動く。
 その拍子に跳ねて逃げるそれを捕まえて、すっぽりと口の中に含んだ。
「ひゃっ!」
 いきなり含まれたせいか、啓輔の口か妙な叫び声が洩れる。
 ちらりと上目遣いに窺うと、真っ赤になった啓輔が固く目を閉じて襲ってくる快感に堪えていた。
 今まで何度となく啓輔を抱いてきた家城だから、どこを刺激すればどんな風に啓輔が喘ぐか知っている。
 そういう事は、得意なのだ。
 特に、フェラは啓輔の敏感で元気な息子をいたく刺激するから、啓輔も陥落が早い。
「んっ……ふぁ……」
 そう間をおかずに、啓輔の口から堪えきれない喘ぎ声が洩れ始めた。
「くうっ……ふぅ……っ……、やぁ…あ……」
 両肘で体を起こしかける。だが、それもきゅっと絞るように吸い付けば、力を無くしてシーツの海に沈んでしまう。
「あぁ……もう、……やっ……駄目っ!」
 限界を訴える啓輔の声音は、ひたすら甘く家城の体を熱くする。
「達って……」
 呟けば、それが振動になって啓輔のモノを刺激した。そして、それが啓輔の限界を超えさせる。
「ひっ!」
 食いしばる歯の隙間から洩れる小さな叫びとともに、ぶるぶると啓輔の体が震える。口内に迸った精液を音を立てて飲み込むと、ちらりと窺う先で啓輔が真っ赤になって口を押さえていた。
 その口から、はあはあと荒い息が漏れていた。
 口から抜く前に舌でざらりと舐め上げると、ぶるっと全身が震えている。
 眉根をきつく寄せて痛みに耐えているような表情がひどく扇情的で、いまだズボンの中にある家城のモノをさらに硬くした。
 今すぐにでも挿れたい……。
 こみ上げる思いを必死で堪えるが、しゃべり出せばその声が情欲に煽られて掠れていた。それでも、言葉を継ぐ。
「聞こえたかも……知れませんね」
 途端にかあっと全身を朱に染める啓輔の姿が、ひどく可愛く見える。
 その頬に手を添えそっと口の端に口づけると、啓輔が涙が浮かんだ瞳で家城を睨め付けていた。
「い、いいのかよ……」
 震える声がずきりと股間を刺激する。
 だが、確かにばれるとマズイとは思う。
 そう思っただけなのに、その動揺を啓輔は逃さなかった。
「あんただって、強ばってんじゃん」
 頬に触れてくる手のひらがしっとりと汗ばんでいて、吸い付くようだ。
 その手に頬を押しつける。
 ああ……どんな誤魔化しも啓輔には通用しない。それどころか、家城すら気付かない感情の動きに啓輔は気付く。
 それが堪らなく嬉しい。
 そして、何よりもそれが家城を高める。
「それでも……」
 熱い息を吐く。
「我慢はできませんよ」
 啓輔が自分のことを理解してくれるから、愛していてくれると知っているから、求めてしまう。
「うう……俺も、挿れたいんだけど……」
 唸りながら訴える啓輔にそっと口づける。
「また今度にね」
 そういう欲求を素直にぶつける啓輔だから、受け入れてもいいと思う。
 だけど、今日は駄目だ。
 我慢できない。
 挿れたい欲求を……。
 啓輔の背筋を伝い、双丘を割って指をさし入れる。
「んくっ……」
 首に回された啓輔の手がきゅっと家城の首筋を掴む。
 異物感に悩ましげに体を捩る啓輔をなだめるようにキスを落としながら、ジェルの助けを借りながら、それでも性急に解していく。
 家城とて隣室にいる櫂の気配が気になってはいる。
 だからこそ、早く終わらせないとという意識に支配されていた。
 それが性急な動きとなり、啓輔を責め苛む。
「んっ……ふぁぁっ……あぁ」
 徐々に啓輔の声が大きくなる。
 その声を吸い込むようにキスを施し、声を押さえさせた。
 だが息苦しくなるのか、家城の顔を押しのけようと啓輔の手が動く。
「声を……」
「んっな……ことっ…くっ!」
 指を奥深く差し入れ、感じるところをつついているから我慢できないのは判っている。
「啓輔……挿れますから、口を塞いで……」
 その忠告は耳に入ったようで、啓輔の両手が自分の口を塞いだ。
 ぐっと足を持ち上げると、その間に腰を進める。
「啓輔……いきますよ」
 声をかけると、切なげに家城を追いかけていた目が固く閉じられた。
 それを見計らって、ぐいっと腰を進める。
「むぐぅっ!」
 いつもなら艶やかな嬌声が聞けるのに、今日はくぐもった声がそれでも大きく響く。
 太い部分がまだきつい啓輔のそこを通り抜けるまで、啓輔のくぐもった呻き声は洩れ続けた。
 最後にぐいっと押し入ると、びくんっと啓輔の体が震えた。
 しばらくそのまま待っていると、啓輔の荒い息が徐々に落ち着いてくる。その眦に浮かんだ涙がぽろりとこめかみを伝った。
「純哉……俺……我慢できない……」
 熱い吐息とともに洩れる声は掠れていた。
 開いた瞳に写るのは、同じく情欲に満ちた家城の瞳だ。
「動きますから……声だけは……」
「…努力は……する」
 それにくすりと笑みが洩れた。
 啓輔らしいと、心が穏やかになる。
 ゆっくりと家城は腰を動かした。
 狭い肉壁をまとわりつかせながら抜けてくるそれ。抜ける寸前で止めたそれを今度はゆっくりと挿入する。
「ん……んん……」
 ざわざわとうねるようにまとわりつく肉壁の感触は、家城を絶頂へと高めていく。
 最初はゆっくりと……しかし、だんだん我慢できなくなって早くなっていく抽挿に、啓輔の漏らす声が早く激しくなっていった。
「あっ……ふあっ……あ、もっと……そこ……」
 口を塞いでいた手に力が入らなくなっているのか、洩れる声が止まらない。
「啓輔……声を」
 そう言っている家城自身、止まらないのだからしょうがない。
「あっ……そこ、もっと……あっ……やあっ……」
 奥深くを抉られている啓輔のモノは、再びきつくいきり立っている。
 それに手を添えた家城は、敏感なくびれをきつく指で扱いた。
「んぁっ……はあっ……あっ……っ」
 熱くて、柔らかくて……そして、きつい。
 啓輔の中はいつだって、家城を狂わせる。
「あっ……もう……俺……」
 啓輔の喉からせっぱ詰まった声が漏れた。
 後ろの抽挿に前の激しい手の動きで、啓輔は一気に限界を超える。
「あっああっ!」
 部屋に響く嬌声とともに、二度目の迸りが互いの腹を汚した。
 途端にぎゅっと後孔が締めつけられる。
「ううっ!」
 家城の喉が鳴り、途端に限界を越えて啓輔の中に迸らせた。


 本当なら、もっとしたい。
 だが、白々と明けかけている外。
 それに……確か、昼までには帰らなければならない啓輔。
 その後の事を考えると無茶はできない。
 アルコールと激しい運動、解放された性欲と三拍子揃った啓輔は、今は家城の腕の中でこんこんと眠っている。
 このまま直前まで寝かせてあげるためにも、後始末だけはしておかないといけない。
 家城はそう判断すると、服を整えるとリビングと出て行った。
 と。
「ここ、どこ……」
 明るくなり始めたリビングのソファに体を起こした櫂の姿に、ぎくりと硬直した。
 動けなくて佇む家城の顔をじっと見つめていた櫂が、はっと我に返る。
 何かに気付いたように数度辺りを見渡して、再度家城へと視線を向けた。
「もしかして、ここ家城さんの家?」
 窺うような目つきに、家城はこくりと頷いた。
「そっか……っていうことは、啓輔も一緒?」
「え、ええ。彼なら、あちらで寝ています」
 視線で隣室のドアを示す。
 どことなくぼんやりとした様子は、どうやら先ほどまでの出来事は気付いていないらしい。
 ほっとしながらも、表情を変えることなく、櫂に話しかけた。
「もう少し、寝ているといいですよ。啓輔も熟睡中ですから。まだ早いですし」
「すみません……」
 素直に応じて、ぱたりとソファに体を預ける櫂。
 幾ら小柄とはいえ大の男にソファは狭そうだったが、気持ちよさそうに目を閉じる。
 その様子を見てそれからバスルームに向かおうとした家城を、櫂の声が引き留めた。
「あのさあ……さっき、妙な声って言うか鳴き声みたいなのが聞こえたんだけど……それで目が覚めちゃったんだ。何か聞いた?」
「声?」
 まさか……っ!
 内心の激しい動揺を必死で押し殺す。
 これが啓輔ならさっさと見破られたであろう動揺は、櫂は全く気付く様子もなく、こくりと頷く。
「うん……そうだ、ネコの盛っている声っていうか……あの煩い鳴き声に似てた。どっかネコ飼っているのが聞こえたのかな?」
 ネコ……。
「あ、ああ……そうかもしれませんね……」
 盛っているというのは正解だが……。
 背筋に流れる冷や汗は、大粒の玉となって流れていく。
「ああ、やっぱそうか……。もう、近所迷惑だよねえ、そんなの」
「ええ……そうですね。でももう落ち着いたようですから、大丈夫ですよ。寝てください」
「は?い」
 その返事を最後に櫂は、再び規則正しい吐息を漏らし始める。
 その寝顔をじっと見つめる。
 たぶん寝ぼけた頭でドア越しの声を聞いたから、ネコが盛っている声に聞こえたのだろう。
 その勘違いにほっとする。
 啓輔との仲を恥じるつもりはないが、所詮は一般には受け入れられないことだ。
 家城にしても啓輔にしても、今の暮らしを捨てたくはないのだから。
 何よりも……啓輔と離れたくはないのだから……。
 やっぱり……人がいるときは止めた方がいいな……。
 何せ、快楽に捕らわれた啓輔は、その声を抑えることができないのだから。
 それに、その声は家城の心を酔わせてくれる。
 どんな酒よりも気持ちよくしてくれる。
 だから、塞ぎたくなどない。
 もっと……したい……。
 ちらりと窺う寝室へのドア。そこで寝ている啓輔を想い、しかし、家城は大きく息を吐き出してその熱を外へと吐き出した。
「疲れた……」
 片づけて、目覚めた櫂に踏み込まれてもばれない状態にまで持っていって……。
 そうして何事もなかったかのように振る舞うために。

 それに……。
 今の顛末を啓輔に聞かせれば、もう二度と他人をここには連れてこないだろう。
 真っ赤になって狼狽えている啓輔が脳裏に浮かび上がり、笑みが口元に浮かぶ。
 他人がいると心おきなくできないし……。
 啓輔だってそう想うはずだ。
 まだまだやりたい年頃の性欲旺盛な啓輔だから、我慢なんてことはできやしない。

 洗面器に湯をはって、寝室へと戻る。
 すうすうと幸せそうな寝顔の啓輔を見ていると、胸の中が温かくなる。
「もっとしたいけれど……無理ですよね」
 それでも、そっと啓輔の額に口づける。
 体を拭いて、中に出したモノを掻き出す。
「んっ……あぁ……」
 その刺激に啓輔が喘ぎ声を上げながら、うっすらと目を開いた。
「な…に?」
「すみません、起こしてしまいましたね。もう終わりましたよ」
 出したモノを拭き取り、その体にパジャマを着せかける。
「ありがと……」
 虚ろな声。
 その体を横たえ、傍にするりと潜り込む。
「まだ寝れますよ。寝てください」
「ん……」
 とんとんとあやすように背を優しく叩くと、すりすりと鼻先を家城の胸にすり寄せる。
 寝ぼけているのだろう、ひどく甘える仕草をする啓輔を家城は柔らかく抱き込んだ。
 温かい体温が心まで染み通ってくる。
 力を失った体が腕の中で静かな寝息を立てる。
 もう眠ったと想ったから、ふっと自然に言葉がついて出た。
「好きですよ」
 と、眠ってしまったと思っていた啓輔がにっこりと口元を綻ばせた。
「俺も……大好きだ……」
 微かに、そう聞こえた。
 そしてそれは、家城の全身を真っ赤に染め上げるのに十分すぎる力を持っていた。
                        FIN.