【四つの王国と魔王の話】第一章〝北の国〟-4

【四つの王国と魔王の話】第一章〝北の国〟-4

一-四 魔王の采配

「我々が彼の……その、相手をしているとき、夕月殿はいかがなされているのか?」
 三人を従えて広間から転移した魔王は、すぐに天蓋付きの大きな寝台にシュリオの身体を落とした。
 玩具にしろというならば、そのための手段は一つ。
 嶺炎とて男を抱いた経験はあるが、傍らに魔王である夕月がいれば萎縮して勃起も難しいだろう。視線を交わす残りの二人も同様なようで、所在なげに顔を見あわせていた。
『我はこれの代わりにこの国を治めねばならぬ。まことやっかいではあるが一時のこと故に楽しんでおるぞ』
 意外な言葉を聞いて目を瞬かせるが、存外に夕月はまじめなのか。それとも遊びと割り切って楽しんでいるのかそれは不明だが、離れてくれるのであれば問題ない。
 口角を上げ肩を竦めてみせた夕月は、先ほど誓約を受けたときのように普通の人に見える。だが放つ気配はやはり魔王のそれだ。
「質問が……、シュリオさまはすべての記憶がありますか? わたくしどもや夕月王との会話は」
『あるし、聞こえている』
 カストの問いかけに、夕月は事もなげに言い放った。
『心をつなげればうるさいぐらいに、やめろ、嫌だと喚いておるわ』
 自身を玩具にしろという言葉を知ってなお、シュリオはただ頭の中で叫ぶことしかできないということか。それでも自我を失わないとなれば、儚げな容姿とは裏腹に強靱な精神を持っているということ、精神を壊すのは難しいのではないか。
「身体の制御を取り戻せば、即座に逃げを打つ可能性は高い」
「そう、ですね。いきなり暴れられても面倒です」
 面倒と言い切るユーリアは、綱か何かないだろうかと呟いている。
「シュリオさまの細腕ではお二人には叶わないと思いますが、わたくしはそうでもありませんし。それに自暴自棄になられて自害されても困ります。死すことは論外でございましょうから」
『ならば自害防止の暗示と、拘束しやすいようにしておこうか。非力なこれでは決して外れぬものを。また怪我をしても、即座に死ぬほどでなければ我がこの身体を癒やすこともたやすい故に気にすることはない』
 ゆらりと指先がシュリオの手首、足首へと触れる。とたんに幅広で赤黒い革の帯がそれぞれに巻き付く。それにはつなぎ目などどこにもなく、さらに四方に金属の金具がついていた。
 さらにと、夕月が掌を上に向ければ、金属質な音がして長い銀色の鎖が現れる。その両端にはリングがついていて全部で四本あった。
『これで固定すれば良い。長さは貴様らが願うままに変えられる』
 指を動かしただけでシュルルンと金属質な音を立てて、一メートルはあった鎖が瞬く間に十センチ程度に変化した。
 差し出されたそれを嶺炎が受け取ったが、掌に触れるそれは冷たく硬い。繊細な作りの鎖は芸術品のようだが、触れると確かにただの鎖ではないと伝わってきた。
 これは魔具だと、二人にも見せる。
 魔具は人でも作ることはできるが、せいぜいが灯りを点けたり、懐石の温度を持続させたりする程度で生活を少し便利にするものばかり。こんな物質を伸び縮みさせるほどの魔具は魔族しか作れない。
「これが……魔族の力……」
 魔族を忌避したとしても、この力を欲する権力者は多い。嶺炎ですら、これがあれば極寒の地も温かく暮らせるだろうと欲が疼くほどに。
『その程度我や高位魔族であれば容易よ。創造の力に左右されるが、……こんなものか』
 振られた手の後に壁際に現れたのは、人の高さほどで幅が二メートルはあろうかという大きな扉付飾り棚だ。黒檀のような木材に繊細な彫刻を施したそれは、かなりの腕利きが作り出したものと見えるほど。
 左右に開く扉は金の取っ手がついており、夕月の視線が開けろとうながしてきた。
 近場にいたカストが慌てて後ずさる中、次に近い位置にいたユーリアが警戒も露わにゆっくりとその扉を開いたのだが。
「うっ、これは」
 ユーリアが口元を押さえて後ずさる。
 嶺炎が肩越しに覗き込めば、そこにある数々の品物に息を飲むはめになった。
 中は棚が三段、その下に引き出しが二つあり、いろいろな道具が整然と収められていたのだ。さらに扉の裏には、ロープから鞭としか言いようのないものが多数吊られている。
 棚には円環状のものがついた革のベルト、衣装、拘束衣しか見えないもの、装飾品もあった。と思えば、キャンドルや繊細な細工の金具、針と言った何に使うかよくわからない道具類。
 引き出しを開ければ、ガラスのボトルが多数並んでおり、それにはなみなみと液体が入っている。
 さらに。
「なんだ、これは……」
 どこかで見た形状のものが太さも大きさもでこぼこ感もさまざまにぎっしりと入っていた。
「……これは男根を模した淫具でございますね、その形はずいぶんと精工でございますが……」
 カストが泣き笑いのごとく顔を歪める。
 卑猥なそれは確かに男の象徴でしかない形状をしていたが、小ぶりのものはともかく、大きなものは人のサイズとは思えぬほど。それこそこんなサイズを持つのは体格の大きな魔族でしかないだろう。
 自他共に認める大きさの嶺炎ですら息を飲むようなものまであっのだ。
『好きに使うと良い。足りなければ声に出せば闇烏が準備するだろう』
「一体こんなものをどう使えば良いのだ?」
 嶺炎も経験は豊富であるが、道具の使用経験は少ない。ましてベルト付き丸い玉のようなもの、細い鎖等々。
「カスト殿は使用方法がわかるのか?」
「え、あ、いや……、その、一部のものについては……」
 知識欲のあるカストならばと問いかければ、顔を赤くして視線を泳がせていたが、結局頷いた。
「ユーリア殿は?」
「その張り型と鞭とかそこそこには……、あとこの液体は潤滑剤かと。まさか媚薬入り?」
『蓋に花の浮き彫りがあるものが、媚薬入りでございます』
 ユーリアが指差すと同時に、近くから頭に響くような艶やかで、しかし重苦しい声が響いた。驚いて振り向けば、すぐ近くに輪郭が闇に埋もれているような闇烏がそこにいた。
『花弁の数は媚薬の強度。人の世に一般に流通しているものは花弁三枚まででございます』
 不意に現れるのは勘弁して欲しいがと一言言いかけた嶺炎だが、続いた闇烏の説明に二の句が継げなくなった。
「三枚どころか五枚、いやここにある一本は八重ではないか」
 一重は五枚までだが、その横には八重の花が刻まれていた。
『他の媚薬でも効きが悪いときにお使いになりますよう』
『強すぎて、我らでも使うのに躊躇うほどの代物だ』
 そう言いながら夕月がそのボトルを引き抜いた。透明の薄桃色の液は、傾いたボトルの中でとろりと液面を揺らしている。
『これを作ったやつは慈悲だと言っておったな。死することもできない苦しさから逃れることを強く望んだ者のために作られたと聞く。結果すべてを忘れ色に狂う獣になったらしいが。もっとも我らは理性のない獣など興味がない故に淫花の群生に放り込んで終わったな』
「インカ……とは?」
 疑問に思うことは問わずにはいられないのか、カストが問いかける。しかも最初のころより慣れたのか、上目遣いは変わらずとも、その言葉ははっきりとしていた。
『その媚薬の元になったのが淫花の蜜よ。欲情を煽る匂いで獲物を呼び寄せ、性欲に狂わせている間にその体内に種を植え付ける。種は獲物の中で芽吹き、身体を支配し移動させ、離れたところで新たに根付く。そういう花よ』
 その淫花の蜜を濃縮したものだとそのまま元に戻された媚薬は、ぱっと見ても他と区別がしづらい。花の浮き彫りは薄く、影になればあまり区別がつかない。そこに魔族の狡猾さが見えて、嶺炎は使うならば必ず確認することを内心で誓った。
「ならばこの媚薬を使えば、シュリオ殿の自我など一発で消失するのでは?」
 ユーリアが不審気に発現したが、すぐに「申し訳ありません、手間が無さすぎでした」と撤回した。
『ふむ、それも一考ではあるが、楽しくあるまい?』
 そうだ、夕月は楽しもうとしているのだ、シュリオが強情に逆らうことすら楽しんでいる。
『それに、それはあのような処遇をされていても、実のところは処女で童貞よ』
 一瞬何を言われたかわからなかった。だが送れて頭がそのことに結びつく。
「……王族の慰み者になったと聞いておりましたが?」
 ユーリアが不審げに首を傾げたのに嶺炎も頷いた。
『まあ開発済みではあるがな、面白半分に。さすがに神子を直接犯すことにより天罰があるかと、そんなありもしないものを畏れたようだ』
 魔王の存在そのものが天罰だろう、とふと考えてしまったが、ともかくそこまではされていなかったということだと理解した。
『だからその辺りの道具も未体験のはず。もし新たな道具が必要ならば、それも闇烏に言えば良い。絵にして渡せば、それ相応のものを準備するだろう。もっともそれだけあれば当分保つか』
「そもそもどう使えばいいのかわからぬものも多い」
 嶺炎は道具を使ったことがあまりない。せいぜいが香油と解すための細い張り型ぐらいか。何しろ自分自身がこの張型ほどに大きく、どう貫くかに時間が取られるのだから。
『どう使うか考えるのも楽しいぞ』
 そうは言われても、並ぶ道具に嶺炎はどうも興味をそそられなかった。
『ただそうだな、期限を切るほうが良かろう。〝南の国〟の王は即位後城にこもり、神子としての力をさらに高めるための修行を行う。その間の執政はこの夕月が執り行うことはすでに通達しておるがその期間は一ヶ月……』
 その言葉に反応したわけではないが、嶺炎の目の前でシュリオの身体が完全に崩れた。あお向けに寝台に倒れた身体は、深い眠りについているようでぴくりともしない。
 だが、と嶺炎とユーリア、そしてカストの視線が絡みあった。
 言葉にしなくても通じた意志は一つだけだ。
「かしこまりました」
 それ以外答える言葉はない。
 いまだ嶺炎の手にあった鎖がしゃらしゃらと涼やかな音を立て、少し甲高い音が四度鳴った。
『せいぜい楽しむがいい』
 その言葉は誰にかけられたのか、音が消えたとたんに強い圧迫感も消えていた。