9月20日。
この日に向けて、全社一斉に慌ただしい雰囲気になる。
滝本優司はその実行計画書を見ながら、小さくため息をついた。
気分が暗くなる。
毎年のこととはいえ・・・・・・・。
半期に、一度の、棚卸し?
と密かに節をつけて歌われるこの棚卸しは、開発部を含め全社的に一大イベントなのだ。
と言っても毎年そう変わることのない実行計画に問題があるわけではない。
きちんと作業場の整理整頓さえ出来ていればなんともない事だった。
そう、整理整頓できていれば・・・・・・。
開発部電気化学第2チーム 俗称 滝本チームにとって、今回の棚卸しは頭の痛い問題だった。
なんせ、その棚卸しの後に、アメリカの取締役——つまり会長がやってくる準備がある。そして、一部作業場の引っ越し、つまり整理整頓とはほど遠い現在の状況等々。
しかもこの不景気の折り、棚卸しや引っ越しにかまけて開発スケジュールを遅らせるわけにも行かない。
ため息をついていてもしょうがないので、優司は実行計画書と睨めっこしながらチーム内計画を立案した。
端末にタイムスケジュールを打ち込んでいく。
1.アメリカ 取締役対策 滝本
2.棚卸し チーム内責任者 滝本
3.引っ越し チーム内責任者 滝本
・・・・・・・ALL 滝本。
ちょっと待て・・・・・・。
これでは私は、幾ら体があっても足りないぞ。
でも、アメリカはどうせ自分で発表するのだから、私がやるしかないのだし・・・・・・・。
棚卸し・・・・・・棚卸組織表のフロア責任者は——高山くんかあ・・・・・・・。てことは、チーム責任者は彼にして・・・・・・まあ、たぶん、大丈夫だろう。
引っ越し・・・・・・先日の篠山チームとのミーティングを思い出す。
相手が、リーダーの篠山さんだと聞いて、本来の責任者の鈴木が後込みしてしまったんだよなあ。まあ、確かに篠山さん相手に新人の鈴木には荷がかちすぎるかも知れないけど・・・・・・私が抜けて、高山が抜けて・・・・・・後は・・・・・・・。
はああ、と心の中だけで大きなため息をつく。
いない・・・・・・。
鈴木以外に、この時期これに係れそうな奴がいない。
引っ越しなんて要はスケジュールを立てて、他チームと連携して、業者に発注をかけて、設備チームに連絡を入れて・・・・・・いい経験だと思って鈴木にやらせようと思ったけど・・・・・・。やっぱ、難しいかなあ。
他のメンバーは、それぞれに忙しい。
開発担当のメンバー達は、今だって生産技術担当のメンバーに引っ張られて、仕事が遅れ気味だ。これ以上、雑用を与えたくない。開発が遅れれば、それだけ須藤さんの風当たりも強くなる。
と言って・・・・・・生産技術側も今はせっぱ詰まっている。開発が済んだ新規製品を市場にに投入するためにも、迅速に生産部が無事生産できるようにシステム移管しなければならない時期、それが5種類もある。それだけで、仕事量がオーバーフローしているのが事実だ。しかも、生産部が作ってくれるまでサンプル品や試作品の出荷を止めるわけには行かない。その対応もある。
しょうがないなあ・・・・・・実作業は鈴木にやってもらうとして、責任者はやっぱり私かなあ。
1.アメリカ 取締役対策 滝本
2.棚卸し チーム内責任者 高山
3.引っ越し チーム内責任者 滝本
4. 5. 6. All 滝本
結局、一カ所しか抜けられなかった。
「おーい、滝本くん」
尻上がりに呼びかけられて、振り向くと篠山が立っていた。
「何です?」
篠山はそれには答えず、画面を見ている。
「お前・・・・・・できるのか、それ?」
呆気に取られているのが分かる。
「やっぱ、無理だと思いますか?」
苦笑いを浮かべる優司の頭を軽くこづく。
分野は違えど仕事でもリーダーとしても先輩である篠山を、優司は少なくとも仕事上では一応尊敬している。
だからといって弟の彼氏としては・・・・・・。
ちらっとその顔を見上げる。
根は真面目な人なんだけど・・・・・・。
「当たり前だろ。もうちょっと現実的なスケジュールを立てろって。取締役の資料なんて、俺は橋本にやらせているぞ」
無責任だ。それは・・・・・・・というより橋本君も可哀想に・・・・・。
篠山チームの橋本は、篠山のほとんど大半の雑用を押しつけられている。まあ、それだけの実力がある人なんだけどねえ。
「じゃあ、篠山さんは何をやっているんです」
「俺は、工場見学設定役じゃないか」
いや、確かにそうですけれども。
「それ、だけですか?」
「何だ文句があるか?工場見学だけだって結構の仕事量だぞ。それに、資料ができたら、それのチェックもあるし、英訳チェックもあるし、なんやかや雑用はあるし、客相手もあるし・・・・・・」
指折り数える篠山。
「いいですねえ。やってくれる人がいて・・・・・・」
ぽつりと漏らすと、隣の席の三宅美佳がすかさず声をかけてきた。
「滝本さんは、メンバー教育が足りないのよ」
きっぱり言われる。
「いや・・・・・・その、分かってはいるんだけど」
うう、はっきり言われると身も蓋もないよ、それは。
「少しはね、自分たちで苦労させればいいのよ。滝本さんが何でもかんでも引き受けて、ついでに他部署の文句まで引き受けるから、みんな甘えてんのよ」
はい、確かにその通りでございます。自覚はしています。はい・・・・・・。
怒ったようにまくしたてる三宅の言葉に篠山までが頷く。
「そうだよなあ。教育ってのは難しいからなあ。うんうん」
何か、えらく困った顔で納得している篠山に、優司は視線を送った。
「何か、随分と困られた経験があるんですか?」
「うーん。これが困ったことに、頼りになるやつが頼りにならないことが分かって、仕事が一つこっちに来たんだ・・・・・・」
「何の話?」
三宅が興味津々といった様子で、篠山に問いかける。
「うーん・・・・・・とりあえず例の評価機の件は、俺がやることになった」
例の評価機・・・・・・この前、忙しいのに見てくれと言われた資料の山か。あれで、あの日は残業になったんだよなあ。
「いいじゃないですか?一つくらい仕事が増えたって。最近帰るのとっても早いでしょう」
ちょっとだけ嫌みを加えさせて貰おう。
あの日、私は秀也が泊まりに来る予定で、ほんとは一緒に食事に行く予定だったんだからな。残業のせいでいけなかった。
うー、滅多に逢えないから楽しみにしていたのに・・・・・・。
「えー。だってさ、早く帰らないと、そのさ・・・・・・」
何か意味ありげに笑みを浮かべる篠山に、優司は嫌な予感がした。
「デート出来なくなるじゃないか」
で、デートって・・・・・・恵、とだよなあ。
ていうか、この人はこんな所で話題にするか、普通。
「へえ、篠山さんてつき合っている人いるんだあ」
三宅が興味津々といった感じで聞いてくる。
「そう」
嬉しそうに頷く篠山とは逆に優司の方が慌てる。
ちょっと待てって・・・・・・。
三宅さんは言いふらす人じゃないけど・・・・・・だけど、その、相手が恵ってばれるのは。
それに三宅さんは、そういう普通じゃないのって、妙に勘が鋭いんだって!
「で、でもデートったって、毎日じゃないでしょうが」
「え、俺毎日逢ってるけど」
な、何やってんだよー、恵。
まさか、まさか・・・・・・・毎日、やってんじゃないだろーなー!!
「すごーい、何か熱愛してる?」
三宅が感嘆の声を上げる。
いや、だからまずいって。
というより、どうしてこんな話になっているんだ?
「うーん。熱愛っていうかね、この前ちょっと逢えなくなってたらさ、いろんな所から横やりが入ってきて、それでちょっとその対策中」
「やだ、横やりって?」
三宅に問い返されて、ようやく言い過ぎに気がついた篠山が苦笑いを浮かべて、首を振った。
「まあ、ね。いろいろあるんだよ」
そこまで言って三宅さんがそれで納得する訳ない、と思う。
案の定、好奇心一杯の三宅さんは少々不満そう。
馬鹿ですよ、自業自得。
そう思って、優司ははたと気づく。
しまった。半分は恵の問題で、ひいてはこっちまで飛び火するぞ、それは。
「ところで、何の用なんだ。のろけ話しに来たわけじゃなんだろ」
できるだけ平静に話題を元に戻す。
考えてみればこの忙しいのに、何の話になってんだ?
わざわざそんな話しに来たんじゃないでしょうが、篠山さんは。
ああもう、仕事してくださいってば!
「あれっ?俺、何しにここに来たんだろ?」
首を傾げる篠山。
優司は額に手を当て眉間にしわを寄せた。
「あはははは、篠山さんボケが始まってるぅ」
三宅に思いっきり笑われて、篠山はばつが悪そうに優司に手を振って帰っていった。
何だったんだ、あれは・・・・・・。
結局のろけに来たのか?
毎日恵に逢っているって?
こっちは、秀也に週一だって逢えないことがあるんだぞ。
しかも会社で逢うだけっことだってあるんだ。
くっそー、もっと邪魔してやろうか。
工場見学の資料、どうせ修正があるんだから提出期限ぎりぎりで出すんだ!
それと引っ越し。
思いっきり引っ越しでごねてやる。
篠山のチームなんかに好きにさせてやらないからな。
やっぱり、この引っ越し担当は私がやるべきだ。
そういえば、棚卸し監査役の私の担当は篠山のフロアじゃないか。
にんまりと笑みを浮かべる。
絶対細かくチェックしてやる。
途中から何だか八つ当たりのような気がしてきたが、そうでも思わないと仕事なんてやっていられない。
というかそう思うと何だか楽しくなってきた。
にこにこと画面に向かって、タイムスケジュールを直していく。
楽しくなると仕事がはかどる。
さっきまで思い悩んでいたのが嘘のように、結構できの良いスケジュール表ができあがった。
責任者に優司の名前が乱立してはいたけれど・・・・・・。
ま、いいかあ。
滝本優司・・・・・・・それからの1週間、その仕事量の多さに目眩を起こしつつも、篠山苛めにせいをだすのであった。