「何てこった……」
明石雅人は自分しかいない部屋でひとりごちる。
せっかくの大晦日。
なのに増山浩二は仕事だ。
広いリビング。フローリングに部屋に不釣り合いなこたつに潜り込み、こてんと頭をこたつの上に載せる。
テレビでは、なんとかというはやりのアイドルが歌うテンポの速い歌が流れていた。
二人で暮らし始めてから、初めての大晦日。
だから何だと言われてもしようがないのだが、なんだか嬉しくて前々から楽しみにしていた。
初詣なんかも行きたいな。
雅人は人混みの苦手な浩二を何と言って誘おうかと画策していたのだ。
だが。
『大晦日は仕事です。当直になりました』
浩二はそう言って、一言で雅人の大晦日プランを全て却下した。
仕事と言われると雅人も引きさがらずを得ない。
せいぜい。
『何で大晦日に当直なんかに当たるんだよ』
と、文句を言うくらいだった。
『どうしても家族持ちに休みを優先してあげたいですからね』
家族持ち、か。
クリスマスも二人とも仕事だった。
だから、大晦日くらいという気持ちがあった。
俺達の場合は家族にならないのかな……。
『それに大晦日はとても忙しいのです。ですから病院側もいつもより余分に当直を増やしているのです』
それも何となく判る。
雅人だって、昔大晦日だと調子に乗って飲み過ぎた友人を救急病院に運んだ経験があった。その時の病院は確かに満員御礼状態で……。
だけど……。
一人で過ごす大晦日なんてのは、面白くない。
「こんなことなら実家に戻れば良かった……」
呟いて……しかし、即座にその選択枝を蹴飛ばしたのは他ならぬ雅人自身だった。
最近、とみに機嫌の悪い兄 悠人の相手はしたくなかった。
しかも、その原因が分かるだけ、そして悠人もその原因を知っている雅人に当たり散らすのだ。
「うう」
一人暮らしの頃なら、こんな事、思わなかったかも知れない。
でも今は二人でいる時間に慣れてしまった。
すれ違いの多い二人では合ったけれど、それでも一緒の時間は相手が側にいるだけで嬉しい。
ふっとテレビを見た。
現在時刻がでかでかと表示されている。
11時50分。
あの大時計が12時の1分前になったらカウントダウンをするという。
一際口の回りの早いアナウンサーが、会場に向かって叫んでいた。
こたつの上には、蜜柑の皮がいくつも転がっていた。
『冬はやっぱりこたつが必要です』
と、似合わない部屋にこたつを入れたのは浩二だった。
どうも浩二の趣味は和風的だと思う。
こたつに座椅子を置いて、それに座りながら蜜柑を食べている浩二を最初に見たときは違和感があった。
が、それも慣れると妙にしっくりとあっていると思ってしまう。
暖色系だと似合わなかったかも知れないが、今あるインテリアは浩二の好きな色でまとめられている。グリーン系でまとめられたその色合いはよく似合っていると思う。
一緒に暮らして初めて知ったこともたくさんあった。
1日一回はかかせないという柔軟系の体操。
時折座禅を組んで瞑想している。
知りすぎて嫌になるという恋人同士もいると聞いたことがあるが、雅人はそんな事は全くなかった。
もともと口数の少ない浩二であったから、知らないことの方が多かった。
そんな楽しい時を過ごしていたから、こんな大事なイベントの日に一緒にいられないと言うことが結構つらい。
クリスマスはまだ仕事をしていたから良かったけど……。
テレビを見るのも飽きた。
別に年が変わったからと言って、何かが変わるわけじゃない。
「も、寝ようかな……」
のっそりこたつから出る。
暖まっていた躰が外の冷気に曝され鳥肌が立つ。
その時初めて、ファンヒーターが切れているのに気が付いた。
よく見ると、灯油切れを起こしている。
「うー、面倒くせえ」
雅人は無視することにした。もともとリビングにはエアコンがついている。ただ広い部屋を一気に暖めるのにファンヒーターがあるのだ。
エアコンのスイッチを入れ、そのままバスルームへ向かう。
頭から被ったお湯が気持ちよかった。
濡れて顔に張り付いた髪を無造作に掻き上げると、鏡に映った鎖骨部分に赤く染まった所があるのに気が付いた。
よく見るとあちこちにある。
それは、一緒にいられないとふてていた雅人を宥めるように抱いた浩二が残したモノだった。
それをそっと指で触れる。
それだけで、ぴりりととした甘い痺れが全身を襲う。
「ん……」
喉から漏れる声が止まらない。
『雅人さん……』
浩二が耳元で囁く声が幻聴で聞こえる。
いつだって変わることのない抑揚のない声が、そのときだけ耐えられないように高ぶっている。雅人を求めて、無表情な顔が欲望に上気する。冷たいと言われるその視線が、患者に向けられる時以上に優しく雅人を見つめる。
その全てを思い出してしまう。
「あぁ……」
切ない喘ぎが漏れ、雅人は浴槽の縁にもたれかかり、自分のモノに手を伸ばした。上から振り注ぐシャワーが敏感になった躰を打つ。
見る見るうちに手の中で大きく硬くなったそれは、ちょっとした刺激にも敏感に反応した。
「んん……あはぁ……ああ……」
硬く目を瞑っていると自分を刺激しているのが浩二の手のように感じた。
『雅人さん、今日は好きなようにしていいですか?』
記憶の中の声が雅人を刺激し、より一層の感覚を煽る。
そうだ。
いつだって浩二は声で雅人を煽る。
何でもない言葉でも、あの静かな口調で話しかけられると、ずきんと下半身に響くことがある。
「ああ、……浩二ぃ……んふあ……ああっ、もう、こうじぃっ!!」
瞼の裏が白く弾けた。
びくびくと震える躰と共に白濁した液が風呂場の床に吐き出される。それを降り注ぐシャワーが排水溝へと流していった。
「はあ、はあ……」
ぐったりと浴槽の縁に躰を預け、肩で息をする。
……物足りない……。
そんな事を思ってしまい、雅人は苦笑を浮かべた。
はあああ
大きくため息をついて、浴槽に潜り込んだ。
何とも言えない気怠さにお湯の浮遊感が気持ちいい。
こてんと頭を縁に預け、虚ろな視線で所在なげに中空を見る。
「何してんだろう……」
いつだって思ってしまう。
二人で暮らし初めてから、浩二の事を思うことが格段に増えた。
一緒に暮らすと飽きるぞ。
誰が言ったのだろう。
兄の悠人だったろうか?
少なくとも2ヶ月が過ぎたが、そんなことは一つもなかった。
バスルームを出て、パジャマを着る。タオルで頭をごしごし拭きながらリビングに戻ると、テレビの中でカウントダウンが始まっていた。
ソファに座り込み、何気なくテレビを見る。
『……15,14,13,……』
と、
どこかで聞き慣れたメロディが聞こえた。
浩二?
雅人が慌てて自分の携帯を取り上げる。
『10,9,……』
「もしもし!」
電話の相手が浩二と判っているから、上擦る声が止められない。
「雅人さん」
「どしたの?」
『5,4,……』
「もうすぐ、12時だから……」
言われてテレビを見る。
『2,1』
アナウンサーのゼロの声と共に、花火が上がる。
「あけましておめでとうございます。雅人さん」
「え……あ、あけましておめでとう!」
浩二がわざわざこのために電話してきたことが判った。
判ったから、嬉しくて……雅人の頬を涙が伝う。
「すみませんね。一緒にいられなくて」
「いいよ……電話してきてくれたから……」
泣いているのを気付かれたくなくて、なんとか声を落ち着かせようとする。が、その努力の甲斐なく、浩二に指摘される。
「泣いているんですか?」
見抜かれて、頬が朱に染まる。
「泣いてなんか……」
駄目だ……。
浩二の声はいつにも増して優しくて……それは雅人にだけ見せてくれるモノ。
「明日は休みですから、今日帰ったらどこに行くか計画立てましょうね」
浩二からどこかに行こうというのは、それがどれだけ珍しいことか位雅人はよく知っている。
だから。
「ありがとう……」
それだけしか言えなかった。
溢れ出す涙は、止まりようが無くて雅人はそこに座り込む。
「雅人さん、風邪ひかないようによく暖まって寝てくださいね」
電話の向こうで、救急車のサイレンの音が聞こえていた。
看護婦らしい声が浩二を呼んでいる。
きっと忙しい合間を縫って、電話してきてくれた……。
「ありがとう。浩二こそ、無理しないで……」
「はい、それでは」
「じゃあ……」
切れる電話。
雅人はそれが浩二自身であるかのように大切に握り締めた。
いつだって優しい浩二がいるから……。
だから、一人の夜も寂しくない。
【了】