【仕事してよ 滝本恵編】

【仕事してよ 滝本恵編】


 川崎理化学営業三課の滝本恵は、携帯のメールを確認して、ほっとしていた。
メールの相手は、篠山義隆。恵の恋人だ。
ここんとこ一週間ほど、毎日のように押し掛けてきた義隆にいささかうんざりしていた恵は、メールの「今日いけない」という内容に心底ほっとしていた。
 義隆って、もう節操がないっていうか。

 恵はため息をついた。
 義隆と来たらこっちは忙しくて遅くなっても、ずっと恵の部屋で待っている。
 最初のうちはそれも嬉しかったけど、一週間ずっとそれをやられたら、こっちもいい加減嫌になってくる。疲れて帰った途端に、抱きしめられてそのままキスされて押し倒されそうになると、やめてくれっと叫ぶのも仕方がないと思うのだが、そうすると今度は義隆の機嫌が悪くなる。
 そりゃあ、まあ。
 俺の体を気遣って、最後までいくことは・・・・・・そのうち1回しかなかったけど・・・・・・。
 次の日、ほんとに仕事が堪えたから。俺は営業の外回りに出かけなきゃ行けないのに、腰がだるくて、痛くて・・・・・・運転席に座るのもつらくて・・・・・・しょうがないから適当に言い訳して部屋で事務処理ばっかしてたら、課長に嫌み言われるし。
あの人、俺達のこと知っているから・・・・・・・お陰でなんかその日一日、針のむしろ状態。
さすがに義隆に平日は駄目だって言って聞き届けて貰えたけど。
 でも、俺はキスだけで感じるんだってば!
 義隆ってすぐ俺に、キスしてくるんだから・・・・・・。
 義隆って、キスが上手なんだよなあ。
 昨日だって最初は頬にキスしていたのに、だんだんずれてきて唇を貪られて・・・・・・。
 舌が入ってきたら、もう、俺感じまくっちゃって・・・・・・。
 全くもう、義隆ったら、俺って感じて火照ってしまった体静めるの大変なんだから・・・・・・。もう助けてよお、状態に落ちいったら、義隆の手、止められなくなるんだよなあ・・・・・・。
 そんなことを考えていたら、顔が火照ってきた。
 うう、まずい。
 仕事をせねば!
 慌てて、目の前の見積もり書を取り上げようとした時、脇からのびてきた手に携帯を取られた。
 げっ!この腕は!
 恐る恐るその手の持ち主を見上げる。
「あ、あの」
 その視線の先に、恵の携帯を操作する穂波課長がいた。
「ったく。手を止めてにやにやしていると思ったら、やっぱり彼からのメールか」
 小さなため息をつくと、その携帯の画面をじっと見入る。
「で、なんで来れないってメールで滝本は喜んでいるのかな?」
 はっきりと言われて、恵は慌てて周りを見渡す。
 幸い、その周辺には誰もいなかった。
「ちゃんと人気がいないから聞いているんだよ」
 呆れた風の穂波に、恵は苦笑いを見せる。
「ははは・・・・・」
「で?何で滝本は喜んでいるんだ。せっかく仲直りしたのかと思っていたが、一週間でまた喧嘩かい?」
「喧嘩じゃないです」
 小さくため息をつく。
 ああ。
 まずい人に見つかったなあ・・・・・・。
 この人、なんかこういう時って容赦ないからなあ・・・・・・。
「喧嘩じゃないなら何故?」
 だからあ。
 聞かないで欲しい。そんなことは。
 恵が黙っていると穂波は、急に意味ありげな笑みを浮かべた。
そして、恵の携帯を操作し始めた。
凄い・・・・・・キーを打つ早さはまるで女子高生みたいだ・・・・・・。
恵はぼおっとそれを見ていた、が、はたと気づく。
「か、課長!何やっているんですか!」
「ん、恵が返事を打たないんだったら、私が彼に返事をしてあげようと思って・・・・・・きっと待っているだろうからねえ」
「って、余計なことしないでください」
 慌てて、穂波から携帯を取り返そうとするが、何せ身長差がある穂波が高く手を挙げてしまうと恵は全く届かない。
「か、ちょ、——」
 恨めしげに見つめる恵を後目に、次々とキーを打つ穂波。
「ん、こんなものかなあ」
 にこにこと画面を見つめる穂波に、恵は情けない表情を浮かべて懇願した。
「お願いしますから、止めてくださ?い」
「ん。もう送信したよ」
 軽く言われて、恵はがっくりと椅子に座り込んだ。
「課長・・・・・・。何を送ったんですかあ?」
 うるうると目を潤ませる恵に、穂波は微笑みかける。
「たいした事じゃないよ。滝本が心配することじゃない」
「携帯、返してください」
 うーと唸りながら訴えるが、穂波はその時だけ真剣な表情に戻って
「却下。ちゃんと仕事をして、それが済んだら返してあげるよ」
 そのまま自席に戻っていった。
 ああ、一体、何を送ったんだ?
 課長ってば、絶対へんな事送っているような気がする。
 義隆は課長を嫌っているし・・・・・・。
 えーん。
 気になって仕事にならないじゃないかあ!
 ちらちらと課長を伺うと、課長は何故か熱心に携帯のキーを打っている。
 持っているのは、恵の携帯だ。
 その携帯の着信ランプが光ったのを見て、恵はひきつった。 
げ、着信してる。
その携帯は義隆が恵に買ってくれたそれこそプライベート用で、義隆か兄の優司くらいにしかアドレスを教えていない。
今着信しているということは義隆からのメールで・・・・・・。
ああああ、また返信してる!
や、やめてくれーーー!
じとーと穂波を見続けていた恵。
結局そんな恵に呆れ果てた穂波から携帯を返してもらうまで、一つも仕事が出来なかった。 

滝本恵・・・・・・・まさかそのまま1週間、義隆に会えないとは思わなかった最初の一日だった。