【アベーレの裏切り】前編 Animal House-ライオン編スピンオフ

【アベーレの裏切り】前編 Animal House-ライオン編スピンオフ

Animal Houseのライオン編の番外、作中に出てきたアベーレの話になります。
今回Animal Houseの話ではありませんが、カテゴリは同じにしています。
ライオン編のレオーネを裏切ったアベールが彼を裏切った理由など。
脅迫、強制、陵辱、バッドエンドです。

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【アベーレの裏切り】前編 Animal House-ライオン編スピンオフ

 スーツの内ポケットに入れていたスマホが震え、表示された発信者に一瞬笑みを浮かべた。だが何かあったのではと内心に緊張が走る。
 彼女がこの番号にかけてきたことはない。連絡はいつもこちらから行っていたのだから。
「はい」
 短い応答に、だが返答はなく、代わりに響く悲鳴と銃声が鼓膜を切り裂いた。
 その鋭い衝撃に息が止まり、目の前がさあっと暗くなる。
「か、あさ……?」
 発信者と同じ声で響いた悲鳴を間違えようもなく、だがアベーレ自身、恐怖に満ちた彼女の悲鳴などついぞ聞いたことはない。だが間違えるはずもない最愛の母の声だと、尋常でない出来事が起こっていると認識したと同時に心臓が激しく鼓動した。
 思わず駆けだした足は速く、けれど向かう先を聞き出す前に回線は切れた。
 慌ててかけ直すが返ってくるの単調な不通話音だけだ。
 だがあれは確かに母の声だった。
 アベーレが親友であるレオーネの元で今のこのファミリーに入ったとき以来、家族の所在を敵に知らせないように接触は断っていた。その意味を母たちも理解していて、電話番号は知っていてもかけてくることなど無かったのだ。
 なのにかかってきたということ、そして通話先の異常な事態に、アベーレは母の元へ向かうためにと実家への最短距離を脳裏に浮かべ、己の車に乗り込もうと鍵をポケットから引っ張り出した。
 だがそのタイミングで手の中のスマホがブルブルッと震え、表示されたその通話元の名に息を飲む。
「マリエッタっ!!」
 通話ボタンを押すと同時に最愛の妹の名を叫ぶ。
『兄さんっ』
 母と同居している妹の切羽詰まった様子に、嫌な予感は強くなる。
「大丈夫かっ? 何が起きたっ? 母さんはっ?」
 矢継ぎ早の質問に、マリエッタが落ち着かせるようにはっきりと返してきた。
『無事、無事よ、みんな。助けてもらったの、もう車で離れてて、追っ手もいないみたいだから』
 その一言一言に、強張っていた身体から力が抜けていった。
 耳を澄ませば、確かに車の排気音に、荒い路面を踏む音がしている。少なくとも悲鳴も怒声も、そして銃声もない。
 数分前、このスマホから流れたはずの緊迫した音は今はない。
 それだけで強張っていた身体から力が抜けかけたが。
『急に変な人たちが来て銃を振り回して兄さんを出せって言われた時にはどうなるかと思ったけれど……』
「え……俺の名を言ったのか?」
『そうなの。いないって言ったのに、隠してるって、何を言っても聞いてもらえなくて。銃を突きつけられたんだけど……』
 当たり前だ。もう何ヶ月も実家には行っていないのに、何をトチ狂った野郎がいたものだが、そういう考え無しこそ恐ろしいのも確かだ。
「いったいどこのどいつがっ。だが母さんの悲鳴が聞こえたぞ、本当に大丈夫なのか?」
『あれは母さんが隙をついて電話しようとしたときに銃で撃たれたの』
「え、怪我はっ」
『大丈夫、大丈夫よ。腰を抜かしただけ』
「そ、そうか」
 ほおっと堪らず安堵の吐息をついて、汗ばんだ掌でスマホを握りしめた。
「とにかく、俺もすぐにそっちに行く。その助けてくれた人は」
『あ、ちょっと待って、今隣にいるの、替わるわ。兄さんにとてもお世話になってるっていう方で』
「世話に?」
 誰のことだろう?
 心当たりを何人か思い浮かべるアベーレの電話の向こうで一言二言、聞き取れない会話が交わされた後に。
『アベーレくん? 久しぶりだね』
「あなたは?」
 すぐにピンとこない聞き覚えのない声に、訝しげな声がでる。
『失礼、私はブルーノ・コロム』
 だが続いた名に息を飲んだ。それこそ呼吸も数秒確実に止まったはずだ。
 ブルーノ・コロム。
 非常によく知っている名であるのは違いなく、だがこんなところで聞くはずもない名だからこそ、その驚愕は激しかった。
 それはほかの誰の名前よりもこの時点で耳にしたくはなかった、と言ったほうが正しいだろう。
 何しろその名を耳にするときが友好的な場であった試しはない。
 アベーレのファミリーにとって問題が発生したときには必ずその名が取り立たされるのだから。
 衝撃に一瞬止まった思考が、数秒後急速に走り出す。
 ブルーノ・コロムは四十代前半のイタリア系アメリカ人で、敵対組織であるカミロ・ファミリーの重鎮。母親の母国に舞い戻りカミロの元で頭角を現したファミリーにとり最要注意人物だ。
 立派な体格はプロレスラーかと思うほどで、本人も落ち着いた物腰にもかかわらず相当な手練れだと聞いていた。
『アベーレくんには本当にいつも世話になっているので、こういう形で縁ができて非常に嬉しいよ』
 含み笑いが耳障りなそれは、決して良い意味でない。眉間に深いしわが寄り、握りしめたスマホが微かに軋む音を立てる。
「なぜ、あんたが……」
『偶然居合わせたんだよ、襲撃にね』
『偶然? あんたほどの大物がそんな田舎町にか』
『こういう風景が好きでね、気分転換にこの地方を旅行していたら不穏な気配があってね、様子を見てたら襲撃者が君の名前を叫んでいるし、女子どもが犠牲になってるとなれば、ねえ?』
「俺の名、を……そこへあんたが……」
 笑みを孕むその言葉のうさんくささに顔をしかめ、策士と名高いブルーノの所業を思い出す。
 ファミリーで最近起きた小競り合いの影には、いつもブルーノの気配が感じられた。だがそのどれにも決定的な証拠がない。
『それで助けたご母堂と妹さん、弟さんは安全なところに匿わせてもらおう。ただ安全のために君は来ない方が良いだろう』
「なっ、どういうことだっ! 家族をどうするつもりだとっ!」
 一方的な物言いに反論しようとするがそれより前に、ブルーノの言葉が続いた。
『奴らの狙いは君だ。君が来ればまた襲撃される怖れがある』
「それは……」
『ただ今後のことも含めて君とは話がしたい。これから言うホテルに来て欲しいんだがね』
 窺っているようで、その声音に含まれるのは強制だ。
 理不尽な物言いに怒りが込み上げるが、だが大切な家族は今ブルーノと共にいる。
 そんな状態で拒絶することは、家族の命を危険に晒すことでしかなかった。
 そんな怒りを飲み込む代わりにごくりと息を飲んだ音が耳の奥で大きく響く。
「家族には……」
 レオーネの右腕として組織を率いてきたアベーレの脳は、こんな時でもブルーノの意図を正確に理解していた。
『君ならどうすべきか判ってるだろう? ご家族の安全のためにね』
 あちら側では決して不審に思われないように選ばれた言葉が静かに放たれ、アベーレには二の句が継げない。今は家族をこれ以上危険に晒したくはないというのも本音だからだ。
 相手がブルーノとなると、裏の裏を読む必要があったのだ。
 だがそこにあるのは確かにアベーレにとっては明快な脅し以外ではなくて、そのせいで今のアベーレにはできることはない。
 それこそ自身の仲間にすら伝えることすら危険だった。
 あのブルーノならば、この近くに監視をしているものがいるはずだ。素早く視線を走らせた先で、それらしき人影があからさまにいた。
 一人……どころか三人もいる。
 アベーレがブルーノの意に沿わぬことをすれば家族がどうなるか、想像に難くない。
「ああ……俺一人に用意周到なことだ。判った……判ったよ」
 深い嘆息混じりの了承の言葉を返したとたん、プツリと通話が切られてしまう。
 ツーツーといつまでも鳴り響くスマホを握りしめたままアベーレは、己の車に崩れるように手をついた。
 マリエッタの安心しきった声が脳裏に虚ろに響いている。だがそれは偽りの安寧だ。今家族は、もっとも恐ろしい相手の手の内に落ちてしまっていた。
 もし呼び出されたホテルに行かなければ、家族は酷い拷問のすえ殺されて、アベーレの元に送り届けられるだろう。
 いや、死よりも恐ろしい目に遭うかもしれない。特にマリエッタは若い娘で、男たちにとっては格好の獲物だ。レイプされ、その手の輩に売られるか、働かされるか、どちらにせよ生き地獄に落とされる。
 嫌な予感に背筋がぞくり震えて、嫌な汗が全身に滲む。
「くそっ」
 こんなことも考慮して、レオーネが密かに護衛をつけてくれていたはずだ。だがそれも今頃は物言わぬ状態でどこかに捨てられているか、それともどこかで入れ替わってしまっていたか。
 用意周到に計画したのなら後者の可能性が高いとアベーレは考えた。
 殺してしまえばファミリーへの定時連絡が途絶えてすぐにバレる。だが、警備役がすり替わっていたら、あるいは裏切り者が就いていたら、定時連絡はそのまま続くだろう。あたかも何の問題も無いように。
 ファミリーは何の不審も思わずに、異常には誰も気づかない。
 今アベーレがファミリーに報告しない限り。
 それはアベーレの立場からすれば、必ずしなければならない報告だったけれど。
 ギリッと奥歯が嫌な音を立ててきしみ音を上げた。
 ファミリーを、何よりレオーネを裏切るつもりはない。
 だが今は。
「すまない……レオーネ、今だけだ」
 幼なじみで所属するファミリーのドン。
 レオーネのためにこの道に入ったと言っても過言ではなく、この身はレオーネのために捧げたはずだった。
 今はファミリーが全てで、全てはファミリーが優先で。
 その掟に従うならばアベーレが向かう先はレオーネの元でなければならないけれど。
 先ほどブルーノが示したホテルに向かうということは、決してレオーネのためにはならない、それは判っているのだ。
 だがアベーレにとって家族の安寧はまた別物だった。
 父に託された家族。
 家族から離れ、レオーネの元に行くのを許してくれた人たち。愛され、育ててくれた母を、愛おしい弟妹たちを、自分のせいで見殺しなど。
 家族を見捨てるにはアベーレは優しすぎた。母も妹も弟も、アベーレにとって捨てられるものではなかったのだ。 


 最愛の家族が最悪の敵の手に落ちたその日、アベーレの人生は一変した。
 家族はブルーノの思惑など何も知らない。彼女らにとってブルーノは家族を守ってくれて、かつ生活までも保障してくれている大恩人だった。
 その男が、彼女たちの命を盾にアベーレを脅していることなど何も知らないままに。
 アベーレの知らない地で、アベーレと敵対する者たちに囲まれて新しい生活の準備を始めているだろう。
 それと同日、指定されたホテルに赴いたアベーレは、全身に怒気を纏わせ屈辱が滲む表情を浮かべながら立ち尽くしていた。
 ブルーノはホテルの上階を占めている豪勢な部屋で、ゆったりとソファに座っている。
「正気かっ、俺にレオーネを裏切れとっ!」
 判っていたことを改めて言葉で聞かされて、込み上げる激昂に声を荒らげる。いや、男が放った条件は、それ以上に最悪のものだったのだ。
「もちろん俺が裏切れと言ったときには裏切ってもらう。俺が要求するのは今後一切おまえの全てが俺のものになるということだ。俺が放つ全ての命令に従い、俺の前に這いつくばり、その身を投げ出せ。そう、兵隊としてなどでおまえを飼おうと思わない。おまえができることは、俺の前で女のように股を開くことだけだからな」
「何、をっ!」
 すさまじい屈辱だった。
 脳の血管が焼き切れるような怒りに支配されている。許されるなら今すぐにでもブルーノに飛びかかり、その首を絞め殺したかった。だがあからさまに飾られた硝子製のフォトフレームにある家族の写真に必死で堪える。握りしめた掌に爪が食い込み、噛み締めた唇から地の味が滲んだ。
 ブルーノは決して家族への脅しを口にしたわけではない。だがアベーレには正確にその意図が伝わっていた。今のアベーレにはどんな要求にすら唯唯諾諾と従うしか道はない。
 それでもレオーネを裏切ることになる決断を容易にすることなどできなかったが。
「そうだな。私はおまえを俺の性欲処理の道具として使おうと思っているが、断るというなら代わりが必要だ。そう、おまえによく似た……例えば?」
 喉の奥で笑いながら告げられた言葉の真意など、写真を眺める視線に気付かなくても明白だ。
「ぐっ……」
 苦しげに呻くアベーレを愉しげに見やり、ブルーノは指先でフォトフレームを弾いた。大きく揺れたが絶妙なバランスでかろうじて堪えたそれは、ある意味今の家族の存在と同じ。
 ブルーノが僅かでも力加減を間違えれば、呆気なく硝子のフォトフレームが落ちて壊れるように、家族の安寧は壊されるだろう。そしてその力をブルーノは自在に操れる。離れているアベーレが飛びつくより先に。
「了承するなら、ここで服を脱ぎ自ら宣言しなさい」
 だが同意するにせよ、さらなる条件として目の前の男が放った言葉が理解できない。
「服を脱いで……宣言って……」
「俺の性欲処理係になるという。ああ、女のようにと言ったが女扱いするつもりはないな。小綺麗な館で好きなものを強請り安穏と暮らす女など俺には不要なのでね。俺が欲しいのはたぎる性処理用の奴隷扱いできる雌ブタだ」
「そ、んなことっ!」
 ブルーノが求めるものは理解していたと思っていた。だがこの男が持つ要求はそれ以上だった。
 驚愕と怒りと屈辱に震えるアベーレの姿に、嘲笑を浮かべてゆっくりと繰り返してくる。
「そう、そんなことをしてもらおうと思っている。だからよく考えて返事をすることだ。俺はおまえを、俺が好き勝手できる性処理玩具、雌ブタとして飼いたいと言っているんだ」
「めす……ぶた……」
 知らず呟き、その意味するところの恥辱に全身の体温が跳ね上がり、ガクガクと全身が痙攣した。
 それ以上の嫌悪が後から襲ってくるが、相手が冗談で言っているわけで無いとも判っている。
 睨み付けた先にある表情は揶揄に満ちており、視線には侮蔑すら浮かんでいた。
 要求しておきながら、それに従うしかないというのも判っているのだろう。
 確かに人として尊厳を踏みにじる相手に従う気などあるはずもない。
 だが家族の安全のためには、逆らえない。ただ殺されるだけではない地獄を、家族に味わわせるのだけは避けたかった。
「おまえしだいだ、私はおまえがいいのだが、私の部下はそうでもないからねえ」
 家族への思いを踏みにじるようにブルーノが煽る。強者から従順な弱者に落ちぶれてしまうアベーレをさらに貶め、弄ぼうとしている。ブルーノの笑みに含まれるそんな嗜虐心は確かにそこに存在し、けれどアベーレは逃げられない。
 逡巡することもないほどにもう結論は出ていた。
 硬直したアベーレの前で、ソファに腰を下ろしていたブルーノがゆらりと立ち上がった。
 上背があって骨太の身体はアベーレの一回りは大きい。近づけばその圧迫感はさらに強くなる。
 男の意図を汲み取った身体が、反射的に後ずさった。
「おやぁ」
 けれど、わざとらしく片眉を上げて、スーツのポケットからスマホを取り出す仕草に、身体が震え、硬直した。視線がそのスマホから離れない。肩の高さまで上げられて画面をこちらに向けて、見もせずに指先が表示を辿った。
 先ほどもそのスマホから家族の護衛に付いている男を呼び出し、護衛はすぐにマリエッタへと電話を渡した。その明るい声が、スピーカーホンにしたそれから漏れた声をアベールは聞いていた。
 無事だという確認と同時に、いつでもブルーノの配下が傍にいるという現状を突きつけるための電話は短く、安堵よりもその用意周到さに怖気が走った。
 しかもその護衛役はこれかずっと彼女たちと一緒に住むというのだ。
 それこそブルーノからの電話かメール、いや、メッセンジャーアプリで一言送るだけで彼女たちに銃を向け、躊躇うこと無くその引き金を引くであろう護衛という名の男が。
 そのスマホを掴む指がキーの上をスライドする前に、アベーレの身体ががくりと両膝をついた。
 視線を逸らす無様な姿だけは晒すまいと睨み付けてはいるが、その顔は蒼白になっている。背筋に浮かんだ冷たい汗は流れ落ちるほどだ。
 そんな姿を愉しむようにブルーノが口角を上げて、愉しそうに手を伸ばしてきた。
 顎を取られる瞬間、びくりと小さく肩が震えた。それを恥と感じ奥歯を噛み締めて堪える。
 そんな苦渋に満ちた顔を至近距離で覗き込まれて「どうする?」と囁かれた。
 近い距離で強い葉巻の香りがブルーノから香る。
「自分で脱いで場末の娼婦のごとく誘ってみろ。できないというならその服をボロ衣になるまで引き裂いて、慣らしもせずに商売女も泣き叫ぶ俺のモンで貫いてやっても良いが? ただし、その後であの麗しいマリエッタも同じ目に遭うだろうよ」
「う……」
 脳裏に言われた光景が浮かんでしまった。
 美しい女性に成長したマリエッタがこの男に組み伏せられ泣き叫ぶ姿を、まだ高校生の弟、アンディが二回り以上大きな身体に押さえつけられている様子を。
 激しい悪寒が背筋を這い上がり、音を立てて血の気が失せる。
 ああ、逃れられない。
 誰にも言わずにここに来た時点で、アベーレはすでに袋小路に追い詰められた。ネズミ一匹逃げられぬ場所で、進むべき道はすでに一つしか残されていない。そんなことは判っていたが、それでも突きつけられた現実に必死になって抗おうとしたのだが、結局もう船は沈みだし、抜け出す手段はどこにもなかった。
「俺は気が短い、すぐに決めろ」
「うっ」
 手を離されると同時に、どんと胸を突かれて尻もちをついた。
 軽い足取りで離れた男が再びソファに身を沈めて、絨毯に尻をついたアベーレの姿を見つめている。
 鼻で笑い、グラスを手に取り濃い琥珀の酒を注いだ。濃厚なアルコールの香りが部屋の中に広がっていく。
 グラスを上げて隠れた向こうで、鋭い瞳がアベーレを見つめていた。
 獰猛な捕食者は、決して獲物を逃さない。頭から牙を立てて喰らう凶暴さが、その瞳の中にはあった。
 脳裏をよぎるブルーノの嗜虐性の強さに関する情報がそれに拍車をかけていた。
 細身で優男的な風貌のせいで、それらしき男からそういう対象で見られたことがあっても、全部撃退するだけの強さはあった。
 けれど今はその強さを封じられている。家族の安全と引き換えに。
「どうする?」
 そんな葛藤すら面白いのか、嘲笑交じりで再度問われて。
「脱ぎ……ます」
 血を吐くような思いでかろうじてその言葉を口にした。
 今はただ家族のために従うしかないのだと、抗おうとする精神をねじ伏せる。
 立ち上がり身に着けていたスーツのボタンを外そうとする。だがその指先は震えていて、一つは外すのにもかなりの時間がかかった。


 全裸になったアベーレは無様に垂れた陰茎を手で隠すことも許されなかった。少し足を開き、腕を上げてその場で一周させられる。
 続いて四肢を伸ばした状態での四つん這いを許容され、動きを止めた瞬間剥き出しの陰茎をバラの花で叩かれた。
 花瓶に飾られていた大輪のバラはトゲ自体は処理してあったから傷を受けることはない。だが敏感な器官への打擲に痛みは強く、散った真紅の花びらが落ちるより先に膝をついた。さらにそんなところを叩かれた屈辱が身を震わせる。
「待つのも飽きてきたな」
 だがブルーノの手がスマホに向かうより先に、アベーレは言われた姿勢をとった。
 高い位置から下ろした手は床には届いたが、かなりきつい姿勢だ。広げた股間から萎えた陰茎がぶら下がるという無様な体勢を自覚して、羞恥がいっそう強くなる。
「きれいな肌だ。しかも使い込んでる気配はないな、処女か?」
「……くうっ……は、はいっ」
 躊躇うことも許されない。尻に叩きつけられバラの花びらが絨毯の上に広がった。
 戦慄く身体を見つめること数分。
 幾ら鍛えているとは言っても不自然な姿勢にぐらつきが大きくなったころ、ようやく身体を伸ばすことを許され、本心から安堵した。
 頭に血が上ったのもあって、うまく動けないところに、ブルーノが笑った。
「勃起させろ、その可愛いチンポを」
 新しいバラの枝が向けられたのは、先ほどの打擲で少し赤みがついた場所だった。決してささやかなサイズとは思わないが、ブルーノにしてみれば全てが揶揄う対象。だったら反応など見せないほうが――と思うのだが。
 触れようとした手が躊躇う。
 自慰など人前でしたことがないし、今のこの状況で勃つとは思えなかったのだ。
 男の衝動は精神的なものにたいそう左右される。
 こんな理不尽な状況でどうやって勃起するというのか。
「どうした?」
「……でき……な……」
 なんとか手を動かすが、目の前の男は置物だと思うのも限界だ。口角を上げてアベーレのものを見つめる悪趣味な視線に意識が逸らされる。立ったままで行うというのも初めてで、ひどくやりにくかった。
「勃たないか?」
「は、い」
 両手で扱いても萎えたものに一向に血が集まらない。
 しかも今のこの格好は考えるだけで情けないものだった。だがこれで勃起しなかったら今度は何を言い出すか。
 それこそアンディの勃起姿でも写真に撮ってこいと護衛に言いかねないと気が付いて、慌ててもっと扱こうとしたとき。
「そうか。ならいい」
 不意にブルーノが制止してきた。
「え……」
 助かったと思うより、嫌な予感が脳裏をよぎる。
「だったら俺のものを勃たせて達かせろ、その口で」
 バラの花が陰茎から上へと、アベーレの口へと向けられた。
「く、ち……口って……あ、ぁ……」
 遅れてその意図を察し、口から絶望の声が零れる。
「そうだ、俺のものを中から取り出し、その口で咥えて達かせろ。何、簡単なことだろう? 雌ブタ候補の奴隷には」
 突き出されたバラが目の前でくるくると回った。
 ひとしきりバカにするように揺れたそれがブルーノの股間に向けられて。
「やれ」
 不意に低くなった声音に、その冷たい眼差しにぞくりと悪寒が走った。放たれた殺気は、本気のそれだ。
 考えるより先にブルーノの前に跪き、股間へと手を伸ばす。
 笑みをなくした男の鋭い視線がアベーレの一挙手一投足を見つめている。微かに震える指先が膨らんだ股間のファスナーをなんとかずらし、中からずいぶんと体積のあるものが取り出した。
「こ、れは……」
 思わず呻き目を見張るほどの存在感。これと比べれば自身のものなど確かに小さいだろう。だがアベーレのものは平均的なもののはずだ。
 それほどまでにブルーノのそれは規格外だった。
 グロテスクとしか言いようがないほどにその陰茎部には血管が浮いており、太かった。
 なんとか取り出して受けた掌に感じる生暖かさに総毛立ち、吐き気すら込み上げる。重いそれはまだ柔らかい。なのに反り返ったエラは大きく、先端は女の拳ほどもあった。しかも長い。色素が沈着していて根元は剛毛が覆っていた。
「どうした?」
 瀟洒な椅子に腰を掛け、肘掛けに片肘をついて促すブルーノは、そこで再度笑みを浮べた。 激しい嫌悪感で止まってしまったアベーレの姿を舐め尽くすように見つめている。
 そんなアベーレの肌は今や蒼白と言ってもよいほどに血の気が失せていた。
 ブルーノはアベーレを性処理に使うと言っていた。となればこれを体内に受け入れなくてはならないということで。
 その想像は本能的な恐怖を呼び起こしていた。
 入るわけがない、壊れる、壊れてしまう。
 ファミリーに入り、ファミリーのためなら死すら怖れぬとまで思っていた。だが、今こんなものに貫かれて死することになるのが堪らなく怖い。
 ガクガクとはっきりと判るほどに痙攣し始めたアベーレに、ブルーノは愉しげにバラでその額を突いた。
 その刺激につられて顔を上げたアベーレは、視界に入ったそれに大きく目を開いた。
 ブルーノが手の中でスマホを操作し始めていたのだ。アベーレに見せたまま親指がするりと画面を滑り、メッセンジャーアプリが立ち上がる。
 その宛先に指がかかる寸前、アベーレは意を決した。ここで逡巡している暇などないのだと固く目をつむり、顔をそれへと近づけた。
 ちょうど目の高さにあったもの。
 アベーレの色を失った薄い唇が、僅かに触れる。
 とたん跳ねるように後ろへと下がり、触れていなかったほうの手で口元を覆う。生ものの温もりと確かな淫臭を感じたとたんに激しくえづく喉を必死で堪えた。
 取り落とした陰茎が柔らかな座面の上で重く跳ね、恨めしげにその先端をこちらに向けている。
「おや、もう諦めるのかな?」
 ならば、とばかりに滑る指。
「い、いえ、やりますっ、やりますからっ!」
 コンタクト先が開きテキスト入力画面で動く指は早い。”やれ”と短いワンセンテンスを打つのはあっという間だ。
 飛びかかるように前へと動いたアベーレが座面に横たわるそれを持ち上げ、一瞬の躊躇の後、一気に口の中へと取り込んだ。
 とたん喉の奥から込み上げるものを堪え、半分も入らないそれへと舌を絡める。嫌悪に溢れた唾液をこれ幸いと触れたくもないものに絡ませて、そのせいで口角から溢れた唾液が顎を伝い落ちた。
「小さい口だが、中の感触はまあまあだな。だがじっとしていてことが済むとは思うまい?」
 喉から鼻へと抜ける淫臭と口内を埋め尽くす異物の存在に慣れる時間すら許されない。
 喉の奥で呻きながら、アベーレは考えるのをやめてただひたすらに舌を絡めて口内を締め付けそれを愛撫した。
「んぐっ、ぐっ……ぐっ……」
「もっと喉の奥まで。そうだ、もっとうまそうに咥えろ。今後これがおまえの大好物になるのだからな」
「んぐうぅっ!」
 長い陰茎は喉の奥を塞ぐ勢いで入ってくる。それでもまだ外にある部分は長く、しかもさっきより太く硬くなっていた。
 喉の奥に先端から滲み出た体液が塗り広げられる。
 吐き気を覚えるより先に必死になって飲み込んで、喉の奥を広げて迎え入れた。
 息苦しさに意識が朦朧としてくる。身体的な危機が精神を屈服へと誘う。
 とにかく早く達かせないと駄目だ。せめて今の苦痛から解放されたいと、アベーレは床に下ろしていた手を座面へと上げた。
 口の中だけでは十分に愛撫できないからと手も指も使った。
 長く細い指がグロテスクな浅黒い陰茎に絡みつき扱き上げる。端正な顔は生理的な涙と鼻水、涎でぐちゃぐちゃになり、苦しさにしかめられた顔はただ行為に没頭しているようだ。
「ふふ、ずっと考えいたんだよ、おまえのその顔がそのように歪むさまを。ただ屈辱に歪むだけではない。大口を開けて俺のものを咥え、顎が外れてもなお離さない姿、壊れた人形のように歪んだ四肢を晒しながら穴という穴に卑猥な玩具を咥えてそれでも足りないと腰を振る姿、そんな姿を何度想像しただろうよ」
 指が濡れた顎に触れた。
 びくりと震えたアベーレが視線だけを上へと向ける。
 紗がかかったように意識の薄い表情は、そんな動きすら緩慢だ。それに不快そうに鼻を鳴らしたブルーノの手が動いた。
「うっ」
 鋭い痛みが頬に走り、アベーレは自分の肌に赤い線が走ったのをかろうじて捉えた。
 ブルーノの手にいつの間にか小型のナイフが握られており、それが頬を滑ったのだ。
「自分が何をしているか、しっかりと把握していろ。あのアベーレともあろうものが、この程度で意識を飛ばすか?」
 何も考えずにいた思考があからさまな挑発に戻された。
 その瞳に潜む強い光を認めたのかブルーノが笑みを深くする。そのまま正気すら失うことを許さないとばかりに、追加の痛みを刻んだ。薄いかすり傷は、すぐにその流した血を止めた。
「おまえの顔は気に入っているから痕を付けようとは思わない。だが普段見えないところは別だ」
 照明に鈍く輝くナイフの刃先が肩へと向けられる。
「このナイフで切り刻むのも良いが、それより先におまえに俺のものだという印をつけてやろう。タトゥ、焼き印、創傷痕、どれがいいか? 場所は、背、尻、腕……どこが似合うかな? おまえはどこがいい?」
 刃先から目が離せないままに問われた言葉に諾とも否とも言えない。
 言えるはずもなかった。陰茎を咥えているからではなく、ただ応えられる問いではないからだ。
 だがそんな逡巡が許されるはずもない。
 落ちて額に張り付いた前髪を掴み上げられ、ブチブチと切れる音がする。上げられた視線が覗き込むように見下ろすブルーノとかち合った。
「なるほど、選べないなら全てをおまえに施してやろう。背にタトゥ、尻に焼き印、四肢にはこのナイフで深い傷痕を。全ておまえが屈服した証として生涯残るほどに深く刻んでやることにしよう」
 滔々と語るブルーノの声はうわずっていた。
 性的な刺激というより、自身の言葉に酔っている。だが確かにブルーノのそれは完全に勃起し、限界まで口を開けても苦しくなっていた。
 両手で掴み、なんとか頭を前後させて愛撫を繰り返すことしかできない。
「下手だ、この程度も満足にできないとは、娼婦よりも使えない。おまえの妹はどうなんだろなあ」
 頬にナイフが触れる。片手に持つスマホは相変わらずで、そこにある全てがアベーレを責め立てていて。
 それから数十分、顎の感覚がなくなるほどに続けたそれから一時的に解放されたときには、まだブルーノのそれはせいぜいが先走りを溢れさせているだけだった。

後編に続く