上からのしかかられては、息苦しいことこの上ない。だが、同時に包み込まれるような熱はひどく心地よくて、もっと包んで欲しいと願っていた。
再び振ってきた唇が合わせられ、導き出された舌が甘噛みされる。
「…ふっ……」
鼻にかかったような声が漏れる。
ざわざわと肌が微かな震えを起こし、誠二は堪らずに矢崎の腕に縋り付いていた。
その手がズボンの上から太股の内側をなで上げる。
そのもどかしい感触に、誠二は思わず腰を擦り寄せていた。
「すごい……」
矢崎が感嘆したかのように呟く。
「は…やく……」
誠二のモノは限界まで高ぶっており、早く楽にして欲しいと訴えている。
だが、矢崎はゆっくりとしかその手を進めない。
焦れったくて堪らなくて、誠二は自らズボンに手をかけた。
矢崎が止める間もなく下着ごと一気に脱ぎ去る。
太股に巻かれた白い包帯が、白い肌に映えていた。
それを見た矢崎がなぜか苦笑を浮かべて目を逸らす。
「いいんですかね、こんなことして……」
そっと包帯の巻きに沿って触れた指が、上へと向かう。
「しょうがないだろ。我慢できないんだから」
包帯……汚れるかな?
ちらりと浮かんだ考えを振り払うように、足首に絡まっていたズボンから足を抜いた。
ほら、動かして痛くない。
車の中で薬も飲んだ。
無茶しなきゃ大丈夫なはずだ……。
手早くシャツも脱いでしまう。
「誠二さ?ん、勝手に脱がないでくださいよ」
むっと唇を尖らして文句を言う矢崎を睨み付ける。
「お前が早くしないからだ」
矢崎の首に手をまわしてぐっと体を押し付けた。
熱くて硬くなっているそれが矢崎のズボンの生地と擦れ合い、ずきんと激しい快感を呼び起こした。
「……あっく……ほら……早く脱げよ、お前も……」
「もう……脱がせる楽しみが……」
ぶつぶつと文句を言う矢崎がそれでも手早く服を脱ぎ去った。
「何、オヤジになってんだよ」
跳ねるように飛び出したそれに触れると、矢崎がうっと小さく唸った。
「お前のも……限界だろ……来いよ」
先走りの液が滲み出ているそれを親指で押さえると、矢崎が苦笑混じりの息を吐く。
「誠二さんもね」
矢崎の手が誠二のいきりたったモノの後へと進んでいった。
柔らかく揉みほぐされるそこにつぷりと指が入ってくる。
「ん……」
最初は異物感。
だが奥に進む指がやんわりと壁を広げていく。そこにあるのは異物感だけではない。
「あ……く……」
誠二が矢崎の首に縋り付く肩に顔を埋める。
ついでにぺろりと肩胛骨の辺りを舐めると、矢崎の喉が震えた。
それが面白くて、今度は吸い付いて見ると、タンクトップの形に焼けた肌の境に朱色の印がつく。
「……キスマーク……」
「あ、もう……そんなとこつけたら、覗いてしまう」
ムッとした顔が間近で誠二を睨む。
それにくすりと笑みを返した。
「だって……お前、結構逞しい体してっから……、おばちゃん達に人気なんだぞ。だから、見せなくていいんだよ」
「別におばちゃん達にモテても嬉しくないですね……でも、誠二さんはこんな俺、どう思います?」
問いかけられ、つられるように矢崎を見上げる。
どんなって……。
誠二よりははるかに逞しい体に見惚れてしまう。
ふいっと視線を逸らした。
なんだか顔が熱い。
「お前の裸なんか見慣れてしまったよ」
吐き出すように言った言葉が微かに掠れていた。
「相変わらず素直じゃないですね……」
「うるさいっ」
矢崎の手が背けた顔を捕らえて、上向かせた。
「そうやって、いっつも俺を見つめて、誘ってくれるんですから……堪ったものじゃない」
「……うるせ……っん!」
ぐんっと深く差し込まれた指に思わず腕に縋り付く。
「今日は……我慢した分、たっぷりとできるんですよね」
熱い吐息が肌をくすぐる。
触れあった部分から伝わる熱がひどく熱い。
「…あ、あぁぁ……もう…いいから……」
矢崎とて我慢の限界のはずだ。
誘うように動く腰に煽られたのか、指の動きはどこか性急だ。
そう間をおくことなく、二本目の指が挿入された。
広げられることにより圧迫感がある。しかも指が二本になれば、単純な動きからよりいっそう複雑な動きになる。
互いに折り曲げられ、そして伸ばされる。
一本が曲げられると、もう一本が穴を広げようとする。
「……ん…っ!」
違和感を逃すように息を吐く。
掠れた声のような吐息と、くちゅりと濡れた音が重なった。
かああっと全身に熱が籠もる。
「熱い……ですよ、ここ」
囁くように言われ、耳朶を噛まれる。ぺろりと伸びた舌が、首筋を這っていた。
ぞわぞわと総毛立つような刺激に首をすくめるが、矢崎の頭があるから完全には避けられない。
力の入った首筋は、下肢からくる甘い疼きにあっという間に弛緩した。
「や……そこ……」
もう一方の手が、柔らかく袋を揉みしだく。
むず痒いような甘い刺激に、思わず口元に当てた指を噛んでいた。
「んくっ……ふっ……うぅぅぅ」
喰い縛った歯からは与えられる刺激のリズムに沿って息が漏れる。
「もう、限界?」
あくまでも平静を装っている矢崎の声に幾分ムッとしながらも、それでも何度か首を振った。
虚ろな視線の先にあるのは、欲情の色に染まった矢崎の目。
ちらちらと燃える炎の色合いが、山火事の時に見た炎の色を思い出させる。
闇夜の中で炎に照らされた矢崎の横顔は……凛々しくて誠二を欲情させるのに十分だった。
「や…ざき……」
欲しかったのは自分の方だ。
煽られたのは自分。
いつだって、この体が矢崎を欲している。
自分がこんなにも淫乱だったとは……。
契約をしてつきあっていた時には、こんなにも相手が欲しいとは思わなかった。
することは好きだったが、だからと言って自分から貪りたくなるなんて思うことはなかった。
くちゅ…っ。
自分の後ろからする音に羞恥心がますますわき起こる。
あそこがそんなにも解れている。
そして……。
矢崎の手が自在に動くように掲げられた足。
その付け根にある誠二のモノはしとどに濡れており、今もその先から滲むように透明な液が出ていた。
「んああっ」
体の奥から一点を指で突かれる。
今までにない激しい刺激で、背筋が大きく仰け反ってしまう。
腹の上で張りつめていたそれがぴくりと大きく震えた。拍子に腹を打ったそれと腹の間に透明な糸が引かれていた。
「誠二さん……すごい……こんなにも濡れて」
ぬるり、と矢崎の指が誠二の先端からその液をぬぐい取る。
きつめに押された瞬間、再び誠二の体は跳ね上がった。
「んああ……もう……」
抗議の視線は、無視された。いや、その朱に染まった目で睨んだことにより、矢崎の動きに激しさが増す。
「……ふあっ……くっ……」
ぐっと増やされた指で解されていたそこに、太いモノが押し当てられる。
「誠二さん……もう…」
切羽詰まった声に、一も二もなく頷いていた。
我慢できないのはこちらもだ、と言わんばかりにしがみつく。
ずるりと抜けた指。
その後が閉じきらない内に、ぐぐっと押し入れられた。
びきびきと音を立てそうなほど、そこが広げられる。
息を飲む程の圧迫感。
どこか柔らかいのに、だが太い芯は限りなく硬い。
それが押し広げて入ってくる。
「あ、ああ……あっ!」
眉根を寄せ、硬く瞑った目尻から生理的な涙がこぼれる。開いた口は閉じられることなく、喘ぎ声を漏らしていた。
「誠二さん……そんなに…締めないで…」
顔をしかめている矢崎が、そっとその手で矢崎のモノを握りしめた。
先端の敏感な部分を軽く爪弾かれ、びくんと体が震える。
「あっ」
その刺激に小さく叫んだのと、矢崎が一気に押し進んだのとが同時だった。
「ひっ!」
思わず見開かれた視界の先に矢崎の顔に満足げな笑みが広がる。
ふっとそれを見ると強張っていた体から力が抜けた。
ゆるゆると扱かれる刺激もそれを手伝う。
ぞわぞわと全身が総毛立つような疼きに支配されいていた。
それに堪えられなくて僅かに身動ぐと、体内で矢崎のモノが肉壁に絡みつくように動いてしまう。そのせいで、増すのは快感。
「んっ……、はあああっ……」
大きく一回息を吐き出すと、矢崎にしがみついていた力を弱めた。
「足……大丈夫ですか?」
心配そうな声音に、笑みを見せて答える。
「大丈夫だ……心配するな」
どこかひきつれたような痛みもないことはない。
だが、今はそれに気を取られたくなかった。
感じていたいのだから、矢崎を。
ぞくぞくっとした刺激を下肢の間から感じ、じっとしていた矢崎の腰が僅かに動きだしたのに気付いた。矢崎とて我慢できないのだ。
それにくすりと吐息に込めて笑みを漏らすと、矢崎にぐっと腰を押し付けた。
「うっ」
「あ」
より深く抉られ、眉をひそめて硬く目を瞑る。
「……もういい、から……」
誘うように囁く。その声はすでに欲情で掠れていて……。
「誠二さん……」
ぐんと一際強く押し付けられて、体が仰け反る。
ずるずると音がしそうなそこからぎりぎりまで抜かれ、そして勢いよく押し込まれる。
「んあっ」
ずんっと最奥を突き上げられると息が止まる。
抜かれるときには、内壁が引っ張られる全身が総毛立つような刺激。
矢崎が中にいる。
その熱が誠二の体内で解け合っている。
「あ、……イイ……」
「俺も……イイっ」
耳元で矢崎の息吹が聞こえる。
荒いそれが矢崎の激しい心情を伝えてきて、誠二の体をより一層燃え上がらせる。
「矢崎ッ……もっと……もっと……」
喘ぐようにねだる言葉は無意識だ。
ただ快感にどん欲になって、さらに先を求める。
嬉しくて、楽しくて、幸せだと……。
その温もりが恋しくて、縋り付く。
ずくんっと背筋を走る快感に、ぎゅっと握る指に力を込める。
汗が噴き出した肢体が互いに絡みつく。
「あっ……ああっ……」
先にイッたのは誠二の方だった。
ちらりと、昼間も出したのに……と脳裏に浮かんだのは、休む間もなく突き上げられた次の瞬間には忘却の彼方だ。
未だ痙攣するそこから滲むように残滓が出てきているというのに、敏感な体にとどめのような新たな刺激は強烈すぎた。
萎えることなく、一気に硬度を増してしまう。
「あ……ちょっと……」
「もう少しっ!」
抗議の声は切羽詰まった声の前には無意味。
誠二は諦めて口を閉じる。
いや、もう喋る気力もなかった。
突き上げられ、抉られ続けたそこは、先より激しい快感を伝えてくる。
「ふっ…ふっ……」
短くそして深い抽挿に自分で呼吸がコントロールできなかった。
ただ、突き上げられた時に息を吐き出し、抜かれる時に息を吸う。
朦朧とする頭が酸素を求めていた。
なのに……。
「ああっ!」
激しい射精感を必死で堪える。
まだ矢崎はイッていない。
堪えて、その時を待つ。
「誠二、さん……もうっ!」
「あ…お、れも……っ」
ぐんと一際大きく抉られた。
途端に奥深くに迸る熱いモノを感じ、誠二も自分を解放する。
「あ、ああっ!」
弾け飛んだ意識。
痙攣する互いの体がしっかりと抱き締められていた。
投げ出された四肢は、力が入らない。
時折、ぴくりと動くのは指先だけ。
「誠二さん……」
愛おしむように大きな手が誠二の頭をなでる。
「ああ……」
解放された体はひどく怠い。だが、どこかすっきりとしているのも事実。
文字通り溜まっていたモノをすっかり吐き出してしまえば、後に残るのは、『幸』の一字。
奇しくも自分の妻の名と同じ文字に、それでも感じたのは僅かばかりの罪悪感だけ。それすらも。
幸がしろって言ったんだから。
その記憶が誠二を罪悪感から解放する。
「包帯……汚れましたね……」
言われて何とか視線を動かせば、白かった包帯が飛んだ飛沫で濡れている。
「やべ……」
言うことをきかない上半身を起こそうとすると、矢崎が背に手を当てて手伝ったくれた。
足を曲げ包帯を見てみると、汚れているし解けかけているし……見るも無惨な有様だ。
「下にガーゼ貼って、それを押さえているだけだからさ、外していいんじゃねーの」
そう言いながら、するすると包帯を解く。
「いいんですか?」
「だって、しょーがねーだろ。この状態で病院に行くわけにはいかないし」
だいたい、こんな状態の包帯を幸達に見せるわけにもいかない。
「傷は?開いていないでしょうね?」
矢崎の問いに逡巡してから首を縦に振る。
たぶん大丈夫だろう。
痛みはない……。
動かすな……とは言われていたけれど……なんだか思いっきり動かしたような気がする。
「それ……シャワー浴びれませんよね」
「ああ……」
二人して、じっとそのガーゼを見つめる。
矢崎の視線がちらりと誠二の股間に走ったのには気づいていた。
したばかりだから、そこはお互いが放ったもので、濡れて乾き始めている。
このまま帰るわけにはいかないのは二人とも承知していた。
「ちょっと待っていてください」
全裸のままの矢崎が浴室へと向かう。
ほどなく帰ってきたその手には、湯をはった洗面器とタオルがあった。
「体、拭きますよ」
「……ああ」
すうっと赤くなっていく頬を背けながら、誠二は頷いた。
他に選択肢はない。
ベッドに腰掛けた誠二の体を矢崎が絞ったタオルで上半身から下に向かって拭いていく。
背中までは気持ちいいだけだった。
だが、脇の下や胸にそれが触れると、じわじわと熱いモノがこみ上げてくる。
やばい……。
熱くなった熱が一カ所に集まっていく。
「……」
ふっと矢崎の手が止まった。
跪いて拭いていた矢崎の視線が誠二の顔を覗き込む。
面白そうに口の端を上げている矢崎に、誠二は嫌な予感がした。
「……誠二さん……まだ足りない?」
くすりと笑みを零す矢崎の視線がちらりと誠二の股間に向けられていた。
「うるさい!お前が触るからだ。さっさと拭けよ」
ぷんとそっぽを向くが、心臓がどきどきと高鳴り、その上全身がうっすらとピンクに染まってしまっている。
「誠二さん……綺麗です」
ごくりと唾を飲む音が誠二の羞恥を余計に煽る。
タオルを一度洗い、矢崎が再度拭き始めた箇所はその半勃ち状態のモノ。
シワの隅々までゆっくりとなで上げられ執拗に拭かれる。ぞくぞくと収まったはずの熱に誠二もぎゅっと手を握りしめた。
硬く瞑った目蓋がふるふると僅かに震える。
「……ん……」
漏らすまいと思っても、自然に喉から溢れ出していた。
「矢崎……止めろ……」
すっかり勃ってしまったそれは、再びにじみ出した液で濡れ始めた。
「誠二さん……また汚れてしまいましたよ」
ため息混じりの矢崎の言葉に、思わずその頭を平手で叩いていた。
「おまっ!誰のせいだとっ!くっ」
怒りにまかせて吐き出したとたん、タオルに包まれたそれがぎゅっと握りしめられる。
「俺は、拭いているだけですけど?」
子供のように悪戯っぽく見返される。
「拭いているだけって……あっ……もう……」
性懲りもなく解放を求めるそれに、誠二は自分の体が信じられない。
昨日から何回イッていると思うんだ?
だが、そこは持ち主の意に反して、今にも暴発しそうだ。
自分でするときは一回出せば満足するのに……。
追い上げられた快感に、思考がストップする。
「あ、もう……」
掠れた声に、矢崎が一気に上下の動きを早くした。
タオルのざらつきが先端をこすり上げる。
「ひっ!」
堪えきれずに出した白濁したモノは、タオルへと受け止められた。
はあはあと肩で息をする誠二をしり目に、さっさとタオルを洗面器に入れて浴室へと行ってしまう。
ぱたんと仰向けにベッドに倒れ込んだ誠二は、今度こそ起きあがることができなかった。
戻ってきた矢崎とともにベッドの上で惰眠を貪る。
矢崎の体が伝える温もりが心地よかった。
と。
「あっ」
矢崎が小さく叫んで、ばっと跳ね起きた。
窓の外はすでに明るい日差しで満ちている。
慌てて時計を確認していた矢崎が呆然と、誠二を見遣った。
「どうした??」
すっきりとした体は、なんとも言えない怠さと後穴の違和感に支配されていた。
このままぎりぎりまで寝ていたい。
だから、おろおろと狼狽えている矢崎を鬱陶しく見つめる。
「誠二さ?ん、どうしよう……?」
「何が?」
何をそんなに狼狽えているのか検討もつかない誠二は、苛だたしげに矢崎を睨み付けた。
「もう今日なんですよ」
「今日?」
何とのことか判らない。
顎をしゃくって続きを促す。
「だから……ホースの片づけ」
ホース?
まだぼんやりとした頭がその単語を理解するのに数秒を要した。
「ホース……って……げっ!」
思いっきり手をついて誠二は跳ね起きた。
急な動きにずきんと痛んだ足は無視して、ベッドに座り込んで矢崎に詰め寄る。
「何時からだ?」
「10時……」
慌てて時計を見ると9時半を回っている。
「やっべー」
誠二はまだいい。
怪我をしているから、その作業の参加は免除されているようなものだ。
だが、矢崎は……。
そして食事会があるから、こういう行事には意外にまめな出席率の智史が来ているはず。
「行かないと何言われるか判らないっ!」
吐き出した言葉が見事なまでに揃ってしまう。
慌ててシャツを取り上げるが、怠い体がいっこうに言うことを効かない。
「もっと早く思い出せよお?」
泣きたくなる、とはこのことだ。
ばたばたと矢崎が着替えると、誠二を手伝う。
「それでなくても今日やったのって気づいてるはずですよね」
ため息混じりの矢崎の言葉に、頷きたくはないが頷くしかない。
「これで遅れていったら、にやにや笑いながら『いつまで遊んでんだよ』とか何とか嫌みたっぷりに言ってくれそうじゃないか?」
「ほんとに……俺なんか、月曜日からずっとそう言われ続けるんですよ。それネタに結構こき使われちゃったりするんですから……」
ぶるっと身震いしている矢崎の手を借りて、ベッドから立ち上がる。
心底嫌そうな矢崎に同情して、その頬にちゅっと口づけた。
「済まないな……昨日、ばたばたさせちまったから……真」
それで智史に知らせてしまったのは迂闊といか言いようがないが、矢崎とて他に頼る人間もいなかったのだろう。別に矢崎のせいだけではない。
だから、ふっと呼んでみた。
普段呼ばない名前の方で。
とたんに心底嫌そうだった矢崎の顔がぱあっと明るい笑顔になる。
「ああ、誠二さんが名前読んでくれるだけで幸せです」
がばっと抱きしめられてしまう。
その力強さに息が詰まり、慌てて這い出す。
「馬鹿力っ!絞め殺すつもりかよっ」
「ああ、すみませんっ!」
緩んだ手の中で大きく息をする。
それにしてもたかが名前じゃねーか……。
俺は『矢崎』の方が呼びやすいのに……。
誠二の向ける視線に矢崎が嬉しそうに笑い返す。
「真?」
試しにもう一度呼んでみると、ほんとに嬉しそうに「はい」と返事をする。
すでに智史のことなど頭にはないようだ。
「なあ……帰るんだろ」
ため息混じりの意味に気づかないだろう。
嬉々として、「はい」と返事をされては誠二も肩を竦めるしかなかった。
一体時速何キロで飛ばしてくれたのか……。
絶対間に合わないと思っていた時刻に、機庫の裏の空き地に停めた車の中で、誠二は呆然と矢崎を見つめていた。
その視線に気づいた矢崎がにかっと自慢げに笑う。
その目が何か催促しているように見えた。
ああ、もう……。
「真……」
手を伸ばして絡めた首を引き寄せる。
「誠二さん……」
あたりに誰もいないことを確認して、軽く口づける。
触れるだけで離れたそれを矢崎が名残惜しそうに見つめていた。
「さてと、行こうか?」
ぐずぐずしているとみんなが来てしまう。
二人揃ってドアを開けたとたんだった。
「熱いね……」
ため息混じりの声が降ってきて、二人はそのままの姿勢で硬直した。
智史の声なら、そこまでは硬直しなかった。
聞き覚えのある声。
だが、それは智史ではない。
「良かったな、見られたのが俺達だけで」
良くない……。
良くない、良くない、良くない……。
きっとすべてを見てしまったと判ってしまうその言葉に、ごまかす言葉も思いつかない誠二は、情けなく口元をゆがめてその人を見た。
「分団長……それに、谷部まで……」
二人揃って機庫の二階の窓から見下ろしている。
そこからなら、フロントガラス越しにしっかり目撃されているのは当たり前。
確認したときには閉まっていたのに……。
視線を外した僅かな隙に、窓から見下ろしたのだろう。
「あの……他には?」
矢崎の掠れた声は決して欲情したものではない。
ひきつった頬が、不安を伝えている。
「だから俺たちだけ。まだ来ていない」
分団長の簡単な返答。だが、どこか抑揚のない声は二人をひどく不安にさせる。
「まあ、上がってこいよ。滝本さんは遅れるって言っていたし、そのうちみんなも来るだろう?」
「はあ……」
確かにここでいつまでも固まっているわけにはいかない。
誠二は矢崎の手を借りて、機庫の二階へと上がっていった。
「お前ら……あんまり目立つなよな」
入るなり言われた言葉に、誠二も矢崎も真っ赤になって押し黙る。
分団長の眉間のシワに警戒は解れない。
「二人とも……結構バレバレですからね……」
はあっとため息混じりの谷部が、薄ら笑いを浮かべていた。
「山火事の休憩の時も仲良さそうで……」
「矢崎ときたら、滝本の世話となるとほんとまめまめしいからなあ……」
もしかして……。
誠二の不安は、分団長のにやりとした笑みに肯定されてしまった。
「お前らのこと、気づかないとでも思っていたのか?」
思っていました……。
声もなく項垂れる誠二に、分団長がだめ押しの一言。
「お前らができているのは、俺と谷部はずいぶん前から気づいていたよ」
「……そうですか……」
他に言うべき言葉が見つからなくて、それだけ呟く。
だが。
「知っていたって……でも、何も言わなかったじゃないですか……」
矢崎の言葉にはっと顔を上げる。
視線の先にいる分団長が谷部と顔を見合わせた。
「まあ……別に二人の問題だし。なんていうか……そういうのに嫌悪感ってやつが、どうも俺にはない方みたいだし」
「そうそ。別に二人がどうこうしたって、俺たちには関係ないし……見ていて面白いし……」
「そうだよな。こう、必死で隠そうとしているわりには意外と大胆だったり」
「喧嘩している時って、もう見ていておかしくなるくらい矢崎さんが狼狽えているし」
かたかった二人の表情がどんどんと和らんで来る。
最後には、くすくすと笑いながら言い合う二人に、誠二と矢崎は呆然と立ちつくしていた。
え?と、これは……。
別に気味悪がられているとか……そういうことではないんだよな。
二人の反応は決して最悪なものではない。
むしろ好意的だと思えるのは気のせいではないだろう。
「あの……」
思い切って会話に割り込もうとすると、にかっと分団長が誠二達に笑いかけた。
「まあ、俺たちは別にお前らのことは気にしていない。好き合ってんだからしょうがないだろ。ただな、もうちょっと自制しな。でないとそのうち俺たち以外にもばれてしまうぞ」
その言葉は二人を揶揄しているのでなかった。心底心配してくれているのがその口調と表情で判ってしまう。
だから、二人揃って頷いた。
「ありがとうございます……」
矢崎の言葉が機庫に響く。
ほどなくしてやってきた智史が矢崎の様子を見て取って、誠二の頭をこずく。
「何をしたらあの矢崎があんなに機嫌がよくなるんだ?」
答えられない質問に、ため息をつく。
「判っているくせに」
だが、何のことだととぼける智史に誠二はただ逃げまどうしかなかった。
それに気づいたのは意外にも分団長で、手を振って智史を呼び寄せる。
「滝本さん、これ頼んます」
外面は最高の智史が分団長の言葉にはにっこりと笑みを見せて従う。
「分団長、今日はどこで食事です?」
谷部の声に分団長の声が返された。
「回転寿司と焼き肉……どっちがいい?」
すかさず矢崎が。
「焼き肉っ!」
「あ、俺も」
はっきり言って腹減った。
食べる話なら参加できると張り切って声を上げる。
「そうだな……焼き肉」
智史もしばらく考えてからそう言った。
焼き肉組が大勢を占めている状態で残ったのは谷部。彼がぽつりと言う。
「俺……先週も焼き肉……」
「ああ、そうか」
はたと分団長が気がついたかのように手を叩いた。
「じゃあ、今日は回転寿司」
な、なにがじゃあ、だ?
なんだか谷部の意見であっさり決まってしまったそれに、焼き肉組が不平の視線を送る。
「いいじゃねーか。こいつは先週焼き肉たっぷり喰ってるから、今日は違うのにした方がいいんだよ。それに、肉ばっか喰ってっとその腹回りがさらにぶっとくなるぞ」
指さされたのは誠二の腹。
「お、俺っ!太ってないぞっ」
「そうか、矢崎?」
抗議の声に、分団長がちらりと矢崎に視線を送る。
「え、ええ。誠二さんは最近は太ってませんけど……」
何気なく答えた矢崎に、分団長と谷部が堪らず声を上げて笑い出した。
他の団員達が訳がわからなくてきょとんとしている。
「何なんだ、一体?」
誠二と矢崎も何で笑われているのか判らない。
そこへ智史が傍に寄ってきて、誠二の肩をぽんと叩いた。
「なあ……なんで矢崎が、誠二が太っていないと断言できるんだ?」
にやりと嗤いを含ませたその言葉に、しばし逡巡し、そしてかあっと顔が熱くなる。
「ま、直に見ている矢崎だからこそだよな。俺でもお前が太ったかどうかは知らないからな……」
次に、さああっと血の気が引く音は、二人分。
「さてとっ!始めるかっ!」
ぎらぎらとした暑い日差しの中、本日の出動者7人が作業を始める。
面倒くさいがその後のことを考えると楽しいはずの作業。
だが、誠二と矢崎は顔を見合わせて、ひたすらなが?いため息をつくしかなかったのだ。
【了】